高橋信次師・園頭広周師に学ぶ                

    WB01361_.gif (611 バイト)   過去世物語と光の天使達 WB01360_.gif (855 バイト)      

                                 

                                 

 「高橋信次師は、人の過去世と使命がわかるただ一人の人間だった」 

                                 

 <過去世がわかるナゾ>                     

                                 

 高橋信次師は、その人の過去世(過去に生まれていた時代のすべて)が瞬時にわかる人だった。それは、各人の守護霊(過去世・魂の兄弟達)から相手のことを自由に聞き   出す能力を持っていたからである。     

在世中(昭和五十一年没・四十八歳)に「過去世を明らかにした数は二百人以上にのぼった」と伝えられている。

信次師の教えによれば、人間は普通、千年から二千年に一回この地上界に肉体を持って、約五百年に一回の割合で分身がこの世に出て人生を繰り返すというのである。       

「この世に肉体を持つ」と簡単に言ってのけたが、凡人にとっては大変なことで、地獄の世界からはどんなに望んでも地上界に誕生できない仕組である。「あんな悪いヤツもいない」というのも中にはいるが、高橋師によるとこれだって誕生前には天上の世界にいた者のようである。     

もっとも、悪いことをする人は地上界を縁として人生の中で悪心を作り上げたもので、あの世を縁としたものではない。それは降霊(下生、天孫降臨)したばかりの純真な赤ちゃんの頃を思い起こせば分かるだろう。ところが、中には悪い「心の傾向性」(業・ごお、カルマ)を完全に修正できなかった人は、たとえ地上界に生まれることが出来てもまた同じ悪いことを繰り返して、この地上界を去る時には再び地獄の世界に身を沈める人もいる。  

たとえば、十万年前にさかのぼった時にある人は地上界での人生経験を五十回持ったとする、また、別の人は地獄界に定住することが多かったためにこの世には五回のみの人生体験だったとしょう。これを以て、人格とか人間性の差というのだが、人間は数多の人生経験の中から色々なものを学び智慧(知恵はこの世だけで学んだもので、以後区別する)とし、それらの過去の体験が潜在意識の中にあって、この世で学んだこともないような問題にも予感、直感として解答を得ることが出来るのである。それは、各人の魂に記録された智慧を出して対処することになる。人間はパニヤ・パラ・ミタ、般若・波羅・密多(般若心経の一節)である内在する偉大な智慧を、ひもときひもとき、知恵として出すことになる。高橋師によって過去世を明らかにされ、霊道を開いた人が沢山いたと言われているが、余りにも過去世の名や霊道を鼻にかけ、増長、虚栄心だけで道を誤る人や、自分の過去世(過去生)を知りたいだけの欲念を持った人がいたようである。たとえ過去世で名を遂げた人であっても「今世が駄目なら過去世も押して知るべし」であり、「今世が駄目なら来世も推測して余りある」のだ。「過去、現在、未来は一点なり」と、昇天する直前に絶叫した信次師の言葉が胸に刺さる。過去世のわかる唯一人の人が高橋信次師だった。

信次師没後は巷から「あなたの過去世は〇〇だ」と言って人をまどわせている人のうわさも聞えるが、神をも恐れぬ行為であろう。       

「現在、あなたの過去世は…と言っている人は皆ニセモノである。海外の人は知らない」と、園頭広周(元・国際正法協会)会長は言っておられるが、信次師の残した交叉証明によって、その人がニセモノかホンモノかの判断もつくので、人名事典を片手のウソつきには脅威となろう。      

 次に、高橋信次師の〃ことば〃を聞いてみたい。          

「過去世を知って、悪い業(カルマ・心の傾向性)を修正することは、私達の人生修行の目的であるが、過去世がどのような人であろうと、今生(こんじょう)は今生であり、大切であることを忘れてはならない」、と。          

 高橋信次師は、次のことが言いたかったように見える。     

魂は永遠不滅なもので、人間は地上界に何度も何度も生まれて人生の修行をして行くものであり、人生はこの世限りではないことを教えるための一つの方法、方便として過去世を明かし、その人が生きていた当時の言葉を喋らせ、「ほら、その当時はこんな言葉で喋っていたではありませんか」と、人々の面前で公開して教えたのである。無霊魂論と、人生はこの世限りという考えにに凝り固まった現代の人々に、あの世の存在や来世や過去世を理解させるためには、このような方法を取る以外にはなかったと思われる。しかし、高橋師の霊能にのみ憧れて、人生を誤る人々が多くいたことは残念だった。高橋師の後を受けて、正しい心の持ち方と人生の生き方を教えた「正法」を、護り伝える使命の園頭広周・元国際正法協会会長は、霊能的なことは一切やられなかったが、その理由は、正法の生き方を遵法する人には二次的に奇跡は起こるからだと言われている。           

                 

     <人は過去世をナゼ思い出せなくなったか>

                  

 人はそれぞれに過去世を持っているのに、ナゼそれを想い出せないのだろう。神の子である人間はその能力を皆持っていたのだが、永い歴史の中で「愚痴」「怒り」「足ることを知らぬ欲望」という暗い想念(心)をつくり出したために、神が与えたその力を閉ざしてしまった。今を正しく生きるために、人はその能力を奥深く潜在してしまうことになったというのである。その力を有していた人間が、自らその能力を閉ざしてしまったので、方便により信次師の力で過去世を強制的に思い出させたのである。 

                                 

    <過去世を思い出す謎と、霊道を開いた人の危険性>     

                                 

 人の心は、オギャ−生まれると、九十%が潜在され十%の表面意識と想念帯の働きでこの世を渡って行く。この世に肉体を持った光の天使の「光」で厚い想念帯に窓(穴)が開かれるために、九十%の潜在された意識が外に流れ出て今世では習ったこともない当時の言葉を喋り出すことになる。  

しかし、光の天使の「光」によって強制的に開かれた想念帯の窓は、欲望が生じたり、威張ったり、おごる気持ちが生じると、守護霊(自分の過去世、魂の兄弟)の慈悲と愛の身上とは合わず守護霊の働く場がなくなるので守護霊は離れてしまう。守護霊は離れる時にはその窓をふさいでしまうが、そのスキに動物霊や地獄霊、魔王が入ってくるために、霊道を開いた人が普通の人より余計に正道を踏みはずして間違ってゆくことになる。      

                                 

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   <生命の仕組み、魂の兄弟・本体一人と五人の分身>      

                                 

 人間は、大自然の中の一つの構成員にすぎない。         

植物が、核(本体一)を中心に、その周囲に原形質膜、液胞、細胞膜の四つから構成されていて、本体一、分身四の関係となる。    

動物の場合は、核(本体一)を中心に原形質膜、ミトコンドリア、ゴルジ体、中心体、脂肪粒の五つから構成され、つまり本体一、分身五の関係になる。同様にして、鉱物の場合は原子番号に核を加えた数が本体と分身の数になり、例えば炭素の原子番号の場合は六、核が一つに陰外電子が六ということで本体一、分身六の関係となる。              

このように人間も動物だから本体一、分身五の関係には違いないのだが、実は人間の場合は、この大宇宙が神の大意識を母体に熱・光・電気・磁気・重力という五つのエレメントからできているので、人間の生命体もこれに合わせて本体一(大意識)、分身五(五つのエレメント)の組合せになるのだ。人間を称して小宇宙というのも、生命の成立が大宇宙の構成と同じようにできているように、生命も物質も三つのプロセスからできている。地球に生命が宿るのは太陽、月、そして地球という三位一体の構成。地球(地上)は気圏、水圏、岩圏から成っており、原子は陰外電子、中性子、陽電子からでき、電気は陽性(+)、中性(N)、陰性(一)から、細胞は大きくわけて原形質、細胞質、核の三つから構成されている。物質の成立は、宇宙の大意識をまず出発点として、第二に熱・光・電気・磁気・重力のエネルギーが組み合わさって、物質という第三の現象化が行なわれている。生命もこれと同様に、まず第一に宇宙の大意識から、第二に個としての生命が、あの世すなわち実在界に誕生し第三に現象界(地上界、この世)に姿を現わすのである。             

                                 

 

 

   T

 

 

    U

 

 

  V

 

 

生命の成立

 

 

宇宙の大意識

 

 

個としての生命が

実在界に誕生

 

 

現象界に

姿を現わす

 

 

 

物質の成立

 

 

 

宇宙の大意識

 

 

  熱・光・電気・

  磁気・重力の

  エネルギーの

  組合わさり

 

 

 

物質の現象化

 

 

 

                                 

 一度、現象界に出た生命体はこの世とあの世の転生をくりかえし、この世に生まれ出る時は両親という媒体(縁)を経て、姿を現わす。 

つまり、大意識から離れた生命はあの世、両親、この世というプロセスを踏みながら、循環の法のなかで生きるように仕組まれている。     

                                 

   〈人間の生命体の三つの系列〉                

                                 

 人間の生命体である一本体、五分身については、人間の生命体は三つの系列からできており、その構成は次の通り。             

     一の系列=男本体一、男分身五

     二の系列=女本体一、女分身五

     三の系列=男本体一、男分身二、女分身三

          女本体一、女分身二、男分身三

 つまり、本体が男性で、分身が五人すべて男性の場合        

     本体が女性で、分身が五人とも女性の場合         

     本体が女性で、分身の二名が女性、三名が男性の場合    

 そして、本体が男性で、分身の二名が男性、三名が女性の場合である。

 これらは、具体的に言うと次の通りである。            

常に男性として現れ、肉体は男性であっても意識、心、精神的には女性的なるものも完全にマスターして、神の子としての全人格を完成してゆく人達で、例をあげると釈迦、キリストのようにいつの世も男性として現われる人。また、常に女性として現われて、男性的なるものもマスターして女性としての生き方の模範となる人で、例えば釈迦の母マヤ夫人やキリストの母マリヤ様などのいつの世も女性として現われる人である。     

そして、ある時は男性としてある時は女性として肉体を持つ人であるが、一般大多数はこの部類に属して順序は男性と女性が交互に転生する。つまり男性・女性・男性・女性…。または女性・男性・女性・男性…、となるが、一の系列から、三の系列を含めて、男女の数は同じである。

また男女のみの系列と、混合の系列があるのは、人類全体の調和を目的としているからで、もしも一と二の系列、二と三の系列のみとすれば、この地上の男女の均衡は破れる恐れがでてくることになる。だから高橋信次師は、「この世とあの世を通じて男女の数は同じで一定不変である」と説いたのである。                      

                                 

  <生命体(魂)の輪廻転生の順序>               

                                 

 魂の転生輪廻はそれではどういう順序で行われるかといえば、原則的には順ぐりでAが出れば次がB、Bの次はCというように、A(一本体)BCDEF(五分身)が次々に現象界(この世)に出て修行する。だが、転生輪廻の過程で修行を積む者と横道(地獄界)にそれてしまう者もあって全体のバランスを崩すことがあるので、そういう場合はあの世で話し合い、前記の原則にこだわらずAならAが短期間に二度、三度、現象界に出て修行することもあり得るが、こういうケースは比較的少ない。図にすると次の通りである。

輪廻転生の順序.gif (7806 バイト)

           

                                                                                     

 このように、人間は或る時は男性に、或る時は女性に生まれてくる人がいる。現代は男性の肉体を持っている人でも、女性が守護霊となって教える場合は、男性であっても女性的な考え方をするようになる。その反対の場合は、女性であっても男性的な考え方をするようになる。

その男性的なるものと女性的なるものを、輪廻転生によってどのように勉強したかによって男性的要素と女性的要素の割合が違う。男性でありながら女性らしい男が、また女性でありながら男性らしい女がいるという原因はここにもある。「…という原因はここにもある」と余韻を残した述べ方をしたが、例えば「男っぽい女性」を例にとって説明すると、今度の子供はどうしても男の子が欲しいと切望していたのに希望に反して女の子が産まれた。すると、両親や周囲の希望が胎児に印象されて、産まれて来た子供は、女の子でありながらケナゲにも、それに答えるべく男っぽく育つということが起こるのである。こうした周囲の環境によって「男っぽい女性」や逆に「女っぽい男性」が世の中にはいるという一つの理由になる。

また、男性ばかりの兄弟の中にポツンと女の子が産まれた。その環境から「男っぽい女性」その反対の場合は、「女っぽい男性」がいることを経験されている人も多いと思うが、思春期にはいったら途端に女の子らしくなったとか男の子らしくなって直ってしまったという場合は、環境的な原因であり、この場合は一時的なことが多いのである。                   

                                 

    <本体と分身の使命と役割〉

                                 

 本体を中心として五人の分身は、それぞれ容姿は異なるが、その性格的長所や欠点については同じような特徴を持っている。本体の役割は、現象界に生まれて分身の造り出した業(カルマ・心の傾向性)まで修正する使命を持っているが、分身は自分の業の修正のみでその目的は果たされ、従って本体の使命は重大である。それにひきかえ分身は、この現象界に出るとき、なるべく容易に悟れそうな環境の、生活にあまり不自由のない中流階級以上を選ぶ場合が多いと高橋師は言っている。そして、肉体を持って修行している分身に対しては、本体やその友人、分身の友人が守護霊をしたり指導霊をして、間違いのない一生を送らせるように協力している。

本体は分身と違って自分で自覚せねばならないので、特に正しい想念と行為が一体となった生活をすることが最も重要なのである。

 これより高橋信次師の講演、「天使の再来」から聞いてみよう。   

                                 

 「本体という核を中心として、五人の分身から人間は成り立っています。即ち肉体をもってこの現象界にその一人が出ているとすれば、残る本体や分身は実在界において、現象界にいる人間に対して守護・指導霊として見守り、指導しているのであります。現象界に肉体を持っている本体あるいは分身の心は、次元の違ったエネルギーの世界、つまり実在界における五人の分身、本体に通じており、それは霊子線という光の糸でつながれていることを知らねばなりません。その霊子線は、皆さんの正しい心の調和、正しい神理、正しい行ない、つまりこの三相の心の中に生活を送っていれば、皆さんは霊子線を通して神の光をストレートでうけることになるのです。それが、不調和を起こして怒ったり、誹(そし)ったり、罵(ののし)ったりして、自分の心というものを掴めないならば、その人達は即地獄の姿となり、霊子線の光が消えて、動物霊だの、あるいは、他のよからぬものに憑依されてしまうのであります。」                            

                                 

  〈魂の先祖と肉体先祖〉

                                 

 肉体先祖は、現実の親子関係を通した俗にいう家柄、血筋である。これまでの観念は肉体先祖のみで、遺伝的なつながりの中で顔、姿、かたちが似ていると言われるのが肉体先祖である。この人生航路を渡る肉体舟を与えて下さったのが肉体先祖というのであるが、同じ親子であっても魂はみな違い、肉体は遺伝されても魂までは遺伝されず、魂にも肉体とはちがった先祖があるのである。魂の先祖とは自分自身の過去世であり、つまり、五百年前、千年前、一万年前‥‥ にどこかに生まれ生活してきた自分自身の過去世の生活記録であり、それは親から受け継がれたものではないのである。次にに具体例を示そう。                           

 <肉体先祖>                       

 

       高橋家→ 父 

                       → WB01361_1.gif (611 バイト)         高橋信次   (十人兄妹の二男)

       ○○家→ 母

        

                    

    <魂の先祖>

 

 

 

三億六千五百年前の真のメシヤエル・ランティ

 

 

 

三千数百年              前のモーゼ

 

 

 

二千五百年            前の釈迦

 

 

 

二千年前の   イエス

 

現代の

高橋信次

 

                                  

「私達の肉体先祖の悟っている人々が、子孫のため協力している場合もある。心の眼が開かれた時には、この事実を自らの力で知ることができるであろう。」(高橋信次)                      

 次に、昭和四十八年夏、長野県熊の湯の自主研修会の高橋師の講演を聞いて見よう。                           

「それでまた、これは本当かな、と思ってあっち(天上界)へ行って聞くわけです。すると、イエス・キリストを名乗る人が何人もいるんです。 髭をこう生やした人、それから、少し面長な人とね。声も違うし、アクセントも違うんです。それで本体と分身の関係がわかってきた。それから「細胞を学べ、細胞を学べ、五体の形成はどうなっているかを学べ」と言われた。だから、なぜ、どうして、と突っ込んで結論が出てきた。だが、一般の人は突っ込めないんですね。こういうことを僕は十歳から四十二歳まで、そんなことばかりやってきた。」            

 次に、魂の兄弟達の例について具体的に説明したい。

                                 

 <イエス・キリストの生命〉                   

  本体イエス・キリスト                     

  分身@ クラリオ・BC四千年頃エジプト            

  分身D マグネチオ・BCニ千年頃エジプト           

  本体  イエス・キリスト紀元前三十二年イスラエル       

  分身B フォアイ・シン・フォアイ・シンフォー・AD四百年頃中国

  分身D アントニオ・アグパオア(昭和五十七年死亡)フイリッピン

                                 

高橋信次著『心の発見』には、「現在、分身Dが、フィリッピンで肉体舟に乗って修行している。クラリオ(分身@)が守護霊をしており、指導霊は、イエスの友人であるモーゼの分身が担当している。」と、記述しているが、分身Dの有名な心霊手術者の通称トニ−が若くして昇天した。分身Dの次は本体の出生の順番となるわけだが、信次師は「これから百五十年後(昭和四八年に百八十年後と)には、アメリカのシカゴにイエス・キリストの本体が出生する」と言い残したが、そこで世界政府を樹立するというのだ。                           

                                 

  〈釈迦・ゴーダマ・シッタルダーの生命〉

                                 

  本体、ゴーダマ・シッタルダー(釈迦牟尼仏)

釈迦の前の生命はリエント・アール・クラードと呼ばれ、南米のアンデス山脈の麓に生まれ、さらにその前の生命は、アトランテス帝国時代のアガシャー大王として神理を説かれた方だった。

  分身D 中インドに王様の子供として生まれた人

  本体  釈迦BC五百年、インド

  分身@ 不空三蔵 北インド

  分身A 天台智ぎ  中国

  分身B 伝教(最澄) 日本八世紀

  分身C 空教

  分身D 木戸孝允(桂小五郎) 日本十九世紀

 釈迦から二千五百年の流れをみると宗教家五人に対し、政治家一人である。                               

   「不空三蔵」                              

 北インドに生まれたが、その後中国に入り密教を伝える。      

不空三蔵の弟子である恵果は、それまでの密教を止揚して金剛界、胎蔵界の両界曼陀羅を説き、この両界曼陀羅を弘法大師に伝えた。      

信次師が憑依霊、動物霊を取り除く時に「不空三蔵、この霊を連れて行きなさい」と言い、「不空三蔵があの世の修養所へつれて行きました」と述べているビデオテープが多く残っている。              

これについては講演の中で高橋師は、                

「養老堂の若いお婿さん、浅草駅の傍に大きな楽器店があるんです。そこの娘婿さんが首が曲らないのですよ。私の所にたずねて来ましてね。十年も曲らないんです。医者に見てもらってもだめ、車を運転する時はこうなんです。「貴女だーれ」と聞いたら、「ちえ子と言ってるよ」「ちえ子って誰れ」と聞いたら、十年前に亡くなった奥さんだったのです。それで僕は奥さんに、「あなたのご主人は、あなたが亡くなってから‥‥。行きたくないなら、私がしっかりと教えてあげるから、まず離れなさい」と。それで懇々と教えて、彼女を連れて行ってもらったのです。その時に、私の守護霊・不空三蔵に助けてもらい、連れて行ってもらったのです。そうしたら、首が直ったのです。「そうでしたね」「そうです。直りました」、 十年も医者にかかって直らないのが直ったんです。だから、私がやっているんじゃないのです。私は教えを受けているのです。だから、光を入れるのも自分ではないと言っているのもそれなんです。」         

このように、いつも高橋師は謙虚であった。             

                                 

   「天台智ぎ」                                 

 仏教がインドから中国に渡ったのは二世紀頃であり、五世紀になって広がった。天台宗を開いた天台智ぎ(ちぎ)という人は、法華経を南岳慧師のところで学ぶ。南岳慧師は毎晩夢の中でミロク菩薩から教えを受け法華経を伝授されていくが、そうしてその伝授されたものを陳少年、のちの天台智ぎは、仏教は行いである。行為のない神理は神理ではないとして、三十七歳のとき、天台山というところに移り法華経を説いて行く。

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天台大師智ぎ(兵庫・一乗寺 国宝)

 

当時、経文は声魂(こえだま)を通して、己の心を調和しようとしたもので、つまり韻声(いんせい)という法を採用したのである。   

 八世紀になると最澄(伝教大師)が中国に留学し、天台山で八カ月ばかり学び、比叡山延暦寺に天台宗を開いた。分身Aの天台智ぎが開いた天台山に、日本に生まれた分身Bの最澄が法華経を学ぶために中国に留学するとは不思議である。一九七四年(昭和四十九年)福岡県二日市での講演会で信次師が韻声によって法華経を朗々とあげる場面がビデオに残されているが、台本のまったくない〃そら〃で、古代中国の言葉で法華経をあげている。信次師のその時のお経は何かしら心が洗われるようで何度テープを廻して聴いても良いものだ。                          

                                 

       <守護霊と指導霊>                 

       −−人生と虫のしらせ−−              

                                 

 信次師の守護霊はイエスの分身であり、指導霊はモ−ゼであったと明らかにしているが、守護霊、指導霊の働きかけと作用について考えてみよ う。私達は生活の中で、第六感、予感、虫の知らせという精神作用がある。例えば「何か良いことありそうだ」とか「今日の旅行はとり止めた方がよさそうだ」ということがあったり、時間が経った後で「ア−あの感じは、このことだったのかな」ということがある。心が穏やかで調和されていると心の底の底から静かに語りかけてくれるが、反対に不調和だと守護霊や指導霊はその人を守ることができず、ただ涙を流しながら傍観することになる。ただし、心に安らぎがなく胸が騒いでいるときに聞こえてくるものは地獄霊、動物霊によるものだから注意が肝腎である。日本の神道でいっている「八百万神」(やおろずのかみ)といっているのは、この守護霊のことを云っているのだと信次師は明らかにしたが、当時の人口は八百万人(たくさんの人)ほどだったのかもしれない。また、ビデオの中で多く見られるものだが、信次師が、「この者の守護霊よもっとしっかりしなさい!守護霊が頭をかいていますよ。いい加減にやってもらっても困りますからね。肉体を持っている人はもっと勉強をして…本を読んで下さい。やれば出来るんだから。」、と。                

                                 

 

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   「最澄・伝教大師」                     

                                 

 高橋信次師の講演より要約すると、次の通りである。 

 

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伝教大師最澄(兵庫・一乗寺 国宝)

 

       

八世紀になると最澄が中国に留学し、天台山で八カ月ばかり学び比叡山延暦寺に天台宗を開いた。同年代に空海が一緒に中国に渡るが、支那海で台風に会い纜(ともづな)が切れたため別のところに漂流し、五台山(ウータイシャン)で勉強をする。空海は、二年近くいて密教を日本に持ってきて高野山でそれを説いた。しかし、密教は仏教ではない。密教の源流は瑜伽(ヨガ)であり、己れ一個の自覚のみを求める小さな悟りといえるだろう。中国から日本に伝わってくる過程を像法時代といい、仏陀の教えに知と意が加わった。このためさまざまな教えが仏教化され、儒教以外のものも、みな仏教にされてしまった。伝教は、天台山において、法華経を学び、その時の御題目は、「法 蓮 華 僧 伽 呪」(ほーれんげんさんがんじゅ)と唱え、声の波動に乗って心の調和を計ったのである。  

「法」とは 宇宙の神理 、仏の教えである。「蓮華」とは 心を表現している。「僧伽」とは 法に帰依している者をいう。         

私達の人生航路を渡って行く肉体の舟は、眼を見れば耳糞、鼻を見れば鼻糞、歯を見れば歯糞、皮膚を見れば臭い汗、痰、大小便、綺麗なものは何一つとして出てこない。このように汚い泥沼のような肉体舟であっても、泥池に蓮の花が咲くように、私達の肉体を支配している意識(魂)の中心の「心」が宇宙の仏の法を悟って生活し、仏法に帰依したならば、仏の心と私達の心は調和され、真の安らぎが生じて天国の境涯に達する」と説いたものであった。この「法蓮華僧伽呪」の御題目は、伝教が日本流に改め、「妙法蓮華経」(みょうほうれんげきょう)と訳し、地水火風空の大自然と、私達との関係、色心不二の法を、天台教学の一環として比叡山を中心に弟子達に教えたものである。伝教大師の過去世が、中国の隋の時代に、浙江省の天台山を開かれた天台智ぎという僧侶であったことを、生存中は悟っていなかったようである。天台智ぎや不空三蔵が、法華経や密教について、伝教大師の守護霊として実在界より常に教えていたそうである。過去世で学んでいた仏教なので、法華経について自信を持っていたということはむしろ当然であったのかも知れない。その現われとして、「天台の仏法は、諸宗の明教なり」と求める人々に教えたそうである。 

天台が中国に出た当時も、仏教が学問仏教に変わっていたことを非常に悲しんで、自ら仏教の精神は行ないが伴わなくてはならないと思い、天台山に居を構えて、心と行の実践をした。このような考えは、伝教大師にも良い業として伝わっていたという事実を、「わがために、仏をつくるなかれ。わがために経を写すなかれ。わが志を述べよ」ということを、私は後世の弟子達のために遺言された」と当時の守護霊が私に教えた。また私の守護霊は、不空三蔵が勤めている関係上、伝教大師の消息については非常に詳しい。中国に留学していた当時、トワン・テン・エンという老僧が天台山におられ伝教の付人をしていた関係で、伝教に非常に人間らしい事を教えて下さったことなどを語った。このときのトワン・テン・エンは、その後、転生輪廻して、十三世紀頃日本に生まれた、仏教を学んだ道元、という名の僧侶である。伝教大師は、「神理を説く人こそ国の宝である」、「未来の仏が、この世に出られるまで、法灯を絶やすべからず」、と。しかしその後の弟子達が、寺を守るという名目で作られた僧兵については「自業自得、悪因が招いた結果、智と意の学問で心を失った結果である」と私に説明された。(講演要約)                  

                                 

 最澄(伝教大師、七六七〜八二二年)は、政治と結びついた奈良時代の仏教に不安をいだき新しい仏教を求めて比叡山にこもるが、八〇四年には空海と共に唐に渡り、天台の教えを学んで翌年帰国し、その翌年には比叡山の延暦寺で天台宗を開いた。仏像をつくるな、経を写すな、私の説く神理を後世の人に伝えよ、神理を説く人こそ国の宝、未来の仏陀がこの世に出られるまで、法灯を絶やすべからず、と最澄は説いたが、「法灯(神理の光明)を絶やすべからず」というところを、現代ではロ−ソクや油の灯明を消すなと間違ってしまっているが、「法灯とは心の光明を点ぜよ」と言うことだと高橋師は修正したのである。              

 これより、生まれ変わりの実名や人物が出てくるが、仏教的な人格(霊格)の呼称として、如来、菩薩、或は地獄界の諸相などが出てくるので、どの段階の人物かを判断していただくために熟読して欲しい。                               

                           

                                 

  <人間(霊)の段階(霊格)と人間性の違い、光の量の区域>          

                                 

 神の前において人間はみな平等であるが、人間(霊)の段階は厳然としてある。「あの人は立派な人格者だ」とか、「あの人は犬、畜生にも劣る」と言うように。

 

 天上界                        

 「神」   如来界・金剛界→菩薩界→神界→霊界→幽界

 

地獄界

     修羅界→餓鬼界→畜生界→煉獄→無間地獄→魔王

 

                                 

 この太陽系には三百六十億の霊魂がいると高橋師は明かされたが、「一本体と五分身」の法則によりこの地球には計算上、六十億人の人間が肉体を持つことが出来ることになるが、地獄界に安住したり人間のご都合による堕胎や人間の想念行為の結果による天災(本当は人災なのだが)等によって現代は五十億程度である。                 

                                 

  「天上界の諸相」                                

 

 

 

 神

 

 

 絶対唯一神の創造主であり大宇宙大神霊

 

 

 

 如来界(金剛界)     

 宇宙は我なり(宇宙即我)と悟り、一切の執着から離れ、人類は皆兄弟だという境地に達している者達で、神と表裏一体となり如来、上上段階の大指導霊達の世界。イエス、モーゼ、釈迦(ゴーダマ・ブッダ)等、あの世とこの世を通して四百二十五人(一九七二年現在)がおられ、地上界を支配している。太陽系には、ほとんどアガシャー系グループが多い。如来界には宇宙全体の諸現象を即座に見ることができる展望台があり、それはどんなことでも見落とすことがない精妙なものである。たとえ、如来であってもあの世とこの世の輪廻は繰り返され、地上界の人々の失われた心をとりもどし、神理の種を蒔いてあの世へ還るのだ。イエスさまの住まいは、イスラエルの上空に、ブッダの天上界の住いはインドの上空にあると考えてよいだろう。

                           

 菩薩界

心は慈悲と愛に満ち満ちて、地上界、天上界の衆生を救っている調和された世界で、心を悟っている者達の世界。ペテロ、アンデレ、パウロ、ミロク、マンチュリア、カッチナー、日蓮、親鸞(菩薩界でも下位の段階)など。この世とあの世を通して約二万人(一九七二年現在)の光の大指導霊や菩薩。高橋師の高弟の園頭広周師は、現代は菩薩と如来の中間に位置し、三百年後はインドに生れカースト制度を打破する使命と役目を持ち、華光如来と呼ばれると、高橋師は言い残している。

 

  神界

人から損害を与えられても人を非難しない。人を非難する前にまずその原因をふりかえり、二度と再びその原因をつくらないように努力する世界。皆人類は兄弟だということを知り、魂の転生輪廻の事実を悟っている。自我心がなく、専門的な分野で研究がなされている学者や博士の多い世界で、医学、天文、科学、哲学、文学など一切のエキスパートが百般の研究を続けている世界。『心行』や八正道の尺度がどの界に当たっているかと言うと「神界」にある。この世とあの世を通して一億数千万人の世界。日本の宗教界では法然や道元は神界の人である。

 

  霊界

この世界はいわば持ちつ持たれつで、人に与えたものは与えられる。与えたものが返ってこないと気持ちがスッキリしない「正しさ」が支配している。生前における常識の観念がここでは価値の尺度になっており、地球上の人類の三分の一が「霊界」以上、三分の一が「幽界」クラスの人達。三分の一が他の天体から初めてこの地球上に魂の修業に出てくる人達である。特別の使命を持った光の天使は霊界以上の三分の一の中の一割位で、その中には学者あり、経営者あり、あらゆる人達がいる。    

霊界から神界の裏側には天狗界、仙人界(キンナラ・マゴラガ、インナパ )があり、ヨーギスートラ、日本の修験者達が多く、肉体行によって法力だけを学んでいて、相変わらず、厳しい肉体行をやっており苦しみから解脱していない自我の強い者達が多い。この住人は、この地上界で、厳しい山中修行を行った行者達が多く、他人に対しては慈悲が少い者達の世界である。                             

  幽界                                 

この世界は自分という立場が正しさの尺度になっていて、自分さえよければ人はどうでもというエゴの世界であり、自己保存の立場が強調され自己保存を損なうものは正しくない、つまり悪につながるという考え方である。現実の社会はまさに幽界の正しさが支配しているようである。人間の魂の修業にとっては、この世の一年はあの世の七十年にもなり、善と悪のいりまじったこの世の修業が、如何に大切かということである。                          

                                 

 

 

                                  

  地獄界の諸相

 

 

 

  修羅界 

栄達を望み、そのためには平気で人を陥れ、利用し、自分の利益のためには人がどんなに傷ついても平気でいる人、闘争に明け暮れている人、常に人を争わせて面白がっている人、闘争対立心の心をもつ人、常に心の中に争いの心を持つ者の行く世界。信仰することによって争いを生みだす者達の行く世界。

                                 

 餓鬼界

金銭欲の強い人、この世に未練や執着を持つ人、足ることを知らず常に不足の思いを持った人、いくら食べても、いくら持っても満足することを知らない欲望の塊りみたいな人が行く世界。

 畜生界

動物と同じような性格を持った人、ねちねちと執念深い人、見境なく性欲に狂う人、人をだます人、動物の本性まるだしの者達の行く世界。

 煉獄

常に心の中に闘争と破壊の渦巻いている人、そしる人、怒る人、ひどく悲しむ人、うらむ人、偽善者、エゴイスト狂思想者、狂宗教家。

 無間地獄 

集団で闘争を計画したもの、戦争の計画者、権力を持って大衆を間違った方向へ指導した者、間違った教えを説いた宗教家達の行く世界。ヒットラー、スターリン等。

 魔王

三億六千五百年前、エルランティーと共に飛来した七大天使の一人、ルシフェルは天上の世界に帰ることなく地獄の帝王(サタン)になった。

 

 

次に、高橋師の講演から聞いて頂こう。                           

「最終ユ−トピアは地獄界のなくなる時です。私が今、一生懸命に『新復活』という本を書いております。モ−ゼの十戒をはじめとして、間違った宗教を修正するために書いているのですが、サタンは躍起となって私を攻撃してきます。しかしルシフェル・サタンなりといえども、私のかっての弟子です。彼はやがて私の軍門に下るでしょう。知らないから地獄に落ちているのです。彼らも救われるでしょう。私は生命がけです。」、と。

 

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        WB01361_1.gif (611 バイト)  過去世物語と天使達 WB01360_1.gif (855 バイト)            

                                 

WB01584_.gif (2068 バイト)家康は、俳優の長谷川一夫として生まれ変わった」

                                 

 今から四百年前の徳川家康が、現代は俳優の長谷川一夫として生まれ変わったと信次師は言い残した。

家康は、今の愛知県岡崎城主・松平広忠の長男として生まれ、幼少より今川氏の人質となって苦労する。一六〇三年には豊臣方を破り、江戸幕府を開いて三百年ほどの江戸時代の基礎をつくった人であり、色々な制度を定めた。(一五四二〜一六一六 年)

 

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徳川家康像   家光が夢にみた家康の姿を狩野探幽に描かせた八幅の一つ   (栃木 輪王寺蔵)

 

家康については本も山ほど出ているので、それを参考にしていただくとして、ここでは家康とキリスト教との関わりというものについて触れてみたい。

家康が天下を取って、真先に行ったことは朝鮮との修好であった。

外国との修好を旨とした家康が、突如として徳川幕府にキリスト教禁止令を出させ、鎖国決定の方向へ歩んで行ったのも家康が次のことを知っていたということを指摘した本があった。マイケル・アームストロング著、『アメリカ人の見た徳川家康』日新報道出版には、「ヨーロッパ人がマヤ、インカ帝国を滅ぼした時には、キリスト教の宣教師の後には必ず軍隊がついて来たということ。また、室町時代の一四七九年、当時の海運一等国スペインとポルトガルはローマ法王の仲裁によって、日本を植民地にする特許(アルカソヴァス条約)」を家康が先刻承知していたと言うのである。

では、どうして家康が情報を収集していたかと言えば、家康の近くには外交相談役として、ウイリアム・アダムス(日本名・三浦按針、イギリス人)やオランダ人・ヤン・ヨーステンもいた。ナルホド彼等の周辺から漏れ聞いていたようでこれもうなずける。それはこうだった。

その頃、ポルトガルの軍艦と商船の船長が、幕府転覆の密書を携えて本国へ持って行こうとしたのが暴露される。それはオランダの軍艦が彼等を捕えてみて判明するのだが、それには、ポルトガルに軍艦と軍隊派遣を求め、九州全土のカトリック教徒と手を結び幕府を倒すというものだった。これに仰天した家康は、キリスト教禁止令、そして鎖国へと歩むようになったというのだ。それというのも当時アジアの諸国がことごとく属国、支配占領された史実に照らすと、鎖国による弊害はあったとしてもこの家康の種々なる情報収集力によって日本は守られることになったというのである。    

その家康が、今世は長谷川一夫として生まれたと高橋師は教えた。「鳴くまで待とうホトトギス」と歌い、あの〃タヌキじじい〃と云われた人が、現代は美男子中の美男子、あの長谷川一夫になったとは、さすがのウエブ・マスターもブッタマゲたのだ。戦乱の世を駆け抜けた武骨者の家康が、現代は剣を舞扇にかえて、戦前戦後の暗い日本に光と夢を与えたというのである。この二人のとり合せは奇異であった。同じ霊統なら、どこかに共通点は見い出せるはずと図書館通いもした。ある時、小説と人情咄にかけては読書家と自負するヤツと、焼鳥を肴に酒を飲むことになった。話のはずみに、心の片隅にホコリを被っていた話しを持ち出してみると、焼酎を一気に飲み干して次のように話しを始めた。

「トンビに油げさらわれたという喩を例に引けば、家康は〃トンビ〃で、それを見ていたのが信長と秀吉というわけだ。〃油げ〃は智慧だ。家康は智慧という宝を持って行ったというわけだ。つまり知恵の差、それは輪廻転生の回数の差というわけだ。何回も生まれ変わって、人生の修行をする度に、経験、体験という知恵を蓄積して、それを小出しにしながら人生を渡って行く。これが、知慧を働かせるということだ。そして人は賢くなって行く。〃タヌキじじい〃とか現代の〃風見どり〃とか言われるのは、生まれ変わり死に変わりの中の色々な経験、体験から、直面した問題を判断、対処するというわけだ。先を見通す力、つまり〃先見の明〃という言葉で代表される〃あれ〃だ。高橋師はこれを「心に内在する智慧、パニヤ・パラ・ミタ(般若心経の般若・波羅・密多)と教えて下さっている。今までの数多くの転生の中で積んだ知慧が心の中から浮び上って来て、静かに時期到来の日を待つことにもなるのだ。だから、家康は〃タヌキじじい〃だと後世の者が言い伝えるようになった。これまで話したのは、これから話す前篇とも言うべきもので、これからがお前の探している共通点とも言える話しだ。次のような話しを聞いたことはないか。

その昔、長谷川が林長二郎と呼ばれていた時代の興業社の社長、これを仮りにAとしよう。長谷川を手塩にかけて育てたAは、ある事情で手を離れることになった長谷川に激怒して、人を介して長谷川の顔に傷をつけた。傷をつけさせたのが誰れかも知っていたのに、長谷川はおくびにも出さなかった。そのために、彼の優柔不断な態度に囲りの者はさんざん蔭げ口をたたいたものだ。時は流れAは映画会社をつくった。その時、長谷川は当時の金で数億円の借金を持っていたものだから、その借金と引きかえにAの配下になったのだ。考えても見ろ、自分の顔を傷つけた者が誰かと知った上でその条件を飲んだ。身軽になった長谷川は、それ以来、芸にも磨きがかかり、いよいよ、映画や舞台の〃華〃となって行ったというわけだ。そして、いつしかAは会社を潰し、寂しい人生だった。一方、長谷川は国民栄誉賞を受け資産はあの通りだ。長谷川はじっとその日を待った。家康もその時節をしっかと待った。これが私の言う共通点だ。だが、まだある。

もう一点はだ、下世話なことと言うか妻をめぐる話しだ。家康には正室が二人いたことになっている。一人は家康十六歳の時の築山殿、そして四十五歳の時の旭姫だ。はじめの築山殿は姉さん女房であり、余り美人ではなく政略結婚だった。つまり、自らの意志によるものではなかった。が、長谷川も同じような道を歩いた。奇しくもそのようになったのだ。」と、そいつは酒を片手に一気に喋り続けた。以上のような共通点が有るにはあった。こうして、この項も大方の目的は達せられたが、もう一つあった。            

 それは、信次師の講演の中で「大久保彦左衛門は菩薩界の光の天使」と言い残したことである。彦左衛門は家康をはじめ三代の将軍に仕え、一心太助と共に講談の世界の人物としてスコブル有名な人だが、家康が日本の独立を守るためにキリスト教禁止、鎖国の方針を決定して鎖国が完全なものとなった三代将軍家光の代まで、お目付役として彦左衛門はしっかり見届けたのである。こうして列強の海運一等国に占領支配されることなく日本は守られることになった。

また、ここで知っておかなければならない大事なことは、信次師が日本に生まれることを決めたのは寛永二年(一六二五年)であったと明らかにしている。これは信次師が肉体を持ち、正法を説くための天上界からの〃地ならし〃として、徳川家康と大久保彦左衛門をこの世に遣わし日本の独立を守ったのであろう。日本が守られ、そこに信次師が生誕して行かれるための天上界の布石であったと言いたいのである。

こうして、徳川家康が実在界(あの世)へ帰ったのが一六一六年で、家康をも含めて天上界での会議が十年後の一六二五年(寛永二年)に開かれたのであろう。そこで家康は、今度は「敗戦後の暗い日本に生きる力と活力を与える使命と役割を」と、心に描いたのであろうか。そして、血生まぐさい戦乱の世に明け暮れた家康は、現代は名優として人を和ませ夢を与えようと誓ったのであろうか。それにしても、残された家康の絵を見るにつけても美男子とは言い難い、そこで来世は美男子にと心に画いたのであろうか。かくして、太平の世を作る礎をつくった武骨者の家康は、剣を舞い扇に変えて舞台の〃華〃となり、股旅ものもよし、武家ものもよし、人情ものもよしとした名優、長谷川一夫となったのである。        

                                 

                                 

WB01584_.gif (2068 バイト)「生長の家の教祖・故谷口雅春氏は、バラモン教主アサンジャであった」

                                 

 故谷口教祖は、古代インドの時代のアサンジャであったと高橋信次師は言い残した。                           

 昭和四十八年、国際正法協会会長園頭広周師が信次師の教える正法に帰依して、過去世が舎利弗であったことを思い出した時、信次師は「園頭さん、あなたは生長の家の谷口雅春教祖がインドの時のアサンジャであったことを思い出していますね」と突然告げた。古代インドの釈迦の時代に、舎利弗(園頭広周師)と大日蓮(ニューヨーク在住の大谷氏)は、ナーランダで生まれた無二の親友だった。初め二人はナーランダにいたバラモン教主のアサンジャの弟子だった。アサンジャの教えに納得できなかった舎利弗(舎利子、幼名ウパテッサ、改名シャーリープトラ)は二百数十人の弟子を引き連れ、大目連(幼名コリータ、改名マーハーモンガラナー)は百数十人の弟子を引き連れ釈迦に帰依した。二人が釈迦に帰依したことを知ったアサンジャは激怒して舎利弗と大目連に破門という処置を下した。二人はアサンジャの非難を甘んじて受け二人が去った後にアサンジャは血を吐いて亡くなってしまう。このようないきさつを信次師は指摘し次のように言った。「園頭さん、あの生長の家の谷口清超という人は二人目ですね。谷口教祖の一人娘の恵美子という人が最初の結婚に失敗したのはなぜか理由を知っていますか。あれは、生長の家をこれ以上大きくしてはならないという天上界からの警告だったのです。それを終戦後、生長の家をこのように大きくした原因は、園頭さん、あなたの責任だから、谷口さんに手紙を書きなさい」と命じた。

 園頭師は次のように言う。               

「清超氏夫人恵美子氏は最初北海道の青年と結婚され、ほどなく離婚になった。「生長の家」では「夫が悪いのは妻が悪いからである。妻が夫の実相を見ないからだ。どんな悪い夫であっても、妻が夫の実相を見れば離婚にはならず、夫婦は円満になるのである。」と、説いているのであるが、そう説いている教祖の娘が、夫の実相を見ず、また谷口教祖は自分の娘を擁護して、その婿であった人の批判を月刊『生長の家』に公表された。この問題があった頃、私はまだ鹿児島の生長の家の一会員であり、どうも教えていることと実際とは違うという矛盾を感じたものであった。終戦直後の混乱で、生長の家がどういう方針を立てていいのか、まだ迷っていた昭和二十七年、私が谷口教祖に直接手紙を書いて、その中に、生長の家の大方針はかくの如くすべきである、と書いた。それによって立てられた方針が今でもそのまま方針となって生長の家は発展してきたのであるから、高橋先生はそのように命ぜられたわけである。」、と。   

 またある時、信次師は次のように言った。             

「園頭さん、生長の家の谷口雅春教祖の奥さんに憑いているのは古い白狐ですよ。だから、生長の家が金に汚なくなったのです。伏見稲荷を祭っていますね。あれがいけなかったのです。生長の家は、古狐が輝子夫人を支配して、輝子夫人の言いなりに動いている。それで生長の家はだめになったのですよ」                           

 また、園頭広周師は言う。                 

「金を要求する宗教は動物霊に憑依されているとは高橋信次先生が講演の都度言われていた。私が生長の家をやめた理由の一つに、会員には「生長の家大神・住吉大神」を信ぜよと言っておきながら、自らは「伏見稲荷」を祭っておられた。私が生長の家を辞める時にこのことを指摘したので、隠しきれなくなって京都の宇治に「末一稲荷」と称して祭られることになった。」、と。                          

 話は飛ぶが、生長の家の日本教文社発行、J・クレンショー著、訳者谷口清超『天と地を結ぶ電話』初版昭和三十年がある。同じく『アガシャの霊界通信上下』初版平成四年・正法出版社園頭広周監修もある。園頭師は昭和三十年にこの本を初めて読んで、この本に書かれていることは正しいと信じた。昭和四十八年、信次師が園頭師に「あなたはロスアンゼルスにあるアガシャ教会のことを知っていますね。あのリチャード・ゼナーを指導したアガシャの指導霊というのは我々の仲間ですよ」と言った時、園頭師は「それは自分が過去世で学んだものであり、それが正しいと信じた理由が理解できた。そして、生長の家の教義である〃肉体なし物質なし〃と〃無限供給の法則〃などが間違っていると知ったのは、この生長の家が出している『天と地を結ぶ電話』を読んでからであった」と書いている。

故谷口雅春氏は、出口王仁三郎(王仁三郎は日本の宗教の誤りを覚醒させる使命を持って生まれた菩薩界の人と信次師は言っている)の許にあって、王仁三郎の口述筆記を分担した人である。このような理由で、出口王仁三郎の教えが生長の家の源流となるわけだが、大本教弾圧事件で一早く気運を察し、第一次弾圧の翌年には大本教を離れた在野に下った。そして、アメリカ系の石油会社に勤務しているとき、古本屋でアメリカの光明思想の本にふれると大いに触発され、大本教時代、出口王仁三郎の「霊界物語」を筆録した時に学んだ万教帰一の教えをもって「生長の家」を開教したのである。それだけに、今までの在来宗教と違った新気風に信者数も増え続け教勢も伸びることになる。信次師は「園頭さんは鹿児島の地で二十四才までに男尊女卑の弊風を打破するために宗教団体を一つつくり、以後私の許へ合流することになっていたが、第二次世界大戦のために私も悟るのが十年遅れ、園頭さんもそれだけ遠廻りすることになったのです」、と言い残している。

園頭師は戦場で谷口雅春氏の『生命の実相』にふれ終戦後、生長の家に入信、本部講師として数十年もの間、教勢の拡大に力を貸すことになる。これはアサンジャと舎利弗という過去世からのつながりというのが、その理由であろう。その後、園頭師は石もて追われる如く生長の家を辞め、後に高橋師に師事するが、月刊「正法」誌に園頭師はこう書いている。              

「今から二五〇〇年前、インドのお釈迦様の時代に、いちばん、お釈迦様が説かれた「正法」に近い教えを説かれたのはアサンジャという方であったわけですが、現在に於て、もっとも正法に近い教えが説かれているのは生長の家であります。「生長の家」はいわば、「正法」を知るための予備校みたいなものだと言えます。無神論者である大学教授や学校の教師が「人間は猿から進化した」というのは、無知ということで許せるとしても、神仏を信ずるという宗教家が、「猿から進化した」と信じ、且、信者にそのように説いているのは不可解なことです。

その代表的な人は、創価学会の池田大作会長であり、立正佼成会の庭野日敬会長であります。池田大作著『生命を語るB』人類誕生の条件、進化論について、庭野日敬著『人間への復帰』人類はどうして生まれたか、を参照して欲しい。これとは反対に「人間は猿から進化したのではない。人間は神仏の子として、最初から人間として神仏によって誕生したのが人間である」と言われたのが生長の家の故谷口雅春総裁であります。

また、生長の家では「無限の供給がある」と祈れば必ず「無限の供給がある」ということを一つの教義としているが、生長の家の教えの欠陥は、「足ることを知ったら安らかな心」で祈るということを教えていないことにある。だから生長の家の信者が熱心であるのは、信仰によって心をきれいにするのではなくて、自分の飽くなき欲望を達成したいということで一生懸命に時間をかけて祈っている人が多いのである。私はそれを「信仰を利用した欲望肥大症」と名付けていた。生長の家が教えている「無限供給の祈り」というのは間違っているのである。このことは、アガシャが、得られるべくもないものを、得られるかの如く説く宗教家に注意せよ」と、警告しているのはそのことである。」、と。こう園頭師は述べているが、生長の家の教義と、生長の家が出版した『天と地を結ぶ電話』の中で説かれていることが相反すると言うのである。

また、園頭師は同じく正法誌の中で「谷口雅春教祖がこれまでに三度、夢の中に出てこられ、生長の家で説いてくれといわれたが、そうなれば二代目の立場はどうなるのだろう」、と。また、「夢の中で故谷口雅春教祖により演壇に導かれ講演をした」という記述もあるが、園頭師は生長の家を愛するが余り、日本の代表的な教団にしたいがために苦言もはいたであろうが、それも生長の家を愛し、谷口教祖に対して初めから他の人に持たない親しみを感じたからであろう。                          

 生長の家は一番正法に近い宗教である。リチャード・ゼナーを指導したアガシャーといわれる指導霊は、高橋信次師、園頭広周師の同一のグループである。その説くところは、まさに正法そのものであるが、その本が生長の家より出版されているというのもまた不思議である。不思議と云うより天上界の布石であったろう。

それは、第二次世界大戦が避けられないということになると、天上界は正法の流布が遅れるとわかった時に一早く手を打って、遅れた正法が計画通りに拡がるための布石がすでに打ってあったのだとウエブ・マスターは思った。信次師が亡くなる直前に、「全世界の二十パーセントが正法に帰依する」という予告があるが、その言葉が頭の中にスポットを受けたように浮び上って来たのであった。アメリカのロスのアガシャ教会に、そしてイギリスのシルバーバーチのグループに、また、日本の国際正法協会と生長の家に「正法」の計画があの世からなされていたことに驚いたのである。          

                                 

   〈なぜ、今、シルバーバーチなのか〉             

                                 

 ロスのアガシャ教会の霊媒師リチャード・ゼナーを通してアガシャーと名乗る霊が降霊して霊界通信を送ってくる。その記録をJ・クレンショーという元記者が『Telephone between Worlds』として一九四八年(昭二十三年)に出版した。それを訳本として昭和三十年(一九五五年)に谷口清超氏が『天と地を結ぶ電話』日本教文社刊とした。本部講師だった園頭師がそれを読み、何も知らないはずの信次師が指摘、説明を加えたと述べた。これはここにしばらく置いといて、先を続けることにしょう。

『シルバー・バーチ霊言集』潮文社A・W・オースティン編・桑原啓善訳がある。これには、浅野和三郎、近藤千雄氏のものもあるが、この『Teachings of Birch』は初版一九三八年(昭和十三年)イギリスである。

 ある時、園頭師は『シルバー・バーチ霊言集』を開いて、シルバー・バーチと名乗る霊の心霊絵画を見るとすぐ、〃白羽毛!〃と叫んで驚いた。というのも園頭師に見覚えがあったからである。

園頭師はまた言う。「アメリカだけでなく、イギリスにも既に正法の手があの世から打たれていたことを知って感謝する。生きている間に、アメリカのアガシャ教会とイギリスのシルバー・バーチのグループと連絡をとって、正法の世界的拡大運動を図る基礎をつくって置かなければならないと思った」、と。              

                                 

   〈正法拡大への布石の一例〉

 

 ニューヨークの「心霊オブザーバー」誌の編集者であるブレッシング夫妻は、一九四七年(昭和二十二年)ニューヨーク州のリリイ・デイルにあるオフィスで一連のパステル画を受け取る。このパステル画はロンドンのアディソン・ガーデンズの心霊画家S・A・マクドナルドが彼等に送ったものだった。マクドナルドはあらわれて来た霊人達の透視的幻影をスケッチして着色したものだと言っていたが、その絵の中には「白羽毛」と呼ばれる一アメリカ・インディアンと「チャン・フー・リー」という名前の一中国人とが描かれていた。この絵を受け取って間もなくブレッシング夫妻は、カリフォルニアへ旅行した。勿論、この絵については彼等の事務員以外誰も知らなかった。この著名な二人の編集者はサン・フランシスコのフローレンス・スミス・ベッカーという人を通して霊界通信が行われている交霊会に出席した。この交霊会でのこと、霊媒を通して強い鼻にかかったインディアンの声で話し出した。

「私は白羽毛だ。私はイギリスで或る画家に私の肖像画を描いてもらった。私はその出来栄えに大変満足している。私は力と平和とをもたらすために来ているのである。偉大なる仕事をしなければならないのだ。」と言った。

そして、数日後ブレッシング夫妻はロス・アンゼルスのアガシャ・テンプル・オブ・ウイズダム(前出のアガシャ教会)といわれる小さな教会の中でリチャード・ゼナーが霊界との「電話器」となっていた。或る中国人が最初は中国語で話し、次いでブロークンの英語で話した。この中国人は通話の内容から、パステル画の中国人(チャン・フー・リー)と同一人物であることを証明した。この中国人は、例の絵について、リチャード・ゼナーの声帯を通して色の具合を説明し、いかにして彼が画家に印象を与えることが出来たか、また如何に彼がその出来栄えを喜んでいるかを説明した。こうして、一連のパステル画を受け取ったブレッシング夫妻は、カリフォルニア旅行中に、二つの降霊会の中でこれらの真実を知ることになったのである。ロンドンのモーリス・バーバネル氏を通して霊界通信を送る〃シルバー・バーチ〃と呼ばれるものは数人の霊で構成されている霊団である。その中の二人が白羽毛であり、チャン・フー・リーである。この霊団の二人がサンフランシスコとロスアンゼルスの交霊会にそれぞれ通信を送ったのだ。

 以上の記述は、アメリカで出版された『Telephone between Worlds』の訳本『天と地を結ぶ電話』と、ロンドンで出版された『Teaching of Silver Birch』の訳本『シルバー・バーチ霊言集』の二つの本によって合作したものであるが、完全に符合した。

 こうした理由で、園頭師は「アメリカとイギリスに正法の手が打ってあったことに感謝する」という言葉になったのである。イギリスのモーリス・バーバネル氏は一九〇二年(頃)に生まれ、アメリカのリチャード・ゼナー氏は一九一二年(頃)に生まれているが、奇しくもモーリス・バーバネルは一九八一年に、そしてリチャード・ゼナーは一九八二年に前後して亡くなっている。二人は十歳程の年齢差はあるものの不思議にも三十五〜六歳で共に、本を出版していることも特記さるべきことだ。この二つの訳本を読んでもらうとわかるが、信次師の教えと同じことを言っている。リチャード・ゼナー氏も、モーリス・バーバネル氏も共に入眠状態で、声帯を利用されて霊示が伝えられた。

しかし、高橋信次師は目覚めて自ら教えを説いたことが大きな違いだった。リチャード・ゼナー氏もモーリス・バーバネル氏も共に、あの世の高級霊から見たとき、霊示を伝えさせるには格好の人物であったと言うことである。霊示を伝えさせるために、子供の頃から天上界より霊的に開発されて来たということである。それは霊格的には、信次師ほど高くはない、ということを意味する。ともに、人間のあり方を説く「八正道」が説かれていないし、共に霊界からの受話器にすぎなかったということである。

やがては、アメリカのアガシャ教会も、イギリスのシルバー・バーチの霊言を伝える団体も、信次師が説いた法(正法)に帰依しなければならないことになる。アメリカ、ヨーロッパ、日本に伝えられた正法は、それぞれを基点にして流布、拡大されるに違いないのだ。「人類の二十パーセントが正法に帰依することになる」と言った信次師の予告がクローズアップされるが、全世界に「正法」が流布された時、地上楽園完成への一歩が印される。その為には世界の三カ所から「正法」の拡大を目指した新しい光は、確実に人類に流布、浸透して行くに違いない。その最も大きな「光」は、真のメシヤ・高橋信次師が説いた「正法」が、東方の国、日本から出て、地球救済の「希望の光り」となるのである。人類が平和に、仲良く手を取り合って人生の修行を謳歌できる日が来るまで、私達は手をこまねいて見ているわけにはいかないのだ。戦争と破壊という人間の小賢しい悪知恵が勝つか、神の誰れ彼れをいとわぬ「慈悲」「愛」が勝利するか。神の逆鱗に触れる前に、同時代の同期生の責任として、力を合わせ悪巧みをする人間に対して「反省と修正」をさせるという手を打たねばならないのである。人類は皆な兄弟なのですから。

 昭和六十二年十二月中旬、園頭師は二度目の「アガシャ教会」訪問を果した(一度目は同年六月)。その時に園頭師がその旨を話すと、『天と地を結ぶ電話』の著者のJ・クレンショー氏の夫人ブレンダ・ローランド・クレンショーさんは、ロンドンで生まれ、シルバー・バーチの教会でモーリス・バーバネル氏の下で霊媒をしていた時に、J・クレンショー氏と知り合い結婚をしたと園頭師は聞かされ、「現在、モーリス・バーバネル氏は既に亡くなり教会もなくなっているが、モーリス・バーバネル氏の未亡人は健在なので、私が紹介してあげましょう」と、なったというのである。園頭師は、「実にスムーズで、天上界から導かれているのであろう」、と。

 生長の家から出ている、『天と地を結ぶ電話』の話が長くなったが、昭和六十三年三月、ウエブ・マスターは長崎県の「生長の家総本山」を見学した。その日は、うららかな陽ざしを浴びた日曜日だった。日本でも一、二を競うという朱塗りの天を突くような大鳥居がすぐに眼に飛び込んで来た。大鳥居には「龍宮住吉本宮」とあった。正午すこし前の総本山は、想像に反して広大な敷地の中で出会った人は二十人足らずだった。千畳余りの拝殿には、数人がしきりに経本のようなものを読経していた。中に一人、齢のころなら十八〜九の背の高い細身の青年が、畳に胸をつけんばかりに祈っている姿が眼に焼き付いて離れなかった。整った顔をした良家の息子さんという感じで、とうてい賢い感じの人とは言えなかった。十八、九の青年は、年のいった人に比べて純心である。純粋な心を持った無知なる人を、宗教の名のもとに組織に組み入れてゆく巨大宗教の功罪を考えた時、著者は心が沈んだ。昭和五十三年、百万坪以上の敷地に百数十億という建立費をかけてつくられたというが、公園としても立派に通用する設備と整備がなされている。最も見はらしの良い所に谷口教祖家の墓地があって、特に目を引いたのは巨大な太陽熱温水器が設備されていた。谷口雅春元教祖が、出口王仁三郎のもとを離れ、その後、アメリカの光明思想にふれていったという進取の気質が、ここにもあらわれたのだろうかと考えた。   

「正法」に最も近い宗教の見学を終え た一カ月後の四月末、故教祖夫人・輝子氏(九十歳)は、当地で亡くなったと新聞は報じた。そして同じく、昭和六十三年、『フライデー五月二〇日号』に「コツ然と二百二十万人が消えたミステリー」、生長の家信者が一年で三百万人から八十万人へ、と報じた。初代谷口雅春教祖とその未亡人の死後、急激に信者が減った様子を伝えた。「谷口雅春氏は神界の人です」と昭和四十八年に信次師は言い残しているが、バラモン教教主アサンジャ−の現代は、生長の家教祖・谷口雅春となったのである。

 

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  WB01584_1.gif (2068 バイト)ヘレン・ケラー障害者へ夢と希望をを与える使命の菩薩界の人だった」

                                 

 高橋信次師は次のように言った。                 

「今まで、あの世へ帰ってすぐ、「やるだけやったぞ」という人はいませんね。最近では外人であります。ヘレンケラー、「やるだけやりました」といって天上界へ帰ってきました。それからシュバイツアー、アフリカで治療に従事した。この人達は菩薩界の人達ですからね。こういう人達は使命を持って出られた人です。日本では、例えば総理大臣であっても、「私はやってきました」という人はおりませんね。」、と。これは長野県熊の湯に於ける講演だが、次に『心の対話』・高橋信次著を引用すると、                           

「ヘレン・ケラーという人を知っているでしょう。ヘレン・ケラー女史は物も見えず、聞えず、語れないという三重苦の身体障害者だったのです。彼女は生まれたときは元気のいい男のような女の子でした。なに不自由ない家で生まれたヘレンは、家族の温かい愛情の見守るなかで育ちました。ところが、二歳になる前に急性脳炎にかかり、高熱を起し、何日も意識不明の日が続きました。医者に見放されますが彼女は奇跡的に助かります。ところが、生命は助かったが、眼が見えず、耳も聞えなくなってしまったのです。耳が聞えなければ人の話もわかりませんから、口もきけなくなってゆきました。ヘレンの運命は、ここで大きく変ってゆきます。ケラー家は悲しみのどん底に落ちてゆくのですが、両親はなんとかヘレンを助けようといろいろ手をつくし、やがて指で話ができるようになり、続いて相手の唇から話がわかり、ようやくの思いで自分の考えと意思を口で語れるようになってゆきます。こうして、ヘレンはハーバード大学女子部を卒業して文学士の称号を得ると、アメリカ国内の不具者、黒人、貧乏な人たちのために社会事業を起こしてゆきます。彼女は、その社会事業を推進するために、世界各国を講演旅行して歩き、日本にも戦前と戦後を通じて、三回訪れています。私は実在界で彼女に会い聞いてみました。「あなたは、大変苦労しましたね。よくがんばりましたね…」といったら、女史は、「私は目が見えないために、不調和なものを見て心を乱すこともなく、耳が聞えないので不調和なことも聞くことがなかった。だから不調和な言葉を話すことがないので、絶えず神と話をすることができました。私は、本当にしあわせでした」と、いいました。心こそすべてであることを、女史は身をもって教えています。」、と。    

                                 

 〈ヘレン・アダムス・ケラー〉(一八八〇〜一九六八・昭和43年)

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                     ヘレンケラー            

 アメリカ、アラバマ州出身。二歳のころ熱病のため三重苦になるが、気性のはげしい反抗的なヘレンをサリバン女史が根気よく愛情をもって教育し、一九〇四年、ハーバード大学ラドクリフ・カレッジを、サリバン女史に助けられて卒業するが、五カ国語を修得し、それ以後世界の目、耳、口の不自由な人達の救済運動を開始する。世界各地で講演し、日本へも一九三七年より三回立寄った。一九三七年(昭和十二年)には、八十日間にわたり日本各地を講演旅行をした。身体障害者に大きな希望をもたらし、福祉事業にもつくしたので、テンプル大学から人道文化博士、グラスゴー大学から法学博士の称号を受け、自伝などの著書が多くある。 使命を持った光の天使ヘレン・ケラーは天上の計画によって自ら三重苦となり、その苦しみと、体験を通して世界中の目、耳、口の不自由な人々に力と勇気を与えるという使命をやりとげ帰天されたわけである。

高橋信次師は講演の中で、「わたしが道を誤まることがあったら、このようなことでショックを与えてくれ、このようにして教えてくれ、と約束して皆んなこの世に肉体を持つんです。光の天使といえども、この世に肉体を持つと道を誤る人も多いのです」、と語っているが、ヘレン・ケラー女史は立派に使命を果され、サリバン女史もそれに協力をする光の天使であったに違いない。このように光の天使は、地上界に使命と目的を持ち、自ら悟れそうな環境を選んで出てくるのである。モーゼが奴隷の子として生まれ、王宮に拾われ社会の矛盾に目覚めてゆくように、また、イエスは左官の子として生まれ人々を救い、釈迦は王子として生まれるも城を出て、疑問と矛盾に目覚め悟っていくのである。地上界に出た光の天使が、この世での使命と目的をやり遂げられるように天上界はその環境を整えるのである。高橋信次師の講演より、天上界はどのように計画したか示したい。                         

                                 

     〈天上界の計画の一例、釈迦の場合〉           

                                 

「今から二千五百年前、インドのカピラというところに、ゴーダマ・シッタルダー(釈迦)といわれる方が生まれます。それより以前約二千年前にクレオ・パローターといわれる道を説く人がエジプトに出ています。実在界(あの世)において、この地上界に出る光の天使たちの選考が始まった結果、クレオ・パローターの過去世を持つその天使がカピラという場所を自分自身が選び出生することになりました。インドを選んだ大きな理由は、自分自身を悟るにはもっとも都合がよい場所であり、伝道の環境が整っているからでした。カピラ・ヴァーストという環境は、まずコーサラという大国の属国で、小さい砦のような城市で、共和制体をとっている国であります。そのためにいつ敵から襲われるかわからない。そしてまたシュット・ダーナー王、マヤ妃という両親の間に子供がありません。母親は同じシャキャ族のコリヤ族というロッシニー河をはさんでデヴァダバ・ヴァーストという城市の娘であります。これはもちろん当時日本の戦国時代と同じように、非常に政略結婚というものがインドでもはやっておりました。そういう環境をまず選んで生まれると同時に一週間目にして母親を「あの世」に引き取ることになっております。ややもすると、私達は死というものについて非常に恐怖心を抱くものですが、あの世から見れば、決して死は恐ろしいものではないのです。こういう環境の下において、ゴーダマ・シッタルダーの義理の母親マハー・パジャパティにはナンダという子供ができてしまいます。これもあの世で計算してあります。そうして人生に対する無常を感じる環境というものを選定してくるのです。

このように環境は極めて不安定な状態です。武力もたいしてないし、大きな国が攻めてくればカピラなど一発でやられてしまいます。それから食事するにしても毒味する人がいます。敵のスパイが潜んでいるからです。このような不安定な場所にあっても、人間というものは慣れてしまえば不思議なもので、そういう環境の中においても育ってゆくものです。しかし、自分の生活環境の中から人間というものはなぜ生まれ、年をとり、病気をし、死んでゆくのかという疑問が心の中からドンドン湧き出て参ります。一方また、カピラ城の生活は優雅であり、春は春の館、冬は冬の館で、いつも取り巻きには美しい女たちが何人も仕えています。しかし、生活が優雅であればあるほど、シッタルダーは無常を感じていきます。一歩城を出れば、酷しいカースト制度というものによって、生活環境は城の中とは百八十度異なっています。ここでも生活の矛盾につきあたります。同じ人間でありながら、生まれながらにしてこのような差別はなぜあるのだろう。ゴーダマ・シッタルダーは考え始め、疑問は疑問を生んで自分自身で解決することが出来なくなってゆきます。しかし、父親のシュット・ダーナー王はなんとか自分の跡取りを安心させたいとして、やはり母親の里であるところのデヴァダバ・ヴァーストからヤショダラという娘を嫁に迎えます。十七才の時です。当時の王侯貴族というものは、一夫一婦でなく、一夫多妻でありました。当然、女同士の軋轢が生じて参ります。悩みは更に自分自身の作り出したものによって膨れあがってゆきます。

二十九才のおり、シッタルダーは、遂に家を飛び出す決心をしてしまいます。城を飛び出し、人間の苦しみというものをどのように解決していけばよいのか、一子ラフラをどうすればよいか。ラフラ出生の際には、父親のシュット・ダーナー王から二人で相談して決めよといわれ、ラフラと命名した。もちろんそう命名したのはシッタルダーであります。出家を妨害するという意味で、ラフラとつけた。ラフラとは障害物ということです。ラとは石、フラとは橋。当時は吊橋が多く、橋の上に石が置いてあっては危なくて渡れない。いつ吊り糸が切れるかわからないからであります。このようにして家庭的には不調和なゴーダマ・シッタルダーでありましたが、ある夜、遂に自分自身の生老病死という苦しみの問題を解決するために出家し、その後約六年余り中インドを中心にして修行をするのであります。」『高橋信次講演集』

                                 

 それでは、『ヘレン・ケラー自伝−私の青春時代−』ぶどう社・川西進訳より、さわりを引用要約しよう。                 

 『Helen Keller・ The Story of my Life(一九〇二年)』

「ヘレン・ケラー自伝」はヘレン・ケラーが二十二歳、ラドクリフ・カレッジ在学中に出版されたものだが、生い立ちから執筆当時までの記録であり、原著発行以来、絶えず版を重ね、二〇世紀における優れた自叙伝の一つとして認められてきた。

                                 

 「ヘレン・ケラー自伝」

 

 「ヘレン・ケラーは一八八〇年六月二十七日、アラバマ州北部の小さな町、タスカンビアに生まれた。父方の先祖の中には、チューリッヒで聾者の先生になり聾者教育の問題に関する本を書いた人がいるのは、不思議なめぐり合わせであった。父親のアーサー・H・ケラーは南軍の大尉、母親のケイト・アダムズは後妻で、父親よりだいぶ年下だった。南北戦争のあとテネシー州のメンフィスに移り住んだ。四角い大部屋と小部屋が一つずつある小さな家であった。ヘレンの生涯のはじまりは、さして変わりなく、名前を何にしようかと議論百出しだ。父親は、牧師さんから、名前は何にしますかと言われた時、ヘレン・エヴェレットと決まっていたが、ただ祖母の名をもらうことになったということだけ憶えていて、「ヘレン・アダムス」と言ってしまった。母親の、ただ一つの希望の光明はディケンズの『アメリカ紀行』にあった。それは、聾で盲であったにもかかわら ず、教育を受けたというローラ・ブリッジマンのことが書いてあったことをぼんやりおぼえていたことであった。しかし、聾で盲の人を教える方法を考え出したハウ博士は、もうとっくに亡くなっていることを知って、望みの消える苦しみを感じるのだった。そのような中で、ヘレンの教育のために家庭教師を探すことになった。父親が早速そのようにすると、二、三週間して、アグノス氏から先生が見つかったという心強いお返事を受けとった。これは一八八六年夏のことであったが、サリヴァン女史が、ヘレンの家を訪れたのは次の年の三月になってからだった。        

 私が覚えている生涯のもっとも重要な日、それは私の先生、アン・マンスフィールド・サリヴァンが来られた日です。それは一八八七年三月三日、あと三カ月で七歳になろうというときでした。その重大な日の午後、私は待ち遠しく黙ってポーチに立っていました。母の合図や、家で人があわただしく動きまわっている様子から、なにか変ったことが起りそうだということは、うすうす想像がつきましたが、戸口の階段のところで待っていたのです。私は近づく足音を感じ、母だと思って手を差し伸べました。誰かが、その手を受け取り、私を抱き上げ、腕の中にきつく引き寄せました。その方こそサリヴァン先生でした。翌朝、自分の部屋に私をつれて行かれて、人形をくださいました。それはパーキンス学院の盲の子どもたちからの贈り物で、ローラ・ブリッジマンがこしらえた着物を着ていましたが、それを知ったのはのちのちのことです。しばらくそれで遊んでいますと、サリヴァン先生は、手のひらにゆっくり「D−O−L−L(人形)」という字を書いてくださいました。私はたちまちこの指の遊びがおもしろく、とうとう正しく文字が書けるようになると、上機嫌になり、下に駆けおりて母に、人形という字を書いて見せたものです。         

 ある日のこと、新しいお人形で遊んでいますと、サリヴァン先生が私のひざの上に別の古い大きな布人形をのせ、「D−O−L−L」と書き、その言葉がどちらにも当てはまるのだということをわからせようとしまし た。その日は前に、「M−U−G(茶碗)」と 「W−A−T−E−R(水)」という言葉で一もんちゃくあって、サリヴァン先生は「M−U−G」「W−A−T−E−R」は「WATER」だということを教えこもうとされたのですが、私はどうしても二つを区別できなかったのです。  

 私達は、スイカズラの香りに誘われて、それにおおわれた井戸の小屋に歩いて行きました。誰かが水を汲んでいて、先生は私の手を井戸の口にもっていきました。冷たい水の流れが手にかかると、先生はもう一方の手 に、はじめはゆっくり次に速く「水」という字を書かれます。私はじっと立ったまま、先生の指の動きに全神経を集中します。突然私は、なにか忘れていたことをぼんやり意識したような、思考が戻ってきたような戦慄を感じました。言語の神秘が啓示されたのです。その時、「W−A−T−E−R」というのは私の手に流れてくる、すばらしい冷たい何かであることを知ったのです。井戸を離れたときの私は、学びたいという一心でした。すべて物が名前を得、その名前の一つ一つが新しい考えを生んだのです。」『ヘレン・ケラ−自伝』                                 

 菩薩界の光の天使ヘレンケラ−は、ハンディを持つ世界中の人達に夢と光りを投げかけるという、今生の目的と使命を果たして帰天されたのである。                               

                                 

                                 

    WB01584_1.gif (2068 バイト) 石原莞爾将軍は神界の人だった 」             

                    

 

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石原莞爾

 

                      

 職業軍人と云えば、旧日本軍における国防と戦争を職業とする人達である。祖国を守る職業とは言え、有事には最前線に立ち、相手方を殺して相手の人生における魂の修行を中断させることになるのだから、その責任たるや重大で、戦争は人類最大の悪というのである。戦争を計画した者や間違った思想を説いた人、間違った宗教家は無間地獄という、神の光を完全に閉ざした最下位の暗黒の世界に住することになると前に述べた。この一つの例が「ヒットラーやスターリンは無間地獄にいる」とは高橋師の言葉である。この理由により職業軍人として階級の高い人には、霊格の高い人はいるはずがないとウエブ・マスターは考えていた。なぜなら、高い霊格の人は永い転生の中で人類はみな仲良くしなければならないと悟っているので、職業軍人を選ぶこともないだろう、たとえ選んだとしても、その内に職になじめず、職を退くことになるのかなと思っていた。    

 石原将軍は、「世界最終戦論」を著し、日本、韓国、満州、中国、ビルマ、インド、インドネシア、フィリッピン等の東洋諸国は、皆仲良くしなければならないという「大東亜共栄圏構想」は、当時の青年将校の理想であり、尊敬の的であったと言う。サテ、その石原将軍について、山形講演会の時に聴講生が「石原将軍はあの世でどこへ行っておられるでしょうか」と質問をした。高橋師は「この方は軍人としてはめずらしい方で、神界の方です」と言っているが、高階級の職業軍人の中にも神界の人物がいたのである。勿論、師は「めずらしい」という話振りであったが、中でも石原将軍はその智徳ゆえに将軍にまで推挙されたと想像できるが、将軍として戦略を立て戦勝へ導くかたわら、いつも心の片隅には戦争の愚かさとむなしさ、人類は兄弟、皆仲良くという思いがあったに違いない。そして来世は、戦争には手を貸すまいと決意しているに違いない。                 

 石原将軍は山形県酒田の人で、士官学校、陸大の優等生で天才的な戦術家といわれ、法華経の信仰厚く部下を愛し贅沢を嫌い、日常生活は簡素を極め聖者と仰がれる人だったようだが、作家S氏は次のように書いた。「日本陸軍の謀略でカイライ政権・満州国がつくられた。その首謀者は石原大佐であった。そして、その結果、十数年にわたる中国との戦争を誘発し、中国残留孤児という後遺症を残すことになったが、彼の私生活における清廉潔白さをもってしても、今日まで残留孤児という後遺症を残したことの責任を解除する理由にはならないだろう」と結んでいたが、戦勝国も敗戦国もだれ一人として傷つかないものはなかった。戦争は人類最大の悪なのだから、来世は、「大東亜共栄圏構想」と云わず「宇宙共栄圏構想」を策し、ユートピア完成に力を尽くして欲しいと願わずにはいられないのだ。

                                 

                                 

  WB01584_1.gif (2068 バイト)      「 宮沢賢治菩薩界の人だった 」

 

                                 

 高橋師は「雨ニモ負ケズ」の詩を指さし、「菩薩界の人ですからね」と言った。

 

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                         宮沢賢治                            

                               

 宮沢賢治は明治二十九年(一八九六〜一九三三)岩手県に生まれ、三十八歳の生涯を閉じた。小さい頃から身体は余り強い方ではなかったが、成績は優秀で、農林高等学校に学び、農業には欠くことの出来ない土壌についての学問を修める。盛岡中学のときには、お寺に下宿したり坊主頭にして皆を驚かせたが、学校の教壇に立ったり、東京に出て文筆生活を送ったりした。それからは岩手の故郷に帰り、自らも農民と共に生活をし、指導もした。実家は浄土真宗だったが、賢治は法華経の熱烈な信者で、道端の石ころ一つにも、すべて命があるのだという考えは、一生涯貫き通す真理だった。農民と共に歩み、寒村に光明を与えるという使命を持った人だったのだろう。法華経の意味をわかり易く書いた赤い表紙の本を、知り合いの者に千部ぐらい刷って配ってくれというのが遺言だったようだが、短命でなかったなら、高橋師と共に正法流布に尽されたかもしれないと思うと残念でならない。高橋師存命中の一時期に、赤い表紙の『心行』が出されていたことがあるが、これを思い出すにつけ想いを深くする。そして、『銀河鉄道の夜』などの遺作群は亡後認められることになるが、特に『銀河鉄道の夜』は、宗教的モラルの色濃い初期のものから改稿のプロセスでの、あのファンタジックなタッチと幻想豊かな作風を考えると、宇宙即我(うちゅうそくわれ・偉大な魂の最高の境地)とか、幽体離脱の高段階の一つかもとウエブ・マスターは考えるのだ。あの純朴な賢治の遺影を見るにつけ、人間の段階は職業にあるのではなく人格、人間性にあるのだとつくづく思い知らされる。           

宮沢賢治は、心の超人格、超人間性の菩薩界の人だったのである。   

                                 

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   WB01584_1.gif (2068 バイト)        「イエス・キリストと新事実」                

                                 

                                 

 信次師の著書、テープ、ビデオの中にはイエス・キリストについての多くの言葉が残されているので、それを見てみたい。

                                 

(1)、「イエス・キリストが紀元前三十二年に、肉体を持ち、そして、あのエルサレムにおいてその神理を説いた時は、人間の心は、殆んどが悪魔の状態でした。パリサイ人をはじめとして、悪魔の支配をうけていない人は少なかったのです。現代はどうかというと、動物霊に犯されています。万物の霊長たる人間が、己の心を、己の本性を忘れたため、その黒い想念がそのような動物霊の支配をうけているというのが実情であります。私達の周囲の環境をごらんなさい。自分本位、自分さえよければよい、他はどうなってもいいといった不調和そのものになっているではありませんか。今日、夫婦というものの多くは破壊寸前に来ております。性の混乱、生活の目的がなんであるかを忘れてしまった結果であります。人間は、その使命に目覚めなければなりません。己自体の心というものの存在を明確化し、そして、その使命を悟るならば、この現象界の調和は可能なのです。これ以上放っておくと、地上はやがて破壊に至ります。しかし、そのうなことがあってはなりません。」                

                                 

(2)、「ゴーダマ・シッタルダー滅後五百年、即ち今から二千年前、イスラエルの地に、イエス・キリストが生まれております。彼、インマニエルは、十歳の時に実在界へまいりまして、「お前は、あの病める大衆を救わなくてはならない」といわれます。紀元一年にイエスは生まれたといわれていますが、それは大きな間違いです。彼は紀元前三十二年に肉体を持っております。イエスは実在界から帰って来て、自分の家の前の川の流れを見た。そこには魚をすくって商いをしている人々があった。あの世でいわれた通り、「よし、自分は人を漁る人となろう」と、道を説いていったのです。彼は少し強引に神理を説いているうちに、心の中に間違いのある人達には、そのことを徹底的に追及し、「あなたは私の話を聞く機根がない、出て行きなさい」ということをやります。そのためにイエスに反感を持つ人も多少出てきたのです。イエス・キリストは、三十何歳で死んだということになっておりますが、これも間違いです。彼は五十四歳でこの地を去る時に、弟子達にそれぞれ場所を変えて教えてゆきます。キリストは、磔刑になって三日後に復活して弟子達の前に姿を現わし、それから五十日目に、ついに弟子達は過去の言葉を語り始めます。聖書の中には、精霊に満たされたと書かれてあります。」               

                                 

(3)、「キリストが肉体を持って出る時は、僕が天上界からキリストを指導することになっているんです。僕が肉体を持つ時はキリストが指導してくれるんです。キリストが出たあの時代は、平気で殺人が行なわれるという非常に乱れた時代でした。だから尚のこと愛の大事さを説かなければならないということで、キリストが出て「愛の大事さ」を説くことになったのです。しかし、出ればユダヤの教師やローマの勢力に反対されて十字架にかけられることはわかっていた。だから、僕はなんべんもいったのです。「お前は今度は厳しいぞ、大丈夫か」とそういったら、「大丈夫です。十字架にかかって復活するという奇蹟を見せないと、大衆は信じないでしょう。教えを説く期間は短いけど大丈夫です。きっとやってきます」といってキリストは肉体を持ったのです。十字架に掛けられた時、キリストの意識は既に天上界にかえっていたから苦痛でもなんでもなかったのです。」

                                 

(4)、「私は皆さんに信じろと言ったことはないですよ。どうしてだろう、なぜと疑問を持てといっています。疑問を追求してゆくと最後は神理に到達するからです。イエスさまが言われたんです。お前は疑問を持てというからいかん、「信じろ」となぜいわないかと。イエスさまとはちょっと違うんです。そうすると、イエスさまは、それでは困るんだ、中途半端になってしまって信じさせた方が奇蹟が起るんです。疑問を持っている人よりもね、拒否反応を持っていない方が速いんです。信ずる心があれば奇蹟が起るのが速いのです。」                    

                                 

(5)、「海上を歩いたイエス・キリストは光子体のイエスであり、肉体のイエスではありません。これをみた弟子達の眼は、肉眼のそれではなく心眼(霊視)であったのです。しかし弟子達は、それが心眼であったか、肉眼か、彼らにはその自覚はまだありませんでした。数斤のパンで数千人の飢えを満たしたことは事実です。その霊能者がなぜ捕えられたのでしょうか。十字架にかけられることを、イエスは事前にわかっていました。そして死後の復活まで知っていたのです。実在界から教えられていたからです。」                             

                                 

(6)、「十字架と復活。これによって、愛の神理は全世界に伝播し、イエスの神理は二千年を経た今日でも、人々の胸に刻み込まれることになりました。さて次に、「わが神よ、わが神よ、なんぞ我を見棄て給いし…」とあります。十字架上のイエスは、息絶える寸前、こう大声でいったと、マタイ伝では記されています。ところがルカ伝二十三章では、「父よ、わが霊を御手にゆだぬ」といっています。いったい、どちらが本当なのでしょう。イエスは、事前に、十字架も、復活も知っています。ユダが自分をバリサイ人に売ること、ペテロが嘘言を吐くことも知っていたのです。新約聖書にしろ、仏典にしろ、いろいろな人の手によって書かれてきました。聖書はイエスの手によったものではありません。とすると書く人の機根なり、心の在り方によって大分表現が違ってきますし、間違いもあるでょう。さらには、これを訳する人の心構えによっても変わってきます。マタイ伝、ルカ伝、どちらも本当だ、という見方もあって、それなりに統一した解釈を下している人もあるようですが、イエスのこの時の言葉は、「神よ、人々を見棄て給うな、その為す所を知らざればなり」ということです。聖書にしろ、仏典にしろ、文字にとらわれると、その真意を見失ってしまいます。全体の大意をつかむことが大切です。全体の大意で、それが本物か偽物かの判断がつくようにしたいものです。

                                 

(7)、                             

 o 私の指導霊はイエスがイスラエルに生まれたとき、左官職のヨセフやマリヤを選んだのは「人生に疑問を持つために」と言う。

 

 o 世界の平和は、まわりくどいようであるけれども、一人一人が「正法」を知り、心を安らかにし調和を図る以外にない。釈迦、キリストが説かれた教の原点に帰らなければいけない。

                                 

 o 私は釈迦、キリストの教が永い間に歪められてきたので、その埃を払って教の原点を再びあきらかにするために出てきたのです。

 

 o 釈迦が肉体を持った時はキリストが天上界から指導することになっていますし、キリストが肉体を持った時、釈迦が天上界から指導するのです。釈迦の教えとキリストの教えが同じであるのは、そこに   原因があるのです。

 

 o イエス様は、天上界ではイマニエル・イエス・キリストと呼ばれています。ゴーダマ・ブッタはカンターレといいます。モーゼはモーゼです。

 

 o こうして私達は過日、天上の世界に於きまして会議をやりました。私の隣りにはインマネール・イエス・キリストがおりまして司会をやり、その隣りにはゴーダマ・ブッタ・カンターレがおります。その隣りにはガブリエル、サリエル、ウリエル、こちら側にはモーゼ、さらに又光の天使約十人ばかり、そして、地球上の状況を次々と報告して来ます。    「東北地区研修会・一九七六年六月」

                                

 o イエス・キリストは肉類も結構食べたし酒も強かったようです。釈迦も、食べ物にこだわらず、出されたものはなんでも食べたものです。

 

 o 現在のキリスト教会で説かれていることは、キリストが説かれたそのままの教えではなくて、パウロが説いたパウロ教なのです。キリストが説いたのも、釈迦が説いたと同じ正法なのです。

 o お釈迦様がマヤの脇の下から生まれ、七歩歩んで〃天上天下唯我独尊〃とか言ったとかいう伝説があるが、あれは後世の人々が神格化するための作り話しであり、またイエスにはマリヤの処女懐妊説が   あるが、いずれも神のように祀り上げてしまった人間の偽説であり、このような事実はなかった。        『心の発見』 

                                

 o 「人間は罪の子である」と言っているのはキリストの弟子パウロが言い出したことで、キリストは「人間は神の子」であると言われたのです。

                                 

(8)、「大日如来といわれている方は、釈迦牟尼仏が亡くなられてから二十五、六年後に神理を説かれた方です。ゴーダマ・シッタルタは特に慈悲ということについて説きました。愛ということは説いておりません。みなさんは、慈悲というとなにかといえば愛だと答え、愛とはなにかといえば慈悲と答えるでしょう。大体、釈迦系の人は愛というものを知らないのです。釈迦系の人は「愛」といえばいやらしい愛を思い出す人が多いでしょう。なぜ、そのようになったかと申しますと、その当時のコーダマ・シッタルタは非常に恵まれた環境におりました。特に女性関係において第一夫人、第二夫人、第三夫人とおり、その外、カピラの城中に沢山の女の人達がおりました。そのために、悟れないのは女性問題が障害になっていると考えたのです。大日如来といわれる方は当時、マガダ国におられまして学者でした。慈悲だけでは人は救えないのだ。愛も必要だということで、この方が愛を説くということになったのです。弘法大師(空海)という方は、竹林精舎を寄進されましたガランダという方で、大日如来はガランダの娘婿にあたる方です。あの世に帰った時に大日如来と名付けられたのです。この方が慈悲と愛の関係について詳しく説いたのです。それでもまだ愛の説き方が足りないということで天上界からイエス・キリストを出すということになったのです。キリストは、ですから「愛」ということを重点に説きました。大日如来のグループの中には、ですからのちにキリストの弟子として出られた方もいます。                  

                                 

(9)、「イエスの輪廻、循環の神理」               

 イエスは神理の中に輪廻の姿を随所に語られています。たとえば、「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶなり」「汝ら人を審くな、審かれざらんためなり」「汝ら人の過失を免さば、汝らの天の父も汝らを免し給わん」な ど、いたるところで語られています。これは因果の法、循環の理を説かれているわけです。

 

    「バプテスマ」

 次に、バプテスマですが、洗礼を受けねば救われない、というのはザンゲをいっており、洗礼とはザンゲを意味したのです。それが、いつの間にか洗礼は儀式にかわり、儀式が済めば、どんな悪人も救われる、となったようですが、そんなものではないのです。ザンゲとは反省であり、過失をあらためることです。ザンゲの証が洗礼というかたちをとったわけです。

 

  「キリストの再臨」

 次に、キリストの再臨ですが、キリストとは神理(光)救世主のことであり、神理の再臨はザンゲによって、各人の心によみがえるものです。イエスという方が再臨し、洗礼の儀式を済ました者を救い、そうでないものを地獄に落とすということではありません。しかし、この点は、いまは考えないでいただきたい。人間は、とかく、物事を三次元的、物理的にしか考えることができず、聖書の文字を、そのままうのみにする傾向がありますが、要は、聖書にしろ、仏典にしろ、書かれている文面の真意を理解し、神理を汲み取るようにしないと、間違いを犯し、一貫した神理として理解できません。

                                 

(10)、「イエスが十字架にかけられた。そして殺されました。あのような偉大な光の天使が十字架というはりつけの刑に処せられたことは、普通では理解できません。そこで、後世の人達は、イエスは人類の原罪を背負って十字架の人となったと伝えています。これも理由の一つです。ところが二千年前のイエスは、なかなか気性の激しい人だったのです。しかもものすごい霊眼を持っていましたから、人を見た瞬間、そのひとの心を見抜きます。魔王の心を持った人のうしろに、魔王が控えているのが見えるのです。つまり二重写しになって人の姿がみえます。このためイエスは、その魔王に向って「お前はここから立ち去れ」と一喝される。一喝された相手は、自分に向っていっていると思い、イエスというやつは怪しからんと憎しみをいだきます。イエスは本人にいっているのではなく、憑いている魔王にいっているのですが、いわれた本人はそれが見えないため、自分だと錯覚します。もともと自分の心が魔王をひきよせているのですから、本人といっても差し支えないのですが、しかし、イエスは魔王に向って叫んでいるのです。ともかく、こうしたことが重なって、あのような劇的な死を遂げるのです。したがって十字架の原因は、魔王に憑依された人達の心ない行為にあったのですが、さらにその原因を求めると、気性の激しさにあったといえます。」                      

           

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(11)、「イエスにしてもそうです。左官の家に生まれ、はじめは左官をしながら「愛」を説きました。しかしやがて悪魔から人々を救うために、伝道一筋に、その生涯を投げ出し、聖書に見られるような、数多くの奇跡を残し世を去ったのです。いたずらに殿堂に莫大な金をかけ威厳を誇らなくとも、人間それ自身の心の尊厳性こそ知るべきでありましょう。またそうした金があるなら、困っている人に分かち与えるべきでしょう。この大地は神の神殿であり、我が心も神仏を宿す大神殿であるからであります。釈迦の時代、イエスの生存当時に、はたして現代の仏閣や教会というものが存在していたでしょうか。」                 

             

(12)、                            

 o 仏教でも、キリスト教でも本来の教えは、人間の在り方を説いているといえよう。

 

 o 「私を生んだ母は、過去世に於てキリストを生んだマリヤです。」『心の発見』

 

 o かつてイエス・キリストといわれた方がアメリカに生まれます。シカゴという処へ生まれます。それが今から百八十年後になります。その時に、みなさんは天上界にいて協力するのです。(昭和四十八年)

 

 o 「天に在しますわれらの父よ」は、現在の教会キリスト教にあるパウロ教。「大地なる母に感謝する」は、原始キリスト教。         

                        

 o 現在、私の周囲にはイエス系ではパウロ、ヨハネ、ヤコブ、シモン、その他関係のあった人達もいる。やがてモーゼ系の縁の深い人達も名乗りをあげるだろう。 『心に法ありて』  

 

 

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  WB01584_2.gif (2068 バイト)        「〇木氏玄奨三蔵法師の馬の手綱を取った人であった」     

                                 

 信次師の著書を出版している三宝出版がある。営業部員であった〇木氏は、「玄奨法師の時代(七世紀)には玄奨法師の乗られた馬の手綱を取られた人」と、信次師は言い残した。

 〇木氏が、信次師の前で霊道を開いた時、園頭広周師の前に「五体投地の礼」をして「インドの時はお世話になりました」と礼を言った。五体投地の礼は今でも比叡山で行なわれているが、現在、インドではブッダガヤの大塔、釈迦が悟りを開いた所で五体投地の礼をしている人達が多い。中にはチベットから何百キロも、五体投地の礼をしながら来る人も多い。これはインドの時の奴隷階級の人達が貴族の人達に対する礼だった。古代インドの時代、舎利弗(シャーリープトラ)の過去世を持つ園頭師はバラモンの貴族階級であったが、その時(紀元前五世紀)の記憶を蘇らせ、〇木氏は五体投地の礼をしたのである。彼は、古代インドの釈迦の時代にはヘイマカという名前で、園頭師の侍従をされていたことが明らかにされているが、七世紀の玄奘三蔵法師の時代には三蔵法師の馬のたずなを取られたというのだ。 

                                 

  <三蔵法師は誰か>                      

                                 

 高橋師の分身に不空三蔵がいる。三蔵法師はこの不空だと言う人もいる。「不空は北インドに生まれ中国に入り密教を伝えた人」という高橋師の記述が残されており、通説の「中国からインドに入り仏典を持ち帰った人」に相反する。今はこれには触れない。                          

 <八戒は園頭師だった?>                            

 中国の唐の時代の学僧である玄奘三蔵は、禁を破ってインドへ行き、十七年かかり大般若経を持ち帰って、あの有名な般若心経に集約する。大唐西域記はその旅行記であり、孫悟空らの活躍する西遊記は、その旅行記から説話化されたもので余りにも有名だが、平成八年七月、その辺の事情を園頭師に尋ねて見ると、師はしばらく意識の中に解答を求めておられたが、「三蔵法師の供をした一人でした」という解答だった。「孫悟空や八戒がお供の説話化されたものですか」と尋ねると、ウンとうなずかれ手で丸をつくられた。釈迦の古代インドの時代、シヤ−リ−プトラ(舎利弗、現代の園頭先生)とマハ−モンガラナ(大目連、現代のニュ−ヨ−クの大谷氏)は大の仲よしで、共に釈迦に帰依したことは他の項でも述べたが、現代の大谷氏が寝ている時にググ−ッと体が持ち上がり空の彼方に連れて行かれると、そこに高橋師が立っておられ、両手を広げて見せられた中に生まれ変わりのすべてを見た、という話(坂本龍馬の項を参照のこと)があるが、如意棒を自由自在に操る孫悟空も観音様の手の上で遊ばされていただけ、という話しに似ていて、孫悟空が大谷氏で、八戒が園頭師ではなかったかと推測するのである。                           

                              

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WB01584_2.gif (2068 バイト)     「ケネディ大統領の死」

                                 

 高橋師の高弟に村上宥快という人がいたが、自著『調和への道』には次のことが書かれている。

「恩師がこの世に在られた時にこんなことを申された。前アメリカ大統領、ケネディ氏の死について三カ月前に知っておられ、それは彼の不調和な心への警告であった」、と。

 アメリカ合衆国では、一九六一年(昭和三十六年)民主党のケネディが大統領に就任し、ニューフロンティア政策をかかげ国内改革をすすめるとともに、対外的にはフルシチョフと手を結び世界平和の維持に努力していた。ところが、アメリカ合衆国の勢力下にあったカリブ海では一九五九年にキューバ革命が起り、カストロが一九六一年に社会主義宣言を発し、合衆国はキューバと断交した。この時、ソ連のフルシチョフはこれを利用して、ここにミサイル基地の建設をはじめるが、これを察したケネディは海上封鎖によりミサイルを撤去させた(キューバ危機)。しかし、この後もキューバは反米態度を強化していることは衆知の通りだが、このような軍事的、政策的背景の中で、一九六三年(昭和三十八年)ケネディ大統領は暗殺されたのである。アメリカ合衆国の眼と鼻の先に社会主義国が建国されたことに対して、アメリカは我慢ならなかった。そして、タカ派議員にとっては格好のマトだったことは疑う余地もない。このような背景かあって、先の『調和への道』は、次にこう記述している。「彼が生きていると、キューバに対して核のボタンを押しかねないので、あの世から処置をとったとのことだった」、と。           

 この記述に対して、これをそのまま受け取ると「天上界は暗殺者も送り出すのか?」 という声も聞えそうであるが、決してそうではない。それはこうである。ケネディの不調和な心が、暗殺という不測の事態を招いたということであり、その縁よりはずれることが出来なかった。これもまた因縁の法であり、悪因悪果であったのである。それからのケネディ家には、色々な問題が噴出していることは衆知の通りであるが、これは名門ケネディ一族にとって、人生のあり方、心のあり方に対する警告なのであろう。

サテ、「キュ−バ危機」の時、米ソは合わせて三万の核兵器を持っていたといわれるが、先のアイゼンハワ−大統領は演説の中で「核兵器も通常兵器と同等に使用してもよいと思う」、と述べたが、すでにその風潮は芽生えていたのである。                        

                                 

WB01584_2.gif (2068 バイト)   「マイトレーヤー(弥勒・ミロク)は高橋一栄氏として生まれ変わった」

                                 

 高橋師は、「妻の一栄は古代インドの釈迦の時代のマイトレ−ヤ−であり弥勒(ミロク)です」と、言い残した。             

 

 〈マイトレーヤーは、なぜ未来仏と言われたか〉

                                 

 その種の本に「やがて現われる真のメシヤはミロク(弥勒)かマイトレーヤーか?」というタイトルを見受けるが、高橋師はマイトレーヤー、ミロクについて次のように述べている。       

 「釈迦の時代、マイトレーヤーは大バラモンの家系に生まれ、バラモンの師といわれた大叔父さんはババリーという名で、実在界(あの世)では阿しゅく如来(後に、日本に神武天皇として生まれられた方)と呼ばれました。マイトレーヤーは、小さい時からバラモン経典でヴェダーやウパンシャドを学び、読み書きは得意でした。マイトレーヤーが二十一歳の時、ババリーはマガダ国のラジャグリハ郊外のグリドラクターという山にゴーダマ・シッタルダーという仏陀がいると神示を受け、弟子の中から十七人(男性十三人女性四人)を選び、釈迦のもとで学ぶように命じます。その時、百二十歳のババリーは言いました。「これでマイトレーヤーとも会うことはできまいが、ブッダの弟子として自分を悟るが良い。お前の名を「ミロク(弥勒)」とつけてやろう。ミロクとは、慈悲と調和ということである」と優しく言うのでした。」『心の発見』              

 マイトレーヤーをはじめとする十七人は、長い旅のあと仏陀に会い、その場で弟子になった。マイトレーヤーをはじめとして女性も入門を許されるが、彼女達は釈迦が衆生を集めて説教をする時に、鐘を鳴らして「〇〇において説教があります」と村人達を集めるのが主な仕事で、いつも釈迦のそばで生活しているマイトレーヤーは、よく未来のことを聞かされていた。仏陀(釈迦)が八十一歳でこの世を去った時、マイトレーヤーは六十二歳で竹林精舎(ヴェルヴェナー)にいたが、釈迦没後九十日目にマーハー・カシャパー(大架葉)を指導者として第一回目の結集をすると、この結集で、釈迦の四十五年間に説かれた教えを後世に伝えるために分担をした。ある者は暗記し、ある者は絹織物に記録して残した。それからマイトレーヤーはパラナシーのカパリーに帰り、そこで多くの弟子達に仏教(正法)を指導するが、彼女は釈迦から聞いた未来のことを詳しく書き残したので、特に未来仏と言われるようになった、と高橋師は説明している。そして、釈迦滅後七百年後(現代から千八百年くらい前)に、竜樹(ナラジュルナ)がこの世に出て、マイトレーヤーの残した記述を特に記したので、マイトレ−ヤ−を「未来仏」といったようである。このようにマイトレーヤーはババリーによって「ミロク」と改名してもらうことになり、「マイトレーヤー」も「ミロク」も同一人物で、メシヤではなかった。                           

高橋師は、ある時、園頭師に次のように話している。        

「園頭さん、僕たちが今度、誰を父とし、母とし、誰を妻としてこの世に出るかを決めたのは寛永二年(一六二五)でしたね。僕は、インドの時のヤショダラ(釈迦の妃)に一緒に出てくれないかと頼んだが、「わたしはインドの時、随分苦労しましたので、今度は休ませてください」というので、それならということでババリーのところからきたマイトレ−ヤーに頼んだんですよ」、と。

 ヤショダラにしてみれば、インドで仏陀の妻となった道はきびしかったわけである。一人の女性として、妻としての道を乗り越えて夫を人類のために捧げる道はきびしかったわけである。

                                 

 〈マイトレ−ヤー(高橋一栄氏)の想い出〉

                                 

 「ゴーダマさまが最後に申されたお言葉は、「自分の心を信じなさい」とあり、また、「今は暗くとも明日になれば、東から陽は昇ってくる」 また、「私が去っても、お前達の心の世界にいつもいることを知りなさい」といわれたことが、私には未だ昨日のことのように想われます。私は、第一回の結集が終った後、生まれ故郷のカパリーに帰り、多くの弟子達に仏教を指導しました。私は特に、私が将来再び肉体を持ってジャンブドゥヴァのケントマティー(東の国の日本)の都に生まれるときは、道路は美しく、建物はルビー、ダイヤで飾られていて、いながらにして遠方と話ができる世界に、とゴーダマさまが常に私に申されていたことを、人々にいい遺したのでございます。そのために、私は未来仏といわれておりましたが、当時の皆さまと一緒にまた現象界に出ることを遺言して、七十八歳でこの世を去ったのでございました。」             

                                 

 このような理由でマイトレ−ヤーが未来仏と言われ、マイトレ−ヤーが世界を救うという説の根拠になったようである。そして、マイトレ−ヤーはマタレー、タレイヤー、サチとも呼ばれ「幸」「幸子」の語源となるが、このように「幸」、つまり幸福を呼ぶ人という意味で「未来を救う人」と、なったようである。                    

 昭和四十八年十一月、関西の講演会でのこと、高橋師の指示によって、インドのときのように聴講生を代表して、園頭師が質問することになった。「なぜ、ミロク菩薩を未来仏と言うようになったのでしょうか」

「弥勒菩薩は五十六億七千万年後に現れて衆生を救うことになっていますが、それは違います。如来が出生して法を説き、この世を去るときには、この次には何年してどこに生まれるかを予言して死ななければならないことになっています。釈迦の時には、弥勒(マイトレイヤー)がその役目をすることになっていました。それで弥勒は、「釈迦は二千五百年後に東の国ジャブドーバーに生まれる。その時は私達もまたともに生まれる」ということを記録したのです。東の国ジャブドーバーとはこの「日本」のことをいったのであります。インドの時は、ジャブドーバーのケントマティーといっていました。ケントマティーというのは都のことです。              

弥勒菩薩が下生する時にはその都は、道路は平坦で平らかで、家は玻璃で美しく輝いていると書かれているのは、釈迦は、自分が死んで二千五百年経った時に、日本という国がどういう国になっているのか、その時の東京はどうなっているかということをすべて知っていたのです。その通り道路はアスファルトで平坦になり、家々はガラス窓で光っています。弥勒菩薩は、「その時は私もまた釈迦とともに生まれる」と記録に書き残したのですが、釈迦の死後、涅槃に入った釈迦が再び生まれて来られることはあるまいと考え、後世の人が、「釈迦が生まれ変わって出る」という所を削ってしまった。そのために、弥勒菩薩だけが生まれて出てくると伝えられ、やがて弥勒菩薩下生経というお経がつくられることになったのです」と、高橋師は述べたのである。

マイトレ−ヤ−は、釈迦教団(ブッダサンガー)に入門を許された女性集団の中の一人だったが、読み書き、すべてに聡明であった彼女は釈迦のそばに使え、ブッダより聞いた未来予言を後世に書き残し、今世は高橋信次師の妻としての、人生と魂の修行があったのである。

その人の名を高橋一栄と言った。

                                 

                              

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WB01584_2.gif (2068 バイト)     楊貴妃は、マリリン・モンローとなった」

 

 高橋師は、「楊貴妃は、今世はマリリン・モンローとして生まれ変わった」と言い残した。

楊貴妃は、「長恨歌」をもとにした悲恋物語の主人公として「源氏物語」にも登場している良く御存知の女性である。             

京都や横浜には楊貴妃観音、楊貴妃の玉すだれ、さらには山口県の楊貴妃の墓というものまである。これは名を残した人の常だが、こうした渡海伝説は、キリストとともに根拠のないものかもしれない。        

「引き裂かれた愛」に涙を誘われた世界的なヒロインで、中国の唐の時代に皇帝玄宗が寵愛した女性である。玄宗が即位してしばらくは国政も改革され、安定した時代を迎えるが、晩年には楊貴妃の一族を要職につけたり、彼女に心を奪われ政治に熱意を欠き政治は乱れていった。絶世の美人として著名な悲運の女性だが、唐の盛りに登場した楊貴妃もまた当時にあっては、美人とはなによりも豊満であらねばならなかった。史書によると、楊貴妃に玄宗を奪われた他の愛人たちは、彼女を「肥婢(ひひ)」とののしるが、楊貴妃こそはグラマー全盛期を代表する肉体派だったのである。                         

それから、唐代の長安の東北三十キロに華清池というかつての温泉郷に離宮を変え、玄宗は楊貴妃と住みつくが、白楽天の「長恨歌」にあるように、不世出の賢君と仰がれ、唐中興の祖となった玄宗が楊貴妃におぼれて政務を忘れ、朝礼にさえ出廷しなくなる。こうして、楊貴妃という珠玉を得てわが世の春をうたっていた玄宗だが、楊貴妃は盛唐、爛熟のシンボルであると同時に、一方で大唐帝国のたそがれを告げる使者ともなったのだ。

 一方、マリリン・モンローは、アメリカ映画史上、「グラマーな永遠の美女」といわれ、三十六歳で謎の死を遂げるという悲運の女性だが、同じような道を歩くことになるとは不思議であった。

                                 

                                 

WB01584_2.gif (2068 バイト)            法然神界の人でした」

                                 

 高橋師は「法然は神界に位置する人」と言い残した。

                                 

 法然「一一三三〜一二一二」は、浄土宗を開いた僧で、源空、円光大師ともいう。天台宗を学び、四十三歳の時に浄土宗を開くが、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えて阿弥陀仏にすがれば、極楽に行き救われるというもので、広く武士や農民の信仰を得た。親鸞は法然の弟子の一人である。

 

                                 

WB01584_2.gif (2068 バイト)    「エマニエル・スウェンデンボルグはイエスの弟子のヨハネであった」

 

 エマニエル・スウェンデンボルグ(一六八八〜一七七二)は、「私は二十余年間にわたり肉体をこの世に置いたまま、霊となって人間死後の世界、霊の世界に出入りしてきた…。」という言葉で始まる『スウェンデンボルグの霊界著述』という本を書いた人物で、大霊媒というだけでなく物理、天文、生理、経済、哲学などの分野で十八世紀最大の学者と言われた人。スウェーデンの貴族として生まれ、自らの予言した日に英国ロンドンで没したが、この霊界著述はロンドンの大英博物館などに今でも大切に保存されているという。信次師は、「スウェンデンボルグはイエスの弟子ヨハネであった」と言い残した。聖書には三人のヨハネが登場する。スウェンデンボルグは「十二使徒の聖ヨハネ」であった、と信次師は言い残した。二千年前の聖ヨハネが十八世紀のスウェンデンボルグとなって生まれたというのである。    

 サテ、予言書中の予言書と言われる「ヨハネの黙示録」なるものがある。聖書には三人のヨハネが登場する。現在、「ヨハネの黙示録」を書いたヨハネは、聖書の中の三人のヨハネの誰れであるか不明であるという。「ヨハネの黙示録」ほどのものを残した人物であるからには、次に転生した時も、かなりの業績を残しているはずである。そう考えると、「ヨハネの黙示録」を残したヨハネが、十八世紀のスウェンデンボルグとして生まれ変わったと考えるのは早計であろうか。また、信次師は「ヤコブ、シモン、ピリポも現在日本人として生まれていることも通信されている」と、『心の発見』にあるが、講演の中では、「バプテスマのヨハネは現代のS・〇朗氏」と信次師は言い残している。   

                                 

WB01584_3.gif (2068 バイト)          道元神界の人である」

 

 最澄が中国の天台山で修行していた時の付人であったトワン・テン・エンという老僧がいた。その老僧が十三世紀に日本に生まれた道元であった、と信次師は言い残した。

 道元「一二〇〇〜一二五三」は鎌倉時代の僧、栄西の弟子で禅宗の一派の曹洞宗を開いた。京都の公家の家に生まれ、出家して比叡山で天台宗を修め、のち京都の建仁寺で栄西について禅宗を学ぶ。その後、中国に渡り曹洞禅を修め、帰国して曹洞宗を開いた。永平寺を建て、布教と弟子の養成にあたり、鎌倉幕府の招きも断わり名声を求めなかった。自著に『正法眼蔵』がある。

 

                                 

WB01584_3.gif (2068 バイト)            「川越市の大野〇子氏は、パウロの母親だった」

 

 一九七〇年五月、川越氏の大野〇子氏の家に起った実話。彼女は、かつてイスラエルに生まれ、パウロの母親としての肉体を持ったことのある生命である。〇子さんの厳父、故永田春水画伯葬儀の日のできごとだった。四日、葬儀は信濃町で行われた。この日は丹精こめて書かれた孔雀の掛軸が棺のそばにかけられていた。焼香にこられた大野氏の隣の奥さんから次のようなことを聞かされた。「不思議なことがあればあるもの。四日の朝でした。七、八羽の孔雀が私宅の庭におり立ち、やがて先生のお庭に飛んで入り、桜花の中をゆっくり三回歩いて回り、玄関の前でひとしきり鳴くと、いずことなく飛んで行きました。その美しいこと…」と。そして葬儀の日の夕方、茨城県の弟の家に、一羽の鳩が舞いこんできて、家人の手や肩に乗り、頬をついばむばかりか、なかなか去らなかったということで、皆口々に、おじいちゃんだ、おじいちゃんだといってなつかしがったということであった。

左甚五郎の彫り物が動きだす、フスマ絵の雀が飛びだすという話があるが、名匠、名家の手になったものには、そのようなことがあるのだろう。

                                 

                                 

WB01584_3.gif (2068 バイト)             阿難(アナン、アナンダ)は田中〇雄として生まれ変わった」

                                 

 古代インドの時代、釈迦の侍者であった阿難は、京都の田中〇雄氏として生まれた、と信次師は言い残した。

高橋師は、田中氏の前で園頭師に次のように話した。        

「園頭さん、僕が大阪の国際ホテルに泊っていた時、この人の目の前に電話番号がパッパッと浮んできた。これはそこへ電話せよということだなと思って電話をしたら、その番号が国際ホテルの僕の部屋の番号で、僕はこの人が電話をくれることを前以って知っていた。電話がきたので僕が、「アナン」と呼んだら、この人は電話口で自分の過去世を思いだして僕と古代インド語で話したのです」「そうでしたね、田中さん」

 頭に浮んだ番号を廻したら、高橋師のホテルの部屋の番号だったとは不思議なこともあるもの。高橋師には、これに似たような話は数多く残されている。例えば、顔も見ていない相手の全貌がわかり相手は驚ろいてしまう等であるが、園頭師のハワイ講演会でのこと、師の講演が終わると突然一人の女性がツカツカと登壇して「クオイホテルへ行けという神示で駆けつけて来ました。大変感銘しました」と挨拶をした。この女性はアメリカ政府が公認した霊能者で、師と二重写しに白ヒゲの男性を霊視していた。師は、「ガブリエルの姿を視たのだろう」と控え目だが、高橋師は「園頭さんは天使ガブリエルの過去世を持つ人」と言い残していることでも分かろう。                      

                                 

                              

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WB01584_3.gif (2068 バイト)      デビ夫人は、タイ国の舞姫シーメンの生まれ変わりである」    

                                 

 銀座の社交界から、故スカルノ大統領の第三夫人となったデビ夫人は、タイ国の舞姫シーメンの生まれ変わりであると、信次師は言い残した。

同じような道を歩くことになられたのは不思議である。これは聴講者の質問に答えたもので、信次師自ら発表したものではなかった、と強調しておきたい。         

 

 

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WB01584_3.gif (2068 バイト)            田中角栄元首相は斉藤道三の生まれ変わりであった」

 

 高橋信次師は、田中角栄元首相の過去世は斉藤道三であった、と言い残した。

 

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斎藤道三(常在寺蔵) 

 

 

斉藤道三(一四九四〜一五五六年)は、北面の武士・松波基宗の子などの説があるが、詳細は不明。油売りを業とし、美濃(岐阜県)の守護・土岐頼芸に仕えたが、のちに頼芸を追放し美濃一国を支配した。一五五六年、子の義龍と争い戦死した。その娘は織田信長の妻で、つまり織田信長の義父となるが、斉藤道三は実力一つで領主となった戦国大名であった。

 一方、田中角栄元首相は、小学校のみで一国の総理大臣にまでなった人である。田中角栄氏が首相の時、贈収賄問題で首相を辞任するかどうかという昭和四十九年十月のことであった。田中首相の辞任のあと、誰が首相になるか混沌として政局がわからない時に、田中首相の新潟県の後援会の代表と秘書の一人が、GLA関西本部の講演に信次師を訪ねて来て、「田中首相はどうすればいいのか」と尋ねた。信次師は、録音しておくように園頭師に命じた。園頭師はその時のテープをもとに月刊『正法』誌に発表した。         

 「田中さん、あなたは裸になりなさい。持っている財産を全部投げ出しなさい。そうすれば国民はもう一度あなたを首相にというでしょう。しかし、自分が裸になっただけではいけません。「社会党の成田君、共産党の宮本君、ぼくは裸になった。だから君達も裸になれ、お互いに裸になったところでこの日本をどうするか、国家百年の大計を話合おうではないか、君達は労働者の味方だと言っているけれども結構豪華な生活をしているではないか。共産党の宮本君、君も豪邸を建てたではないか。元総評議長の太田薫君、君は労働者の味方だといっているけれど君も労働貴族である。なんなら、〇〇氏の関係のある女性が、どこそこのマンションの〇〇号室に、このような顔の人がいることも、僕が教えてあげるから、その事も指摘して、皆んな裸になって話し合うように言いなさい。それでも違うというなら、「そのひとの名前はこうと全部教えてあげます。田中さん! 日本のために勇気を振って裸になんなさい」と、信次師は、その責任者に伝えた。その責任者が田中元首相に伝えたかどうか、或いは、責任者は伝えたが、田中元首相は忠告を聞く耳を持たなかったのかどうかは不明であるが、もし、田中元首相が信次師の忠告を聞いて裸になっておられたら、自民党も浄化され、自民党の浄化は野党にも大きな影響を及ぼして、きれいな政治が行われるようになっていただろうと思うと残念でならない。余りにも度が過ぎると「原因と結果の法則」によってバッチリと反省させられることになるが、表に現われた現象は決して偶然はないのだと、信次師は言ったが、この言葉の意味をよく噛みしめて欲しいのである。 

 園頭広周師は、次のことも明らかにされている。         

「田中首相がやめたら後は福田赳夫氏が本命とされていて、三木さんが首相になるとは誰れしもが考えてはいなかった。それが突如、椎名悦三郎氏の寝業で三木さんが首相になったのであったが、その改変劇の始まる前に、私達は三木さんが首相になることを高橋先生に聞かされていた」と。

 田中元首相は、度重なる心労もあってのことと思うが、脳血管障害のために半身不随となり亡くなった。言語障害の出た人達の多くを見ると、病前、多弁な人が多いようである、だから辻褄が合うのだろう。     

次に、高橋信次師の講演の中から聞いて見たい。

 「ある政治家は、密教かなんかの拝み屋へ、定期的に行っているということです。そんなことをやっていて日本の国がよくなるのであったら、とっくの昔によくなっていますよ。田中角栄さん自身もね、東京都内にある財産をみんな投げ出して、自民党で今使っている資金も全部さらけ出して、この金をみな大衆のために使おうじゃないか、とこうやったら、社会党や共産党なんか、どうということないですよ。それをしないで往生際が悪いから、こんなことになってしまう」(昭四十九年二月・関西本部講演)

                                 

 また、他の講演では、どう述べているか見てみたい。           

1.)「脳溢血等の脳血管障害で倒れて、半身が不随になっている人達に私は必ず質問します。あなたは倒れる前に怒った心を持っておりませんでしたかと言うと、百人が百人全部そうだと言います。怒りの想念は即、肉体的な諸現象にまで大きく現われて来ます。」               

                     

2.)「お年寄りの方で、お嫁さんのことを悪口を言います、こぼします。この方もやはり身体中がどうにもなりません。百人が百人相談に来る人達が同じ現象だと言うことは、しっかり考えなくてはならないでしょう。人間は心のあり方が肉体に反映するという事実、これは仏教が説いているところの「色心不二」「心身一如」という姿をみてもわかるでしょう。」                                  

 一九七五年(昭五〇年)、熊本講演会では高橋信次師は次のように講演した。                              

 「太陽が沈んでから食べ物は酸素は少ないんだよ。食べ物は夜は炭酸ガスを出しているのです。人間は不思議ですね、夜になってからタラ腹食べる。ですから、脳溢血でこの世を去っちゃうのは、大抵、夜だよ。食べた後の結果、でて来るんだよ。」、と。          

 田中角栄氏は、過去の歴史の中で、権力を振い、金にものをいわせた人達が、どのようになっていったかを知っておられたら、謙虚に自戒されていただろう。過去世からのつながりの中で、同じような人生を歩くことになられた。そこで、信次師は過去世からのカルマ(業、心の傾向性)の修正方法を田中元首相に示されたが、そのようにはされなかった。人には機根というものがあるのだと、つくづく考えさせられる一例でだった。一介の油商人から身を起こし、「まむし」と異名をとるほどの執念深い権謀術数を弄して大名にのし上がり、美濃の国に覇をとなえた人物が、今世は、あの、田中角栄元首相となったのである。

                                 

                                 

 WB01584_3.gif (2068 バイト)  ノストラダムスの大予言」                   

                                 

 ノストラダムス(一五〇三〜一五六六)は、フランスの医師、占星術師で予言者だった。

 

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ノストラダムス

                                                                            

彼の予言によると、一九八八年(昭六十三年)第三次世界大戦が始まり、人口激増と食糧危機が重なって、一九九九年に向って人類は滅亡するというもの。もし『別のもの』が現われて人心が変わると、救われるかもしれないと予言した。彼は深夜、屋根裏部屋の秘密の書斎に閉じこもり、三脚のついた真鋳製のたらい一杯に張った水に月桂樹でつくった杖と足を浸し、トランス状態に陥るのを待つ。やがて水は曇り、一つの像を結んで未来の事象が幻影として浮び上ってくる。同時に、神の啓示とも思える声が聞えてくる。それをノートに書き込んだという。           

                                 

 〈ノストラダムスの大予言と高橋信次師〉             

                                 

 高橋師は、ノストラダムスの大予言について、どう話していたか見てみよう。『ノアの箱舟』の著者の三木野吉氏はこう書いている。   

「それは月例の本部で行われる講演会の後で、先生が一服なさっている時に話しかけたのである。「先生、『ノストラダムスの大予言』という本が評判になっておりますが」「それはどんな人ですか」「その予言は九十九%適中していて、その予言の中に一九九九年の月に、人類が滅亡するといっております」先生は、しばらく意識の世界に答えを求めておられたが、「それはキリスト教系の方ですね。もちろん人類がこのままやっていけば、そうなりますよ」この時の会話はこれで終ってしまった。ところが、だんだん読む人がふえてきて、講演会の質問の時間に、これに対する質問が多くなった。その時先生は、「人類をそのようにさせないために、私が出てきたのではありませんか」と力強く答えられた。」、と。     

 月刊『正法』から、園頭広周先生の記述を引用しょう

「高橋信次先生が大阪で講演会をされた時、ノストラダムスは一九九九年には地球が滅びるといっているが本当でしょうかという質問があった。「絶対そんなことはありません。もし地球がなくなるということになれ ば、人間の魂の修業の場がなくなることになるので、神がそんなことをさせることは絶対にありません」と短い答えで終った。」、と。そして、また、特集「正法とノストラダムス」で園頭広周師は、次のように書いている。                             

 「一九九九年に人類が滅亡することは絶対にない。しかし、滅亡に近い状態にはなるかも知れない。人類が今のままの心でつき進むならばである。個人がつくった悪業は、因縁の法則によって現われ、それによって反省しなければならない。それと同じように、人類全体でつくった業、暗い想念、争い戦いの想念が、惑星直列、ハレー彗星の接近という天体の自然現象によってひき起される大地震、大冷害、乾魃というようなものによって自壊作用を起し、そのことによって人類全体が反省しなければならないということも当然あり得ることである。そういう時に、正法を知って心を正しくしている者は、常に波長を神に合せているから、たとえ周囲の人々はそうした災害に遭って死んだり傷ついたりすることがあっても死にもしなければ傷つくこともないということになるのである。多くの人が傷つき死ぬ中で、自分一人だけが助かるということはなにか利己主義で愛のないことのように思われるが、それは心を明るく正しくするものは絶対に悪いことにあわず、心の暗い悪いものは、災害と波長があうという「因果因縁の法則」によってそうなるのであって、それは仕方のないことである。正法が今説かれているのは日本だけであるから、日本は不思議に守られてゆくことになる。ユダヤの世界統一の策謀があったとしても、日本はそれに組み込まれることなく存立をつづけてゆく。しかし、ノストラダムスが予言で警告しているように、古代ローマ末期の時代と同じような退廃的な心を持った日本人は、自分でつくった業を清算するために、いろいろな不幸という現象に見舞われなければならない。これは自業自得というべきで、その人が心を改めない限り避けることはできない。これからは「正法」が大事であることを多くの人々に示し、一人でも多くの人々が救われてゆくために、正法を実践する人々の上には奇蹟と思われるような現象も起ってくる筈である。私はそういう人が一人でも多くなることを祈っている。」、と。                           

 多くの予言者と言われるものの共通の欠陥ではあるが、ノストラダムスは人類の滅亡を予言しながら、どのようにしたら人類は救われるかについては一言も触れてはいない。別のものがあらわれれば救われるというものだが、人心に恐怖を与えるだけの予言は人類に決してプラスになるものではない。だが、信次師は「正法」という人類の正しく生きていく方法を示した。正法が世界中へ流布され、人類一人一人が正しい思念と行為をするなら人類の滅亡など絶対に有り得ない。ノストラダムスの言う「別のもの」とは、正法の生き方。まさしく「光」は東方から、なのである。

 

                                 

WB01584_3.gif (2068 バイト)            親鸞高橋興和氏として生まれ変わった」

 

 高橋信次師は実弟・高橋興和氏は親鸞としての過去世を持つ人だと言い残した。

 

 

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親鸞

 

 

信次師は『心の発見』の中で、キリストの弟子パウロがのちに日本に親鸞として生まれたと書いている。宗教学者が、パウロと親鸞の共通点と題して、本も多く出版されているが、パウロと親鸞が同じ生命であったということによって説明がつくのである。

また高橋師は、「現代のキリスト教はパウロ教であって、本当のキリスト教ではない。キリストの御名を崇めることによってのみ救われると説いたのはキリストの弟子達であり、特にパウロが強調したのです。」と言った。

そして、「釈迦が説いたのも、キリストが説いたのも同じ正法なのです。キリスト教は「人間は罪の子」であると言っているのは、キリストの弟子パウロが言い出したことで、キリストは「人間は神の子」であると言われたのです」と信次師は修正したのである。聖書はパウロの言葉によって歪められ、パウロ教と言えると明示したが、二〇〇〇年前のパウロであり、八〇〇年前の親鸞上人が、現代の高橋信次師の実弟高橋興和氏であると云うのである。

過去世でパウロであり、親鸞上人の生まれ変わりと言われる高橋興和氏は、高橋師の実弟として生まれることによって、パウロ、親鸞として生まれた時の業(心の傾向性)を修正することに今世の目的はあったと思われる。それは、パウロの時、キリストの御名を崇めることによって救われると言い、親鸞上人が阿弥陀如来という救済者を仕立て、念仏を唱えてその前に跪づいて誓うことによって救われると説いたことと、現代は、信次師の長女・佳子氏をメシヤに仕立て、その前に跪づいて誓うことによって救われると説いたことが、同じ発想であることは不思議であった。「今世は佳子氏とともに釈迦、キリストまでも否定するという大変な「業」をつくってしまった」と、園頭師は懸念されている。

そして、高橋信次師は『心の発見』・神理篇に次のように記述している。「親鸞の過去世は、二千年前のイエス・キリストの弟子パウロである。二千五百年前のインドの時代はガヤナーダにいたプルナカシャパーの末弟「クナンダ」という名で仏教を学んだ人である。しかし、他力本願のみで一切「仏」に任せてしまう、という考え方は、己を失ってしまい人間の価値を発見することはできない。自力努力の中にこそ、神理があることを知るべきである。」と、書いている。その当時、戦乱の時代の人々を救うには、このような方法でなければ、死の世界を信ずることも死の恐怖を脱することもできなかったものと思うが、このように、光の天使が肉体を持って出てきても、その生存のうちに己を知るということは困難なことだったのである。また、信次師は次のように話している。         

 「昨夜、親鸞が私のところにきましてね、頭を下げて「許して下さい。あの時は武士階級が支配していて、農民達は作物はみんな年貢で取り上げられる、いくら働いてもこの世では楽にならない、幸せにならないという状態でした。そういう人達にわずかでも心に灯をともして、生きてゆく希望を持たせるには、この世では仕方ないが、死んだら極楽へ行けるのだ、西方十万億土の彼方に極楽があるのだと教える以外、仕方なかったのです許して下さい」と、言うのです。あの時代はそういう説き方をしなければ仕方のない時代でしたからね。西方十万億土といったのは根拠のないことじゃないんです。エジプトはインドから西方ですからね。」、と。   

また、親鸞は漢訳のヨハネ伝を持っていたという説があるが、イエスの弟子パウロの過去世を持つ親鸞が、パウロと同じイエスの弟子であるヨハネに興味を持ちヨハネ伝を所有していたとは、過去世からのつながりから当然なことであったろう。 

 「親鸞」(一一七三〜一二六二年)は鎌倉時代の僧。法然の弟子で浄土真宗(一向宗)を開いた。公家の日野有範の子で、善信ともいう。九歳で出家し比叡山で天台宗を修め、さらに奈良で諸宗を学んだ。二十九歳まで比叡山で修行を続けたが、のち、法然の弟子になり浄土の教えに道を求めるようになった。浄土宗が広まると他宗の圧迫が強まり、一二〇七年、法然とともに罪に問われ、越後(新潟県)に流されるが、数年後許され、常陸(茨城県)を中心に布教し、浄土真宗を開いた。その教えの特色は「南無阿弥陀仏」と唱えると悪人でも極楽に往生できると説いた点で、農民にも広まった。『教行信証』がその主著で、他に親鸞の法話を集めた『歎異抄』も有名であるが、日本人の心の中には、法然、親鸞上人が説かれた「罪悪感」が、深く影を落していると、園頭師は指摘する。また、師は、                          

「そのような考え方をされたのは、一つには女性の問題について悩まれたからである。僧は肉食妻帯しないものとされている。比叡山を下りられたられたのが二十九歳、当時比叡山は既に腐敗堕落しており、自らにも絶望され六角堂に籠られた。建仁三年(一二〇三)四月五日、六角堂の救世観音が、つぎのような夢を見せられた。                         

「行者宿報設如犯 我成玉女身被犯 一生之間荘厳 臨終引導生極楽」

これはどういう意味かというと、「親鸞よ、そなたが前世からの因縁によって、どうしても女なくしていられないならば、私が美しい女となって、そなたに犯されてやろう。そうして一生の間、そなたの人生を荘厳にし、臨終の時はそなたを導いて極楽に連れて行ってやろう」、と。

女を与え、一生をきらびやかな楽しい人生を約束するのは、魔の使う常套手段である。『人間・釈迦』には、釈迦が悟る前に魔が女に姿を変え、女体をくねらせて盛んに誘惑する。それを見破り一喝すると魔は退散する場面が描かれている。ところが、それに負け妻帯にふみ切った親鸞上人は、一生罪の苛責に苦しまなければならなかった。その親鸞上人の罪悪感はつぎのような言葉によって示された。   

『和讃』 

「賢善精進現ぜしむ 貪瞋邪偽おおきゆえ 奸詐ももはし身にみてり 悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたり」                   

「立派な人間になろうとしていくら精進してみても、貪り、瞋り、邪偽の心、人を欺そうとする心がいっぱいあって、身体中に満ち満ちている。 この悪性は、なくしようと思っても、持つまいと思っても、つぎつぎに起ってきてやめることができない。自分の心は、人が一番忌み嫌っている蛇や蝎みたいなものである。善い心になろう、善い行いをしようということだけでは人間はよくなるものではない。そういうことはみな、架空のむなしい行いである。」

この親鸞上人の気持ちは六十歳を過ぎて、常陸の稲田から京都へ帰られてもなくならなかった。

『教行信証』

「悲しきかな  愚禿親鸞   愛欲の広海に  沈没し  名利に大山に迷惑す」

親鸞上人の心の中には、払っても払っても押し寄せてくる愛欲と名利を求める心をどうすることもできないという、人間の業に対する悲しみ、絶望感がある。このような悲しい告白をされて、九十歳まで生きたのである。         

この親鸞上人と全く同じような罪悪感に悲痛な叫び声を発しているのが、パウロである。

親鸞と同じ霊統(対語は血統)のパウロは、                        

「噫、われ悩める人なるかな、この死の体より我を救わん者は誰ぞ。我らの主、イエス・キリストに頼りて神に感謝す。さすれば我みづから心にては、神の律法に仕え、肉にては罪の法に事ふるなり。」引用した訳は少し古いが、このパウロの悲痛な叫びと、親鸞上人の悲しみの叫びは全く同じである。」(園頭師の論文を引用)        

 パウロが西暦紀元六十四年、ローマで死刑になり、親鸞上人が日本に生まれたのが一一七三年ですから、約千百年後に日本に生まれたことになります。そして、親鸞が一二六二年に亡くなってから約七百年後に、高橋師の実弟として肉体を持たれたのです。パウロと親鸞上人、そして高橋師の実弟・興和氏との間には、心の大きな進歩は見られず、同じ発想であったことは残念だった。高橋師は「親鸞は菩薩界でも下位の人であった」と言い残したが、親鸞は今世は高橋師の実弟、高橋興和氏となって、自らの業を修正するのが使命と目的であったのだ。

 

 

 

 

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  WB01584_4.gif (2068 バイト)               アインシュタインと高橋信次師」              

                            

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アインシュタイン

     

 相対性理論で有名なA・アインシュタイン博士(一八七九〜一九五五)は一九二二年(大正十一年)の十一月に来日した時に、日本人に次なる「ことば」を贈った。                             

「世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて最後の戦いに疲れる時がくる。その時、人類はまことの平和を求めて世界的な盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは武力や金力だけではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。吾々は神に感謝する。吾々に日本という尊い国を作って置いてくれたことを…。」 

アインシュタインの〃ことば〃の中に「吾々は感謝する吾々に日本という…」に注目して欲しい。そのアインシュタインが昭和四十三年(一九六八年)から信次師に教示したと講演や著書に盛んに出てくる。これは、アインシュタインが亡くなって(一九五五年)から十三年目にはすでに天上界から霊示を与えていることになる。また、アインシュタインが来日した一九二二年には、信次師(一九二四年と一九二九年生の説あり)は、まだ生れていないが、光の大天使アインシュタイン博士には、天上界の計画がすでにお見通しで、信次師の生誕が楽しみだったに違いない。これは、魂が永遠であり、ユダヤ人が、否、日本人が優れているのではなく、高級霊がユダヤ民族に、また、日本民族に肉体を借りたにすぎないのだ。魂である船頭さんは、一国家や一民族に限定されぬと知らねばならない。現代は日本人のあなたも、次はどこかの国に生まれているのだから。   

 昭和五十一年十二月のこと、高橋信次師帰天(六月)後の、中京地区の研修会の帰りに、元GLAの講師・堀田和成氏と渡辺泰男氏は次のようなの会話をしている。渡辺(三木野吉)氏は自著に、

「所沢でやっている私の班座の近況や、アインシュタイン博士のメッセージのお話になりました。堀田先生もよく覚えていらっしゃって、あれは確かドイツ語と英語でちゃくぽんに語られていて、テープにとってあるはずです。その後誰も忙しさにまぎれて、解読しようとしていてできていませんが、確か高守先生(私と同じ昭和四十七年に正法に帰依された方で、同年次に帰依した関係で私とは大変仲がよかった。月刊 『エコノミスト』の編集長をされていたが、高橋先生に懇望されて三宝出版の編集長になられた)が保管されているはずですよ、とおっしゃいました」、と。                            

                                 

〈アルベルト・アインシュタイン〉(一八七九年〜一九五五年)    

                                 

 ドイツ生まれ、両親はユダヤ系ドイツ人。スイスのチューリヒで大学卒業後、物理学の基本理論を研究し、「特殊相対性理論」「一般相対性理論」などを発表して、注目を集めた。難解であるとされたが、その理論によると、光が太陽のような大きな重力の働くそばを通る時には、引きつけられて進路が曲がることになる。これは一九一九年の日食で確かめられた。アインシュタインの理論は二十世紀の物理学転換の基礎となり、一九二一年ノーベル物理学賞を受けた。ナチス政府のユダヤ人追放で、アメリカにのがれて帰化した。                      

 昭和四十八年夏、長野県熊の湯における自主研修会の信次師講演の中から見てみたい。                          

 「すべて疑問から出たものです。それで私が、昭和四十三年七月十二日に、自分自身が何者であるかがわかった以降は、ドイツ語でアインシュタインが出てくるのです。鼻の長いのが出てきて、むつかしい数学を解く。「俺は一体なんでこんなことをしなければならないのかな」、と思ったりした。僕の本の中に、相対性理論が出てきたり、次元の差という説明があるのは、アインシュタインから教えられたのです。アインシュタインが、自分の法則には手落ちがある。振動、ブランク常数というもの、人間の脳波の振動も、波動という一つの現象となって伝わってくる。そうすると、それにおける、仕事を為し得る能力というものは目に見えないが、エネルギーが起こる。みな、そうやって教えられたものです。」、と。    

 信次師がアインシュタインの霊を呼び出した時に、「私の相対性理論は間違っていました」と頭を下げたとの講話もあるが、それが現代では実験的に証明されている。例えば、真空は全くの空、真の空間ではなく、エネルギーに満ちた空間であることがわかって来ており、これを「相対性理論」に対して「絶対性理論」という。                    

昭和六十二年十二月、ワシントン発の新聞記事として次のことが報道された。

「一般相対性理論を完成する四年前の一九一二年に書かれた、アインシュタインの最も古い手書きの原稿が、ニューヨークのオークションで百五十万五千ドル(一億五千万円)という高値で売られたという。この原稿には、質量とエネルギーが同等であることを示す有名な数式の基になった式が含まれており、この中の「L」という定数が余分なものとして線で消されている。アインシュタインは論文が出版されると原稿を廃棄するのが習慣だったが、この論文は第一次大戦のために出版されず、友人に贈り物として与えられた結果、珍しく後世に残ることになったというのである。 

 アインシュタイン理論は、近代物理学の発展のために大なるものがあったが、とりもなおさず、それはまた核兵器の基礎理論となり、核兵器がこの世に生まれる元になったのである。物質のもつエネルギーを一瞬のうちに放出して利用するか、エネルギーを小出しにして平和利用するかは、神の子・人間に自由に委ねられている。愚かな人間は人を殺戮する兵器として利用する。 光の大天使・アインシュタイン博士も天上界で〃困ったことだ〃と考えているに違いない。

                                 

                                 

 「日本の建国と天皇制」

                                 

 今から二千五百余年前、釈迦は、古代インドの地でこの世を去る前に、ジャブドーバーのケントマティ(東の国の日本の都)に生まれ、釈迦の本体・エルランティが「正法」を説くことを予言していた。二千五百年過ったとき、日本が「正法」を説くにふさわしい国となるために、天上界は遠大な計画をして来た。その頃の日本はまだ国としての体制はとっておらず、そこここに集落をつくって人々が住んでいるにすぎなかった。インドでは、当時、広がっていたバラモン教を説くバーバリーという人がいた。バラモンの教典にくわしく右に出る人もいないという程の大バラモンであった。しかし、バラモンの教えに少なからず疑問を抱いていた。百二十歳の頃、バーバリーは、ウパサカ、ウパシカという釈迦第一番目の在家の富豪の夫婦より、当時少しずつ名声を高めていた釈迦のことを話しに聞いていた。ある時、バーバリーに金品を乞う男が訪ねて来たが丁寧に断わると、バーバリーの頭に手をかざすと、何かわけのわからぬ呪文をとなえ、七日のうちに頭陀七分となって、頭が割れて死ぬだろうと捨てぜりふを残して去って行った。バーバリーは、男の残した言葉がいつまでも頭から離れなかった。不安と恐怖にまんじりともせず考えていた。うとうとしたとき、バーバリーは、天の声を聞いた。「バーバリーよ、お前は恐怖の念に執われているが、どうしてその執着より離れることが出来ないのか。今、ラジャグリハのゴーダマ・ブッタ(釈迦)が、道を説いている。教えをこうがよい」、と。

バーバリーは目を覚してハッとした。ウパシカ、ウパサカから聞いていたあの釈迦だったのだ。マガダ国まで行くには自分の齢では遠すぎる。さりとて釈迦の説教も聞いてみたい。思案の末、バーバリーは弟子の中から女性四人と連絡係の一人を含む十七人を選びだし、釈迦の在所へと急がせるのだった。バーバリーの許へ帰りついた連絡係は、皆んなを無事送り届けたことを報告した。釈迦の説法の一部始終を聞かされたバーバリーは、悟りの境涯に昇華してゆくのだった。このバーバリーこそ、偉大なるバラモンの師、阿しゅく如来といわれ、その後、日本に生まれた「神武天皇」だったのである。   

 

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 <日本の建国年数を試みる>                   

                                 

(建国、その1)                         

                                 

 釈迦は紀元前六五四年(高橋信次)に、当時の中インドに呱々の声をあげた。ババリーが十七人の弟子を釈迦の許へ派遣したのが釈迦四十歳の頃(紀元前六一四年頃)で、ババリーは当時百二十歳であった。この頃の人は百歳、二百歳と長寿の人が多くいたが、ババリーがこの世を去ったのは紀元前六百十年頃であったろう。釈迦が八十一歳で昇天した時が紀元前五七〇年頃であった。ババリーが紀元前六百十年頃に天上界に帰り、蒙昧な国としての体制をとっていない日本に誕生するための準備をすることになり天上界で待機した。

 

 〈特別の使命を持つ人の、生まれ変わり迄の年数例〉

                                 

1)、フイリッピンのアントニオ・アグパオワの後にシカゴにイエス生誕は、百八十年(昭和四十八年現在)。                      

2)、西郷隆盛は一八七七年に亡くなり、西郷隆盛を分身に持つ園頭師は一九一八年に誕生、

   この間は四十年。                      

3)、坂本竜馬は一八六七年に亡くなり、坂本竜馬を分身に持つ大谷氏は一九二九年に誕生、こ

   の間は六十年。                       

                                 

 「本体と分身」の関係により、一般の人は千年、二千年に一回、この世に肉体を持ち、分身は五百年に一回の割合で出生する。使命と目的を持った人は五十年ほどでこの世に肉体を持つこともあるので、ババリーが五十年ほど経って日本に誕生(紀元前五六〇)したとすれば、平定し即位したのが紀元前五百四十年頃と考えられる。神武天皇として即位し(当時は大王という呼称であったようだが)、日本を建国してから二千五百年ほどということになる。                                                

                                 

(建国、その二)

 

 初代より二十五代の天皇まで即位年代が不詳であるが、二十六代天皇(即位が五〇七〜五三一年)より現代まで年代がはっきりとわかっている。年代が判明している二十六代継体天皇より百二十四代今上天皇(昭和天皇)までの九十九代の天皇の平均即位在年期間は、十五・一〇年であった。かりに一代の天皇が十五年とした時、十五年×二十五代=三七五年、約四百年。二十六代継体天皇の即位年代の五〇七年より四百年ほどさかのぼった紀元の初めに初代天皇が日本国を建国された。つまり、現代は建国二千年ほどだと推測される。これは西暦と同じ歩みとなる。

                                 

(建国、その三)

 

 日本書紀には、初代天皇の神武天皇が即位建国した年が辛酉(しんゆう)の年の元旦、西暦紀元前六六〇年だと記されている。昭和十五年には皇紀二千六百年という国をあげての盛大な祭典が挙行されたが、日本書紀により、建国二千六百年という。                                 

 三つの建国の計算例をあげてみたが、日本書紀の建国年(二千六百年)と信次師の言い残した〃ことば〃による計算例(二千五百年)が近かった。日本書紀、古事記等の古文書、古記録は、あながち、根拠の無いものばかりとは言えないのではないかと著者は考えている。

 また、神武天皇という御名は奈良時代から平安初期にかけてつくられた漢風謚号(しごう・死後に送る名)のようであるが、いずれにしても、今日の天皇家の基礎となるものを造った人がいたことは確かである。それ以来、今日の第百二十五代あきひと天皇に至るまでの長い間、連綿として続いているが、さまざまな変化をしながらも、この日本国に「君臨」して現在に至った特別の意味は、それは、「正法」を説く目的のための、気の遠くなるような天上界の計画であった、と信次師は教えたのである。

 次に、天皇という称号は、中国では北極星や天帝のことを指したようであるが、皇帝、天子のことを天皇といった例はかなり後のことになるとみられる。六世紀の遣隋使を派遣した聖徳太子、小野妹子時代に天皇という称号が輸入されたのかもしれない。そして、信次師は、「天皇家には古代中国からの伝統が残っている」と言い残しているが、中国との文化文明の流入の中で、しきたり、作法等の慣習がはいったのであろう。

 神武天皇が、東征のための「船出の地」なる所が、宮崎県は延岡の近く、日向カボチャで有名な日向の美々津という所にある。大正時代までは、京阪神との商取引も盛んに行われたという小港で、最盛期には千石船(五十トン〜百トン)が三十隻出入りし、歓楽街は日夜賑わった。美々津(耳)川の上流で造船された軍船の艤装と発船準備を神武天皇が指揮されたという「お腰かけ岩」や、神武天皇の衣のほころびを、立ったまま繕われたという「立縫の里」(美々津の別名)等のいわれが残っている。また、町内の人々を起こして御出船を知らせた行事「おきよ、おきよ」が年中行事として継承されている。そして、神武大帝突然の御出航で、住民はお団子をつくるひまがなく、小豆と餅米を一緒に炊き合わせ団子を差し上げたという伝説により「船出だんご」がある。ウエブ・マスターはある一月中旬、この地を訪ね、真空パックされた団子を頬ばりながら町内を視察した。それは春のような、うららかな日で、日中は汗ばむ程であった。港の片隅には船出の碑とともに、海軍発祥の地碑が並んで置かれ、すぐ近くには、日本で初めてのJRのリニアモーターカーの実験線が施設され、直に関東へ移築される(現在は移築済み)とはいうものの、〃神武天皇ゆかりの地〃と現代工学の粋を集めたリニアモーターカーの実験施設が、奇妙にバランスして不思議な感じであった。

ところで、「前方後円墳」という日本独自の古墳がある。この方式の古墳は、日本近辺の国では見ることのできない独特な形をした古墳といわれている。なぜ、日本だけにこのような方式の古墳が見られるのであろうか。実はこのような方式の墳墓がユダヤに見られるというのである。

前方後円墳は近畿地方に多く見られ、仁徳天皇稜はその長さ五百メートル近くあり、世界最大と言われ、以下、多くの前方後円墳が見られるが、その多くは天皇稜である。

 サテ、その前方後円墳が日本の南端とも言える宮崎県内の川床遺跡(新富町)にも見られるというが、ウエブ・マスターはその足で宮崎市内の中心にある宮崎神宮を訪れた。宮崎神宮社殿と護国神社の間の梅の小木が植えられた小径のわきに標識案内板が立てられ、そこに前方後円墳があることを説明していた。前方後円墳は朝鮮半島南部にも見つかっているようだが、心が弾んだ。なぜなら、異国のユダヤ人が宮崎に定着して、このような様式の小墳墓をつくり、ユダヤの血をひく日本人がそこから東征して、近畿の地で権力を増すとともに、その様式の巨大古墳を伝えたのだろうという推論を持っていたからである。巨大なものはは奈良二十四、大阪二十一、岡山七、京都四、群馬三、茨城二、兵庫、滋賀、三重、愛知、山梨、宮城、福岡、宮崎がそれぞれ一基づつあるようだが、畿内が特に群を抜いている。  

 

<ウエブ・マスターの推論>

 

推論するとこうなる。今から二千七百年前(紀元前722年)のこと。釈迦が生れたのが紀元前654年で、二千五百五十年前だから、丁度その頃のことである。アッシリヤにより「北朝イスラエル王国」は滅ぼされてしまうが、その滅亡と同時に、十二支族のうち十支族がいまだ行方しれずとなっていると言われている。その一支族がイスラエルから出発、シルクロ−ドより前の要路を通り日本にたどり着く。日本より先へ進むには、次の大陸はアメリカだから、終着点は日本ということになっていたと思われる。それでは、どのような道をたどって渡来したか推測して見よう。                             

    <渡来コースの考察> 

                            

  中国大陸→台湾→沖縄→九州(日向・宮崎)           

                                 

推論はこうである。                    

中国大陸→台湾→沖縄→宮崎というコースをとってユダヤの一支族は、高千穂の近くに安住の地を求め、そこでユダヤ人の居住区が出来あがった。一族は再興の悲願に燃え、ここに高千穂神話が伝えられることになる。今から二千五百年ほど前、ユダヤ人の居住区に一人の男の子が生まれた。この子供こそバ−バリーであり阿しゅく如来の過去世を持つ人だ。十年、十五年と歳月が過ぎ一人前の立派な青年へと成長する。長老から聞かされて来た一族再興の悲願は、この蒙昧な島を一つにマトメ、国としての基礎をつくるために全霊を傾けるのだった。希望に燃えた青年は、日向の海岸より船出して瀬戸内海を東に向って進み、難波(大阪)に上陸、生駒を越えて大和に入ろうとする。幾度かの武力による衝突にも勝利し、それが後世の東征神話として残ることになる。一人のユダヤの血をひく聡明な勇気ある男が、宮殿を高々と築きあげ、国としての中心・都をつくりはじめたのである。木の香も匂うこの宮で即位したこの勇者は、後に言向(ことむ)け和(や)わし、神の心にしたがわせる徳のある天子という意味で神武天皇として誉えられたのである。こうして、天上界の計画である正法を説くための国、日本が構築される基礎が出来上り、その地を大調和したところ「大和」と呼ばれることになる。このようにして、釈迦が「正法」を説く上での守護者として、天皇家は天のみ心によって計画されたと言いたいのである。それからの天皇家は、初期の頃は自ら甲冑を身につけ国土平定に努めるも、司祭者として神を祭り神意による政治に心を砕いた。 

五、六世紀になると大和朝廷の支配が拡大するにつれて、それを支える豪族の権力闘争が激化するが、こうした中で天皇家は、中国の文物・制度を取り入れたり、権威を高めようとする様々な施策がとられるが、天皇号の始用もその一つであったかもしれない。これが高橋師の言う「天皇家には古代中国からの伝統が残っている」という「ことば」になったのかもしれない。この背景には、聖徳太子、小野妹子等によって中国から仏教が導入され、中国との交流も盛んとなる重要な時期となるが、「聖徳太子も小野妹子も、日本に仏教を導入する使命と役割を持った光の天使だった」という高橋師の言葉が残されることになる。         

 こうして、中国の律令法を母体とした律令制下にあった天皇制も、中国皇帝のような専制君主ではなく官僚制の政務運用によって、かなり制約されたものとなっているものの、九世紀の半ばには、幼年の天皇が即位したのを契機に、いわゆる摂関政治がはじまり、十一世紀には定着した。 

それからは、摂関に代わって権力を持ったのが、いわゆる「院政」であり、十二世紀には平家から源氏の武家政権が成立すると、貴族・社寺などの勢力は、上皇のもとに結集し公家政権を強化しようとするが、失敗に終わる。そこで、天上界は、光の天使・北畠親房を生まれさせ、天皇制に返すために『神皇正統記』を書かせるという手を打ったのである。その後、戦乱を収束した信長、秀吉は皇室尊崇を掲げて天下統一の旗印にした。これを引き継いだ徳川幕府は、公家諸法度により大きく制約され政治の圏外に置かれることになる。三百年も徳川封建制度が続くとそれまでに鬱積した尊皇思想が首をもたげ、やがて倒幕運動の原動力になる。このとき天上界は、木戸孝允、西郷隆盛、坂本龍馬などを先兵としてこの地に送り、王政復古が実現し明治政府が成立する。新政府は憲法をつくり、議会が創設され、プロシヤ憲法を模範として天皇の大権を強大なものとし始め、ファシズムの高揚とともに軍部の力が強くなり天皇もファシズムに利用されるという側面を持ったが、こうした中で、「アショカ大王、カニシカ大王の過去世を持たれた慈愛と勇気の昭和天皇を、日本に誕生されることを天上界は計画した」と、高橋師は言い残したのである。昭和天皇は、開戦への自らの裁断を下されることはなかったが、大戦への終結宣言は天皇の英断によってなされ、焦土化した敗戦後の日本の復興に身を粉にされたが、その一貫した姿勢が、国民統合の象徴として、神格化された天皇制からシンボリズムの、そしてモダニズム天皇制へと見事に大変身させ、この激動の中で、天皇制はその目的と使命を立派に果たしたのである。

 

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  WB01584_5.gif (2068 バイト)         「昭和天皇は菩薩界の方で、古代インド時代は大王だった」    

                                 

 「現代の天皇、故昭和天皇は、古代インドの時代、アショカ王、次にカニシカ王として生まれられた菩薩界の方である」と、高橋師は言い残した。                               

 釈迦は涅槃(亡くなること)に入るその前から、あと二五〇〇年したら、東の国日本の都(ジャブドーバァーのケントマティ)に本体エルランティが生まれて行くことを予言した。まだ国として体制が整っていない蒙昧な日本を、一つの国としてマトめるために、天上界の計画によって誕生したのが神武天皇であったことは先に述べた。それからというものは、正法を伝えるためのふさわしい国とするために、日本は守られて来た。鎌倉時代には、元寇の二度の来襲にも、また、江戸末期に、世界の列強が隙あらば植民地にしょうと虎視眈々と狙っていたにもかかわらず、西郷隆盛と勝海舟の英断によって、無血開城による静かな政権交代には列強も口をはさめなかった。このような世界に冠たる史実があるが、ともかく日本は守られて来たのである。そして、天上界は日本の敗戦もお見通しであり、日本が敗戦した時に、日本を一つにまとめるために肉体を持たれたのが、現代の昭和天皇であられたというのである。昭和天皇の前世は、釈迦が入滅(亡くなられて)されて二〇〇年後、マガダ国の国王としてインドを統治したアショカ大王であり、更にそれから五〇〇年後、カニシカ大王として生まれた方であった。慈悲深く信仰厚いアショカ王の霊が、いま日本に生まれ変わって来られ、天皇となられたのであれば、昭和天皇が慈悲深くあられたことも、また、当然と言わねばならない。

                             

    〈アショカ王(阿育王・無憂王)〉                              

 今から二千三百年前、お釈迦様が亡くなられてから二百年後、インドではじめて統一国家を建設した人で、戦えば必ず勝つという勇気ある大王だった。マウリヤ王朝、この二男のアショカは生まれつき粗野で、父王は思慮深い長男スシーマを次の王にと考えるが、「国王は一人なのだ」と二人は戦うことになる。アショカは王位につくが、武力をもって次々に敵を倒し、その勢力を誇ってみても心は晴れなかった。そのうちに暴虐と恐れとによって民衆の心は離れ、アショカの暴悪にあいそをつかした副王の弟テッサは、当時広がっていた仏門に帰依した。アショカは、インドの大統一をさらに拡大しようと、カリンガ国を攻撃するが、戦場の残虐さは想像を絶し、味方も敵も山ほどの無数の死者を出すが、戦いのあとを襲った飢餓と悪疫、戦いに勝っても残るものは何もなく、まさしく地獄で、目に見えざる民衆の怨嗟の声が怒涛の如くアショカの耳を襲った。アショカはいつか弟のテッサから聞いた仏陀のことを思い出し、「すべてを懺悔して仏のみ教を仰ごう」と仏法に帰依したのである。この後、アショカは軍隊を解散して戦争放棄を宣言するが、これが世界の歴史上初めての戦争放棄宣言だった。アショカ王の功績は、釈迦が説いた不殺生を誓い仏法に帰依し、釈迦の教えを政治、社会の現実の政策の上に生かし、仏教は単に個人の救いの宗教ではなく、社会全体、世界全体を救うものであることを実践し、シリヤ、エジプト、マケドニアに使節を派遣し、仏教を世界仏教にまで高めた人である。そして、世界の歴史上、初めて戦争放棄の宣言をしたのがアショカ大王であり、五百年後のカニシカ大王だった。        

過去世に於てアショカ大王であり、カニシカ大王であられた昭和天皇が、第二次世界大戦によって戦争放棄の宣言をされたことは不思議とはいえ、当然なことであったかもしれない。昭和天皇は菩薩界の方で、慈悲のお心が深いことは衆目の一致するところだったが、東洋の小っぽけな島国日本は、今や貿易黒字超一等国と呼ばれ、世界の中で日本の存在を知らない人は無いまでになって来たが、日本が、有史以来はじめて原爆を被弾した国として、全世界に向って戦争の愚かさと、人と人とが血を流し争うことのむなしさを、声を大にして呼びかける時は今をおいて外にはないのである。偉大なアショカ大王が、現代の昭和天皇の在世された今が、まさにそのチャンスと思うのである。世界のユートピア建設は、銃声の聞えない日を皆んなでつくり出して行く以外に方法はない。「まわりくどいようだが、一人一人が正法を学び、実践していく以外にはないのです」と言った高橋師の言葉に注目して欲しいのである。        

 ところで、このアショカ大王宮殿趾が発掘されたのは今から約百年前の一八九三年で、インド政府の手によってまだ発掘がつづけられているが、宮殿趾は地下五米位の所に石柱の基礎が八十本、ほぼ正方形にあり、一本だけ柱の一部が残っている。アショカ王は今から二千三百年前、この宮殿趾で戦争放棄と軍隊解散を宣言したわけだが、このように、アショカ王にならって軍備を持っている世界各国は、軍隊を解散し、戦争を放棄すれば世界平和への一歩を踏み出すことになるが、人類は将来、闘争と破壊の愚かさに気が付き、否応なく神の子の自覚をする時が来るのだ。 

                                 

     <天皇と自霊拝>                    

                                 

 園頭広周師の教えるところによると、昭和天皇は自霊拝をされていたというのである。自霊拝というのは、出雲の山陰神道家に古来伝えられてきた精神統一法で、自霊拝(アジマリカン)とは字の通りに自分の霊を拝むと書く。人間は神の子である。自分で自分に内在する神霊を拝むということであるが、釈迦の禅定(瞑想)がそれであった。高橋信次師の指導した方法も「自分に内在する神の霊を自分で拝む」という自霊拝であったと園頭師は言う。その自霊拝を日本人で一番厳修しておられたのが昭和天皇であったと言うのだ。                  

 園頭師は次のように述べている。              

「私が宇宙即我を体験した時、私は決して無念無想になることをしなかった。第一回目に宇宙即我を体験したのが昭和十五年であり、「生長の家」を本当の正しい信仰団体にしたいと思った。昭和四十年に生長の家本部直属の飛田給練成部長になった時、私は調布市飛田給の本部道場の大広間で「自霊拝」をやった。そうして「人間の心は宇宙大の広さを持っている」ことを再々確認した。戸田秀一先生から佐藤定吉博士のことを聞き、天皇陛下が「自霊拝」を実修なさっていられることを聞いたのはその頃である。この自霊拝が建国以来天皇家に伝わる行法であることを一般に明らかにされたのは理学博士・佐藤定吉先生であった。私は昭和四十年、国民会議の委員として出席している時、同じ委員の正岡岩三郎、戸田秀一両先生から佐藤定吉先生の『日本とはどんな国』という著書を頂いた。これは佐藤博士がクリスチャンとして五十年間聖書の研究をされ、そうして『天皇行法』を知られたその総決算であった。」、と。 

                                 

   <禅定と自霊拝>                      

                                 

 園頭師はまた言う。                 

「自霊拝とは釈迦がなされた禅定(反省によって心を浄化した後に瞑想すること)でもある。釈迦は、人間は神の大生命より現われた神の子であることを悟られた。この自分と宇宙の大神とが一体であることを自覚して 「宇宙即我」の境地に入られた。この釈迦の行法、禅定(瞑想)は高橋信次先生によって次のように説かれた。                

 一、人間は神の子である。                    

 二、自分の心が黄金色に光り輝いていることを心の中に描きなさい。 

 三、自分が神の光に包まれていることを想念し、自分の身体の廻りに光の輪を描きなさい。                    

または、                             

 一、心と肉体の調和を図りなさい。                

 二、心をまん丸く風船玉みたいに黄金色に描きなさい。       

 三、自分の身体の廻りに神の光の輪を描きなさい。         

と説明された。自霊拝という天皇行法は、釈迦が悟られた時になされた禅定・瞑想であったのである。」、と。                

 このように、釈迦がインドに出生して正法を説かれてから今日、「高橋信次」という名において出生されるまで、正法を説くにふさわしい国とすべく天上界より守られてきた日本。その日本の中心者である天皇家に、代々、禅定すなわち自霊拝が実践しつづけられてきていたことは不思議という他はない。それは、敗戦という体験を通してはじめて国民の前に明らかにされたのである。インドで阿しゅく如来として正法を説かれた方が、日本に神武天皇として出生されたのであれば、神武天皇がその内在された記憶(智慧)を甦らせ、正法の禅定すなわち自霊拝を実修され、それが現代まで連綿として続き、昭和天皇が実修されていたことは当然といわなければならない。                    

                                 

    <真実は「時」の流れとともに>              

                                 

 昭和天皇が、皇太子殿下(現・天皇)に下された手紙の中に、「日本軍は精神力だけに力を入れて物質力を軽視したのが敗因だ」と書いておられるが、正しい判断力が大事だということを改めて考えさせられる。何事も精神と物質の調和が大切で、これを仏教的にいえば「色心不二」というが、精神と物質とどちらにも片寄ってはいけないのである。高橋師は極端から極端はいけないと教えたが、天皇陛下のご判断は神理に叶っていたわけである。

ところで、昭和天皇は戦争責任者だという人もいる。終戦前の日本国憲法では、天皇は内閣の決定に順うだけで、天皇の個人的意見を述べることはできない仕組みになっていた。その為に、第二次大戦開始の御前会議では内閣の決定に順われるが、その時、天皇は、明治天皇御製の「四方の海 みな同胞と思う世になど浪風の立ち騒ぐらん」という歌を詠まれて退席されたということは、余りにも有名な話しである。この歌は、「世界の全人類はみな兄弟なのにどうしてこうもお互いに争うのであろうか」という意味であり、この歌を詠まれたということは、昭和天皇は戦争に反対だったのである。諸戦には大勝利を得た日本も、ガダルカナル失陥以来敗戦につぐ敗戦で、これ以上、内閣としてはどうすることも出来ず、天皇陛下の個人的意見をお伺いしたいというので開かれたのが終戦時の御前会議であった。この席で昭和天皇は「終戦」を宣言されたのであった。昭和天皇の個人的意見が政治の上に反映されて終戦は実現したのである。

 昭和六十二年九月、昭和天皇は、沖縄訪問を前にして開腹手術を受けられた。順調に回復なさっていると報じた十月のはじめ、皇太子殿下(現・天皇)の家庭教師であったバイニング夫人の日記によって次のことが明らかになった。昭和天皇がマッカーサー元帥との初会見の際、自らのお命を投げ出す覚悟で国民をかばったありさまが生々しく書かれているという。(原文 You may hang me )「絞首刑でもかまわない」と言われたという。国民を助けてくれるのなら、一身を犠牲にしても責任を負う覚悟でマ元帥との会見に臨まれたわけである。かって、外国の皇帝や元首がなりふりかまわず命乞いをしたという中で、「イエスの愛を見た」とマ元帥は回顧したが、まさに、天上界の計画と、陛下の今生の使命を立派に果されたことになり、時間とともに真実は明らかになってゆく。        

 ところで、沖縄訪問に際しても不穏な空気もあったとされるが、手術によって中止されることになった。天上界の計画によって遣わされた光の天使は、天上界をあげて守るのである。よくある話しではないか。高熱が出たので出発を取り止めたら、災難からまぬがれたという、まさに、天皇陛下の場合も〃これ〃であったかもしれない。ただ言えることは、悲惨な戦争の犠牲になった多くの人達の悲しみと怨み、つらみはよくわかる。しかし、心の安らぎは許すことから始まるという事実と、陛下のこの真実(You may hang me!)を考えた時、その矛先は人類最大の悪、「戦争」排絶に向けられるべきではないのかと思うのだ。

そして、この日記は言う、陛下は当時、九州御巡幸を切望され、世情不安、身辺の安全問題をも押して実現され、敗戦となった日本の国民の心の中に希望の一灯を点された。恐らくは、この九州御巡幸を決意された陛下のお心の中には激戦地沖縄の巡幸は、大きなウエイトをしめる場所の一つであったに違いない。だが、それは実現されなかった。そして、このたびの訪問はご病気ということで中止になったが、まさにこの時、以上のような真実が明らかにされたのである。 

昭和六十二年、月刊「文藝春秋」十一月号は「天皇陛下のカルテ」編集部の中で、次のように述べた。「戦後も四十年。天皇が行けない島があってはいけない。天皇は太陽のように日本中を照らさねばいけないとお考えだけに、心痛なされていたはずです。ですから、沖縄には回復次第ぜひ行きたいと思われているでしょう」(宮内庁関係者)、と。

こうして、沖縄訪問は中止となったが、入院中も陛下は、「沖縄には行かねばならなかった」とおっしゃっていたという。また、園頭広周師は月刊『正法』に次のように書いた。

「広島へ原爆を投下したB29の腹に書かれてあった二語 Enola Gay(エイラ・ゲイ)は現在ニューヨークのユダヤ人の間で多少使われているユダヤ人だけが使うイデッシュ語で、「天皇を抹殺せよ」という意味であったという。ユダヤ人は、第一次欧州大戦で、ロシヤ、ドイツ、オーストリア、ハンガリーの王室を全部倒した。世界で唯一つ残ったのが、日本の皇室であった。その日本の皇室を倒そうとしてユダヤが計画したのが、日本を戦争に引きずり込む第二次大戦であった。そうして極東軍事裁判では天皇を絞首刑にすることが決まっていた。それが絞首刑にせずに日本の皇室が続くことになったのは、昭和天皇が無私の愛をもってマッカーサーにお逢いになられたためである。天皇を絞首刑にすることに決めていたフリーメーソンのマッカーサーは、神の心として統治することを使命としていられた昭和天皇の無私の愛の前に、心を打たれて瞬間的に天皇擁護に変ったのである。第一次大戦で負けたドイツ皇帝ウィルヘルムは、連合軍司令部の前に土下座して生命乞いをした。日本天皇もそうするであろうと思っていたマッカーサーの前に立たれた昭和天皇は、「今、日本国民は食糧不足でこのまま行けば餓死者がたくさん出ます。ここに持ってきたのは皇室財産の目録です。これであなたの国から食料を提供して下さい」と言われた。既に極東軍事裁判では絞首刑にすることが計画されていたのに、「私の生命は助けて下さい」とは言われなかった昭和天皇のお姿に、マッカーサーはキリストの姿を見たという。昭和天皇のそのような無私の愛によって現在の日本は、そして永遠に天皇制の下における日本は存在を続けてゆくことができるようになったのですから、我々は昭和天皇のご遺徳を讃えなければならないのである。」、と。

 それでは、昭和五十一年二月、沖縄講演の中から高橋信次師の「ことば」を見てみたい。                        

「その時、我々は、世界の人類はみな兄弟だ、戦争は愚かしいことだということに気が付いてくるのです。同じ人間どうしが争いと闘争をすべきではない。調和以外にないんだということを、皆さんの内なる心は知っているのです。たとえ、盲目の人間が、そのような戦争体験をしても、その戦争が終わった後、その愚かさを知るのです。現にアメリカがそうではないですか。沖縄に相当な物量作戦をして完全に破壊をした。ところが彼等は、それに対する日本にそれ以上の三十年からに渡るところの物質の協力をしたはずです。どっちが勝ったのでしょうか。それを見れば明白です。こうして勝ち負けというより、同じ人間、たとえ血の、或いは皮膚の色が違おうとも、人間は皆、神の子で、同じ時代の同期生なのです。」、と。

 また、昭和六十二年十一月、ある週刊誌が書いていた。

術後、何回か輸血がなされた。そのことに関して抗議と強迫の手紙等が医師団にあったというのである。現代の宗教の中には、輸血を拒否する宗教もあることは知られるところであるが、臓器にも、勿論、血液にも、その人特有の波動がある。売血をした人には、またそのような荒い波動がある。血液や血液製剤は、どのような人血かはわからない。血液の病菌は、現代の医学によってかなりのところまでチェックされるが、人間の心の波動まではわからない。こうして、陛下にはその必要性から数多の輸血が試みられた。全血の何倍もの輸血が。しかし、それが如何なる波動の血液であるかは知らないが、昭和天皇はこれまで述べたように、菩薩界の方で、慈悲深い方であり、すみずみまで光に包まれた方だった。だから、たとえ如何なる波動の血液が輸血されようとも、輸血された血液は陛下の慈愛の波動に同化されたと思うのである。 だから、言う。輸血を拒否して尊い人命を失うより、輸血によって人生を全うすることが出来るのなら、そこにどのような波動の血液が、或いは血液製剤があろうとも、正道を歩き、神に波長を合わせる者には、何の問題も起こることはないのである。無智ゆえに心を悩ませることはないと言いたいのである。血液を提供してくれた人への感謝の心があり、生かされている自分を自覚しているのなら問題は決して起こらない。それが神の子・人間の生まれながらに持っている力、と思うのである。

 昭和天皇は、全血量の何倍かの輸血を受けられ、超人的な闘病生活を続けられた。そして、輸血を拒む多くの人々へも多くの教訓を与えられた。菩薩界の光の天子・昭和天皇は、今世の使命と目的を充分に果たされ帰天されたのである。そして、陛下の御人徳と、日本の隆盛を背景に、各国の多くの政府要人の参列を得て、最大の大喪の礼は挙行されたのである。 陛下が、生前、各国の元首、公人と会見されると、陛下の持たれる誠実な雰囲気の中で、皆それぞれに感激して帰国したという。我国の〃とき〃の首相、外相が、「我々が解決しえない難しい問題も、陛下が会見されると、なぜか解決する。我々が何人かかっても及ばない。不思議な力をお持ちの方だ」、と言ったというが、正さしく偉大な力を持った方だったのである。

 

                                 

WB01584_5.gif (2068 バイト)      ワーグナー小沢征爾として生まれ変わった」

 

 ボストン交響楽団常任指揮者の小沢征爾氏は、ワーグナーという音楽家の過去世を持つ人だと高橋師は言い残した。

信次師は、「小沢征爾という音楽の指揮者を見ていると外国人のワーグナーという音楽家が指導している。彼自身がワーグナーの生命であることを指導霊が話してくれた」と書いた。『心の発見』

 リヒャルト・ワーグナー(一八一三〜一八八三)は、劇と音楽が一体となる「楽劇」を完成したドイツの作曲家で、父が亡くなると、劇作家の義父に育てられ、十五歳の時、ベートーベンの音楽を聞き感銘をうけ音楽家になろうと決心。大学では音楽と哲学を学び自分で脚本も書き、ドイツ伝説による「楽劇」を完成するが、「タンホイザー」なども有名。                                     

 小沢征爾(一九三五年〜)氏は、中国、旧満州奉天(現瀋陽)の生まれで、一九四一年家族と共に東京に引っ越し、桐朋学園短期大学卒業後、フランスへ留学。一九五五年ブサンソン国際指揮者コンクールで一位になり、バーンスタインに認められ、一九六一年にニューヨークフィルの副指揮者となるも翌年辞任。同年、日本交響楽団(N響)の常任指揮者となるが、楽員がボイコットするという「N響事件」が起こり辞任。一九七三年、ボストン交響楽団常任指揮者・音楽監督に就き現在に至っている。日本古来からの琴、三味線、笛、太鼓を主体とした伝統楽芸の環境の中にありながら、西洋器楽の分野で世界的に名声を博している人が、小沢征爾氏である。

高橋師が説いた、今はまだ日本にだけある正法が全世界に拡がる下地つくりのために、このちっぽけな日本が世界の経済超大国となり、世界で反発される中で、聴衆に背中を向けながら、楽団員の一糸乱れぬハ−モニ−を一本のタクトの動きにのせて、自由自在に音楽の世界にひき入れていく日本人小沢の後ろ姿に、世界の聴衆者は好感の眼差し投げかけ、拍手を送るのである。これはまさに国や人種を離れた天子の姿である。様々な問題をかかえて悩める大国アメリカ、その中にあって、指揮棒一本で夢を与える日本の小沢。このように見てくると、日本人小沢のアメリカでの使命と役割が浮び上って来るようである。正法は確実にアメリカに渡って行く。その時に、日本人はエコノミック・アニマルばかりではないのだ、芸術の分野にも素晴らしい人物がいるのだということを、アメリカ人はきっと心に刻んでくれるに違いない。そして、小沢氏の生命、ワーグナーが「楽劇」を完成したように、小沢氏が今後、どのような音楽の道を歩んで行くのか、楽しみの一つなのである。小沢征爾氏は哲学的で重厚なクラシックを世に出したワーグナーの生命であると高橋師は言い残したが、ある新聞の中で小沢氏は言っている。「海外にいると日本が好きになるのは事実。しかし一方で日本にいって見えてくることもある。七、八年前くらいからですね。日本経済がどんどんよくなっていて、こちらに来る若い日本人の鼻息が荒くなってきた。いずれ一種の〃戦争状態〃になるのではと心配だった」、と。

フランクフルトからドイツ新幹線のICEで1時間走ると、こぢんまりとしたドイツ有数のバロック建築の街フルダに到着する。ゲーテはここで詩篇を創作し美味を満喫したが、九百年の歴史を誇るヴァルトブルク城は、宗教改革者ルターが新約聖書をギリシャ語の原典から初めて翻訳した場所である。マルチンルターは、天使長ミカエルの生まれ変わりと高橋師は言い残したが、この地は作曲家のバッハを生み、さらにいえば、ワーグナーが歌劇(楽劇)「タンホイザー」のイメージを得た土地でもあったのである。

                     

                              

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 WB01584_5.gif (2068 バイト)       「出光興産の出光佐三は西郷隆盛の参謀の桐野利秋だった」    

                                 

 出光興産の初代社長・出光佐三氏は、西郷隆盛の参謀であった桐野利秋の生まれ変わりである、と高橋信次師は言い残した。

                                 

 西郷隆盛の過去世(分身)を持つ園頭広周師は、過去世からのつながりを感じてか、子供が出光興産に就職することを望んでいた。   

 園頭師は次のように言う。                 

「出光興産は、日本の大企業の中では唯一,株を公開しない会社である。この会社の社員は全て家族の一員であるという家族共同体としての経済理念が私の気に入ったので、長男が中学時代の頃から「お前は出光興産に入社しろ」といっていた。その通り入社してくれたので嬉しかった。」、と。                               

 その時、園頭師が息子の入社を報告されると高橋師は、「それはそうでしょう、あなたの部下でしたからね」、と言ったという。      

 出光佐三(一八八五〜一九八一)は、明治十八年八月二十二日福岡県宗像町赤間に生まれ、八人兄妹(六男二女)の三番目だった。出光家の家業は代々染物業だが、遠祖は宇佐八幡(大分)の大宮司家である。赤間村では常に五本の指に数えられる程だったが、没落してゆく。 

佐三は、謹厳な風貌にも似合わず、早くから常磐津、長唄、小唄にも親しんだ。仙崖和尚の遺墨を楽しみ、素朴な小唐津も賞翫しているが、「出光美術廊(館)」は風流人としての置きみやげであったろう。特筆することは、先の「長谷川一夫」の良き相談相手であり、なにくれと面倒を見たことは知られるところである。故郷の近く宗像大社の復興を悲願とし実現したが、皇室に対する畏敬の念は、一般の理解とは質的に異なるという一面もあった。                       

 佐三は、神戸高商(現神戸大学・経済学部)を出ると、小麦粉や機械油を扱う「酒井商会」に就職する。幼児期は極度の神経衰弱と虚弱体質、悪質の眼病で、あらゆる病気を合せ持ったような体質であり、学校も欠席がちで成績も中以下だったようだが、算数は教師も解けぬものを解いて驚かせた。しかし、それからというものは、段々と嘘のように元気になって、酒井商会での二年目、生涯の恩人・日田重太郎によって、佐三の独立資金六千円(現・一億円)を無償で提供したいとの申し出を受ける。神戸高商を出たばかりの佐三に、今のお金にして一億円ほどのお金を提供したいという、降って湧いたような日田の言葉に驚き、どうしたものかと父に相談するが、「そんな馬鹿なことが」と取り合ってもくれない。ところが、無二の親友・八尋俊介は、「日田さんほどの人が君を見込んだからには、受けるべきだよ」とアドバイス。こうして、六千円を手にした佐三は、門司で機械油を扱う「出光商会」の看板を掲げ、平成二年、八十周年を向えた「出光興産」の創業であった。当初は父をはじめ、兄弟、親族等の同族会社であったが、スタートから苦労の連続であった。当時は、まだ石炭の全盛時代で、佐三はなぜか石油に眼をつけたのである。彼が生まれた赤間の近くに、筑豊や大牟田の炭田が位置しているために早くから燃料やエネルギーについての関心を持ち、将来について先見があったのであろう。卒業論文にも「石油の将来性」が力説されている。それからというもの、佐三の持ち前のアイディアと商人の大義、反骨精神は西日本の海域を制し、満州でも勝利するのだった。しかし、敗戦。      

 一から出直すことになった佐三は、「一人も首にしてはならぬ」と大号令。海外資産をすべて無くした出光にとって、それは、自から首をくくるようなものであった。敗戦とともに、ぞくぞくと海外駐在員が帰国してくる。先の見えぬトンネルにはいったようなもので、佐三は眠るのも惜しむかのように事業の打開に腐心するのだった。だが、〃天は自から助くるものを助く〃少しずつ少しずつ、灯りが見え始めるのである。こうして現代の「出光」が出来上がっていくが、それをしっかり見届けて、石油王・出光佐三は昭和五十六年三月、九十五歳の天寿を全うした。彼の実践した、その理念は、古き良き日本の伝統・「大家族主義」、個人主義を排した「和(おもいやり)の精神」、社会に示唆を与える企業づくり、企業は〃人間修業の道場〃等であった。これらの出光イズムは、連綿として引き継がれ今日ある。

現代の泥沼のような構造不況に、どこもかしこもリストラ、解雇の嵐の中で、クビも定年も出勤簿もない驚異の人間集団として、〃人間〃をしっかりと見据えたその志は、敗戦によって良きものまでも捨て去ってしまった〃日本〃に反省の示唆を与えているかのようである。高橋師は、これから太平洋岸にある種のガスが噴き出して日本のエネルギーは調和する、だが石油は衰退すると予告したが、出光はその変革に上手に乗って欲しいと願わずにはおれない

 

 桐野利秋(一八三八〜一八七七)は、幕末明治の志士で、陸軍少尉。初め中村半次郎といったが、戌辰戦没後に姓を桐野、通称を晋作という。微禄の藩士であったが、江戸在勤中に、ささいな事で徳之島に流罪となった。一家の柱であった兄の死によって困乏したが、祖父と兄に読み書きを習った。武芸は立木を相手に自現流を自得したが、豪放磊落、幼き頃より物を畏れず人を畏れず、鹿児島城下を我物顔であった。文久二年には、島津久光の上京の従士に加わり、そのまま永く京都に留ったが、その間、長州をはじめ各藩の志士浪人と交わり識見を広めた。自ら尊皇攘夷を叫び、天下の志士として名をあげると、西郷隆盛に知るところとなった。戌辰の役では功多く小頭見習、それから薩摩の一番小隊の監軍補欠、そして軍監を命じられた。それから、名声と戦功により永世禄二百石となった。明治二年鹿児島城下の一大隊長、そして上京し御親兵の大隊長、兵部省出仕を仰せつかり、陸軍少尉として、屯田の制を立てて北海道を開拓することを建言、実行された。                        

 それからは鹿児島に帰り、山荘で悠々自適であった。ますます識見広がり、鹿児島に訪ねる志士は必ず利秋を面会したが、好んで外交を論じた。利秋の志は東洋問題を解決して新生・日本を発揚することにあったが、西郷と共に一万五千の壮士を率いて官軍と大戦となり、刀折れ、弾つき、力つきて戦死。所謂、西南の役であった。死んでもなお止まるところを知らぬ気魂は、最後まで奮闘したのである。薩摩の副統帥、総参謀長であった。〃晋どん、晋どん、もうここでよか〃と自決を決めた西郷であったが、〃晋どん〃桐野利秋は今世は、世界の情勢を睨み、日本のエネルギーを担った石油王・出光佐三となったのである。                       

 

 

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WB01584_6.gif (2068 バイト)      「細〇数○という人」

                     

  出版する本という本がすべてベストセラーといわれる女性占術研究家がある。しばしばテレビで拝見するし、全国を講演して廻っておられる。あるテレビ放送では、何んの〃おまじない〃かは知らないが、豊満な胸のあたりに数珠を入れておられた。司会者三枝氏との会話によると〃お乳〃のところだと、興白く、おかしく語っていた。個人の趣味でなさるのは一向にかまわないが、それに理由がつけられ、ネットワークとして全国に流されると、その影響たるや計り知れないのだ。なぜなら、最近の話題の人であり、その人の一言一句に現代の風潮が左右されるのである。左右されるということは、裏を返せば、何も知らない盲目の人生を歩く人が多いということで、〃霊の世界〃 に関しては無知だからである。となると、全国の視聴者の中には、自分も真似てみようという人が必ず出て来る。そしてそれに、もっともらしい理由がつけられ、一人歩きをすることは過去の歴史が物語っている。この占いブームと言うか、この種の本がベストセラーになると、かっての「天中殺」ブームを思い出す。

歴史はめぐると言うが、困ることはめぐらない方が良いのである。「めぐる」ということは、その方面には人の考えが一つも変わらなかったからである。これは信次師が説いた「循環の法」だが、困ったことは困ったこととして、いつまでも循環するのである。その悪因を断ち切るまでは、めぐるということ。だから、悪因を断ち切るためには、この大事な人生を誤らせることを説く人には、いい顔ばかりはしておれないと言うのである。厳しく反省を求める人にも、それぞれに人生があり、家族があり生活がある。だから、その人を愛の心を持って祈るしかない。占や相性、先祖供養など、あげれば多いが、「易・占い」について高橋師の〃ことば〃を聞いてみよう。

                                 

「易・占いをどう考えるか」

 

 お釈迦様の時代にも「易・占い」もあった。お釈迦様は「易・占いはやってはならない」と厳にいましめられたが、現代の高橋信次師はどのように言っているか聞いてみよう。

  「易とか占いはどのようにして生まれたのでしょう。人にはそれぞれ運・不運があり、明日の生命すらわからないのですから、易や占いによって、開運をはかり、あやまち少ない人生を送りたいと願うのは人情です。しかし、易・占いは、もともと、過去の統計を基礎にして作りあげたもののようです。人が現世にあるのは、前世があるからであり、転生輪廻の歴史があるわけです。したがって、その歴史が分らず、現世の運、不運だけ見立てようとするところに無理があります。人の一生が、こうした占いや生年月日、姓名判断などによって決められ、あるいは変えられるとすれば、いったい人はなんのために生まれてきたのか判断に迷います。ことに占いの目的が、人間の幸福を求めることはよいとしても、不幸をさけ、常に安楽を追求するとすれば、問題は非常に大きいと思います。人間の真実からみた人生航路は、魂の修行であります。己の魂を磨き、苦楽の執着から遠離し、平和に満ちた人間らしい人間の自覚と地上に仏国土・ユートピヤをつくらんがためです。真実の人間を信ずるならば、こうした易や占いに迷ってはならないと思います。なぜかといいますと、人間それ自身は、易・占いを越えてゆくものであるからです。今月の方位は西南であって、東は鬼門に当る。ことしは厄年だから静かにしていよう、星占いからみた生年月日は青信号だから、やりたいことをしよう、というぐあいに人が動くとすれば、占いは自己保存をつくりあげ、開運の名の下に、人は多くの執着を心の中に育てあげていくことでしょう。人の一生は平坦ではありません。山あり、谷ありで、でき得れば難をさけたいのは人情です。好んで難をうける必要はないからです。しかし、だからといって、開運に執着しますと、今度は不自由な人間ができあがります。ああしちゃいけない、こうしちゃいけないで、そのうちに開運のための占いが不運を招く原因をつくっていくことでしょう。人の目的が魂の修行にあるとするなら、生年月日、易、占いで〃悪い〃という結果が出ていても、必要があればあえて決行しなければならないこともあるわけです。それを恐れてはなにもできませんし、自分を知るには、幸運時よりも不運の時こそチャンスのはずです。正しい生活には現証がつきものです。それゆえ正道を信じ、反省と正道の生活を送るならば、神はその者を決して見捨てることはないでしょう。その不運を楽々と乗り越えられるようにしてくれるでしょう。人間は、ひとしく勇気ある人でありたいと思います。

               

 高橋師は、講演、著書の中で、易・占いはやってはならないと言った。お釈迦様も、偶像を祭ったり、易・占い、護摩供養など、やってはならないと厳にいましめられた。易・占いに魅かれる人の共通の欠点は、気の弱い、人のいい、自己確立にはほど遠い人が多い。それは自分のことは自分で決められない、自主性がないということにも通じる。人の指図がないと動けない人達なのである。ここで言う「人のいい」という意味は「無知な人」という意味である。知性、理性でものを考えるよりも、感情的にものを考え易いということである。

 ところで、その女性占術研究家の書かれた『運命を開く先祖のまつり方』という本が手元にある。昭和六十年に発行されたもので、昭和六十二年第二十五刷である。相当数のものが購買されたことだろう。その「まえがき」に「〃神の間引き〃とは本当にあるのだろうか?」、とある。

神は、神の子・人間に対して真の自由と意志と創造性を兼ね備えさせてある。〃神の間引き〃とは神が、人を選択するということのようであるが、親が子に〃えこひいき〃しないように、神は全てに平等なのである。太陽が善人にも悪人にも等しく照るように、神は誰れ彼れなく平等なのである。アトランティス大陸、ムー大陸、ルビジア大陸にしても、すべてその時の人心の乱れと不調和が集団的となって〃ノアの箱舟〃現象というものは、神の波長に合わない人間の暗い想念が現象化したもので、決して神は〃選民〃とか〃間引き〃とか絶対にされることはないのである。神の心に波長を合わせないから、そして、神の光を閉ざすから天変地異や災害にあうことになるのだ。決してそれは神のせいではない。

 これより、記述された内容を例に引きながら述べたい。

 

 第一章『あなたは先祖を粗末にしていないか?』のはじめの方に、〃「貪(とん)」「瞋(じん)」「癡(ち)」におかされている現代人〃 と、ある。原文には、 釈迦が二千数百年前に「末法の時代に生きる人たちは貪・瞋〃癡の三毒におかされる」と予測したとあり、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)と、女性占術家は論を展開されている。ふり仮名をつけてなければ、すぐに読める人はそんなにいないだろう。二千五百年前にお釈迦様が文盲の衆生にわかり易いインド語で説かれたものを、お釈迦様が亡くなった後、残った弟子達が、あのように言われた、このように説かれたと伝える。それがのちにインドの文字となって後世に伝えられる。その後、中国の僧が仏典としてそれを持ち帰り、中国の漢字に翻訳されたものが日本に伝わって来た。 現在、日本にあるすべての経典は、みな中国語で書かれたものだけで、読み方も中国語読みなのである。中国語の漢字の仏教が伝わって来た時、日本は漢字、ひらがな、と使いわける国だから、中国の漢字の仏典が抵抗もなく受け入れられたということはうなずける。その仏教を見事にキャッチしたのが七世紀初めの聖徳太子である。聖徳太子と、国書を隋の皇帝に渡した遣隋使の小野妹子は、ともに光の天使であったと信次師は言い残したが、天上界の計画によって日本に仏教を受け入れ、そして拡げる使命の人であった理由(わけ)である。

こうして、この難しい経典、仏典を仏教学者、宗教学者は、研究するわけである。古代インド語で語られたものが中国の漢字に翻訳され、それを日本語で読むのだから、いくら頭の良い学者でも難しいのは当然と思う。ましてや、仏典や経典は、お釈迦様御自身が書き残されたのではないから、それはそれは大変なことだと思うのだ。このような理由で、〃貪・瞋・癡〃なる、若い人が読めない言葉が出てくることになる。

ところで、古代インドの時代、お釈迦様の本体エルランティであった高橋信次師はこの貪瞋癡を「心の三毒」と題して「愚痴」「怒り」「足ることを知らぬ欲望」と、わかり易い言葉で解説した。それでは講演の中から高橋信次師。

  「このようにして、それぞれが愚痴をこぼしたり、怒りの心を持ったり、足ることを忘れたりするこの三つのことを「心の中の三毒」と言っています。この三つの毒を、我々は日常生活の中から抜くことが大事なのです。」

                                 

 同じく、高橋信次師の「ことば」の中から「心の三毒」を参考にしていただこう。

 

「 人の精神と肉体を、もっとも不安定にする想念は、愚痴、怒り、足ることを知らぬ欲望の三つである。いづれも自己保存に深く根ざしているからである。愚痴は、神の子の己れを否定し、人間疎外感と孤独を生み、怒りは破壊を意味し、足ることを知らぬ欲望は自己を失わせる最たるものである。こうした想念を霊視すると、その周囲は、黒、赤、灰色の妖気が漂い、魔王、地獄霊、動物霊が必ずといってよいほど姿を見せている。いうなれば、あの世の最低の悪霊に身も心も蹂躙されていることを意味する。精神と密着した私達の肉体は、思うことが直ちに現象となって現われる。笑いは血液の循環をよくし、胃腸の活動を活発にさせる。反対に、怒ったり、悲しんだりすれば、心臓や睡眠に影響する。想念のあり方如何が、肉体的現象となって現われてくることは、誰しも経験しているであろう。怒ったり、悲しんだりして、食欲が減退し、睡眠がとれないと、仕事に影響し、人間関係の判断まで狂ってくるであろう。

つまり、こうした想念は心の平衡を失わせ、精神まで不安定にしてゆく。心が不安定になれば、家庭や職場での協調関係がうまくゆかず、こうした状況が長びけば、やがて仕事も行き詰まり、病気や災難を誘発する。こういうように、想念は、その人の心と肉体に敏感に反映していく。いうなれば想念は、ものをつくっているのである。心が中道を知らず、また中道を失うと、眼や耳や口等を通して肉体中心の業想念に支配されてゆく。自分で自分の心を汚し、神から与えられた肉体まで汚してしまうことになり、今生での自分の運命、天命を狂わせ、新たな業因をつくってゆくことになる。今生の原因が、今生で清算され結果とされればよいが、清算されない時は、あの世に持ち越し、来世でそのおさらいをしなければならない。つまり、もう一度今生と同じような環境の下で修行し、自分の魂をテストしなければならない。はっきりいうならば、大抵は、原因と結果の堂々めぐりをしてしまうだろう。二千年の昔も今も、心の面ではあまり進歩がないというのも、こうしたところに原因がある。悪循環からなかなか抜け出せないからである。悪循環の最たるものはなにかといえば、愚痴と、怒りと、足ることを知らぬ欲望である。この三つを称して、心の三毒といい、業想念の中でも、最も悪い原因をつくり出す。よくよく心しなければならい。」                                 

 高橋師は、「古代インドの時代、釈迦の四十五年間に説かれた道は、永遠の神理でした」と言った。また、高橋信次師の記述の中から

 「 ブッタの説く法は、自然の姿を通して、人間の在り方を、当時の衆生に説き明かして行きました。ブッタの教えは、八正道を心の物差しとして、調和された安らぎの道につけと常に説き、転生輪廻の法を肉体的に示し、万生万物は相互の関係にあって安定しているのだから、感謝の心を持ち、報恩の行為を実践することが大切である、と教えるのでした。報恩の行為としては、自分の環境に応じて奉仕と布施の実践活動をする。社会人類のために、果たすべき人の道、を教えるのでした。そして、その四十五年間の道は、慈悲と愛の塊りのようにすごしたもので、常に、「人類はみな兄弟だ。貧乏人も金持ちも、地位の差に関係なく、みなブッタの子であり、生まれた環境は自らが選んだものであり、その環境を通して悟り衆生を済度するための目的を持って生まれてきたのである」と、原因と結果の法則(因縁の法則)を説き、悟りへの道を示したのでした。しかし、仏教は、いつの間にか、他力信仰の誤った方向に進みました。僧侶は葬式仏教にうつつを抜かし、学者達は知だけで行ないのない哲学仏教に凝り、また古い歴史的に信仰による寺院、仏閣は、偶像や増上惰を人々に招来するような現代仏教に成り下がってしまい、仏教本来の心は、人々の心の中から消え去ってしまったのです。仏教の多くは、人々の知識によって生活の道具に変わり、商法に成り下がってしまったのです。他力信仰の肉体的遺骸に執着を持たせて、信仰を駆り立ててしまいました。こんなことで、どこに、本当の道があるのでしょうか。」、と。

                  

「運命と因縁の法・善因善果、悪因悪果」

 お釈迦様が説かれた「因縁の法」は、高橋信次師によって「善因善果、悪因悪果」というわかり易い言葉で言い表わされた。この因縁の理法は大宇宙の法則であり神理である。誰れにでも変えることの出来ない大自然の法則である。因縁の法とは、悪い原因をつくれば、その内に必ず悪い結果が表われるということである。また逆に善い原因をつくれば、必ず善い結果が表われてくるということである。或る国が、他国を攻撃、侵略したりしたことが、しばらくして、その悪い結果がその国に起るということである。また、その逆に、困った国に技術援助をしたり、食糧の布施をするなどの無償の援助等の善い原因をつくっていると、その内に必ず善い結果がその国に起ってくるということである。これは、まったく誤りのない寸分違わない方程式である。このように人の力や知恵によって変えられない絶対不変の法則という意味で、神理、真理、「法」と呼んでいる。「因縁の法」の意味を理解していただいたと思うので、次にこの大法則の運命の転換数を明らかにし、説明してみたい。

個人の運命の転換数は三年、五年、七年の倍数であると信次師は明らかにした。つまり、3、5、7、10、15、17、20年となる。人間一人一人の運命に関しては、一番最初の数が「三」である。「石の上にも三年」といわれるのは三年努力辛抱すれば、目途が立つということを言ったのであり、一生懸命努力すれば三年目にはその成果が眼に見えてくるというわけである。三年とは、このような理由をいうのだ。また、その反面、惰眠をむさぼれば、確実に三年後には脱落するということでもある。また、「十年ひと昔」とは、この十年によるもの。次に、国、或いは民族の運命の転換数は30、70、100、150、170、200年となる。政治家や国の指導者たる者には、注目に値する運命の転換数であろう。占いは当るも八掛だが、「因縁の法」は方程式だと言ったように、必ず的中するし、百パーセント例外なくその通りになる。占いならば、当りはずれもあろうが、この因縁の法則は、そのものズバリだから、怖いといえば怖いが、正しく生きるものにはこれ程、有難い法則はない。この世でも、あの世でも通用するごまかしの効かない法則なのだ。

「あなたは、今、幸福ですか?」幸福は相対的で、それぞれに主観的だが、もし、幸福とは思えない、苦しいと答えが返って来たとする。あなたは、三年前、五年前、七年前、十年前と、年代を逆にたどってみることである。さかのぼって追及すると、必ずその原因に突き当るはずである。その原因が長ければ長い程、それに対する修正の時間も長くなる。悪い原因を一杯つくったのに、悪い結果は早く切り上げたい気持ちもよくわかるが、それは余りにも勝手がよすぎないだろうか。地上界の人生で魂をみがくように人間はつくられているのだから、何人といえども例外は有り得ないのだ。

十年間、悪い原因をつくったものは、十年間かかって修正されると申し上げても過言ではない。ところが、神様の慈悲というか愛と言おうか、劇的な反省によってのみ、急激に修正されるのである。私達は、神様のこの慈愛に心から感謝しなければならない。11は2、2−1は1というのが方程式だが、心からの反省によって1+1は1になったり、1.5になったりするのである。つまり、十年間で修正されるはずのものが、八年になったり、六年で修正されることがあるのである。修正の時間が少なくてすむ。高橋信次師は言っている。「反省は神の慈悲である。この因縁の法が、すべてあらわれてくるものであれば、人類は遠の昔に存在していないでしょう」、と。

                                 

 〈反省と後悔の違い〉

 「反省は神の慈悲です」と高橋師は教えた。ここで言う「反省」とは、もう二度としないということである。〃悪かった、悪かった〃と自からを責めとがめることではなく、その原因を二度とつくらぬことが、ここでいう「反省」となる。悪かった、悪かったと口では言いながら、同じ間違いを何度も繰返す人がいるが、これは反省ではなく、「後悔」という。反省と後悔とはまったく次元が違う。まさしく、反省は神の慈悲なのです。 悪因が悪果であると知ったら、一日も早く反省して修正する方が良いのだ。そして、良い原因があって、良い結果となっているものなら、ますます心を大きく豊かに魂をみがくこと。                                 

 高橋師は、現代の仏教など一つも勉強しているのではない。いつも「私はコンピュータ会社の社長であり電気屋ですから」と、そして「習ってもいない仏教の話しが、古代インド語が、中国時代の経文が口をついて出てくるのです」と、言っている。

 次に三木野吉『ノアの箱舟』より引用する。

「  高橋先生のお供をして盛岡の研修会へ行ったことがある。その時、特急の座席は二人掛けで全部前方に向いていたが、運よく私は先生と並んで腰かけた。盛岡までの六時間、先生を独占することが出来た。「先生、先生がお悟りになる時、モーゼがワン・ツー・スリーという名で、イエスがフォアイ・シン・フォアイ・シンフォー(准省・准・省候)という名で、実名をかくして協力されておりますが、これはどうしてなのでしょう」「それは渡辺さんこうなのですよ、私は何にでも探究心が旺盛です。ですから、いきなりモーゼだとか、イエスだとか名のられたら、肝腎要目の神理の追究をなおざりにして、いきなり聖書にとびついたでしょう。私がやる気を起こしますとね、聖書なんか、そのまま丸暗記してしまうのですから」日頃先生の能力はよく知っていたので、私はこの言葉はすぐ素直に受け取れた。「だから私は、いまだ一度も、聖書も読まなければ、仏典にも手をふれていないのです。その必要がないからです。」「先生は『心の発見』の中に一カ所だけ聖書から引用なさっておられますね」「ええ、読まないんですが、ここにこんなことが出ていますよと、わざわざ教えてくれる人が自然に出てくるのですね。有難いことです」、と。

                           

 仏教の一つも学んだことのない高橋師が、女性占術家の記述している「貪」「瞋」「癡」を、「愚痴」「怒り」「足ることを知らぬ欲望」と言う言葉で説明したわけである。そして、次に女性占術家は「自然=神を軽視する現代人に希望の二十一世紀はない」とある。これはまったくその通りだと思う。この項の中で、先祖供養の大切さを述べられているが、 「何も、お墓参りのことだけを指していっているのではありません」また、「お盆とお彼岸にきちんとお墓参りに行っているから大丈夫だと考える人のなんと多いことか」そして、更に「先祖供養というのは、年に一度や二度のお墓参りですまされるものではない、もっと大切さを認識してほしい」と、細〇氏は述べておられる。彼女は、先祖供養は、お墓参り、お墓の掃除も大切だと言っているわけだが、「先祖供養とは何か」ということを高橋師が、何度も何度も説いているので、よく読んで欲しい。後述いたします。

次の項、「先祖を大切にしない信仰は、利益よりも害毒を生み出す」、と彼女は述べる。

                                 

〈宗教と道徳の違い〉

 サテ、多くの人が「信仰」という言葉を聞く時、一番先に思い出すのは「先祖供養」であり、「夫婦の調和」、「親に対する感謝」である。これらは道徳であって宗教ではない。勿論、宗教に根ざした道徳ではあるが、宗教ではない。何故、ナゼ?と疑問の読者も多いと思うが、宗教と道徳の違いがはっきりしていないところに現代の宗教界の混乱があるし、宗教と道徳の違いを宗教家、教祖、教主という人がわかっていないから、その信者や会員達がわかるハズはないのである。肉体先祖への報恩供養も、両親への感謝孝養も、人間として当然のことであり、「なぜ」はいらないのだ。どんなに時代が変わっても、これは永遠に変わることのない人の道なのである。このように先祖供養をするというのは道徳的行為なのだ。人間は善いことをしなければならぬと言う。それは、すべて道徳の世界。人生は善いことをするのは当然だが、善いことをすることが目的ではないのだ。

宗教の世界というのは、人生の目的は、善いことをすることを通して、大生命、即ち神そのものの存在を知り、神と自分との関係を自覚することにある。子供が、ふる里を想い、母のふところを切ないまでに思うように、人間が神を想い、神を切ないほどに求めるのは、人間は神の子だからである。神の子である人間が、神の心に波長を合わせることを通して、どうしても善いことをせずにはおれないという心の働き、これを道徳というのである。だから現在の日本の宗教団体は宗教団体ではありません。道徳修養団体である。宗教というのは、神理(正法)を説いて、それによって悟り、霊の向上、人格の完成、人間性の向上を教え且つ目覚めさせるものである。勿論、実践面としての道徳も説くが、道徳は説くけれども正法・神理を説かず、悟り、霊の向上、人格の完成、人間性の向上を目指せないものは宗教とは言えないのである。信仰という意味は神仏を信じ尊ぶことだから、女性占術研究家の言われることには矛盾がある。「神仏を信じ尊ばない信仰は…」という言葉の使い方はあっても、「先祖を大切にしない信仰は…」という言葉の矛盾に気が付かれると思う。先祖を大切にすることと信仰とは次元が違うのである。

 高橋師は「宗教」とは「宇宙に示す心の教え」と解説し、「信心」とは「自分の嘘のつけない善なる心を信じること」と教えた。「信神」とは、神の子人間が、人間の中に宿る善なる心・神の心を信じ、大宇宙大神霊、宇宙創造の神を信じることとなるわけである。

 次に進む。「不治の病、やっかいな災厄は、ことごとく先祖軽視の報い」の項の中で西日本に住む大富豪の奥さんの例として、二十年間「筋無力症」という病気のために体を動かすことができなかった。家庭の中は暗くなり、その雰囲気に耐えきれなくなった御主人が昭和五十九年秋、女性占術研究家を訪ねた。 彼は言った。「お墓参りは欠かしたことはないが、墓石は苔が五センチもおおっていて、お墓は丘の上にあり、先祖の墓は下の方の丘の中腹にある」と。そこで彼女はアドバイスをした。「お墓の建て方と管理に問題があって不治の病に苦しんでいるのだ」と解答した。そして更にお墓の掃除と苔むしりのアドバイスをして帰した。その御主人はさっそく苔むしりを実行した。その晩、奥さんが四十度の熱を出し一晩中うなされ、翌朝二十年間動かなかった奥さんの手足が動いていた。お墓掃除した結果が実証として出たこと、そして災厄や不治の病を背負っている人の九十九パーセントが先祖を軽視している一家から出ているのだと彼女は結んでいる。

 サテ、この大富豪の奥さんの筋無力症の転末についての現象をどのように考えるか論を展開してみたい。大金持ちとか先祖代々からの大富豪といわれる家柄には、血統という肉体的つながりの中で先祖の霊の中には、この世に執着した霊がいることが多い。なぜなら、代々金持ちで裕福という環境の中で、足ることを知らぬ欲望の渦中に身を置き、他人に慈愛を施すこともなく人をさげすむ心、優越感、増長慢となり金持ちとしての使命と役割を忘れ、残した土地、財産、地位、名誉、異性のことなどを通してこの世に心を残し、自縛、地縛していく者がいる。「心のままの世界が、あの世の生活と思えばよい」と高橋師が言ったように、右を向いても左を向いても自分と同じような慈愛のカケラもない者達の世界だから、安らぎなど何もない。このような人達の住む世界を、〃地獄の世界、暗い世界〃というのだが、そこにいる霊はその環境に耐えられず誰かに救いを求める。救いを求めるからには願いをききいれてくれそうな者に救いを求めることとなる。その霊にとって願いを聞きとどけてくれそうな霊とは、心のあり方が似た者ということだ。

ここでいう心のあり方が似た者とは、心のあり方が地獄におちている霊と同じような心ということを言っている。つまり、「類は類をもって集まる」「類は友を呼ぶ」という譬である。「酒のみには酒のみどうしが集まる」という〃あれ〃である。このように考えると、先づ、その大富豪の先祖の霊の中には、この世に執着した先祖の霊がいるということ。その霊と心のあり方が似た者とは、二十年も寝んでいる大富豪の奥さんということになる。それでは、この奥さんが、なぜ暗い霊を引き入れる原因をつくってしまったかを推論してみると、大富豪という人生の中で、増長慢、人をみくだす心、優越感などの外に、主人の異性問題、舅姑等の家族関係の中で暗い心の世界をつくっていったものであろう。勿論、この著書に記述されているわけではないので、推論であることを断わっておきたい。ここに出てくる筋無力症というのは特にどこが悪いのか原因がわからないが、力がはいらないから手足が動かない。動かないから寝たきりになる。この「原因がわからないが」というのが重要なところである。現代医学で解明できない、説明できないところが実にクセモノなのだ。医療機器の素晴らしく発達した現代医学でも、なぜ原因がつかめないかというと、現代医学は眼に見えるもの、つまり「色」「物質界」としてあらわれるもの以外は説明がつかないのである。現代西洋医学は、全て目に見えるものから始まっている。顕微鏡にしてもレントゲンにしても、医療機器すべてが、目に見えるものを対象として発達、進歩してきた。しかし、二十年間寝込んでいた奥さんという目に見える対象がありながら、現代医学ではどうすることも出来なかった。このあたりに現代医学の限界があるのだが、最近は、目に見えない「心の分野」を研究する医学も盛んに取り入れられているので、近い将来、この限界も突破されるだろう。こうなると、医者も治せない病気治しで信者を集めた新興宗教の類も、この分野では人集めも出来なくなり、真の「宗教」、つまり神理・正法を説く教団だけが残るということになる。これからは、このようなことを説く医者が出て来て医学の分野は飛躍をとげると高橋師は言い残している。

話を先に進めよう。地獄におちている先祖の霊が奥さんに救いを求めた。先祖の霊と心のあり方の似た奥さんがそれを聞き入れ二十年間寝込んでしまった。わかり易いようにこう説明したが、もう一つここで明らかにしなければならないことがある。高橋師は「地獄霊が憑依すると、地獄霊の死因となったその病状が被憑依者にも現われます」と言ったが、つまりこうなのだ。全身麻痺、半身不随、とか脳卒中とか身体の麻痺で亡くなった先祖の執着した霊がいると、助けを求められた人、つまり執着した霊と心が同通した人が同じような病状となる。ガンで亡くなった先祖の執着した霊があると、同じようにガンで亡くなったりする。これを医学ではガン家系とか、遺伝的家系と説明してしまうが、そうではない。それが霊的現象によってあらわれたとは説明できないのである。暗い心を持った人のみ先祖の執着霊と同じ病状を呈するから、ガンの家系といわれる一族がみなガンになるということはない。もしすべての人がガンにかかったとすれば、その環境の中で、全員が同じ心のあり方をしたということである。勿論、このようなことは多くはないと思うが、このように、大富豪の先祖には身体の動かせないような病気をして亡くなった霊があり、その霊と同通した心のあり方をした奥さんがいたということである。

そして、奥さんに二十年間も寝込まれて困ったのは御主人であろう。つまり、御主人の反省も大いにあるということ。大富豪という環境の中で、家族の者、それぞれがめいめい我儘勝手なことをして、家庭は不調和、ケンカや争いの絶え間がなく、対話、会話のない暗い家庭であったろうと想像して余りある。そのような中で、主人が西日本からはるばる、女性占術研究家の許へ指導を受けに来た。「暗い雰囲気に耐えきれなくなった御主人が…」と原文にはあるが、この原文通りに受け取れば自己保存がありありで少し気にもなるが、女性占術家の記述になるものだから真意は不明である。しかし、二十年間寝込んでいる妻の病状を思い遣って、主人は仕事の合い間をぬって女性占術研究家の許へ行ったに違いない。どうにかしたいという心の働きがあったのである。これはもう立派な愛なのだ。「愛」以外のなにものでもない。そして、急いで家に帰られ、病気で床に伏す妻に話したに違いない。「占術家の先生がお墓の掃除と苔むしりをするようにアドバイスして下さったよ」と。そしてそのようにされた。妻の病状の軽快を願う夫と、その愛と思い遣りに心のあかりを灯した妻。病気を通してはじめて二人の心が一つになったのである。

 ここでもう一つ加えるなら、この世に執着した霊は、慣習により、死んだらお墓の中に住むのだと信じて亡くなっている人が沢山いるのである。お墓のあたりとか仏壇の辺りにいる霊は、所謂、正しくない霊、つまり地獄におちている霊である。悟った霊はといえば、一時間もしない内に、あの世の次元の違った世界にかえっていくからだ。

 

高橋信次師の「ことば」から

〈死〉

「死は、すべての終りではなく、両親から与えられた肉体舟との別離にしかすぎない。人間は、死んでしばらくの間は、意識不明のような状態が続くが、やがて死を悟り死後の世界に入っていく。悟っている者達は、一旦、天上界の収容所に入り、人生の反省期間を経てから、その人の心の調和度によって行くべき道が定まるのである。」

                        

  「皆さまが死にますと先づ心のきれいな人たちは向こうから迎えが参ります。肉体の先祖が悟った人がくることもあります。あの世の鼻の高い人が来たり、外国人のスッキリした人が来たりするとビックリすると思います。このために肉体先祖が来ていろいろその中で生活の修養所のようなところへ連れて行きます。さしあたり、ある宗教団体で、他宗はすべて邪教だと決めつけた人達の中には、あの世へ帰った時に、ただし心がきれいならば、修養所で彼らのいった法華経の間違いを、そこで訂正させられます。彼らはその道場で間違いを自分で発見するのです。

 日蓮は他宗はすべて邪宗で日蓮宗だけが絶対だとはいっていません。ところが、日蓮宗では南無妙法蓮華経を拝んでいてもあっちは邪宗だ、こっちは本物だとか馬鹿みたいなことをいっているのです。こういうことをまず修養道場で徹底的に反省させられるのです。ある人はここで十年いや二十年、三十年やっても卒業できない人がいます。この段階がまず第一段階、さらにその上に幽界というところがあります。一般に皆様がいう天上界というところです。天上界へは後光という光がなければこの国の扉は開かないのです。ちょうど電気の光で開く扉と同じようなものです。皆様の心が調和されて光子体という肉体の光が強ければ強いほど世界がどんどん開けて参ります。これはちょうどエレベーターにのっていると思って下さい。そしてこのエレベーターは無限に続くエレベーターなのです。私達はよくあの世に行く時に、途中で死んだ人達がついてきます。白い雲にのって途中でみな消えて知らぬ国へ行ってしまいますが、それでも結構、天上界へ行っているのだからいいなあと思います。

その天上界の一番上の方の世界が仏教でいう如来界、または金剛界ともいいます。その世界は全く下の方から見れば、太陽だとも神様だともいわれます。この世界にはスモッグなどはなく晴天です。地獄界へ行くとちょうど谷間のような暗いところと思って下さい。そんなところへ行くのもこの地上界を去る時に皆様自身が自分で決めてしまうのです。すなわち、神も信ぜず人を恨み・妬み・そしりした連中、自分勝手な気ままなことをした連中は奈落の底へおちます。土管の中のような真暗な世界です。その時に必ず誰かが救いに来ます。「お前、そんなところにいたら死んでしまうぞ」死んだと思っていても大抵の人はこの地球上に執着がありますから、自分の死体の側にしばらく居ります。そこで自分で眺めていて、生きている親や兄弟と話が出来ないものですから、そこで疑問をもち始めます。その内にお坊さんが来て「ああ、自分は死んだのかなあ」ということになります。ところが仲々お経をきいても難しくて解らない。そのうち「ああ、あいつ自動車にのってきたから自分が生きていると教えてやろう」ということになって、乗っている人に憑依して自動車事故を起こしたりするのです。葬式の後によくこういうことがありますね。お経はいくらお坊さんが一生懸命あげてくれても難しくて解りません。ですから、もっと解り易く、「貴方は死んだのです。生きている時に、八正道ということを知らずに貴方はこういうことをした。だからこういう面を修正しなさい。反省しなさい」とよく教えてあげることなのです。そうしますと口の利けない死人の顔がスーと赤くなります。同時に硬直しているのが柔らかくなります。こういうことは機会のある時に試してみて下さい。」、と。

                           

 〈亡くなった直後に、御飯や好物をそなえるのはどうか〉

                                 

 人が亡くなると、亡くなった直後は、意識不明のような状態が続くが、以後、死を悟っていく。しかし、ほとんどの人が亡くなってすぐは、地上界での意識の延長にあり、食事を欲する場合もあるので、食事をそなえたり好物をささげるのも良いだろうと高橋師は言っている。だが、悟った霊は、それ以後、天上の世界に帰って行くので、花や食物を供養する必要はないのだ。一方、地獄におちた霊達は、地上界に執着しているので、花や食物を供養する必要はないのだ。一方、地獄におちた霊達は、地上界に執着しているので、地上界の食べ物を欲しがるが、食べ物を供養しても無駄である。永い習慣の中で仏壇やお墓に花や食べ物を供養して来たが、それも先祖に対する感謝報恩のしるしとしてそのような習慣になったが、物をあげ、そなえることで〃よし〃とする考えほど容易なものはない。我々が、現在こうして肉体を持って生きていられること自体、先祖が我々を生み育ててくれたからであり、それに対する感謝の心は、報恩となって形の上に現われてこなければ意味がない。その意味において供養とは、経文をあげ、花をあげ、食べ物をあげることではなく、まず家庭の和合、調和にあると絶叫した高橋師の教えを噛みしめてほしいのである。

 悟った霊はこの世に一時間もしないうちに次元の違ったあの世の世界へ帰って行くことを述べた。普通の霊はと言うと、二十一日間は棟や家のまわり等に居ることのできる最大日数である。この間にみな修養所のようなところに入って行く。二十一日間を過ぎても、まだこの世に執着している霊を自縛霊、地縛霊、浮遊霊と言うが、助けを求めて色々な現象をあらわし、困ったことを引き起こす霊である。この二十一という日数は、あの世の定めである。 釈迦は反省、中道の正法にめざめて二十一日目に悟り、実在界に招かれて法話をするが、二十一というのは、あの世の定めであって、死者の霊の場合も二十一日間はこの地上界にいて自由行動が出来る仕組みになっている。もしも、こうした仕組みがなされていないと、この世は大混乱になってしまう。それはどういうことかというと、悟った霊ならともかく、悟らない霊が生きている人間同様に、その行動が自由になるとすれば、多くの人に憑依し、地上界は、たちまち悪霊の支配下におかれてしまうからである。葬式後、死者が家に遊びに来るとか、あいさつに来る例は多いが、死後二十一日間は、そうした自由が許されているからである。

しかし、その後はそうした自由行動は許されない。このきまりを破るのが自縛霊等の悪霊というわけだが、このように地上に執着を持った霊は、その土地、場所にいるのである。また土地、場所だけでなく物にも通じており、その物を持つと凶事が起る例はよくあることだ。自縛霊は行動の自由はないのだから、その場所に常時いるかというとそうではなく、霊視でも見える時と見えない時があるはずだと、高橋師は教えている。

                                 

〈四十九日の由来は何か〉

 

 死んだ人の霊魂が家の棟を離れない期間は二十一日間というのが、あの世の仕組みと述べた。二十一日を過ぎると、どんなにこの地上に執着を持っていてもあの世の収容所へ行かなければならない。

 あの世の入口で次のように尋ねられる。

「あなたは死ぬ覚悟ができていますか」「あなたは死に対する心の用意がありますか」、と。そして、自分が生きていた時のことをパノラマ映画のように見せられ、そしてまた聞かれる。「あなたは一生のうちに、人に見せられるような、なにかをやってきましたか」「あなたは生きていた時に、自分でこれはいいことをしたと満足できるなにかをやってきましたか」、と尋ねられる。

 そして、その後の二十八日間に死者は生前の魂の状態、心と行いによって天上界へ行くか地獄界へ行くかが決まる。先の二十一日間と、この二十八日間を加えた四十九日が、この由来の理由である。だから、この四十九日間は、死者が大事にしていた金銭財宝を処分したり、財産争い等の、あの世へ行った人の魂をゆさぶるような行動をとると、死んだ人の霊がゆさぶられ、一度はあの世の定住地へ行ってもすぐ地上の執着を持っていた場に引き戻され、自縛霊となって、生きている人々の間にいろいろな現象をひき起こす。このような理由によって、四十九日間は静かにしている方がよいのである。

 サテ、話を先へ進めよう。

 これまで説明したように、地獄の困りものの霊は、死んだらお墓に住むと思っているから、本当にお墓にいる。妻の病状回復を一心に願う夫が占術家を訪ね、そして子供達と一つになって力を合わせてお墓を綺麗にする。その時の光景が眼に浮かぶようである。一つに調和された家族の姿をまのあたりにした先祖の霊の心に一条の光がさす。 こうして、その晩、四十度近い原因不明の熱が出、翌朝まで続き、奥さんの手足が動くこととなったというわけ。二十年前に原因不明の筋無力症となり、原因不明の高熱とともに手足が動いた。このように、霊的な現象によって起った病気は、劇的な症状をともなって快癒するのである。こうして二十年間病床にあった奥さんと夫、そして子供達が手を取り合って嬉し泣きしたそうである。女性占術研究家は、「お墓を大事にしたことがこのように実証された。だからお墓などと軽く見てはいけない」と書いている。この記述にある通り、お墓をきれいにしたことによって病気が快復したことは事実である。この占術研究家の指摘される通り、お墓を綺麗に苔むしりをしたことを縁として病気が治癒した。その事実は事実として認めなければならない。この治り方が正しくて、この治り方は間違いであるということはない。治ったものは治ったのであり、「本当に良かった。一つの家族が救われることになった」と思った。

だが、全国の幾万という読者に対して著書を通して、「だからお墓をきれいにすれば不治の病も奇跡的に治るのだ」と〃大声〃されるとだまっている訳にはゆかないのである。このケースは今まで論説して来た通り、家族の一つに調和団結した姿が「愛」となって自らの家庭を救うことになったのであり、暗い家庭の中に一条の「光」を投じたのである。だからお墓をきれいにすることが奇跡を生むのではないのだ。そして、この項の終りに、女性占術研究家は次のように述べた。「私が知っている範囲で、不治の病、とんでもない災厄に見舞われたりする人の九十九パーセントが先祖を軽視している一家から出ています。たとえ、今現在なんともなくても将来かならずや大きな悩みを背負うことになります。(下 線はウエブ・マスター)とあるが、もうこれは真実を知らない読者への強迫、脅迫以外の何ものでもないのである。既存の、そして新興宗教のいつもの手ではないか。ある教団をやめた人がいると、そこの信者が、やめたその人との挨拶がわりに「あなた、最近なんともない?」と言うそうである。やめた後、あなたの体はどうもないかと言うことらしいが、わかり易く言えば「罰は当ってない?」ということなのだ。まったく同次元なのである。

著者は真実を知らない人に間違ったことを説き、脅迫する人を許せない。不治の病、とんでもない災厄は、すべて自らの生きざま、生活行為と、心のあり方に原因があったからである。 そのような一家だからこそ先祖を軽視することにも通じることになるのかもしれないが、「先祖供養」とは、お墓参りをしたり、お墓の掃除をすることではないのである。高橋師は、先祖供養とは家庭の調和、夫婦、一族の調和であり、アハハ、オホホと笑いの絶えない生活行為なのだと声を大にして説いた。それでは、「先祖供養」とは何か、高橋師の「ことば」より聞いてみよう。

 

「先祖供養とは何か」

 

 1)、「先祖供養というと、昔から仏とか、先祖の霊に物を供え、お経をあげることのように思われているが、本当はこれでは供養にならないのです。供養の意義は「先祖の霊よ安らかなれ」とする子孫の祈り心でなければならないからであります。物を上げ、それで、〃よし〃とする考えほど容易なものはない。私達が現在こうして肉体を持って生きていられること自体、それぞれの先祖が私達を生み育ててくれたからであり、それに対する感謝の心は、報恩となって形の上に現われてこなければ意味がありません。供養の意義はそれゆえに、まず家庭の和合、調和にあるといえるのです。人間の霊魂は、死という肉体機能の停止によって、あの世で生活をはじめます。世間の人は、肉体が灰となれば人の魂まで無に帰すと思っていますが、それは間違いです。永い習慣の中で、法事で物を供えることは、本来、気安めにすぎませんが、死ねば無になると思いながらも、物を供えるその心を確かめたことがあるでしょうか。

 家庭の和合、調和が先祖の最大の供養という意味は、あの世に帰った先祖の霊が、その子孫の家庭をたえず見守っており、もしも先祖の霊が地獄に堕ちて自分を失っていたとしても、子孫の調和ある家庭をながめることにより、己自身の不調和を改め、その霊をして昇天させる原動力となるからであります。子の幸せを思わぬ親はないはずです。しかも、その子が親より立派であり、家庭が円満に調和されていれば、親は子に励まされ、その子に恥ない自分になろうとするのは人情ではないでしょうか。あの世もこの世も、人の心に少しもかわりはないのです。生前の思念と行為ゆえに、人が地獄に堕ちれば文字通り苦界にあえぎます。類は類をもって集まるの喩で、その霊は自分と同じ思想、考えを持った人に助けを求め、いわゆる、憑依作用となって人の体、実際には意識に憑いてしまいます。すると憑かれたその人は、病気をしたり、自殺したり、精神病になったりしてしまいます。地上が調和されると、あの世の地獄も調和されます。あの世とこの世は、いわば相関関係にあって、個々別々に独立して存在するものではありません。先祖の供養というものは、このように、まず個々の家庭が調和されることであり、調和こそ最大の供養ということを知って頂きたいと思います。」

 

 2)、「先祖供養とは、過去世で修行した生命の兄弟たちに劣らぬ自分を磨くことである。それがまた、肉体先祖の供養にもつながる。時の流れにゆだね、今世の目的を忘れれば、天の配材を自ら汚すことになろう」

 3)、「今、仏教では先祖供養をやっています。先祖供養といっていくら経文をあげたところで、先祖は救われるものではないのです。生きている皆さんが先づ自己確立をし、家庭を円満にし、明るくすること、そしてお互いに信頼をし、そして愛の光によって満たされた時に先祖は皆、うかばれてゆくのです。難しい経文をあげることではなくて行為によってその事実は実証されてゆくのです。それ以外に先祖を救う道はありません。そして自分達の心が、きれいになり調和され明るい家庭が出来たならば、初めて、「先祖のみなさん、私達はお蔭さまで、このように平和に暮しております。これも先祖のみなさんがあればこそです。有難度うございました。もし先祖の皆さんのうち、地獄におちて暗い生活をしているとしたならば、その皆さんはよーく考えて下さい。地上界において生活をしておった時に、人を恨んだり、ねたんだり、そしったり、怒ったり、愚痴をこぼしたり、或いはまた、足ることを忘れ去った欲望のままに人生を送りませんでしたか、或いは人目を気にして虚栄の生活をいたしませんでしたか。もしそうであったならば、素直に皆さんは神に許しを乞うことです。皆さんは自らの心に嘘がつけますか。嘘のつけない心を、たとえ皆さんが地獄にいても持っているはずです。その嘘をつけない心で勇気を持って自分自身の罪、けがれを、全て神に詫びることなのです。あなた達は、その勇気が必要なのです。あなた達の足を引っ張り、天上の世界に返すまいとする霊もいるでしょう。しかし、それをふり切る勇気を持ち、あなた達自身の罪、けがれを清めなければいけません。よく振り返って自分自身の心の中を整理して下さい」とこのようにやった方が、お経の何千倍、何百倍も効くということです。難しいお経を上げてそれがわかるようなら地獄へなどおちません。」(一九七六年五月二日〜五日、富士みどりの休暇村における青年部研修会)

 

 4)、「肉体が自分だと思ったら大間違いです。第一自分の肉体が自分の思うようになりますか。肉体が自分なら病気もしない筈ではありませんか。病気をしたり、思うようにならないというのは、肉体は単に借り物にすぎない。魂の入れ物、乗り舟にすぎないからなのです。肉体はやがて、この現象界においてゆきます。肉体を焼けば、三合の灰に化してしまいます。あるいは、二酸化炭素に殆んど変ってしまいます。燐酸カルシウムというものに変って、大自然の中に分解してしまうのです。ところが、肉体を支配していた意識そのものは、次元の違ったあの世に帰ってゆきます。その時の自分の姿は、光子量に基づいた光子細胞という肉体をまとい、今度はあの世で生活するのです。その時、各人がこの現象界で、神仏を信じないでいた者は、ダイレクトに地獄に堕ちます。これは、各人が、自分を自分で裁いていくのです。あの世に特別な人がいて、あれこれ、指示するのではありません。各人の光子量が、その位置を決めるのです。」『天使の再来』

 

 5)、「肉体を頂いた事に対する感謝の心で、親孝行する事は当然の道です。それも出来ないような人々がたくさんおります。先祖を拝む前に一番大切な事は、健康であり、そして心が豊かであり、家庭の中がいつもオホホ、アハハと笑える生活の出来る環境を作る事です。その時、おのづから皆様の家庭の中には曇りがないために、神の光によって満たされ、平和な、調和された環境が作り出されて来るのです。それを拝み屋にきくと「お前の家の先祖の四代前がそのようにして、このようになった。この人が浮ばれていないから二十一日間一心に祈れば救われる」といいます。冗談じゃありません。地獄に堕ちる責任は、他人ではなく己自身の想念と行為にあったのです。心です。心の曇りがあるから、自分自身地獄に落ちて行くのです。こういう先祖に対して、わけの解らぬ「南無阿弥陀仏」を唱えたところで、あるいは「南無妙法蓮華経」を唱えたところで救われると思いますか。とんでもない事です。」 『高橋信次講演集』

 

 次に、「お墓」についての高橋師の「ことば」を聞いてみよう。

 

 「お墓」

 

 「皆様は、その丸い心を更に豊かにすると共に、神の身体である大宇宙の中の細胞の、ほんの小さな部分にしか過ぎないこの地球という場を、万物の霊長として、心と心の調和のとれた平和なユートピアにするという事が、生まれて来た目的と使命である事を知らなければなりません。それを歴史はいつのまにか先祖代々、これは俺の国だ、これは俺の土地だ、といって勝手に占拠してしまいました。占拠したところで、あの世に帰る時は何も持って行けないのです。それどころか、もしそれに執着を持ってしまえば、その場所は地獄界です。よく世の中には墓相というものがあって、お墓を作る時こういうお墓が良いんだとか、お墓の石塔の頭が欠けていると先祖がこうで残されている者はこうなるんだ、とかいろいろな事を言う人がおります。ところが、実はそれは金儲けのために、そういっているのです。執着を持っている人達はその場所を地獄界とします。長い歴史の中の習慣というものは恐ろしいものです。あの世へ帰っても、正しいという心の規準がないために、そういう世界で生活して地獄界を展開しております。お墓へ行きますと、地獄に落ちた霊達が墓から〃救って下さい〃と手を出している者や、首から上を出している者や、足を半分出している者達がたくさんいるのを見て来ます。それは皆自分自身が心の執着を持って、この世に対する去り難い心がそのような世界を展開しているのです。

大体が、お寺とか、神社とか、仏閣に執着を持って死んで行った人は、間違いなく地獄界です。本来は、次元の違った調和された世界に帰るのが本当の姿でありますのに、恨み、妬み、誹り、自分さえ良ければよい、あるいは自己保存、自我我欲という不調和な想念と行為によって、自らの手で偉大なる神の光を遮り、広く豊かな、丸い、大きな心をいびつにし、多くの苦みを作ってしまうからです。あの世の世界は、その人の心に比例した光の世界です。下の方の低次元の人々は、上の光の世界に行く事は出来ません。まず、イエス・キリストやモーゼたちが地獄界へ行ったら太陽と同じです。光で輝いて見ることが出来ません。皆様の中にも心の窓が開かれている人達が出てまいりますと、その姿をはっきりと確認する事が出来ます。あの世とこの世は〃ア〃と〃コ〃の違いで裏表です。遠いようで近いものです。何時でも違った世界から、各々の深い縁によって、お父さん、お母さんを選んで出て来ているのに、親不孝をし不調和な諸現象を作って苦しんでいる人達がいっぱいおります。」 『高橋信次講演集』

 

 同じく、高橋師の講演の中から引用する。

 

 「最近ではヒットラーとかスターリンが無間地獄に堕ちています。なぜ無間地獄に堕ちるのかと申しますと、恨みと妬み、そして人を殺したその恨み・第三者の恨みが晴れるまで彼等の意識を束縛してしまうのです。そのような人間は無間地獄に堕ちるのです。あるいはまた金、金といって金のことしか考えない人達は餓鬼界におちてゆきます。餓鬼界という世界は最もきびしいところです。食物もありません。全く骨と皮だらけの世界です。私は行ってみて本当に気の毒だと思いました。それから、皆様の心が怒る心、そして恨みの心 これは心の中で思っただけでも駄目です。その心は阿修羅界に通じていることを知らねばなりません。そして私達はその恨みの心が阿修羅界に通じていることをはっきりと現証にて確認することができます。それですから、皆様は夜夢でとんでもないところへ行ってビックリすることがあるでしょう。そんな夢を見た時には必ずその前の日、皆さま自身の心の中に不調和な現象があったからです。こんな体験がありました。過日、私が家を建てるために、古い家を壊しかけました。その家は今の天皇陛下(昭和天皇)がたまたまこられて、そこでお神楽をご覧になった場所で、伊藤博文の書だとか額だとかいろいろ掛っています。非常に古くから代々続いている古い家だものですから、土蔵を壊し始めたところがいっぱい霊がいました。彼等はいうんです。「あなたは一体誰だ、私は何代前のこういう者だ。俺の家を勝手に壊しては困る」そこで私は「子孫が繁栄するのを望んでいるのなら、あなた達はなぜそんなことに執着を持つのです。あなた達はこの地球上に住むべきではないのだ。執着をはなれて天上界の光の国へ帰りなさい」と話してやりましたら「そんな国なんかありゃしないさ」と彼等はそう答えました。死ぬ前にそんな執着を持っているから自分が反省する機会を失っているんです。

そのうち一人の工員が怪我をしましたのでこれはおかしいと思ったところが、後の方に、有象無象たくさんいます。そこで私が「先祖代々の諸霊よ、あなた達はこの地球上に執着を持ってはいけません。あなた達は良く聞きなさい。あなた達はこの地球上に執着を持ってはいけません。なぜあなた達が地球上に執着を持っているのかそれを良く教えてやろう」ところが、彼等に地獄へ堕ちても九〇パーセントの表面意識ですから、すぐ私達の光は解ってしまいます。そこでコンコンと話をしたところ、「ああ、俺達はやはり死んでいるんだ。この家に未練を持って子孫と話をしようとしても、あなた以外には話はできなかった。申し訳なかった」と言いました。それも五代、十代、二十代と古くなるほど本当に解りません。こういう連中が地獄に堕ちているのです。彼等はお墓やお寺が自分の世界だと思っているので、それも地獄なのです。こういう世界に執着がある彼等は、本当に全てを捨て切ってあの世の天上界に帰らなければいけません。その地獄に堕ちるには堕ちるだけの理由があります。そしてそう裁くのも自分自身なのです。閻魔大王が側にいてお前はこんな悪いことをしたから地獄だとは、とんでもない話です。皆さま自身の心は絶対に自分には嘘をつけないはずです。この嘘をつけぬ善なる己自身の魂が自分を裁くのです。           

 私はこういう質問をうけました。家のおじいちゃんはお墓がないのです。大きな石塔をお金があるから作ってやりたい。ああそうか、おじいちゃんの名前はなんという、年は、と聞きました。ところが、名前というのはインドの時代も目連という名前が沢山ありました。また迦葉というのもそうですが、そのため大・中・小といろいろ区別した名前にしたのですが、日本の場合も小林太郎といったら何百人もいます。先祖代々でなくとも、肉体的血縁がなくともあの世から呼び出されればここへ来なければならぬのです。だから、皆さんが自分の先祖を先祖代々と呼ぶと本当に来るのです。ただし心がないと地獄霊だとか、おかしなものが来ます。ところがこのおじいちゃんは天上界に出ている人でしたから、「お墓をつくるのはいかん。金が掛かるから。もっとかわいそうな人達にその金を貸してやれ」といわれるのです。その方は墓をつくるかわりに喜捨をされました。

 もう一つの実例があります。ある化粧品の大きなメーカーの社長で、その方は非常に立派な方で幼少から天理教に帰依していました。ところが忙しくてそのうち天理教はやめましたが、その神理の中から立派にこの道を弁(わきま)えています。七十で亡くなられました。約五百人いる従業員が、どうしても社長の銅像を建てたいといって私のところへ尋ねてきました。その亡くなられた社長があの世から出て来ていろいろ話きいてみましたところ「お前達がいつか経済的に不況のために会社が困ることもあるかもわからない。銅像を建てる金があったら、その時の資金にとっておきなさい。銅像など建てる必要はない」とその社長がいわれたそうです。実はこのことを亡くなられる三日前にも同じことをいわれたそうです。そこで、たまたまある人を介してそこの会社の役員達が従業員の希望と前社長の遺志とをどう考えたら良いか判断に迷って私のところへ相談に来られたのです。ところがこの社長は大したものです。「私達は地球上で生活している時よりももっと良い環境で生活している。地球上に思い残すことは何もない。だから、多額のお金で銅像をつくるなどその必要は全くない。会社の多くの店舗の中で、もし一つでもうまくいかなくなった時、その救済のための資金として残しておくように」と言われました。

死んでも欲しがるのは地獄霊ですが、毎晩ご飯を供えてくれなければ、先祖はひもじいのだなどと言ってくるのは地獄霊です。余談ですが、あの世にもこの地球の食糧とは違いますが食事はあるのです。ですから、まず皆さん自身が、家の先祖の皆さんに、「私は皆さんの姿を見ることはできない しかし、そのうち調和されて心がきれいになれば皆さんの姿も見えて参りましょう」こうして先祖の生きて居られた時のことを思い出して、もし間違いがあったら、ああです、こうですといって説明してあげてご覧なさい。それにはまず一番大事なことは、家の中を平和にすること、そして心にわだかまりがなく夫婦調和し、調和のとれた平和な家庭をつくること それが本当の先祖への供養なのです。皆さんは自分の子供が不幸になることを望みますか? 望まないと思います。これと同じように、お爺さん、お婆さん、また、もっと以前の先祖も残された子孫が不幸になることは絶対に望まないはずです。

ちょうど関西歌舞伎で東京から来ている俳優が昨日私のところに参りまして「先生、私は今仏壇の御供養のために大変なのです。私達の食事よりも多くの迷っている霊のために食事を供養することが大変です。実は足が不自由になっているのでなんとか先祖を供養してと思っているのですが…」というので私は霊視で「あなたは憑依されている、あなたは先祖を拝めば救われると思っているが、実は自分の関節までだめにしかかっているではないか。食事が欲しいなどという先祖はないはず。先祖供養を考え違いしてはなりません。悪い関節はすぐ治してあげましょう」とよく話しをし、光を与えました。現在元気で大阪公演中です。このように私達は先祖にはまず感謝し、家の中を明るくすること これが一番の先祖供養です。それを忘れて家の中などかまわずに、ただ先祖様にだけ好物をいくら御供えしても、これは本当の信仰とはいえません。私達は肉体を頂いたことを感謝する心と行為を現わすには体を丈夫にすることです。そうして同時に心をきれいにすることです。こうなると自然と家の中は明るくなり、経済的にも安定して参ります。これは八正道の正業すなわち正しく一生懸命に仕事をするから当然の結果です。こうして自分の家が平和になったら、今度は隣近所の人々に愛と慈悲を分かち合う そして調和を作っていく、これが本当の神理です。

 

 先を続けよう。

 女性占術家に相談に行かれ、彼女のアドバイスでお墓を掃除された。その結果、永年、病床にあった金満家の奥さんの体が治った。 劇的な症状とともに快癒された。ウエブ・マスターも、一つの家族が救われたという喜びで一杯である。一家の主婦が二十年間も寝込むという永い暗い日々であったろう。奥さんが、主人が、そして子供達が二十年間の病気を通して、自分達をじっと見詰めることとなった。反省となった。そして、今救われたのである。それは、この現象界(この世)でのまたとない修行となったのである。これから残された大切な人生を、明るく調和された対話のある楽しい家庭を築いて欲しいのである。そして、大富豪という環境の中で、人には思いやりと慈愛の心を持ち、今世は金持ちという環境の中で、魂を磨くのだという使命と役割をしっかりと考えて欲しいのである。そして、オホホ、アハハと笑の絶えない明るい家庭には病気も災害もなく、たとえそこに暗い霊がいても霊的現象など起らないのだということを知って欲しいのである。そして、明るく調和された姿を見て暗い霊も昇天するのだということを悟って欲しいのである。

 次の項の、「先祖を大切にする人は、現在が充実し、現在の充実は未来の希望を生み出す」で、女性占術研究家は因果応報、という言葉を通して前向きの姿勢で「いい因」を積んでいかねばならないと説かれ、いい因をつくるためには先祖供養をしなければならないと説かれ「先祖のまつり方」の前編ともいうべき項を終えた。高橋師は「因縁の法」を善因善果、善い原因は良い結果をつくる。また、その反対に悪因悪果、悪い原因は悪い結果を生むというわかりやすい言葉で説明した。彼女は「良い因をつくるためには先祖供養をすることだ」と説かれたが、良い因、つまり善因とは果たして先祖供養をすることだろうか。否、である。既存の宗教、新興宗教のすべてが、彼女が言うような〃幸福になるためには先祖供養を!〃という説き方をするが、この間違いも高橋師は声を大にして修正を求めたのである。幸福になるためには良い因をつくらなければならない。それは正しい。良い因とは「正法」の道、正道を歩くことを言うのである。正法とは八正道にかなった生活を通して人に慈愛を施し、神の心にかなった生き方を言うのである。八正道とは、八つの正しい道、八つの正しい心のあり方、生き方を説いたものである。

@「正見」とは、常に第三者の立場に立って自我の思いを捨て、正しく見る努力をする。

A「正思」とは、慈悲と愛からの思い。

B「正語」とは、心に愛があれば言葉以前の言葉が相手に伝わり、こちらの意思が正しく伝わってゆく。

C「正業」とは、正しく仕事をする。仕事とは愛の行為である。

D「正命」とは正しく生活をすること。正しい生活とは右にも左にも片寄らない中道にある。

E「正進」とは、正しく人と調和する。

F「正念」とは正しい目的意識を持つこと。

G「正定」とは、正しく反省、禅定する。

これらの八つの正しい人間の歩く道、生きる道の八正道にかなった生き方、人生のあり方をすることが、善い因をつくるということである。高橋師はこれ以上でも、これ以下でもない八つの正しい道を歩くことであると人類に説示したのである。二千五百年前の古代インドの釈迦も同じ八正道をお説きになったのである。このように、善い因をつくるということは決して、先祖供養をするということでなく、正しく生きるということなのである。この「正しく生きる」ということの正しい規範は、八正道を行ずる(実践する)ことだと高橋師は声を大にして説いたのである。繰り返し言うが、先祖に対する感謝は報恩となって人に対して慈悲と愛の道を顕現すること、実践することなのだ。決してお経をあげたり、お茶や食べ物を仏壇やお墓に供えたりすることではないのである。残念ながら、永い風習の中に間違ったものになってしまった。

 次に進む。

「二章 運命を開くお墓の建て方」「三章 運命を開くお墓の守り方」「四章 運命を開くお墓参りの仕方」以上のように二章から四章まで五十四項目に分け、お墓の建て方から守り方、お墓参りの仕方等を微にいり細にいり解説されている。先づ最初に、そもそもお墓というのは何んなのかと言うと、この世で酷使しこわれた肉体、亡骸を捨てるところである。

人間はこの世かぎりと思えばこそ、この世に執着したり、この世に想いを残すのである。同じく肉体や遺骨に心を残すことになる。なぜなら、お墓はこわれた肉体の捨てどころと申し上げたが、このような言葉を使うことにさえ抵抗を覚える人がほとんどではないかと思う。それはもう執着なのだ。もしあなたが、あの世で暮らすもう一つの体があると心から信じていれば、亡骸はどう処理されても一向に平気なはずである。現に、私達は魚や鶏、牛、豚などの動物や、植物、鉱物を食糧にするが、もしこれらの生きものが、彼等の肉体、からだに執着したらどうなるのだろう。魚や牛肉を食べて霊的な障りがあったら、私達はなんにも食べることができず、肉体の保存さえ不可能になるが、実際にはそんなことはない。だから、彼等に感謝しなければならない理由がここにもある。人間と同じように動物も植物も鉱物も霊魂はあるのだ。だが、執着もせず、人間の血や肉になってくれるのである。ここで言う、動物や植物や鉱物に感謝するとは、粗末にしないということ。足ることを知って、むやみに殺戮しないことを意味する。

 こうして、人間はこの世限りではなく魂は永遠不滅だということを悟って、いさぎよくこわれた肉体をぬぎすてて「あの世」に帰らなければならないのである。魂の抜け殻である肉体は、土葬されようと、火葬にされようと、外国で行われているような鳥葬、水葬で処理されようとも執着してはならないのである。現代日本では、法律によって火葬以外は認められていないので、空中散布やその他の方法では、出来る相談ではない。このようにして、日本では火葬された後に残った遺骨を骨壷などに入れてお墓に安置することになる。永い間の風習から、肉体が全てだ信じている人達は、故人の遺骨がお墓などに納められるのを見て、死んだらあのようにお墓に永眠するのだと思ってきた。

しかし永眠などということはないのである。この世を去ったら、光子体というあの世の〃からだ〃で暮すことになる。ところが、このように間違ったものになったのである。お坊さん達もまた、そのように説いて来た。高橋師は間違ってしまった永い習慣を、厳しく修正を求めたのである。そのために高橋師は、霊魂は永遠だということを示すために「転生輪廻」、生まれ変わり、死に変わりして魂の修行をするという証明として、過去世で生きていた当時に使っていた言葉を語らせて見せたのだ。これを高橋師は「霊道現証」として講演の度に大勢の聴衆者の前で公開したのである。ところが現実は、自分はお墓の中で過ごすのだと信じて、この世を去った人の何んと多いことか。そのように信じて死んでいった人は、「心のままの世界」、つまり信じたままに本当にお墓にいることになるのである。

 ところで、ウエブ・マスターは二十歳の頃、父の命によって、遠くにある先祖代々のお墓を移動させる手伝いをしたことがある。数百坪の墓地からボロボロになった刀などが出て来たが、大学の長期休暇の時期に、何日も父の運転手として協力したのである。その時の父の話し振りからすると、元気な内に自分の安住の墓を、家の近くに移転させておきたかったように思えるのだ。それから二十年近くして父は亡くなるが、今にして思うとお墓の中に永眠するのだと信じていたように思うのだ。そのように考えるのは父ばかりではなかったろうが、「正法」に帰依し、勉強するようになってからは、お墓の掃除に行くたびに、生きている人に話しかけるように語りかけるのだ。

「お父さん、亡くなったらお墓の中にいるのだと信じておられたかもしれませんが、それは間違いだそうです。この世に生きておられた時の一つ一つを思い出され、もし反省することがありましたら、修正して神に詫び天上界へ帰って下さい。僕には、お父さんが、どこにいらっしゃるのかわかりませんので、このようなことを申しておりますが、間違っていたら許して下さい」、というようなことを話し掛けるように言って、高橋師の示された「心行」を読み上げてお墓をきれいに掃除して帰ることにしている。勿論、先祖代々の墓だから、先祖の皆さんにも同じようなこと言うのである。このように肉体を持つことができたのも、先祖の皆様のおかげだから、感謝することは当然なこと。お墓掃除は、先祖により、そして父により残されたお墓だから、草ぼうぼう荒れ放題では美観も悪いし、余りにも無責任だから、残ったものの責任として年に数回お掃除をするわけである。勿論、普通に行われるように、お花と線香をあげるが、きれいになったお墓に花が飾ってあれば、我々の目からも美しく良いもの。そして、線香はブヨや蚊を追い払うのに都合が良いし、香りも嫌いではないからである。それでは、線香について高橋師の「ことば」より要約しよう。                            

                                 

  〈なぜ、線香が使われるようになったか〉

 

 「お釈迦様の時代、当時の比丘、比丘尼達は精舎(勉強所、道場)で共同生活する中で大変に臭かったものだ。インドの当時は今のような石鹸がある訳でもなく、あえて石鹸と言うならば、日本のツバキの葉のようなものを石で叩き、身体に塗って洗ったものだが、匂を消すために、〃せんだん〃の香を燃やしたものだ。それが後の世になると線香をあげることになった」と、高橋師は明らかにした。             

確かに死体を安置している時、死臭を消すのには効果があるが、あの世の霊が喜ぶとか、霊の世界に関係があるものではなかったのである。ある炭鉱町の、落盤事故で数百人の死者が出たそうである。知り合いが、死体の安置されている部屋で寝ずの番をすることになった。夏のことで、それはそれは大変なニオイだったそうである。薬局から、あらゆる消毒薬、ニオイ消し、スプレー等を使ってみたが、一向にニオイは消えなかった。線香ならばと、あるったけの線香を燃やしたら、ニオイがピタリと止ったという話を思い出す。最近では日航の墜落事故で五百人程の人が亡くなったことがある。身許確認のために従事した医者の言葉の中にも、このような線香の話しは記憶に新しいが、数百人分の死臭が線香の香りで止まるという程だから、その効用たるや相当なものだろう。線香はもともと体臭消しだったとお分かりいただけたろう。それではローソクは何か、どういう意味があるのか述べたい。

    <ローソクの意味は>

釈迦が説法をするときは、衆生が仕事も終わり、暑さもしのぎ易い夜が選ばれた。日中は、釈迦教団のマイトレーヤーなどの女性教員が鐘、太鼓をたたいて「今夜、どこそこでお釈迦さまの説教があります」と触れ回って人を集めた。説教が始まると、明かりとして火が燃やされるが、これは菜種油だったと信次師は明かしている。説教が終わると、焼け焦がれた夏虫たちの供養が常だったようだが、ローソクの由来は、説教のための明かりだったのである。そして、「法灯」を消すなということを、油の火やローソクを消さないということに間違ってしまったのである。

法灯を消さないという意味を説明するとこうだ。心の光明を消さないということ。現代のように正しさの価値基準が物質やお金で計られ、エイズ等の性の退廃、環境汚染、家庭や社会の混乱は、世紀末現象と言われるまでにクローズアップされている。正しさの基準を見失ってしまった時代を「末法の時代」と言うが、人類の風潮が流されこうならないようにせよという意味である。こういう時代になると、それに符号したように、示し合わせたように、覚者である如来が生誕して法を説き、神理の種を蒔いて、また、あの世へ戻るのだ。高橋信次師が正にそうだった。如来とは「来るが如し」と書くが、自由自在にそのときに合わせて法・神理を説く最高段階の覚者である。法灯を消すなということは、このような世紀末現象の時代にならないように、心の光明を、正しさの価値基準を消さないということである。

ところが現代では、あの世を照らすためにロ−ソクをあげろ、洋ロ−ソクじゃだめだ、和ロ−ソクが良いとか、この宗派はこの型のロ−ソクをあげろ、そして中には蛍光灯の方があの世を照らすには良いとか、大変にぎやかなこと。自分達の都合のよい環境を整えるために、勝手な解釈をして理由づける。このことがいつの間にか、灯明は葬式に欠かせない習慣となり、祭壇には 必ずローソクなり、灯明がともされることになった。灯明に意味づけようとすれば、いくらでも理屈はつけられるが、仏教の灯明の始まりは、このように、もともと単純素朴なものだったのだ。   

                                 

  <水や塩について>                      

                                 

 また、水や塩についても、水は汚れを洗い流してくれようし、塩は調和の結晶であるので、だんだんと仏教の中に入れられてきたようである。また「水」や「塩」については、次のように高橋師は説明した。                                 

「水」については、

「酸素と水素は、どちらも極端に火に燃えやすい。この燃えやすい酸素と水素が結合すると、火を消す水となる。      

      2H(酸素)+O(水素)=2HO(水)                      

                                 

「塩」については、

「強酸である塩酸(HCL)と強アルカリであるカ性ソーダ(NaOH)が混ぜ合わされると

      HCL(塩酸)+NaOH(苛性ソーダ)→NaCL(塩)H2O(水)              

 このように「水」と「塩」が出来る。御存知のように、塩酸と苛性ソーダは、どちらも骨を溶かすほどの劇薬で、この二つが結合すると、安定した水と塩になる。このように、酸と塩基の両極端のものが、両極を捨てて真に中和された中道の姿となった時、最も安定し調和された「水」と「塩」になるのである。人間は水と塩がなくては生きて行けない。物質をボロボロに破壊してしまうほどの塩酸と水酸化ナトリウムが、最も安定した水と塩になる。これは正に、調和された中道の姿を示すのである。この物質の法則は何を教えているのかと言うと、極端から極端はいけない。中道でなければいけないということを教えているのだ。お祓いに、水と塩を使うのは、神の道は中道である。中道に立てば一切の不浄、争いは消えて調和するということを教えている。自然の教示以外の何ものでもないのである。

 

  〈手を合わせる合掌の由来〉

 

『心行』の一節に、「苦楽の両極を捨て中道に入り、自己保存、自我我欲の煩悩を捨てるべし」、とあるが、神仏に手を合わせる合掌の姿は、右と左の両極端の手を真中で合わせるという中道の姿なのである。

高橋師の記述から                   

 「合掌は、右にも左にも偏らない調和を意味し、それは、中道を示しているのである。つまり、合掌とは、自分自身が左右に偏らない生活を、自分で、自分に誓うものである。題目をあげる場合も、合掌をしながらあげるが、題目をいくらあげても、心の安らぎは得られない。心の安らぎは、自らが調和した中道の生活を行なう中から生まれてくる。愚痴や怒りや、足ることを忘れた欲望の両極端の思念と行為からは生まれてこない。にもかかわらず、人々は調和の心とは縁遠い偏った思いや行為をしながら、題目や合掌をしている。これでは、いくら経っても、自分自身の生活は調和されない。」          

                                 

 これまで間違って伝えられた習慣の由来について述べた。もうおわかりのように、人が亡くなったらお墓や仏壇の中にいるのではないのである。そう考えると、亡骸を捨てるはずのお墓に、「お墓の建て方」、「守り方」、「お参りの仕方」等と、理由をつける方がおかしいと気付くはずだ。「天動説」を間違ったまま信じて来たように、お墓も誰が間違っていないと言えるだろうか。これこそ、非科学的と言わざるを得ない。本来、宗教は立派な科学である。科学と相反しないのだ。高橋師にアインシュタインが霊的通信で霊示を与えるが、真の宗教は科学である。今までに伝えられた日本仏教は、永い間に歪められた非科学的な学問に過ぎなかった。しかし、これも高橋師は厳しく修正を求めたのだ。このような論点に立って、女性占術家の論旨を列記してみる。

                                 

 o お墓は住んでいる近くで静かな、住いから見て西または北西で、住んでいるところから遠いなら移しかえる。

 o 新しく墓地を買ってお墓を建てる時、墓地全体の土を入れ換える。整地をきちんとする。

 o 墓地のまわりに門をつけない。墓地の中をコンクリートで固めない。分相応な大きな墓はつくらない。他の墓との境界線をはっきりさせておく。午前中に日光の当たる場所に建てる。相続は長男が一番いい。

 o 墓石の材質は硬くて丈夫なもの。色は白が一番良い。重さは六十キロから八十キロ位のもの。奇をてらったお墓は凶運を招く。お墓にキズがついていると不幸を招く。

 o 会社墓をつくると社業が大いに繁栄する。故人の実印はお墓に納めたがいい。ロッカー形式のお墓は子孫が喘息で苦しむ。

                                 

また、次のような事も書かれている。

 お墓参りをすると功徳がある。線香や花、お灯明をあげる。墓石を水で清める。写経を納めてあげると故人が成仏間違いなし。お墓参りは一人で行くより家族総出で。お墓参りは命日、お盆、お彼岸にこだわらず出来るだけ多く行く。お墓をつくったら次に仏壇をまつる。仏壇は人が多く集まる場所に、東、南、東南に安置する。いつも扉をあけ陰気にならないように。仏壇の値段は月収の三〜五倍程度。石の材質、陽当り、境界、相続、お墓参りの仕方、仏壇のまつり方などが書かれている。

昭和五十年(亡くなる一年前)の関西新年講演会の中で、高橋師が「このままいったら日本はお墓だらけになります」という講演がある。お聞き下さい。                        

 

 「鳥や或いは草木をご覧なさい。彼等は足ることを知っています。自分自身が、これだけのエサを、そして今日一日を精一杯生きています。人間は自分のフトコロが一杯になればなるほど強欲になり、自分さえよければいいというお金や或いは地位の奴隷になってしまいます。人間は、そのような奴隷になるべき小さなものではないのです。あくまでも、経済や物質は大いに、人類がより豊かな環境と、より豊かな心をつくるための道具に過ぎないのです。決して冥土の沙汰は金次第という馬鹿げたことではありません。銭なんか一銭も無くったって、あの世に還られるのです。我々の肉体は自然に風化してしまいます。それを、永い歴史は執着を持たせるようにつくって、自から墓穴にはいるんです。憐れなものです。もし今までの従来のものが正しいなら、今から五百年、千年過ったらみなお墓だらけです。そのようになったらどういうことになるんですか。我々の肉体は自然にかえし、そして子孫の為に、そして我々自身のよりよい環境をつくるための、我々は提供者でなければならないはずです。こうして執着というものは恐ろしいものです。自分自身というものが皆、神の子であり同じなんだ、人類みな兄弟なんだ。人間は生まれて来たところの環境とか教育、思想、習慣、魂をより豊かにする修業の場なんだ。これを自分がしっかり知って人生を歩んだ時に、道は自から開かれていくのです。」

 

以前から、大規模墓地の造成ニュースをよく聞く。このままでは墓場だらけで、快適に暮らすスペースさえなくなる。日本は国土も狭く地価も高い。その上に宗教家達が「お墓をつくり先祖を大事にする者は幸福になれる」と説くものだから、こぞって競い合う。お墓をつくることで「よし」とする心を考えたことがあるだろうか。日本中をお墓だらけにして、いざ、お墓を壊して再利用しょうとしても、お墓の執着霊が「オレの住いをなんとする」と、一斉に反発して工事現場で事故が多発する。建てたマンションには幽霊が出たなんて多い話し。その霊達にお経をあげ、お払いをしても、今のあなたがお経の意味もわからないように、あの世の霊とてわかるはずはない。もし、今のあなたがものわかりの悪い、片意地な頑固者なら、それを修正し納得させる為には、何度も何度も説得し、分かってもらう以外に道はないのだ。あの世の霊とて同じで、心からの愛の言葉で説得、説明する以外にないではないか。まさに、愛こそは地上を照らす光なのだ。こう、高橋師は声を大にして修正を求めたのである。    

 サテ、たとえ墓地の上に建てられた家でも、たとえ、地獄の霊が執着していても、そこに住む人が仲良く調和され、明るい生活が営まれているなら、どんな霊がいても、その家庭を乱すことも出来ないし、困った現象も起きない。なぜなら、暗い霊の波長と、明るい家庭の明るい雰囲気は相反するものであり、光りは闇を消し、暗い霊は明るい家庭の雰囲気を見習い、反省をして執着を解くチヤンスになるからである。その反対に困った現象が起こっている家庭があれば、暗い霊と暗い家庭の雰囲気がピッタリ合って、困った現象が起こるといえる。もし、あなたの囲りにその霊的現象が出ているなら、先づ、夫婦は仲良く調和されているか、明るく、話し合いの出来る家庭であるか、笑いの絶えない楽しい家族かどうかも、一つの判断の規準になる。残念にも不調和な家庭なら、皆んなで協力して明るい家庭をつくるよう努力すべきである。それには一円のお金もかからない。                            

それでは仏壇について話しを進めよう。女性占術家は仏壇の値段は月収の三〜五倍だとおっしゃっている。この説によれば、月収30万の人は90万〜150万程度の仏壇となろう。そして、その周辺も「何回も買換えるものではないのだから」とか、「大事な先祖をおまつりするのですから」とか、たくみに売込むのである。かって、ウエブ・マスターも〃仏壇博〃なるものを見学した。それはそれは美術工芸の極致といえる程に素晴らしい出来栄えのものもあって、値段を一ケタ間違えるところだった。          

仏壇について高橋信次師の「ことば」を聞いてみる。

 

  〈仏壇〉                           

                                 

 「実際問題として、仏壇の中に祖先の霊がいるようでは困ります。浮かばれておれば、そこにはいません。いないとすれば、手を合わせ供養するというのもなにかそらぞらしいですね。また、祖先の霊が仏壇の周囲にいるとすれば、これは困った現象ですし、いつまでもそこにおられては子孫にとっても迷惑至極です。供養のあり方は、そのいずれにせよ、仏壇に手を合わせ線香をともすことではなく、家庭の中が笑顔で健康で、明るく調和されることであり、祖先の霊はそれをいちばん望んでいるはずです。こうした意味で、仏壇の必要性はこの点をよく理解されれば、おわかり願えると思いますが、しかし、これまでの日本の習慣として家に仏壇が置かれ、法事やなにかという時に、親戚、知人が集まってきても仏壇がないとなりますと、お互いが気まずい思いをしたり、争いになるようではこれまた困ったものです。すでに仏壇があって、これまで通りの習慣で朝、晩、水をあげたり、手を合わせたりしている家庭にあっては、これを急にやめたり、仏壇を焼いたりしては家の中が混乱するでしょう。家中が供養のあり方はこうあるべきだとみんなが理解し、親戚の人達にもわかってもらえば、それはそれでいいのですが、家の者が反対するのに、自分だけの一存で事を決めるのはどうかと思います。要は、こうした習慣に自分の心まで染まることのないようにすることが大事であり、またそうした心で日常生活の伝統とか、習慣にしたがいながら生きていくのが正法者のあり方です。なんでも善いことだからといって、周囲の反対を押し切り、むりやりにことを決めると、その反作用がやってきて、あなたを苦しめ周囲まで不調和にします。正法と社会の法なり、習慣や伝統は必ずしも一致しませんが、こうしたズレについてはやはり時間をかけて修正してゆくようにしてください。要は周囲の状況をみながら対処していくということです。」 

                                 

これは、仏壇についての「ことば」である。高橋師は、仏壇の意義を説くと共にやんわりと修正し、急激に変換されることの是非と、対応する方法を示した。人類を導き正す人の心を見た思いがする。急激な転換・修正は反作用となり周囲を混乱させるもとになる。しかし、いつかは完全に修正されなければならない。周囲の同意があれば急激な変化も可能でも、そうでないものは時間をかけてということであり、いつまでも許されるはずはないのである。仏壇は宗派によって、器具も、並べ方も違うようである。ウエブ・マスターが二十年位前に体験した話しである。           

ある日突然、仏壇が変わっていたという〃おはなし〃である。知人の宗派は浄土真宗だった。知人の学生時代の友人に、熱心な創価学会員がいて、ある日、数人の学会員と共に訪ね、言葉たくみに専用の仏壇と既存の仏壇を入れ換えたのだそうである。この転末は、地区の学会に厳重な申し入れで、お詫びとともに現状に復くされたのだ。その創価学会専用の仏壇を見たが、ローソクも形が普通と違うことを初めて知ったのである。

 

  〈お墓、仏壇、数珠、葬式仏教の歴史的背景〉

 

 飛鳥・奈良時代の仏教伝来からはじまり、この流れの中で祖師仏教(法然、親鸞、道元、日蓮)が生まれた。これら中世までの仏教は、貴族、武士と一部の町民の有力者だけのもので、江戸時代になり、徳川幕府が政策の都合の為に「檀家制度」がつくられる。                       

この檀家制度は、徳川幕府がキリスト教禁止令を出し、鎖国政策をとる上で、キリシタン摘発のために踏み絵を断行、どこかの門徒にならなければならないという宗門改めを制定する。寺請、宗旨門人制度をつくり、宗門改めによる寺請制度が檀家制度である。宗派、生国、年齢、名前、人数、男女数等を末寺から本山に集められ、寺が今で言う戸籍係となり、門徒の統制をさせる代償として寺領を与えた。このようにして寺の経営は安定することになる。また、その頃に出した徳川幕府の覚え書きにはこう書かれている。

「常々、寺にお参りし、いつも付け届けをして、数珠などを持ち、父母の命日にもお参りし、また家には仏壇などを備え、線香や花をあげよ。これに反したものは、ころびキリシタンとして処刑する」という意味の「ころびきりしたん摘発の条件、覚え」が出されたのだ。

 

  〈数珠は計算器であった〉

 

 数珠はもともと、ものを数える計算器だった。数珠は、お墓参りやお葬式に使うものだと、機会がなければ、しみじみとご覧になったこともないと思うが、五つ玉のソロバンを連続させた形である。数珠によって数をかぞえ、お百度の数の記録、念仏をあげた回数を計算するのに便利だったに違いない。人が一列に並んでいるのを〃数珠つなぎ〃と表現をするが、数珠はもともと計算器で、霊の世界とは無縁だったわけである。科学文明の発達した現代においてすら、永い伝統と習慣の中にあっては、「なぜ?」「どうして?」、という追求をなおざりにするのは、そこに、宗教は非科学だとする風潮が原因なのかもしれない。納得のいかないものは信じてはならないのである。「なぜ、どうしてと追求して納得できたら信じなさい」と、高橋師は声を大にされたのだ。   

長々と細○氏の項を述べたが、ここでは仏教の「いわれ」の真実と間違いををマトメるために、氏の著書を利用させていただいたに過ぎない。断っておきたいが高橋師は彼女のことには一言も触れてはいない。

 

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   WB01584_.gif (2068 バイト)                「空海」(弘法大師

 

 平安前期の僧。高野山に金剛峰寺を建て、真言宗を広めた。最澄とともに八〇四年に唐に渡り、真言密教を学んだ。八〇六年に帰国して八一六年、紀伊(和歌山県)の高野山に金剛峰寺を建て、真言宗を広めた。八二三年には嵯峨天皇から東寺をあたえられ、そこに「綜芸種智院」という庶民のための学校をつくった。そして詩文では「性霊集」という漢詩をつくり、書では嵯峨天皇、橘逸勢とともに〃三筆〃と呼ばれるほどすぐれていた。

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空海(高野山金剛峯寺蔵)

 

   高橋師の記述の中から                               

 「空海の古代インドの時代は、釈迦に竹林精舎を寄進されたガランダ長者という方である。空海は心眼を持っており、病人に憑く憑依霊が良くわかったために加持祈祷をした。そして『般若心経秘鍵』の中に、『私はインドの当時、リヨジュセンで釈迦の説法を聞いたことがある』と書き残され、過去世の時代を思い出していた。」                                 

  園頭広周師の記述の中から                              

 「空海は日本から渡って行った当初、西の門近くの西明寺を宿舎としていられたが、のちに南の方の青竜寺に移られ、そうして恵果和尚に密教を習われる。恵果和尚の師はインドから来られた不空三蔵で、恵果和尚はその一番弟子であった。不空三蔵はお釈迦様の分身である。高橋信次先生がよく憑依霊、動物霊を除去される時には『不空三蔵、この霊を連れて行きなさい』といっておられた。空海即ち弘法大師が修行された中で最も大事なのは『即身成仏』である。即身成仏即ちこの身このまま仏であるとの自覚は『宇宙即我』である。その『宇宙即我』の相を現わしたのが『曼陀羅』であるが、今は高野山ではその真義が見失われてしまっている。」

  高橋師の講演の中から。

「ここに高野山の研修会での事を二、三お話します。一体此処はどこだろう?と私が思いますと、ハイハイとお坊様が出て来ます。そして蓮生坊でございますという。さらにたずねて貴方は誰ですかと聞きますと、熊谷真実でございますという。それではお寺が有るのかなあと聞くと、其処に熊谷寺がありますと解る訳ですね。弘法大師も当時の事を語ってくれます。だから本当に歴史には正しい面もあるけれども、後世の人達が大分書き加えている事がはっきりするのです。当時に弘法大師・空海が中国に行った模様を私は聞きました。それによると、四隻の舟をともなって一番先端には最澄が乗船し、藤原一族も中国大使として乗船した。そのうち筑紫から出て間もなく大風が吹き、纜(ともずな)が切れてしまい、四隻の船はバラバラになってしまった。

最澄の方は帰ってから解ったのですが、揚子江の下流上海という所へ着き、私達は今でいう台湾海峡からアモイの近く、福建省へ流されましたという。このように当時の模様をくわしく教えてくれます。そうすると私は本当か嘘か今度はいろいろと調べ始めます。たまたま弘法様の所ですから、彼等の金剛峰寺へ行って伝記物の本を買ってくると大分嘘がある。第一船団に空海が乗船と書いてある。それならと比叡山延暦寺を調べると、第一船団には最澄だと書いてある。その当時最澄は三十七才だと言っております。このように歴史はいろいろと坊主たちの、自分の都合の良いように作成したのです。弘法大師が本当に神理を悟って、中国から帰って来たとしたら、恐らく先程の密教なんてものは作らなかったでしょう。更にまた山を探し求めた時に、二匹の白黒の犬が出てきて先導し、現在の高野山に自分の修行所を求めたと書いてあります。その時に猟師と一緒に地の神を祭ったことも、これは既に弘法は悟っていない証拠です。しかし弘法自身、高野山にいて修行をし、心の窓は開かれていたと自身はいいました。

弘法自身一生女性関係はなかったのですか?と聞きましたら、私も所詮は男性でございます云々…何時の間には年代が過ぎると雲の上の天上人に周囲が神格化してしまう。奥の院には弘法様の骨を祭ってあるとか、その奥の院へ入って行くと、私の目の前に真黒い玉がグルグルと飛んでるのが見えます。四、五人のお坊さんおりましたが気が付かない。弘法様に後で奥の院には貴方様のお骨を拝ましてるようだが?一体これはどういう事ですか、と聞くと、自分の亡き後の骨を拝めとは一言もいっておりません、という返事がかえってくる。人間はそのような物に執着を持たしてしまっている。末法ともなれば此のようになるものですと、これらは歴史上の事実を追求しますから、歴史と現実がどのように間違っているか解ってしまうわけです。人間は尊敬の余り自分の宗祖をどうしても大事にしたいものです。正しく物を見てない証拠なのです。しかし、高野山が当時の権力と結びついて弘法様の名前が世の中に広まって行きました。修行の過程で霊視が利きますから、病気が解ります。その病気を癒してる間に当時ライ病が流行したそうです。その結果が自分もライ病になり手が全部潰れたともいわれる。だから、四十代から殆んど堂に籠って外出しなかったといっておりました。

それで本当に私に出て来たのは弘法であるか?ないか、テストしなければなりません。顔形を見て弘法さんと解っても、人は信じません。たまたま高野山で寺院を持ち、当時宗務総長K氏が三年前に死去しました。その方の奥様が私の講演を聞きにまいり面接致しました。見たところ御主人が横に来ております。背は一米七十四、五糎位で丸々と太った一見浅黒いお坊様、私は奥様に此の事を話しますと、私の主人ですという。その時、K氏は、私は精神的に非常に宗派の見苦しい環境の中で苦しみました。私は心筋梗塞で一夜の内にあの世へ帰りました。今は執着がありませんが、ただ自分の妻をかえりみるいとまがなかった…万が一私が死んだ後お坊様達の宿泊所でもよい、よい生活環境を作ろうという約束をしたが、それを果たす事なく苦労かけて申し訳ないという。お前には色々苦労ばかりかけて、多くのお客様に接待するだけで、青春も老後の幸福も与えなかった。本当に申し訳ない。お前には見えないだろうが、何時でも側にいて協力するからうらまんでほしい。気の強い女であったが、もう少し体の方にも気をつけて医者にも見て貰ってほしい云々…。        

ところが偶然にそのK氏は宗務総長時代に私の『縁生の舟』(改題『心の発見』)を読んでいたそうです。不思議な事です。先生の御本を読まして戴きました。先生はそういう事から通して、ご存じでございましょう。高野山内部の事も…妻にもいろいろと御教導下さい。また、夫婦二人だけの話しを喋ってしまったのです。サア奥様信じざるを得ません。全部ですからねこれで初めてアアそうかと矢張り前へ出て来たのも、弘法大師には間違いないと私は信じました。叉弘法様が、貴方様の説いている心、私の寺の中に示してあります。ぜひそれらを見て欲しいといって皆様と一緒にいろいろの国宝を一杯陳列してある宝物殿へ這入って行きました。心を中心に書いてあります。だからなんでこれだけの物が書いてありながら、人はこの心を調和する道に実践しなかったのだろう。弘法死後どうなったのですかと聞いたところ、いや私が亡くなって百二年目、すでに僧兵を作って私の神理にないものが這入って来たのです。そのために、最後は、あの中は阿修羅界に変わってしまいました。滅後二百年でこのような現象が出るとは思いませんでした。このように弘法さんは当時のことをいろいろと、すでに天上界へ上っておりますから分かります。その張本人は誰ですかと聞いたところ、現代の名前で何とかという宗祖だそうです。この人が鎖鎌を持って権力と組んで、最後は四十三歳で殺されたようですが、一つの分派活動を起こして、混乱に導いて仏教を段々変えてしまったのです。だから日蓮が、真言亡国といった意味がよくわかります。」、と。

 

このように、霊的現象の証明の難しさ、厳しさを師は教えてくれた。霊の姿が見えて、語り掛けてくる言葉が聞けて、自由に話せる高橋師ですらこうなのだから、霊能者といわれるひとは、よくよく学んで欲しいのである。ともあれ、このような高梁師の言い残した「新・事実」の集約は歴史を塗り変えるほどの真実を突いているとも思われ、注目されねばならない。現代はニセものの横行する混乱した世情である。そのためにウエブ・マスターは、高橋、園頭両師の「ことば」だけを公開することにしている。このホームページが人間改革の一助になればこの上もない喜びである。

空海は、釈迦に竹林精舎を寄進したガランダ長者の生まれ変わりと高橋師は言い残した。仏陀が正法を説かれるときの経済的な援助者を「大黒天」というが、ガランダ長者は釈迦の大黒天であったのである。

 

 

 WB01584_.gif (2068 バイト)         坂本龍馬は、大谷○輝氏として生まれ変わった」

 

 高橋信次師は「古代インドの釈迦の時代に大目連(マーハー・モンガラナー)であり幼名コリータであった生命が、幕末の坂本龍馬として、今世は、ニューヨーク在住の大谷○輝氏として転生した」と言い残した。                              

 「坂本龍馬」(一八三五〜一八六七年)

 

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坂本龍馬(高知県立歴史民族資料館蔵)

 

 

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                                   靴に注目             

                    

 高知城下の酒造りの家に生まれた。十九歳の時江戸へ出て千葉周作の弟・定吉の道場で剣を学ぶ。一八五三年、ペリーが率いる黒船が浦賀に現れ、これが刺激になり河田小竜に開国論と近代航海術を学ぶ。やがて幕府軍艦奉行・勝海舟の門に入り、片腕になって働いた。その後長崎で海援隊を組織し、海運と貿易に従事した。幕府の政治にあきたらず、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(木戸孝允)とを説いて薩長同盟を成立させ、討幕派を結集することに成功した。一八六七年、「船中八策」という新しい国家体制についての構想を練り、外国との交際、議会や、無窮の大典、つまり憲法をつくることを提案した。前土佐藩主・山内豊信を動かし、将軍慶喜を説得して大政奉還を実現、江戸幕府は滅んだ。しかし、まもなく京都で中岡慎太郎とともに暗殺された。それは満三十二歳の誕生日であった。

 その翌年、官軍が幕府を討つために江戸にせまった時、勝海舟は、江戸の薩摩藩邸で西郷隆盛と会見して江戸城を明けわたして江戸を戦火から救った。世界に例のない「無血開城」に成功することになるが、この背景には坂本龍馬の陰の力があったことは否定できない。龍馬は日常生活でも和服に靴を履いた。幕藩体制の枠にとらわれず、考え方を広く海外をにらんで自由であった。維新の指導者の中では珍しく武士の持つ窮屈さから抜け出した人物であったともいえる。        

昭和六十二年十一月、暗殺される直前に撮影した写真が保存されていたという新聞記事があった。作家・司馬遼太郎氏は『竜馬がゆく』の中で、「天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、使命が終った時惜しげもなく天へ召しかえした」「若者は歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあげた」と書いたが、坂本龍馬の過去世をもつ大谷氏は、今世は、夢にも見たニューヨークに住み、東洋哲学を教えるかたわら事業家として立ち、剣道場を開き指導しているとは不思議である。

大谷氏の、お釈迦様の時代の過去世は、大目連(マ−ハ−・モンガラナ−)である。モンガラナ−は、親友のシャ−リ−プトラ(幼名ウパテッサ、舎利佛、般若心経の中の舎利子、現代の園頭広周師)と共にお釈迦様に帰依した。マーハー・モンガラナー(幼名コリ−タ)は帰依して一週間目に、この世も、あの世も見通す力、「天眼通」に目覚め、天眼通第一の人となる。現代の大谷氏のもう一つの顔は、剣道の指導をしていることは述べたが、東京オリンピックでは、アメリカ側の柔道コーチの委員という肩書きを持つ人でもある。一九七八年(昭和五十三年)十月、大谷氏が、アメリカの経済調査団長として来日した時、二千五百年の時間、空間を超え、マーハー・モンガラナーとシャーリープトラの過去世を持つ大谷氏と園頭師の二人は再会をはたすことになる。

 

 〈再会への道程〉

                                 

 昭和四十八年三月、信次師は園頭師へ次のように言っている。「園頭さん、ニューヨークの大谷さんが遂に悟りましたよ。私が意識で行ってみると、彼はニューヨークの公園の石の上で禅定してるんですよ」と。それから、高橋師は大谷氏に手紙を出した。その時の手紙を紹介しよう。         

 

 


 

 五年前から懐かしき友が、ニューヨークで東洋哲学を教えていることを私は多くの人々に予言しておりました。遂に二十八日、私はニューヨークに行き、心の通信に成功しましたことをうれしく思います。 懐かしき友よ、心と行いを法に照らし、自己完成に努力せられよ。偽りの我を捨て、善我なる心を育てよ。そして常に、八正道を心と行いの物差しで反省をし、偽りの我を神に詫びよ。そして瞑想せよ。その時に、実在界を通して私達は自由に交信することが出来るのです。自己を信ぜよ。偉大なる友よ。法灯を心の中に灯せ、一秒一秒の心と行いの中に一切の執着は苦しみをつくり出すものだ。一切を法に帰依した時、総ての安住があるだろう。経済の苦は、やがて調和への方向に迎えられよう。今迄の困難は、人生に対する疑問を持たせるためのチャンスを与えたもの。 懐かしき友よ、勇気と智慧と努力に依って実践せられよ。光明は近し、光明は近し、苦悩はやがて、安らぎの境地に達しよう。自己の完成、家庭の調和、親子の対話。友よ、一歩一歩あせることなく生きて行こう。そして核をつくり、法灯を人々の心に灯して行こう。法灯は種族を超越し、国境もなく、人々の心に調和をつくり出して行くでしよう。やがて人類は、物質文明の奴隷から自からを解放し、人生の目的と使命を悟って行くでしょう。友よ、私達はその日のために、いしずえとなろう。人類を救済するために、一切の地位も名誉も、欲望も捨てて、人々のために生きて行こう。それ以外に人類は救済出来ないからだ。イエスの愛に生きよう。ブッダの慈悲に生きよう。道は只一つ、法に帰依しましょう。親しき友の栄光を祈ります。また霊的通信を致します。

  昭和四十八年五月九日                     

   大谷様                    高橋信次 

 

 


 

  

 昭和五十三年十月二十九日は長崎での正法会(国際正法協会の前身)の定例会だった。その日は大谷氏の研修団も雲仙(長崎)行きであり、再会を約して別れた。二十九日、長崎での大谷氏の講演の要旨は「日本人が国益、公益よりも私益を優先させて、自分個人の利益のためには、公益を侵害し破壊してもかまわないという傾向が強いことは危険だ」という内容であった。会終了後、大谷氏の歓迎会が開かれた。その時の大谷氏の話し。                           

「私が寝ていたら、身体がぐーっと持ち上げられ浮いたようになり、そのまま私は空の彼方の光の国へ入って行った。ふと見ると、そこに高橋信次先生が立っておられた。大谷さん、これを見なさいと両手をひろげて見せられたその中に、私の過去の輪廻転生の全てを見たのです」という話しは印象的であったと園頭師は言う。                                 

 十月三十日、九州最後の日の夜、二人は深夜二時までホテルで話をした。        

「高橋信次先生の遺志を継いで、正しく正法を伝えて行くことを誓い、固い握手をしてホテルを出た。私の乗ったタクシーをホテルの玄関に立っていつまでも見送って下さった大谷先生の心の中を思いやった」と園頭師は書いている。

大谷氏の記述をあげる。                  

     


                            

  「政経分離について」              大谷○輝

 

 今からもう三十年も前のことになりますが、私が初めて祖国日本を出発して初めてアメリカの領土であるハワイにプロペラ機から降り立った時のことです。私は結局このホノルルに六ケ月も生活することになるのですが、終戦後のうす暗い日本から、オール・カラーのハワイは正に白黒映画が急にカラー・フィルムになった様な錯覚に捉われたものでした。あのなつかしいハワイの熱帯植物の花々から流れる匂いは、疲れた私の身心を慰めてくれたものでした。あの頃は観光客もなく、ひっそりとした田舎街の様なたたずまいのホノルルが横たわっていました。或る日系二世の友人がパンチ・ボウルという名のついた死火山の火口にある米陸軍太平洋基地(パシフィック・アーミー・セミテリー)に案内してくれました。

そこは丁度火山の噴火口がすり鉢の様になっていて、フルーツ・パンチ(果汁酒)を入れるボウル(鉢)の様になっているので、その名の由来も納得出来ます。そのボウルの底にあたる部分に何百何千となく約五十糎四方位の石の墓石が上向きに、天に向って埋めこまれており、その表面 に、名前や階級、戦死した場所、日時、それにその人の宗教のマークが一番上の中心点に描かれているので、すぐにクリスチャンか仏教徒か或いはユダヤ教徒かが判る様になっています。暫らく歩いていると、多くの花束がかざられている墓石の前に来ました。その墓石はアーニイ・パイルと読まれます。アメリカの従軍記者として大変有名だったあのアーニイ・パイルの墓でした。           

彼は沖縄で日本軍の地雷にふれて戦死するのですが、彼の前線から送られて来る従軍記は、アメリカの兵士達の家族に戦争の様相を伝え、その美しい文体は全米の人々を感動させたものです。私が昔読んだ彼の沖縄戦記の一節にこんなのがあります。「私が海岸を歩いていると十八、九才位のアメリカ兵の死体が横たわっていた。そしてその死体のすぐ横にその兵士のポケットからこぼれ落ちたのだろう。小さなポケット・バイブルがあった。私は何気なくそのバイブルを拾い上げると又歩き出した。しばらく行くと私は立ち泊った。そして若い兵士の死体のところまで引き返した。私はそのバイブルを元のところにそっと置いた。私はどうしてそんなことをしたのかわからない。只、私はそうしなければならなかったのだ」

終戦直後から東京日比谷にあった宝塚劇場がアーニー・パイル劇場という名前で占領軍が使用していたのでその名を覚えている方も多いと思いますが、私自身当時は旧敵国の国民ながらパイルのヒューマニズムに富んだ文章に感動していました。静かに陽光あふれる墓地のグリーンの芝生の中を歩きながら、何かしら胸にこみ上げて来るものを感じ墓霊達の冥福を祈ったものでした。その後、、私はニューヨークに住んで東京に度々商用で帰ることがありました。東京のホテルに泊って朝起きるとジョギングして、九段の靖国神社に向います、紀尾井町のホテルから丁度手頃な距離でもあり毎朝の運動に好適のゴールです。すがすがしい大気を呼吸し、玉砂利を踏んで英霊達と対話します。これは滞日中の楽しい日課でした。最近でも日本国の総理が靖国神社に行くと、公人か或は私人としての資格で行くのかと愛国心の皆無な日本の大新聞は騒ぎ立てます。これは私には全く理解出来ないことなのです。新聞は憲法で政教が分離されているから、日本国を代表する総理大臣が「公人」の資格で靖国神社を参拝したら、憲法違反であると日本のジャーナリズムは言いたいのです。                    

日本の祝祭日の中で「秋分の日」というのがあります。秋分の日とは、もともと天文学上の名前で何故この日が祝祭日の中に入っているのかわからない若い人達が多いのではないでしょうか。前にはこの日を「秋季皇霊祭」という名の祭日で、仏教的には「お彼岸」であり、昔から仏教に基づいて祖先の霊を祭る民族的祭日であったので す。だから「秋分の日」もきびしく日本のマルクス・レーニンを崇拝するジャーナリスト達の流儀に従えば「重大な憲法違反」であると言えるのです。私に言わせるなら靖国神社も、ハワイのパンチ・ボールも共に国の為に命を捧げた英霊を国と国民の手で祭ってある場所です。 

そこにはアメリカンスタイルと日本式の相違があるにしてもです。私自身仏教徒ではありますが、日本の天皇が数多くの神事(お正月の四方拝を始めとして)をとり行われる伝統に尊敬の念を持つ日本人の一人で す。若し天皇のこの行事も「政教分離」の観点から否定するなら、国家国民の祭主という日本の伝統としての天皇の否定であり、それは日本の歴史の抹殺であり、彼等の死守せんとするアメリカ占領軍が制定した新憲法に明記された国家国民の象徴としての天皇を否定することにもなり、これこそ憲法違反ということになりましょう。間違ってもらっては困りますが、私は現憲法を廃止し、新しい時代にのっとった真の日本民族のための憲法を作るべきだという立場をとっていますが、これは決して日本の伝統を否定するものではありません。     

神道に依って祖先を崇拝し、仏教に依って正しい信仰の道を求める〃日本の道〃という文化と伝統は否定すべきではありません。国民の宗教活動を封じて「政教分離」を完全に実施しているのは、共産主義国家群位のもので、自由主義国家はすべて、その国の伝統による宗教行事を大切にしていること位は、ちょっと世界の事情に詳しい人なら誰でも知っていることです。それが日本では靖国神社というと大新聞から一部のキリスト教徒に至るまで共産主義者達の口車に乗って大騒ぎするのは本当に国際常識の欠けたことになります。アメリカでも大統領が就任する時にバイブルに手を置いて大統領の任務を忠実に履行することを宣誓するのです。無神論者でありマルクス・レーニン主義であるジャーナリストの尻馬に乗って騒ぐ人達を、冷静な眼で見つめることが正しい日本人の生き方ではないでしょうか。        

           


                      

 坂本龍馬は、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(木戸孝允)とを結び、討幕派を結集することに力があったことは先に述べた。      

ここで注目しなければならない信次師の言葉がある。お釈迦様の「本体と五分身」を参照していただきたいが、お釈迦様の分身(5)が幕末に、桂小五郎として肉体を持ったと信次師は言っている。釈迦の過去世を持つ木戸孝允が、そして、マハー・モンガラナーの過去世を持つ坂本龍馬が「縁生」として志を一つにしたと言うのである。ここで木戸孝允にも少し触れたい。

 

 WB01584_1.gif (2068 バイト)  木戸孝允(桂小五郎)は釈迦の分身だった」(一八三三〜一八七七年)

 

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                        木戸孝允             

 西郷隆盛や大久保利通とともに維新の三傑と言われ、長州(山口県)藩士の子で、桂家の養子となり桂小五郎といった。はじめ、吉田松陰の松下村塾で学び、のち江戸に出て斉藤弥九郎に剣術を学び、江川太郎左衛門から西洋の砲術・兵学、さらに神田孝平から蘭学の教えを受けた。一八六四年の第一次長州征伐ののち、長州藩の指導者として藩の考えを討幕に導き、そして一八六六年、坂本龍馬の仲立ちで西郷、大久保らと薩長同盟を結び、倒幕勢力の中心になった。明治新政府では参謀となり、「五か条の御誓文」の草案をつくり、ついで版籍奉還、廃藩置県をなしとげる。一八七一年、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文らと欧米を視察して帰り、西郷らの征韓論に反対して、国内政治を整えることを主張した。また政府の台湾出兵にも反対し職も辞したが、のち、再び政府にもどっている。

明治維新を推進する幕末の志士の多くが、暗殺、刑死した中で、釈迦の分身、木戸孝允はそのようにならなかったのは不思議であった。俗に言う、畳の上で四十五歳の生涯を閉じたのである。木戸孝允は征韓論に反対し、政府の台湾出兵にも反対した。お釈迦様の分身としての過去世を持つ木戸孝允が、征韓論反対、台湾出兵反対の役割を演じたのは当然と言わねばなるまい。

 

 〈高橋信次師の戦争、闘争と、破壊の批判の例〉

                                 

(その一)                            

 「『人に尽くすは小善』といっている不調和な思想家達もいるが、生きている人間を救うことこそ大善であることを、思いしらされる時がくるであろう。ヒットラーにしても、スターリンにしても、無間地獄におちている。人間の心を狂わしてしまった指導者に対しては、特にきびしい現象が現われてくるのである。神仏を冒涜している指導者には、心の平和、安らぎは与えられないのが実在界の掟である。戦争もまた不調和な想念行為である。戦勝祈願などというものがあるが、勝負を争う場合、スポーツを除いて、そんな祈願は人間がなすべき行為ではない。神仏は常に中立であるから、いずれにも加担などしないのである。親が子供の喧嘩に対して平等に判断するように、片寄った贔屓をしないのが両親の愛ではないだろうか。親は子の争いを望まない。まして、神は戦争など好むものではない。戦争は、絶対に人間のなすべき行為ではない。人間の肉体、修行舟を破壊するばかりでなく、他人にも同じみじめな思いをさせ、罪なき人々の心に不安を与える。戦争は人間最大の犯罪である。」

 

(その二)                            

「イエスの教えにも、ゴーダマの教えにも闘争という言葉はない。汝の敵を愛せよ…忍耐、右の頬を打たば左も出せ…忍辱(にんにく)などすべて調和ということが神理であることを悟らなくてはならない。美談とされている仇討ちなども、神仏の子としてなすべき行為ではない。衝動的・感情的行為であり、この執念は我が身に帰ってくるものだ。忍辱の心のない『親の仇だ、主人の仇だ』と常に心の安らぎのない生活を送ることが、本当の人間の姿といえるだろうか。『怨みをもって怨みに報ぜず』の心境が、調和を生み出す真の菩薩心であることを私達は悟らなくてはならない。作用、反作用の法則に従って、それが己に帰ることを知ったならば、人は自分自身の想念と行為を反省することが、最も大切であることを悟るだろう。どんな小さな問題でも、その原因と結果を良く悟り、判断を誤ってはならない。善根を育て、正法を信じ、正しい想念と行為を実践し、常に反省の中から心を正道に統一することによって偉大な仏智の門は開かれて行く」

(その三)                            

 高橋先生の弟子のひとり三木野吉氏は自著の中で、次のように書かれている。                             

「高橋先生はよく、『戦争のなかに調和はありません』ということをいっていらっしゃいました。昭和四十九年九月に盛岡というところへ、お伴した時、私達の乗っている車が長いデモ行進の隊列にさえぎられて、停車を余儀なくされたことがありました。どんなデモ行進であるかは、他所者で当地の新聞を読んでいない私達にはわかりませんでしたが、いずれにしても何かの組合が、生活上の要求を貫徹するために、実施していることだけは確かです。私の横に乗っておられる高橋先生のお顔をふと見ますと、あの人を惹きつけずにはいられない温顔の高橋先生が、顔をしかめて、窓の外の人の流れを見つめながら『困ったことですね』と、ひとこと独言のように、お口の中でつぶやかれたのが印象的でした。高橋先生は理由の如何を問わず、闘争というものを徹底的に否定なさいました。」と。                                 

破壊と闘争を徹底的に否定された釈迦の分身・木戸孝允はなぜ討幕の指導者として、討幕勢力の中心となったかを述べなければ片手落ちになろう。その理由を、信次師は「明治維新を実現させるために、勤皇思想を起させることになった」と言い残したのである。

    <ナゼ勤皇思想は起こったのか>

古代インドのお釈迦様は、「お釈迦様の本体エルランティが二千五百年後に、ジャブドーバーのケントマティー、即ち、東の国日本の都に生れて正法を説く」と予言されていた。それに沿って日本は不思議と何度も護られてきた。これは、蒙古の襲来や黒船の来航を意味する。一度も属国、占領されることもなく今では世界の超大国になっている。日本にエルランティが生れて正法を説くには、徳川幕府のままでは封建的すぎ、一般民衆は権力の支配下にあって自由がない。徳川幕府の制度の呪縛から解放して自由にするには日本を天皇制に返さなければならないと、室町時代には北畠親房を生れさせ神皇正統記を書かせるという、天上界の遠大な計画が着々と実行されていた。明治維新が計画されることになり、明治維新を実現させるためには天上界の計画に沿って、江戸の中期頃から勤皇思想を起こさせることになったのである。昭和四十八年九月、高橋師は園頭師に次のように言っている。「正法はすべての人々の自由な心によって受けられなければならない。徳川幕府の政治体制下で心の自由も束縛されている日本国民に、完全な自由な心を持たせるためには、徳川幕府を倒して、天皇制に返す以外にないということで、天上界では勤皇思想を起こすことを目的として北畠親房を生れさせて『神皇正統記』を書かせ、各地に勤皇愛国運動を起こさせることになった」、と。このような背景の中で、いよいよエルランティの出生の時が近づき、日本のどこに生れていくか天上界で計画されたのが寛永二年だったのである。それでは北畠親房はどんな人だったのか述べたい。                            

「北畠親房」(一二九三〜一三五四年)

 室町時代、後醍醐天皇に仕えて信任され、世良親王の養育に当たったが、世良親王の死にあい出家した。建武の新政では、陸奥守となった子の顕家について奥州へ下った。一三三五年に足利尊氏がそむくと、顕家とともに戦い、一時、尊氏を九州に追った。その後、尊氏がもり返して京都にせまると、天皇を吉野(奈良県南部)にむかえ、南朝の中心人物として足利氏に対抗した。その後、再度、東国での勢力拡張をはかったが失敗し、吉野にもどって南朝につくした。この時代の学者でもあり、『神皇正統記』を書いて南朝が正統であることを説いた。

                                 

 勤皇思想が起った幕末に向けて、天上界では五百年前の室町時代に、北畠親房に『神皇正統記』を書かせることによって、天上界の手は打ってあったのである。、釈迦の本体であるエル・ランティの高橋信次師は、この世に肉体を持って「正法」を説く為に、天上界の計画によって釈迦の分身の木戸孝允が討幕運動の中心となったと言うのである。また、木戸孝允は、本体の高橋信次師の出生の露払いとしての使命と役割を発揮したのである。高橋師は木戸孝允について次のように言っている。

「私達の分身や本体と言われている魂の兄弟が、私達の意識を支配して食事などをすると同じ物でも支配者の嗜好によって味覚が異なってしまう。私の分身で一番近い人は、幕末に日本に生れた人で、この分身が私の意識を支配すると、まず語調が武士のように固くなり、酒が好きだったため特級酒など水のように感じてしまう。私自身はほとんど酒は飲めないのである。こうしたことでも、意識というものがいかに影響するかということが、実験で解明できたのである。また私は、従来人の前で喋ることができない恥ずかしがり屋であった。上がってしまい、思っていることを十分発表することができなかった。私の分身はこの問題について「講演するときには、まず腹に力を入れて、間をしっかり取ることが必要である。お前の講演は口先だけで腹に力がないため、最後は声をつぶしてしまう腹から出る声は、人々の心に訴える力、言霊の響きが違うことを知りなさい。」と教えてくれた。私はその通りに実演した結果、神理が言霊となって自然に口から出るようになった。」、と。

この記述は木戸孝允についての「ことば」である。酒が好きであったこと、そして講演の指導を受けた記述だが、政治家・木戸孝允の面目躍如であろう。読者も、高橋師の講演録音を聴いて欲しい。その上手さといい、この迫力は並の人間のそれではない。政治家の皆さんよ、一つ参考にされると良いと思う。もっとも、真実の言葉は、砂地に水がしみ込むように人の心にはいって行くが、口先だけの言葉は如何に演説がうまくとも、人の心は打たないものである。でも、高橋師のそれは神理であり、魂の叫びだったから、人の心を打ったのである。次は高橋師の「神理の会」(神光会・GLA)の前身の発会式の情景記述である。      

「しかし、最初の発会式の講演では、私もすっかり上がってしまい、何を話しているのか、良く解らなかった。そこで、私の指導霊ワン・ツー・スリー(モーゼと言われている)は、約一時間半、仏教の歴史的変遷ということで代弁してくれたものであった。私は、大衆の前で喋ることはまことに苦手で、初めての講演では汗びっしょりであった。しかし、この集会を境として、多くの人々が集まってくれるようになった。また、他の宗教家達が、様子を探りにくるようになった、と。ついで、『醒めた炎−木戸孝允』の作家・村松剛氏は次のように言う。

「明治維新を考え直してみようと思った時、幕末以後の動乱の時代を生き抜いた一人の主人公を置いて書こうとすると、最大の歴史の証人として浮かび上がるのが木戸孝允なんです。桂小五郎という人物は、幕末物の映画や小説によく出るが、いつも主人公ではないし、何度も白刃の下をかいくぐって愛妓幾松(のちの松子夫人)に助けられた話がポピュラ−なわりには、維新後の政治家としての役割はよく知られていない。いわゆる維新の三傑のなかで西郷隆盛が一番ポピュラ−ですが、西郷も大久保利通も非業の死を遂げたのに対して、木戸だけは畳の上で死んでいます。それで人気がないんですよ。しかし、思想的な高さということになれば、三人のうちで木戸が最もぬきんでています。」、と。               

 木戸孝允の愛妓幾松は、のちの松子夫人となるわけだが、縁生という関係の中で、釈迦の分身の伴侶となるからには、上級な霊格(人格)の女性に違いない。あの幕末の混乱の中で、光の天使・木戸孝允に協力する使命と役割が浮かび上がってきそうである。高橋師はこれには一言も触れているわけではないが、地位、名誉、学歴、職業と霊格(光の量の区域)は別だということを示す一例であった。こうして、釈迦−舎利弗−大目連は即ち、木戸孝允−西郷隆盛−坂本龍馬であり、現代は高橋信次−園頭広周−大谷〇輝であったのである。

                                 

  <勤皇の志士達が討幕を急いだ時代背景>            

                                 

 勤皇の志士たちが討幕を急いだのは、阿片戦争(一八四〇〜四二)のニュースを耳にして、これでは日本も植民地にされかねないという危機感があったからであった。この阿片戦争の四年後にフランス艦隊が琉球に、五年後にイギリス艦隊が同じく琉球に、六年後にロシヤ艦隊が対馬に上陸して住民が虐殺され、さらに二十一年後には同じくロシヤ艦隊は一時、対馬全島を占領し、この時住民の約半数が虐殺されている。これは何と明治維新の五年前のことで、このような危機感から志士達は討幕を急いだというのである。

 

 

 

 

 

 

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WB01584_.gif (2068 バイト)                   園頭広周師は、あの、西郷隆盛だった」   

                                 

 高橋信次師は、園頭広周師について次のように言い残した。

 

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西郷隆盛(キヨソーネ筆 西郷南洲顕彰館蔵)

 

「三億六千五百年前の地球の草創期に、真のメシヤ・エルランティ(現代の高橋師)と共に飛来した七代天使の一人のガブリエルであり、古代インド(二千五百年前)の釈迦の時代は、舎利弗(シャーリープトラ・般若心経の中の舎利子)であり、二千年前のキリストの時代の天使・ガブリエル(ジブリ−ル)であった。その分身は十六世紀の宗教改革者として知られるカルバン(カルビン)であり、アメリカ建国の父と言われたジョ−ジ・ワシントンであり、幕末は西郷隆盛として生まれ変わった」、と。       

                                 

 園頭広周(そのがしら・ひろちか)師は、一九一八年(大正七年)二月二十日、鹿児島に生る。本名は勇、父・ 喜一 、母・スヤ 、八人兄弟の長男で、家業は肥料商。小学校卒業時には「学術優等」の表彰を受け、鹿児島商業(現在の鹿児島大学)へ首席入学。この多感な青春時代に師の心に陰を落とすことになった、二つの大きな出来事が待っていた。その一つは、鹿児島商業に入学の頃のこと。戸籍謄本を見ると、「私生子」という字が棒線で抹消され、「庶子」と記載されていた。それからは、言いようのない悲しみに暮れ、遠慮がちで引っ込み思案の青春時代を送ることになる。それが氷解するのに、お父さんから説明を受ける迄の三年の歳月を要した。その理由というのは、ご両親の結婚がお祖母様の強固な反対によって、一旦はお母さんの戸籍に私生子として入籍されるものの、小学校に上がるからという理由で、婚姻届けが許されるというものだった。そして、もう一つは、同じ鹿児島商業三年生のこと。その頃の羽振りのいい男の常として、お父さんに女性ができ、とうとう帰って来ない日が続いた。心配の余り、園頭師は種子島に渡ってお父さんに会うが、「ワシは帰る積もりはない、後は頼んだ」。それを聞くと、習い覚えたばかりの柔道で、お父さんを投げ飛ばしたのである。「どこの世界に、親を投げ飛ばす奴がいるか」と、お父さんの言い知れぬ無念の涙と、師も「大変なことをしてしまった」という、どこにも身の置き場のない後悔の涙に、夜の帳(とばり)に飛び出す二つの影があった。        

こうして、卒業と同時に軍隊への現役志願から、昭和十一年一月鹿児島の歩兵第四十五連隊に入隊(十八歳)。「羽織に袴、音楽隊を押し立てて入営したのは私が一人で、照れくさくて仕方がなかった」と園頭師は思い出す。二十歳で少尉、連隊旗手となり、二十二歳の時副官となるも、湖北省通城県でのこと、突然、高熱四十二度。下痢が続き一日に二十回もトイレへ駆け込む状態。このような状態が四十日も続くと軍医もその内にあきらめたのか姿を見せなくなる。病気のために副官も取り下げられ、そのような時に部下が『生命の実相』(生長の家)を差し入れると、「信仰で病気が治るというのは迷信だ。わしは読まん」「そうですか」と置いて帰った。四十日位経ったある日の午後、やっとの思いで体温計をはさんでみると四十二度もある。気力もなく「もういつ死んでもいい」と園頭師が心を定めると、その時「祈れ!」という天からの声が聞え、それは割れ鐘のような大きな権威のある声だった。やっとの思いで身を起こし、枕に頭を伏せて、身体を二つに折った状態で、教会で習ったことのある「主の祈り」と、心にひっかかっていた罪の思いを、神に詫びられるのだった。ぶつぶつ祈る声が響いたのか、下士官達が「隊長殿、どうかしましたか」と飛び込んで来る。次の日の昼前に眼を覚まされるが、その時の陽光に透ける葉裏のあざやかさは、正に、この世のものではなかったと師は回顧する。その時、「その枕許の本を読め」という天からの声を聞き、やせ細った腕でやっとの思いでページをめくるが、園頭師にとって、それは恰も乾天に慈雨を得たようなもので、不思議とそれから熱も出ず、体力も回復して行く。昭和十五年(二十三歳)、湖北省通城県から長沙へ通ずる徐家という所の陣地で、時間を見つけては『生命の実相』を読み思索する日々で、六月中旬、山の斜面に生えていた野菊を一輪折って差し、身の廻りを清潔に整え、『生命の実相』に書いてある通りに坐し、神想観に入るのだった。

                                 

  〈宇宙即我へ至るプロセス〉

 

 園頭師は次のように記述している。              

「花を愛し育てる人は花によって神の愛を知る。戦地へ行く時、私は、野立ての茶器を腰に下げて出征した。禅定をする時花を活けたが、花を活けるといっても、いい花があるわけではないから野花を摘んできた。昭和十五年『宇宙即我』を体験したその時は、慰問袋に入ってきた、のりの花瓶に野菊を一本投げ入れただけだった。花を通じて神の心を知るにはそれだけで十分であった。キリストは『野の百合の如く』といわれたが、私は野菊の中に神を見た。」、と。                    

                                 

    <宇宙即我>                       

                                 

 園頭師は次のように書いた。                 

 「複式呼吸、深い深い呼吸、息を吸っているのか吐いているのかわからない位の呼吸になった時、私の背骨はぐーっと伸びた。「あーっ」ともう一つの心は思った。坐っている自分の上にもう一人の自分がいて、坐っている自分を見下ろしている。その自分が天井の辺りにいたかと思うと、もはやもう一人の自分は屋根を突き抜けて、辺りの山や川や田畑も陣地もずっと下に小さく見ている。その間、背骨がすーっと伸びてゆく感じがする。と同時に腹がぐっと横にひろがり出して、太陽も地球も月もみな自分の腹の中にある。それを自分がのぞいている。折しも長沙方面へ爆撃に行く三機編隊が上空を通る。上空を通るといっても爆音は頭上から下の方へ肉体の耳に入るのであるが、しかしその編隊は自分の腹の中を飛んでいるのが小さく見える。地上から見た飛行機の速度は物凄く早いのに、腹の中に上からのぞいている飛行機は一定の所に止まっているようにしか見えず、爆音はずっと下の方から上にいる自分に聞えてくるのである。中隊長室にいる肉体の自分を自分が上から見ているのである。その状態を冷静に不思議なことだ、これはどういうことだろうと思っている自分がいる。太陽も地球も、すべての星も自転しながら公転しているその音が「オオー」と聞えてくる。宇宙と自分が一つになったのである。宇宙はすべて調和されているのである。神がつくられた世界は既に調和している。戦争などというものは、人間のこざかしい我欲の産物でしかない。その不思議な感覚にどれ位浸っていたかはわからない。突然「パーン」という音がした。ハッと眼をあけた。一瞬この音が『天地の発ける音だな』と思った。

見ると、辺りに見えるもの、木も草も石ころからも、すべてのものが黄金の光にゆらゆら輝いている。すべてが神の生命の現われなのである。「物、物に非ず、これを物という」、物を単に物体だと見るのは物の一面にしか過ぎない。物として現われているものすべてはみな神の生命なのであった。すべての物から発する黄金の光を見ているうちに、次第に私の意識は肉体に戻って、坐っている自分が自分だと思えるようになった。私はしばらく動くことができなかった。その不思議な現象を改めて心の中で考えていた。」、と。

(宇宙即我については、園頭広周著『宇宙即我に至る道(上下)』正法出版社を参照下さい)

 次に、高橋信次師の記述も『人間・釈迦』第一巻より見てみたい。                                 

   <宇宙即我>                                  

 「暁の明星が足下に見えた。もう一人のゴーダマ(釈迦)は小さな粒のように、はるか下方に坐していた。ゴーダマは、宇宙大にひろがり、宇宙が自分の意識の中に入って行くのだった。ゴーダマは念願を果した。宇宙の意識と同体となったのであった。意識が拡大すると、宇宙を型どっている太陽をはじめとした星々(惑星群)が、すべて自己の意識の中で回転し、そうしてその中で呼吸する一切の生物は、我が肉体の一部であることに気付く。人は宇宙大の意識を持って生活している。肉体にその意識が小さく固り、とどまるために、宇宙大の自己を見失ってしまうのだ。」、と。

                                 

 先を続けよう。                         

 『生命の実相』にある生長の家の神想観によって宇宙即我を体験したのだと信じた園頭師は、生長の家教祖・谷口雅春氏に尋ねればわかるだろうと、「生長の家」の本部講師も引き受けるが、その解答を得られぬままに、「生長の家」を去る。昭和四十六年、園頭師が正師・高橋信次師に二千五百年ぶりの再会を果した時、「あなたは宇宙即我を体験しましたネ。それは過去世で学んだものです。」と開口一番指摘されるが、今まで誰に尋ねてもわからなかった自分の体験を理解して下さったと、園頭師は涙するのだった。二千五百年前の舎利弗、二千年前のガブリエル、と過去世を思い出していった時、園頭師は「そうだ、過去世で学んだのだ、現世ばかりではないのだ」と知るのだった。

                                 

    <神の光の輪>                      

                                 

 昭和十六年九月(二十四歳)、園頭師は尖兵中隊長として第一次長沙に出動するが、配属されていた山砲中隊(砲二門)を山の上に上げ、退路遮断のために攻撃前進できるように山の上に布陣すると、追撃砲弾が炸裂して八人の重軽傷者が出て動揺、園頭師の中隊は孤立。するとその時、「坐れ」という声が天から聞こえてきて、師は鉄甲をかぶったまま、胡坐を掻いて軍刀を立て掛けて坐り、「今、ここがこのまま神の世界である。われは神に守られている。この瞬間われは敵と戦うという意識を捨てて、神の大調和の世界に入る。神の世界は平和である」と、身体の回りに神の光の輪を描き、この神の光の輪の中には絶対に敵の砲弾は入ることはできないのであると、念じるのであった。恐らく敵の方からは山上に坐っている姿は見えたかもしれぬが、一門残っていた山砲もそのうちに射てなくなる。すると、「ボーン」という発射音と共に、頭上を切って飛んでくる追撃砲弾の「ヒュルヒュル」という音が聞こえ、前と後ろで「グワン」と破裂してその砂塵が師の身体を覆う。「ヒュルヒュル」と空気を切って飛んでくる砲弾の音が耳に入るとその瞬間、園頭師はどこかへ隠れよう逃げ出そうという思いに駆られるが、斬り捨てた瞬間、「ここがこのまま神の実相の世界だ」と呼吸をとめて想念するのだった。不思議にも園頭師の近くに落ちたものは破裂せず、何十発砲弾が飛んできたかはわからないが、砲弾が薄れ、廻りを見回すと誰もいない。部下達は砲弾の飛んで来ない山の下の方へ退避していたのであった。園頭師はこの体験によって、「神と一体感を持った時の人間の想念の力が、どんなに偉大なものであるかを教えられた。」と記述している。                             

    <一通の電報>

                                

 そして、昭和十八年一月、園頭師の第六師団はソロモン群島ブーゲンビル島に上陸するが、二月ガタルカナル戦は失敗に終り、残った部隊はブーゲンビル島へ撤収してきた。ガ島は餓島といわれるように、日本軍には弾薬も食糧もなく、たくさんの兵が餓死した所で知られるが、師はブーゲンビルの防備についた後、ガ島を撤退すると、中部ソロモン方面の第一線はガ島のすぐ隣りのニュージョジア島になる。米軍の反攻が始まり、ニュージョジア島の防備を堅めるために、師の大隊はニュージョジア島の南東支隊司令部に隷属する命令を受け、ムンダに上陸。レンドバーの米軍重砲陣地が完成すると、ムンダ飛行場めがけて試射が始まるが、日本軍はただ射たれ放しで、ガ島からの飛行機による偵察爆撃、海上からの高速艇による威力偵察が始まり、八月四日、夜が明けてみるとレンドバー島を拠点として海上には米艦隊が横に並んで、いよいよ米軍の上陸。いつもより爆撃の頻度がはげしく、爆撃機の数も増して、ジャングルがなぎ倒されていく。また、園頭師は次のように言う。         

 「私のいた本部周辺は徹底的に爆撃されて、第一線との通信線は切断、連絡に飛び出した兵隊はみな爆撃でやられ、本部の位置を変えるために、「位置を選定してきます」といって飛び出して行った副官も軍医も書記も全部やられてしまった。私一人が本部の位置にいても第一線の指揮は出来ないし、こうなったら第一線陣地の壕で指揮しなければだめだと、その壕を飛び出して第一線陣地めがけて走り出したところを米軍の偵察機に発見され、ガ島上空に待機していた編隊が十分後には頭上に現われて私一人をめがけて爆撃を始めた。爆撃されたジャングルの跡というものはとても歩けるものではない。第一次長沙作戦の時、砲弾の中に坐った時のことを思い出し、爆撃の真只中に禅定したが、その時も私の心の中には、敵味方と分かれて争っているんだという思いは微塵もなかった。爆弾の威力は、中国軍の追撃砲弾の比ではない。飛行機の胴体を離れた爆弾が「シューッ」と空気を切って落ちてくるその音に一瞬「こんどはやられる」とふっと思うのである。その瞬間、その恐怖心をパッともう一つの心で断ち切って「われは、神の光に包まれている」と、臍下丹田に息をため、ジッと息をつめて強く念ずるのである。ところが、前に後ろに遠く落ちるのは破裂するが、身近かに落ちて、それが破裂したら当然木っ端微塵になって、吹っ飛んでしまうというような近い所に落ちたものは全部破裂しなかった。持っているだけの爆弾を落としても死なない私をめがけて、今度は一五〇メートル位の超低空で五機編隊が、替わるがわる機銃掃射を始めたが、私の坐っている横四・五メートルの所まで弾丸は打ち込まれるが、私の身体には当らなかった。私の頭上には空の薬夾がカラカラ落ちてくるだけで、余程うらめしかったと見えて、機銃も一発残らず射ち終えても私が生きているので、最後に一〇〇メートルの低空に降りてきて、ジャングルの高い木の梢をかすめるように飛んできて風防ガラスを開け、手榴弾を投げつけてガ島へ帰って行った。それから、園頭師はこの戦闘の一週間後に「鹿児島ノ百四十五連隊付ヲ命ズ」という電報をもらってこのムンダを去るが、ムンダの日本軍はその後一カ月近く死闘を続け、師の部下達はブーゲンビル島のトロキナ作戦で悲しいことに全員戦死したのである。

 園頭広周師は砲弾の降る中、神の実相を心に描いた時、近くに落ちる弾という弾は、すべて不発弾となって落ちて来た。神は「自由、創造、慈悲と愛」。戦争は「殺戮と破壊、暗い闇の世界」。光のあるところ闇は消える。暗い闇の想念は、明るい光の想念によって消えたのである。このような体験の中から、次に引用する「霊的国防」は、園頭師の内なる心の中から必然的に浮びあがって来たものであろう。

                                 

    「霊的国防」                       

                    園頭広周

 「霊的国防とはどうすることであるか。それは日本人一人一人が、心の中から敵対観念をなくして、まず自分の心が神の光に満たされ、日本の国全体が神の光に包まれていることを想念することである。物の世界も霊の世界も、規則正しい光の波動によって成り立っている。その光の調和ある波動が神の光の波動なのである。人間が神の光を破壊することは絶対に出来ないのであるから、日本全体が神の光に包まれていることを想念するのである。このことを実行するに当っては、まず、あなた自身が自分の心を調和させ、自分自身が神の光に包まれていることを想念した上で、日本の国全体が包まれていることを想念することである。最初から日本人全部がこれをやるというわけにはゆかないのであるから、正法を知った人から順次にこの祈りをすることである。日本の国全体が神の光に包まれていることを常に心の中で祈るのである。そうして、日本は国全体として徳を積むようにすることである。神は一つであり、神理は一つである。個人が救われる原理も、集団国家が救われる原理も一つでなければならない。こうした祈りをする人々、そしてその家は天上界から見ると光って見えるのである。この祈りの仕方を整理すると次のような順序になる。                             

 一、心の波動を神に合わせる。敵、味方の想念を心の中から一掃して、相手も神の子であり、相手とともに救われてゆくことを祈る。                                

 二、自分の心がまん丸く光り輝いている状態を念ずる。胸の辺りに、風船玉のような光の玉を描く。                                 

 三、自分の身体全部が神の光に包まれている状態を描く。                                 

 四、祈っている間に雑念、また生命に対する恐怖心がチラッとでも心をかすめたら、その都度その瞬間に、心の中でそれを斬って捨てて否定して、その瞬間に、「われは神に守られている。神と一体である」と念ずる。その時は、下腹に息をとめてうんと下腹に力を入れて下腹のところで斬り捨てて否定して、瞬間に神の生命であり、神と一体であることを肯定するのである。一ぺん否定して肯定してもまた雑念、不安、恐怖心が起ってきたら、その都度否定し肯定することを繰り返すのである。」                           

 神に心の波動を合わせ、神の光りに包まれている状態を心にアリアリと描く。このように一人一人が想念し、日本全体に光のバリヤ−描いた時、他国からの侵略による兵器は動作不能、不発に終わるのである。                            

   <奇跡の脱出帰還>

                             

 一通の電報によって帰国することになった園頭師は、制空制海権が完全に米軍に握られている中でのニュ−ジョ−ジア島からの脱出帰還は奇跡の連続だったという。それは、コロンバンガラ島との狭い海峡で、アメリカ大統領になったニクソン氏が、当時、海軍大尉で、魚雷艇の艦長だったようで、その魚雷艇群三隻と、師の乗った古ぼけた八ノットしか速力の出ない漁船との一騎打ちは、漁船の勝利に終わったというのである。

その理由はこうだった。相手は速力二十三ノットの鋼鉄艦で、魚雷発射管一門と二十ミリの機関砲を前後に四門積んだ米軍の魚雷艇と、重機関銃一梃の木造船が、まともに勝負しても勝目はない。魚雷は発射されても木造船の乞水が浅いから心配はないからと、漁船の船長(民間の船頭さん)にコロンバンガラ島の岸近くを走るように先生は命じられ、頃合いはよしと、船の運航の責任者である海軍の兵曹長に重機関銃の発射を命じ、双方射ち合っているうちに、こちらの射った弾丸が魚雷艇の甲板の上を走っている蒸気パイプを射ち抜いたらしく、蒸気がピュッと二〇メートルの高さに吹き上がって、それで魚雷艇は前進をやめたというのである。ブーゲンビル島にやっと辿り着いて、ブーゲンビルからラバウル、ラバウルからトラック島へ、海軍の飛行機に乗り、トラック島からは航空母艦に乗って横須賀に着かれた。艦の中でマラリヤが再発して横須賀の海軍病院に入院されている時、ブーゲンビル島の師の中隊は、全員突入して戦死したとの報告に、自分一人がこうして内地に帰って来たことを申し訳ないと思った。」、と。                          

 このように園頭師は奇跡の生還をするが、高橋信次師にも同じようなことが起きている。海防艦が撃沈され高橋師が海に放り出された時、米軍の機銃掃射にイルカの大群がが寄って来て守ってくれた。これが傷跡ですよ、と見せたという話が言い残されているが、このように、光の天使達には、天上界をあげて守護をするようである。                       

                                 

  〈霧島神宮での瞑想〉

 

 それから園頭師は、鹿児島の連隊に帰り着くと一ケ月間の休暇を取り、霧島神宮で瞑想を続けた。その時、社務所の土蔵の中の古文書『天之御柱伝(あめのみはしらでん)』荒深道斎著が目につく。そこに書いてあるのは、園頭師が戦地で体験した「宇宙即我」と同じもので、日本人の中にこのような体験をした例があったことは、不思議という外はない、と言う。そして昭和二十年初頭、広東付近へ出征、その年の八月終戦の詔勅を広東省太良というところで聞くが、その時、陸軍大尉であった。昭和二十一年四月鹿児島へ復員。両親、弟妹七人が空襲で亡くしたことを知る。一度に七人の肉親を亡くした園頭師は、肉親の死を通して、人生とは、死とは、生きるとは何か、ということを真剣に考えたことであろう。園頭師は、長身で、古武士のような気骨を持ち合わせた雰囲気の方だが、講演をする時、指導を求める手紙を来聴者に読んで聞かせながら、悩める手紙の主に思いを馳せてか、しきりにハンカチを動かし、目頭を押さえるという一面も持ち合わせた、涙もろく情のある方と、ウエブ・マスターの目には映っている。肉親を亡くした、その時の想いが、ダブルのであろう。

 

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                                  荒深道斎

                    

 先を続けよう。                         

 「この大宇宙は調和されているということを私が直観で知り、天からの声を聞いたのは昭和二十六年秋だった」と園頭師は書いたが、昭和二十七年に生長の家の地方講師、昭和三十年より本部講師として活躍。特に、昭和四十年から四十六年までの六年間は、生長の家を矛盾のない立派な教団にしたいと思う一念で、改革改善案の提出の連続であったという。しかし、師の提案もとり上げられることなく、石もて追わるるごとく四十六年二月、生長の家を辞める。時局対策宗教者会議事務局長、国民会議委員をつとめ、生長の家を担う人物と評されながら、故谷口雅春総裁、谷口清超氏に教団の問題点を具申し、去って行った。

 

  〈高橋信次師との出会い〉

 

 昭和四十六年、生長の家を辞められた園頭師は、トールス教団の教務部長として迎えられ、着任して四日目にトールス教祖は亡くなる。昭和四十八年一月十三日、東京へ出張、生長の家関係者から高橋師の『縁生の舟』(改題『心の発見・神理篇』)、『原説般若心経』の二冊を貰い、宿舎のホテルで、むさぼるように読む。「これを書かれた人の霊の次元の高さを感ぜずにはいられなかった」と。そして、本も読み終えないうちに、信次師に手紙を書いた。二月の末に、使いが二人、園頭師を訪ね、三月十三日、関西本部の講演会で信次師と園頭師は初めて顔を合わせ、園頭師は正師との初対面をこう述べる。           

「私は早目に行って待っていると、高橋先生が入って来られた。中肉中背の少しふとり気味の丸顔の少しの威厳もつくろわない、そのまますぐふところに飛び込んで行けそうな雰囲気に、私の心はやわらいだ。『あなたが私のところに来ることは、ぼくは五年前から東京の人達には言ってきたのです。ね、そうでしたね』と高橋先生は随行した人に証明を求められた。そして、『あなたは宇宙即我を体験したことがありますね、それはあなたの過去世で学んだものです』」、と。その言葉を聞いた園頭師は、これまで自分だけしか知らない、今まで何人かの人に話してみたが、理解する人は一人もいなかった自分の体験を、何も話さないのに、わかってくださったことに驚き感激したのだった。生長の家では「神想感」という観法をやっている。この観法を続けている谷口雅春氏はわかってくれるかも知れないという期待を持って、生長の家の本部講師にもなったが、結局、わかってもらえなかったと述懐する。

 こうして、開口一番「宇宙即我」という言葉が、何も知らないはずの高橋信次師から口をついて出たことに園頭師は驚愕したのである。高橋信次師は、「今まで随分苦労して来ましたね、それらの苦労も、結局は、今日、こうしてここに出逢うための準備だったのですよ」と、更に 「あなたはロスアンゼルスのアガシャ教会のことを知っていますね、あのリチャード・ゼナーを指導したアガシャーの指導霊というのは、我々の仲間ですよ」と。園頭師は、これまでの悩み苦しみをこの先生は全て理解して下さった、と心がやわらぎ、涙が溢れてくるのを覚えた。それから、信次師は「園頭さん、あなたの心がどうなっているか、ちょっと見てみましょう」と瞑目、精神集中。そして、「わかりました。ほとんど丸いですね。りっぱですよ。よし、やり直しだとあなたは思っていますね、それでいいんです。ただ少し欠けているのは、あなたは余りにも遠慮深いことです」、と。その時はそのようなことで終った。

四十八年四月八日〜十日、GLA関西本部の講演会。その四月九日の午後、「昨夜あなたの守護霊が僕に挨拶に来ました」と、そして「近いうちにあなたも過去世を思い出しますよ」と信次師は園頭師に言う。四月十日、信次師は講演が終った後「園頭さん、今夜、一緒に泊って下さい。宮崎から来られたお二人も。私は個人指導をする人がありますので、先に宿(生駒の三鶴山荘)へ行っていて下さい」と信次師は勧めた。夕方六時頃、信次師が宿に帰着されたというので園頭師は玄関に出迎えると、「どうして、早く風呂にはいって浴衣に着替えなかったのですか」、と。                            

 園頭師は、師を迎えるのに襟を正して、礼を尽くすべきだと思った。今までに知った教団の中に、これほどの心配りをされる人があっただろうかと心を打たれたのである。夕食が終り、「園頭さん、精神統一してみて下さい」と信次師が命ぜられると、園頭師は短い浴衣の前をかき合せて(註・園頭師は長身である)正座した。「そんな窮屈な姿勢では精神統一できません。もっと身体を楽に、足がしびれては長くは坐れない、心に集中できません」、と。                 

 園頭師は、高橋師がアグラをかきなさいと言われたが、それが本当だと思った。園頭師は「浴衣姿で教えてもらうことに最初はいささかの心の抵抗を覚えたが、精神統一と服装とは何の関係もないことが納得でき、昭和十五年に宇宙即我を体験した時も、禅宗で教えるような坐り方をした訳でもなかったことを思い出した」、と。                       

 そして、園頭師は次のように言う。             

「私が心の統一を計ると高橋先生は私に右手をかざして、何か訳のわからない言葉で語りかけられた。二、三分何か言われたが、さっぱりなんのことかわからない。言われたことの意味はわからないが、何か腹の底からこみあげてきて、口を開けば、それがそのまま言葉になりそうな気がしてきて仕方がなかった。「肉体を持っている人よ、そのまま声を出しなさい」と先生は命ぜられた。その時のような権威ある言葉を、私はこれまで聞いたことはなかった。それは、そのまま従わずにはいられない権威ある言葉であった。口を大きく開けて、アーと声を出した。とたんに、その声は変わった。習ったこともない言葉が、次々に口をついて飛び出した。私は催眠術にかけられたのではないかとも考えたが、催眠術や暗示は、本人が覚醒した後は、術中どのようなことがあったか覚えていない。しかし、この通り意識ははっきりしているし、全部知っているからこうして書ける」、と。                     

 知らない習ったことのない言葉が、次々に口をついて出て、感動の涙が溢れ、目も鼻もぐしゃぐしゃになって園頭師は泣く。それから、「あなたはヘイマカという人を知っているはずです。過去世でどういう関係にあったか今度は日本語で答えなさい」と信次師は日本語で問いかけると、園頭師は一瞬とまどい、今まで、自分を感動させた胸の奥というか腹の底というか、じっと潜在された自分の心に静かに問いかけてみた。すると答が返って来た。園頭師は、その答を否定した。その言葉は余りにも現実離れのした言葉であった。「心の中から浮んできたその言葉をそのまま口にしなさい」と、再び、信次師はうながした。     

 園頭師は、次のように言う。                

「高橋先生は私の心の中を知っておられた。口にしなさいと言われても、躊躇せずにはおれなかった。一瞬躊躇して『その人は私の侍従をしていた人です』と答えた。侍従とは天皇陛下の側近の人で、民間の自分が口にすべき言葉ではないことも知っていた。その言葉以外に出てこないので仕方なかった。」と。                        

「そうです。その通りです。その人は今、京都に生まれ変わってあと三カ月したら、その人も私のところへ来る筈です』と信次師は言う。(註・その通りに、三カ月目に大阪の講演会にその人は来ることになる)そう言ったと同時に、園頭師の目に映ったのは、信次師の姿の上に二重写しになっているお釈迦様の姿だった。「仏陀、おなつかしゅうございます。偉大なる観自在者、仏陀」といって師は泣き伏したのである。 

 すると高橋師は、                        

「ウパテッサー!(舎利弗・舎利子・シャーリープトラの幼名)ニ五〇〇年を距てて、この日本で再び一緒に会うことができました。私もなつかしい、インドの時と同じように今世でもやりましょう』と涙した。そこに居合わせた人も泣いた。「あっ金粉が」、GLA関西本部長・中谷義雄氏が叫んだ。園頭師の頭上に金粉が降って来た。高橋師の顔も、かざしている手もみな金で輝いていた。「釈迦の像を金で荘厳するのは、このようなことによるのかとわかった」と園頭師は書いている。   

(註・正しく心を開いた光の天使にはこのような現象があるが、動物霊でも金粉類似のものは出すので、注意が必要である。本物は純金だが、動物霊などのニセものは銅などの合金である。「正見」してください)                               

 それから、「ブッダー」といって園頭師は信次師の前に距づくのである。これには、宮崎市から同行したI・S氏がこの情景をすべて見ておられ、大阪Y氏の奥さんが当日、昼食の接待をされている時に、信次師が、「今日はすばらしい大物が霊道を開きますよ」と言ったという証言がある。

                                 

  「霊能者と言われる人を正しく見よ」              

 

 園頭師の体験した事例から述べてみたい。           

                                 

  〈その一、天玉尊という人〉

 故・遠藤周作氏が〃狐狸庵閑話〃の中で「奇妙な女」として紹介した天玉尊という人がいる。遠藤氏は、「私は彼女の奇跡を実験するために、あらかじめ餅菓子を持って行った。すると天玉尊氏は、それを前において念祷し、両手で割るように命じた。餅菓子を割った時、黒いアンコの中に魚の目のような白い真珠が現われた。そのとたん、彼女の唇からもポロポロと真珠がこぼれ落ち、数えたら合計八個あった」、と。

 そして、園頭広周師は言う。               

 「私がその人のことを知ったのは昭和三十六年であった。昭和四十年十月、私は天玉尊氏のところに行ったことがある。その頃既に「生長の家」の教えでは救われないことを知っていた私は、いろいろな人を尋ねて歩いていた。生長の家の信者の中に、ある大学教授夫人があって、その人に誘われて行った。その頃は天玉尊氏は浅草におられた。その大学教授夫人は、銀座を歩いていて左肩が重くなってきたので、ひょいと見たら、三寸位の高さの木彫りの大黒像が乗っていたというのである。私もその時餅菓子を持って行ったが、その菓子の中から、真珠と金の大黒、恵比須の像が出てきた。どうしてそういう霊能を持たれたのかと聞いてみたら、小さい時から信心が好きで、私の記憶では十四才の頃から、滝に打たれて修業しているうちにそうなったということであった。空っぽの瓶を祭壇に供えて祈られると、ぶくぶく甘い匂いがして酒がこぼれるのである。そういう霊能は不思議だと思う気持ちはあっても、その天玉尊氏が祭っている神様を信仰しようとは思わなかった。異様な雰囲気を私は感じていた。三回目に行った時、氏と御主人と夫婦喧嘩が始まり、いい合いされた後で、舌打ちしながら坐り直して祈祷を始められた。私は、それっきりそこへは行かなかった。日常生活を正しくできない者は、正しい神理は説けないと思っていたからであった。」、と。                    

 

  〈その二、福田くらという人〉

 園頭広周師は、次のように言う。              

「ある人から『天国の扉』という本が送られてきた。『あなたは金粉が出ますか、金粉が出る指導者がホンモノです』という手紙が添えてあった。千葉に日本一の霊能者と称する人があった。その人も金粉が出るといっていた。金粉は動物霊も出すのである。昭和四十三年、私は既に生長の家を辞める腹を決めて、あの世とこの世の関係がよくわかる霊能者はいないか探していた。丁度「たま出版」から、福田くら著『天国の鍵』という本が出版され、それで行ったのだった。金粉がふること、病気が治ること、いろいろな奇跡が起ることを幹部の人達が説明され、「ここの先生を知られたことは幸せですよ」と言ったが、私には祭壇の異様な空気が腑に落ちなかった。教祖の先生は祭壇に向って祈祷をされるだけで、特に「法」を説かれるわけではない。だから、ここの神様の正体を見てみようと思ったのである。大祭があるというので行った。私は一番後ろに坐った。いよいよ神様を招く祈りが始められた。今だと思って「ここの神様、正体を現わしなさい」と 〃光〃を送ったのであった。とたんに教祖の先生が苦しみ始めた。「あ、苦しい、助けてくれ、酒を呑ましてくれ」といいながら祭壇の前をのた打ち回り始めた。集まった信者達が総立ちになって「こんなことははじめてだ」と騒ぎ始めた。のた打ち回りながら祭壇に供えてあった一升瓶の封を切って、瓶ごとごくごく呑み始めた。長居して疑われてはいけないと思ってそっと帰った。」、と。               

 また、園頭広周師は、「その後、ある大きな教団の話を聞きに行き、光を送った。すると、とたんに話ができなくなるのである。冷汗を掻いてハンカチで顔を拭き拭き、無理して話を続けようとするから、それまで話していたこととは違ったとんちんかんな話を苦しそうにし始めた。どうして私にそういう力があるのか不思議であった。私でない私以上の力が働いていることはわかっていたが、もっとはっきり知りたいと探しているうちに高橋信次先生を知ったのであった。」、と言われる。 

                                 

  〈暗い世界の霊にとって光は大敵〉

 

 これまでの記述の中で、園頭師が「光」を送られると動物霊や地獄霊に憑依された教祖達が、のた打ち廻ったり、支離滅裂な言動をとった話が出て来るが、このようなことがどうして起るのだろうか。信次師は、「園頭氏は、如来界と菩薩界の中間に位置する人で、来世は如来として出る人だ」と言い残したが、暗い世界の住人、つまり、動物霊や地獄霊にとって、如来や菩薩界の人の後光(オーラ)は「光そのもの」「光の化身」なのである。光あるところには闇は消える。光あるところに、悪は住めない。善があらわれると悪は消えてゆく。このようにして、憑依されている教祖は、信者の前で痴態をさらすことになったというのである。正しいものなら、このようなことには絶対にならないと思われませんか。世の霊能者と言われる人よ! 園頭広周師の面前で、その霊能とやらをやってみられるとよい。自信を持ってやれる人が何人いるであろうか。「神の子」である人間も、動物も植物も鉱物も、すべて「光」の中に在って生かされ生きて行く。しかし、その「神の子」の一部は、光を嫌い、影の部分でしか生きてゆくことが出来ないとは、なんと愚かなことであろう。

 次に信次師の「ことば」を引用したい。

 

  「霊道」                           

                        高橋信次師    

「一般的には霊能、あるいは霊道と呼んでいるようです。霊道とは文字通り霊の道が開くことで、芸術家などの中に、割合多くみられ、天才などは霊道を開いている人がほとんどです。霊道を開くと透視力とか幽体離脱、人の心を見抜く、物品引き寄せ、物質化現象など、超自然現象が人に応じて可能になります。これらは、その人が行うというより、その人の背後で手助けしている霊がおり、その人の目的意識に合わせて行うわけです。その人が全然それを望まないのに、そうした超自然現象が起きることもありますが、そういうことは少ないものです。なぜかというと、あの世の霊は霊道者の心に合わせて行うからです。ただし、霊道者が仮に、万年筆の物質化現象を望んだのにボールペンに変化することはあります。また、目的に対して時間的なズレがあったり、希望はしないが、恐怖心や心のさまざまな動きが現象化することもあります。霊道は過去世でその道に修行した人が大部分ですが、修行しない人が霊道を開くと、分裂症に陥り、変人になったりします。やたらと滝に打たれたりして、霊道を求めることは、こういう意味で非常に危険です。」、と。(『心の発見』)       

 同じく高橋師の記述から要約する。                

                                 

  〈霊能者・霊媒〉

 

 「まず霊能者、霊媒といわれる人は、ほとんどの人が前世、過去世で肉体行などの荒業をやっています。今世でフトした機会に霊力や霊能を身につけたと言われる人は、ほとんど前世で、肉体行をやっています。通常にない能力を身につけますから、つい有頂天になり、自分の心にふり廻されてしまい、あの世の魔王や、動物霊のまたとない獲物となってしまいます。このような人達の末路は哀れといわれるのも、動物霊や魔王に身も心も明け渡してしまうからです。正しい法の根本は、神の子の自覚です。霊能そのものではありません。霊能は神の子の自分に目覚めた時に、二次的副作用として起こるものです。霊道の原則はこの一点にあります。色々な霊道現象を現わすからといって、つまりモノが当る、病気を治す、霊力がすごい、というだけでその人を信じてはいけません。動物霊が背後にいて現象を現わすことがほとんどです。まず、常識的に判断して、その人の言動をよく確かめることです。その霊道現象をうのみにせず、それが本物であるかどうか正法に照らして、見る、聞く、考えてみることです。」と。

 また、同じく、信次師は、「現代はどうかというと、動物霊に犯されています。万物の霊長たる人間が、己の心を、己の本性を忘れたため、その黒い想念がそのような動物霊を呼び込み、とりわけ、神がかり的現象をみせている新興宗教のほとんどは、動物霊の支配を受けているというのが実情であります。」、と。                      

 私達は動物霊や地獄霊の配下になってはならない。園頭師は、「〇〇の科学の〇川氏や外国のサ〇バ〇は動物霊」と看破しているが、神の子である我々は、動物霊にコントロールされてはならないのである。なぜなら、我々は、天上界から降臨した神の子だから、動物霊や地獄霊よりは、上段階霊として彼等を教え導くことはあっても、それらの配下になってはいけないと皆さんは思われませんか。次に「なぜ霊道現象を公開しないか」という園頭師の記述があるので紹介しよう。

「『法』を伝えるということは菩薩界の人でなくても、神界、霊界、幽界の人でもできる。それは『智慧』に依ってである。今回は高橋信次として出世されて『法』を明らかにされた。この次は七八〇年して(昭和四十八年現在)エジプトに出世することを予言して亡くなられた。その間、『法』が途絶えることのないように、その基礎をしっかりつくって置かなければならない責任が私にはある。もし、私が霊道現象をやってしまったとしたら、私が死んだ後、霊道現象をやれる力のある人が出てくるであろうか。霊道現象を起こす力はなくても、正法を正しく実践すれば必ず奇跡は起こるのである。正法を伝えれば、天上界からの協力があって、必ず奇跡が起こるのである。その事実を私は今、示しつつあるのであって、今、私がやっていることは、まじめに正法を学ぼうという信念と情熱があれば、誰でも出来ることなのである。霊道現象をやらない第二の理由は、高橋信次先生の存命中、霊道現象を起こし、自分の過去世を知った人達が、現在いかにあえなく高橋信次先生を裏切ってしまっているか、高橋信次先生著『心の発見』は、『私の周辺には霊道現象を起した者が百人以上いる』と書かれている。『心の発見』を書かれた時には、私はまだ高橋信次先生に帰依していなかったから、その『百人以上』の中には私は入っていないが、その『百人以上』といわれた人で、現在も続けて正法を実践しているという人は、唯の一人もいないのである。霊道現象があったために、みな増長慢になって魂を悪魔に支配されてしまい、釈迦、キリストを否定し、高橋信次先生を『ぬけ殻だ』と平然としていった。潜在意識と現在意識が同通し、霊道現象を起こした人が、地位欲、名誉欲、金銭欲等の欲望を持つと、魂に穴があいているから、簡単に悪魔がそこから入り込んでその人の魂を支配するのである。しかし、その人達は悪魔に支配されていることには気がつかないのです。自分の言っていることを正しいと思っているから始末が悪いのである」、と園頭師は書いているが、世の宗教家と呼ばれる方々よ、心して、この言葉を噛みしめて欲しいのである。                   

 同じく、「私はこの次インドに生まれ変わることを願っている。ガンジーにならって私も村から村へ、カースト制度の廃止と、すべての宗教の調和を説いて歩こうと思っている。今インドへ行くのも、この次インドに生まれ変わった時の縁になればと思って行っているのである。」、と。  

 次に、園頭師の二枚の「奇跡の写真」を紹介したい。

 園頭師は、次のように説明する。               

「昭和六十一年一月十四日早暁、霊鷲山上で私が法華経の「無量義」の講話をしている時、私の全身が光に輝いたという人があった。霊鷲山上での写真は、私の写真機で永谷幸人さんに撮ってもらっていたので、帰って現像してみたら、その中の一枚に天上界からの光によって、私の全身が光り輝いている写真があった。この時私は「正法が説法されるところには、天上界の諸霊達も聴聞しているのである」と話していたのであった。山上での説法が終って、舎利弗がいたという洞窟の中に入って禅定した。ここの禅定では、私はすぐ二千五百年前の舎利弗の意識に還り、釈尊が身近にいられるのを実感すると、もはやどうしようもなくなって、感動の涙が溢れ出てくるのである。正法を正しく守り、正法を歪めて説く者に対する厳しさは、ここでの禅定から生まれるのである。正法を正しく伝えることへの厳しさは、私自身のものであって、私自身のものでないといえる。肉体を持っている私は「そこまでいわなくても」と思うのである。だが、そのたびに、魂の奥底の深いところから「妥協せずに書け」と命ぜられるのである。私の書くものや、私が話すことが人々に深い感動を与えるとするならば、それは私が常に天上界に心を照応させているからであって、書いたり話したりするのは、私であって私でないといえる。」、と。

 

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 次の写真は逆光(フラッシュなし)でありながら全身が光って見える、奇跡の写真(著者註・オーラの撮影された稀なる写真)神奈川県大山にて、反省禅定研修会終了後(女性写真家・三坂志津恵氏撮影)

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WB01584_.gif (2068 バイト)              出口王仁三郎菩薩界の人だった」

                                 

 「出口王仁三郎(おにざぶろう)(一八七一(明治四年)〜一九四八(昭和二十三年)は、日本の宗教の誤りを覚醒させる使命を持って生まれた菩薩界の人であった」と高橋信次師は言い残した。    

 

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出口王仁三郎

 

 出口王仁三郎は国家神道体制下の宗教指導者として、近代日本の歴史に、ひときわ異彩を放っている。貧農の子に生まれた王仁三郎は大本(おおもと)教の創唱者、出口ナオとめぐりあい、自から教祖兼組織者となって、一大民衆宗教・大本教をつくりあげ、やがては生長の家、世界救世教や三五(あなない)教などの源流となるが、不敬事件の弾圧で大きな方向転換を余儀なくされ、「人類愛善」の旗をかかげて、平和と人類愛を説いた。『霊界物語』の口述は全八十二巻に及び、一巻分(四百字原稿用紙三百枚)が、平均三日間という驚くべき速度で、身体を横たえながら、よどみなく口述がつづけられたという。王仁三郎の遺書の中に、「世界を霊的指導原理によって再編する人物が、すでに肉体を持っているかもしれない」と書いているが、それは高橋信次師かもしれない。出口王仁三郎についての本は、数多く出版されているので、それを参考にしていただくとして、王仁三郎の人となりを簡単に述べてみよう。           

                                 

  〈出口王仁三郎のプロフィール〉

                                 

 文明開化の嵐が、日本全土を吹きあれていた頃の明治四年、霧深い丹波の国(現在の京都府亀岡市)に貧農上田吉松、ヨネの間に本名・上田喜三郎は生まれた。七歳の時、丹波の国亀岡の穴太村では、かつてない水飢饉によって、村中の井戸は枯れ、掘れども掘れども一滴の水もでないという有様だった。ところが喜三郎がさし示した場所を掘ってみると、驚いたことに水が吹き出し、村中で評判となり、村人は少年を連れだしては水脈を探しあてさせる。彼は、幼いころの病気が原因で、小学校の入学が三歳遅れの九歳だったが、持ち前の天才ぶりを発揮して、十三歳の時、代用教員として登用され、当時といえども異例のことで、職員室の図書は次々に読破し、知識の上でも本職の教師を上回り、教育効果をあげていることに教師達はこころよしとせず、何かと辛くあたった。教職員達のいやがらせにほとほと嫌気のさした喜三郎は、一年近くで職を辞し、二十三歳の時、当時廃墟になっていた亀山城で瞑想にふけっていると、この城をふたたび建設している自分の姿を見て驚き、この頃より自分の将来をひんぱんに予見するようになるが、それから二十五年後に、この亀山城を買いとり、教団・大本(おおもと)の本部をおくことになった。

二十七歳の時、早朝、起きあがって机の前にすわると、無意識のうちにすらすらと文字を書くようになると、眼前に一人の男が立って、「上田喜三郎だな。これからおまえを富士山に連れていってやろう」「ははあ、あんたは天狗だろう」その奇妙な男は、いきなり風呂敷のようなものをかぶせ、気がついた喜三郎は高熊山の岩窟の中にいた。そこで一週間の神秘体験をすることになるが、村では突然喜三郎がいなくなったので大騒ぎになり、一週間後、喜三郎は服は破れ、裸足のまま家に帰って来ても、帰宅して三日目には、手足の硬直にはじまり、耳と皮膚感覚以外はなにもきかなくなって、その状態が数日間も続いた。このような体験の後に、村人の病気治しをしたり、予言をしたりして評判になるが、「穴太の喜楽天狗さん」と呼ばれ、名が知れ渡り、その年の七月、喜三郎が社前で拝んでいると、「一日も早く西北の方をさして行け」という霊示をうけた。一方、喜三郎の活動舞台を用意することになる、大本教の開祖・出口ナオの「お筆先」にも、「この神をさばけるお方は東から来るぞよ。その者が来れば、艮(うしとら)の金神の道は開ける。」と出ていた。九月には喜三郎は出口ナオのもとを訪れ、二十九歳の時、ナオの娘と結婚し出口王仁三郎と改名。これより王仁三郎は予言詩や霊言を世に問うが、教団役員や出口ナオとの対立があり、三十五歳の時から、しばらく綾部(本部)をはなれる。その間、神職養成機関である皇典講究所や御嶽教に入信するが、王仁三郎のいない綾部は脱退者が出て閑古鳥が鳴くありさまで、それからというもの、王仁三郎は、日露戦争の勝利や第一次大戦の勃発と勝利、第二次大戦の開戦と敗北など矢つぎ早に予言し、この予言騒動のさなかの四十七歳の時、大本開祖・出口ナオは死去。

これより、ナオにかわって一時、王仁三郎がお筆先を書くようになるが、王仁三郎の予言がことごとく的中し、その信仰者が日本中に広がるにつれ、世間の風当たりも強くなって行った。しかし高級軍人、さらには宮中・華族の中にも信者になる者があらわれ、烈火のごとく広がっていき、当時の一流新聞を買収して、機関誌を出すが、このような破竹の勢いに官憲も動きはじめ、神殿取り壊しという大弾圧に出て、それは、日本の滅亡などの予言の言葉が、社会の安寧秩序を乱す、というものだった。

五十歳の時には原敬が暴漢に襲われた情景を霊視し、五十二歳の時には関東大震災を予言するが、五十三歳になると、中国の予言教団、道院・紅卍字会と提携し、第一次弾圧のあとの責付出獄の身でひそかに日本を脱出し、幹部数人とともに満蒙に入り、各地で雨を降らせ、先々で病いをなおしたりして布教につとめるも、パインタラで張策霖の追討軍に包囲され、王仁三郎らも訊問ののち銃殺と決定したが、不思議なことに機関銃が故障しているあいだに助けがはいり、刑の執行は中止。かくして王仁三郎は、「B29(鳥船)によって焼かれ、潜水艦によって散りぢりにされる」とか、「人民の大海(中国)に引きずりこまれ、悲惨な戦いをしいられる」とか、天皇の「人間宣言」等を予告した。また擬似軍隊・昭和神聖会を設立し、青年信者達にカーキ色の制服制帽を着せて訓練まで行ったり、一般新聞の数社を経営したり、オーケストラ、ブラスバンド部等を設け、現代の新興宗教のひな形としての、先駆的役割を果たした。しかし、政府は王仁三郎の行動に頭を痛め、二度目の大弾圧の鉄槌が、王仁三郎六十四歳の時に下され、全施設の徹底的破壊が強行されたのである。裁判から投獄、そして、保釈。この時、王仁三郎は七十一歳。亀岡に帰った王仁三郎は、訪れる信者達に次々と予言を発し、「火の雨が降る。火の雨とは焼夷弾だけではない。新兵器の戦いや」と、広島と長崎の被弾を予告したので、広島より疎開し、原爆の被害を免れた人もいた。また、「日本の敗戦後は、米ソの二大陣営が対立する」等と予言したが、奇妙にも、終戦と同時に、王仁三郎は予告めいたことを口にしなくなり、それからは書道や、絵画、楽焼きに耽るようになって、昭和二十三年一月、亀岡の天恩郷で、その七十六歳の波瀾に満ちた生涯を終えたのである。こうして王仁三郎は、政治家・床次竹二郎の弟、真広に渡した遺書に次なる言葉を残した。    

「いま、大本にあらはれし、変性女子(へんじょうによし)はニセモノじゃ、誠の女子(によし)があらはれて、やがて尻尾が見えるだろう。女子の身魂(みたま)を立て直し、根本改告しなくては、誠の道は何時までもひらくによしなし。さればとて此れにまさりし候補者を、物色しても見当らぬ。時節を待ちていたならば、何(いず)れあらはれ来るだろう。美濃か尾張の国の中、まことの女子(にょし)が知れたなら、もう大本も駄目だろう。前途を見越して尻からげ、一足お先に参りましょ。皆さんあとからゆっくりと、目がさめたなら出てきなよ。盲(めくら)千人のその中の、一人の目明(めあき)が気をつける。ああかむながら、かむながら、かなはんからたまらない、一人お先へ左様なら」           

王仁三郎は、この手紙の中で、「私は偽物である。美濃か尾張の国のあたりから、誠(まこと)の人が現われ、人々を導くことになろう」と予言したが、まさしく、関東中部の長野県佐久に高橋師は肉体を持ったのであ る。王仁三郎は仏教的に言えば菩薩界の人であり、キリスト教的に言えば上段階光の天使だが、輪廻転生しながら、そのつど正道を歩き、心を大きくさせて来た人物であり、その予言もまた、上段階になるほど正確無比となる。動物霊や地獄霊憑(つ)きでも「当てごと」はする。どうしてかと言えば、この世に起きることは、あの世で先に起きるので、先に起きた、あの世の出来事を、あの世の霊である動物霊や地獄霊といえども、それを知ることが出来るからである。しかし、その範囲は、光の天使と違って限界があり、あの世は「心のままの世界」だから、金儲けしか関心のない地獄霊に、世界情勢のことを尋ねても分からないように、そこには限界があることを理解いただけよう。しかし、人間の心の広がりと大きさを、五段階(如来界、菩薩界、神界、霊界、幽界)に分けた時、上より二位に位置する菩薩界の王仁三郎の予言はかなりなものと推察できる。よどみなく行われたという口述筆記された『霊界物語』は、過去とこれから起るであろう未来が、多く込められていると思われ、日本の予言書の中でも有数のものとウエブ・マスターは信じている。しかし、いくら偉大な予言書であっても、我々は正道を歩き、人間としての道を踏みはずさない中道と調和こそが大事であり、霊能や予言にふりまわされぬ覚悟が大切であろう。王仁三郎は、偉大な菩薩界の生命であるだけに、その思想と発想は枠に執われず縦横だった。そして、彼は、あの世とこの世の関係について、「あの世とこの世は照応し、この世は、あの世の移写であり縮図である」、「あの世で目撃したことが二、三日後に現れることもあれば、十年後ということもある」、「あの世は時間空間の観念はなく超越したものである」等と、高橋信次師と同じ意味の言葉が散見されて興味深いが、王仁三郎没後の、十五年ほどで道を説き始めた高橋師は、王仁三郎を「日本の宗教の誤りを覚醒させる使命を持った菩薩界の天使であった。」と言い残したのである。      

 

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WB01584_.gif (2068 バイト)          松下幸之助氏はイエスの弟子ルカだった」        

                                 

 高橋信次師は、「松下幸之助氏の過去世は、今から二千年前のイエスの弟子ルカである」と言い残した。

聖書の中のイエス伝には、マタイ、マルコ、ヨハネ、ルカの福音書がある。同じイエス伝でありながら色々に伝えられているが、聖書はイエスの手になったものではないので、それも仕方のないことだが、その中の一つを例にあげて見たい。十字架のイエスは息絶える寸前、こう大声で言ったと記されている。マタイ伝では「わが神よ、わが神よ、なんぞ我を見棄て給いし」、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と。ルカ伝では「父よ、わが霊を御手にゆだぬ」とある。どちらも本当だという見方もあるが、マタイ伝、ルカ伝のどちらが正しいのか議論になるところである。高橋師は天上界のイエスに真意を正し、次のように訂正している。イエスのこの時の言葉は「神よ、人びとを見棄て給うな、その為すところを知らざればなり」ということであったと、教えた。そして、「胎教」とも言うべき描写がなされている箇所がある。                                

  <ルカ伝 第一章 三十九〜四十四節にみる胎教>                              

 「その頃、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤの家にはいってエリサベツに挨拶した。エリサベツがマリヤの挨拶を聞いた時、その子が胎内でおどった。……ごらんなさい、あなたの挨拶の声が私の耳にはいった時、子供が胎内で喜びおどりました。」 このように、胎教は宗教教育の一環として大事なものとして説かれているが、この「ルカ伝」を残したルカが、松下幸之助氏だったというのである。松下は成功の理由として、学歴がなかったこと、家が貧しかったこと、体が弱かったことを理由に上げている。勿論、外に現れた現象はそうかもしれぬが、そうではなく真の理由は、ルカとしての偉大な天使としての使命と目的、役割があったからという理由を、これから読んで行く内にお分かり頂ける筈だ。                               

 松下幸之助は、松下電器産業相談役、松下会長もつとめた、大阪松下電器企業グループの創業者で、明治二十七年十一月二十七日和歌山県に生まれるが、五十歳までもつまいと言われる程の蒲柳の質だった。六人兄弟姉妹の末子三男で、旧家の上位に属する小地主だが、理由あって土地も家も人手に渡ることになる。小学校に入学した頃、長兄、次兄、長姉、相次いで病没、二兄を失った両親は幸之助を心ひそかに力強く楽しみにした。小学二年生の頃、お父さんは盲唖学校に職を得、小学校の担任の先生は非常に親切ないい先生であったと、自伝に書かれている。九歳の秋、大阪に奉行に出て、火鉢屋の小僧から、十〜十五歳まで自転車屋の小僧となるも、十一の時にお父さんは病没。十五歳には大阪電燈に入社して、十八歳で夜学に入学し二十歳で結婚。二十二歳で大阪電燈を退職してからソケット製造に着手するが、余り注文も取れず挫折しそうになる。しかし、扇風機の碍盤の受注に行き詰まるも打開され始め、アタッチメントプラグから二灯用差し込みプラグへと増産を続け、二十三歳で従業員は二十余名となる。二十五歳の時には、所主も従業員も皆、等しく歩く、歩一会員なりとの鉄則をもって「歩一会」が誕生。二十七歳の頃、百坪の土地に工場、事務所、住居七十坪ほどの工場を月賦払いで建設して、続いて自転車ランプの製造販売を始める。それから関東大震災。

そして、三十歳の頃に真言宗の坊さんとの同居したり、真空管の販売、やがて中止となるが、引きぎわを潔くして名声を博し、その頃には区会議員に当選して、高野山にも初めて詣でるが、招待してくれた同行の二人は運だめしの石が持ちあがらない。しかし幸之助氏は、「静かに念じてやってみた。三人の内で一番力の弱い私は奇跡にも持ち上った」と書いた。それから、ナショナルランプの製作販売からナショナルのマークの決定。また、アイロン、コタツ等の電熱器の生産(この頃昭和三年)。三十三歳の頃には従業員二百人となり、スーパー・アイロン試作販売に成功したが、決算は欠損。電熱部門の自己経営にもどるも、昭和二年には金融恐慌が起こり、住友銀行と取り引き上の幸運。

これを、松下は次のように書いた。「自分の運が強いというか、住友に理解があったというのか、あの銀行騒動の時期に流通の道が開いて、さしたる困難もなく、切り抜けることが出来たのは、今も忘れ得ぬ大きな出来事の一つであった。」、と。あの金融恐慌の二カ月前に、住友銀行と取り引きを開始して道が開いたとあるが、予感、直感によるものか、光の天使・幸之助氏に対する天上界の協力によるものか不思議だった。同じく昭和二年には、赤ん坊審査会で最優良児として表彰された長男の病没。順風満帆での悲劇となるが、「幼い子供を亡くすということは親の生きざまの反省」と、高橋信次師は教えている。昭和四年には、新工場の建設。土地五百坪、建坪三百五十坪の建設が始り、未曽有の不況で売れ行きも半減したので、「従業員を半減し、この窮状を打開しよう」とする意見も出るが、打開の途が頭にひらめき生産は即日、半日勤務とし、従業員は一人も解雇してはならないと決意。減給せず全額を支給し、その代り全力をあげてストックの販売に努力することを命じた。その頃には、労働争議は日に日に激しさを増し、会社の責任者が暗殺されることさえ起っていた。しかし、この方針により三カ月後にはストックは全部売り切れ、全力をあげて生産努力しなければならないというほどの活況を呈することになる。病気による出養生先で、その方針の当を得たことに非常な喜びを感じ、店員の努力に感謝したと氏は言う。そして、混乱期を見事に切り抜いて自動車を購入するが、この経済の沈滞した時こそ余裕のある者は消費をあおらねばならないという信念で、人にも建築を大いに勧める。それ以来、合成樹脂界へも進出、人材登用の新方針によって、昭和七年にかけて優秀な人材も得、不景気な時代に積極的な採用ぶりは世間を驚かせ、ラジオ界にも進出し、ラジオカセットの製作と乾電池の自社生産とナショナルランプの盛況によって、昭和六年末には製品総数二百余種を数える。

昭和七年には、知人に宗教を勧められ某宗教本部を見学するが、宗教の力に感服して、家に帰っても経営と宗教というものが二重に写って見え、まんじりとも出来ず考えるのだった。「真の経営、聖なる経営とは何か、生産者の使命は貴重なる生活物資を水道水のごとく無尽蔵たらしめることで、加工された水道水は価値がある。物質を中心とした楽園に宗教による精神的安心が加わって人生は完成する」、そうだこれだと幸之助氏は考えた。これを高橋師は「心と肉体と経済の調和」と説くが、「健全な精神と健康な肉体、そして困らない位のお金を持つこと」というわけである。そして、昭和七年には「第一回創業記念日を迎え真使命を感得し、以後二百五十年を使命到達期間と定めて十節に分割し、世を物質に充ち満ちた富み栄えた楽土を達成すると力強く邁進した。使命達成の方途を聞いた社員は真に感激の極に達し、昭和五年には従業員数五百余名、昭和七年店員養成所の建設計画を注文に応じきれないというフル生産のために、計画変更により本店建設と移転により拡張を続け、昭和八年遵奉すべき五大精神は昭和十二年の七大精神と改められ今日に至っている」、と氏は記述した。        

                                 

  <松下の七大精神>                      

      一、産業報国の精神

      一、公明正大の精神

      一、和親一致の精神

      一、力闘向上の精神

      一、礼儀を尽すの精神

      一、順応同化の精神

      一、感謝報恩の精神

                                 

そして、氏は次の言葉で結んでいる。                

「釈迦、キリストの尊敬すべきは、だれよりも強い感謝、報恩の念の持主であったがためであると私は解している。この人達が生を人間に得たことの、その喜びに対する感謝とその喜びに対する報恩をいかばかりか感じたことか。そして、その感謝の現われが、世道人心の向上と救済に己を報いたのである。」、と。                       

以上は、松下幸之助自伝、わが半生の記録より『私の生き方、考え方』PHP文庫より引用したが、氏は経営の神様、世界のビリオネア−、大富豪、慈善事業家という人物評価がされたが、小学校を出ただけでどうしてこれ程までに成功したかを見てみたい。

               

  <幸之助氏の、今世の使命と目的は何だったのか>                              

 この世に大指導霊が生まれ、人類を導くための法を説く時、天は経済的援助をする天使を、近くに配材すると高橋師は教えた。これを仏教では「大黒天」と呼んだ。現代では大黒天は金儲けの神様のように言われているが、そうではなかった。正法を説く高橋信次師の大黒天だったというのである。その使命のために天はルカの生命をこの世に遣わしたと言うのだ。釈迦の時代は、法の学問所である、祇園精舎とか竹林精舎を寄進した人達がこれに当たるが、現代は氏がこの役だった。だから、天を上げて協力したために、目を見張るような成果が出たというのである。高橋師が、昭和五十一年四十八歳で昇天するまでに、誰かが、松下幸之助氏と出会いの機会をつくる手はずになっていたらしいが、それは実現しなかった。

                   

 高橋師は昭和二年、松下氏は明治二十七年生まれ、三十歳余りの年のひらきの中で、大黒天である松下氏が先に財的基盤を確立して、その背景の中で高橋師が道を説かれる、なんという神の計画、神の配材なのだろうと考えた。第二次大戦のために、十年悟るのが遅れたと高橋師自から述懐しているが、戦争は全てを狂わせたのである。             

 ところで、幸之助氏が小学校を出ただけで、それも一代で巨万の富みを築いた日本のサクセス・スト−リ−を垣間見て、自分もあんなに成れたらと、誰もが一様に考えたことであろう。次に、「分を知る」、「足るを知る」について述べたい。                      

                                 

   <正法と「分を知り足るを知る」>               

                                 

 昔からよく「その人の分」「本分を尽せ」「本分を守れ」「本分を自覚せよ」と言った。金持ちに生まれるか、貧乏人に生まれるかというのは、各人が、あの世で選んで自分で決めてくるのであり、業(ごお・カルマ)が深いとか浅いかということではない。神の分身であり、神の子である人間は、完全な自由と自主性が与えられている。この世は、金持ちになって人生の修行をしようと出て来た人もいれば、今生(こんじょう)は平凡な中に人生を送ろうと思って出て来た人、そして、過去世で金持ちの経験は卒業したので、今度は貧乏人でなければ経験できないことを勉強しようと貧しい環境を選んで生まれてくる人と様々である。金持ちになろうと生まれて来た人には金儲けのチャンスがあり、平凡な生活を望んで生まれて来た人が、この世に生まれてから、欲望を持って金持ちになろうとしても、それは、ことごとく失敗することになる。これを昔の人は「その人の分だ」と言った。最近の猛烈なセミナ−屋さん達は、「財力無限供給」等と言って、金持ちになれると思えば必ず金持ちになれると説いた。新聞紙で一億円の札束を作って「既に一億円の金持ちになりました」とアリアリと心に描かせたり、「成功哲学…」「あなたもこうすれば成功者になれる」と金儲けのセミナー、著書の花盛りであるが、新聞紙で作った札束を眺めたり、セミナーを受講した人が、皆なスローガンの通りに成功しただろうか。金持ちになりたいという「欲念」の力で一時期はそのように見える時があるかも知れないが、五年、十年という単位(スパン)で見た時、果して、その人は金持ちになったのか。それは、廻り道をしただけで凡人はやはり凡人であり、それが「その人の分」である。

「天分」というのは、天からの分け前を意味するが、これまで述べたように、自分が決めて来たことなのである。なのに、かなえられる筈もないものを、かなえられると説く宗教家、得られるべくもないものを、得られると説く経済セミナ−屋には困りものだと言うのである。得られないものを得ようと心を乱すより、「分を知り」心を安らかにすることが、如何に人生にとって大切なことか。全ての人が松下幸之助氏のように成ろうとしても、それは不可能であり、金は無いより有った方が良いとする心の動き、これを「心中の魔」という。大いなる夢を描けと言うが、現実とならない観念的な夢を描かせることは、人々の心のエネルギーを浪費させることになり、正しいことではない。そして、人にはそれぞれ、その分によっての運命の上限と下限があり、その分に適ったことは必ず成功し、分でないことは失敗することになる。たとえ、分に適ったことをしていてもその運命の上限を越えることは出来ず、限界があることを知らねばならないのである。分に適ったことをする人には心の安らぎがあり、心が安らかにならない人は、それはその人の分ではないからであり、よくよく考えなくてはならない。財産家になることを夢みて、なけなしの金を献金する信者や、なけなしの金をはたいてセミナ−を受講する人の姿を見ると、哀れである。各人の運命には上限と下限とがあって、その間を上がったり、下がったりして一生を送るもの。上限とはその人の運命の好調時、下限とは、最低時、一番苦しい時期である。

しかも、上限、下限のワクは、各人によって異なり、そのワクの外には出られない。大抵の人は、下限と中間のあいだを、いったりきたりして、その一生を終る場合が多いと高橋師は教えた。             

 次に、園頭師の記述を引用しよう。               

 「分を知るということは同時に「足ることを知る」ということになります。今の私達の人生は、宇宙即我に到達するための永い輪廻転生の中の一コマなのであり、ただ一回の人生だけですべてを悟りつくす、経験しつくすということはできないのでありますから、今度の人生では自分はなにを為し、なにを学ぶことが正しいのであるかをよく心の内に聞かなければならないのです。人には欲望があります。平社員でいるより社長がいい、と思うでしょう。では「社長になって実際に会社を経営できるか」と自問自答した時に自分の心に偽りなしに「やれる」という人もあれば、「さてとなると、とてもできない」と思う人もあるはずです。金も今よりはあった方がよいでしょう。

しかし、あっても使いこなすことができず、かえって心を堕落させ、また遺産として残したために子供達が争うというようなものなら、むしろないほうが幸せです。金もまた、人間が魂の勉強をして行くために、生活の便宜上つくり出したものの一つなのですから、金のために心を一喜一優させることは本末転倒なので、足ることを知ったら安らかな心を知った上で、また金の必要性を知るということが大事であります。「祈れば何でも叶えられる」と説いている宗教がありますが、足ることを知らない分を超えた祈りは実現しないのであります。祈りも分を知り、足ることを知った上でしなければいけません。その祈りが、その人の分に叶うものであったら、必ず守護霊をはじめ天上界からの協力があって実現するのであります。」、と。                     

 昭和六十二年四月二十九日の天皇誕生日のことである。春の叙勲が発表され、故松下幸之助氏は九十二歳、旭日桐花大綬賞を受けることになった。功績概要は日本国際賞の創設や松下政経塾の運営で、人材の育成に努めたからということだった。五月八日宮中で昭和天皇陛下から親授され、古代インドの時代のアショカ王、それから五百年後のカニシカ王としての過去世を持たれる菩薩界の昭和天皇と、イエスの弟子ルカの過去世を持つ光の天使の御二人が、授賞式で顔を合わされた。臨席者の中でも一際大きい御二人の後光(オーラ)が授賞式場一杯に満ちあふれたことであろうう。    

松下氏は車椅子から元気に礼を述べたが、ルカは今から二千年前の人だから、決して同時代の人ではなかったが、しかし今世は同時代を生きられることになった。同時代を生きるということは、同時代に生きてなさなければならない共通の使命と役割があったからである。その国が隆盛するには、するだけの理由がある。縁生によって、そこに高級霊が多く生まれていくからだと、高橋師は教えた。現代は実に有り難い。前にも述べたように、真のメシヤ・エルランティの高橋信次師と同時代に生き、如来と菩薩の中間に位置し、過去世で舎利弗でありガブリエルであった園頭広周師、菩薩界の昭和天皇陛下、光の天使・松下幸之助氏が、そして神界、霊界の天使達が沢山いる現代に生まれて幸せだと言うのである。子孫に、いつまでも栄える国・日本を残すためには、いい種を蒔くことである。原因結果の法則とか、因縁の法則によって、そこにまた、高級霊が生まれて行くことになる。

間違った思想や戦争をつくり出していく国には高級霊は生まれて行くことはない。一等国と言われた国が、その内に没落して二流、三流へと転落していくのはその為である。国の命運は百年単位でみるとよくわかる。この昭和の時代は、昭和二年に高橋師は生誕、正法という神理の種を蒔くと昭和五十一年に昇天したが、正に天上界が計画した時代だった。日本のそこここに、共に協力する天使達が生れて力を合わせた。そのために、貿易超一等国となって、ことごとく経済摩擦にまで発展、その上に不協和音も聞かれ始めた。それも、総力をあげての努力と勤勉さは否定しない。だが、「正法」の種が蒔かれ、これを人類に広めるための一つの手段として、天上界の計画に沿って隆盛したことを忘れている。

この小さな島国日本に、それ程の力があろうとは思えない。海に囲まれたこの小さな国に、一億二千万人もの人が住むのに資源もない。食糧とて自給出来ないのである。日本人が思いあがり、世界の中で孤立するなら、世界が手を組んで食糧をストップすることだって出来よう。松下幸之助氏は「水を加工した水道水は価値がある」と言った。日本人は資源の産出国から原料を買い入れ、二次的に加工、製品化して儲け、今や世界一の貿易黒字国である。国家財政はパンク寸前だと言うのにだ。そして、その貿易黒字は、過去数十年の間、低報酬と円安の中で打ち立てられたと言っても過言ではないが、この現世界では、どの国も良くて安い製品を市場に出してくるのである。勿論、新しい研究がなされ、新製品が開発されることによって心配はないと云う見方もあるわけだが、現代は、この狭い日本に縁生として、その分野の霊的エキスパート、つまり色々な段階の天使達がこの世に肉体を持って出たために、新しい研究・新分野の開発がなされた。だから、もうしばらくの間は、この状態が続くかもしれない。ところが新製品を作りだす霊的エキスパ−ト達も、いつかはこの世を後にする。そうなると、引き続き、この日本に肉体を持って生まれてくればそれはそれで良いのだが、金がすべてだとする日本の「国際的商んど」が、不協和音を奏でながら世界を闊歩し、悪の種を蒔くことばかりをしていると、エキスパート達はこの国に見切りをつけて、来世はどこかの国に生まれて行くことになりかねない。あのユダヤがそうだった。近世の優秀な学者や研究者は、ユダヤ人に多かったという事実がある。でも、日本人がいつまでもユダヤの理論を押し進めることばかり続けていると、もうそこには高級霊は生まれて行かなくなり、いつの日にか没落するのである。ユダヤ人が、また、日本人が優秀だからということではない。そこに目的と使命があって高級霊が生まれて行き、隆盛させたことを忘れてはいけないのである。

これまではすべて白色人種の時代だった。彼等はことごとく隆盛し、その歴史の中で優越意識を持ち、その誤れる優越意識を修正するために、今度は黄色人種が隆盛するというのである。これは、「神は一つ、宇宙は一つ、人類はみな神の子の兄弟だ」という神の意思を実現するための天上界の計画なのである。                            

 ところで、日本は食糧さえ自給出来ていないと言った。そして、世界が手を組んで食糧輸出をストップさせるようなことがあれば、まさしくそれは第二次大戦の終戦時に近いものとなるはずである。この小さな島国に一億二千万人。 国民は確実に毎日の栄養補給、エネルギーの補給をする。腹が減ってはどうにもならないのである。高橋信次師は「日本には、心ある人が出て正法を説いたので、日本は食糧に困ることはありません」と言い残したが、いつまでも一人よがりの理論を押し進めて、調和とは程遠いことをやっているようでは、天上界といえども守ろうにも守れなくなってくるのが、神の子、人間界の法則なのである。一人よがりの強情人間を囲りの者が導こうにも導けないように、あの世とて一つも変わらない。日本は一億以上の人が住むのに、面積は猫の額。それなのに休耕田がある。世界には食糧が収穫できずに飢え死にする民族があるという時代にだ。勿論、食糧が穫れないという国は、とれない理由はある。高橋師は、それは神の光を閉ざした主義主張にある、と教えた。同じ干魃の地域でありながら、資本主義をすすめる自由国家には比較的食糧に恵まれ、社会・共産主義を押し進める統制国家は食糧危機に悩まされているこの現実。真の自由と創造の自由を与えられている神の子人間が、国家統制政策の名のもとに言論は統制、封鎖され、すべての自由を奪う政策が正しいはずはない。

人間は自由で明るい生活の中に、人生を謳歌できる環境をつくることが、地上理想郷・ユートピア建設の第一歩である。高橋師は、「資本主義も社会主義も思想の根本になっているのは、すべて物質的経済です。どこに心があるでしょうか」と疑問を投げかけた。巷間では 「現代は心の時代だ」と言われて久しいが、それはあくまでもスローガンであって「心」ということの意味さえもわかってはいない。この世も、あの世も物質ではなく「心」「魂」がすべてなのである。「社会・共産主義を押し進める中国もソ連も北朝鮮も食糧不足に悩まされる」とは、高橋師の言葉だが、食糧は暑い所にも寒い所にも、それなりにとれる。ところが雨が降りすぎる、また、その反対にカラカラ天気だと、食糧は取れない。この両極端の異常気象の原因は、そこに住む人間の主義主張にあって、これは天災ではなく人災というのだ。冷害、干魃等の異常気象は、地上に住む人類の想念行為にあると高橋師は指摘した。一方の国には食糧が有り余り、もう一方には食糧危機が発生するというのも、同時代に住む人類の共通責任なのである。なぜなら主義主張は人間が造り出したものだから。たとえば日本を例に引けば、九州で食糧がとれなくなったら、北海道から或いは本州から食糧を融通し合って助け合うはず。ところが、一国家、一民族に分かれてしまうと主義主張にとらわれ、まったく愚かなことだが、それさえ不可能になる。子供達には「他人には良いことを」と説く大人達が、他国には、異民族には愛の手を差しのべることさえしないで、自分の国だけはと自己保存に走る。その結果、一部のボランティア活動に「おんぶにだっこ」である。     

 ところで、先に休耕田について書いた。休耕田は短期間であれば、休ませることによって土壌の栄養回復につながるという考え方もあるが、休ませ過ぎると田畑は荒れ、思うように収穫できないことにもなりかねない。子供に心をいれ育てるなら、親は子に悩まされることもないように、土壌に心をいれ可愛がれば結果は明らか。自然界のものは、この原則にはずれるものは何一つない。休耕田を拡大することによって農民の耕作意欲をそぎ、国家予算の一部を割くことにもつながる。その悪弊をやめ、農民には大いに農作物生産にいそしんでもらい、その余剰分は国で買い上げ、食糧不足に泣く同じ人類の兄弟達に対して、人間としての原点に立った無償の布施によって、「善」を積むことを提言したい。それは今をおいて外にない。でも、国にはその力はないという。赤字国債の問題や老齢化問題等、このままでいけば国家財政は、いつの日かパンクするのは目に見える。高橋師は、昭和五十年一月関西講演会で、次のように言った。    

「世界の自由諸国におけるイタリーの経済破綻を知っているでしょう。日本はこのままで行ったらイタリー以上の苦境に立たせられるでしょう」、と。現にその方向に進んでいる。どうにかして政府は財政を立て直すために、平成元年には消費税をゴリ押しし、平成九年にはアップした。これを一国民の家計費にあてはめて考えれば、収入と支出のアンバランスである。家計が苦しければ、収入を増すか、足ることを知ってじっと「我慢の子」しかない。家族一人一人が、現状を許認し、質素な生活ぶりを実践する以外にない。このような時にそれぞれ家人が、したい放題、やりたい放題では収拾できるはずもないのである。なぜなら、そのような窮迫した家計をつくりだしたのは、外ならぬ家族全体の責任だからである。家族全員のためにお金を使ったから家計が赤字になり、国債という金利のかかる金を借りて急場しのぎをした。このように見て行くと、国家財源は全て、他ならぬ国民一人一人のために、国民の幸福のために使われたものと言える。一般国民は自営業であったり、会社に勤務して生活費を稼ぐ。国は、国民の納める税金が財源だから、国は国民のようにアルバイトをして稼ぐことは出来ないので、税収を増やすことと同時に、足ることを知った質素な経済を実践する以外にない。主義主張ばかりを押しすすめるのではなく、「分を知り足ることを知った」社会をつくり出す以外にないのである。政府の借金はウン百兆円、その利息たるや…。そして平成十年にはまたまた増加の兆しである。国家予算に占める国債の割合、つまり国債依存率は最高水準にあって、国は借金まみれで赤字財政となり、企業はその間に世界一の外貨を稼いだ。それは、ことごとく海外資産購入や財テクなどのマネーゲームと呼ばれるもの、そして地価狂乱へとつながって行った。しかし、いくら高価なものを手に入れようと、金儲けに専心しようと、心の安らぎは得られるはずもないのである。私はこれまでに、足ることを知った経済を実践する以外にないことを述べ、余剰食糧は国や民間が買い取り、食糧不足に泣く国や民族に、無償の布施をして善行を実践しようと述べた。安い輸入農産物が自由に入ってくる時は休耕田もよい。だが、どこも穫れなくなった時は、どうなさるのか。高橋師は、「日本には、心ある人が出て正法を説いたので、日本は食糧に困ることはありません」、と言われたが、この意味するところは、「何も作らないでは、或は、田んぼを減らしては食糧は取れませんよ。 農業に励んでさえいれば、天候も協力して作物も採れ、日本は大丈夫ですよ」と、高橋師はおっしゃっているように思うのだ。平成六年の米の緊急輸入から、一転して平成七年の大豊作、これは日本の農業の大崩落を止めさせるための、天の警告に思えてならない。なぜなら、どこの世界に、大凶作から次の年には大豊作という例があろうか。         

                                 

   <松下幸之助氏に関するはなし>               

                                 

 o 昭和六十一年十一月、松下幸之助氏は九十二才の誕生日に、経営者としての労をねぎらわれ労働組合より銅像が贈られた。労働組合から銅像を贈られた経営者は、そんなには多くないだろう。   

                                 

 o 昭和六十三年、米経済誌、フォーチュンは、「一九八八年、世界のビリオネアズ(資産十億ドル以上の富豪)」特集を掲載した。それによると松下幸之助松下電器産業相談役(九十三歳)は資産二十八億ドルで世界の二十九位と発表した。

                                 

 o 松下幸之助氏が、松下にも労働組合ができるというので発会式に出席した。その時、社会党の加藤勘十氏が「なぜ出てきた。日本の社長で労働組合の発会式に出てきたのは、あなただけだ」と言ったとか。労働組合をつくるのは、労働者と経営者が対立するためのものではなく、労使一体となり調和し協力するためのものであるはず。                            

                                 

ο『現代人と仏教』笠原一男(東大教授)著、評論社、初版一九七一年、高橋師との対談から引用しよう。                  

                                 

 笠原 ちょっと話しが飛びますが、われわれは生まれながらにして幸不幸の段階が決まっているともいえますね。金のことでいえば、松下幸之助さんの子供に生まれるのと、私の子供として生まれるのでは雲泥の差でしょう。

 高橋 それは自分が次元の違うあの世で約束して、自分が選んで出てくるんです。

 笠原 自ら選ぶんですか。

 高橋 あの世にもちゃんとした役所のような所があり、そこに全部申告し、夫婦の調和である精子卵子が結ばれる前に、すでに約束されているんです。そして三カ月ぐらいでつわりの現象が出るのは、実は母親の意識と子の意識の交差、それが相剋現象として出てくるんです。

 笠原 その役所というのは、いったいどこにあるんですか。

 高橋 次元の違った世界です。

 笠原 そこで次元の違う世界で自ら自分の来世を選ぶ人間は、具体的な人間としての形をもっていますか。

 高橋 厳然としてあります。しかも後光がさしています。

 笠原 そして次元の違う世界に存在する役所に自分で届け出て松下さんなり、私の所に生まれてくる。

 高橋 そこには縁があります。

 笠原 それで生まれてからしまったとか、選びそこなったと感ずる時はどうすればよいんですか。

 高橋 自分自身が選びそこなったというのが現代社会です。本来は親達の真理が埃にまみれていなかったら、縁というものを早く悟るでしょう。悟れる環境を選ぶのは己れ自身です。人間の幸せは物質や地位名誉ではたして心の安らぎが得られるでしょうか。足ることを知ったなら、そこにおけるものはやはり調和ではないでしょうか。

 

 

 o <松下グループを支えた一人の例>              

                                 

 昭和三年生まれの市川勝美氏は昭和二十六年松下電産入社、五十一年松下電子部品取締役、常務、専務を経て、六十二年より自転車と防災の宮田工業社長である。松下に奉職すること三十五年に渡り松下氏を支えて来た一人で、昭和六十三年月刊現代十月号で次のように述べられた。「松下時代に百数十取った特許の九割は夢の中で発見した。研究に研究を重ねて、それでも結果が出ないまま倒れるように寝る。するとそれまでどうしてもわからなかったことが、夢の中ですらすらと解ける。夢に出てくるまでやらなければ、一つの技術は完成しないということで、自転車の新工法も同じ。それで、「夢があるから大丈夫」といったんですワ」、と。

                                 

 このようなことが、どうして起きるのか、高橋師の「ことば」から見てみよう。                             

 「この世に肉体を持って出ている人の心を導く、あの世の魂の兄弟達を「守護霊」と呼んでいるが、肉体を持っている人の心が常に正しく心と行動が一致して正しい目的に対して努力している時には、守護霊の友人か、あるいは肉体舟を持っている本人の、あの世における友人達の中の専門家が、その研究目的に対する霊感を与えることがある。この時の目的に応じ協力してくださる天使が、指導霊である。指導霊は人間それぞれの想念行為に相応して協力して下さることになっている。例えば科学者に対しては、その道の専門家がその目的、努力に比例した力を与え、絶対に不平等なことはしない。己の心の中で指導、守護してくださっている霊達や魂の兄弟達に感謝することが必要なことなのであり、人間の当然の礼儀なのである。」『心の発見』  

 特許の九割を夢の中で発見し、研究に研究を重ねてそれでも結果が出ないまま倒れるように寝ると、夢の中ですらすらと解決した、と市川氏は述べておられるが、氏の目的意識に対してあの世の守護霊や指導霊の協力によって「霊夢」を見せられたのだろう。               

 次に、会社とか団体の集団について考えてみよう。園頭師の論文を見てみたい。                            

                                 

  WB01360_1.gif (855 バイト)     <会社−組織−クニ−国> WB01360_1.gif (855 バイト)                  

                                 

「モーゼがエジプトを脱出してシナイ半島に辿りついたが、それから先なかなか前進できなかった、六年経っても一向に前進しない。それはモーゼが一人一人に、「目的地はあそこだ、いいか」と説明していたからである。ある夜、モーゼは声を聞いた。「十人には十人の長を、百人には百人の長を、千人には千人の長を、それぞれ長をつくってその長を集めて伝えよ。」、と。これが組織管理の始まりといってよい。この組織のことを、われわれの祖先は「クニ」といった。「国」とは、クミ、クム、クンデ成ルモノ、ということで、職場の作業 組、部も課も、共通の目的をもって組み合わされたものはみな「国」である。小さな国は統合されて大きな国になる。世界の民族興亡の歴史を見るとそう見える。日本も、四百年前までは、誰が天下を取るかで争っていたが、徳川家康が天下を統一してから国内の争いはなくなった。ヨーロッパでは、公国という領主の支配した小さな国がたくさんあって、それがやがて、ドイツ、フランス等と大きな国に統合されていった。インドもそうである。大政奉還というのは、それまで徳川家が統合してきたのを、天皇の統治にかえしたということであり、藩の代りに県を置いて、知事によって統治させることにした。ヨーロッパでは公国はなくなったが、その代りに州をつくって統治したというだけで、人のあるところ、国即ち組織はなくならない。例えば人体は、六十兆の細胞が偶然に集まったのではなく、最初に人間の原型(光子体)があって、それぞれ頭、眼、耳、鼻、口、心臓、肺臓等とつくられたわけで、そこには統一意識が働き、それらを統治する一貫した生理作用が働いているわけだ。細胞が集まって偶然に心臓になり、また別な細胞が偶然に集まって肺臓になり、その心臓と肺臓とが話合って血液をきれいにし、血液を送るということなど決めたわけではない。

国も国であるが、県も国であり、市町村も国であり、職場の組織も国である。国がなくなればよいというのは幻想、寝言みたいなもので、現実を直視しない気狂いみたいなものでしかない。こういう気狂いみたいな人間が、日本では知識人といわれているのだからおかしいのである。ソ連だって、中共だって国ではないか。組織をもって統治しているではないか。一番肝腎なことは、大は国家から、小は組織まで、それがどういう理念によって運営されるかということで、人の問題であって国の問題ではないのである。仏国土、ユートピアになって、国境はなくなっても、国として組織としての統治機構は厳としてなくならないのである。太陽系も国であり、銀河宇宙系も国であり、大宇宙そのものが一つの国であり、まず大宇宙という国があって、その理念の下に各星団がつくられ、太陽系がつくられ、地球がつくられたので、地球ができてから太陽系ができたのではない。大宇宙が一つの統一意識によって統制されているように、人間のつくる国も、大は国家から、小は職場に至るまで、家庭のことを先に書かなかったが、家庭も実は一つのクミ国である。大から小に至るまで、すべての国が、大宇宙の理念即ち正法であれば、すべては平和であるのであり、現在の世界の情勢は、すべての国、組、家庭が、正法によって統治運営されるようになるための過渡期にあるといえるのである。だから、正法に叶っている国、会社、組織、家庭はそのまま栄えてゆくが、そうでない所はこれからいろいろな変遷を重ね、最後は正法に帰らなければ安定しないということになるのである。宗教団体も同じである。私はこの日本という国が、正法国家であってほしいし、また、生きている限り、そうあらしめたいと思う。私は限りなく日本を愛する。日本を愛することを通して、世界を愛する。」          

 次は、高橋師の講演から、経済についてお聞き願おう。       

                                 

  WB01361_1.gif (611 バイト)     <経済と高橋信次師の言魂> WB01361_1.gif (611 バイト)                 

                                 

 1)、一九七五年宮崎研修会にて                 

 「お金はこの世では通じるが、あの世には通じないのです。冥途の沙汰も金次第と言いますが、金が無くたってあの世には帰れます。こうなりますと、我々の眼に写るところの、身体にふれるところの万象万物はすべて無情であるということです。物質や経済や文明は、生きる為のより豊かな心と調和された環境をつくるための一つの道具にしかすぎないのです。その道具に私達は翻弄されて物質文明の自ら奴隷になりさがっているのです。それが苦しみなのです。神様は不公平だ、私の家は貧乏して苦しんでいるんだ。あの金持ちの家と自分の家を比べてみれば、神様は差別していると、もし皆様がそのように思うなら、生まれて来た時に貧乏だからと言って永遠の生命の過程に於ては、その貧乏を通して、体験して自分自身の心を豊かにする一つの勉強であり学習なのです。その貧乏の中から自分自身をより豊かな自分自身をつくり出すための学習であることを知らなくてはいけません。あの世へは、どんなに金持ちであっても一文なりとも持ってかえることはできないのです。金持ちであっても、この地上界へ出てくる時に、銭の一文なりとも持って出て来た人はいないのです。我々はその原点に帰ってみたならば、そういうものが絶対ではないんだ、人生は有限ではない、永遠の生命として転生輪廻をし、神のからだというこの環境の中を、その環境に適応した肉体を持たないかぎり我々は修行という環境が成立しないのです。我々はあの世とこの世を永遠の転生を繰り返しているところの神の子なのです。その神の子が物質や或いは、経済の奴隷になって、お互いに争いと破壊を繰り返している愚かさ、まったくそのようなものではありません。経済力のある人が働く環境を提供したならば、その提供者は慈悲深く、愛に満ちて、働く人達を大事にし、その働く人達がおればこそ、今の自分があるんだ。それに対しての感謝の心は、働く人達により安定した生活の出来るようにしてやることです。働く人は、働く環境があればこそ、現在の肉体を保存し、家庭があるんだと感謝をする心を行為として報恩を実践することです。貧乏であろうが、金持ちであろうが、使用者側であろうが、使用人であろうが、皆すべて平等なのです。ただ、その時に自分が学習の環境を自ら選んでいることを知らなければなりません。」

                              

2)、一九七五年三月 小田原講演会より              

                                 

「お金とか物質とかいうものは、我々の生きる上において必要なだけ存在すればいいのです。ところで、我々の欲望は限りなく広がり、我々の欲望は無限大に外に向いて行きます。よくある人は労使の上部層と下部層の闘争の中に文明は発達していくのだと説いている思想があります。しからば、我々は文明のために人類があるのでしょうか。いえ、人類のために文明はあるのです。錯覚を起して、心を常に格闘の中に、間違った方向に進んでいる人達もいます。或いはまた、間違った宗教を人々に教えて、そして自分自身の欲望を満たそうとしている人達もあります。しかし、彼等はやがてその罪を償う時が来るのです。                

3)、記述の中から                        

                                 

「如何に人間が経済的に恵まれておろうとも、心の中の歪みというものは経済によって治ることは出来ないのです。経済や物質というものは生きる為に、皆さんが魂の修行するための一つの道具にしか過ぎないのです。それを足ることを忘れてしまった執着心の中に、自分をかえって苦しめてしまうのです。このようにして、それぞれが愚痴をこぼしたり、怒りの心を持ったり、足ることを忘れたりするこの三つのことを、「心の中の三毒」と言っています。この三つの毒を我々は日常生活の中から抜くことが大事なのです。」                           

                                 

4)、昭和四十八年十月、高橋信次師の講演要旨。          

                                 

 「これまでの政治、経済、教育その他の体質を変えないと日本はよくならない。正法を知った、足ることを知った人達が政治をしないといけない。いつも生産者が損をして、流通機構だけが儲かり、消費者はいつも高いものを買わされるという経済機構もいけない。銀行、保険会社は不労所得が多過ぎる。日本各都市の目抜きの所はみな銀行、保険会社が立派な建物を建てている。正法の実践者が多くなったら、正法の実践者の中から政治家を出し、正法の実践者が流通機構を担当し、正法の実践者が教師になる。そして、正法の実践者が銀行、保険会社をやる。そのようにして日本を正法の国家にしてゆかないといけない。」             

 次に、園頭師の「ことば」を引用しよう。            

                                 

   WB01360_1.gif (855 バイト)    <経済と園頭広周先生の言魂> WB01360_1.gif (855 バイト)               

                                 

1)、日本はこれからは後進国を援助して、徳を与える国になることである。後進国を支配して儲けようと考えてはならない。後進国が立派になるためには、骨身を削ってその国のためになるという努力を続けてゆかなければならない。

                                 

2)、使用者の繁栄は結局労働者の繁栄を伴うものでなければならない。労使協力して出来るだけ儲けを大きくして、分配を多くするためには、これまでの古い考え方を捨てて、正確な科学的知識を持たなければいけない。それには経営者も労働者もともに根本的な精神革命が必要である。

 

 

3)、国際貿易で、大きな黒字を抱えた日本は、世界中から儲け過ぎだと袋叩きの目にあった。日本が国際経済社会で平和に生きのびる道は、現地で生産販売を行い、現地人を雇って現地に利益をもたらすような形をとるほかない。

 

 

4)、現在起っている経済摩擦も、要は文化と文化の衝突である。その根源は、日本は性善説によって立ち、白色人種は性悪説によって立っていることにある。日本人の性善説の根源は、古事記や日本書紀に示されているように、人間はみな天孫降臨、神の直系であるというのに比べて、白色人種はアダムとイヴの原罪説に立っているところにある。西洋では商取引は全て契約によってなされ、日本も現代はそうなったが、日本の良き時代のそれは「約束を破りしときは、万座の中でお笑い下され度く候」一言であった。契約とは相対する二人以上の当事者の合意によって成立する法律行為をいう。性善説と性悪説の一例である。                

                                 

5)、日本人の仕事のさせ方は、信頼して任せれば決して信頼を裏切らないものであるということで人を信頼する。それに反して西洋ではアメとムチで、よく働いたら、たくさん褒美をやるぞと、その代りやらなかったら制裁するぞというので人を信頼しないのである。海外に進出した日本企業が成功しているのは、日本企業で働く外国人労働者がはじめて自分が信頼されて、のびのびと自由な気持ちで働けるようになったからである。

 

 

6)、この地球を仏国土・ユートピアにするためには、資本主義も共産主義もどちらも唯物論でいけないのであると高橋先生が言われたことに注目しないといけないのです。現在は世界的な大不況で、今までの不況は脱出の望みがあり、また脱出してきたが、まだまだ不況になると思われるこの不況は脱出の望みがない、というのが、日本のみならず世界全体の経済評論家の一致した説であります。ではどうしたら脱出できるのか、と言いますと、既に現在は資本主義国家も共産主義国家も全部行きづまっているのですから、そのどちらでもない新しい考え方が生まれてこなければならないのです。敢えて名づけるならば、「正法奉仕経済主義」である。経済は肉体を維持し、霊の向上を図るための文化文明を維持すれば足りるのであるから、世界各国は資源を有無相通じ、人間資源の交流と物的資源の流通を調和させれば足りるのである。                           

                                 

   <人間にとって「働く」とは>                

                                 

 お釈迦様も高橋師も「八正道」を説かれた。八正道とは、  

   正見(しょうけん)−正しく見る。              

   正思(しょうし)−正しく思う。               

   正語(しょうご)−正しく語る。               

   正業(しょうぎょう)−正しく仕事をする。          

   正命(しょうみょう)−正しく生活する。           

   正進(しょうじん)−正しく道に精進する。          

   正念(しょうねん)−正しく念ずる。正しい目的意識を持つ。  

   正定(しょうじょう)−正しく反省禅定する。         

を、言う。この「八つの人間の歩くべき正しい道」の中の一つが、正しく働く「正業」である。人は働いて生活の糧を得る。金を貰って衣食住の必要なものを補給する。これまで日本人は働き過ぎだと言われ、世界中から袋だたきにあった。それは日本人とアメリカをはじめとする外国人との労働感の相違で、日本人は、人間は神の世界から天孫降臨した神の子であると知っていた。神が天地を創造され、小さな部分は神の子である人間が手助けして神様の仕事を完成させる(天業恢宏)のが人間の目的と考え、仕事をすることは、神様への手助けであり、喜びであり、楽しみだと考えてきたのである。だから、会社が認めた正当な有給休暇であっても、何となく落ち着かず、仕事が気になってソワソワする人も多く、家庭よりも仕事が大事だと考える人も結構多いのである。ともあれ、日本人は「神様の手助けをしているのだから、仕事が苦しみである筈がない、喜んで仕事をする」という考えになる。ところが、西洋の人々は「アダムとイブ」の旧約聖書の物語にみるように、エデンの園では働くこともなく、何不自由なく暮らせる天国の生活があって、そこへ蛇があらわれ、アダムとイブに禁断の実を食べるように勧め、禁をやぶったアダムとイブを見つけられた神様は、その罰として「男は働いて食わなければならない。女は苦しみて子を生まん」といって苦しみを与えられたという故事にちなんで、西洋人は仕事は神の罰だと考える聖書が示す労働感と、仕事は神様の手伝いだとする日本人の神話が示す労働感の違いなのである。日米経済摩擦はこの二つの労働感の衝突であり、アメリカが日本は働きすぎだといっては強制的に休暇をとらせるようにしむけ、日本は完全週休二日制が金融機関から平成二年より始められた。これからは、すべての職域に拡げられ、働き好きの日本人から仕事をとりあげるというわけである。            

                                 

  〈それほど、一生懸命に働くことは悪いことか〉         

     −−日本の週休二日制を考える−−            

                                 

 日本は先進国の中で「国民の休日」は一番多いという。なのに日本人は働き過ぎだと言って、土曜日も休もうとしている。平成十一年の暦をくってみると、土、日、祭日をトータルして、正月、盆休みを三日づつとれば、総計が百二十五日である。これはまさに一年、三百六十五日の三分の一に相当し、一年の三分の一は寝て暮らすと言うわけだ。かってのバブル期のように、貿易黒字超一等国と言われ、金余り現象に翻弄され、浮かれるほどに景気のいい時は、一年の三分の一を寝て暮らそうと、それはそれで良いかもしれない。そして、月給が同じで休みが多くなれば、誰だって反対する人はいない。だから週休二日制も、そのうちに定着するだろうが、果して、これからの日本にとってプラスになるのだろうか。勿論、働きすぎて体をこわすことは正しいことではないが、現代の風潮からすると、ややもすると忘れがちなのは、海に囲まれた猫の額ほどの国土に、資源は皆無、おまけに食糧とて自給できないということをもう一度再確認して欲しいのである。この小っぽけな国、日本が、今日の日本になったのは、先述した「正法」を守るためという理論とともに、骨身を惜しまず働いて来た先人の努力に負う所も大きく、善い原因は善い結果を生んできたことも認める。でも、資源もない日本が、資源の豊かな国に習って土曜日も完全に休み、資源の豊かな国の労働者よりも多く仕事を休んでいたら、これからの日本はどうなり、我々の子供達の時代はどうなるのだろうか。その時になって気が付いても遅いのである。「転ばぬ先の杖」と言うではないか。この先、日本の繁栄はどうなるのか分からないが、資源は何一つないということ、これは不変である。この、どうにもならないものに焦点を合わせて物事の判断をしないと大変になりますよと言うのである。

正しく働くところには繁栄が約束される、これは真理。「正業」は神理である。正しく儲けたら、正しく使うこと、これは神の子、人間の道である。個人にあっては、隣人に愛と布施を。国や民族にあっては、困れる国や民族に、愛と布施を。これは正に「善因善果」となる根源である。だから言いたい、次のように。                   

「正しく、うんと儲けなさい。そしてその儲けたものの多くを、困った人達に分け与えなさい。そして、その範を世界に示しなさい。それは「愛」である。それは神の子・人間の「智慧」である。それ以外に道はありえない。次に、園頭師の論文を紹介したい。              

                                 

  〈週休二日制から「足ることを知った社会」へ〉         

                                 

 「いくら趣味に凝ってみたってそれだけで人間は満足できるものではない。週休二日制が完全実施され、機械化・オートメ化がますます進んで、一日四時間働いたらよいという時代が来ないとも限らない。働く時間が少なくなって休んでいる時間が多くなったら、その休みを何に使うか、週休二日制ですら、もはやレジャーブームもすぎてテレビの前でゴロ寝をしているというのにである。二日ゴロ寝した身体は急には元に戻らない。だから週休二日のあとの出勤日は事故が多いという統計が出ている。働くことに意識を持てといっても、四時間だけでアッという間に仕事は終るのである。あとは何をするか。そうなってくると各企業が余暇指導まで考えなければならなくなる。企業の中の問題だけでなくなって、一大社会問題となってくる。今より以上あり余る余暇を退屈せずに過させるものは、人間の心を真底から満足させる真の人間性教育、真の宗教以外ないのではないか。

限られた地球の資源を使って、省エネルギー時代に入ると働き過ぎは罪悪だということになる。東洋の勤勉の道徳観は是正を求められてくる。そうなってくると釈尊が説かれた「足ることを知る」という感謝報恩の生活が新しく考え直さなければならないということになる。時代は必然的に真の宗教を求めざるを得なくなってきているのである。生きることに喜びを与える真の宗教を人々は求めつつあるのではないか。では、企業内で人間教育をするとして、現在の日本の宗教のどの宗教を持ってきたらいいのかを考えた場合、既存のどの宗教も持ってくるわけにはゆかない。どれか一つの宗教をということになれば、その宗教に反対する他の宗教の信者がいるからである。だから、ここで求められるものは、これまでどんな宗教を信じていてもよい。その人達も認めざるを得ないところの普遍的な宗教でなければならないのである。「普遍性を持った宗教の出現」「宗教という言葉もいらない、真の人間の生きる道を示すもの」そういうものを人々は必ず求めるようになってゆくと私は思うのである。」          

                                 

  <正業、正しく仕事をするとは>                

                                 

 地上界での私達の目的は魂を磨くことと、ユ−トピアをつくることである。「正しく仕事をする」とはこの目的にかなったものでなければならない。感謝と奉仕、そして、より大きく、豊かな心と魂をつくる場が仕事のはずである。こう考えると正業の在り方は、まず心を豊かにすることであり、仕事は己の魂の経験の範囲を広げてゆくことになる。「正しく仕事をする」ことの第一の目的は、職業を通して、己の魂の経験をより豊かにし、広い心を養うことである。第二の目的は、職業を通して、人々との調和をはかることである。そして、自分を含め、人々の生活を守ってゆくことにある。また職業に就くということは、自分を生かすばかりか、他の人々との協同生活に欠かせない役割なのである。職業とはこのように、自分を生かし、他をも生かす大事な場であるのである。第三の目的は、奉仕である。感謝と報恩は奉仕という実践の上に結実する。この現代における物質文明の中での最大の魂の修業は、物質、経済の場である。「心」と「肉体」と「経済」の調和である。私達は、金は無いより有った方が良いとする心の働き。このような物質や経済の奴隷になってはならないのである。

己自身の心を持った生活こそ、神理に適った生活といい得るのだが、物質文明に押し流されてしまう人が多いということも、「この現象界においての修業は、物質経済の場である」という理由の一つなのである。それでは、仕事、職業について、高橋師の記述の中からから要約しよう。

                                 

 WB01541_1.gif (712 バイト)            〈正しい仕事とは〉

                                 

 常に、大自然の法則に適った仕事を言う。正しい仕事は、智情意を伴って社会人類を幸福に導き、より高い次元へ己の魂を磨き、調和の環境を築き上げて行くものである。正しい仕事はそのまま人生の修行であり、その場はそのまま魂の修行場である。

 

 

WB01541_1.gif (712 バイト)           〈正しい企業と経営者とは〉

                                 

 労使の心と心の調和がとれ、互いに幸福のための団結が計られ、自己保存、自我我欲を捨てた事業体は、神意に適った団体である。正しい仕事への情熱、人々の心の調和度に比例した環境は、神仏の光によって保護される。他の事業場でできない立派な技術を生み出した環境、技術がなくとも営業活動が勤勉で、正しい仕事に専念し、良い調和のとれた得意先を持っている環境、研究努力の結果、常に社会人類のために貢献する新製品の開発によって得た専売特許の活用は不退転である。人々の心に安らぎと調和、そうした娯楽を与える人々の仕事は、人々の心とこの心との調和の中により高い次元の技術を生む。このような人々の正しい生活もまた、不退転である。心を失った技術は自我そのものと化す。心を失った科学は闘争と破壊の社会を作ってしまう。心を失った指導者は一時は栄えても、いつかはその指導力を失い、犯した罪をおのれで償わなくてはならないようになる。闘争と暴力によって造り上げたすべての結果は、闘争と暴力によってまた覆される。心をモットーとし、勤勉と努力によって造り出された社会は調和と安らぎの環境となり、より高い文明を築き、私達の魂はより高い次元に進化されて行く。万生万物、皆相互の関係にあって、独り人間のみが特別存在であると認識するのは誤りであり、神仏の体である万物万象を正しい心で活用してこそ、正しい仕事ができるのである。

指導者が自分自身に足ることを悟り、利益は働く人々に還元し、常に心の対話によってより高い業績を挙げ、余った利潤の一部は社会福祉の方向へも還元する。そうしたことによって、経営者達の菩薩心は磨かれて行くのである。そして、集団の指導者でもある事業体の責任者(経営者)は、自我我欲を捨て、従業員を幸福にするための目的を根底にして、労使協調の心を果たすことが必要であり、事業はその心によって発展し、不朽の事業にもなり得るのである。新製品の開発にしても、心を悟った行ないの中から、その研究努力に対し、より以上の霊感が与えられるというものである。 

                                 

WB01541_1.gif (712 バイト)             〈正しい労働者とは〉

                                 

 現代社会における労使の闘争は、不自然である。資本家も労働者も、物質的、経済的な考えのみで人間として、神の子としての尊厳を失っている。資本家は経済観念の上に、より次元の高い心を悟り、自己利益の追求の仕事に終始しないことである。利益は労働力によって得られるのであるから、やはり報恩の心はその労働力に対して感謝の心を示さなくてはならない。感謝の心の表現は、労働者の生活の安定を保証することである。また労働力の提供者(労働者)は、正しい仕事の提供者(経営者)に対して報恩感謝の印として、仕事に専念し、己に足ることを知った生活の基盤を築かなくてはならない。労使協調の精神は、闘争を根底にした協調であってはならないのである。働いた金を当然のごとくもぎとろうとする心、行為はすでに正しい仕事とはいえない。賃上げ交渉にしても、本来相互理解を根本とすべきである。現代社会の歪みは、資本家も労働提供者もともに正すべきであり、ともに心という内面をより正しい神理によって開発することが第一歩であり、事業の実体について常に労使の心を調和させ、より向上するための努力の結果には、神仏の光がもたらされ、正しい仕事ができるであろう。

以上の記述は、高橋師の「心の発見」「心の指針」、講演テープより要約した。次の記述は園頭師である。                

                                 

WB01541_1.gif (712 バイト)        〈金持ちになることは悪いことか〉               

                                 

 「豊かに富むことを罪悪のように考える人がある(清貧礼賛)が、それは間違いである。その財を自分の欲望や享楽にのみ浪費することは間違いであるが、多くを貧しき困れる人に手を差しのべ、愛の心で人を喜ばせ助けるために使うことができるならば、正しく働いて得た財は、いくらたくさん持っても良いのである。釈迦は富貴になることは否定されなかった。「富の蓄積を図るためには浪費するな」と言われた。キリストが「金持ちは救われない」といわれたのは、金に執着している人に対して言われたのであった。そして、金というものは、持っていてもよい、持たないでもよい、どちらでもよいのである。足ることを知って心を安らかにして、それで金が余れば人のために使えばよいのである。なければないで金にとらわれずに、その代りに自分の持っているもの、即ち「心」で相手を愛し救ってゆけばよいのである。どちらにもとらわれない心になってこそ執着がなくなったといえるのである」『「心行」の解説(下)』     

 

  〈経営と正法〉

                                 

 高橋信次師は、昭和四十年代後半に「人間(人道との説も)科学研究所所長」という肩書きで経営者を対象に講演を持っていた。これは経営と「正法」を一致させようとの考えからだった。高橋師の後継者と自他共に認める元国際正法協会会長・園頭広周師は、昭和四十年「生長の家」本部講師時代に宗教家の中では唯一人、日本経営士会のコンサルタントの資格を得ている。師は「経営と宗教」を一致させなければならないとの理由からであったが、時期尚早であったと言う。                 

                                 

   <マグレガーのY理論は「正法」である>           

                                 

 昭和三十年代の終り頃、アメリカのマグレガーが「経営理念」として「Y理論」を発表した。人間は生まれながらにして、楽をして金を儲けたいものだから、悪い製品をつくっても仕方ない、だから、人間はアメとムチで働かせなければならないとする人間観の「性悪説」をマグレガーのX理論とすると、人間はみな良い仕事をしたいと考えている。信用して仕事を任せれば、人間は監督されずともよい仕事をするものだとする「性善説」による人間観、労働観を「Y理論」と言った。マグレガーが発表した当時は誰も理解するには至らなかった。ところが、昭和五十八年頃から 「Y理論」が認識されはじめ、以来、Y理論による人事管理や、心による健康管理が必要だというので、反省と瞑想の部屋をつくって実践する会社も出ているが、こうして歴史は、物質文明から急速に精神文明へと移り変わろうとしている。                        

 

WB01539_1.gif (682 バイト)      〈働く女性(職業婦人)の生き方を考える〉 

                                 

 現代は男女平等と言われる。男女は「人間」として平等だが、男性と女性は平等ではない。腕力の差、妊娠と出産、美的容貌等の肉体的機能のどれ一つとっても平等ではない。両性の間には取り消すことのできない相違がある。この世とあの世を通して半分は女性が支えている。これまではほとんどが男性の職場だった。最近は働く女性が増え、女性をぬきにして仕事は考えられないという状態になっているので、その為に女性が働きやすいような勤務スケジュールに変える職場も、その内に出てくるかもしれない。能力ある女性が、色々な分野の職場に進出するのは一向にかまわないわけだが、天上界で、今世は結婚もせず独身で一生を終りますと、自から決めてこの世に生まれている女性も中にはいる。そのような人が、好きな職業に就いて一生を終えようとそれは構わないが、普通の一般の女性は天上界で「あなたの許で、子供として人生の勉強をさせて下さい」「私の許で、しっかり魂の勉強をして下さい。私もしっかり協力させて貰います」と、子供になる人とお互いに約束をして、この世に生まれた人がほとんどである。

そこで問題になってくるのが仕事と育児をどう両立させるかということだが、製品は何度失敗しても作り直しがきくが、子供の教育には失敗は絶対に許されず、それこそ取り返しがつかない。「男は直接、社会に働きかけるが、女性は子供を立派に育てることによって、その子供を通して社会に働きかける」とは高橋師の言葉だが、男には男の使命と役割が、女には女の使命と役割が厳然としてある。子供を生み育てることは、女性にのみ出来る役割で、男性がそれをいくら望んでもかなえられるものではないが、だから次のように言いたいのである。「やり直しのきく仕事とやり直しのきかない育児と、どちらを大事にしなければいけないのですか?」と。

                                 

WB01539_1.gif (682 バイト)          〈働く女性と未熟な女性〉

                                 

 成熟した人間、成熟した女性は心が安らかだから、怒りや不満を外にぶつけることはない。未熟な人間、特に未熟な女性は、自からを反省することなく、何かあると自分の怒りや不満を夫や子供にぶっつける。成熟した女性は家庭の調和を図り、夫の収入の範囲内でやりくりして、家庭の平和を保とうとするが、未熟な女性は、無駄遣いをして夫の給料では足りなくなると、自分のせいだとは反省せずに、夫の稼ぎが足りないからだと夫を攻撃し、足りない分は私が働くわと、家庭の調和を破壊し、子育てを放棄してまで金を稼ごうとする。未熟な女性を妻にした夫は災難というべきだが、未熟な女性を妻とした夫は、「類は類をもって集まる」という同類だからそれはそれでいいのだが、子供はまったくの災難である。  

                                 

WB01539_1.gif (682 バイト)          〈子供に手が離れてからの共働き〉

                                 

 もうこれから、子供に手が離れたから働こうという人は多いと思う。子供が幼少の頃には子供に手をとられ、主人に心を入れただろうか。安らぎの「安」は家の中に女と書く。家の中に妻がいて守り、男は安心して外で働き、家庭は調和し平和である。ところが、もう子供に手がかからなくなったからという理由で、外に出て働こうという人も多い。ともあれ、もう子供に手がかからなくなったから、それまでに淋しい思いをさせた主人の為に、これからの残された時間、主人を大事にしようという人もいる。

 

WB01539_1.gif (682 バイト)        〈これからの展望〉

                                 

 園頭師は次のように述べている。              

「そこで最近は、年寄りと一緒に生活した方がよいというので、年寄りと同居する若い人達が増えてきた。子供は年寄りに任せて仕事に行けば安心である。年寄りは我が子を育て上げてやれやれと思ったら、今度は孫を育てるはめになる。孫を親に預けて働きに出る女性は、子育ての苦労は全く知らないわけである。さて、今の若い人達が年を取って、わが子が結婚するようになり、その子供達が働きに出て、その子供を親に預けたとしたら、子育ての経験のない祖父母が孫を育てなければならないことになる。「年寄り子は三文安」、実の親が育てた子供よりも、じいちゃん、ばあちゃんが育てた子供はどうも健全でない劣った子供に育つといわれている。そんな「三文安」の子供ばかりになれば、民族全体、国家全体の活力が失われてくるから、その民族、その国家は衰退することになる。今の若い人達は将来そのようになることは全く考えていないようである。どんなに下手な子育てのようであっても、実の親に勝るものはないのである。わが子の存在を無視して、金だけを目当てで働いている人達が、やがて齢を取った時に、どんな社会がつくられるであろうか。人生は金が目的ではない。正しく仕事をすることは、正しく魂を磨くことにあるのであるから、働く女性は心の重点を仕事におかずに、育児と家庭に重点をおいて、夫と子供を大事にし、その後で仕事を考えるということをしないといけない。仕事を先にして、夫と子供のことを後にすると、その結果は自分が受けなければならないということになるのです。」、と。『「心行」の解説(下)』(下)正法出版社)

 

WB01541_1.gif (712 バイト)         〈転職を考える人へ〉

                                 

 世の中には、何度も何度も職をかえる人もいる。働き始めたかと思うとすぐに辞め、辞めては勤める人がいる。こちらの都合で辞める人もいれば、中には好条件で引き抜かれる人もいる。人に認められ請われて転職する人はそれで良いのだが、不平、愚痴、不満の心で定着しない人がいる。また、「あれも、これもけしからん」と定職にもつかずブラブラしている人もいる。もし、今の仕事が自分の「分」ではないと思う人は、現在の仕事を手抜きすることなく、一生懸命やりながら祈ることである。「私くしの分に適った、わたくしにふさわしい仕事をお与え下さい」という祈りをするのである。すると運命は静かに展開してゆく。今の仕事を怠けていては運命はよくならないのである。そして、分に適った使命を感ずる仕事に行き当ったとしても、前に述べたように、その運命には上限と下限の幅がある。一生懸命に努力しても、その運命の上限を越えることはできない。限界があり、その限界を知ることを心の安らぎというのであ る。

また、園頭広周師は次のように言う。         

                                 

 「終戦の廃墟の中から立ち上がった日本は、一応、食べられるようになり、着られるようになり、ひとまず住めるようになりました。そうなったところで、まず日本の電機産業は、「いかにして女をラクにさせるか」ということで発展したのです。電気炊飯器に始まって、電気洗濯機、電気掃除機、電気冷蔵庫、トースター、電子レンジ、ジューサーなどです。これらの製品によって、女の家事労働はうんと軽減されて、女はそれだけ暇な時間ができたわけです。ところが、女達は、その暇な時間をどのように有効に使うかという教育と訓練がなされていなかったので、その余った時間を、魂を向上するために使わないで、欲望を満足させるために使うことになってしまいました。女達は家庭を留守にして金儲けに走り、ウーマン・リブ運動の影響もあって、家庭の崩壊が始まったのです。離婚、家庭内暴力、非行、青少年の増加などです。家電会社は女を甘やかせることで金儲けして、時間をどのように有効に使うかについては放ったらかしにしました。私がナショナルの松下幸之助さんらに文句をいいたいのは、便利な家電製品を作る前に、なぜ女に時間の使い方を指導しなかったのか、ということです。(もっとも実際はできないことではあったが)」、と。     

長々と松下幸之助氏の項を上げたが、昨今の経済不況をどう考えたら良いかと言う意味を考慮に入れてジックリと読んで欲しかったからである。

 

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 WB01584_1.gif (2068 バイト)        「神武天皇は実在の人物であった」

 

 神武天皇は、伝説上の日本最初の天皇ということになっている。「古事記」「日本書紀」に名の出てくる人であるが、実在の人物であったと高橋信次師は言い残した。 釈迦は涅槃に入るその前から、あと二五〇〇年のちジャブドーヴァーのケントマティー(東の国日本)に生まれて行く(転生輪廻)ことを予言された。その頃、日本はまだ国としての体制は出来ていなかった。その為には、二五〇〇年経って、この日本という国を正法を伝えるにふさわしい国にしておく為の計画が、実在界でなされることになった。蒙昧な日本を一つの国としてまとめて建国するためには、やはり、力のある徳のある方を日本に生まれさせなければならないということで、インドでババリーといわれる方、日本では阿しゅく如来といわれるかた、この方を日本に生まれさせるということになったのである。この方が即ち神武天皇である。「武」という字は「戈を止める」つまり相手が兵器を使ってねこちらに危害を加えようとする時、素手では対抗できない。相手がこちらへ危害を加えようとするのを止めさせる防御の為のものである。「武器」とは本来防御のための器具であり、相手を侵略したり攻撃するためのものではないのである。「神武天皇」という漢風諡号(かんぷうしごう)は、相手が神の心に反し、反抗し危害を加えようとすれば、神の心によって、言向(ことむ)け和(やわ)して、相手を神の心にしたがわせる天皇という意味になる。最近、神武天皇は実在していたと書いた本を見かけるようになってきた。近い将来、歴史学上でも認められるようになるに違いない。高橋信次師は、神武天皇は実在の人物と言い残したのである。

   

  WB01584_1.gif (2068 バイト)              「ダーウィンの進化論はありえない」

     −−ダーウィンという人−−               

                                 

 高橋師は著書や講演の中で、何度も進化論を否定した。

                                 

 イギリスの生物学者ダーウィン(一八〇九〜一八八二)は一八五九年、今から百三十年ほど前に『種の起源』(『The Origin of Species 』)という本を発表して生物の進化を説いた。そして、『人間の由来』(The Descent of Man)という本の中に、「人もまたサルから進化したかもしれないと想像する」と記述したのである。高橋師は著書、講演の中で、「人間はサルから進化したのではない」と何度も何度も修正した。                   

進化論が正しければ、進化の途中の人間がいてもおかしくないし、また、サルから進化したのであれば、動物園のオリの中のサルが、オリから出してくれと交渉するのがいてもおかしくない、と一笑した。人間は最初から人間であり、サルはいつまでもサルであり、サルは人間になることはない。人間は、ダーウィンが進化論を発表してからこれまでの百数十年の間、そのような誤った考えを持った。これと同じような考え方が、ローマ法王庁によって歪められた「天動説」の問題である。これは今では一人も信じる人はいない。ローマ法王庁が、この天動説を修正したのは、ほんの二十年前(昭和五十五年十月)だった。この、亡霊のように独り歩きをする過去の遺論に対して、人類を正しく導く役目を持った高橋師は、これもまた困った問題だと、進化論を否定し修正したが、全人類は謙虚に注目しなければならないことである。それでは、高橋師はどう言っているのか見てみたい。    

                                 

(その1)                            

                                 

 「人類は、今から三億六千五百年前に、ベーター星から、今でいうUFOに乗って移住してきました。そして、その頃は、皆神の子として丸く広い心を持ち、自由に実在界(あの世)と交信ができ、争いのない平和郷であったと、私の指導霊が説明する。人類は特殊な宇宙船で、自然に調和された地球という名のそれぞれの環境に適応した体質を持ってきたのである。茶色、黒色、白色の皮膚を持った人間達に、神は生活の場を与えたというわけだ。」 (一九七六年の講演)  

                                 

(その2)                            

                                 

 もしも人間が猿の進化物とするなら、進化途上の類人猿がいても不思議ではありません。しかし類人猿はおりません。北京原人や南方諸島の古代人の頭蓋骨の大部分は人間と異なる類人猿で す。猿です。また、もし進化論で片づけられるなら、現実に猿から人間にかわる過程の人間がいても、少しもおかしくないと思います。多くの学者は、文明文化の進化の過程をとらえて、人類にも進化の過程があると見ているようです。『心の発見』 

                                 

(その3)

                                 

 私の講演のあと、若い学生から進化論について質問を受けた。「お前が進化論を信じるのならば、昔からある動物園のチンパンジーやゴリラ達は、人間の言葉を語るようになり、飼い主と、檻から出すように交渉するだろう」と、私の指導霊は言ったのである。私は驚いてしまった。つまり、このことでもチンパンジーやゴリラは、永遠に人間に進化しないということを知るべきだろう。魂の進化はしても、永遠にチンパンジーでありゴリラだといえよう。人類の身体は、神の身体と同一だということの証明ともなろう。文明の進歩は、人間の心の進歩ではない。それは生活の知恵の進化であって、足ることを忘れれば、逆に心は退化してしまうだろうと指導霊は言うのである。たしかに、上野の動物園で何回も生まれてきたチンパンジーも、類人猿で人間に近い知恵を持っていると言われているが、日本語など喋れるはずもない。この質問した若い学生も、この指導霊の言葉に驚いたようだ。天孫降臨したという神話的な話をくつがえしてやろう。もっと科学的に人類の進化を説明してやろうと思っていた出鼻をくじかれたので、幾分がっかりしたようだ。電子工学を専攻し、ある会社に勤めながら神理を聞きに来ていたが、一九七一年九月頃、外国に二〜三年いるという計画を、私がやめさせた人である。なぜなら、その国に大地震が起こり、帰国不可能になるだろうと、予言があったからだ。その予言は当たった。大地震によって、彼が行くことになっていた国は多くの犠牲者を出したのである。その国はイランであった。彼は出張をやめたので、この災難から逃れることができたのであった。『心の原点』  

                                 

     「進化論否定の証明」

 

  <成書にみる最古の人類>

                                 

 高校生の教科書・山川出版社・詳説『世界史』(一九八七年版)には、「最古の人類」について、次のように記述している。                                 

 「人類とは霊長類ヒト科の動物で、直立の姿勢で二足歩行をし、文化をもつ。現在のところ、最古の人類と認められるのは、東・南アフリカで発見されたアウストラロピテクス群の猿人で、その出現は洪積世の初頭(約二五〇万年前)にさかのぼる。洪積世の中期(約五〇万年前)になると、原人が出現する。ジャワ原人や北京原人もこの仲間で、アジアから ヨーロッパ・アフリカまでの広い範囲に分布する。」、と。      

これより、進化論否定の証例を挙げる。

 

(その1)                                 

 戦前、イギリスのピルトダウン村から発掘されたピルトダウン人は、類人猿と人間の合い子であると、当時の人類学者をアッといわせた。戦後、イギリスの学者がピルトダウン人の骨の分析を詳細にやると、それは今から五万年位前の人骨に、今も生きているゴリラの骨をくっつけたニセモノだということがわかり、ピルトダウン人という名は人類学の一頁から削られた。                                 

(その2)                                 

 昭和六年に発見された「明石原人」といわれたものが、一九八二年慈恵医大で開催された日本人類学会において、現代人の骨であることが報告され、訂正された。 

(その3)                                 

 昭和五十五年(一九八〇年)中国雲南省で、約一四〇〇万年前のラマピテックスのほぼ完全な頭蓋骨が発見されたと報じた。これこそは人類アジア起源説を裏付ける有力な証拠であると、日本の専門家の中に「ラマピテックスこそ人類の祖先に違いない」と言う人もいた。猿から人間に枝分かれした時の最初の人類の骨であるといわれたが、一九八二年(昭和五十七年)十一月、別府で開かれた人類学会において、中国の呉汝康博士が、それは人間の骨ではなくて、オランウータンの頭蓋骨であったと発表、訂正した。(その二年前の昭和五十五年十月には中国解剖学会で発表されている)              

                                 

 進化論を証明する人骨だと言われてきたものが、ダーウィンの没後百年記念の催しがなされているさ中に、それらはことごとくニセモノであったというのである。まさしく皮肉と言うべきか。

                                 

  〈今西錦司博士の進化論批判〉

                                 

 京都大学人文科学研究所長、今西錦司博士は『ダーウィン論』中公新書の中で次のように批判している。(中公新書四七九)

                                 

「一つのセオリーが、日進月歩の激しい自然科学界において、その発表後一世紀以上も安泰であるということ自身が、じつは奇怪で仕方ない気がする。それも駆けだしの若造がダーウィンの説を批判するのではなくて、すでに『生物の世界』以来一貫してダーウィンに批判的であった私が、原著を読んだうえで、ダーウィンの論理にしたがって、もう一度ダーウィンを批判しようというのである。この批判をあの世にまで持ちこもうというのである。私はあの世でダーウィンにあった時、原著の何頁で、あなたはこう述べているではないか、といいうる証拠がためのために、どうしても原著を読まねばならなかったのかもしれない。」(十ページ)                   

 また、次のように述べている。                                 

 「そしてかりに五千年さかのぼっても、あるいは一万年さかのぼっても、タイはやはりタイであったろうというのが、私の見解である。」と。 

同じく今西博士は、                    

「進化論の原点をダーウィンに求めたことは失敗だった」「私は本書をダーウィンに読ませたい」とも書いている。            

私達は、ダーウィンの進化論に対して批判している学者も多くいることを知らなければならない。この『ダーウィン論』は昭和五十二年九月の初版だが、その一年ほど前の昭和五十一年六月初版の『進化とは何か』・講談社学術文庫もあるが、「私の進化論の生いたち」の中で、氏は次のように書いている。

「突然変異も自然淘汰も否定した私の進化論は、もともと現在の正統派進化論とはかなの趣の異なったものであり、それなりに一応の形を整えるところまできたものの、まだ、決して完成の域に達したものとは思っていない。…中略…何分にも相手は一世紀にわたる伝統を持ち、世界に広く根をおろした。ダーウィン以来の進化論である。五〇年や一〇〇年ではまだ崩れ去らないかもしれない。しかし、こういう正統派進化論者からみたら、異質の進化論も、また成り立つのだということぐらいは、もう少し宣伝してもよいのではないか、どこかから意外な反響が出てこないともかぎらぬから…。」、とも書いている。 

そして、園頭広周氏は、

「ダーウィンの進化論が否定される第一理由は、「環境に適応するように変化した肉体は遺伝しない」ということにある。例えば、高見山は相撲で鍛えて、相撲社会で生活して行けるように身体が大きくなった。だからといって高見山の子供が生まれたままで、なんら鍛えないでも父親の高見山と同じような力を持つことはないということであり、テニスの選手は利き手が大きく長くなるので、生まれる子供は普通に生まれてくるので、父親と同じように利き手と同じ手が大きく長く生まれてくることはない、ということである。 だから、種の発生は突然変異であろうと、それは新しい種の発生で、種が徐々に変化して別個な種に変わるということは絶対にないということである。種の中間的存在はないということである。進化論では、例えば、海辺に生えた苔が、だんだん陸地に這い上って木になったと説明するのであるが、皆さんは、苔がだんだん進化して木になりつつある姿を海辺で見ることができられるであろうか。」、と。

そして、

「進化論の正しさを証明する人骨は全くない。北京原人の骨も行方不明であるから、果たして人骨であったかどうか疑問である。進化論を証明する人骨を探す努力や研究することは全くムダである」、と。

また、同じく、

「正しい信仰をしようと思う人はダーウィンの進化論は、間違いであることに気が付かねばならないのです。この世には猿から進化したという証拠は何もないのです。ただあるのは、ダーウィンが進化論を書いたというだけのものなのである。創価学会の池田大作氏も、立正佼成会の庭野日敬氏も進化論を認め、生長の家の故谷口雅春総裁は、『人間は最初から神仏の子として生まれ、猿から進化したのではないと言ったのである』、と記述している。

 以上の記述によって驚かれたと思うが、真実、何をとっても進化の事実はないのだから、真実は真実として認めない訳にはいかないと思いませんか。

 

 

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WB01584_2.gif (2068 バイト)        「マルクスもまた光の天使であった」

 

 高橋信次師は「カール・マルクスも又、光の天使として出て来たのです」と言い残した。

 

〈カール・ハインリヒ・マルクス〉(一八一八〜一八八三年)

 ドイツに生まれた。ボン大学、ベルリン大学に学び、哲学博士になる。その後、新聞記者を経てエンゲルスや多くの革命家と交わり「共産党宣 言」をエンゲルスと共同執筆したが、政府の弾圧によりロンドンへ亡命し、労働運動のために活躍した。

 

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マルクス

 

〈なぜ天上界はマルクス主義を発展させなければならなかったか〉   

                          高橋信次

 なぜ実在界、あの世において、マルクス主義を発展させねばならなかったかということを皆様にご説明しましょう。人類がこの地上界に出た当時は、皆平等な調和された社会だったのです。ところが、人類の文明の進化に従って、豪族という一つの種族は武将を産み、武将は何時の間にか自分自身の力を確立するために酷しい封建社会を作り、インドのごときは、きびしいカースト制度、日本に於ける士農工商の階級制度を作って行ったのです。こうして一七九八年、オーギュスト・コントという人を実在界から出します。彼はナポレオンの全盛時代において、酷しい社会制度の中で九十五パーセントから成る底辺の階級が、常に犠牲になっているのを見て、果してこれで良いのだろうかと、疑問を持ちます。そして初めてここで、社会実証哲学というものを発表します。この人は技術家です。電気工学を修業した方で、世の中の矛盾というものをつきとめます。更に続いて一八二〇年には、ハーバード・スペンサーという人をイギリスに出します。彼も又、社会有機体説というものを作り、社会の矛盾を突いてゆきます。 

〈カール・マルクスも又、光の天使であった〉

 こうして、カール・マルクスも又、光の天使として出て来たのです。僅か五パーセントの貴族や僧侶、あるいは権力者によって、九十五パーセントの人々が奴隷になっている。こういう社会を修正するために、実在界ではこういう手を打たなければならなかったのです。人々の、大衆というものの調和、人類は皆兄弟だ、という事を自覚させるためだったのです。だから、マルクスだって決して神はいけないとはいっておりません。後の人がそれを神格化して、いつのまにか闘争と破壊を武器とするようになっているけれども、権力や武力によって人間の心は支配出来ないという事です。現代社会における思想、即ち資本主義も社会主義も共産主義も心を完全に失ってしまい、物質と経済の奴隷への道を歩んでいるのです。

 

 マルクスが活躍した当時は坂本龍馬が、西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)に薩長同盟を結ばせた頃である。 マルクスは亡命先のロンドンで「共産主義理論」を書いた。当時の英国の炭坑では、夫も妻も、そしてその子供達もみな穴に入って石炭を掘った。そうしなければ生活できないほど低賃金で働かされていた。織物工場の労働者の賃金も安かった。そのような状態を見ていたマルクスは、労働者の解放を願って共産理論を書いたのだった。光の天使マルクスは大衆の窮状を見過ごすことは出来なかったのである。

                                 

〈日本の女工哀史の背景はこうであった〉         園頭広周 

 明治、大正時代、日本の筑豊地方の炭坑でも女性が石炭を掘った。英国のランカシャーの女工達の賃金が安かったのと同じように、製絲女工の賃金は安くて「女工哀史」が生まれた。終戦後の人々は、一方的に資本家が労働者を搾取してきたと思っているが、資本家、経営者の側からいわせると、それが世界的な傾向であったのであって、決して悪意で搾取してきたのではなかったということに理解を示さなければならない。世界の貿易をやっているのはユダヤ商人が多い。初めは日本の絹を高く買ってくれたので、日本全国に製絲工場が出来た。農村は養蚕が盛んになって現金収入がふえた。ところがユダヤ商人は今度は高く買わなくなった。日本の絹を安く買い叩くようになった。そうなれば蚕の値段は下げなければならない。折角製絲工場をつくったのであるから、工場を維持してゆくにはそれだけの利益を挙げなければならい。切りつめるだけ経費を切りつめる。人件費、労賃を安くする。そういう中で生まれてきた「女工哀史」で、女工達だけが苦しんできたわけではない。資本家、経営者達も苦しんで、その揚げ句に製絲工場はばたばた倒れて行った。行きづまって心中、自殺する人達もあったのである。

 

 以上のように、その時の時代的背景の中で、光の天使、マルクスを遣わし、マルクス主義を発展させなければならなかったのだと高橋師は言及した。そして、それが、現代では、闘争と破壊を武器とするように変わってしまい、困ったことになってしまった、と述べたのである。

                                 

次に、高橋師講演より、

  「人間がこの地上界に神の命をうけて肉体を持ち、この地球そのものを調和させるということは、最も自由の中で、しかも、物質、経済の上に、われわれの心というものの存在がなければならないにも拘らず、あのマルクス主義は、心の存在を否定しているところに、大きな間違いを犯しているのです。しかし、心を否定して否定できるものではありません。現在のソビエトをごらんなさい。キリスト教信仰が復興しつつあるではありませんか。カール・マルクス、ヘーゲル、オーギュスト・コントにして も、彼等は社会主義生活こそ至上のものとしていたにも拘らず、オーギュスト・コントのごときは、晩年、人道学派というものをつくって、一つの宗教に帰依しているではありませんか。ハーバード・スペンサーは一八二〇年、実在界から命ぜられて、当時の権力と、一つの資本力に対抗するためにこの地上界に出されたのであります。しかし、こういう人達も最後は、心というものをどうすることもできなくて、やはり宗教に帰依して死んでいるのです。」

                                 

  <オーギュスト・コント> 一七九八〜一八五七年 

 フランスの哲学者、実証主義の祖。パリの理工科大学に在学、サン・シモンの秘書となったが、その後別れ、自己の実証哲学の最初の部分を自宅で講義したが、過労その他で精神的に異常を来たして中断、再開して実証哲学講義六巻」を次々に出版。その後、宗教的傾向を著しく示しはじめ、人類教を唱え自らその大祭司となった。

                                 

  <ハーバード・スペンサー> 一八二〇〜一九〇三年 

イギリスの哲学者。十二年間鉄道技手として働き、その後五年間「エコノミスト・経済雑誌」の副編集人。著書には「社会静学」「心理学原理」「綜合哲学」体系を公表したが、二十年間の研鑽により「第一原理」「生物学原理」「心理学原理」「社会学原理」「倫理学原理」を著わした。そして社会有機体説をとり、国家干渉を拝し自由放任政策を採りあげ、これは当時の新興ブルジョアジーのイデオロギーを代表するものと見られた。

                                 

 これより、「資本主義と共産主義」について高橋師の〃ことば〃を聞いてみよう。

  資本主義もマルクス主義も、思想の根本となっているものは、すべて物質的な経済です。どこに心があるでしょうか。大調和な根本であるべき人の道に、上部層と下部層の人々が闘うことによって文明が発達して行くという、マルクス主義が、調和の道といえるでしょうか。思想的に相入れぬ両者、対立は当然のことでしょう。 人生は、文明のためにあるのでしょうか。物質文明の奴隷になるために生まれてきたのでしょうか。物質文明は、人間の心を忘れ去った生活の知恵が優先した時、欲望を駆り立てる害毒にもひとしいものといえます。人間のための物質文明であって、物質文明のための人間ではないはずです。消費を目的とする資本主義、団結によって階級闘争をくり返しているマルクス主義。しかしいずれにせよ、金力や武力や権力が、人間を支配することはできないといえましょう。正しい共産主義というものは、批判や総括のない、独裁者のない、心ある者達による大衆の平等と信頼の中で築かれて行く、ユートピアでなくてはならないといえます。相互の理解と信頼の心の調和のないところに、ユートピアなどは完成されません。心を失った思想は、自ずから自滅への道を辿ることでしょう。 物質経済文明は、人間が生きるために、より良い社会生活が営めるために作り出されたもので、それが争いの種になるところに問題があるといえるのです。人間は誰でもが神の子であり、人類はみな神の子だということを忘れ、何のために生まれ、どう使命を果たさなければならないのかということを、肉体舟に乗って人生航路に船出した時に忘れ去ってしまったのです。

 そして、生まれた環境も、実は自分で選んで出てきたものだということを忘れ、経済的に貧しい環境に出てしまうと心まで貧しくなったり、逆に恵まれて生まれると貧しい者などを冷たい眼で見るようになり、慈悲の心を失ってしまうのです。生まれた時は、私達は裸なのです。自分が恵まれていたら、気の毒な人々に愛の手を差し伸べて幸せをともに喜ぶ同志になる。これが、まことの報恩の行為ではないでしょうか。貧しく生まれたなら、一生懸命に働いて、自分の力で経済的に安定した環境を作れば良いのです。そして、足ることを知って、同じような貧しい人々に愛の手を差し伸べてやることが大切でしょう。

 人は、この世を去る時、すべての物を持って帰ることはできないのです。人間の作り出した経済や不動産は、すべて自分の物ではありません。いつかは、返さなくてはならないものなのです。自分のものは、自分の意識とその中心にある心の体験した一切の現象以外にないといえましょう。万生万物は、ひとつとして人間のものではなく、神からひととき預かっているにすぎないものなのです。その預かりものに執着を持って、苦しむことは愚か者のすることです。人生の目的は物質文明の中で、いかに豊かな丸い調和された心を完成するか、ということです。それが、人生の修行目的だ、ということを悟るべきでしょう。

 思想も、片よりのない人類の心から調和された一人一人の幸福を得られる道、それこそがユートピアへの近道ということができましょう。片よりは、自己保存、自我我欲への道であり、いつの日か自分の愚かな想念と行為を反省させられる時がくるであろう、と私は思います。人類は自ら造り出した物質文明によって、より豊かな環境を造り出そうとした。ところが結果は、偉大な心の尊厳を忘れ去り、形式的宗教に心のよりどころを求めたため、生活の中に、習慣の中にそれが根を下ろしてしまった。それは、自力を忘れて、他力本願の自己陶酔に陥った結果といえ、それが人々の心を支配したからである。財産や経済力が幸福を得るためのもの、という人生観に変わってしまった時、人間は、自らの心の偉大さを置き忘れてしまったといえるのだ。そして、自ら、足ることを忘れ、欲望の海に押し流され。身も心も泥沼の中であえいでいるということである。それは、人類が、自ら造り出した〃業〃である。

 この地球は、ムー大陸、アトランティス大陸の陥没など、幾度かの天変地異を体験してきた。人間は、肉体を持って生まれてしまうと、この世だけだと思い込み、自我我欲の一生を送ってしまう。天変地異、そうした人類に対する、その時代時代の人々への神の警告であったのである。人類が、この地球という場を修行場として選び、他の天体から移動してきた当時は、地球は非常に調和されたユートピアであった。人々の心は、神の子としての自覚に目覚め、実在界との連絡も自由にできたようだ。しかし、種族が増えるに従って、それぞれの種族保存の自我が芽生え、肉体的同族のグループは、共同体から分離して行き、やがて自らの生活の場を確保するための境界が造られて行ったようである。そして、種族の分裂によって、またこまかく分かれ、生活区域が確立するにつれて、対立もまた生じたのであり、部族の長がそぞれの部族を支配するに至ったのである。しかし、原始共産体制は、自然から生命を守るため、互いの協力が必要であった。人間はそこでいろいろな生活手段を考え出し、それに従って遊牧の民となり、農耕民族ができ、漁民ができるといったように、生活の場が広がって行った。だが、生活の場が広がるに従って、人間は互いに疎遠になって行き、人類は皆同胞だということを忘れて孤立して行ったのである。

 部族が大世帯になる、すると豪族が生まれる。弱い部族は亡ぼされ、強い者は、侵略によって自らの領地拡大して行くのであった。同族間にも争いが生まれ、その闘争が武将を生み、やがて封建社会が造られ、きびしい階級制度を確立するといったことになる。武力による戦乱が続く。弱い者は支配され、武将は勢力を拡大して行く。戦闘力の優劣が勝敗につながり、武力の強い者が、やがて国家を統一して行く。この頃から、封建制度はさらにきびしい階級制度を造り、その支配力をゆるぎないものにして行くのである。

 底辺の大衆はその武力や権力の犠牲となり、きびしい生活に甘んじるということになる。武力は、弱い者達の自由を奪い、行動の自由にも制限を加えるようになって行ったのだ。日本における一向一揆などを初めとする農民一揆などは、この弱い者達の団結による闘争であった。そのようにして権力者に抗しなくては、生きて行く道を閉ざされてしまうほどの悪政であったといえる。 しかし。、その間にあって、商人達は、武器や食糧や衣類などを武将達に売り、商売によって経済力をたくわえていた。ある時は、スパイになり、情報まで売って、敵味方の見境なく、商法を駆使して財を蓄積して 行ったのであった。闘争に明け暮れている武将達は、商人のよいカモとなり、やがては経済力で、逆に商人に支配されるというはめになる。 ここに、ようやく、資本主義の芽が生まれ出てくるのである。そして、経済力は大衆を支配して行くが、大衆はその中で、自由に目覚め、水を得た魚のように団結という組織を生んで行く。武力は、大衆を支配してきたが、大衆の行動を制限することはできても、その心を支配することはできなかった。そして、自らの不調和な、おごれる心によって自らを亡ぼしてしまったのである。彼らも、人の心をつかむ努力を怠ったのではない。誤った宗教を利用し、悪徳のその指導者と組んで、大衆をあざむき、心の束縛をはかったことはあったのだ。しかし、正しいものではない、でっち上げの宗教、他力本願宗教、人間の造り出した偶像では、所詮、人の心を救うことはできなかった。

カール・マルクスのように、宗教は阿片である、ということに大衆は気がついてくるのである。正しい神理に適ったものであるならば、人々の病める心を救うことはできるだろうが、人間の知恵によってでっち上げられた宗教で人を救うことはできない。また、そんな宗教に騙されるということは、私達の意識まで腐らせてしまうことである。権力者や貴族が、悪徳宗教家達と組んで、大衆を犠牲にするような宗教 は、阿片より恐ろしいものだろう。しかし、社会主義経済も、物質経済が基本であり、彼らも武将に代わって武力で支配するようになった。自ら、団結といいながら、階級闘争の中で、自己の立場を守るためには、他人を陥れることもする。思想の統一をはかるためには、きびしい弾圧をくり広げ、やがて、彼等自身の内部にも不満が生まれてくるのである。彼等は他を信じることができないため、心の安らぎを失い、いつ権力の座から引き下ろされるか解らないきびしい環境に生きている。今日の友は、明日は人民の裏切り者の烙印を押されて失脚してしまう。人民という名を騙って行なった独裁者の主義主張は、やがて自らの不調和な行為に比例して、反作用が帰ってくるのだ。自らの正しい生活行為の中から、人民の平和な生活を考え、身を犠牲にしても大衆を救おうとする、心に生きる指導者こそ、未来の神の子といえるだろう。

 勝てば官軍、負ければ賊軍ということわざがあるが、その争いそのものが、万物の霊長のなすべき道ではない。それは万物の霊長に進化する過程の動物の行為である、と自覚せねばならないだろう。人民大衆に団結を呼びかけ、権力者や資本家達とともに、闘争をあおっている指導者は、それだけで失格である。そして、その心の中に権力欲や自己保存の心が芽生えたとしたなら、それはすでに大衆を偽っている者達なのである。「正しい」心を持っている指導者であるなら、闘争のむなしさを悟っているだろう。指導者は、人民大衆を偽ってはならない。争いは、自らにはね返ってくるものだからだ。作用、反作用の法則を知っているならば、それは、自らの心に不安となり苦しみを造り出すということだ。正しい考えであるならば、人は、皆ついてくるであろう。闘争と破壊によって犠牲になる者は、人民大衆ではないだろうか。階級闘争によって、文明は発達して行くのだと教えている思想家達は、公害という不調和な毒物を造り出している共犯者であるだろう。働ける環境に感謝する心こそ、大切なのではなかろうか。」      

 

次いで園頭師の「ことば」を聞いてみる。

 

 1)、「共産革命には「血の粛清」という言葉はつきものである。日本には、一国の政治体系を変えるのに、勝海舟と西郷隆盛が行った無血革命の世界に誇る事実があるのである。日本人であるならば、先輩の輝かしい業績に学んで、血の粛清をやったソ連や中共を祖国といわないことである。中共は華国鋒体制になって毛沢東や四人組に対する批判が強くなり、変貌しつつある。そして、ソ連はご存知の通りである。」

 

 2)、「日本は第二次大戦以前のことを反省し、アセアン諸国に対しては無償供与という形で善業を積みつつある。だからもし、アメリカを筆頭とする白人諸国家が、これから日本の発展を邪魔しようとするならば、逆にそのことが日本の国家としての運命はプラスになってゆくのである。」

 

 3)、宇宙には宇宙の中心があり、太陽系には太陽という中心があって、それぞれに運行しているように、地球には地球の中心がなければならない。人間の肉体は、脳という中心があって、その脳によって眼も耳も鼻も口も、心臓も肺臓も肝臓も、というようにそれぞれに段階があり組織があって健康が維持されている。神がつくられた組織にはすべて段階がある。段階があるのは平等でないということである。自然がそうであるように、人間はみな神の生命を生きているという点では平等であるが、その平等の生命の発現展開は不平等という相をとっているのが真実である。人間には人格の高下がある。お釈迦さまやキリストとわれわれでは、同じ人間であっても段階が違う。差別をなくしようという運動は、ある面では正しいがある面では正しくない。社会、共産主義が失敗に終わっているのは悪平等だからである。しかし、すべては平等だといいながら、首相がいて、書記長がいて、それぞれ段階をつくって組織があるのであるから、思想としていっていることと、実際やっていることは違っているではないか。

 

突然だが、アガシャという霊が、これについて予告しているものがある。次いで、これに触れる。

 

   「アガシャの予言とは何か」

                                 

 J・クレンショー著・『天と地を結ぶ電話』・日本教文社がある。初版は昭和三十年で、再び昭和四十六年に初版として再版されたが、翻訳が難解なので、園頭師が『アガシャの霊界通信(上下)』正法出版社初版・平成四年として出版している。これは、リチャード・ゼナー氏を通して霊示したアガシャーといわれる指導霊の霊言を本にしたものである。 

アガシャについては、高橋師が園頭師に「あなたはロスアンゼルスのアガシャ教会のことを知っていますね。あのリチャード・ゼナーを指導したアガシャーの指導霊というのは我々の仲間ですよ」と言ったが、高橋師と同じグループだということを、念頭において欲しい。

 

  <一九四八年(昭和二十三年)四月二日にアガシャは言った〉   

                                 

「 一つの黒い波(暗い想念)がロシアの周辺にまき上って来ている。若しそれが続くならば、全世界の人々にとっての非常に困難な問題が起って来るであろう。そして、多くの勇気を失い幻滅を感じた人々が、「大きな努力も払わず、全てのものが自分のものとなると信ずる」ために、共産主義はひろまるであろう、と。だが共産主義の下では大したものは得られず、正しき生活に欠くことの出来ない表現の自由もなく、ただ、指導者の奴隷となるだけのことだと分かると、その時、「共産主義は自己崩壊するであろう。反乱が起り戦争が起こるであろう。そして、長い年月共産主義は多くの人々を支配するが、結局それは死滅してしまうであろう。」、と。         

                                 

 アガシャは、共産主義は自己崩壊し、死滅してしまうだろうと、今から五十年も前の昭和二十三年のアガシャ教会での交霊会で、霊媒となったリチャード・ゼナーに霊示を送ったというわけだ。この霊示を証明するように、まさしくソ連は崩壊してしまった。こうして、社会・共産主義の権化といわれた光の天使・マルクスは、とうとう経済の考察に行きづまり、モスクワに神学校を創ったことも付記して、この項を終わりたい。

 

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 WB01584_3.gif (2068 バイト)             「アポロ宇宙船」のアーウィンという人

 

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ジム・アーウイン   (『宇宙からの帰還』より転載)

 

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 一九七二年講演テープより筆録(高橋信次)

  「今から二年前、アポロ15号という宇宙船が月に行く時、東京で色々とその当時の模様を放映しました。アポロの衛星には、ガブリエルというイエス・キリストのグループから出ています。彼等に尾行していきます。月の世界へ行っても、また帰る時にもイエス様が「今から最も危険な領域に入るから私は行きます」と言って、私のそばからサーッと消えてしまいました。それから五分後にテレビでアポロ衛星の中から〃大きな金色の火の玉がついてくる〃ということをテレビで放送しました。ところが、十月十五日の日本経済新聞を見られた方はわかるでしょう。アポロのその時の飛行士は月の世界に六十七時間いる間、「神様とともにいた」ということを書いております。と、同時にモーニングショーで通産大臣と話をしておりました。「神はある。私は神とともにあったのです。神は私のそばに姿を見せ、ともにおりました」ということを言っておりました。さらに、またあの月上車が故障をした時、〃これは大変なことになった、このままでは帰ることは出来ない〃と思った時に神の声で「そこのボタンと、そこのネジをしめろ」と聞いたそうです。これはリーダーズ・ダイジェストに書いてあります。このように我々の言ったことがアポロを通して、あの宇宙飛行士がアメリカで、そして、日本に来て発表しているではありませんか。」

      

日経新聞、一九七二年(昭和四十七年)十月十五日の記事より引用する。

                                 

「「月の世界で神を見た」 と先月はじめ栄光のアポロ飛行士の職をあっさり投げ捨てて牧師に転向したジェームス・B・アーウィン前空軍大佐(四二)が十四日午後、家族とともに羽田に着いた。日本、韓国、台湾など東南アジア一カ月の伝道の最初の地として訪日したものだが、十六日には田中首相を非公式訪問し「月面で受けた神の啓示」をじっくり説きたいという。昨年七月、月着陸船「ファルコン」を操縦、荒涼とした月面に降り立った時、神が突如アーウィンさんの目の前に現われた。「神は一言もしゃべらなかったが、六十六時間五十四分の月面滞在中ずっと私のかたわらに立ち続けた。そして、ぼうばくたる宇宙を飛び越え、青い地球の大気圏に入った際、自分の前にあったのは宇宙のオアシスとは似ても似つかぬ〃物欲と権勢欲〃にみちた汚れた地球だった」と語る。「この地球でこれから生きながらえると思った時、深い失望と人知れぬさびしさに襲われた」とも。アーウィンさんは妻メアリーさん(三四)の快諾を得て九月一日、アポロ飛行士と決別、「ハイ・フライト」というバプテスト派の流れをくむ新宗派を結成し、この世の汚れた人の心の改修という月飛行よりむずかしい旅に出発した。・・・・ 」

                

一九七六年(昭和五十一年)講演テープより       高橋信次  

「そして又、私達は他の天体とも交渉を持つようになってゆくのです。漫画でもSFでもありません。これは真実です。皆さん自身もそのように、先づその為には自己を確立しなければいけません。ソビエトが人工衛星ソユーズ何号かを飛ばしても、ちっとも成功していないのは何んでしょうか。彼等は心がないからです。神を信じていないからなのです。彼等は唯物論者です。ソビエト共産と同盟の為にという間違いが、神の加護を得られないのです。アメリカのアポロ十一号以降全部成功しているのは何んでしょう。彼等は全世界人類の為に自から〃いのち〃をとしてやっております。これが神の光を仰いでいるのです。その為にアメリカの宇宙船が飛び立つ時には、光の天使達が皆、防衛して行くのです。やがてその事実も、皆さんの前へはっきりする時が来るでしょう。神は光なり、その光によって満たされてゆくからなのです。」                                 

 高橋信次師は、講演の中で、このように言い残したが、一九八七年に打ち上げられたソユーズMー2でミール宇宙ステーションに滞在したロマネンコの三二七日という輝かしい記録を打ち立てているものの、その頃のソ連の宇宙事情を述べると、人間宇宙衛星船「ソユーズ1号(コマロフ大佐)」は一九六七年(昭和四十二年)に打ち上げられたが、翌二十四日試験飛行完了の時に着陸に失敗して、コマロフ大佐は死去した。そして、正式な本飛行の「ソユーズ1号」は、宇宙開発史上初めてという飛行中に飛行士が急死するという結末となった。そして、一九六一年四月ヴオストーク1号で地球を一周し、人類最初の宇宙飛行という栄誉を手にしたガガーリン大佐も、一九六七年ミグ15練習機で墜落死という悲劇が起っている。だが、不思議という外はない。

 ところで、一九六九年(昭和四十四年)七月、アポロ十一号の月着陸全国中継放送で、テレビにクギづけになった記憶をお持ちの方も多いと思う。その時、カラーテレビメーカー各社の在庫がゼロになったという新聞の報道も記憶に新しいが、この二つの講演筆録は、アポロ十二号のバックアップ・クルーに選ばれ、一九七一年四十一歳で正式クルーとして十五号(船長デイブ・スコット)に乗り組んだジェームス・アーウィンについて、である。

 彼は、NASAを引退して以後、キリスト教伝道に捧げていることも興味あるが、ノアの方舟探しに二度も遠征隊を組織している。これより『宇宙からの帰還』立花隆・中央公論社を引用しながら記述したい。

 

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『宇宙からの帰還』 立花隆著 中央公論社

 

 同誌によると、月に行ったアポロの宇宙飛行士を調査してみると、〃flicker flash phenomenon〃(チカチカピカピカ現象)つまり、一瞬間ピカッと光る閃光を見た者と全然見ないという人に、はっきり二大別できたという。アポロ十五号の場合も、宇宙船の中を夜と同じ状態にし、さらに目隠しをしてこの現象があらわれるかという実験をした。「強烈なものは写真のフラッシュをたかれたかと思うくらい強かった」とアーウィンは言っていると同誌は書いた。この強烈な閃光と、高橋師の講演の中で述べている〃大きな金色の光の玉〃はイエス様をはじめ、光の天使達なのである。宇宙船が無事、地球まで帰還出来るように守られていたのである。これがもし物理学上の宇宙の素粒子のようなものが起す現象であれば、見た人と見ない人があるということもあり得ないのである。目隠しでも閃光を見たということは、心の目で見ること、つまり、霊視したということである。釈迦やイエスやモーゼなどの上上段階の大指導霊を一般の我々から見ると、〃光そのもの〃〃光の化身〃であると高橋師は言ったが、まさにこの閃光も金色の火の玉も光の天使そのものなのである。アーウィン等は帰還後、眼底写真を撮って検査をしたというが、なんの成果もあらわれなかったと言う。霊視したのであるからそれは当然なことであろうか。そして又、閃光を見た宇宙飛行士の一人アポロ十一号のバズ・オルドリンは、のちに精神的異常をきたし、精神病院に入ることになったという。閃光を見た人と見ない人があるということは、それは物理的現象ではあり得ない。それは、イエス様に縁の深い人は、イエス様から放たれる光によって、心の窓を開く、つまり霊道をひらき、霊視して閃光を感じるということである。このようにして霊道を開いたバズ・オルドリンは、霊道を開きながらも、心のあり方、人生のあり方において、以後、正道の生活をはずれたために精神異常という現象があらわれたのであろう。高橋師が創設した宗教法人・GLAでは、高橋師によって強制的に霊道を開かされた人達が、それをひけらかし、増長慢になったために、自から心にスモッグをつくり、異常な現象をあらわした人が多くいた。霊道を開いた人は今迄より以上に、より慈悲深く、正道の正法の生活をすることだと高橋師は注意を促したのである。

 

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 ジム・アーウィンは一九七二年(昭和四十七年)に来日し、バプテストの教会や学校を回った。「夜を支配するために」〃To Rule The Night 〃という体験記を本にした。アポロ計画(一九六八年〜一九七二年)のそれまでの月面滞在時間は三十時間余り(前述の十一号は二十一時間三十六分)であったが、このアポロ十五号は二倍の六十六時間五十五分の滞在だった。そして、それまでは徒歩による探険は六十メートルほどの距離まで離れるだけであったが、ルナ・ローバーという月面探険車をはじめて持参して十キロ(アポロ十七号は九十キロ)も離れるところまで行った。アーウィンは「ふり向けば、すぐそこにいるのではないかと思われるくらい、神は近くにいた」という神の臨在を実感して、月から帰ると、もともと洗礼を受けたクリスチャンではあったが、もう一度洗礼を受け直し、残りの人生を神に捧げることを誓い、月から帰った翌年、NASAから引退して、〃High Flight Foundation〃という財団を設立した。それ以来、ひたすらにキリスト教の伝道を続けているということである。

                                 

以下、『宇宙からの帰還』より引用する。

 

 アーウィン「それは、月に着いて三日目だった。その日の仕事は、岩石の採集だった。基地から出発して、月面探険車(ルナ・ローバー)で、山岳部に向った。我々は出発前から、地質学者に、高地にいって、明るい色の岩石を中心的に採集するように言われていた。御存じのように、月の石はたいてい玄武岩で黒い色をしている。そうではない岩石を探すのが目的だった。ラフ・ロードの山道を登っていくと、突然、視界が開けて、ハドレイ・デルタ山が目の前にそびえ立つ高地に出た。その山の大きさ、まるでヒマラヤ山脈のようだった。(アペニン山脈の山々は、四、五メートルの高さある)その山のスロープに、巨大なクレーターが幾つか口を開いているが見えた。そして、さしのべられた腕の先の部分に、この石が、この石だけは埃もかぶらずに、ちょこんと乗っていた。・・・<略>・・・ 私には、その石がそこにそうしてあったこと自体が、神の啓示と思われた。それを地球に持ち帰り、それが分析の結果、〃ジェネシス・ロック〃と命名された時、それが神の啓示であったこと、神が私に地球に持ち帰えられるために、そこに置いておいて下さったものであることを確信した。だら、私も地球に帰ってきた時に、ちょうどその石が私に向かって語りかけたように、神に対して、〃私はここにいます。さあ取って下さい。取ってあなたのために用いて下さい〃といったのだ」

 

 立花氏「あなたが、宇宙で神に出会った。月で神の臨在を感じたというのは、そういう直観的洞察を得たということをさしているのです。稲妻に撃たれたように、一瞬のうちに神の恩寵の認識が得られたというような」 

アーウィン「いや、それは違う。宇宙船の窓から小さくなっていく地球の姿を眺める。月から地球を見上げる。そして、宇宙と地球と自分を見比べて、そこに神の恩寵を感じとる。そういう洞察と、月にいる時に得た神がそこにいるという実感とはまた別のものなのだ。その臨在感は、知的認識を媒介にしたものではない。するとすぐ答えが返ってくる。神の声が声として聞こえてくるというわけではないが、神が今時分にこう語りかけているというのがわかる。それは何とも表現が難かしい。超能力者同士の会話というのは、きっとこういうものだろうと思われるようなコミュニケイションなのだ。神の姿を見たわけではな・・・<略>・・・・にいるというのは事実なのだ。私がどこにいっても神は私のすぐ脇にいる。神は常に同時にどこにでもいる偏在者だということが、実感としてわかってくる。あまりにもその存在感を身近に感じるの で、つい人間のような姿形をした存在として、身近にいるに違いないと 思ってしまうのだが、神は超自然的にあまねく偏在しているのだということが実感としてわかる。」

 立花「で、神はあなたに何を語りかけたのですか。」

 アーウィン「私が求めるすべてに答えてくれた。月の上の運動は、すべてプログラムされていたとはいえ、無数の予期せぬシチュエイションに出会って、どうすればいいのか迷う場面が沢山あった。通信基地の装置を組み立てる時に、ヒモを引けばピンが外れる仕掛けになっていたのに、そのヒモが切れてしまうとか、漏れないはずの水が漏れるとか、予期せぬ困難が次々に起こってくる。ヒューストンに問い合わせて、答えを得るまで待っていては、時間がかかりすぎて間に合わないことがある。・・・<略>・・・・そこにそれがあるのを前から知っていたみたいだった。神に祈っても直接の答えがない。仕方なく自分で判断する。あとからそれが最良の判断であったことを知る。そこで、あの時自分で下したと思った判断は、ほんとは神のお導きであったのだと結果的に思う。こういうことはよくあることだ。しかし、そうしたいわゆる神のお導きとは質的に全く違うのだ。もっと直接的に神が導くのだ。自分と神との間の距離感が全くない導きなのだ。要するに啓示なのだ」

 

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〈わが国の宇宙開発〉

 わが国では、HーTに続くロケットがHーUロケットである。全長四十九メートルというかなり大きなロケットで、二トン級の人工衛星を静止軌道に投入でき、国産化率は一〇〇%で、何度も失敗しているのはご存知の通りである。現在、日本には多くの光の天使が肉体を持って生活している。そして、これからも生まれる。これらのエキスパート達が、色々な分野で能力を発揮し、今までの科学文明をもっともっと進めることであろう。だが、それらの素晴らしき科学力、高度な技術力も、絶対に、人類を殺傷する軍事利用には向けてはならないのである。今から一万二千年前のアトランティス文明を体験した霊魂達が、これからどんどん生まれ肉体を持つと高橋信次師は言った。現代よりもっともっと素晴らしかった科学文明、機械文明のアトランティス時代を経験した霊魂達が、当時の素晴らしい機器を思い出して作り出す。一万二千年の時空を超越して想い起こす。だが、人類が科学、機械文明におぼれ、神の子・人間としての道をはずれ、地上ユートピア建設と逆行するようなことがあれば、かってのアトランティス沈没のように、人類の思念と行為ゆえに、土中に、海中に、一瞬のうちにさしもの科学文明も消滅してしまうのである。人類は二度と、当時のアトランティスを再現してはならないのである。文明のための文明であってはならない。地上ユートピアを建設し、平和な地上生活を実現する人類のための文明でなければならないのである。 高橋信次師は、アトランチカ大陸は、アガシャによって正法が説かれ、高度の文明の発達した国であった。そこに今の共産思想と同じ思想を持った集団が現われ、正法を説く指導者達を殺した。そのために陥没させられたと教えた。

 

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 アメリカの宇宙開発はアポロ計画からスカイラブ計画、アポロ・ソユーズ計画、そしてスペース・シャトル計画へと移行していったが、一九八六年にスペース・シャトルが空中爆発したことは記憶に新しい。そして、その後の実験も故障のために不成功に終った。一九八七年四月には、スペース・シャトルの部品を作っている会社が品質管理の問題で告訴されそうだということも報道された。そして、一九八八年九月には、スペース・シャトル飛行再開に成功して、一人の日本人女性飛行士は二度も飛んだ。それからは次々と。だが、これらについて言えることは、マーキュリー計画、ジェミニ計画からアポロ計画へは一貫して、未知の宇宙への純粋学問的計画であり、平和利用のためのアメリカの有人宇宙開発飛行計画であった。だから、高橋信次師の〃ことば〃にあるように、イエス様などの光の天使の加護と協力があったのである。ともあれ、スペース・シャトルは半分は軍事目的なのである。人を殺傷する目的のための有人宇宙飛行計画には、光の天使達は協力するはずがないのだ。小ざかしい人間の悪知恵が、いつまでも続くことはないのである。それは当然ではないか。もうこれまでという時に、あの世から手が打たれるというか、「因縁の法」によって、そのようなことになるから、純粋学問分野だけに止どめて欲しいのである。                  

 

〈ポエジャーUの快挙〉

                                 

 NASAが打ち上げたポエジャーUが七年間の長旅の果てに、一九八六年一月二十五日には天王星に接近して、天王星とその衛星群を詳しく探査した。ロサンジェルス郊外パサテナにあるNASAのジェット推進研究所の一室で、刻々にポエジャーから天王星の有様が送られてくるという、まさに〃人類の記念すべきアメリカ宇宙計画の栄光の一日〃であった。 チャレンジャー事故は、その僅か四日後のことだが、この数日は、アメリカ宇宙開発の〃天国と地獄〃であったのである。                                 

 サテ、かっての、もう一つの軍事大国ソ連についての「高橋師のことば」がある。ここで触れておこう。高橋信次師は亡くなる直前、「これから共産国家には食糧飢餓が起こる。それは、共産主義は神理に反するからである」と言った。

これより高橋師の「ことば」から

  「これから共産圏、特にソ連は穀物の不作が続きます。そうして国内に暴動が起こるようになります。日本は食糧に困ることはありません。日本には心ある人が出て「正法」を説いたので、日本は今後も守られてゆくことになります。日本がだめになるということになれば、世界から正法が消えてしまうことになり、神の計画による地球の調和が実現しなくなるので、曲折はあっても日本は天上界から守られてゆきます。」

                            

外電は次のように伝えた。

  ウクライナの原子力技術者が語ったところによると、キエフの二つの病院で働く彼の友人達は、「チェルノブイリ事故が起こってから五カ月の間に、これらの病院で少なくとも一万五千人の被爆者が死亡した」と訴えていた。 事故から一カ月後、中東のレバノンに送られてきた二千頭の羊が、目も見えず、耳も聞えない状態で、保健大臣が処分して地底深く埋葬するよう命じた。この生きている羊は、東ヨーロッパ圏からトルコを経由して送りこまれたようである。

  ベルリン自由大学人間遺伝研究所は、チェルノブイリ事故以来、国内の三万例近くの調査をおこなったところ、障害児の出産が五倍にも激増していることを確認した。広瀬氏は日本の新聞に載らない重大なニュースとして記述した。

 

 ソ連は一九八六年、例年の倍を超える金四百トンを放出して穀物を大量に買い付けた。それからもずーっと続いているが、放射能によって減収するという二重の穀物不足に見舞われている。穀物不足が拡大すればするほど、それを外国に求めるための財源が必要となる。〃腹がへっては戦も出来ず〃なのである。軍事大国にとって、それを維持するための莫大なる財源を必要とする。軍事のための財源。こうなると外にも出ていけなくなる。高橋師が「外に目を向けようとすると必ず内からの問題が起って、それどころではなくなる」と言っているが、その予言も現実化している。                

                                 

次に、高橋信次師の〃ことば〃「食糧問題」を聞いてみよう。全人類が注目しなければならない〃ことば〃である。

 

 「食糧問題」                   高橋信次

 

「異常気象・食糧危機・人口問題、この三つは相互に関連し合って動いているが、これについて、さまざまな見方がなされているので取り上げてみたい。 まず気象については、太陽・月・地球の自転公転によって、その条件の基礎がつくられている。だがしかし、寒波・風・雨・晴天のいずれかの一方に片寄ると地上の営みに狂いが出てくる。かつて地上に人類が住む以前は、火山爆発と雨のくりかえしが続き、氷河時代を何度も現出した。これは火山爆発の降灰が天空に舞い上がり、層をつくり、太陽の熱光を遮断したために地上の気温が下がったからである。今日、冷害や干魃が各地に起っている。原因の一つは熱消費の増大であり、煤煙・排気ガスの塵が天空にのぼり、層をつくりはじめているからである。もう一つは、地上に住む人類の想念行為によって、地軸の位置・自転のリズムを変化させていることもある。                            

 このように気象の基礎条件は少しも変わらないが、地上に住む人類の想念行為が人口の増大に比例して、さまざまな異常気象を生み出している。アフリカの大干魃、ソ連・中国・インドなどの食糧不足、これはいったい何がそうさせたかといえば、それは前述の説明を理解されれば自ずと明らかであろう。気象は天然の産物であり、人間の生活行為とは直接無関係と思われるが、例を今日の公害にみれば、気象も人為的に左右されることは説明を要しないと思う。人口問題は、食糧生産と密接に結びつき、地球は満員という見方もあるが、しかしまだその余力は十分ある。問題は現時点の人々の意識構造(政治理念・民族意識・人種差別・経済の考え方など)に問題があり、バランスを欠いているので、歪みが生じているのだ。一方の国は食糧があり余り、他の国では餓死者が発生すること自体、調和された地上とはいえないだろう。 こうしたアンバランスがなくなり、天然の気象条件に適した方法で食糧生産が行なわれ、技術開発を平均的に進めていけば、地球の人口許容量はまだまだひろげられる。異常気象・食糧危機・人口問題は、地球人類の責任である。それぞれの責任において調和された生活、つまり人類はみな兄弟という人間の原点に立って処理していくならば、この問題は明日にも解決していくであろう。しかし、今のままの状態が続けば、食糧危機を発生せしめ、問題を深めていくことになりかねない。」

 

 次に、昭和五十一年二月(帰天、同年六月)に高橋信次師が語った〃ことば〃を聞いてみたい。

 

「肉体を持つと肉体に制約されて活動が制限される。これは仕方がない。意識だけになると肉体に制約されないから、自由自在に活動できる。ぼくは早くあの世へ帰らないといけないかもしれない。ぼくはすることが一杯あるんです。ソ連は原子爆弾を使おうとしている。原子爆弾を使ったら地球はおしまいである。地球がおしまいになったら、他の天体に住んでいる人間とのバランスが崩れてしまう。だから、絶対に原子爆弾を使わせてはならないのであるが、肉体を持っていると肉体に制約されてソ連の指導者を直接、指導するわけにゆかないとすれば、あの世へ帰って、あの世からソ連の指導者を指導する以外にはないんですよ。 」と、園頭広周師、中谷義雄氏の前で語った。                    

            

核戦争を引き起こす指導者達も、戦争計画者達もすべて一人残らず、天上界から地上界に生まれて来た者達である。一人一人が神の子・人間に立ちかえりこのような愚行は阻止し、絶対にさせてはならないのである。戦争廃止も核廃絶もスローガンであってはならない。スローガンはいつまでもスローガンなのだ。神の子・人間の原点を教え、一人一人が万物の霊長としての尊厳さを学んだ時、それは地上の光となって、平和な地球が約束されるのである。永い盲目の人生の中で忘れ去ってしまった「人間の原点」、「人類の原点」を説いたものが、高橋信次師が示した「正法」である。

 

 これより、月刊『正法』の中から園頭広周師の「ことば」から

 

o これから共産圏であるソ連(現ロシヤ)、中共は食糧飢餓になる。アフリカも南米も、共産思想を持っている国には飢餓が来る、と高橋信次先生が予言されたのは昭和五十年であった。

                                 

o 肉体を持っていて国連で正法を説いて世界の平和をと考えてきたが、もはやそれでは間に合わなくなってきた。ソ連が野心を持っているので、地上的な手段ではどうにもならなくなってきた。天上界へ帰って天上界から修正の手を打たなければいけなくなった。 と高橋先生は言われていた。

 

 平成二年、東西に別れいていた両ドイツの壁が壊われ、めでたくドイツは統一された。その頃、ソ連はグラスノスチ、ペレストロイカ路線が功を奏しているかに見えたが、九月、政府当局は次のように報告している。〃農作物は豊作であるが、収穫が思うようにはかどらない、その為に市場は品不足だ〃、と。我々からしてみれば、全く不思議な国ではある。でも何かが少しづつ少しづつ変わって行き、こうして、平成三年ついにソ連は崩壊してしまった。                   

                                 

 アメリカのアポロ宇宙船から始まって、スペース・シャトル問題に移り、そして、ソ連問題にふれ、それらについての高橋信次師の〃ことば〃をあげた。戦争を計画した国や民族は必ず滅ぶ。自から作った原因は必ず結果として自分に現われる。これを因縁の法則というのである。民族が興隆するのはそこに高級霊が生まれてゆくからであり、高級霊がそこに生まれなくなると、その民族は没落して行くことになる。悪をつくり出す民族がいつまでも栄えることはない。ポルトガル、オランダ、大英帝国などの海運一等国が、今や二流、三流になっているのはなぜか。このことを考えると明らかである。日本がこれから繁栄していくためには、心からの無償の布施をすることである。今を生きる我々が、未来の素晴らしい日本を約束できるのは、現在の経済大国の使命と役割を考え、世界中に無償の慈愛の行為をすることである。政治家の皆さんよ! 子供に素晴らしい日本を残すために、国家百年の大計を考えてみようではありませんか。

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