
園頭広周師の記述より引用する。
「ある教団では、その人の額に手をかざすと憑依霊が浮き出すという指導をしている。これは高橋先生が教えられた「光を入れる」のとは全く違うことである。子供が喘息だというので、その教団に通っていた人があった。その教団の講師が手をかざすとその子供が暴れ出す。大人が四、五人かかっても押さえ切れない程の力が出るという。いくら「おしづまり」といっても静かにならない。その後はぐったり死んだようになる。いくら続けて行っても、暴れるのがますます激しくなるだけで、一向によくならないといって来た人があった。高橋信次先生は、その教団を支配しているのは動物霊であると言っておられた。動物霊にも大将親分がいて、幹部講師にはその子分がつくのである。動物霊の世界では力の強い霊が弱い霊を支配する。その子供の場合は、その子供の霊が目ざめていたから、動物霊に支配された講師の邪悪な波動に、拒絶反応を示したのである。小児喘息というのは、親の心の不調和であるから、親が不調和である限りどんなに他の治療法をとっても一時よくなったように見えていても、根本的に治るということはむずかしい。別に意識して調和を図ろうとしているわけではないが、子供が喘息で苦しんでいるのを見たりして、どうかして治さなければいけないということで、子供を治療しているうちに、知らず知らずのうちに夫婦が調和して、その結果よくなったという人がある。その人は正法を知って親自身が心の調和を図っているうちに、子供の喘息は治った。口で愛を説きながら、どのようにして教団に金を集めようかと、いろいろ手段を尽して信者全員から金を集めることを考えている宗教指導者は、動物霊に支配されているとみて間違いはない。その指導者がどんな立派なことをいってもである。正法を説くことを使命として現われてきた光の指導霊は、神の名を利用して、教団の財産をふやしたりすることは絶対にしないのである。勿論、神殿をつくって神を祭るということもない。信仰することによって何かの益を得ようとか、人の持たない霊力を持ちたいという欲望を持っている人は、本人は無意識のうちに動物霊に支配されてゆく。そういう人達は自分で正しい信仰をしていると思っているけれども、冷静な第三者から見ると必ず非常識な理解し難い言動をするものである。
〈オーラ(後光)とは何か〉
オーラ(後光)とは光子体の心の輝きである。仏像の頭の上の光輪として知られる。これらのものは、心の眼(霊視)で見た仏師が彫り、天使の絵は画家が描いたわけだ。高橋師は、 ラファエルは七大天使の一人で、画によって天上界の様子を、この世の人に教える使命と目的を持った人と言い残したが、オーラとは光子体、つまり、あの世で過ごすことになる体である。この光子体、後光は、調和された正道を歩いた者ほど大きく強い。仏教で言う幽界より霊界、霊界より神界、神界より菩薩界、菩薩界より如来界と、段階が上るほど後光は大きく強くなる。キリスト教でいう光の天使より光の大天使、上段階光の大天使、上上段階光の大天使と、上の段階へとあがる程、大きく強い。霊格が高い程、大きく強いわけだ。
心の調和度によってオーラの色にも段階が生じる。最も心の調和されたオーラの色は、金色の光、つまり淡いゴールドカラー。紫色の光は金色の光についで調和された心の状態。ピンク色のオーラは、もっか恋愛中で、心が乱れ理性を失った心の状態。赤色のオーラは怒りに燃えた心の状態。薄暗い灰色のオーラは、恨みや怒りの心を持って生活している人の心の状態。野心や欲望に燃えている時は、ねずみ色から黒色に変わってゆく、と高橋師は教えた。
また、高橋師は「一秒一秒の心の動きに従って、後光の色彩とその量は変化する。それは自然界の天候が、刻々瞬々変化してゆくのと同じです。心が美しく調和している時や、正しく法を説いている時は、過去世のその人の顔と現世の顔が二重写しになり、身体全体が光明に満たされ、後光が放射状に出ているのがわかります」と言っている。そして、動物霊が神と名乗って変化(へんげ)している場合は、後光が出ていなかったり、青白い光を見せる場合があるが、淡いゴールドカラーとは全く異質のものである。動物霊が青白い光を放ち、菩薩や観音のような姿を見せると「神が現われ、人類を救えという神示が下った」とかなんとか言って、人々を混乱に陥れてゆくことになるのである。「動物霊が支配していると、坐ったまま一〜二米も飛び上がったりします。彼等はそうして人を驚かすことに興味を持っています」と、このように高橋師は言っている。
オーラとは以上のような説明となるが、このような人間のオーラが、もし正確に測定できたらどうなるであろうか。採用テストに利用する企業が出て来るかもしれない。〃企業は人なり〃と言うように、どこも立派な人が欲しいのである。仮に、皆さんが来世、どこかに生まれた時、器械によって判定され、ふるいにかけられるようになっていたら、あなたは何んとされる。生まれ変わり、死に変わりする間に正道を歩き、人生の勉強、魂の勉強をしながら、心のアカやスモッグを取り去ってオーラを輝き出させていきたいもの。この地上界は、善と悪のいりまじった又とない修業の一大チャンスなのだと高橋師は教えたのである。だから、転生のその時、その時の人生修業が、おろそかに出来ないことになる。現在、オーラ測定機やキルリアン写真などの本もいくつかあるが、どれ程の測定が出来るのかウエブ・マスターは知らない。このように人間は皆、淡いゴールド・カラーのオーラで一生を終えたいものである。そして、生まれて来た時より、より大きいオーラで、あの世へ帰りたいものだ。

これより園頭広周師の「ことば」から。
「 人は誰でも心をきれいにして統一すれば、手のひらから光(生命磁気)が出るのであって、特別にペンダントをもらわなければ出ないということはない。どこの教団とも同じで現世利益を目的としている。ただ違うのは「手かざし」をやることであるが、手かざしで病気を治そうとしても治らなかったとか、あるいは手遅れになって死んだという人も多い。それよりも危険なのは、「浮霊」という憑依霊が浮き出てくるという現象である。このやり方は催眠術を使うのであるが、心の弱い霊示にかかりやすい人は、催眠現象により無意識にそれを願望することによって、簡単に身体が動いて来る。催眠は、自意識を無にして、すべての暗示を受け入れやすくするのである。すると、その心がカラッポになっているところに、他の霊が入りこむことになる。それを学者や医師は「精神分裂症」というのであるが、完全に自分の心を動物霊や地獄霊に明け渡してしまうのである。学者や医師達が、催眠術で一番恐れているのが、人格が破壊されて全く別人になってしまうこの現象であるが、学者や医師達は、それが動物霊や地獄霊の憑依によるものであるのを知らないのである。そうなってしまったら、この教団の「手かざし」で治ることはない。手かざしをすると、ますます暴れるのである。もちろん、精神病院でも治せない。それを治すのは、高橋信次先生の説かれた「正法」以外にない。このような危険な信仰はしない方がよい。宗教が霊の自覚向上と人格完成のためであることも、多くの教団では説かれていない。自分から暗示にかかろうとする心の習慣がつくと、自主的に自分で考えるという自主性がなくなるので、人格を破壊することになる。」
これまで「手かざし」の問題点を指摘、引用した。我々は、病気の治療をすることを「手当てする」といった。それは昔から掌を当てることによって病気を治していたからである。これと同じように、釘を打ちそこなって拇指を叩き、その瞬間拇指を口にふくんでいたという経験があると思う。そして、子供が頭に瘤(コブ)ができた時、母親が息を吐きかけて「痛くない痛くない」という経験を持った人も多いと思う。これも、息にも癒す力があるからである。古神道では「息吹き祓」といって息でケガレを祓ってきた。このように、私たちは昔から、お腹が痛ければ無意識のうちに手で腹を押え、歯が痛いといっては頬っぺに手を当てることをやってきた。人は皆、手や息には癒す力があるということを潜在意識の中に持っていたからである。この人類が皆、共通に持っている、生まれながらにして持っている力、能力を、特定の教団の専有のもののように説くことに問題の一つがあると言うのである。なにも、特定の教団に入信しなければとか、ペンダントを貰わねばその力を出せないということは決してないのである。神の子・人間は、すべてその能力を持っている。古代インドの時代、お釈迦様は、病人に手を当てられ病気を癒された。また、薬草を与え病気を治された。二千年前のイエスの時代、聖書の中で、病人がキリストの衣のふさにふれると、病人が治ったと書かれている。
「力われより流れ入りて汝に入れり」とキリストが言われたというが、聖書の「ルカ伝」には「日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人達が皆、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた」(五・一二ー四〇)また「マタイ伝」には、「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「私の心だ、きよくなれ」と言われた」(八・一六ー一七)
このようなことはどうして起こるのだろうか。これは先述した「オーラ」によるものである。全身から出ているオーラの雰囲気の中で、オーラが手から相手に集注されると、大きな力を発揮するのである。そして、キリストのオーラの雰囲気の中に入った時に感動を受けたのである。心が広く豊かで愛深くなると、後光(オーラ)は大きくなる。心が狭く貧しく我欲に満たされると、後光(オーラ)は小さくその色も汚ない。身体の小さな人でも、大きく見える人がある。愛の深い人の傍に行くと、なんとなく心がほのぼのと温かくなってくる。また、その逆もある。それは、その人のオーラが雰囲気となって出ているからである。愛の深い人の温かい雰囲気の中に包まれると、安らぎを感じ、いつまでもその人の傍にいたいと思うものである。
「光を入れる」ことの理解のために ![]()
● <肉体細胞には心がある>
高橋師は「光を入れる」とき、「〇〇細胞よ、あなた達も神の子として、神の世界より使命を持ってきた筈です。この場所に於いて、このような不調和を起してはならない。本来の使命を自覚し、本来の機能を回復しなさい」と、このように言ったのは、我々が細胞に向って想念し、話しかけると、細胞はそれを聞くからである。
●〈臓器には臓器の集団意識がある〉
細胞が集って「胃」や「腸」という臓器をつくっている。このようにして胃の集団意識(精神・心)、腸の集団意識が生まれる。我々の意識は肉体の凡ゆる細胞意識を統制し支配しなければならない。「大いなる生命は、小なる生命をコントロールしなければならない」というのが「生命の法則」「心の法則」である。
●〈表面意識と潜在意識〉
我々の心は表面意識(現在意識)と潜在意識の二つに分かれている。潜在意識の中心に我々の本当の自分、神の子の意識がある。表面意識は、目で見てきれいであるとか、耳で聞いていい音だとかいう五官によって外界のことを認識する心である。
●〈後光、オーラについて〉
先の記述を参照して欲しい。
●〈ツボ、バイオプラズマ体について〉
中国では何千年も昔から生命力が通過する道として、皮膚の上にツボを発見して、ハリ治療や灸に応用している。欧米では、そのツボの部分をバイオプラズマ体と名付け、太陽表面の変化を瞬間に感ずることを発見した。こうして超心理学者達は、人間は体内のバイオプラズマ体を通じて宇宙とつながっているのではないかと考えた。つまり、宇宙や星や太陽の変化に反応して、感情や病気、音、光、磁場、人体の生命力、肉体に影響を与えるのではないかと考えるようになった。

「光を入れる」ということ
光を入れるということは次の三つのことが同時に行われるのである。
1.心から心への説得
私達が念ずると、その念を私達の守護霊が相手の守護霊に伝え、相手の守護霊がその人に心の内から知らせる、囁くのである。念を送る人の心が不純であったり、受ける人の心が素直でなく頑固であったりすると念は通じなくなる。即ち不純なものは守護霊が伝えないし、相手の守護霊はその人にいくら伝えようと思っても、その人が頑固であれば守護霊の囁きが聞えないのである。これまでの宗教団体は、その人のために念ずると、こちらの念が直接相手に通ずるように教えてきたが、それは間違いである。
〈念の速度は光より速い〉
高橋信次師は「念には時間空間がない。あの世は時間空間がない」と教えた。これまで光の速度が一番速いと考えられてきたが、念には時間空間がないから思えば即の世界である。
〈心は念の発信源であり、受信源である〉
高橋信次師は「人間は皆、生まれながらにして発信機と受信機を同時に兼ね備えている」と言った。
〈奇跡は自分が起すのでも、神が直接起されるのでもない〉
これまでの宗教団体は奇跡が起ると「神様が祈りを聞いて下さった」といって神の力が直接働いたように説明してきた。しかし、神の力が直接現われることはないのである。それは「あの世」と「この世」の仕組みを知らないからである。私達は日本人として、天皇を象徴とし、政治的には総理大臣があり、都道府県知事があり、各市町村長があって生きている。憲法があり法律があって、それに基づいて、それぞれの役割があって整然とした秩序がある。総理大臣が直接国民の一人一人の政治をするということはない。このように「あの世」にも厳然とした秩序がある。宇宙創造の神の心を知って、その神の心をそのままじかに伝える力を持たれた如来界の方があり、その如来の手足となって神ー如来の心を伝える使命を持たれた菩薩界の方々があり、その下に指導霊といわれる方があり、本人を直接守護する守護霊があって我々は生かされている。我々の生命そのものは、神の創造されたものだが、その生命、 霊の指導は如来、 菩薩、 各指導霊、守護霊を通して行われる。そして「光を入れる」時、光を入れる人の心とそれを受ける人の心に偽りがないかを守護霊は見て協力するのである。また、その守護霊が自分の力では及ばないと思った時は、その問題を解決するにふさわしい指導霊や、光の大指導霊にお願いしてそこに光がそそがれるのである。ここに光を入れる時に「祈願文」を唱えなければならない根拠がある。光を入れる人も受ける人も神の光を受ける素直な心になり、素直な愛の心を持った時に、霊魂の乗り物として神が創造された肉体は、肉体の法則に従って正しく活動するようになり、不健全な細胞は健全な細胞と変わって奇跡が起るということになる。そうしてその人の霊は、その人の霊の段階に応じてそれにふさわしく指導されてゆくことになるのである。ところが、奇跡が起ると、それを自分の力だと思い増上慢になり、あの世からの協力が得られなくなる。だから、謙虚さ敬虔さを失ってはならないと言うのである。立教当時の宗教指導者は純粋なるが故に奇跡も起き、立派な指導者だと見られているが、その内に増上慢になって指導力を失い、高圧的に会員、信者を支配していく。 これまで「1.心から心への説得」ということを述べた。次に、
2.われわれの心が直接、細胞精神(意識)に通ずる。
3.手を当てることによって、オーラ(後光)即ち生命エネルギーが直接に注入され、特に皮膚上に散在するバイオプラズマ体即ちツボから多く注入され、弱った細胞は活力を与えられる。以上のように「光を入れる」ということは、これら三つのことが同時に行われるのである。
〈 病気を治すのは本人の心と、肉体に備わっている自然治癒力(自然療能力)である 〉
「光を入れる」ことも、あくまでも本人の心を目覚めさせ、本人の持っている自然治癒力を振起させる補助的な手段なのである。光を入れることが即病気治しの根本であるように思ってはならない。ましてや、「私が治してあげます」というおごった心にならないことである。あくまでも謙虚な心にならなければならない。

「光を入れる実際の方法」
園頭広周師指導
病気はその人の歪められた心の現われであり、心の持ち方を変えればかわるものである。病気という動かすべからざる頑とした存在がそこにあるのではない。だから、動かし難い病気というものが、その人の肉体の中にあるという固定的な観念を持ってはならないのである。
一、光を入れる前に瞑想、禅定して心を調和させ、愛で心を満たす。
二、相手を仰臥させ、額に手をふれる。また坐ってやる場合は前頭部と後頭部に手をあてて、次の祈願文を唱える。
「大宇宙大神霊、仏よ、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。
実在界の諸如来諸菩薩、光の天使、この人の心に安らぎをお与え下さい。この人の体に光をお与え下さい。
守護、指導霊よ、この人がこの肉体を持って生まれてこられました使命を充分に果たすことができますように、心の内より正しくお導き下さい。」
(このように、天上界からの導きを祈るのである。祈願文を唱える理由は前述した通り。)
三、肉体を支配している本人の意識(霊)に向って次のように説得する。
「肉体を支配しているこの人の霊よ。あなたは罪の子ではない。あなたは神の子です。あなたはこの肉体を持って霊の修業のために現われた霊であることを自覚して下さい。あなたは完全にこの肉体を支配して、この世に生まれてきた使命を果たさなければならないのです。」
(このように念じて、その人が完全に肉体を支配している状態を思念する。)
四、ついで患部に手を当てる。例えば胃が悪い場合、一方の手を胃の上に、一方の手を背に当てる。仰臥している場合は、一方の手だけ胃の上に当ててもよい。この時に、「ここに悪い胃がある」と思ってはならない。「既にそこが光に満たされて健全である」と思念する。そして、手を当てて次のように念ずる。
「胃の細胞よ。あなた達も神の子である。あなたたちは神の子として、この人が霊の修業のためこの肉体を持つ時に、あなた達はこの人の肉体の細胞となって、この人がこの世にあらわれた使命を十分に果たすことができるように、この人に協力するために現われてきた筈です。あなた達はそこにおいて、このように不調和を来してはならない。あなた達はあなた達として使命を自覚して、神から与えられた使命を自覚して本来の機能を回復しなさい。」
この言葉の通りでなくても、自分の心にもっともぴったりとくる言葉で念ずればよい。胃を病気にしたのは本人なのですから、この時本人は、心の中で次のように念ずることである。
「本来、健全であったあなた達を自分の不調和、不心得によって知らず知らずのうちにあなた達(胃の細胞)を不調和にし、申し訳ありません。私は今、反省しました。私は今、健全な調和された心になりました。だから、あなた達も光を受けて早く健全になって下さい。」
そのように念じて既に胃が健全である状態をアリアリと心の中に描く。手を当てている人も、既に胃が完全であることをアリアリと心の中に画いて、息を吸う時に、単に空気を吸うと思わないで「神の光」を吸うと念じて下腹に一杯息を吸う。下腹に一杯吸った時に、自分の全身が光に満たされて輝いている状態を想念する。息を吐く時に、自分の体内に満ち満ちていた神の光が、手を通してその人に流れ入り、その人の患部が癒され、全身が光に満ち満ちている状態を想念する。この時にその人の体内の悪いものは、体内が光に満たされてゆくと同時に、足の爪先からみな流れ出ると想念する。この場合、大事なことは、何度も言うように自分がしているのであるという心にならないことである。神がすべてのものを生かし、愛さんとしているその神の愛の完全な通路になることで ある。強力に光を送らなければと力む必要はないのである。光を入れる 時間は一日三十分位が良い。

「『光を入れる』ことについての注意点」
ここでは「光を入れる」ことについての注意を幾つか述べてみたい。
●〈人によって効果が違うのはなぜか〉
それは光を入れる人の心と、受ける人の心の状態によって大きく違ってくる。光を入れる人が「果してこんなことでよいのだろうか」という疑いの心を持ったり、受ける人が心の中でその効果を否定していたとしたら、また効果が少なくなる。
●〈光を入れた後でひどく疲れたという人がある〉
それは現在意識で力んでやっているからです。それともう一つは、病人は多くの場合、悪霊(地獄霊)に憑依されているので、その影響を受け易いからである。しかし、高橋信次先生は「誰でも愛の心を強く持てばよいのです。そうすれば誰でも力が出るのです。」と言われた言葉に注目しなければならない。また病人は生体エネルギーが弱っているために、こちらの生体エネルギーが病人に吸収されるので身体が疲れるのである。
●〈『光を入れる』ことはいいことだからといって、無闇にやると危険である〉
病気になったからには、その人に病気になるような心の原因があったからであり、また憑依されたのは、それにふさわしい心を持っていたからである。その原因はなんであるかを追及、反省をして、その心の原因を取り除くことである。高橋信次先生は「反省は神の慈悲である」と言われたが、折角反省する機会を与えられながら、病気の人に反省をさせずに病気だけを治してやろうとすることは、その人から反省の機会を奪い、霊の進歩を阻害することになるのですから、その人に対して良いことをしたことには必ずしもならない。愛が深いというわけにはゆかないのです。だから言う。「光を入れる」場合は、反省する心を起こさせてからしなければいけないのである。
●〈子供に「光を入れる」場合の注意点〉
大体、十五歳以下の子供の病気は親に原因があるのだから、親がよく反省をして、「自分達、親の不調和が原因で、何も知らない純心なあなたの心に歪みをつくって、可愛いあなたをこんな病気にして、苦しませて申し訳ありませんでした」と、子供に詫びる心で光を入れるとよくなる。
●〈憑依されている人に「光を入れる」場合の注意点〉
光を受ける人が憑依されている場合は、憑依している霊の側から言えば、憑依しなければならない正当な理由があるわけである。それを強引にことわりもなしに引き離そうとすると憑依霊が復讐する場合があるから、憑依霊にも正法を話して、よく救われてゆくように納得させなければいけないのである。

憑依された人の簡単な見分け方 園頭広周師分類による
1 病名が医者ではわからない。
2 持病で病気が長い。治りにくい。
3 顔色が土色か、またどこか黒ずんでいるか、その反対に蒼白で精彩がない。
4 感情の起伏がはげしい。
5 目がおどおどしていて落ち着きがないか、また目がすわって動かない。
6 身体が冷える。またいつも熱っぽい。
7 いつも頭や肩が重い。
8 暗い所が好きで、ものをいわない。
9 強情で人のいうことを聞かない。
10 人や食べ物の好き嫌いがはげしい。
〈光を入れても治らない場合〉
どんなに光を入れても、また医者にかかっても病気が治らない場合がある。それは本人が治りたくないと思っている場合である。そんな馬鹿な、と思われる人も多いと思うが、実際に、病気が治りたくない、このままの方がラクだ、病気になっている方が得だ、と思っている人がいるのである。病気をしている本人が治りたいと思っているかどうかを確かめることが大事なことになる。また、本人が治ることを願っていたとしても、健康になったら、また前と同じように我欲を張って間違った道を歩もうとしているのであれば、これまた霊を進歩させないばかりか、むしろ退歩させることになるから、その場合は病気を治させるよりも、病人のままで置いた方がまだ良いということになる。病気がよくなったら何をするか、どういう人間に成りたいと思っているかを決心させなければいけない。
〈生命エネルギーを補給するための禅定〉
光を入れると自分のエネルギーを病人に吸収されるために疲れる場合が多い。エネルギーを補給せずに光を入れてばかりいると、遂には自分の身体の活力を失って病気になってしまうことがある。光を入れた後は必ず禅定をして生命エネルギーを充足させて置くことである。
〈高橋信次師が教える病気平癒祈願〉
大宇宙大神霊、仏よ
わが心に光をお与えください
心に安らぎをお与えください
実在界の諸如来、諸菩薩(光の天使)よ
わが心に光をお与えください
心に安らぎをお与えください
実在界の諸天善神よ
わが心をいっさいの魔よりお守りください
私たちは正法に帰依して
日々を正しい想念と行為によって
調和と安らぎのある世界を築きます
(まず自分自身の心に光を受けてから、両方の手のひらを体の悪いところに向け、体より一センチぐらい離して健康祈願する。そしてさらに、次のように言う。)
当体の意識(患部)よ
あなたたちは肉体舟としての使命を
この現象界に出るときに
神仏と約束をしたはずです
あなたたち細胞集団は
魂修行の目的を果たしてください
大宇宙大神霊、仏よ
当体(患部)に光をお与えください
安らぎと調和をお与えください
(約三十分ぐらいで効果が出てくる。神理を悟った生活をしていれば、こうした効果はさらに大きく現われてくる。)
光を入れるのはなにも人からだけにやってもらう必要はない。自分の手を悪いという所に当てればよいし、また健康を長く保ちたい人は、左右の肋骨の下部の所に手を当てて、光を入れながらそのまま自然に寝るようにすればよい。
