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  まぼろしの新復活

 

一九七六年(昭和五十一年)六月四日、五日は岩手県盛岡市での東北研修会では、初日の四日は「新復活」、五日の講演は「太陽系の天使達」だっ

た。

 

   六月四日 「新復活」                      

  

 非常に美しい自然の、緑に包まれた環境の中で、東北の研修会が行われることを心からお祝い申し上げます。                

 

今日の演題は「新復活」。

 

 地球の創世記

 

 

丁度、現在、東京地方には、創世記時代の映画が来ております。                        

 しかし、人類は緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から三億六千五百有余年前にはじめて、ベーター星という星より、

神より与えられた新しい緑につつまれたこの地球上に、人類は最初に印したのであります。その当時ベーター星は調和され、私達は新しい、

新天地を求めて、最も調和されたこの地球という環境を選んだのであります。

その当時最初に反重力光子宇宙船という、いまで云うUFOに乗りまして、最初地球上の人類は、神の光によって満たされた天使であるエル・ラ

ンティーと云う方が中心になって。エル・ランティーは直接神の光を受けている真のメシアであります。

そしてエル・ランティーの光の直系として、光は七色に分かれます。

七色のプリズムということを想像いたしまして、まったく同じように神の光はここから七色の光に分かれます。

この七色の光の方向を決めているのがミカエル(ミカ)と言います。

                    (図示しながらの説明)

神の光の直系ミカといわれる天使です。

そしてこのスリットを通し(神は光なり)その光の六人の光の線がこのスリットを通して霊子線がつながっております。この中にそれぞれのスリットを

通して七人の天使がおります。

これがガブリエル、この方がウリエル、サリエル、パヌエル、それから全部で六人、この七大天使というのが、じつは新しい、新天地を求めて

来た時の最初の光の大天使達です。この下にそれぞれ何億何十億という魂の霊子線があります。

さらにまたエル・ランティの光の天使の分霊として、カンターレ、さらにアガシャ、モーゼ、一方においてガブリエル系統にマホメットがいます。

そして第一艇団がエル・ランティを中心にしてミカエルに、ラファエル、ガブリエル、ウリエル、サリエル、この七大天使が中心にして、現代のエジプ

ト・ナイル渓谷の東部にあるエルカンタラーと云うところに着地します。

その場所が一番最初のエデンの園です。

約六千人のベーター人が全部この地球上におりてまいりました。

それぞれ七大天使はラファエルをはじめ文芸や芸術、政治経済、あるいは立法、科学、あらゆる担当をして総括的にミカエルが中心になってエデン

の園をつくりあげました。

そしてその当時は同じベーター星の人間であっても皆さんの肉体とまったくかわっておりません。風土、気候いっさい地球上とかわっておりま

 せん。

魂と肉体、今皆さんの持っている肉体は、あくまでも物質であり、人生航路を渡っていくための舟にしかすぎません。その船頭さんである魂、このもの

とは完全に分離することができました。

その為当時の人々は天上の世界とコンタクトでき、人間の心は調和され物にこだわることなく全てが調和された世界であります。

そのようなエデンの園にやがて第二艇団が地上界に移ってまいりました。その時エル・ランティーは天上の世界へ帰りました。

 これが天上界、地球上の創世記です。

 地獄界のはじめ

地球の創世記は三億六千数百年前に最初の七大天使がこの地上界に生き約六千人の人類がエデンの園をつくり、第二艇団が地上界に着地し生

活するようになって立法を犯す人々が出てまいりました。

その為に、その責任者であるミカエルは規律を破るところの民に対し一部分エルカンターラから移しまして〃そなた達は神の子としての己れ自身を再

確認するために、もう一度自分の思念と行為、行っていることと、思っていることを修正していらっしゃい〃と、その場所から多くの人々がその位置を

かえました。その人々が後、エデンの園との連絡を絶ち、やがて天上界との連絡をたち、ついに天上の世界に帰ることなく、地獄の世界をつくり出して

しまいました。当時は地獄は存在していなかったのです。それがアダムとエバの後物語に変わってしまったのです。

 その為に創世記の映画とはちょっと違いますけれども、私はこの肉体をもって天上の世界に行って、現実にその姿を見て来たのです。

  時間と空間は今の一点

 皆さん自身は、なぜ三億数千年前のことがわかるんだろう、と疑問を持つでしょう。

疑問など持つ必要はないのです。

皆さんの心の中には、過去、現在、未来は一点なり。皆さんの肉体を支配しているところの、潜在されている九〇%の意識の中には、永い永い転生

輪廻におけるところの一切の記録を持っております。

そのために過去、現在、未来は一点なり。皆さんの心の中に今、存在しているのです。皆さんの現在は過去、現在を集約した現在そのものの姿なの

です。

ただ肉体を持ってしまったために、自分がわからないだけなのです。 

その心を正し、真の神の子としての道を己自身が生活に生かしていったならば、その実体を知ることができます。それだけに最も粗悪な光の集中固

体化したところの地球上の肉体を持ってしまうと、人間は皆盲目になり、それがために、物がすべてだ、地位がすべてだ、と情欲に駆られ、神の子と

しての本性を失ってしまったのです。

しかし、皆さんの心の中には、偉大なるところの智慧が誰しもが存在し、持っているのです。

それが、生まれて現在までの間に、思ったり行なったりする正しい基準を失ってしまったために、心をスモッグにおおわれ、神の光を自からして遮り、

ただ分からなくなっているだけなのです。

 それゆえに、我々の物理学上におけるところの時間と空間は不確定です。

しかもまた、心の面におけるところの時間は過去、現在、未来は、現代をして一点であるというのです。

皆さんの心の中には、そのようにはっきりした偉大なる智慧が存在しております。それを調べあげて行く結果において、三億数千年前のエデンの園

は、すでに人類がこの地上界へ出て来て、第二梯団移住の時にエデンの園は、一部分の物質欲に駆られた人々によって道を間違えてしまったので

す。

 そしてエル・ランティをはじめとして七大天使はこの地上界をあとにします。そして、多くの遺産をこの地上界に残し、後の世の人々が、その偉大

なるこの残した地上界の遺産をどのようにして活用するかを、私達は天上の世界において暖かく見守ってまいりました。

 地獄の帝王ルシュフェル、サタン

しかし物におぼれ、肉におぼれ、情欲におぼれた一部分のエデンの園から離れた人達を救済するために、天上の世界よりルシュフェルという天使を

出しました。

ところが、たとえ天使なりといえども地上の不安定な肉体を持ってしまうと、手足をもがれたと同じごとく、生まれた環境や教育や思想や習慣を通す中

に己の本性を忘れ、ついにルシュフェルはサタンという名前に、その環境に生まれている間に彼は自分の地位と名誉のとりこになり、ついに天上の世

界と交信をたち、この地上界を去るとき、天上の世界に帰ることなく、地獄の世界へかえってしまったのです。

そのサタンは現代は地獄の帝王になっております。これが最初の地獄界の実態です。

 メシヤ

こうして多くの天使達は天上の世界からこの地上界の動きを観察し神の子にもどす為に、多くの光の天使たちをこの地上界に送りました。エルランテ

ィ自身はアガシャーという方を、光の分霊です。この方を送ります。

さらにまた、カンターレーという方を送ります。後のゴーダマブッタです。

天上界ではカンターレー、と言っています。お釈迦様とは言ってません。

ゴーダマブッタ。アガシャーは後のイマニエル・イエスキリスト。モーゼはモーゼです。

さらにまたイエスがゴーダマブッタが生まれるときにはガブリエルという方は主として伝達の係をし通信関係の責任者です。ゴーダマ・ブッタがインド

に生まれるときには、ガブリエルのグループの方がゴーダマの生まれることをゴーダマの両親に通信を送ります。アシタバという仙人です。

あるいは又、アガシャーであるイマニエルに対しては又、ガブリエルはミカエルの命によって受胎の告知に出ていきます。モーゼが生まれると当時の

王に、その命令によって多くの人は殺されます。

彼は葦船に流されていく途中、七大天使はサタンより守るために、彼が拾われるまで彼の成長を楽しみます。

それぞれこうしてメシヤというのを送り出したのです。これはすべて神の心である法を説くために、出て生きているのです。特にモーゼの時代というの

はサタンの跳梁が厳しく、世は混乱し人間は、本当に底辺の人々は自由になりません。人を殺すなんてことはヘイチャラです。

その為にモーゼというメシヤを出して、社会の人心を正しい法によって導かなくてはならない。その時にエル・ランティはヤーヴェという名前で彼を指導

します。ヤハウェー(ヤーベ)という名前でモーゼを指導します。それが十戒です。

汝をイスラエルのカナンの地に導きしは我、ヤハヴェ(ヤーベ)なり。

汝、偶像を祭って祈ることなかれ。汝の主はヤハヴェなり。

汝、近隣を愛せよ。

近隣のために偽りの証をすることなかれ。これが十戒です。

  付記 モーゼの十戒

我の他、なにものも神とすべからず。

偶像を崇拝するなかれ。

神と主のみ名をみだりに唱えるべからず。

安息日には休め。

汝の父母を敬え。

汝、人を殺すべからず。

汝、姦淫するなかれなかれ

汝、盗むなかれ。

汝、偽るなかれ。

汝、隣人の家を侵すなかれ。

 

それは丁度、シナイ半島の岩壁にヤーベーが現証として、その当時現証として現わしたのがセラビムというのがおります。セラビムという諸天善神で

す。

現代もおります。

このセラビムや他の天使たちに命令し、あるいは、その目的を果すためにそれぞれの指令を天上の世界から命令を出します。聖書の中にはエロシ

ムと書いてあります。このエロシムという者はエルシムというのです。これは聖書の間違いです。

 エルシム。このエルシムと名乗るのは、七大天使が全んど名乗るのです。それはエル・ランティの命令による秘書的な立場に立ってエルシムとし

て名乗ってそれぞれの指令を出します。           

 ユダヤ教とキリスト教の誕生

 しかし、今から三千百五十年前、ヤーベェの真実の教えは、いつのまに

かサタンの喰いものになり、汝、偶像を祭って祈ることなかれといえども、余りにも霊的な奇跡的な現象が一杯現われる為に、モーゼはその偉大

性をたたえて、ついにお祭りをしてしまったのです。そしてヤギの生き血、或いはまた、羊の生き血をあげるようになってしまったのです。それ

は、サタンの命によって、彼は動かされてしまったのです。

ヤーベはそのようなことは一つも言いません。あくまでも十戒というものを中心にして、人間の生きる最低の道を説いていったのです。

混乱した世相、主を名乗りながらして、サタンに利用されてしまったのです。

そのために、すでにモーゼが亡くなられて二百年にして、間違った思想はど

んどん出てしまいました。その為に、天上の世界よりミカエルの分身を地上界へ送ります。エリヤです。

今から二千八百七十三年前、エリヤをこの地上界であるイスラエルの北部に

農夫の子として肉体を持たせ、彼の心を揺さぶりヤーベーはつぎつぎと指令を出して、当時のイスラエルの間違った神々、これを世の中から抹消す

る命令を出します。

 アハブという王は、最も悪辣で、皆さんが知っているアスラーというやつ、アシュラー(阿修羅)。争いばっかりやる神様。地獄霊です。この悪

霊を祭らしたり、いろいろな偶像を祭らせる。仔羊を犠牲にするならまだいいが、自分の子供まで犠牲にさせるような間違った教えをするようになりま

す。

こういう教えに対してエリヤは疑問を持ち、ヤーベーの教えとは全く違う、十戒とは全く違う。

 そして、彼はついに立ち上がり、その王と対決するようになります。しかし、当時は、約四百数十人もの予言者たちが、エリヤの前に立ちはだかっ

ております。そのためにヤーベーは、「今から三年間、もう雨は降らせん。イスラエルの地に雨は降らせん、それを王に言ってこい」というとこ

ろが、王様にしてみれば、「お前は国賊だ、イスラエルの国賊だ」といって、エリヤは追放をくらいます。それでも彼の心を揺さぶって、ヤーベー

はつぎつぎと指令を出していきます。

これは実は、このあいだ、エリヤが私に原稿用紙で約百五十ページ近く、当時の模様を全部語り、現象を見せてくれました。その現象の一端として、

五月の丁度七、八日頃、東京には大きな雷が落ちました。それはその時の百分の一だそうです。今後はそういうことはどんどん起こります。そして、

アハブをやっつけてしまった訳です。そういうようにヤーベーは大きな現象を与えました。

多くの予言者達が輩出して、間違った教えを再び元にもどそうとしたけれども、どうにもならなくなって、今から約二千年前に、再びアガシャであるとこ

ろのインマニエルをこの地上界に送りました。その時は、ヤーベーとはいいません。エホバと言って名乗ったのです。エホバ。神ではありません。神の

命を受けた最高責任者です。

間違ったユダヤ教を修正するために、そして、イエスに人間の愛を説きこの地上界へ送り出したのです。

  ヤーベは、「六日間働いて一日を聖日となし、自分の一週間の間違った過去を振り返り、心を修正し、二度と同じ間違いを犯さない」という聖日

を設けたにもかかわらず、後の司祭者達は、「その七日目の一日は仕事をしてはいけん。人と会ってもいけん、動物に食糧をやってもいけん」とい

うようにしてしまったのです。このように、ユダヤ教は大きく歪みを作り出してしまったのです。そのものを修正するために出したのが、インマニ

エル・イエス・キリストです。

しかし、彼もやがてサタンの餌食になって十字架に架かってしまいました。

さらにまた、変えられてしまったために、ミカエルの分身であるところの天使、魂の兄弟をこの地上界へ送ります。この方がマーチン・ルッテルです。

さらに、フランスからは、ガブリエルであるところのカルビンを出して宗教改革に出したのです。

  仏教の出現

 一方において、仏教の方は、ゴーダマ・ブッダが悟りを開き、道を説く課程において、このミカエルの説いたその過去世である、今から三千五百

年前のあのギリシャに於いて説いたアポロの教え、アポロ。このアポロの教えは、やがて東の国、インドに伝わってゆくであろう。そのインドに伝

わってゆくその神理をやがてメシアであるゴーダマ・ブッダという方が生まれて、それを悟り、道を説くであろう。このようにして東の方にはカン

ターレを出したのです。これが後の仏教ですね。

ところが、いつの間にか仏教も化石化して、お経をあげれば救われるようになってしまったのです。「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華教」それで救わ

れた人は一人もいないのです。

 無阿弥陀仏とは

「南無阿弥陀仏」というのも、ゴーダマ・ブッダが、かつてラジャグリハという町の郊外のベルベーナ(竹林精舎)におる時に、ビンビサラーと言われる

王様がおります。その奥さんが幽閉されます。コッサラーと言われるイダケダという婦人です。アジャスターという倅に幽閉され、子供自身が何んとか

仏教を知って欲しいと思ったけれども、ゴーダマ・ブッダの従兄弟であるところの、同じ王子として出家された方がおります。その方にそそのかされて、

お父さんとお母さんを幽閉し、お父さんは死んでしまいます。お母さん自身は最後の望みとして「仏陀から何か一つ話を聞きたい。私は何もいらない

から仏陀から真の話を聞きたい。お母さんの一生のお願いだから」と言って、牢獄に入りながら、お母さんの願いだけをいれて仏陀の話を聞かせた

のです。それが阿弥陀教と言うのです。

 この阿弥陀教と言うのは西方浄土、インドから西方といいますと、現代のイスラエルからエジプト方面。このアガシャーの過去世の中には、転生の

過程を通してアミーと言われる方もおります。そのアミーという名前は、最初はアモンと言ったファラオ(王様)です。魂の系列です。

そのアモンがエジプトに行ってアーメンに変わり、ソロモンに行ってアミーに変わりそれからギリシャに渡ってアミーに変わり、インドに行って陀仏が

入ってアミダブツ(阿弥陀仏)になったのです。そして、その西方浄土にアミーと言われる偉大なる指導者がおって、そこに浄土があるんだよ。あなた

は今、自分の子供に幽閉されているけれども自分の子供を恨んではいけません。あなたは厳しい環境の中にあっても子供の罪を許してあげなさい。

やがてあなたはこの地上界を去らなければならない。その時にあなたは阿弥陀の浄土に帰ることが出来るのです、と言う阿弥陀教を説法したので

す。

 それが阿弥陀教。ところが日本へ来たら「南無阿弥陀仏」と拝めば救われる。馬鹿げた話です。これはインドの言葉だから通用するんです。「南

無阿弥陀仏」ちゅうのは、これはインドの言葉が中国に渡り日本へ来たから丁度うまくいっているんです。これを直訳したら「阿弥陀様の法に帰依

する」っていうことです。「ナム・アミ・ダボ」っていうんです。阿弥陀という悟られた方に帰依する。それを仏壇やお墓やお寺に行って「ナムア

ミダブ・ナムアミダブ…」そりゃ語呂はいいやね、確かに。ところが日本語に直訳したら「阿弥陀様に帰依します。阿弥陀様に帰依します。…」っ

て何百回ゆってもやらないんだね。そしたら阿弥陀様は皆さん何んて言いますか。「お前、帰依すんならやってくれよ」って言いますよ。

 仏教とキリスト教は同根

  南無妙法蓮華経のこと

そのように仏教も化石化したんです。最近は、又はやりでね「南無妙法蓮華経」。

「妙法蓮華経」に「南無」をつけたらもっと良いんじゃないかと日蓮さん考えちゃってね。一千万人近くの人間が「南無妙法蓮華経…」をまあ、二

時間も三時間もやっていますね。あれも馬鹿げた話ですよ。あれで救われた人はいないんです。「南無妙法蓮華経」というものも、本来ゴーダマ・

シッタルター、釈迦牟尼仏がインドの地に於いて、ガンガーの流れを通し、無学文盲の人々に対して方便として説いたものです。

 「諸々の衆生よ、比丘、比丘尼たちよ、あの汚いドブ沼の中でも美しい蓮の花が咲くであろう。ときに、そなたたち、比丘、比丘尼たちよ。サロ

モン、サマナーたちよ、そなたたちの身体を見てみなさい。目が疲れれば、目糞が出て来るだろう。汗、大小便、あのドブ沼より汚いそなたたち

の肉体である。しかれども、そなたたちの心が、宇宙の真理を知って生活をしたならば、あの蓮の花と同じように、調和された境地に、安らぎを得

ることができるのだ」と説いたのが法華経なのです。

 それをわからないで、「法華経に帰依します、法華経に帰依します、 

…」「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、…」最近はもっと速くやればいいと、「ナミョホレンゲキョ、ナミョホレンゲキョ…」馬鹿げた話です。

気違いです。いわんや汝、偶像を祭って祈ることなかれです。人間の印刷物をいくら拝んだところで、救われる道はないのです。我々は旧来の陋習

を破らなければいけません。

もし、神が必要ならば皆さんがこの地上界に生まれて来た時に持たしてよこしたはずです。曼陀羅をみんなブラ下げてよこしたはずです。男性のブラ

下げて来ているのは違うじゃないですか。

このように仏教ですらわからなくなってしまったのです。       

 太陽系霊団とは

  宗教は一つ

 こうして太陽系霊団というのは、光の直系として、エル・ランティーを中心に、エル・ランティーは、その時代その時代によって、ある時はヤー

ベを名乗り、ある時はエホバを名乗り、ある時はまた梵天を名乗り、また、さらにマホメットの時にはアラーを名乗りました。

 人類は皆兄弟であり、同じ一つの太陽の下に生活しているのです。宗教は一つなのです。ガンガーの流れも、ヨルダン川の流れも、いまだかつて

方向は変えていないのです。時代の新旧によって道は変わらないのです。

 今、私たちは、モーゼやイエスやマホメットや、ゴーダマの説いたものを一つにするために、私達は肉体を持っているのです。皆様は、その選ばれ

た民なのです。そして、自らの心を開いた時に、あらゆる国々の転生を体験し、その心の中に、その神理が皆記録されているのです。それを甦らせ

た時に、今、私の言っていることがわかるようになるのです。

 神と人間―魂と肉体

神は己の心の中にあり。己の嘘のつけない善我なる心こそ「神」なのです。

神は形づくった中にあるのではないのです。皆さんの心の中にあるのです。

次元の違った世界なのです。そこから皆さんは今、肉体を持って、今、生きているのです。                            

 その肉体を持ってしまうと、私達は目や耳や口や、心の中に思ういろいろな想念、こういうようなものによって、本当のものが見られなくなって

しまったのです。皆さんは、真の自分の姿を見ることは出来ないのです。

ただ、肉の姿しか皆さんは鏡で見ることは出来ないのです。しかし、皆さんは誰しもが本当の自分があるのです。

本当の自分を見るように私は教えているのです。それは心です。魂です。皆さんの今、思っている思う根源です。それは不変なものなのです。皆さん

の肉体は、今、自分のものだと思っておっても、それはただの錯覚なのです。

何時の日か朽ち果て、我々はこの地球上の塵に変わってしまうのです。肉体を支配している皆さんの魂は、永遠なのです。ただそれを形づくられて、

私達は生きていくに最低必要なものとして、五官が与えられているだけなのです。

しかし、真の五官は、皆さんの心の中にあるのです。心の眼です。心の耳です。そしてまた、心のすべての機能は、皆さんはすべて所有しているので

す。

それを自分が開発した時に、真に永遠の自分自身を知ることができるのです。

私達は、今、この地上界がすべてだと思っておってはいけません。皆さんの、この、人生の五十年や百年は、幻の如く、線香花火のような、ほんの一

瞬にしかすぎないのです。そして、我々の眼前に現われてるところの物質や諸現象は幻です。永遠のものではないのです。朽ち果ててゆくのです。形

を変えていくのです。しかし、皆さんの心の中に体験された偉大なる智慧は不変です。

この地上界を去る時に、皆様は何一つ持って帰ることはできないのです。また、生まれて来た時に何一つ持って来た人は誰もいないのです。

我々は、こうして五官に惑わされ、物質的光景の中で、物に溺れ、苦悩を自らしてつくり出しているのです。

その盲目の中から、人間というものの価値観を知っていくのです。手探りの中から、そして、自らして心の安らぎを得、正しい普遍的な神理を、己の心

と行ないの物差しとして生活をしていった時に、真の己を知ることができるのです。

これが悟りです。

 悟りとは

 悟りというのは、己自身の心を知ることです。己の心を知った時に初めて、人生の目的と使命を知ることができるのです。それは他力ではあり

ません。自力です。神はすべての物を皆さんのために用意し、与えてあるのです。太陽をはじめとして、生活できる一切の動物、植物、鉱物すべ 

て、神は皆様に与えてあるのです。それを取らないだけなのです。取り方がわからないだけなのです。何を欲するというのでしょうか。物質や経済

は無常なものです。

 心と体と経済の調和

しかし、現代のように高度化した社会生活の中において、真の人生の幸せを得ようとするならば、まず、最も大事なことは、健全なる精神、心です。そ

の次に肉体です。その次に生きる為の経済です。

経済は衣・食・住です。この五つの大調和があって初めてユートピアが出来るのです。ところが、いつか人間は、その道を外し、エゴに変わり、す

べて皆兄弟だという道を外して、エゴの方に走り、自己保存に走ってしまったのです。

 皆さんは、同じ太陽の下で、すべてが皆平等なのです。今皆様から、自分の地位と名誉と財産を差っ引っいたものを想像して下さい。何が残りま

すか? それが今の皆さん自分自身なのです。地位や名誉や財産は永遠のものではありません。真の皆さんは、それを差っ引っいたものです。この

世を去るときの真の姿なのです。

こうして私達は過日、天上の世界に於きまして会議をやりました。私の隣りにはインマネール・イエス・キリストがおりまして司会をやり、その隣りには

ゴーダマ・ブッタ、カンターレがおります。その隣りにはガブリエル、サリエル、ウリエル、こちらがわにはモーゼ、さらに又光の天使約十人ばかり、そ

して地球上の状況を次々と報告して来ます。

 地球未来予告―天上界での会議

心を失い権力の座について、人間の自由を剥奪しているところのソビエトは、モスクワを中心として食糧危機は彼等が自覚するまで続きます。北朝鮮

も又、同じです。中華人民共和国の北部も同じです。

アフリカの西部海岸も同じです。一方に於いて中南米のパラグアイも同じです。サタンの跳梁を許しているのです。そのような心の人達のくもり 

は、神の光をさえぎり、自からして、天変地異を造り出しているのです。

更にイタリーの北部からベイルートにかけても同じです。宗教の同じヤーベーの教えであるその神理を曲解して、それぞれの道を歩んで、又同じ現

象が起って参ります。日本の食糧危機は、心ある人が出て来ているためにありません。

こうして天変地変は次々と起ってまいります。それは天上の世界の神の光の届かない所に起るのだということを知って欲しいのです。

やがて北朝鮮は破産をします。日本は戦後わずか三十年で世界のトップに成ったというのも、それだけ偉大なる魂達だからなのです。一つ間違えた

ら又、逆の方向へ進んでいきます。それは危険なことです。皆さん自身の進むべき道は真の道、普遍的な己自身の心に嘘のつけない善我なる心を

芯として生活を知ったとき道は開かれていくのです。それが神理です。今後大きな現象が起って来ます。

 宗教界はどうなる

間違った宗教家達は、私によってつぶされていきます。どのような宗教家であろうとも、間違った宗教家達は私達の霊的な力によって現象化されてま

いります。信じようと、信じまいとそれは事実です。皆さん、見ておって下さい。

地震も雷も自由自在です。それだけに、今、私達はその受け入れ体制をしておかなければなりません。日本ばかりではありません。やがて私は中近

東へ行きます。そして真の道を彼等は知るでしょう。それは地球の最終ユートピアの為に私達は今、肉体を持っているのです。その為に自分の生活

の場は自分の生活として今度の光の天使は全部事業をやりながら出てきております。宗教でなど飯は喰いません。それが本当です。神は一銭の、人

間から金などいらないのです。

太陽はただです。神の心です。これが神理です。私は実業家として、その面に於ても、世界でも、知らない人がなくなるでしょう。当然なことで 

す。それが道です。

イエスの時代や或いはゴーダマの時代なら良かったのです。現代の時代はそれではだめなのです。教祖や、その取り巻きが優雅な生活をする為に

宗教があるのではないのです。真の宗教とは宇宙の真の人間としての生きる道を教えているのです。そして、人間に生きる喜びを与える道なのです。

これが神理なのです。神は人間の造ったものを欲しません。大事なのは美しい一人の人間の心が欲しいのです。道はやがて開かれていきます。我々

の前途は光明に満たされます。そして、その人達は救われていきます。やがて、地上界の人々の一人一人の心が調和されてきた時に、我々の肉体

先祖はその姿を見て、「俺達の時代とは違う。なぜ俺達は、この厳しい環境にいるのだ。」難しいお経ではなく、皆さん自身の日常生活一つ一つの想

念と行為の光がやがて地獄の世界を救っていくのです。

 『新復活』のこと

最終ユートピアは地獄のなくなる時です。サタンは私が今、一生懸命に〃新復活〃という本を書いております。モーゼの十戒をはじめとして、

間違った宗教を修正しているために、やっきになって私のために攻撃をしてきます

しかし、例えルシフェル・サタンなりといえども私のかっての弟子です。

彼はやがて私の軍門にくだるでしょう。知らないから地獄に落ちているのです。

彼等も救われるでしょう。私は命がけです。

それは皆さん一人一人が自覚された時に、皆さんの周辺の肉体を持っているところの先祖達も救われていくのです。坊主の難しいお経によって救わ

れるのではないのです。

お経の意味がわかって生活しているような人なら天上界へ行きます。ゴーダマ・ブッダは決して死んだ人間を成仏させるために坊さんをつくったので

はないのです。生きている人間をどのように導き、人間の心をどのように導き、人間お心を指導するために、この地上界に出てきたのです。

地獄に落ちるというのは、他人のせいではなく自分の思念と行為の間違いそのものが、自分の行動によって地獄に落ちたのです。

天上の世界がピラミッドのように高くあれば、逆にまた地獄の世界は逆ピラミッドとして存在しているのです。

この地球はその中間的環境にあるのです.そのために皆さん自身が、善を想い善の行為をすれば天上の世界へ、悪の行為をすれば地獄の世界

へ、彼等はいつでも待っております。

それだけに正しい心、正しい法この道を己自身のものとして、生活をしなかったならば、人間は救われないのです。

しかし、皆さんの心の中には誰しもが神の子としての真の愛の心を持っているのです。なぜならばすべて皆さんは天上の世界から約束されて、この地

上界へ出てきたのです。

還るときに、あれもしょう、これもしょうではなく、今の一秒一秒、一日一生の己自身の完成が皆さんをより大きい豊かなものにしていくのです。

今きびしい経済的環境にあろうとも、悲観することはないのです。今、その厳しい環境の中で、今、皆さんは、自らの魂を学習するために、今、その体

験をしているのです。たとえ経済的にめぐまれていようとも、その環境に安住するものではないのです。恵まれているならばそれを大事にし、気の毒な

人達に真の愛の行為を無所得のままにしてやることなのです。これが道なのです。皆様は皆兄弟なのです。

生まれの環境が違おうとも、神の子としてすべて太陽のもとに兄弟なのです。他人ではないのです。袖すり合うも他生の縁といいます。まこといその通

りです。皆さんが目覚め自らを自覚した時に、皆様は神の子としての道を己自身が実行して行くのです。みな、私がしゃべっているこの言葉は、皆さ

んの心の中にすべて記憶されていきます。そして、この地上界を去ったときに、真実であるかないかを、皆さんは自らしてわかるのです。

そのときに救われるのです。生きているうちに自らをつくることです。道は永遠に続きます。今、この世限りではありません。やがて我々はあの世に還

ります。

そして、またいつの日か、地上界か、或は、また他の天体に出てくるのです。皆さんは自らに目覚めなさい!自らの心を開きなさい!小さな自分を捨

てなさい!偉大なる神の光に目覚めなさい!それは愛です。それ以外にないということです。この研修会を通し自分の心を裸にして、神の己自身の

本性に目覚めなさい。永い時間本当にありがとうございました。

                                 

 六月五日                            

 

   演題「太陽系の天使達」                     

 

 お早ようございます。今、皆様にあげました〃心行〃は昭和四十三年十一月二十二日に完成いたしました。

そして二十三日の夜、午前一時、天上界で初めて〃物質と生命〃という講演をやりました。その時の司会がモゼです。その前にミカエルが講演をや

りまして、約一時間半、二十三日午前二時三十分はこの地球上に震度三の地震がありました。私は禅定のまま天上界にいったものですから、そばに

寝ていた家内が、「今、お父さんの講演を聞いていました。」ということでした。そして、過日、やはり天上界に於て、色々と七十年前のこの地上界に出

てくる時の模様。〃心行〃というものの成り立ちをいろいろと本になって現代は、ミカエル大天使が持っていますが、その中をめくってみますと、自分

で驚ろいてしまいました。

 心行について

 〃我、見聞し正法に帰依することを得たり〃という最初の出だしが〃

我正道に目覚め正法流布のために一命を投げ出す〃という書き出しから最後が〃禅定三昧の境涯に到達せん〃、全く同じです。そして書いてある

ものは地球的に書いて私ののはありましたが、天上界のものは宇宙的でした。これを見てホンのわずかしか違っていなかった。ですからやはり書か

せられていたと言うことですね。

現代もミカエルといわれる大天使が、丁度この位い厚い(二〜三十センチ四角位の立方形の本の形を手で示されている…ビデオ)本にして、私自身

が出てくる前の計画一切、現在も書かれている本、将来も出す本、それに記録されてあります。

 赤ちゃん誕生

実はそれは私ばかりではなく、皆さん自身の心というものをヒモ解いていけば、恐らく計画書があるはずです。それに気が付かないだけです。それに

我々は色々な人生の苦しみを通して忘れてしまったんです。その為には、先づ自分の心の中で思っている事や、毎日生活していること、これの正しい

物差し、フィルター、このようなものをしっかり持つ、これが正法です。このフィルターを思ったり行ったりすることについて、一つ一つ、そのフィルターに

かけて、正しいものだけを自分のものにしていく、それがわかって来た時に、皆さんは本当の自分を知ることができます。人生は一度だけではありま

せん。皆さんがこの地上界に出て来て、親が教えなくとも、生まれたばかりの赤ちゃんが、お母さんのお乳を吸いはじめます。人はこれを称して本能

だと言っていますが、これは前に生きていた証拠です。

そして赤ちゃん は、わずか、二週間や三週間位で赤ちゃんは一人で笑っています。ところが私達が心の眼で見ますと、赤ちゃんの魂の兄弟や或い

は又、守護霊や指導霊達が「よかったね。しっかりやるんだよ。今度生まれた所は、君にとって厳しいかもしらないよ。大丈夫かい」「まかしといて下さ

いよ。約束通りちゃんとやるよ」と笑っているのです。

そして成長するにしたがって環境や思想や習慣の中から、そんなことは、もうとっくに忘れてしまうんですね。それを今度、天上の世界から見ている魂

の兄弟や指導霊や守護霊は一体どう思うでしょうか。皆さんは、あたかも自分一人の意思で生活しているが如く錯覚しているだけです。すべて天上の

世界からコントロールされているのです。

コントロールされているにもかかわらず、肉体を持ったその個性は、或る程度、勝手なことをやります。あやつり人形です。天上の世界であやつってい

るのが、あ、うまくやっているな、と最初のうちは、その内に、自分の意思が働き出すと、アーまた、またパチンコ屋にはいったな。また、三十六番、出

ないとわめいているな。アーまた、おかしな所へ行き出したゾ。それで悩むわけですね。天上の世界の悩みは、地上界へ出ている魂の兄弟や、或い

は友達、こういう人達、先づ、五歳、六歳のうちは、そんなに心配しません。もの心つき、十歳、十五歳、特に、中学時代から大学、それから一部分の

人は、社会に出てから、おかしいことをやり出すわけです。毒を喰い始める訳です。それまでに一杯、喰っちまうのもいるんですけれども、最近は、早

ければ、小学校の三年か、四年の内に、もうおかしくなり始めるのがいます。鍵っ子ちゅうのですね。親子の対話がなくなってしまう。

 ノイローゼ

そして自分自身は、親との対話がないから、自分なりの、ものの判断で生活をしだす。ノイローゼです。そうなりますと、そういうお子さんにも、そば

に不調和な霊が来ております。そのものの意識に支配されるから、生きている人と話しするのもいやになっちゃう。対人恐怖症になる。段々、心の丸

い豊かな心が小さくなる、暗くなる、そうして孤独になっていきます。

  反抗期について

 その頃から親は、どうも家の子供はおかしいな。最近、親の言うことを聞かない。またガチッとやるわけですね。子供は段々また、小

さくなる。こんな子供に誰がしたなんてね。子供自身は自分でつくって、自分で苦しんでいながら、他人のせいにする。親不孝するようになって行く

わけです。勿論、その家庭において反抗期という、人間の一つの成長する過程における性格的変化がありますけれども、それが、憑依現象として現

われてくる場合が多いわけです。心の暗い人々は、その心の暗い分野に、その暗さに比例した悪霊、この地球上というのは丁度、ピラミッドと逆ピラミ

ッドの中間にあるんです。即ち、天上の世界 と、地獄の世界の丁度中間的な世界が物質の世界です。それだけに非常に敏感です。ところが、皆さん

自身が肉体を持ってしまうと鈍感になります。わかんなくなります。

皆さんの、この眼の見える世界なんていうものは、ほんの小さいもの。七色の虹の世界、四〇〇〇オングストロングから七〇〇〇オングストロングの

周波数の位置しか皆さんは見ることはできない。現に、虹の両極端は紫色と赤色です。赤色からは赤外線にはいっていきますね。赤外線からは電波

にはいっていきます。これも見えない。それから紫色からは紫外線にはいっていきます。紫外線から熱線にはいっていく。これも見えない。ですから人

間の眼が、どんなに、いいといったところで、ほんのわずかな世界しか見ることが出来ないわけです。いわんや、嗅覚にしても同じです。聴覚にして

も、たいしたことはありません。

 観自在

しかし、私は、聴えます。あの世のことまで見えます。心の耳、心の眼、心の鼻、心の本当のものを持っていればそのように自由自在、観自在、という

ことになるのです。ひとごとではない。皆さんも、その力をもっているんだが、ただ、ちょっとだけ鈍感になっているだけなのです。その鈍感の理

由というのは、日常生活の中で、人を恨んだり、妬んだり、そしったり、またグチを言ったり、自分と言うものの心の中は、まろやかでない。そして

イライラしている。それが、みんなスモッグになってしまうわけです。

 心のスモッグと反省

 夕べは、だいぶ風を吹かせました。なるべくならば、今日は雨が降って欲しくないものですから。そのようにスモッグを払うにはそれなりの作用を起

さなければなりません。皆さんの場合は反省ですね。反省ということは、 まず正しいフィルターをもって、自分の思ったこと行ったことを一つ一つ、振

り返って見る。人間なるが故に間違いも犯す、又、間違いも自分自身の心を豊かにする、一つの菩提であるということに、たとえ間違えたからといっ

て、自分はだめなんだといって自分を小さくしてはいけない。皆さんの今ある環境は、皆さんの魂をより豊かにする一つの学習の場であるとしたなら

ば、小さなことにこだわる必要はないのです。失敗も又、成功のもとです。〃改むるにはばかることなかれ〃という諺があります。まことに、その通りで

す。そして、それを土台にして、より自分を豊かなものにし、同じ間違いを犯さないというようにしていくことが大事です。そうして今、皆さんは、こうやっ

て原子肉体を持っているけれども、そこに、こちらから2番目の絵があります。(ポスターの図を示され)

 後光(オーラ)

皆さんは、もう一つの肉体を持っております。誰れもです。この中で後光の出ている人もいます。頭の毛がなくて、電気によって光っている人もいま

す。

これ誤解の方です。本来は頭の毛があろうと、なかろうと心がきれいで太陽のように美しい丸やかな心で慈悲深い、そして自分というものを常に、自

分だけではない、相手もいるんだ、常に調和ということに心掛けて正法の生活をしている人には、きれいな後光が出ております。

この後光が、あの世に甦るための皆さんの肉体なのです。今、ちょっとヘタな絵ですが書いてみましょう。

こうやって今、禅定している人のことを考えますね。そういたしますと、皆さんの心は丁度、胸のあたりにあります。胸のあたりに、きれいに丸くなっ

ている人とハート型になっている人と、歪みをつくっている人とあります。そして、このように丸くなっている人達の心の中には、この心の絵がありま

すね。智性と本能と感情と理性と想念、これを大きく分けますと、このようになっております。丁度、風舟玉のようになっております。そして心の

中の機能というものはピシッとなっている訳ですね。これはもう一人一人あります。或いは、こうやって見ますと、前の方には、きれいなピンク色

の光の出ている人は、何かというと、もっか恋愛中ということです。それと一定の年頃を過ぎても、ピンク色になっている人がいますが、こういう

のは困りますね。そこで今度は、心が丸くなっている人達というのは、身体からもきれいな後光が出ております。このように光がでております。ダ

ルマさんのような、きれいな光が出ております。こういうような光が出ております。やわらかい金色の光です。

この光の出ている人達は、まず心は百パーセントきれいで、夜、寝ても地獄へ行かない人です。夜、寝てから、追い駆けられたり、怖い所へ行った

り、もう、おどおどしているのは、まず、その前の日、寝る前に、あんまり良いことをしていない人達です。ですから、心がこうやって、丸く、感情も智性

も理性も想念もみんな丸く豊かであると、そういう地獄の世界に行かないわけですね。ですから、夕べ夢を見て、どうも怖かったという人は、あんまり

心が丸くなかったという証拠です。何か心配事がある。何か、何かある場合ですね。更に又、この心というものは、今までは形がないんだなんて思って

いたけれども、とんでもないことですね。

 心はどこにある?

私、ある講演をした時に、九州の方でした。心なんかあるものか。人間は、すべて頭で判断するんだというわけですね。確かに頭で判断するんです。

だから心は頭にあるんだというわけですね。一流大学の有名な一流のお医者さんで精神学会で日本で一番という人ですよ。その先生が「頭がおかし

くなったんですよ。それを治す為には、大脳をこのようにしなけりゃいかんよ」ということを僕の前でとうとうと言ったわけです。

そこで、「先生、心というものは、どこにあるんですか」と聞いたら「そりゃ君、頭にあるんだよ」。ハハァーと思ったんです。その時にそれを説明し

たわけです。

「それでは先生は、嬉しい時、悲しい時に、こみあがってくるのは頭からこみ上って来ますか。」

「そりゃ君、ここだよ。」

「じゃ、こっちから、こみ上ってくるものは何ですか」ったら

「それがわかりゃノーベル賞だ」

もうそこまできたら、もう話しにならないんですね。そうして、(黒板に図で示し、説明している)

光の方の肉体、こちらの方の見えないところの神の光よって満たされているために、心にスモッグがないから後光が出て来て、実はこれが本当の肉

体なんです。皆さんの、あの世に還る舟なんです。そしてそちらにも、ちゃんと大脳も全部あるんです。ですから今、皆さんの脳細胞は受信と送信をす

る一つの機能にしか過ぎないのです。耳で聞きます。聞いた聴覚神経は皆さんの脳細胞の聴覚の、一つの物を聞く機能、その信号を違う次元の方に

送る装置にしか過ぎないのです。ですから、今、物を見ますね。〃赤〃って見たものは聴覚神経の〃赤〃しか見られないのです。その〃赤〃自身を

判読しているものは英語であろうが、ドイツ語であろうが、フランス語であろうが、日本語であろうが、言葉が違うだけで、〃赤〃には変わらない。

〃赤〃はレッドと言えばレッドなんです。脳細胞は二百五十億あります。

この二百五十億の中にそれぞれの一つの分野が神経繊維の一つは一方通行です。それでそれが記憶している訳です。ですから世界各国、〃赤〃

は赤なのです。ただ言葉が違うだけです。ですから、本当に記憶しているのは光の方の肉体が記憶しているのです。

ですから皆さんが夜寝て、夢を見ている時に、自分の肉体を自分が見ていることがあるでしょう。どうでしょう。自分の肉体は、今、寝ているんです。

そして寝ている肉体の又、もう一つの肉体が活動しているのを、自分が又見ていますね。そういう経験のある人、手をあげて下さい。

 天上界での肉体

それは皆さんの光子体の本当の舟頭さん、その舟頭さんが見ているのです。

それが皆さんの真の真我な自分です。ですから、私達の今のこの肉体というものは、本当に皆さん、この世を去っていく時によくもまあ、こんな舟に乗

っていたものだと思います。なにしろ私達は天上界でよく会議があります。

肉体を持っているのは私だけですから、まず醜いですよ。そして僕が一番、年寄りなんです。自分は若いつもりでいるのだけれども、相手側の方は

皆、二十六、七歳、ミカエルが二十八、九から三十位、イエス様が三十六、七から四十歳位ですから、それですから膚の色が違うんです。握手したな

らば、こちらは石のようなもので、相手の方はロイヤルゼリーか何か、なんともいえない、もう違うんです。

 女性の方は、菩薩界におられる方は、何かミス・ユニバースみたいで、皆、美人です。目を覚してがっかりしちゃうわけです。ですからこの 地上界

の皆さん、少し位顔がまずいからといってガッカリすることはありません。いずれ天上界へ還れば、皆、美人だってことですから。我々のように、ニキビ

の噴火した跡なんか一つもありませんから。これは光子体の方の肉体、皆、美人ですね。もう、女の方なんか、本当に、全んど美人です。

 地獄界は別ですよ。地獄界へいったら例えば、魔王の近辺におるのなんかは、美人のような顔をしているけれども、心が、ころっと変わった瞬

間に、もう口はサケてしまって、そりゃ、もう、まともには見られませんよ。鬼ババアなんて可愛い方です。おっそろしい顔です。骸骨のような姿

になってしまうしね地獄界は又、別の世界です。こりゃ、ミスブスなんてもんじゃない。表面がきれいだから と思ったら、とんでもない話しです。

 過日、私の家を訪問してきましたアステリアという魔王・サタンの姪が来ました。それは私の持っている法輪をパーンと投げましたら、そこに

引っかかって来たのを、皆んなの前に見せて、この通りだよと言って、手の中に踊っていたものですから、ポンと投げて、そのまま寝ちゃったら、

夜寝ている最中に、成長しちゃいましてね。私のフトンの中にはいって来たんです。

 アレ、こんな女の人が、なんで、僕のフトンの中に、はいってくるの。そして、しかし丁度アンマさんにかかっていたものですから〃なんで、お前は、こ

んな所にはいってくるか、出なさい!〃と言った訳で す。ところが按摩さんは見えないですからね。メクラだしね。〃私は何もしてません〃と言う。そ

れはそうでしょうね。本人はビックリしちやうわけです。こっちの方は見えちゃうし、向うは見えないんですから。〃い や、あんたじゃなくて、今、外人の

ものすごい美人の女の人が、私の隣りへ、お見舞いに来たといって、お見舞いに来たのに何でフトンの中に、はいるのか、出れ!〃と言ったんだと言

ったんです。〃ハアそうですか、私はそんな積りではなくて、私は何か悪い気がしました。〃〃いやそれは違うんだ〃と、そんなことがありました。それ

はもう外国の映画女優の、ものすごくきれいな女の人に似ていますね。それでも、一旦、彼女が心をガラッと変えたら、もう悪党、鬼婆です。口許は切

れるは、まともには見られません。それが地獄界の実体ですね。

 パワートロン

天上界はそんなことはありません。怒りもありません。そして又、天上の世界の、今度は、心の調和されているエルランティという方になりますと、こ

こにパワートロンというものを持っています。(以下図を書きながら説明)

頭にちゃんとパワートロンというのをつけています。パワートロンといいます。

神の光をストレートで受けている光ですね。このパワートロンから、光がピューッとこうやって出ているわけです。ですから見ておりますと、頭からも、身

体からも光が出てきておりますから、光の化身だと思えばいいですね。そうして、このパワートロンと、その人の、エル・ランティの心のところと、全く同

じ位置、だいたい八十センチから七十センチのところに玉があります。このようになっております。これがドームです。そして、このドームからも

光が出ています。やわらかい金色の光です。こういう光が出ております。

大きな光ですね。そして、このパワートロンの光が、このように発射していると同時に、ここに今度は魂の分霊ですね。光の分霊である、イエス 

様、モーゼ様、カンターレ、この意識がはいっております。これから七十センチ位ですね。

 光の分霊、お釈迦様とイエスの場合

  この頭の上から、そして例えば、私が、イエス様の当時の話をしますと、例えば、これがイエス様だとすると、今度、これが

クルクルッと廻りまして、こちらの人の、私の身体の中にはいってくるから、今度、イエス様の顔になっちゃうわけですね。お釈迦様のこんど、話をし

ますと、こちらが出て、今度、お釈迦様の意識がはいって、その当時の意識が身体の中にはいってくるから、今度、お釈迦様の顔になっちゃうわけ

です。ですから、普通、私が講演を全国して歩いとって〃あの方は、お釈迦様の生まれ変わりだ〃という人が出てくるわけですね。見えちゃうから。

インドの時、耳たぼなんかこんなに小さいのに、こうなってくるわけですね。眼の方が、ずーっと、こうやって細くなってきちゃう。見とっ 

て、皆んなビックリしてしまうわけです。そうすると、その人達にとって、お釈迦様に見えちゃうわけです。これは光の分霊っていうわけです。

エル・ランティの光の分霊、この光の分霊というのが、個性を持っておりますから、そうやって出て来ますね。

 メシヤ信仰

ところがいつのまにか、お釈迦様や、モーゼや、イエス様や、或いは又、もっと下の方の段階におるところの回教、こういうのをメシヤというわけです

ね。このメシヤを拝むようになっちゃった。メシヤ信仰になってしまった。これは大きな間違いですね。メシヤの説くのは神の心である法を説きに来て

いるのです。人間はこのようにしなければいけないんだ。メシヤ信仰ではなく、メシヤを信じることです。メシヤの言葉を信ずることです。そうして、その

言葉が法なのです。その法を行ずることです。これが本当の信仰なのですね。ですから本来はメシヤ信仰であってはならない。仏教では、お釈迦様

は絶対ですね。だからいつのまにか〃オシャカ〃なんて言葉が出来ちゃうわけです。

それは困りますね。お釈迦様の説かれた法、その法を生活の中に生かすことです。そうして、自分自身が、説かれた、その悟られたメシヤのような

豊かな心になるということ。

イエス・キリストを拝んじまって、何んでもイエス様、イエス様。迷惑です

ね。イエス様は一人しかいないんだから、世界中の人が、イエス様を呼んだらどういうことになるでしょう。そこでエル・ランティーであるところのヤ

ハベー(ヤーベー)は〃汝ら、みだりにヤハベーの名前を呼ぶことなかれ。〃といっていますね。それなんです。一人なんですから、呼ばれたって仕様

がないんです。皆さんだってそうでしょう。仕事をしておって、仕事の途中で何回も呼ばれると、〃うるせえなあ〃ということになりますね。これは同じで

す。

我々は、ややもすると、次元の違う世界を呼べば、何んでもやってくれると思っているが、とんでもない事です。一番大事なことは、メシヤの説く、法

というものを実行するということ、これが大事です。そして、このエル・ランティは、光そのものです。天上の世界へ行くと光そのものです。光の化身で

す。

 M37のメシヤと軌道修正コントロールセンター

 といって、神ではありません。神は、又、こちらにあるわけです。いまだかつて地球上に神だなんて言って出て来た人は百%嘘です。どんなものだっ

て、神様になんかにはなれないんです。神は一つです。宇宙には神は一つです。こういう、エル・ランティと同じような人達が、宇宙に、真のメシ

ヤという人達がおります。遂に、過日はM37という星があります。  

M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤはついに、自分自身を悟ったというのは、太陽系の中の、軌道修正コントロールセン 

ターというのがあります。太陽系の軌道を修正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。その中心の心臓部に伝達が

あるわけです。宇宙的ですね。

そして、真のメシヤが、それぞれの惑星の地上界に出て、皆んな互いに連絡がとれるようになって、真の調和が完成されたとき、そのメシヤが神にな

るのです。大変なことですね。M26、この太陽系それぞれに出て来ておりますね。今、出て来ているのは、太陽系で、一人、悟っております。M37で

悟っております。M27、M26、出ております。このMというのはメシヤという意味で、つけたようですね。

 ベーター星

我々の出て来たところのベーター星というのも、調和されている世界、ユートピアです。その、皆さんも出て来た所ですね。ところが、今、我々が住ん

でいるのは、自分の住んでいる地球だけだと思っているだけなのですね。かつて皆さんは、三億六千数百年前には、そのベーター星という所から、移

住民族として、地球上へ来たわけです。そして、その間に何回も転生輪廻して、まあ全んど皆さんは地獄へは行かなかったと思いますけれども、ま

あ、今、いるわけですね。そして、自分というものを知るようになっていくわけです。で、それは、何んのために、現象の世界に出て来るかというと、こ

の色心不二といいまして、皆さんが肉体と魂を持っているように、神の身体も、また、物質と心から成り立っているわけです。神の身体の地球という細

胞を、神の子である人々と心と心の調和によって、はじめて、地球は円満に調和されていくんです。

 天変地変の原因

 それが神の子である地球の中の細胞の一部分が、互いに争い、闘争を繰返される。即ち、皆さんのツバキ、ダ液のようなもの、皆さんは、地球の消

化する、ダ液のようなもの、そのダ液の中にバイ菌がはいったら、どういうことになるでしょう。消化不良を起こしちゃいますね。同じです。ですから地

球に住んでいる人達の心の丸くない人達が多ければ、即ち不調和な人達、法を間違えた人達が多ければ、その分野に天変地変が起るんです。神の

光をその分野が失ってしまうからです。地獄が多くなれば、そのような現象が起りますね。だから恐ろしいことです。ですから、心がきれいな人達が集

まれば、その集まっただけ、その環境は調和されて、光明に満たされるわけです。それは事業だって同じですよ。家庭だって同じです。ですから、家

の中が、どうも不幸が続いているっていう人が、こん中にも、何人か来ておりますねえ。自動車事故で亡くなっちゃったとか、私は一生懸命に拝んで

いるのに、何んで、何んで不幸なんだろう。

 家庭の不孝の原因

というのは、何か原因があるんですね。思っていること、行ってる性格を通して、何か原因があるんですね。夫婦の関係、子供の関係、その原因は、

それを除かない限りは、そっからは、光明は満たされないわけです。その原因はどういうところにあるのか、それをどのように除けばいいのか、という

ことを私達は教えているわけです。

 真の信仰とは

ところが、普通、宗教は、そうじゃなくて、不幸があると、お前さんとこの先祖が浮かばれないんだよ。一生懸命、お経をあげれば、なおるんだよ。と

馬鹿なことを言っている。又、それを信ずる。〃溺れる者、ワラをも掴みますからね。〃その原因はどこにあるかということ、そ

の原因の根を、どのように取り除くかということに努力しなさい。出た結果に翻弄されちまってね。増々、深まりにはいって行く。だから神様、拝

めば拝むほど、不幸になっていくわけです。ですから、宗教家、お坊さんとか、或いは神主さんとか、宣教師とかいう人達ね、神様を扱っている人

達、偶像を拝んでいる人達の家庭をご覧になって下さい。混乱してますよ。あんなに信仰深い人が、なんでだろう、と、こう思うんですね。そ いうのは

本当の信仰ではないんです。皆んなは兄弟が、円満で仲良く、お互いに助け合っているのが本当の信仰なんです。

ですから家の中で色々、まずい問題が起ったりするのは、俺達の考え方、生活のあり方に何か間違っているんだ、と、正しい法則を踏みはずしている

んだ、先祖がどうではないんだよ。苦しんでいるのは自分達です。それを、その根っ子を考えることです。そうして、それをなおすことですね。そうする

と、なおっていきますね。ここにも、そういう人が何人も来ています。ですから、その時は、拝むんじゃなくて、私達の考え方、生活の在り方、物の考え

方、これらのものの修正、そのチャンスを与えているわけですね。それで、その根っ子は、どこにあるのか、その原因はどこにあるのか。その悪い面

を取り除かない限り、だめ、それをただ、先祖のせいにして、先祖を拝めば、なおるんだと、それじゃ、先祖に、いい戒名をあげようじゃないかといっ

てね。そこにパックリ待っているのが、パックリ屋ですよ。

 〇〇元首相のこと

戒名のいいのをあげれば救われるなんて、馬鹿みたい。先づ、皆さんね。戒名をどんないいものをあげたって地獄は地獄ですよ。〇〇院殿〇〇大居

士というのが何年か前に死にましてね。その方が、東急の社長をやっておりまして、私の親分出してくれって、言うもんだから、すっかりゴトウ・ケイタ

だと思ったんです。そうしたら違うんですね。元総理ですよ。「ワシじゃ」って出て来ましてね。ノドから声が出ないわけですよね。ガンで切って死んだ

総理ですから。それが地獄にいるんだから、どうしようもならないじゃないですか。名前みたら、院殿大居士ですよ。そしたら、「ワシャ、そんな

名前は勝手につけたんだから、俺には関係ねえ」って「高野山へ行って聞いてくれ」って。そういうものなのです。皆さん名前じゃない。〃冥途の

沙汰も金しだい〃なんてナンセンス。一銭の金がなくたって天上界へ行けるよ。そういうことを知って下さい。絶対に戒名なんか、どんなにいいの

つけたって、地獄へ落ちるものは、地獄へ落ちるんです。名前なんか、どうでもいいんです。地獄へ行って、戒名なんか名乗っているのなんか、一

人もいないから。これは日本人の、色々都合が御座居まして。戒名っていうのは本来はね、生きている内につけるんです。昔の坊さん達はね、自分

の寺子屋みたいな所へ連れてきてね、正法をよく教え、仏教を教えて 「ア、あなたは、大分よく勉強し、生活も変わって来ましたな、じゃ、こ

のあたりで、今までの名前をかえて、じゃ、居士という名前を与えましょう。」

「ありがとう御座居ます。お蔭げ様で、私も、心がなごみました。」

そうしてなったものですね。それが、そうじゃなくて、日本は、死んで、しばらく過ってからね、お金持って行ってから戒名つけるんですよね。死んでいる

人がわかる訳ねえじゃないですか。〃あなた、どなた? 〃ったら、自分の本名を言うんです。〇〇院殿〇〇大居士なんて知らねえよ、なんて。同じで

すね、だから冥途の沙汰は金次第じゃないんですよ。

それは都合の悪い人が、そう言ったんでね、だから皆さんは戒名なんて本当はいらないんです。生きているうちに、自分の心と行いをなおして〃 

よっしゃ〃と今までの名前を捨てて、新たに、生まれ変わった積りで、人生をやり直すんだと言って、名前を変えるんだったら大いにやりなさい。

死んでから貰うんだったら、そんなのはいらないんです。生きている内に自分の心を改造してね、生活を改めて名前を貰う、これが本当のものです。

 戒名の由来

 戒名とはインドの当時、ブッダの弟子に、シャーリー・プトラ(般若心経の中に舎利子とある人・著者註)という男がおります。彼はウパテッサという名

前でね、どうもウパテッサというんじや、うだつがあがらねえんじゃないかと言うんでね。(笑)お前はよくやるから、お母さんの名前のね、シャーリーと

いうお母さんの名前のね、お母さん、なかなか陰徳のある方で、一つその名前を貰ったらどうだ、心を改めて心身を改めてシャーリープトラという名前

にしたらいいといって戒名を変えていったのですね。

 或いは又、コリーターという名前がありまして、何度もコリても困るから(笑)、

(付記、古代インドのお釈迦様の時代にコリータは暴漢に襲われて殺されます。コリータは、あの有名な坂本竜馬に生まれ変わりますが、明治維新も

同じように暗殺されたことで知られています。それを受けて何度コリても−となったのです.

なんとしろ、お前の名前を一つ、この際、心もきれいになったことだから、モンガラナーということにしよう、と言って、マーハーモンガラナーという

名前に変わりました。これは大目連ですね。それ生きている内です。死んでから、いくら、どんないいの貰ったって、どうにもしようがないじゃないです

か。 最近、日本人、そういうのが好きになりましてね、死んでから、一パイ貰うのがいいんじゃないか、と、最近は結婚にまで影響しましてね、お墓行

って、戒名見て、この家の先祖は、余りいいのじゃないからダメだなんてね。馬鹿みたいなこと言って、院殿大居士がねえから、結婚の対象にならん

よなんて、そこまで来たらもう、悪霊ですね。ですから皆さんは、そんなもんじゃないんです。

その点はクリスチャンの皆さんの場合は、生きている内に、自分の心を入れ換えて、マリヤに近い、マリヤ様のような気持ちになりたい、とマリヤとつ

けてみたり、色々と人の名前をつけている人もいますね。クリスチャンの方は、はるかに御立派です。生きている内に変えるんだから、ものの考え方

を。ところが仏教は死んでから変えるんですからね。死んでから変わる訳、ないじゃないですか。だから、そんなものに皆さんは心、うばわれてはいけ

ません。

だからG・L・Aのお坊さんはそんなことしませんよ。〃院殿下さい〃と来ても〃まあ院でいいじゃないですか〃なんてね(笑)そんなことでやっ

てますね。ですから商売繁盛しちゃうわけです。仕事が忙しくなっちゃうわけです。あそこ行きゃ、天上界へ行けるっていうわけで、葬式多くなっ

ちゃう。

 本当は、お坊さん、葬式専門じゃ困るんですよ。生きている人を救うことでね。死んだ人はもうしようがないんだ、これは。ところが日本はお坊さんイ

クォール生きている人には関係がないんだな。だから、お寺さんが入院している患者さんをお見舞いに行きますと、縁起が悪いや、なんてね。

そうじゃなく、病院に入院して、今、死ぬか、生きるかという人に〃お前さん、あの世があるんだよ、といつまでも執着を持っているな、みな捨てちま

え、子供達にみな分けてあげなさい〃と教えてやりゃあいいんだよね、本当は。ところが、お坊さんが行ったら、縁起が悪いや、あいつは死ぬんじゃ

ねえか、なんてね。僕が丁度、この間、坊主になって船に乗っとったら、〃坊主と一緒じゃ魚一匹つれねえや〃(笑)なんてね。だから坊さんは縁起が

悪いことになっちゃってんだ。私も一応、心を改めて、自分の頭の毛を、一つ形の方からやってみようと思いまして、色々検討の結果、頭を三分刈り

にしてみた訳です。そうしたところが、〃坊主と一緒じゃ、魚も釣れねえや〃なんてね。こりゃ不思議なものです。

 真の引導の意味

ですから本来は、坊さんは、生きている人を救うんです。インドの、本当のお釈迦様のお教えはね、お弟子さん達、ブッダが亡くなる時にね、アナンと

いう方に、アナンがブッダがなくなったら、どうしたらいいでしょうか、私達はよんどころがありませんと、彼はブッダの枕辺で泣きました。その時、ブ

ッダが、何を言うかと、ワシが説いた四十五年間の法は、お前達の心にあろう。お前達は、その法をたよりとして、人々を救うことなんだと教えて

いるんだね。それが、何か、死んだ人を教えるように坊さん、変わったんだなあ、こりゃ。本当は、もうだめです。その坊さんが、〃見えて、聞え

て、話せ〃たらなお、いいんだけど、〃見えて聞えて話せない〃のが(付記、見えず、聞えず、話せないのが…の意)

引導を渡すというから、どうしようもならない。どういうわけですか、私達は、死んだら〃ああ、こいつ地獄へ行くゾ、こら、お前ちょっと待て〃と。こない

だ、

 死の一例

 ある人が亡くなりましてね、ショック喰いました。私、行って見たら、無意識界にいるわけですね。事業やっとるもんですから。ソレーッちゅうわけで、

すぐ行きまして、〃あなた、どうしたんですか〃っちゅったら、〃私しゃ便所でこんなことになっちゃって〃便所におったままステンと去っちゃったわ

けですね。予告なしですよ。大抵の場合なら、報告があって何日頃死にますと、あるんですがね。元気なもんだから、こっちは元気だと思ってい 

た。朝になったら、電話来まして、亡くなったっちゅうから、〃エエーッ〃って、私が、パーッと、もう行きましたところが、無意識界、自分の肉

体から離れて、自分で意識ないわけですね。

〃あなた、どうしました〃

〃私は便所にいる間は、わかったけれども、後はわかんなくなっちゃった〃

と。しっかりして下さいよ、と。

「あなたはこんなに早く、いくなんて思わなかった」

それでイエス様、イエス・キリスト、〃イエス様、すぐ行って協力してくれ〃って、すぐ魂をゆさぶりましてね。今、修養所におりま

 労働組合につるし上げられ、家庭の中から反発されてね。精神的よんどころなく、心悩んでいる時に、そういう一つの死を迎えたわけです。だ

から恐ろしいですね。ですから無常です。人間はいつ、この世を去るかわからないんです。ですから、皆さんの場合も、自分の心は、いつでも準備

体制は整えておかねばいけない。これが私が言う〃一日一生〃ですね。明日、生きとったら又、一生懸命やろう。今、若いからって、わからないん

だから。それで又、なんというと、しめっぽくなるから、まあまあ、明日生きていることにして頑張るわけです。そうして希望を持ちながらね。そ

うして、死んだ、生きたって区別つけられる人は少いですよ。アー俺は、今、死ぬんだなんてね。そういう人は御立派ですよ。でもGLAの人達の

一部の人は死ぬことがわかってりゃ、親孝行する人もいます。

 死後硬直のこと

或る人は二日前に、もうわかりましてね。〃ワシャもう、あと二日だよ、皆さん、どうも永い間、本当にスマンかったね。本当は、もっともっと、生きた

いんだけれども、どうも、もうだめなんだよ、あと二日のちには、この世をかえるけど、ま、一つ、よろしく頼んまっさ、せっかく家も作ったから、 

GLAで、ぜひ使って下さい。家内も、さみしいようですし、今度、又、生まれて来た時は、正しく自分を知って行きます。しかし、”今生は、本当

に楽しくありました、ありがとう御座居ました〃ってかえっていった人、一杯いますよ。硬直なんか、全然しません。生きている時よか、もっとき

れいになっていくわね。これが本当の成仏ですよ。もう、こうやって硬くなるのは、皆んなダメ。

ですから、皆さん、死んだとき見てね、亡くなった人、見て硬くなったら、こりゃ、地獄だなって思って下さい。その時 は、〃ちょっと、あなた、こ

こにおりなさい〃と。あなたは今、この地上界を去るんです。執着を捨てなさい。今、あなたの肉体は滅びるのです。

あなたは今、新しい肉体を持つのです。いつまでも、そんなことをやっとったら、あなたは地獄です。死というのは大変な行事なんですよ。地獄

霊が皆、来ますからね。

 モーゼの場合は

モーゼの時など、モーゼの肉体をサタンが欲しくてね。そして引き取りに来たのです。その時にミカエルを中心とした七大天使が、モーゼの死体をか

わしましてね。その死体を渡さなかった。その死体を渡しちゃったら、モーゼが生き返って、サタンになっちゃうんです。それで、皆さん死んだあと、よく

魔よけっていって、刀をあげるでしょう。あれは、そういう習わしなんですよ。

復活されちゃうから、おかしくね、悪霊がおれば、だから、そのように教えて、それが本当の引導ですね。

ところが、最近のお坊さんなんか、〃なんで、あの世なんかあるものか〃ってね。現に、僕んとこに言って来ている大僧正ちゅうのがいるからね。そい

で檀家を何百軒も、何百人も持っていて、〃あの世なんか、あるもんか、GLAでいっているのなんか、ありゃ気違いだ〃なんてね。その内に、お灸す

えに行こうと思ってるんですがね。(笑)

GLAのお坊さんとこ大分、いじめているからね。皆んなの前でやっつけられるもんですからね。毎日新聞にもだいぶ出ました。あの世なんかなくて

ね、引導渡しとったら、詐欺じゃないですか、あの世なんかなかったらねえ、お経なんか、あげるこたあ、ねえじゃないですか、だけど、ま、こりゃ商売

だからって、言っているっていうから、ま、その内にお灸すえに行きます。

あの世があることを教えにね。又、その檀家からも、GLAへだいぶ来ているわけです。不思議なもんですね、これは。それも、ま、なかなか悪党坊

主ですよ。でも、私が出たら、一番恐ろしいんじゃないでしょうかね。そういうもので、皆さん、心が大事なのです。肉体からサーッと離れると、

地獄へなんか、行きませんしね。そこで、又、ここで、こんど地獄の話になりましたから。神様が出てくる人がおりますから。そこで、

〃ちょっと出て来て下さい〃

四十代の細面の女の人が登壇する

〃あなたが何か信仰しているの〃…大権現というのを拝んでいた訳ね、家で。〃

 そして、霊道現証の時間へとはいっていった。              

 

 信次師昇天の直前のこと

 信次師は、ひと月以上前から、リンゲル注射のみで生きていた。にもかかわらず、東北の研修会には、家族、側近が懸命に止めるのを聞き入れ

ず 『行かねばならぬ』と無理を押して参加した。そして、各一時間ずつ講演をした。渡辺氏は、こう書いている。

「特に、この時の『新復活』というご講演は、獅子吼とはこのことをいうのだなあと心に思ったほどの渾身のエネルギーをふりしぼった大講演で、

後にも先にも、このような場面にふれたことは、この時だけだと思っている。ことに、最後の十分間ほどは先生がこのまま光のエネルギーに昇華さ

れてしまうのではないかと思われるほどの迫力だった。汗は金となり、それが照明でキラキラ輝く。特に右側の頬に大きく金の塊が生じているらし

く、口の動き、頬の動きに応じて、ダイヤモンドのように光り輝いて見えたのが印象的でした。終ってから、講師一同が先生のお部屋にご挨拶にあ

がった時、右頬についていた金の塊を取って見たら、『Lの字になっていましたよ』とおっしゃった」と。                  

  そして、昇天直前のある日のこと 園頭師に、信次師の本を勧め、正法帰依のきっかけをつけたK氏は、こう話す。

「私が、六月のはじめ、自宅の前まで帰って来た時、一人のやせた青年が『Kさん』というのです。誰かと思ったら、高橋先生でした。

『先生はどちらへ』

『病院へ行っての帰りです』

『どうぞ、おあがり下さい。お茶でも』

先生は、私の家に一時間半位いらっしやいましたが、『Kさん、こんなに肉体を酷使するんじゃなかった』といって涙をためていらっしゃいま

した」、と。

 Kさんは、「高橋先生が、私に気持ちを伝えておけば、懇意にする釈迦第一の弟子といわれた舎利弗・園頭氏に、伝えてくれる。それで、わざわ

ざ、自宅の反対方角の私の家へ。これしか考えられません」と話す。

〈一九七六年六月二十五日、信次師は昇天された〉

 堀田和成氏「死の四カ月ほど前、釈迦に説法とは思いましたが、折に触れて休養なさるようおすすめしました。そんな時先生は、「わかっていま

す。私の体は私がいちばんよく知っている。だが、やるべきことをやらねば私の役目が果たせなくなってしまう。私はただ、やるだけなのです」と

言われます。先生は死を覚悟されていました。残された時間をいかに有効に使うか、それだけがお心を支配していたようであります。「先生のお気

持ちはお察しします。しかし、細く長くという言葉もあります。今のお体には休息がいちばんと思います。ゆっくりと体をお休めになってくださ 

い」私は、先生に繰り返しそう申し上げました。  中略

 しかし、時すでに遅く、六月二十五日午前十一時二十八分、ご家族の方の見守られるなかで、その短い生涯を終えられるのでした。」

奥様の 高橋一栄氏

「『さあ、起こしてくれ。上衣を出してくれ。私は行かねばならない。みんなが待っている』主人は、床の中で、そう私に叫び続けます。自分の体が自由

にならないのに、気持ちだけは明日に迫った関西講演に、早や心は飛んでいるようでした。   中略

 しかし、主人はもう何日も物を食べていません。それどころか東北講演・・・・・後略。

次に、一九七六年(昭和五十一年)五月十三日の東京小金井GLA道場での高橋信次先生の講演を上げる

    

 

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「太陽系霊団について」

 

         … 九〇%の魂、善我なる心は、絶対に自分に嘘つけないということです。だから自分に忠実、忠実なものが真実。まあ人間は、やはり

この地球上に出てしまいますと、最もこの不安定な、霊的に波動の荒い光の粗悪な肉体に我々は乗ってしまうと、その粗悪な分だけ本当の人間の魂

というものは分からなくなります。ですから皆さん、こうやって体はそれぞれ個性を持っているけれども、で、自分の顔を鏡で見ておっても、本当の自分

を見た人は一人もいません。本当の自分を見ることの出来るのは、心を完全にピュア(pure)にしない限りは見られません。

丁度、私は一昨日、先一昨日と夕べと、天上界で会議がありまして、丁度こういう、これとはちょっと違いますが、丁度このくらいの大きな大理石のよ

うな机で、みんな腰掛けまして、私はここに座って、で、イエスキリストといわれる方、インマネルという人、インマネルはここに座って、その隣がカンタ

ーレ。カンターレといって、これはお釈迦様ですね。それからこちらの方ではモーセ、それからミカエル、それからパヌエル、それからガブリエル。

で、やっぱり十人、そして主として今度、地球上の問題についての打合せがありまして、そのそういった夫々の天使の役割がありまして、七人の天使

というの皆さん、聞いたことありますね、七大天使。

で、七大天使というのは、どうして七人の天使か、知らないでしょう。七大天使というのは、宇宙ですね、宇宙から考えまして、

ー、黄色の白墨(チョーク)ありますか。(男性)ちょっと見てみます。

(高橋先生)黄色い白墨ありますか。

(女性)黄色は、前へ、向こうの封をしてない

(信次先生)ないですか。

(女性)調べてみます。

えー、神の光が、このように宇宙の、神の光ですね。この神の光は、もう真っ暗を想像して頂ければ結構ですが、神の光が一つスッパッ

と入っております。

これが、あのエルランティーという光の大指導霊がおります。このエルランティーという人の、大々天使の所へ、天使というよりか光の

大指導霊のところへ入っております。そしてこの光の玉から、それぞれの、ここから発散されます。これが全部の色で七色出ておりま

す。七色です。そしてこれがこんど、更に集約されまして、こういうように集約されて、で、このところに、もう一人の大天使がおりま

す。これがミカエルといわれる大天使です。

これは七色ですね。それからさらに、で、この光は、あのゴールド・カラー(金色)です。ゴールド・カラーです。このミカエルという

大天使の所からスリットのようなのがあります。一,二,三,四,五,六,で、これからまた方向を変えて、六つになっております。

それから今度は下がって、このスリットを通して下がってきているのが、こうなっておりまして、そのスリットから出ている一番この、

こちら側にあるのがラファエルです、ラファエル。それからその次がウリエル、その次がパヌエル、その次が 、これがガブリエル、ガ

ブリエルです。ラグエル、サリエル、こういうようになっております。

で、実は、これが神からの直接の直、直系といいます。力の直系です。これは、ただし太陽界です、

 L(エル)は神の光

太陽界。力の直系。そしてこの下に、こんど、菩薩がみんないる訳ですね。

 ラファエル、ラファ・エル、“エル”みんな付いていますね、こうやって。このエル、このエルというのは神の光ということです。神

と一緒ということです。

そうしてエルランティーの光の分霊として、今度は肉体の光の分霊として、ここに三人おります。これがメシアです。

  メシヤのこと

この方はモーセ。

で、この方はカンターレ、カンターレです。

で、この方はアガシャーです。

この方達は、かってこの地球上に肉体を持っているメシア達です。

アガシャーはインマニエル・イエス・キリスト。

カンターレはゴーダマ・ブッタ(釈迦)。

モーセはモーゼです。これは光の分霊です。そしてこれが皆さん自身が、神とつながっているところの霊子線です。

霊子線、これから地球上、何百億の人間、他の天体との関連が全部出きあがって上っております。この下に全部ある訳です。

ですから、こちらの光の量と、こちらは段々薄くなっていきます。

それですからこのエルランティーは、かってモーセが出た当時も、カンターレ、ゴータマ・ブッタが出たときも、アガシャー、即ちイエ

スキリストが出た時も、みんな天上の世界に於いて指示を与えております。

そのつど、ミカエルはその責任をストレートで果して、そしてこのガブリエルは、常に伝達を専門にしております。伝達係です。

そしてそれぞれ七大天使の役割は、医学、政治、経済、律法、それからそれぞれ自治関係から、そうして芸術、文芸関係、担当がありま

す。

特にラファエルというのはラファエロとして、中世のルネサンスの当時に絵かきとして肉体を持たれました。

これは七大天使の一人です。

彼は知らない内に自分の名前を使っていた訳です。

そしてこのラファエルは、彼は言葉よりか、絵で全部、天上界の仕組みを、この地上界の人々に教える使命を持って出たんです。

 真の地湧の菩薩とは

で、これは丁度、我は七色の光を持つ天使なり、というのは、地より湧き出でて天に帰らんというのは、お母さんの腹の中へ、この地球

上のお母さんのお腹の中から一旦、出て、それからやがて天に帰るという、それを地湧の菩薩といいます。

地から湧き出る地湧の菩薩といいます。

で、現在、サリエル、それからパヌエル、この人達は主として、報道関係、政治関係、世界人類に出ている天使達の指導に当たっており

ます。

 真のメシヤ生誕

そして天上界といっても太陽界ですが、宇宙に数人の真のメシアがいます。

真のメシアというのは、地球の周期は三百六十五日と四分の一です。

ですから約三十六億五千年近くの周期で(付記、三億六千五百年?)、この地球上に肉体を持って出てきます。

その時は他の天体にも同じように。

今度は宇宙界というのがありまして、この宇宙界からでてきております。

宇宙界には七人の真のメシアがおります。それは神とストレートで直系しております。大宇宙大神霊と直系しております。

そしてこの七人は全て転生から解脱しております。転生から解脱しているということは、例え肉体を持っておっても、自由自在に天上の

世界に行っておりますから、生と死というものは全て超越しております。

既にM37の惑星にメシアは降臨して、今から十五日くらい前に悟られました。それはエルランティーの友達です。同じ仲間です。宇宙

に七人、現在でておりますが、M37が悟られました。

で、これは全て、今現在は、ミカエルや、カンターレや、アガシャーや、モーセ達が、太陽界の軌道修正コントロールセンターというの

があります。

それが、太陽界の心臓部です。そこに伝達がありました。

M37、真のメシア降臨し、既に悟られました。

我々の太陽系グループは、最初は地球から数光年離れておりますところのベータ星、ベータ星から脱出しました。

ベータ星は全て調和され、そして神の体である地球の、細胞の一つであるこの地球という環境を神より与えられ、緑青く、調和された環

境を神より与えられ、一つの円盤に乗りまして、地球上の最初の場所である現在のナイル渓谷の東側のエルカンタラという所に降下しま

した。そこに私達はエデンの園を造りました。

第二艇団は、それから後に約六千人の宇宙船母船を通して、ベータ星より地球上に全部に到達しました。それがエデンの園です。

その当時の人間は、みんな心が非常に美しかった為に、自分の肉体と魂は、いつでも分離して天上の世界へ行かれました。

それは執着というものが一切ありません。そして我々の見るこの五感は、全ての煩悩であるということを知っておりました。そのために

人を信じ、お互いに協力体制の敷かれたユートピアだったのです。そのままベータ星のユートピアを持ち込んできたのです。

ところが後に来た、第二艇団で来た六千人の中から、自分の子孫ができるに従って、所有権を主張し、自分の生活の場を確保するように

なったときから、徐々に彼らは、肉体と魂の分離ができないようになりました。

そのために、研修道場ですね。こことは違います。もっと自然の中で、お前達、一部分はここの場所で生活して、すべて自分の間違いを

反省しなさいとミカエル大天使に言われました。   そのために彼らは、そのエデンの園から、自分の魂を修正し、考え方、行うこと

の修正の為に、他の場所に移したんですが、それから彼らは音信不通になり、天上界の世界と交信を断ってしまいました。

それから約二百年くらい過ぎたあと、我々はすべてまた天上の世界に帰りました。それが地球上の天上界の創世紀です。地球天上界の創

世紀です。

ですから今から三億六千数百年前です。地球上の天上界の創世紀です。

 ルシフェル・サタンのこと

そこで天上界に残っている天使の一人に、ルシフェルという男がおります。

これはガブリエルの系統の人です。

しかも、ミカエルから直接指導を受けた人です。天使です。

これを別のエデンの園から離れた一部分のグループ、それが相当人数が増えておりますので、その人達を修正させる為に、彼は地上界に

肉体を持ちました。それがサタンという名前です。サタン、ルシフェルという天上界の光の天使です。それがエデンの園から離れたグル

ープの中で生活しているうちに、彼も、物に溺れ、情欲に溺れ、自ら天使の道を閉ざしてしまい、彼は地獄界に落ちてしまったのです。

その結果、いま我々が住んでいる所の地球上は、天上の世界を頂点とし、宇宙界を頂点とし、そしていつのまにか、こちらの世界に逆三

角形のピラミッドが出きあがってしまいました。

こちらの世界が地獄界です。逆三角形の世界が出来上がりました。この世界は自らそこに住む人々の心の不調和により、神の光を遮って

しまいました。

これは地球上です。地上界、現象の世界。そしてその頂点にいるのがサタンです。

こちらの頂点にいるのは神です。そして正法というものが伝わっていくに従って、地獄の低辺から悟らせるためには、地上界を緑として

地獄に堕ちているために、地球上の人の心が調和されていかなければ、地獄は救われません。

自分の肉体先祖が地獄に堕ちている場合は、家庭の家族がみんな心を一つにして、正法の生活をすることによって、信の薄い人達は、生

きている自分の子孫の姿を見て悟ります。そしてやがて天上界に、自分自身の幽界という所へ行きます。

さらにまた地獄の連中は、その下の連中が、こちらの上の仲間達が、いつの間にかいなくなっていく姿を見て、これはおかしいぞ、俺達

の考え方、違うのじゃないかということから、やがてこの連中も天上界へ帰ります。そしてさらにその下の方の連中も、どうも最近、上

の方に誰もいなくなっちゃったぞといって、この連中も見て、ああ、これはあかんぞ、俺達はおかしいじゃないかと、また天上界へ上が

ります。

こういきまして、やがて地球上の調和がとれますのを見ますと、地獄はなくなってしまいます。ルシフェル・サタンはやがて救われま

す。彼は偉大なる能力を持ち、知恵を持ち、それだけの力を持った光の天使だったのです。しかし彼は今、既に人間とは違った肉体を持

っております。彼の体は動物も動物、想像もつかないような姿になっております。ルシフェルも私の所へ、たびたび姿を見せます。

しかしやがて、彼も救われる時がまいります。それには地球上自身が、そのように正法というものによって、その人々の真の生きる道を

悟らない限りは、道は開かれてはいきません。

そうして我々の世界というのは、皆さんが自分の肉体というものを見て、その肉体はあくまでも光の部分であり、光の最も粗悪な集団固

体化されたもので、本来は進化する過程のものにしか過ぎないのです。皆さん自身の魂は、すべて光です。しかし肉体の舟に乗って、こ

の現象界に出てしまいますと、どんなに出しても十%しか表面に出ておりません。

そして皆さんの九十%は、みんな天上の世界に意識はコンタクトされております。例え地獄で、何億年おろうとも、彼がその死を悟った

時、いつの日かまた天上界に戻って来ます。

 天上界の上段階の天使の年齢は

こうしてサリエルも、ガブリエルも、ミカエルも、ウリエルも、或いはまたラファエルも、パヌエルも、殆んどこれらは、魂の兄弟は男

三人・女三人のグループであります。

そして地球上に出てきた時は、一挙に、皆さんは擦りガラス、この透明のガラスを六枚を合わしたってガラスの方は前と同じです。合わ

しても全く同じ。

縦にしても、横にしても、光の量は変わらないのと同じように、魂が浄化された六人の兄弟達は、一つになることもできます。

その為に天上の世界においては、この人達はみんな若いです。二十七〜二十八才から二十五〜二十六才です。ミカエルが三十才くらいで

す。

そして顔は非常に男ともつかない、女ともつかない、非常にみんな優しい顔をしております。ですから若いからと思ってバカにしたら、

とんでもない力を持っております。私が現実に何回も天上界で打合せをしておるんですが、一番年寄りです。ショック起こしちゃいます

ね、

こっちは若いつもりでおるのに。そしたら最近、頭を刈ったら、

「主は幾らか年がお若く見えます」、

なんて冷かされる。

で、こういうようにして、真の直系というのが、こういう魂の仕組みになって、勿論この下には、水や、火や、空気や、植物や、その担

当は全部あります。

共産圏、特にソ連は

そして共産国は特にソビエトは非常に人間の心が粗悪になっております。物凄い武力を、今、彼らは大衆を犠牲にしてやっている為に、

食糧問題はどんどん窮屈になっていきます。

そして現に餓死者が相当出ている為に、一昨日の晩は、この問題について討議をし、雨は降らないんです。そしてこれ以上やると、もっ

と善意な人まで犠牲が出るということで、少し食糧を、まあ獲れるようにしようじゃないかという事でやっております。それから今、海

流を変えつつあります。北極の方で魚、獲ろうとしても段々獲れなくなります。そのようにして、今は準備体制を整えている最中です。

ですから本当に皆さんが、自分の心を奇麗にして、えー、天上界はそれぞれ器があります。人それぞれによって、永い転生輪廻の中の器

がありますから、器を大きく見せるじゃなくて、自分の器なりに一杯愛の水を満たすことが大事です。

自分の心の中に、今の自分の心は一番大事なものですから、それ故に自分の器を大きくするよりか、今の器を大事にすることです。

物理学の新しい法則に、今すでに、現在・未来、過去・現在・未来は一点なり、一つの点にしか過ぎないということを皆さんは知ってい

るでしょう。過去・現在・未来は、本来はありません。

時間と空間は不確定

今の皆さんの集約された今の姿が、過去・現在・未来を全て集約しております。皆さんの心の中をオープンすれば、何億年も先のことを

みんな記録されております。今即座に思い出すことも出来ます。ですから我々の時間と空間は不確定です。物理学になりますけれども

ね。時間と空間は、人間が生活の一つの車輪として作り出したに過ぎません。

時間と空間は不確定である。不確定原理ですね。ですから過去・現在・未来が1点である以上、時間と空間は人間自身の作り出したもの

であって、こんなものは当てになりません。ですから皆さんの魂は、年をとらないという事を知ってほしいです。

魂は年をとらない

肉体は年をとります。形あるものは全て無常です。肉体の船頭さんである魂は年はとりません。我々はその舟の、最も不安定な、目や、

耳や、鼻や、口の五感・煩悩に翻弄されて、いつも奢っております。ところが真の肉体を支配しているところの皆さんの魂は、偉大なる

もの です。それを自覚した時に、今、私の言っていることが解ります。過去・現在・未来は一点です。

エルランティはヤハベ、バフラマン(梵天)、エホバ、アラー

我々がかって今から三千五百有余年前、モーセをエジプトの地からシナイ半島を通しカナンの地に導いたのは、エルランティー、ヤハベ

です。ヤハベ。汝、近隣を愛せよ。汝をエジプトの地より神の地に導きしはヤハベなり。宇宙すべて、土から天から水に至るまで、一切

の偶像を祀り祈るなかれ。我れヤハベの法を信じよ。このヤハベはエルランティーです。カンターレ、ゴーダマ・ブッタがインドの地に

生まれた時に、バフラマンとして、梵天として彼の前に立った事もあります。或はまたアガシャー、イエスキリストの時にも、エホバと

してその前に姿を現わしました、エホバ。更にまたマホメットが道を説く時に、ガブリエルが指導霊とし、その当時は、エルランティー

はアラーといいました。このアラーが、アラーとして人々に道を説いた当時は、光の玉になって、色々人々の前に立って声を出しました。

そしてその当時、マホメットの当時は、中国に芳玉林ほうぎょくりん”という女性が出ております。芳玉林は後に宝珠を戴きます。天上

の世界に帰って、宝珠というものを戴きます。

宝珠(ほうじゅ)、これを宝珠輪といいます。

そしていつ何の時でも、意のままになるという所から、この方は如意、このりん(輪)をとりまして如意輪、如意輪観音とも呼ばれた方

です。

丁度、六世紀の時代です。それはミカエルの分身です。その為にミカエルはマホメットの指導は出来ませんでした。その為にガブリエル

が主として、その方の指導をしました。

或はまた、過去に於いてモーゼの教えが化石化するに従って、エチゼン、(越前、エリヤ?)とか、或はまた多くの天使達、ガブリエル

の系統の天使をこの地上界に送り、今、私が書いている“甦った聖書の原点”というのを書いておりますが、それは当時の模様を今、書

いております。そして色々な事実というものが、浮き彫りにされてまいりました。

で、カンターレであるゴーダマ・ブッタは、霊的な力はあまり出させなかったのです。彼には神理を説かしたのです。人間としての生き

る方法、勿論、イエスキリストも同じです。一番力を出して、現象を出したのはモーセです。

エリヤのこと

それから、今から二千八百七十三年前は、エリヤという人を出しました。イスラエルの東北部の寒村に農夫の子供としてエリヤを送りま

した。これは全てヤハベが送ったのです。そしてモーセの教えが、いつの日か化石化され、バールの神というものを主体として拝むよう

になった為に、多くの人々は犠牲者が出てまいりました。

汝、偶像を祀って祈るなかれ。その真実のものは失われ、いつの間にか間違った教えに変わっていった為に、エリヤを出して修正を、宗

教改革をやらせます。これは今から二千八百七十三年前です。

マーチン・ルッター、カルビンのこと

またイエスキリストの神理が中世以降において問題が起こり始め、そのためにマーチン・ルッテルを出しました。フランスにカルビンを

出しました。カルビンはガブリエルです。マーチン・ルッターはミカエルの魂の系列です。

こうして直系の光の、力の直系は、殆んど神理を地上界の人間が間違えを犯していく時に、その修正の為に出ていくのです。

そうしてゴーダマ・ブッタにしても、モーセにしても、アガシャーにしても、地球上に於いて既に数回の大きな天変地変を経験しており

ます。そして今、我々は、地球上に最終ユートピアを築くために、私達は肉体を持っている。

特に日本人として生まれてきているところの多くの人々は、天上の世界から選ばれた民であるということを知らなくてはいけません。ア

ガシャーのことイエスキリストの時代、イスラエルの地に生まれた光の天使達が、また皆さんが日本人として同じ魂が今、生まれている

んだということを知って下さい。

日本の一部の教祖は地獄界

私の出る前に、多くの光の天使達が日本に生まれました。

彼らは殆んど教祖になって、この世を去りました。そして一部分の人は地獄に堕つちゃっております。そして真の道を説いた人はおりま

せん。

そして今、我々はキリスト教、仏教、ユダヤ教、回教、この四つのものを一つの真実のものに返すヤハベの教えに、真のエルランティー

の教えに返す為に肉体を持っております。そしてあと五年後は、相当大きな現象が現れていきます。十年後には多くの人々が正法に目覚

めてまいります。

光が一番多く出ている日本

現在、地球上を見ると、日本から出ている光が一番多く出ております。その次はアメリカです。それから西ドイツが多く出ております。

イタリーも一部分出ております。ギリシアも出ております。

アルバニヤ、中華人民共和国、ソビエト、北朝鮮、これは殆んど出ておりません。その為に彼らの国は、食糧は不足して、どんどん不足

してゆきます。そしてお金はありません。自由諸国のお金を引っ掛けようとしております。そのうちに皆さん、新聞で知るでしょう。そ

して彼らはやがて自滅してゆきます。

中華人民共和国は毛沢東(18931976)がこの世を去った時、一年以内に混乱を引き起こします。そのときソビエトからの武力介入があ

ります。

アシュラはアシュラ同志で闘います。

毛沢東、周恩来のこと

しかし毛沢東は心は奇麗です。周恩来(18981976)も心は奇麗です。私欲はありません。人民の為を思ってやった人達です。彼らは一

旦、地獄へ堕ちますが、天上界へ帰ります。

そうして今、地球上で最も占拠されている、サタンの占拠されている分野はソビエトです。過日、ミカエルの報告によれば、ソビエト連

邦には強力な原子爆弾、水素爆弾の設備があるようです。

いかなる爆弾も不発に終わる

そして一発で地球が吹っ飛ぶだけの力を持っているもの、幾つも世界中に、彼らの領地に据けているそうです。しかし心配する必要はあ

りません。彼らはそれに対して引金を引けないように、みんななってしまいます。仮に今それも天上界の神界(付記、如来界、菩薩界、

神界というように、神が人間に求める心の段階という意味の神界)で研究しております。やがてそういうものが未然に発覚されて、例え

それをコントロールしようとしても、出来なくなるものが発明されます。ですから心配はいりません。

アメリカは心がありますが、物に溺れている人達が非常に多い国です。その為に我々の神理がアメリカに大きく広がっていた時、彼らは

もっと本当の文明が発達していきます。日本も同じです。

日本はあと二百年間文明は栄えます。そして今の文明は虚飾の文明であって、真のものではないということです。心というものを知り、

人間性の価値に芽生えた時に真実の文明は発達してゆきます。そしてあと二十年ぐらいの間に、神理を知る人達が多く日本に集まってき

ます。そしてやがて人類は、闘争と破壊の愚かさを知っていきます。

エルランティである高橋先生は、アラー、ヤハベとして調和させる

そして私達はやがて中近東に行き、大きな奇跡を現し始めます。その結果、彼ら自身は真の神の実態を悟るでしょう。それはもっと先に

なります。その時は、回教徒はアラーを眼の前で見てしまいます。その為に問答無用です。その時すべて彼らは調和されていきます。そ

してキリスト教も回教も、根本はヤハベの教えであったという事に気が付くのです。そして宗教戦争は無くなっていきます。

そして今からアメリカ、イギリスに既に天使達が出ております。彼らが気が付けば名乗り上げます。イエスキリストの、即ちアガシャー

系の偉大な魂達です。四大天使の直轄の部下達です。菩薩です。これはやがて気が付きます。今アメリカのフロリダにも出ております。

フロリダに出ているのは、イエスキリストの当時の十二使徒の一人です。それからマタイがイギリスに出ております。彼もやがて気が付

きます。まだ年が若いです。

聖徳太子、三代将軍家光は七大天使の一人

そしてパヌエルは日本に生まれたことがあります。聖徳太子(574622)として生まれました。ラグエルも日本に生まれました。三代将

軍家光です。彼は徳川家康の間違った政策を根本的に改良する為に出ました。大天使達は故意的に日本にも生まれております。ですから

日本語も結構うまいです。候文ですけれど。

まあこのように、真の直系、太陽系の真の直系は、このようになっております。ですから、光の量の区域なりと、「心行」にあります

ね。ここから出ているんです。心の広さは光の量の区域なりというのは、ここから出ている訳です。このスリットというのも、三段にな

っていて天上界にあります。

これが霊子線ですから、ですから地球上一人一人のものの考えていること、心は天上界に全部通じております。だから、ごまかしようが

ありません。

こうしてその地球上に出てくると。みんな盲になるから面白いです。それで盲になったのを、もう一回、盲から取り戻す為には、こうや

って自分の心の中の真実を裸にすると、虚栄心、こんなものナンセンスです。人間の心は偉大なるものです。我々は物にとらわれ、情欲

にとらわれ、そして自分自身を苦しめております。愚かしいことです。

いかにお金があろうとも、お金は人生を生きる為の、ただの手段にしか過ぎません。無ければ困ります。しかしそのものの奴隷になって

はいけません。それを利用することです。ですから利用しても、利用されてはいけない。

現在の社会は、利用されているのです。ですから物は利用するものです。それも全て、より豊かな魂をつくり、調和された環境をつくる

一つの手段にしか過ぎないということを知らなくてはいけません。

死の一例

ですから物に溺れてはいけない。皆さんの永遠不滅のものは、皆さんの魂、心だ、思っていることだ。思っていること行っていること、

これが全ての基準だということです。

GLAのある方が、こないだこの世を去りました。私は全く知りませんでした。普通は守護霊が気にして、大体の人なら予告があるんで

すが、この世を去るに当たって、なぜ去ったか、予定を縮めることは恐ろしいことです。労働組合の突き上げ、今まで腕章をあげなかっ

たのに、ここまで腕章巻いて、労働組合でストライキを始めようとして、社長を吊しあげます。それが一つ。

それから家庭、奥さんや子供さん達がGLAなんて行っているお父さん、その為に私達は結婚できない。その為に、お父さんがあんなこ

とやっているから、私は良いところへ嫁に行けないというこの二つの問題をお荷物にして、そのまま死んでしまう。

私は直ぐに天上界へ行きまして、そしてアガシャー、イエスキリストにお願いしました。彼は無意識界におりました、一晩。そして魂を

揺すりました。目覚めます。

「私は死にたくないんです」

と言っていました。ところが真実の自分の姿を死体を見たときに、

「もう帰れないんでしょうか。」

「帰れないよ。」

「私は何でこんなことになったんでしょうか。」

「あなたは自分で良くしたが、労働組合のことなんです。もう肩荷を下ろしていいでしょう」、

と捨てちゃったら心が奇麗になっちゃいました。家族の人だけは心配です。家族も犠牲者なんです。見せしめです。

使命のある正法者に立ちはだかることは許されない

そうなりまして、結局、正法の前にはばかれば、例え家族であっても犠牲を出させられます。それは仕方がありません。彼らが気がつく

か、つかないかは知りません。

で、本人は、私はやっと肩荷が下りました。天上界におります。今。それも幽界の丁度、研修道場です。

自分の、こうやって反省日記を書いています。いいことです。今やがて神界に帰ると思います。泣いておりました。彼はイエス様を初め

て見たんです。地球上じゃ話し合っていたけれども、見てない訳です。

私は非常に疑い深いといいましょうか、一人では判断しません。自分で見たそっくりのものを、そのままやっていて、また別の人に、ち

ょっとあの人、行って見てこい。その報告が三人同じでなければ信じません。

三人共、全部同じでした。つい自分が科学者なんだもんですから、科学的に結果を出さないと、私自身が信じないもんですから、自分で

出した結論だけで判断をしません。

何人かの人達、地上界のその人達に同じ問題を投げかけて全部レポート出して、そのレポートが三人共、同じなら信じざるを得ないはず

です。

だから飛躍しているように皆さん、思いますけれども、これは真実です。皆さんはともかく、疑ってはいけません。本当のことです真実

です。

そしてまず一番大事なことは、これはただ仕組みであって、皆さん自身の内なる魂を、自分自身以外に修正する道はないということを知

らなきゃいけません。我々はそれのヘルパーにしか過ぎません。

そして自分の心の中の歪みを、勇気をもって直したときに、道は開かれるんです。ユートピアの「エデンの園」の時代は、肉体を持って

いながら、天上の世界に自由に行けたんです。

しかし皆さんが、その努力の次第によっては、そこまで行きます。自然と行きます。そして自分が見てきます。自分の肉親を見てこれま

す。

そうしてやる為には、自分の心の中の歪みを直すことです。それには勇気が必要です。智慧が必要です。妥協はいけません。間違ってい

ることは捨てることです。人間ですから間違いを犯します。この中の皆さんをサーッと見ても、色々毒を食べています。それぞれ一杯あ

ります。だからそんなこと愚かしいことです。

観自在者(アボロキティ・シュバラー)の証明

「光が出ていますよ、あなた。ですから本当の裸になりなさいね。だがあなたは独りよがりのところがあるから、気をつけなければいけ

ないよ。分かりますね。あなたは、かっては天使として相当やられた方ですから。あのそういうことは、いいことがあるから、あの、オ

ープン・ザ・ハート(open the heart)にして、心を奇麗にしなければなりませんね。もうちょっとですからね。」

それから、

「隣の方も同じように、若い娘なんですが、大分、ずっと詰まっています。気をつけて下さい。」

それから、

「次の方は判事だったからね、自分がこうだといったら、もう人のいうことを聞かないでやったタイプ。そうでも相当に心が奇麗で後光

が良く出ています。毛がないからですね。」

ですから、

「お隣の方は、ちょっと精神的に弱い面があります。若い頃から、家庭環境、非常にその面であなたは色々問題を起こしてきている。そ

の為に自分自身でも、どうにもならんこと一杯あります。そして今からどうやって生きていくか、死を考えたこともあります。いけませ

ん。あなたは勇気をもって自分を活かしなさい。神から与えられた慈悲を忘れてはいけません。あなたはそれだけの使命があるんです。

その為、若い頃から親を恨む、使命も恨む、自分と自己いうものばかり主張し、それを直すことが大事です。解りますね。」

まあこうして、自分一人一人の心をしっかり見詰めて、やっていくことですね。そうしてゆけば道は開かれていきます。一番大事なことは、自分自身の欠点、自分が一番良く知ってるんです。そしてその膿みを切り捨てることです。その為に道は開かれていきます。勇気をもって取り組む、自分自身の心に真実に忠実であることです。そうすれば自分の心の歪みは除いてゆけます。

法雨のこと

そして今、皆さんが流している涙は、その広い自分の心の歪みを取ってゆき、垢を流しているんです。これを法雨といいます。法の雨と

いいます。

ですから自分の心の中に素直に、肌が出るまで。この世を去ったときに自からを裁く者は、神ではなく己自身の善我なる自分だというこ

とです。

実は。本来は、地獄も、天上界もないのです。生きている人間がこの地上界で作り出してしまったということです実は。

ですから自分自身の心の歪みを皆さんが一人一人払っていったときに、これは大変な革命です。今まで心の中を色々と観る人達はいるけ

れども、それを真に理解できた人は、日本、世界には誰もおりませんGLAだけです。

それだけに自分の心の中をしっかり見詰める。そして我々は一人でもいいから、自己を完成する人が一日も早く出ることです。そうすれ

ば周辺はおのずから開かれていくのです。

そして間違いは間違いとして、あやまちに、はばかりはいけません。あやまり、人間なるが故にあやまちを犯すんです。

そのあやまちも自分自身の魂を知る為の学習であるということを知らなければいけません。その学習を無駄にしてはいけない。そして間

違っているところは、自分で勇気をもって取り払い、どのようなことがあろうとも、自分の心が惑わされない自分であること。そして正

しい心の柱を自分が持って、いかにこのような耳であろうとも、こんな耳は大したことありません。この眼でいかに見えたところで大し

たことありません。

皆さんは心の耳を持ち、心の眼を持ち、そして全て生活の中から、法を中心にして生活することが大事です。そのときに初めて真実を知

ることが出来ます。商売をやっている人達もおりますが、皆さんは仕事を根底として正法を活かしておれば、商売は当然繁盛します。そ

れが正法です。私のドル箱こそ、自分の魂をつくるための修行の場であるということを知らなくてはなりません。

今この場所はあくまでも自分自身を完成させるための、一つの、より調和させる方法の場所です。ですから一秒一秒の心と行いの在り方

が、その人の最終的な姿になって行くことを知って欲しいのです。恥ずかしくありません。いつの日かオープン( open にしなきゃな

らんのです。間違ったこともあるでしょう。それにこだわってはいけない。大事なことは、なぜ、どうして間違ったのかというその原因

を追求することです。その根を取ることです。その根を取ったら、同じ間違いを犯さないことです。

ですから、原因を追求することです。そうするとそこから、なぜ、どうして出てきた。

ですからもっと簡単に言えば、今でも死んでも悔いが無い人です。死はいつでも訪れて来ます。今死んでも誤りがない、わしはやるだけ

やってきた、どうも皆さん、長い間ご苦労さんでした。私はお先に失礼しますという位いの心の修正が大事です。

それには大変ですね。ですから、こないだ亡くなった方みたいに、ポックリ死んだもんですから、私はどうしたんでしょうかという事に

なるんです。いい加減に言ってるのではありません真実です。

しかし死は恐ろしいものではありません。皆さんは新しい肉体の乗り換えにしか過ぎません。死は人生の卒業式です。天上の世界へ行く

ための準備を、我々は今しているのです。

時間というものは有限です。物質の世界は移り変わります。皆さんの魂の世界は厳然として、永遠不滅であり変わりません。

ですから今の肉に囚われることなく、自分自身をしっかり見詰めてみて下さい。そして自分に勇気をもって自分自身の欠点、いい所を探

し出してみて下さい。ここはいいとこだ。これはわしの悪いところだ。

今やっていて、悪いところばかりやったら、みんな屑だと思っちゃうから、いいところもあるけれど、そして悪いところも。いいところ

も、いいところはどんどん伸ばして、そしてそのいいところは、より自分の魂を豊かにしていく為の … 。

 

以上は、一九七六(昭和五十一)年五月十三日東京小金井GLA道場での講演筆録である。

 

 

  「幻の高橋信次先生の遺稿」

浄き者たちへの贈物

自然を讃える

冷たい北風もやみ、チュウリップの若芽が、やわらかい黒土の中から顔をのぞかせていた。

この大自然は、人間に生きる喜びを与えてくれる。

ついこの間までは、土の中で寒さに耐えていた球根も、土壌の中の栄養を吸収し、自然の暖かい陽ざしの恵みにふれると、自力で土壌を

割り、顔を出し、生長を続ける。

そして、ある時には厳しい暴風雨にさらされ、また、ある時にはかんかん照りつける太陽に当たり、その中でも愚痴も何一ついうことな

く、暑いといって怒ることなく、常に足ることを知り、美しく自然を飾ってくれる。

球根も草木の種子も秋を迎え、土壌の中で寒い冬に耐えて春を待っている。

このようにして、どんな小さな生物でも、生命を持ってこの地上界で輪廻を繰返して休むことがない。

そし大自然は調和されて存在している。

  私の軌跡

私は一九六八年(昭和四十三年)に、大きな霊的現象により、人間としての生きる道を知り、爾来八年、著作(『心の発見』神理篇、科

学篇、現象篇)をはじめとして多くの著書を世に問い、同時に全国各地に講演を続けてきた。

そして、ある時には再起不能といわれた重病人に奇跡を起こし、その数は数えきれない。

勿論、無所得、無報酬といってもよい活動であった。

すでに海を渡り、中華民国、アメリカ、ブラジルにて正法の種は世界に広がりつつある。

天より与えられた生活の場を守る仕事は、コンピューターの周辺機器の受注量が安定しているために、生活はうるおっている。

  神の子の道、愛の行為と奉仕

宗教を種に大殿堂や大神殿をつくるために、信者から浄財として不浄な金を集め、教祖やその取巻きが優雅な生活にふけるなど、偽善的

行為は神理、真理、真実を知っている者としてできるものではない。

あまりにも不平等な経済社会の中において、厳しい底辺の生活をしている人々のことを思えば、正法者として当然の道だからである。

神の心の表現である太陽は、いかに熱・光のエネルギーをこの万生万物に与えていても、まったく無所得であろう。

これこそ、真実の大慈悲であるからだ。

この大慈悲に対して、人は愛という行為で奉仕しなければならない。

それが、神の子としての道なのである。

無所得のまま育ててくれた親の愛、人は誰も愛の偉大さを知っている。

この愛に対して、親孝行という報恩の行為がなかったなら、こどもとしての道を誤ることになろう。

親子の深い緑生の絆を知ったなら、いたずらに親不孝はできないだろう。

 西伊豆の旅、長女佳子と

私は、人の生きる道を思索しながら、八年ぶりに西伊豆海岸へ静養に訪れた。

土岐の海岸線を、高速道路から見る景色は新緑の山々も調和して、山水の美をいやが上にも盛り上げ、私たちの眼と心をなごませてくれ

た。

同行した長女佳子は、

「パパ、静かな海ね。

そして、すばらしい景色。

あたしの心もこのように広く、豊かで、この大自然を包むような、慈

愛に富んでいたなら、もっともっとすばらしいのにねー」

といって、彼女はためいきをついた。

もう大学二年生である。

二人で旅行したのは初めてであり、私の体を心配してついてきたのである。

同時に父親から何かを学び、自己を確立しようとする気持ちがあった。

「佳子、お前も大分大人になったね。

ものの見方、ものの考え方、判断のしかたが正しいよ。

この大自然の摂理に整然としている。

この景色は、自然のままだ。

本来、人間の歩むべき道も、諸法無我≠ニいって自然の法則には、人間の偽我即ち知や意が入らないもので、人間の知識と偽我で、仏

教は哲学化されて、一般の人々には理解しにくいものになり、プロの僧侶ですら理解できないほど、むずかしくなってしまった。

インドのゴーダマ・ブッダの時代に今のような、むずかしい経典により、無学文盲の衆生を救済できたろうか。

やはり、このように自然に適して、理解しやすく方便をつかって、生きる道を説いている。

法というものには、時代が新しい旧いとかいうことはなく、ガンガーの流れは今も昔もヒマラヤに源を発して、ベンガル湾にそそいでいるのさ。

ヨルダン川の流れも、イエスの時代も今と流れは少しも変わっていない。

人間は、それぞれの生活体験の中から、自分の心を豊かにして、自己を確立してゆく者と、逆に堕落への道を歩む者、また、全く無関心

のまま無意味に人生を過ごす人々とがあるんだよ。

人間の生まれてきた目的や使命、真実の価値観を知らないまま、物質経済の限りない欲望の奴隷になったり、情欲のとりことなり、一

生、足ることを忘れ去って苦しみ、不足のまま、大きな執着という苦悩のお荷物を持って、生きながら地獄の生活を続けて、この世を去

る者たちもいるのだ。」

彼女はうなずいて、聞いていた。

車は予定の宿についた。

都会の雑踏の中で生活している私たち親子にとっては、おいしい空気と美しい自然は、何よりの贈物であった。

浜辺に寄せるさざ波の音が、自然が奏でる音楽のように、私たちの心を洗ってくれた。

  翼のある天使の出現

その晩のこと、私の坐っている机の前に、美しい銀色の翼のある天使が、黄金の光を出して立っている。

前もたびたび姿を見せていたが、今日の服装は白絹の長い衣装で、古代人の描く宗教画で見る大天使のそれであった。

金髪で顔立ちはやや細面で、年の頃は三十代の青年の姿である。

私たちの部屋が、また一段と明るくなった。

「パパ。

今、ここに立っておられる翼のある天使を、私もたびたび、家で見ているのよ。

一体、どなたなのかしら」

「そうだね。

私たちに関係のある、天上界からの使いで来ているのでしょう。

そのうち、わかるようになるでしょう。

ギリシャ時代に出られた、アポロによく似ておられるが、イエス・キリスト様たちに関係された天使じゃないかな」

天使は私たち親子の顔をじっと見ていた。

私たちの心の準備ができていないのだろう、私はそう思った。

 

ちょうど二年前のこと、彼女の夢枕にアポロがたびたび出てきて、アポロ時代の出来事をおしえておられ、また、ある時には禅定中に三

千数百年前のアポロの神殿に案内された霊的体験をしているために、いま起こって現象を見ても、彼女は冷静であった。

また、天使の体や心から伝わってくる波動が、非常に精妙であり、柔らかい黄金色の光は、私たちの肌になんともいえない安らぎの暖か

さを伝えてくれた。

これと逆に、サタンや仏教でいう悪魔のような悪霊が近づいてくれば、ちょうど静かな池に小石を投げ込んだ時と同じように、波紋は周

囲に広がってゆく。

これと同じように、不調和な波動によって周囲の雰囲気は崩され、心の中がざわめき、他人を中傷したくなり、怨みの心が生じ、嫉み、

そして、怒り、情欲にかられ、物欲にかられ、段々と自分を失ってしまって、さらに肩が張り、体は硬直して寒くなってくる。

愛のない人々の心の隙に入り込んでくるために、正法を悟って生活に生かしている人々にとっては、即座に見分けることができるはず

だ。

  光の天使とサタン、悪霊

しかし彼らは心の隙きに巧妙に入ってくるだけに、入られている本人も気がつかないのである。

人と人との間を中違いさせる巧妙な力を持っていることを知らなくてはならないだろう。

悪霊でも、仏教やキリスト教の真理らしいことを、誠しやかに人の口を通して語ることがあるから、一般の人々は騙されてしまう場合が

多い。

  如来、菩薩出現の条件

如来とか菩薩と呼ばれる大天使が人間の口を通し出てきたとしたならば、その人間の人格が悟られた方であるかということを知ること

が、最も大事である。

悟ってもいない人間に、如来や菩薩が肉体を支配して出てくることは絶対にないということを知らなくてはならないだろう。

並四球のラジオに、遠距離の短波を受信する能力はない。

また、小さな器に、大きな器の水を入れることはできないように、心の世界も同じだということだ。

霊の世界を、自由に見れて、聞こえて話せなかったならば、軽々しくあつかったり、鵜呑みにすることは危険である。

このようにいう理由は、あまりにも今は悪霊が多いからである。

  光の天使

光の天使たちは、盲目のままで人生を送っている人間に対して、慈愛を持って守り、人間としての正しい生き方を教えるものである。

不可能な約束は絶対にしないだろう。

あたかも両親が愛する我が子に接するように、我が子が幸福な人生を送ることを願うように、

願うことが彼らの希望であるということだ。

  動物霊、悪霊

動物霊や悪霊たちは、自己主張が強く、威張り、いうことがころころ変わってゆく。

約束を、いとも簡単に破ってしまう。

各宗教の教祖に多いタイプである。

そして強欲である。全く足ることを忘れ去り、自我我欲を欲しいままにし、疑い深い性格を持っていよう。

このような指導者に気をつけることだ。

もっともらしいことをいうが、都合が悪ければ、いつでも言葉巧みにいい逃れをするであろう。

このように、次元の異なった世界は複雑で、この世界から見れば不可思議に見える世界だ。

否、私たちの五官そのものが不確実なのであるといえよう。

悪霊から、自分を守るためには、、常に正道を歩み、愛の心で自らを防護する以外にはないということだ。

 

私は、休養しながら、人間として正しい生き方について思索し、父娘の対話の中で、自然のうちに、彼女の心の中に神理が浸透し、彼女

の心の中が、浄化されてゆくのを見た。

そして、訪れてくる天使たちの姿も多くなっていった。

天使たちは、私たちの心の準備ができるのを待っているのであった。

それから二週間が過ぎた。

 

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紀州白浜の研修会

  研修会に臨んで

一九七六年三月二十一日のこと。

紀州白浜海岸において、関西地区の一般研修会が、三楽荘で二泊三日行われた。

昨夜は大阪の都ホテルで、大阪黒田知事と夕食をともにし、私の著書の読者の一人として対談した。

同宿した東京の講師団とともに研修会場三楽荘に向かった。

七百人の研修生は、各班に分かれ、先発した講師の指示に従っていた。

紀州南海の夕陽は、海を赤く染め、私たちを迎えてくれた。

宿舎には、婦人部から二名の方が、私の部屋当番として、私と娘の世話をして下さっている。

親切にして下さる二名の奉仕者に、心の中で感謝をいった。

娘の体からは、美しい金色の光が出て大きく体を包んでいる。

彼女の心も、丸く大きく豊かになっている。

私は、うれしかった。

学期休みの期間に、何とか心の歪み正そうと思い、長所や欠点について語り合った。

正しい法のあり方、生活の仕方、ものの考え方について、彼女は理解したことを実証している。

あの美しい後光が、丸い心の姿がそれを示している。

あの丸い太陽と同じように、私たちの心も丸く大きく豊かでなくてはいけないのである。

しかし、多くの人々は、心には形などはないものと思って、自分勝手なことをかんがえたり、行ったりするとということは、心に歪みを

つくり出してしまうということに気がつかないのである。

歪みが大きければ大きいほど、心の中にスモッグをつくり、苦悩を背負うのだということを忘れてはならないのである。

  心の構造

この心の中に、感情の領域、本能の領域、智性の領域、理性の領域、中心には神と同通する想念の領域、と大別されて存在しているので

ある。

感情的になると、感情の領域は大きくふくらみ、理性の領域は逆にちぢんでしまう。

これで果たして正しく判断ができるだろうか。

 

本能の領域と、感情の領域がふくらんでしまうと、智性と理性の領域がちぢんで、丸い心は、ハート型になってしまう。

ハート型になってしまうため、正しく判断できなくなってしまうのだといえよう。

恋愛中の恋人同士のように、あばたも笑くぼに見えてしまうのも、心の歪みがつくり出す現象といえよう。

このような、ハート型の心になっていると、体からピンクの光が出ている。

感情的な人々が怒っている時などは、赤い炎のような光が体から出ている。気をつけないと肉体的にも不調和になってしまうということ

を知らなくてはならないだろ。

私の部屋には、多くのひかりの天使の姿が黄金色のやわらかい光を出して見えている。

特に過日からたびたび、私の前に姿を現わしている翼のある天使は、長女の側に立っていた。

今日あたりは何かありそうである。そう私は予感がした。

彼女は自らの心をもう一度確認するかのように、心の歪みを修正している。

  天使、高級霊の出現

天使の光と彼女の体から出ている後光が一体となった時、彼女の顔形が天使のそれと二重写しのように変わっていった。

そして彼女の口を通し流調な古代ハム語が流れ出し、私の前にひれ伏してしまった。

彼女の背には、美し翼が見える。

まさしく男性。

言葉遣い、動作は長女ではなかった。

そして大粒の涙とともに、日本語で語り出すのであった。

  エル・ランティの自覚

主は目覚め給えり。

偉大なるエル・ランティ様。

我、ようやくにして、念願の eq \o(\s\up 9(もん),門)に到達せり。

我は主の eq \o(\s\up 9(しもべ),下僕)、ミカエルなり。

主よ、我を信じ給え。

主がかつて、地上界に肉体を持たれたる前のことなり。

主は我に告げり。

我やがて地上界に肉体を持たん。

地上界の一切は、そなたミカエルにまかせん。

既に法灯、消えて幾久し。厳しき地上界ゆえに多くの苦難あり。

我れ己が使命に目覚めしまで、我が魂をそなたに預けん。

もし目覚めぬときは、我が生命を召すべし。

我が魂を揺(ゆ)するべしと。重大なる責任を我に申され、一度は辞退せしことあり。

なぜならば、我の他、インマニエル・イエスあり、モーゼあり、ゴーダマ・ブッダありと。

主に申し上げれば、

汝、ミカエルよ、そなたは「力」の直系なり。汝は、この責任を果すべしと、主は力強く我に申されたり。我、その責任の一端を果たせ

り。無上の喜びなり。主の前途は、光明なりと。

 大声をあげて、また、涙であった。

   天上界の約束

 その瞬間であった。

私の心の中の扉は開かれて、ちょうど私が肉体を持って生まれてくる七十年前、天上界における対話の状景が眼前に展開されたのであっ

た。

私は、思い出した。

肉体舟に乗ってしまうと、人間とは誠に eq \o(\s\up 9(おろ),愚)かしいもの。

前世の約束事などすっかり忘れ、五官煩悩に翻弄されて、暗中模索自ら苦悩の道を歩んでしまうのが人間の常である。

人の歩むべき生きる正しい道がわからなくなってしまった末法の世においては、なおさらのことだといえよう。

特に、生まれた環境、教育、思想、習慣の中で、独りよがりな偽りの人生を送り、正しいものの考え方や行動の基準すら、わからぬまま

に、心の中は苦悩のスモッグに満ち溢れ、自らの人生を狂わせてしまいがちなものだ。

物質経済偏重の間違った思想は、闘争と破壊を呼び、社会生活を混乱に落とし込み、同志と呼び合っている仲間同士が、いつ裏切行為に

出るか、その信頼度は誠に不安定なものである。

なぜならば、相互の心の中に、闘争と破壊の不調和な原因か潜んでいる以上、不平不満はどのような現象によって起こってくるかわから

ないからだ。

これでは真実の信頼関係は成立しないだろう。

権力や無力、腕力で一時支配したかにみえても、人間の行動は束縛できても、心の中まで支配することはできないということを、このよ

うな間違った思想家たちには理解できないであろうが。

  現代宗教の間違い

また、間違っていう宗教は、心まで腐敗させてしまうものだ。

聖書の奴隷、仏典の奴隷、いかに知識があっても、行いが伴わなかったなら、「絵に描いた餅」にしかすぎないということである。

仏教の如きは、肉体先祖の供養にのみ走り、真実のゴーダマ・ブッダの教えとは程遠いものになってしまった。

  学校教育はこれでよいのか

学校教育は、知識の詰め込み教育で、人間性、情操の教育はおろか、人生の目的と使命すら、理解することはできなくなってしまった。

道徳は頽発し、利己主義、自己保守のエゴが堂々と罷り通っている世相である。

このような社会の中で、真実の人間として生きる価値を悟ることは、あたかも、広い砂漠の中で、小さなダイヤモンドを探し出すにも似

て、誠に至難な eq \o(\s\up 9(わざ),業)だといえよう。

  道を求める

このような厳しい環境の中で、私は、いかなる思想、いかなる宗教にも偏することなく、十歳の時から今日まで、自然科学を通して人間

の生きる道を探し求めてきた。

そして、その道は、片寄った考え方や行いは、すべて苦悩への道であり、心こそ不変的なものであり、物にとらわれることから自らを解

放し、慈悲、愛による調和された環境をつくる以外に幸福は得られないことを知ることができたのである。

  魂の告白

私は、偉大なる天使が、目の前で、慈愛に満ちた言葉で、涙を流して訴えている姿を見た時、心の中はふるえ、込み上げてくる感激の涙

を止めることはできなかった。

「ミカエルよ。

私は永い間、すっかり地上界の泥沼の中に溺れ、見るも無惨なものでした。

永い悪夢から、よく私の魂を揺さぶり覚ましてくれた。

盲目の人生に旅立った私の姿を、いつもはらはらしながら、さぞや心を痛めていたことであろう。

長い年月、誠に不甲斐ない私を、暖かく見守ってきて下さいました。

心から礼を申し上げます。」

私は、言葉にならなかった。

  ミカエルはいう

「主は、すでに八年前(一九六八年・昭和四十三年)に自覚せり。

我ら、今日の日を、一日千秋の思いでお待ちせり。

主は、すでにインド時代の、ゴーダマ・ブッダの説かれし法は説き終えたり。

主が天上界にいられし時に計画せし通りに遂行中。

主よ、安心せられ給え。

しかし、道は遥かなり。我ら主を信じ、主とともに歩まん。」

  主としていう

「ミカエルよ。

厳しい人生航路の修行も、薄氷を踏む思いで、ようやく法の道に辿りつくことができた。

もう安心しておくれ。

私の道は開かれた。

我は、法なり。

我は、道なり。

我は、光なり。

我が道を歩まん。

ミカエルよ、ありがとう。」

私は堰(せき)を切ったように泣き崩れてしまった。

ミカエルも泣いている。長女も泣いていた。

「主は悟られたり。厳しき人生航路の中で、よく耐え給えり。我ら、主を讃えん。」

 「ミカエルよ、ありがとう。これからも一所懸命にやって行くよ。」

   ガブリ・エルの意識の出現

 その時だった。

ミカエルの側に、もう一人の翼のある天使がこられ、

「私は、ガブリ・エル。主が、お気付きになられ、こんなうれしいことはありません。主のご苦労をよそに、天上界で生活することを、

もったいないと思っております。主よ、お許し下さい。」

「おお、ガブリ・エル。

そなたも、きてくれたのか。永い年月、悟らずに、心配をかけて申し訳なかった。」

ガブリ・エルも、感情を押さえ切ることなく、泣き伏してしまった。

「ガブリ・エルは、主が肉体をお持ちの時からお守りいたしてまいりました。わが師、ミカエル大天使長とともに、日本語を学び、主の

お役に立つ日をお待ちいたしていました。主は初めてこの地上界に肉体をお持ちになられましたため、地上界での経験がありません。

そのため、私たちは心配でした。すでに、今まで、三回近くも死を免れております。お体に気をつけて下さい。ミカエルも、私も、たび

たび、主の近くに姿をお見せいたしておりました。今日の日を、皆楽しみにしておりました、本当にうれしく思います。

インマニエル・イエス様がお生まになる時は、マリヤ様の許へ、受胎告知にミカエルとともに行きましたが、主のお生まれになられる時

も伺ったのでございますが、母君は子どもが多く、生活に追われ、感知することができられなかったようです。

主が九歳の頃、生死の境を幾度もさまよわれたのも、主に気づいていただくために魂を揺すったのです。まことに申し訳ありませんでし

た。苦しみを味あわせましたことましたことをお許し下さい。」

ガブリ・エルは、また、泣き出してしまった。

   天上界の神秘

「ガブリ・エルよ、

そのために、あの世の存在を知ったのです。

そのために、道を求めたのです。

ミカエルよ。

本当にありがとう。私の目を覚ましていただいて……。

十歳の時から今日まで、一日として神の世界を疑ったことがなかったのも、そなたたちの偉大なる影の協力があったからです。

心から礼をいいます。

間違った思想や宗教を正しくするため、今後も協力をして欲しい。

私は、そなたたちのくるのを一日千秋の思い出待っておりました。」

「我らの努力、足らざるにより、主に通ずること能わず。

我が罪を許し給え。」

「ミカエルよ、そなたのせいではない。

私の心の曇りがあまりにも多かったため、そなたたちの努力が eq \o(\s\up 9(みの),実)らなかっただけなんだ。

私の責任です。

今後は、より心と行うを浄化し、自己の確立に努力いたします。」

  七大天使の名はL(エル)

 かつて創世期の頃、ミカエルをはじめとして、七大天使は、エル・ランティー自らの名前の頭文字を与えられ、地上界での功績を讃え

られたのであった。

ミカ・エル、ガブリ・エル、ラファ・エル、ルシュ・エルなど、七大天使に与えられたエルとは、パワートロンのことであり、神の光の

力である。

  サタンのこと

しかし、ルシュ・エルは、その後地上界にサタンという名前で肉体を持った時、神の道を踏みはずし、地獄界に堕ち、自ら地獄の帝王に

なってしまった。

たとえ偉大なる魂であっても、この地上界に生まれてしまうとただの人間であり、肉の舟に乗ってしまうと盲目になってしまうのが常な

のである。

心の価値を忘れ去った時から、神の子としての道を放棄し、自ら苦難な道を歩むことになるのだといえよう。

  ミカエルは語る

私たちの感情も納まり、ミカエルは私に語った。

「主よ。

かつて今から三千百五十年くらい前、モーゼは貧しき奴隷の息子として生まれたり。

時のファラオは、サタンに心を売り、モーゼと同じ年齢の子供を殺すことを命ぜり。

モーゼの母は、葦舟に乗せて、我が子を逃せり。

我ら天使は、モーゼを守り、王女に拾われるまで確認し、その成長を見守りたることあり。

また、ゴーダマ・ブッダ、インドに生まれし時アシタバ・イシを遣わして、その使命を祝福せり。

悟られし後も、我ら天使はヴァフラマンとして協力せり。

さらに今から2千年くらい前なり、イスラエル・ヴェッレヘムに、インマニエル・イエス・キリストの成長を楽しみたり。

我ら、メシヤの親代わりなり。

あたかも我が子供の如く、我らメシヤの下僕として当然のことなり。

モーゼの教えが年を経て化石化するに従って、インマニエル・イエスの出る前に主は我を地上界に送れり。

我はエリヤという名前でイスラエルに生まれたり。

目的半ばにして、主の命により天国に帰れり。

さらにイエスの教えが化石化され十六世紀にはドイツにマルチン・ルーテル(付記1483‐1531)として生まれり。

ガブリ・エルは同時代にフランスにカルビン(付記1509‐1563)という名前として肉体を持てり。

エリヤもルーテルも我が魂の分身なり。

我ら天使はマホメットにも主の命により指導せり。

マホメットは、ガブリ・エルが指導霊となり、我れは、中国に生まれし、(ほうぎょくりん芳玉林)こと如意輪観音を

守護指導せり。

彼女は我が魂の分身」なり。

主よ、我ら健在なり。

どうぞ、ご安心なされ給え。

我らは日を選ばず、時を選ばず。

肉体を持ちし者の心の世界に通信し、主と一体となるべきため、その使命を果たすべく、あらゆる方法を取り、霊子線を揺さぶり使命を

知らしめることこそ、我らの使命なり。

主よ、信じて下さい。」

  主としていう

「ミカエルよ、

私は残された人生を、しっかりと、やってゆきます。

混乱した地上界の人々の心に、調和と安らぎの光を与えてやっておくれ。

盲目の人々の心に、神の光明を与えてやっておくれ。

私は、道を行じ、道を説いてゆく。

私を信じておくれ。

すでに数十万の人々が正法にふれている。

一日も早くイエスの原点に、ブッダの原点に還すよう、地上界の人々の心に光を送っておくれ。」

ミカ・エル、ルーテル、エリヤ、ガブリ・エル、カルビンの大天使たちが私の言葉を聞いていた。

今から八年前に起こった大きな霊的現象を振りだしにして、正法の道は開かれ、このたびの現象は、さらに私に、正法への自信を深める

とともに、聖書の疑問点が次々と解明される糸口になっていった。

  聖書の誤り

今世に生まれて、まったく宗教に縁のない男が、まったく別の角度から、仏教、キリスト教、ユダヤ教、回教の本質を説き明かしてゆく

のであるから不思議である。

これも物質的三次元的発想で考えれば不思議という言葉以外にはないからだ。何故ならば、学ばずして、読まずして、知識を得ることが

出来ないからであろう

しかし、心の中の曇りを除くことによって、三次元的ソース(知識)を必要としない場合もあるということを知らなくてはならない。

特に、聖書や仏典は、永い歴史の過程において、知識のみに溺れ、自己の行いを正すことなくして知識の遊戯に走り、さらに意である偽

我を加えてしまった。

 先人の書物の中には、原点よりはるかにかけ離れたものに変わってしまったと見ても誤りではあるまい。

我々が過去世で学び体験した真実の聖書や仏典には、このように先人の塵や埃によって汚されては、いけないのである。

この汚れない真実の原点を、自らの思念と行為を正法によって正すことによって甦らすことができるということだ。

  仏典の修正

仏教の「摩訶般若波羅蜜多心経」という題字があろう。

これはインドの古代語を中国の漢字に当て字しただけなのである。

「マハー・パーニヤ・パラ・ミッタ・ストラー」

直訳すると、「内在された偉大な智慧に到達する心の教え」ということだ。

私たちの心の中には、誰しもが輪廻転生の過程を心の中に記憶しているのが人間の常なのである。

そんな馬鹿げたことがあるものかと、もし思ったなら、そのような人々は自分の思念と行為に偽我の生活があるために理解できないのだ

といえよう。

余ほど無知な人か、独りよがりな強情な人間だといわざるを得ない

知識は実践した時に知慧になる

否定する前に、自己の生活を正して、研究してみることが進歩につながるからだ。私はこの世における学問的知識を否定する者ではな

い。

その得た知識を、生活の中に生かされた時に智慧に変わるということを忘れてはならないだろう。

それは、より人生において、己の魂の学習を豊かにするために最も重要せあるからだ。

しかし、人間は、正しいものの考え方正しい生活のあり方に対する基準を知っていなかったならば、無駄な苦労をし、人生航路での遠路

(廻り道)をするということを覚悟しなくてはならないだろう。

永い転生輪廻の中から、人生における八十年や百年の体験は線香花火のように、一瞬の幻の如き短い時間だと思わなくてはならない。

私たちが過ぎ去った過去を振り返ってみた時、その過去が、果たして永い時間であったろうか。

人生は、誰もが振り返ってみたとき、本当に短かったということに気がつくのである。

それは故に、一日も無駄に過ごしてはならないだろう。

身近な者たちの死を目の前で見た時、その人だけに死があるのではない。

いつの日か、この現実が自分に降りかかってくるということを知らなくてはならないのである。

生と死と

生あるものは誰もがこの現実から逃避することができないということを知らなくてはならない。

いかに地位があろうと、いかに財産があろうと、いかに愛する者がいようと、死はこの世の形あるすべてのものを、その人から奪ってし

まう。

もし財産や地位、名誉に執着を持ったり、子孫のために執着を持って、思い残す心を持ったままこの世を去ったとしたならば、間違いな

く地獄会に堕ちるということを知らなくてはならないだろう。

地獄は、講談やミステリーの世界にだけあるのではなく、この地上界に生存中から続いているのである。

いかに財産家であろうと、名家せあろうと、生まれてきた時には、どんな赤ちゃんでも裸で生まれてきたのであって、びた一文のお金も

持ってはこなかったはずだ。

死ぬ時も同じである。

金やものは、生きている間に必要なものであり、これも足ることを忘れ去った時から、欲望は限りなく外に広がり、心の平安が得られな

くなり、自ら苦悩をつくり出してゆくことになるということに気がつかなくてはならないだろう。

  思想の変革

人間は物質経済奴隷になってはならない。

一人ひとりの人間が、人生の何たるかに目覚めたならば、現在のような不平等な経済社会は消滅し、心優先の経済を、より調和された社

会生活を営むための宝石に変えることができるのである。

人間は、価値観を変えなければならない時がきているということだ。

資本主義理論も、唯物共産主義理論も、人間のつくり出した知識であって、知慧の段階には入っていないということだ。

人間同志の信頼関係は物質経済のみによって成り立つものではない。

それ故に、修正資本主義、修正社会主義というように、時代時代に応じて間違った思想は目先を変えてゆくものなのである。

正法とはほとんど懸け離れた知識の段階だということだ。

権力や武力によって間違った思想を人間に押しつけても、本来、人間の心の中には自由に生きる心の領域が存在しているということであ

る。

間違った思想は、いつの日か、大衆の心から遊離し、必ずこの地上界から消滅してゆくということを知るであろう。

  天上界よりの世界の運命の修正

また、間違った思想や宗教を改めるために、天上界よりその使命を持った魂が、この地上界に肉体を持ち、調和された社会をつくるため

に使命を果たして帰る場合が多いのである。

オーギュスト・コント、ハーバード・スペンサー、ヘーゲル、マルクスなど、すべて天上界より調和された社会を造るための使命を持っ

て生まれてきた天使たちであった。

しかし、最も大事な人間の心を忘れ去り、物質経済に重点がおかれた時、彼らの智が真実の道からはずれてしまったのだと、ミカエルは

私にいっている。

また、人類を厳しい階級闘争に追いやり、闘争と破壊の思想を生み出した思想家たちの罪は、自らその責任を果たさなくてはならないと

いうことだ。

 人間一人の命の広さは、地球の広さよりも広い。宇宙大である。

この生命を、決して他人が奪う権利はないということだ。

いかに物質経済が満たされたからといっても、果たして満たされた人々が、皆幸福だという保証がどこにあるであろうか。

経済的に恵まれている家庭なのに、夫婦は不調和、親子は断絶という例は限りなく世間には存在している。

たとえ経済的に恵まれていなくとも、夫婦がお互いに信頼し合い、親子は助け合って明るい家庭が、限りなく世間には存在している筈

だ。

人間同士、心と心の交流、心の対話が最も必要な条件だといえよう。

よき家柄だという生まれから、虚栄心のまま人生を送る愚かな人もいる。

 真実ではない人間の生活ほど、みじめな人生はないということだ。

人間はもっと自分の魂の系列を大事にせねばならない。

肉体の先祖や子孫は、この世限りであり、魂の先祖は、永遠なのである。

自ら正道を歩んで、心を浄化した時、偉大なる魂の兄弟たちや諸先輩の見えない世界で、どれだけ心配をし、どれだけ協力しているか、

ということを体験することができるのである。

  先祖供養とは

 肉体先祖からは、人生航路の乗り舟をいただいたものであり、生活の環境を与えられたのである。

肉体先祖に対する供養の第一は、まず自分が健康であるということが大事であり、残された子孫が、お互いに仲良く明るい家庭をつくる

ということが最大の供養といえよう。

育てていただいた両親に対しては、その愛に、親孝行という報恩の行為が、最大の供養なのである。

仏壇の前で、お経をあげることが供養だと思っていたら、とんでもない間違いだということだ。

朝晩、線香や灯明、お水をあげることでもない。

残された者たちが、健康で、美しい心で、明るい家庭を築くことが、最高の供養といえよう。

 仏教改革

私たちは旧来の陋習を破り、仏教の原点に帰ることだ。

生きている人間がわからぬお経を、死んだ人間にあげてわかる道理があろうか。

坊さんが、プロとしてお経をあげているが、お経の意味がわかっていたら、おそらく仏壇や仏像、曼陀羅の前で、お経などあげる愚か者

はいないはずだ。

なぜならば、お経の意味を知っていたならば、自らの生活の中に生かして、人生の道を悟っているからだ。

悟れば、あの世、死後の世界、死者がどこにいるかわかってしまうからである。

あの世などはない≠ニ公言している僧侶がいるが、それで死者に引導を渡しているのだから、最早、ペテン師である。偽善者という外

はなかろう。引導は葬式における儀式の一つではないということである。盲人(めくら)蛇に怖(お)じずの例えである。

死者に引導を渡す前に、自分に引導を渡すべきだ。一切の執着から離れるための引導を―。

葬式から帰ってきた僧侶が体調が悪いのは、自己の確立が不完全であるから、死霊のいたずらだということを知るべきである。

心して、仏道を極める以外に道はないということを悟らなくてはならないだろう。

偽善の心を捨てることだ。

その時に道は開かれてゆくのである。

 キリスト教改革 

また、仏教を eq \o(\s\up 9(はいせき),排斥)するキリスト教信者や指導者も同じことがいえよう。

インマニエル・イエスは、今のローマ法王のような eq \o(\s\up 9(きんらんどんす),金襴緞子)は身につけてはいなかったということ

だ。

あんな立派な教会も存在はしていなかったはず。

天上界の上階段では、仏教もキリスト教も、回教もユダヤ教も、一つの神理であり、一人の指導者によって指示されているということを

知らなくてはならないだろう。

モーゼ、イエス、ブッダも、同じ光の大指導霊であるということだ。

 サタン・ルシュ・エル姿を現わす

紀州白浜、南海の海に真赤な大きな太陽が沈もうとしている。

水平線から、一艘、二艘、三艘と、白波を蹴って漁船が帰ってくる。

ポンポンポンと、船の音が、港を包む山にこだまする。

  サタン・ルシュ・エルの出現

 研修会の人々も全員集まったようだ。

その時だった。

ミカエルは、また、姿を現わし、

「主よ、ルシュ、エルがきております。気をつけて下さい・…」

私は一瞬、ルシュ・エルという名前について考えてみた。

「ミカエルよ、そなたの弟子、ルシュ・エル天使のことか。

彼は地上界に生まれた時、確か、サタンと呼ばれた人間であったね。」

「その通りでございます。

主や私の前にはだかろうとしております。十分気をつけて下さい。」

側に坐っていた長女も、

「パパ・…、サタンが近づいているわ。

 昨夜、大阪の都ホテルに泊まっていた時に東京からきた講師と、関西からきた講師の心の隙を狙っているのよ。」

という。

「私も、昨夜からわかっていたのだ。

今日は講師団を研修することが大事だ。二、三名の人々に注意しても効果はあるまい。

会員、講師団を前列に出して『正法と魔』というテーマで私は講演をしよう。

ミカエルよ、そなたは、佳子の声帯を支配して、天上界の声を聞かせておくれ。

サタンがいかにして、人々の心の隙に入り込んで混乱をつくり出すかを、検証して欲しい―」

「はい、わかりました。」

「佳子、あなたは心を正して、ミカエルの意思が自由に通ずるよう、常に浄化しなさい。」

「パパ、わかりました。」

 講師団幹部に対する訓戒 

私の意思は、即座に、研修会実行委員に連絡されて、全員、会場に集合が終わった。

一番前列に出された講師団は二十数名。

理由もわからぬまま、私の来るのを待っていた。

 

 ざわめいていた会場は、一瞬、水を打ったように静まり返っていった。

 しかし、東京からきた女性の講師が一名、会場に姿を現わしてはいない。

私は、至急、その講師を呼びにやった。

彼女は暫くしてから会場にやって来た。

東京の事務局にいる講師と、京都からきた講師は、非常に気分が重いようである。

昨夜から、感情の波が粗悪のまま、私の心に伝わってくる。

「わてはもう、講師はこれを最後にしておきますわ。一歩から出直しやす―」

彼等が白浜に来る電車の中で語り合っている言葉が、私の胸の中から聞こえてくる。

彼らが、サタンに踊らされている張本人たちなんだ、と思った。

本部の事務局からきた講師は、

「先生は、自分の子供に甘くなってしまった。

すっかり子供の言葉を信じている。恐ろしいことだ。

先生は、サタンに惑わされている。

しかし、先生の説いている法は間違ってはいない。僕らは法を信じてゆこう。」

他の何人かの東京の講師も、名古屋の講師達も、

「そうだ、俺達は誰を信じていいのかわからない。

法を信ずる以外にはないだろう。

先生は、サタンに惑わされているのだ。俺たちは、法を信じよう・…」

一人ひとりから発信される心の波動は、すべて本末顛倒していた。

 正しい法を説いている師を信じないで、なぜ、正法が信じられるのだろうか。

 私は悲しかった。

 手に取るように、一人ひとりの心の中で思っていることが、わかってしまうからである。私は悲しかった。

 このような雰囲気の中で、講演が始まった。

  ミカエルの警告

私の話に続き、佳子を、会場の皆さまに紹介した。

「天上界の大天使長、ミカ・エルがここにきております。

ただいまからこの女性の体を通して、ミカ・エルに語っていただきます。」

彼女の口を通し、美しい古代ハム語が流れ出した。そして日本語に変わった。

私は七色の翼を持つ天使なり。地より湧き出でて、やがて天に帰らん。私はミカ・エルでございます。

主よ、よくお悟りになられました。私はうれしゅうございます。

主は、今から七十年前のこと、この地上界に体を持って出られりにあたり、私に申されました。

「私はこれから地上界に生命を持つ、私が悟らぬときは、私の魂を揺り動かしてくれ。」

そのために、私は、主が九歳の時から、あの世へと魂をひっぱり上げたのでごいます。

私は、今、自分の使命を果しに参りました。主よ、遅くなりましたことをお許し下さい。

  ここにいる多くの者たちよ。よく聞きなさい。 そなたたちは皆神の子、すべて天上の世界から生まれてきた者たちなのです。

 そなたたち、今ここにいる者たちの多くは、ある時にはエジプトに、ある時はギリシャに、またある時はブッダのおられたインドの地

に、また、インマニエル・イエスの生まれたイスラエルに、さらに中国に、そして日本にと、生命をもっておられるのです。

 この日本に生まれたということは、すばらしく大変なことなのです。

 そなたたちは、その事実を思い出しなさい。その理由は、そなたたちの心の中に記憶されているはずです。

私の言葉は、天上界の天使の言葉であり、それ故に、そなたたちの心の奥ゆきまでしみ渡ってゆきます。

道は果てしなく続きます。しかし、信じなさい。信ずれば、そなたたちの前にある門は開かれん。

私はいま目覚めました。そなたたちも今、目覚めなさい。

  アポロとは―釈迦出世の予告

私は、今から三千五百年前、ギリシャにアポロとしてこの地上界に生まれ、神理を説きました。

そして、私の生命は、終わりを告げましたが、復活して弟子たちに申しました。

「ギリシャより東の国、インドの地に偉大なる尊い方がお生まれになられる。

そのお方が、アポロが説いた、己を知る中道の精神をお悟りになられる」

私の弟子達三十七名の者達は、その使命を果たされました。

今もまた、同じことでございます。

そして、今が最終ユートピア建設のために生まれてきたことを知りなさい。

  他人には寛容の心を 持ち、己には厳しい心を持ちなさい。 そして、信ずることです。 道はどこまでも続きます。

 物質は永遠ではありません。

この地上界の出来事は、一瞬の夢のようなものです。

なぜ、この時に、生まれてこなくてはならなかったのか。そなたたちはそれを知りなさい。

それは、己の魂を向上させ、この地上界にユートピア実現のためなのです。

そなたたちの心の中には、偉大なる九〇%の叡智があるのです。その叡智に気付いてないのです。

 転生輪廻における体験されたこの叡智を誰でも思い出せるのです。

   講師への警告

 講師の者たちよ、

この中には増長慢な心を持っている者がいます。

私にはわかるのです。

そのことは、そなたたち自身が一番よくわかるはず。

自分の(うつわ)器を知りなさい。

そして、過去世の名前、地位にとらわれることなく、今の自分がそなたたち自身であることを知りなさい。

なぜ、今、生まれてきているのか、その使命を知りなさい。

この地上界に出られるときに、私たちと約束したことを思い出しなさい。

なぜ、自分の心に増長慢の心を起こすのか。私がここに来るとき、サタン(魔王)も来ているのです。

サタンはかつて、私の弟子でした。

彼は地上界に出られた時に、自分を失い、悪魔に心を売ったのです。

それは遠い昔、かつてミカエル、私が地上界を去り。大天使となったころのことです。

かつての天使であり、そして地獄界に堕ちたサタンは、多くの部下を連れて、天上界へ攻め昇ろうとしていた。

それは地上界を縁として行われようとしており、地上の人間が多くの魔によって混乱されることを防ぐため、光の天使たちは地上界にお

りて、サタンたちと戦いました。

多くの天使たちが傷つき倒れ、大天使ガブリ・エルもまた傷を負い、私ミカエル一人が残りました。

  サタンとは

サタンはかつて、天上界ではルシュ・エルといって私の弟子であり、心安らかな天使であり人の心を理解する能力の持ち主でした。

サタンとなった今も、その強力な能力を保持しています。

地上界に肉体を持った時、魔に惑わされて地獄界に堕ち、サタンとして君臨しているのです。

「サタンよ、私は戦いたくない」

と、私は申しました。

しかしサタンは、息をもつかさず矢を射ってきました。

その瞬間、私の体の光がまぶしく大きく輝きました。

主が光を与え給うたのです。

矢はすべて消滅し、サタンは目がくらみ、地獄の底へと堕ちていったのです。

 サタンとの戦いは、その後またありました。

 モーゼが地上界を去られたとき、サタンはその亡骸を利用しようと狙ってきました。 阻止しようとする私たちに、サタンは立ち向か

ってきました。

 「サタンよ、

 なぜ、そのようなことをする。 そなた達も神の子ではないか。なぜ、そなた達は気がつかないのか。」

 私の言葉に、サタンは反問しました。

 「神の子は、なぜサタンを(い)忌み嫌うのか。」     

 私はまた呼びかけました。

 「悪魔とて、皆神の子。

私たちは、皆同じように愛している。そなたたちは、かつて人間として地上界にあった時、悪魔への恐怖感と自己保存から悪魔の意識の

虜となったもの。かつて、アーラの神の教えを聴いたものではなかったか。思い出して欲しい。正しい神の子の心を―」

しかし、サタンたちは戦いを挑んできたのです。

私たちの体は、そのときまた大きな光の輝きに満ち、サタンは見る見る小さくなり地獄の底に再び堕ちていったのでした。

   ミカエルは語る

 ミカ・エル私の出たときは、地獄は少なかったが、作用、天国が上にあがれば反作用としての空洞、地獄が出来たのです。

一人でも多くの人々に、愛の教え、心安まる正しい法を説きなさい。生活に生かしなさい。心の中に多くのものを得、己を悟ることにな

るのです。なぜ、泣くのでしょう。なぜ、涙が出るのでしょう。それは何なのでしょうか。心の中の叡智は偉大なものです。心の中を揺

さぶるものです。これからも道は続きます。永遠に続きます。しかし、物質は移り変わるものです。今の世にある物質は、すべて、あの

世のまねごとであることを知りなさい。

物質に心をとらわれた一生を終われば、どのように悔いねばならないのか、そなたたちはよく知っているはずです。

主が、いかに偉大なお方であるかを知りなさい。

この中の何人も、この方の世界に行くことはできないのです。

そなたたちは、私の世界ですら、見たこともないでしょう。

今の心では見ることは困難です。

今の自分の器を知りなさい。

自分で自分から力がでるなどとはもってのほか―。

自分で行動したものが、いかなるものであるかは、まわりの者がわかるのです。

力を出すなら、自分から出しなさい。

 そなたたち一人一人の心の中にあるサタンのこころに気付きなさい。

 地獄のサタンは気付かないうちにやってきます。

 それは強い力を持っています。

 そなたたちが知らないうちに、心の隅の奥にあるのです。

 それにうち勝つには、信と愛の心しかありません。

 心に、愛の防壁をつくりなさい。

 それがサタンから逃れられる、ただ一つの方法なのです。

 肉体は仮のものにすぎず、心の中にある大切なものを知りなさい。そして、毎日の生活を正しなさい。

 そなたたちの多くは、天使たちであろう。

サタンの心は、増長慢の心にある。

私たちは、そなた達の心の状態により、姿を現出することができるのです。

そなたたちの力に応じて語ることができるのです。

それは器の広さによるのです。

毎日の生活において発揮しなさい。

天上界に帰るときは、一段と大きい心を持って帰りなさい。

己を知りなさい。

己の器を知りなさい。

使命を果たしなさい。

そなたたちは私達と、どのような約束をして地上界に生まれてきたのか、思い出しなさい。

 

世界は丸い

心も丸い。

太陽も丸く

愛と慈悲を教えてくれている。

天上界に燦然と輝く心の太陽から、私たちは智慧と愛と慈悲をいただいて、この地上界に出てきているのです。

天上界の太陽の心を知りなさい。

知っているのに忘れてしまっているのです。

  人間の心の階段

人の心に階段あり。

「我、今、天上の世界を見聞する。道は開かれん。」

自分の器の大きさを知れ。増長慢の心で自分を大きく見せるなかれ。汝、中傷するなかれ。愛せよ。許せよ。道を歩め。

今、そなたたちに開かれている霊道は、本来の力ではないことを知りなさい。

一〇%の力だけではなく、九〇%の智慧を知りなさい。

偉大なる主より与えられた光で、私たちの心は、いつも丸く、平穏で、愛と慈悲に満ち、1日も早く仏国土ユートピアを実現しなさい。

そして、人々の心の中に愛の灯をともし続けてゆきなさい。

そうすることによって、あなたたちの前に、確かな現象が現れることをここに予言いたします。

自分の器を知りなさい。

自分の器を知ったなら、器を大きくすることより、その器に、愛をいっぱい汲み入れなさい。

天使なら天使としての修行をして帰りなさい。

 主は偉大なる方です。

それを知りなさい。この地上界がすばらしく調和されることになれば、あの世の地獄も救われてゆくのです。すべて主の予言と同じこと

なのです。

最終ユートピア建設のため、我今ここに現れる。汝の心、素直なれば道は開かれん。信ずる者よ、そなたは救われん。

 かつてアポロがギリシャの地を去り、復活して三十七人の弟子たちの使命を、再度促した時、彼らは異語を語り出したのです。

イスラエルのインマニエルの時にも、インドのブッダの時にも、同じ現象がなぜ繰り返されたのでしょう。

この事実を善我なる心にしっかりと焼きつけなさい。ここにいる者よ、自分の頭の高さを知りなさい。

ここにいる者の中に、心の窓が開かれそうな方がおられます。

なぜ涙が出るのでしょう。内在された九〇%の偉大な心がそうさせるのでなくて、何がそうさせるのでしょうか。

汝、疑うなかれ。いつまでも、この道を進みなさい。すべてこれは、天上界で予言をされていたことなのです。

今、主は悟られました。

皆これを心の糧としなさい。それが何であるか。なぜ、この現象が起こるのか。心の中に焼き付けて、天上界での使命を果たしてゆきな

さい。

主は、それはそれは厳しい修行でございました。しかし主についてゆきなさい。

心を丸く、おだやかにして『行即光』行≠アそ、光となってゆくことを、そなたたちは悟らなければなりません。

なぜ生まれてきたかを知りなさい。

皆、それぞれに異なった使命を持って出ているのです。それぞれの使命を思い出し、使命を果たしてゆきなさい。自分の責任を持って帰

りなさい。

これが大天使ミカエルが語られた結びの言葉であった。

重い感銘が研修会の大広間を覆い、会場は感激の涙であった。

光の大指導霊大天使ミカエルが出現され、数多くの聖書の世界から、真実を説き明かされていった。

 今までは、仏教を主体として八年間、私は説いてきた。

 そして、ようやくイエスの教えの真実にふれるようになってきた。

 さらに正法の実証が、私に(くつが)覆えせないものになって行った。

 大天使ミカエルの言葉は、そのことを物語っている。

 こうして、ミカエルの言葉によって、パウロの弟子として小アジアの七つの教会の一つ、エペソ教会の司祭であったことを思い出した

方も出てきた。

 ミカエルの感動的な説法は、参加者の心を揺すり、感涙はとめることができなかった。

  サタンに毒された講師たち

 しかし、一部分の講師の心はすでに閉ざしてしまっていた。

サタンの毒を心の中に大分食べてしまったようだ。

「汝、他人を中傷する勿れ」

この言葉は彼らの心の中に、どのように響いたのだろうか。

サタンの毒ですっかり聞く耳を忘れてしまったのだろうか。

しかし、私は彼らを信じていた。必ず、理解する時がくると確信をしていた。

 その晩のことであった。

京都のT講師は、私の部屋を訪ずれた。

いつもの彼とは違う。

心の中に割り切れないものを持っている。その解決のためにきたのであろう。

私は彼に椅子をすすめた。

「先生、わてはどうしても納得ようしません。あんなに熱心にやりはっているG堂先生はんは、考え込んで昨夜も一晩中泣いておりまし

た。一体、どういうわけですか―教えておくれやす―」

「Tさん、私はあなたに正しく見よ、正しく聞け、正しく語れ、正しいことについて教えましたね。」

「へえ、教えていただきました―」

「では、彼女は、なぜ泣いているのかということを考えてみましたか。泣くには、非常にうれしくて、うれしくて感情がこみ上げてくる場

合に、涙が出てきます。逆に、非常に悲しくて、悲しくて、胸のつまる思いの感情で、涙が出てくる場合があります。また、非常に口惜

しくて、口惜しくて癪に障って許しがたい奴だと思って、口惜し涙を流す場合もありましょう。今、彼女はどの涙を流しているのでしょ

うか。あなたはおわかりですか。」

彼は黙ってしまった。

その時だった。G堂女史が風のように入ってきた。そして私の前に坐った。

「あなたは、そんなに目を腫らして、どうなさいました。

いつものあなたらしくありませんね、元気を出しなさい。」

彼女の顔は、目のふちが腫れ上がり、睡眠不足と涙で、常人の顔ではなかった。

「先生すみません、ご心配をおかけ致してすみません。」

その時、私の傍に坐っていた佳子がいった。

「G堂さん、あなたのいつもの笑いは、つくられた笑いです。早く心から笑えるようになってくださいね―」

その瞬間であった。

彼女の目は釣りあがり、彼女の裏にサタンが立っていた。

「そんなこといっても私はね、三歳の時、両親に死別して今日まで生きてきたのよ。あなたたちに私の心がわかってたまるものか―」

と大声を上げ、飛びかかろうと身を乗り出してきた。

私は立ち上がり、、

「Тさん、よく見ておきなさい。あなたたちに毒を食べさせていたサタンが、本性を出したのです。

Kにもこの状態を見せてやりなさい。」

Kはすぐに私の部屋にきた。

「まあ、恐ろしいわ―。 本間に恐ろしいわ―」

Т講師は私たちの方に身を寄せて、彼女の動作を見守っていた。

「サタンよ、そなたは、この女性から離れなさい。そなたも神の子のはず。そなたの心の中にも、嘘のつけない善我なる心があろう。

盲目の人生を歩んでいる人々の心の中に、巧みに入り込み、混乱を引き起こそうとしても、私はすでにそなたを見破っていたのだ。 

そなたは、いつまでも地獄の帝王をやっているのか。何千年も、心に安らぐことなく、闘争と破壊を繰り返し、いつ、力のバランスで自

分の座を他人に追われるかわからぬ不安定な生活をしているのだ。そなたも、かつては天使であったはず。何もいわずに、この女の体か

ら、心の中から去りなさい。」

その時、彼女の体からサタンは出ていった。

彼女の体は鉛のように硬直していた。そして、自分に戻った。

 サタン去る

「あら、先生、私どうしたのかしら。大阪の都ホテルに泊まった晩からおかしくなってしまってたの―。ああ、私、自分に戻ったわ。

先生ありがとうございます―」

「G堂さん、しっかりしなくてはいけません。あなたは、都ホテルでお泊まりの時、佳子の霊的現象を軽々しくやりすぎるわ。もう許せな

い』と心の中で怒ったはずです。」

「はい、思いました、思いました。もう許せないと、本当に思いました。」

 「そんな愛のない、無慈悲な心がありますからその瞬間、サタンが入り込んでしまったのです。あなたの愛のない心が呼んだのです。」

「ああ、恐ろしいわ―」

「恐ろしいのはあなたの心です。そしてあなたは私の部屋を出て、Тさんの部屋に行ったはずです。その部屋で、『佳子さんは軽軽しく霊

的現象をやっているわ。霊的現象を何と思っているのかしら』と、二人の男の講師に申したはずです。」

「はい、申しました。」

「そして、『今、先生はお休みになられました。佳子お嬢様に毛布をお掛けになられました』といって、皆さんの関心を買いましたね。」

「はい、その通りですわ。」

「その時はすでに、サタンに支配され始めていたのです。あなたの心の中で、『あなたは偉大なる使命を持っております。もし、あなたが

この使命のことを他人にいうと、佳子さんは殺されます。あなたは黙っていることです。あなたは偉大な神の使いなのです。あなたは偉

大な使命があるのです。』と、サタンから、相当おだてられたはず。あなたは、そのおだてを信じたはずです。あなたは増長慢だったの

です。そして、その時Т講師に、部屋に電話が入り、Kが電話の主の部屋に行き、『軽軽しく霊的現象を扱うものではありません。と注

意したはず』彼も、サタンの毒を食べてしまっていたのです。Kが席をはずした時にあなたは、『K先生は、偉大な方です。Т先生も偉

大な方ですが、K先生から見れば、こんなに小さな魂です。Т先生は、K先生を助ける使命があるのです。今あなたは、北海道から東

京、関西、中京、九州から批判の矢が大小どんどん飛んできています。あなたは、その矢をいかに防ぐかが修行です。』と申されたので

す。G堂さん、そうでしょう」

「いや、私、何を申し上げたかしらないわ。」

「Gはん、何を申し上げはったか知らんとは、ほんまにひどいわ―いいはったではありまへんか―」

Т講師は、G女史を追及した。

「Тさん、サタンよ―。Gさんを許しておあげ―」

「ほんまにあほらしいわ―」

かくしてサタンの爪は霧散に帰してしまった。

 この話は他の講師たちの耳に入り、他人に対する中傷が、内部を混乱に落とし込むという事実を、身をもって体験するのであった。

サタンは愛のない言葉、愛のない行為、愛のない心の隙をいつも狙っているということである。

  世襲制度はいけない

 研修会を終わって帰る講師たちの頭にも光明がさし、よき体験として今後も生き続けてゆくであろう。

私の息女ということで、皆甘く見てしまった点も、見逃せないのである。

魂の世界は、親子であっても、魂は別であり、法の上では師と弟子であるということを知らなくてはならないだろう。

この法則を崩してしまった時から、間違った世襲制度的困習をつくり出してしまうということである。

人それぞれの器を知らなくてはいけない。

  心の中に内在されている叡智

 桜の花が都会を飾っていた。

一九七六年(昭和五十一年)四月十一日、日大講堂において、「心の中に内在ざれている叡智」という、私の講演会が行われた。

会場を埋め尽くした聴衆の心を正しく揺り動かして、神の子としての自覚に目覚めさせるためには、私一人の力でできるものではない。

天上界の協力がなければ、不可能である。

また、聴き入る人々の心の世界に住する魂の兄弟や、守護・指導霊たちの協力も欠くことができない。

 守護・指導霊たちもともに聞く

私の講演会の場合、各人の魂の兄弟や守護・指導霊が、肉体を持っている者たちの傍で、一緒に聞いている場合が多いからである。

また、逆に、悪霊に支配されている聴衆者の場合は、口から泡を吹いて後ろにひっくり返されたり、意識を一時持ってゆかれる場合もあった。

また、心の醜い者たちは、金縛りにあって、体の自由を失ってしまう者たちもいた。

彼らのほとんどが、間違った信仰をしている人々である。

私のかたわらにいて支援している光の天使によって、光の輪のようなものが投げられ、その光の輪によって、肉体を束縛されてしまうと

ということである。

しかし、信じる信じないは別問題であり、日常の生活の中で、、偽我のままの生活をして、心を悪魔に売ってしまった人々に、このよう

な現象が現れてくるといえよう。

大講演会になると、必ず数人はこのような現象に見舞われることが多かった。

このような人々からは黄金色の光は出てはいない。怨みの念の強い人、相手の罪を許せない人々であった。

愛もなく慈悲もなく、他人からそれを求めて、自分からは他人に与えることをしない一方通行の人たちなのである。

 そして、自分自身が苦しんでいるのに、この苦しみは夫のせいにし、妻のせいにし、姑や嫁のせいにする。

しかし、苦しんでいるのは自分自身なのである。

  心に毒を食うな

私たちは、この食べ物は、腐っている、毒が入っているということが先にわかると、ほとんどの人々は口に入れないだろう。

食べれば死んでしまうことを知っているからだ。

しかし、心の毒は、平気で食べてしまうのが常である。

食べ物の毒は、肉体を滅ぼすが、心までは滅ぼすことはしない。

心の毒は、死後の世界まで持って帰ってしまうということを知ったならば、うかつに食べられないということを、私たちは知らなくては

ならないだろう。

世の中には、我慢強い人がいる。

他人の前で、どんな苦しいことも悲しいことも打ち明けることなく、心の中に詰め込んで耐えている我慢強い人々がいる。

このような人々の心は、いつの日か腐敗して、肉体的にもぼろぼろになってしまう。

忍辱の心が必要なのである。

  忍辱の心

いかなる恥かしめを受けても、よくこれに耐えて、心の中はいつも朗らか、常に安らいでいなくてはならない。

不必要なことは、心の中にとどめておかないことだ。

そのためには、その原因がどこにあったのか、もし自分に悪い原因がったなら、素直にその根を除くことが大事なのである。

その根を除かない限り、また、同じ苦悩を味わうことになるだろう。

もし、自分に原因がなかったならば、相手を許してやることだ。

許すことも愛だからである。

こうして、今日の聴衆者の中には、心の富める者、心の貧しいもの、人それぞれであった。仏教の信者、日本神道、共産主義者、自由に

集まってきていた。分厚い聖書を小脇に持っている者から、仏典を持っている者。宣教師から僧侶、一般大衆、学生、主婦、実業家、

OL、職業もまちまちであった。

私の講演会が始まるころは、ざわめいていた講堂の中も、水を打ったように静まりかえり、視線は私に集中された。そして講演は始まっ

た。

 

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  日大講堂講演要旨

人々は、なぜ盲目になってしまったのであろうか。

なぜ明日のこともわからぬままに、今苦悩し、今楽しみ、今悲しんでいるのだろうか。

人間は何のために生まれ、何の目的を持ちどんな使命を持って生きているのでしょうか。

死後の世界は存在するのだろうか。

この世限りの人生なのでしょうか。

仏教もキリスト教も、化石化してすでに真実をその中からしることはむずかしくなってしまった。

あまりにも永い歴史の塵と埃が、真実を覆ってしまったのである。

その時から人間は、心を失い、物質や経済の奴隷に成り下がり、欲望の渦の中に捲き込まれて自分自身を忘れ去ってしまったのである。

皆さまは、肉体そのものを自分自身だと錯覚をおこしている。

もし皆さまの肉体が、自分自身のものであるならば、なぜ自分自身で自分の肉体を完全に支配できないのでしょうか。

なぜ病気をするのです。なぜ老化するのですか。なぜ死んでしまうのですか。

肉体は、皆さまがこの地上界に生まれてくる前に、今の両親になられている、お父さんお母さんに、肉体舟の提供を頼んできたのです

両親が勝手につくったのではないのです。

天上の世界において、お互いに約束されて、人生航路の乗り舟をいただいたのです。

この地上界のすべての物質は、変化します。永遠に保存することはできません。

肉体も幼児のまま停止することはできないものです。成長します。少年少女から青年期へ、さらに壮年期から初老へと変化してゆきま

す。

(なにびと何人)もこの法則を破ることは不可能なのです。形あるものは変化します。すべてが無常です。

その無常なものにとらわれて、人間は苦しんでいるのです。

現代の科学者たちは、私たちの大脳皮質に記憶装置があるのだと、間違った判断をしています。その科学的根拠はどこにもないのです。

もし大脳皮質がすべての記憶室であるとしたならば、眠っている時に、耳の穴も鼻の穴もちゃんと空いています。なぜ聞こえないのでし

ょうか。なぜ嗅いがわからないのでしょうか。一定の振動以外のものはキャッチすることができないはずです。

悲しみだけが大脳皮質に記憶されているとするならば、眠っているときも悲しいはずです。

楽しいことだけが大脳皮質に記憶されているとしたならば、眠っているときも楽しいはずです。

しかし、どんな悲しいことも、眠っているときは忘れています。楽しいことも忘れています。

私たちの脳細胞は約二百億近くの細胞集団によってつくり出されており、視覚神経の一つの細胞は、赤なら赤をとらえ、決して白をとら

えることはないのです。すべて電気的振動の発信と受信装置にしかすぎません。

嗅覚も味覚も、すべてその使命を持った嗅覚神経、味覚神経の神経がキャッチし選択して、振動を発信しているにすぎないのです。

原子細胞から送られた発信受信は、光子体の次元の異なった脳に送られ、その船頭さんに送信されて、すべて判断されるのです。

船頭さんとは魂であり、その中心に心が存在している。

心眼で初めてこの実態をとらえることができるのです。私たちは、両親からいただいた肉体舟に乗ってしまうと、肉体舟の目や鼻、耳、

舌、身の五官を拠り所とするために、霊眼、心目、霊聴の力が鈍化し、物質的な世界しか確認できないようになってしまうため、ものに

溺れ、情欲本能に溺れて、心の中に曇りをつくり出してしまい、自ら神の光を遮り、盲目の人生を送ってしまうという結果になってしま

うのです。

こうして人生の苦悩は、自らつくり出してしまうものだといえましょう。

私たちがこの地上界に生まれてきた時は、誰もが丸く豊かな心の持ち主で、皆天上の世界から、より豊かな魂をつくり、調和された地球

生活を送ることが目的であり、使命でありました。

そのため生まれたばかりの赤ちゃんは、何の罪もなく、天真爛漫、仏のような心の持ち主なのです。

生れ落ちるとともに、心の中に記憶されている過去の一切はすべて潜在されて、人生の一歩から修行が始まるのです。

心の中の本能の領域が自然に芽生えて、母親の乳房を吸うのも、生まれる前にすでに飲み、食べることを知った魂であることを知ってい

るからである。やがて感情の領域が働き、おしめが汚れれば泣いて知らせるでしょう。生まれた環境や教育、思想、習慣が心に作用し、

知性が発達してゆきます。

「よくわからせていただきました。本当に有り難うございました。」、

と心から礼をいって腰をおろした。

 

付記、天上界の光の天使たちに囲まれたこの日の講演は、聴衆の心の奥深く魂の底にしみ透っていった。高橋信次先生のペンはここで止

まってつぎに続いている。

 神仏を名乗る宗教指導者に注意せよ

私たちの目に見えないあの世から、人の口を通して出てくる、神だ、仏だと名乗り出てくるものに限って威圧的な言葉で、盲目な人々に

自己主張し、信じなければ罰が当たるとか、不幸になるとか脅迫することが多い。

このような者は神仏の名を騙る悪霊の仕業が多いために、私たちは気をつけなくてはならないだろう。

真に天上界の光の天使たちの言葉には愛がこもり、慈悲深く、盲目な人生を送っている地上の修行者の心に、真の調和を与えてくれるものである。

あたかも親が、我が子の成長を楽しみながら、見つめているように、愛の心は変わるものではない。

神は、肉体を持った人間の心を支配して語り出すことは絶対にないということを、私たちは知らなくてはならない。

人間の口を通して出てくる神を信じてはならない。

偉大なる光の大天使(如来、菩薩)、天使も肉体を持ちし人間の法にかなった生活をし、しかも、同じ器の持ち主でない限り、その人間

を支配して語ることはないのである。

なぜならば、肉体を持っている人間の雰囲気の波長が、精妙にならない限り上段階の光の大天使とコンタクトすることは不可能だという

ことだ。

天上の世界にも見えない壁が存在している。

その壁は一人ひとりの心の階段、調和度によって、その範囲は異なっている。

しかし、真実は壁など存在していない。

けれども、人間の心の中に、自らしてその壁をつくり出してしまった。

それ故に天上の世界は、分け eq \o(\s\up 9(へだ),距)てなどは、すべて存在していないということだ。

人は果てしなく転生輪廻を繰り返し、何度もこの現象界とあの世を体験している魂であり、死は人生の卒業式であり、魂の転機ともいえよう。

「汝、死を恐れること勿れ」

ミカエルは、私達にこのことを重ねて告げている。

にもかかわらず、肉体舟にとらわれて死に恐怖感を持って、この現象の世界を去ってゆくものが多いということだ。

ミカエルは

「人間の持つ、一番、愚かなる執着なり」と、言っている

肉体の死は真実の死ではない

私たちの五官の死は、真実の死ではない。

真実の己自身を自覚して悟るためのものなのである。

即ち、真の己の誕生を悟るためだといえよう。

またミカエルは

「汝等、一秒一秒をおろそかに暮らす勿れ」と、

地上界の人々に伝えている。

私たちの住んでいる地上界のものは移り変わり、持続性がなく無常なものだ。

私たちの自分の肉体ですら、自分のものだと思っても、一秒一秒、常に死への旅路が近づいており、休止することは絶対にない。

今体験している一切の苦しみや悲しみ、また、喜びはすべて調和された己を完成させるための学習だということを、私たちは自覚しなく

てはならないだろう。

私たちの肉体を支配している生命の時間は永遠であって、物質はすべて有限だといえよう。

人生航路は、はかない一時の夢にしかすぎない。あたかも、幻のよなものだ。真の影の中で踊らされているピエロのように、愚かしい現

象だということだ。

私たちの五官は、仮に己を守るための手段にしかすぎない。真の視覚ではない。真の聴覚でも、真の嗅覚でも味覚でも、感覚でもないということだ。

 真のものは、私たちの心が主体なのである。

天上の世界における感覚は、魂の段階の低い世界においては、五官に影響される場所も存在している。

しかし天上の世界は、心的精妙な光の世界であり、さらに調和された段階になるに従って、すべて感覚以外の心で、すべて感じられる世界になってゆく。

地上界における人間である私たちの五官は、天上界の心の感覚を体の機能として表した姿なのである。

 そのために私たちの肉体舟の五官は、故障したり、こわれたり、失ったりするのである。

これもすべて、神がわれらに与えられた試練であり、三次元的な物質に与えられた力だということだ。

そのために、一つ間違うと、神の慈悲も仇(あだ)になることもあろう。

すべての肉体は、器官にしかすぎない。

真の肉体は不変であり、精妙な光子体である。

すべて正しい法則に従って生活した時の調和された姿なのである。

私たちの肉体は一〇%の表面意識に与えられた最も粗悪な光の集固体化したものだということだ。

そのために、地上界で肉体を持つと、悩みや苦しみ,物に溺れ、情欲に溺れ、自ら苦悩の道を歩んでしまうものである。

肉体機能の五官に等しい、粗悪な光故(ゆえ)なのであると、ミカエルは私に告げた。そして、このようにも言われた。

五官とは肉体とは、人間の世界におけるロボットと同じものだ。

ただ、あまりにも精妙につくられた物質である。

しかしそれを支配しているのは人間の心である。

心を失ってしまえば、この肉体舟もただの物質にしかすぎない。

死は、そのロボットから降り,、新しい光の肉体に気付く時なのである。

この光の肉体こそ、不変的な己の体だということである。

さらにミカエルは、続けて私に言った。

  仏像や神像のオーラ・後光

「仏像やキリストの像に後光がでているであろう。

心の調和度に比例した光なのである。

天上界の住人や仏像、キリスト像の場合のみにあるのではなく、地上界の民の心の美しく、正しい法に従って生活をしてる民の体からも

光は出ているのである。

その光は、この世を去る時の乗り舟であるということを知ってください。

光の量は、民の生活の心がけに比例しているということなのである。」ということである。

心の暗い人々は、当然、光子体の肉体は物質的であり、肉体から出ている光の段階によって、あの世の世界の階段が決まってしまうということだ。

暗いということは、心と行いが、法則に反した生活をした結果であり、自らそれに気がつき修正をすれば、心の中の曇りは除かれて、神

の光によって満たされるため、満たされた量に適した世界に住するということである。

  本当の信仰

真に信心深いという人々は、決して教会や寺院、神社に、お祈りのための信仰ではない。

本来、教会や寺院は、人間として生きる目的や使命を教える場所であって、神仏に祈る他力の場所ではないということだ。

そして、人間の苦悩の原因と結果を教え、苦悩のない安らぎの人生を送るための、あきアドバイザーでなくてはならない。

即ち、人間として生きるための、正しい法則を教える場所なのである。

その正しい法則に従って、毎日の生活をしている人こそ、真に信心深い人々といえるのである。

 偶像に憑依する悪霊

私たちの永い歴史は、習慣として、他力の祈りの信仰に変わってしまった。

これは大きな間違いであるといえよう。

かつてヤアベは、

「汝ら、偶像を祭って祈ること勿れ」

と説いている。

誠にその通りである。

偶像を祭って祈るようになってから、真実の人間として生きる正しい法則が、すっかり挨をかぶってしまったからだ

また、偶像をつくり,祭ることによって、その偶像を支配する悪霊がいるということを知らなければならない。

偶像は芸術品として見るべきものであり、また天上界の悟られたメシヤをか形作った場合が多く、作者が心の眼でとらえたものを画や像

につくり出された多いのである。

折る対象物になれば、折る人々の想念が、その偶像に作用し、霊的現象をつくり出す場合が多いのである。

「触らぬ神に祟りなし」ということわざは、このような現象から出てきたものである。

霊験あらたか、という偶像は絶対にないということを知らなくてはならない。

もし、あるとしたならば、その道で生活している者たちの言葉か、それを縁として自らが生活を正した結果だといえよう。

それゆえに、間違った自分の信心している神が、絶対一番だと思っている。どんな不幸があっても、善意に解釈して、自らにむち打って

信仰を続けている。

渦の中に入ってしまうと、自らが盲信者であり、狂信者であることすらもわからなくなってしまうものだ。

そして、自らの心を段々小さくしてゆく。

目が覚めた時は、心に深傷を負ってしまうということである。

神の名のもとに、金品を強制したり、罰が当たると脅迫したりする信仰は、信者を食い物にしている指導者か、魔王やサタンに身も心も

冒された者たちのすることである。

                              「以下原稿なし」原稿は未完である。

  

 

あとがき―これを公開する理由 

  

我が師である、今は亡き園頭広周先生から託されたと自分で勝手に思いこんでいるものがある。

長い闘病生活の数年前のこと、泣く泣く出版を断念された先生にとっては幻となってしまった『新復活』、仮題『高橋信次師の随聞記』

がある。

先生の弟子として、私の著書も数冊出していただいたこともあって、

おもいがけなく或る日のこと、「読んで下さい」、と先生を訪ねた私の家内に、新復活の原稿を託されている。

大事な原稿だから、汚さないように早くお返ししなければという想いで、コピーをとってすぐにお返しした。

その原稿はコピーとして私の手許に残ることになったが、それから五年、十年と月日は流れて行った。

これは家内以外の誰にも公開しなかったが、十年も経つうちには、複数の新復活がこの世に在ることを知った。

それぞれが一人歩きしているので、やがて,高橋先生没後三十年のこの機会に、整理して世に問うことにした。

 複数とは、

 一、「私の手許にありますが」と『真創世記・地獄篇』に書かれている本家、本元の息女佳子氏が所有されるもの。

そして

 二、高橋先生が生前、なぜかコピーして弟子に渡されていたもの。

それと、

 三、園頭先生に送られて来た原稿のコピーを基に、先生が準備された製本直前のもの。(私がコピーして残したもの)

 もう一つは、

 四、高橋先生の最も早い時期の弟子・村上宥快氏のもの、

である。

 

 観音寺和尚の村上宥快氏の「新復活」

先生が亡くなる二ヶ月前のこと、長く顔を見せぬ、今は亡き愛弟子のために直きじきに語っている。

独演会をノートに書綴ったものを本の中で記述された新復活である。

 それを上げてみる。

 「一九七六年(昭和五十一年)五月八日のこと。

直接恩師に電話を入れ安否をうかがった。

恩師は快く私の乞いを受けてくださった。

八起ビルの五階の恩師の部屋のドアを開けた時、恩師は最早ソファーからお立ちになることが出来ない程の容態であった。

私が、先生お茶を召し上がりますかと申し上げると、弱弱しいお声で答えられた。

一服のお茶を飲み干されて、お坊さん、私の体に光を入れてくれませんかと乞われた。

私は驚き感じた。かっては事ある毎に先生のパワーによって、私の心は蘇生したことを思い出し、先生、私のパワーで宜しいのですか

と、問い直した。

ソファーに休まれたままで、立ち上がることも出来なかった。顔色は悪かった。あの健康で東奔西走された恩師の面影は今、いずこにあ

られるか、私は涙を隠して恩師の五体を抱き起こし、パワーの入れ易い状態にして、天上界にお願いをし、先ずイエス様来迎を願った。

大天使の方々のご協力によって私の意識と肉体の調和を図った。私の体は熱くなった。汗が流れるような熱さであるが、天上界の熱さは

心地好いものであった。

祈りと願を三時間も私の意識を透して恩師の体にお伝えした。

パワーを入れ終る頃、恩師の顔の色は赤味を帯びてこられた。ご自分で起き上がられご自分でお立ちになった。

恩師は私に申しておきたいことがあると申された。ノートを取るように言われ、カバンから原稿用紙を取り出して筆記した。

優しさのお声の中にも恩師の意識には張りがある。静かに瞑想されて口を開かれた。

示された言葉はゆっくりとした調子に抑揚がある。

次のことをお伝えくださった。

  新復活(その二)村上宥快氏の筆録

 「今より、三億六千四百五年前、ベーター星より地球上に脱出、緑もゆるこの地球上を神から与えられたり。

現代エジプトのエルカンターレ、場所はエデンの園なり。

ナイル渓谷、三角州の東側の位置に存在する。

エデンの園は、我等エルランティを中心にしてミカエル、ガブリエル、ラファエル、ラグエル、マヌエル、ウリエル七人の大天使達は、

エデンの園の、教育・思想・芸術・政治科学の分野を担当して総ての調和された環境なり。

他の移住せし民達は、第二船団として、宇宙母船に乗り約六千人が降下せり。

エルランティ外七人の大天使達はこの地に肉を還し天上の世界に帰りたり。我等の残せし偉大なる遺産は、第二梯団にて移住せし諸人が

如何に活用せるかを天上の世界より見守りたり。

エデンの園の中に掟を犯したる者あり。

物に溺れ情欲に溺れ、神の子としての道をはずしたる故に、遂に天上界より我が光の子ミカエルをエデンの園に遣いを出し、道をはずし

たる諸人を他の地方に移せり。

彼等民の間違いを修正させるための反省の場所なり。

彼等は年月の流れと共に我等との交渉を断てリ、神の子としての自らの道を踏み外せしものなり。

アダムとエバのエデンの園より追放の原点なり。

人びとの心はすべて神の子なりしが、自から地上の肉を持ちし時からに、偉大なる魂といえども、手足をもがれたる如く全く盲目なり。

エデンの園から逃れたる民達は、魔に何時の日か心を売り、この地上界をサリ去りしとき、地獄の世界を造り出したり、我が天使ルシフェ

ルは地上に肉体を持ち、迷い多き人びとを救済せることを目的とせしが、自ら道を逸脱しその使命を果たすことあたわず、肉体を持ちし

時の名をサタンと呼びたり、やがてサタンはこの地上を去り、暗国の帝王となったのでる。

サタンの由来はこのような事実なり。

今から三千六百五、六十年前モーゼがエジプトに住みし頃ファラオはサタンに心を売りしものなり。

今から二千五百年前、ゴーダマプッタの前に現れたのもこのサタンなり、別名マーハマラーなり。

今から二千年前インマネール・イエスキリストの前に現れたのもまたサタンなり。

神の心である正法が、人びとの心に浸透してゆく過程においてサタンは必ず、正法の前進に立ち塞がることを吾等は知らねばならぬ。

既にソビエット連邦はサタンの支配下にあり、農作物の不作はソビエットに住む人びとの暗い想念のくもりから、神の光を遮るために、

気候の異変によるものであり、今後もモスコーを中心とした、ソビエットの天候異変は続くものなり。作物の育成期には旱魃が訪れん。

中国大陸の不調和な環境にも天候異変が生ぜん。

アフリカにおける思想的混乱により、多く生けるものの犠牲者を出した処にも旱魃が続かん。各地に起れる地震、天候異変は、そこに住

む諸人の心失いたる者達のすべて警告なり。」

恩師は語り終わって、一杯のお茶を飲み干された。

                     『調和への道』

 

 

  次に、『平成四年一月の園頭広周先生の記述』を上げてみる。

 

「幸福の科学」の問題で、高橋信次先生の名が大きく浮上してきた。これはありがたいことであった。

高橋信次先生のことを知りたいとマスコミ関係者はまずGLAに行った。GLA≠ニ高橋信次先生存命中と同じ教団名であっても、現

在は高橋佳子教になっていて、高橋信次先生とは関係ないと玄関払いされた。それではと、もとGLAの講師をしていて、今は偕和会を

主宰している堀田和成氏や、愛のファミリー教会を主宰している波場武嗣氏をたずねたら、「うちは争いたくない」ということで皆逃げ

てしまった。

月刊「Asahi」に、宗教社会学者・沼田健哉氏が「特集、宗教ブームを科学する」でこう書いている。

新宗教の巨人、高橋信次の素顔

 話題の「幸福の科学」の大川隆法氏も、いまは亡きこの人の著書から多大な影響を受けたという。

戦後が生んだ宗教カリスマであり、大変な霊能者であったといわれている高橋信次。

最後には釈迦、イエス、モーゼを超える存在であると自らを位置づけた現代宗教の巨人・高橋信次の素顔に迫った。

「ミカエル運動」の過程において、年配の講師をはじめとする多くの会員が脱会するという事態が生じた。

GLAから脱退した中で比較的大きな団体としては、信次の著書を出版する三宝出版の代表者であった堀田和成の「会和会」、GLA西日

本本部長であった園頭広周を代表とする「国際正法協会」がある。

さらに波場武嗣の「意識教育研究所・愛のファミリー協会」、渡辺泰男の「光のお仲間」、原田千裕を中心とする「アシュラム東京」などが挙

げられる。

それ以外にも、信次の本を、集まって勉強するグループは多数あり、その総体は把握できない状態にある。

このように、高橋信次の影響には意外と幅広いのもがある。「幸福の科学」の大川隆法に大きな影響を与えたし、「オウム真理教」の麻原障

晃も信次の思想に触れたことがある。いまや信次の存在の意義をもう一度考えてみるべき時期にさしかかっているのではないだろうか。

と、そう書いて、

「信次は『あとは頼んだよ』という一言を佳子に残して死んでいった」

と書いているが、私は高橋信次先生の臨終の席にいたが、そういわれたことはなかったと想う。

もしそれが事実であるとするならば、ではなぜ佳子氏はミカエル事件≠起こして、釈迦、イエス、モーゼ、高橋信次を切り捨てて、

自分が世界の救済主であるといったのか。なぜ高橋信次先生の教えを正しく継承してゆこうとする私をサタン≠セといって排斥したの

か、なぜ、講師は四十五歳まで、会員は四十歳までという年齢制限をしたのか。

沼田氏は、高橋信次先生が昇天されてからのその後の経緯は全く知らないで、ただ外面から眺め、聞き噛ったことの断面をつなぎ合わせ

て論表しているだけである。

ことの真相を知らない間違った文章が後世に遺されたのでは、高橋信次先生の教えが正しく後世に伝わらない。

「サンデー毎日」にも、私とGLA、偕和会などが本家争いをしていると書いてあった。

それなら誰が高橋信次先生の教えを正しく継承しているのか、各会に行ってみればわかることである。

沼田氏が月刊「Asahi」に書いている図も、私が本家に叛いて、離反したような印象を与えてしまう。 

 誰が高橋信次先生の教えを正しく継承しているのか、それは皆さんが勉強していただきたい。

「高橋信次先生の『信復活』の原稿が出てきたので送ります…」と、電話がきた時の感動を忘れることはできない。その電話を聞いたとき

は直筆かと思った。直筆であれば、いま建設を計画している正法記念館に納める唯一の記念物にもなると思った。

それよりも、今混乱している高橋信次先生の教えの正当な後継者は誰であるかという問題にも終止符が打たれると思ったことの方がわた

しのこころをはずませた。同時に、いよいよこれからの使命が大きいとその使命の重大さを感じた。

昭和五十三年九月、正法会(現・国際正法協会)発足以来、現在に至るまでの十三年間は、ひたすらに高橋信次先生の教えを聞いたと称し

て、高橋信次先生の教えを歪めていると思う人に対しては容赦なく批判を加えてきた。私の胸中を知らない人々からは、「人の悪口を書き

すぎる。あなたは宗教家と自称しているが愛がない」といわれてきた。

一番悲しい思いをしたのは、ともに正法を学ぼうと誓い合った同志が、「先生はあまりにも人を批判しすぎる」といって、会員をやめてい

ったことである。そのかつての同志たちはどこに神理を求めようというのであろうか。

 

送られてきたのは直筆ではなくコピーだとわかった時は直筆だろうと思い込んでいたときの期待感が大きかっただけに、一瞬「コピーでは

ないか」と思ったが、考えてみると、コピーだからこそ、その意義が大きいのであった。

昭和五十一年七月号の「GLA」誌に書いていられる、目下執筆中との「新復活」は、直筆の原稿は、とても高橋佳子氏が出版できる内容で

はない。もし出版しだとしたら、今のGLAは解散してしまっていなければならない。

今ここまで読んでこられておわかりのように、佳子さんを連れて西伊豆に旅された時に現れた金色に輝いた天使は、青年の男性の姿であ

った。そうして「この女性にミカエルを入れて語ってもらいます」といっていられるのである。

五十一年三月の紀州白浜の研修会の時、サタンにやられたと高橋信次先生自身が書いていられるТ講師。

Т講師は、私の部屋にきてこういったのである。

「高橋先生はニセモノです。私たちはこの研修会が終わったらGLAをやめます。先生(私)もやめませんか」と。

私が「宇宙即我」を体験したことを話さないうちに、私の心の記録を正しく見て、高橋先生方から、「園頭さん、あなたは『宇宙即我』を体

験しましたね」といわれた事実、私の永い求道の旅で私自身が体験したことに照らしてみた高橋信次先生の教えの正しさ、私には微塵も高

橋信次先生を疑うことはなかった。GLA東京本部の講師も、GLA関西本部の講師も、全員が高橋先生の下を去っても、私一人は高橋

信次先生を守ってゆく覚悟は、昭和四十八年三月、初めて高橋信次先生にお会いしたその日からできていた。

研修が終わってから、大阪・天王寺の都ホテルに泊まった時、サタンにやられた講師たちは皆注意を受けた。

 

その白浜研修会で、高橋先生が、K、Т講師の実名で「この者はサタンにやられている」と書いていられるのであるから、高橋佳子氏を裏

切ろうとしたその講師たちたちが佳子氏を無理矢理にミカエル≠ノしてしまったのであるから。

だから、高橋信次先生は「高橋佳子氏は出版しない」と見定めて、コピーを取って某氏に渡していられたのである。某氏は、ある探し物

をしていて、このコピーの原稿を発見して、自分でもびっくりして私に電話されたのである。

 

大川隆法氏の問題で、高橋信次先生の名前が浮上してきて、GLAと私を、その他の人たちが本家争いをしていると世間の人が見ている

時に、その時に、この原稿が私のところに送られてきたという。そのタイミングのよさに驚いている。

コピーの原稿とともに、高橋信次先生着用の背広も送られてきた。

背広から漂ってくる波動の中で、高橋信次先生存命中のあれこれを傀んで涙した。

高橋信次先生が亡くなられた時、もっと聞いておきたいことがあったのに、と淋しい思いをした。

しかし、わからないことは自分一人の力で切り開いて悟ってゆかなければならない。

私は自分に教えられたそのことだけを頼りにしてゆくことの心細さに打ち拉がれそうになることもあったが、そのたびに褝定をした。

 私が念願しているのは、高橋信次先生の教えを受けた人たちが、また一つになることである。

 

                                   『高橋信次師の随聞記』

                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

  

 

 

正法とは

                                                                           

正法とは、神がつくられた大宇宙・大自然の真理であり、宗教はその真理を説き、その真理に発した道徳を教え、正しい秩序ある社会を

つくり、人間が幸せになる道を教えるものである。

神は生命を創造し、物質を創造し、生命は生命の法則をもって、物質は物質の法則により、それぞれ循環と因縁、因果の法則によって存

在せしめられることとなっのである。それゆえに、生命の法則を説く宗教と、物質の法則を説く科学とは表裏一体とらり、切り離すこと

はできないものとして存在しているのである。これを物心一如、色心不二、心身一如ともいう。

これまで宗教と科学とが相反するかのように説いてきたのは、宗教家が真の真理を知らず、科学者もまた無知であったからであろう。

宗教と科学とが一体であることを知ることによって初めて真の人間性が開発され、大宇宙・大生命即ち神と調和され、人々の心は安ら

ぎ、地球上に極楽浄土が完成されるのである。

極大の大宇宙から、極微の原子世界に至るまで、一貫した法則によって支配され、その中に人は心を持って存在している。

心とは意識であり、魂であり、霊である。

仏法によって生命の不変を説かれた釈迦も、大生命大自然の真理を説かれたキリストも、大自然の心理に到達された偉大なる先覚者であ

ったのである。

大宇宙は神によってつくられた。大宇宙体は神の意識の表現である。この、神の意識を「大宇宙大神霊」という。「大宇宙大神霊」は智

慧と慈悲とを持つ一大生命エネルギーの根源であり、万生万物を存在せしめかつ生かしたもう。

正法とは、神がつくられた永遠不変にして普遍的な道である。

正法とはいかなるものか。それにはまず次の高橋信次先生の「ことば」をよく知ってもらう必要がある。

 

  正法の返遷

  この地上における正法の変遷を、過去一万年までさかのぼってみることにしよう。

  今から約一万年ほど前、南大西洋にアトランティス大陸というのがあって、文明は非常に栄えていた。

信仰の対象は太陽に向けられ、人間の魂は、あの太陽のごとく、光り輝くものであり、慈悲と愛の心こそ、人間のあるべき姿として、正

法が説かれていた。

 法を説いた方の名を、アガシャといった。アガシャを中心として数多くの如来、菩薩が道を説いていた。現在、南大西洋にはその大陸

はない。アガシャをのぞく多くの天使たちを時の為政者が殺戮したため、法の裁きによってひき起こされた。

 六千年後、文化はエジプトに移ってきた。そして今から三千二百年ほど前にモーゼが現れ、人々を奴隷の身分から救った。

 釈迦がインドで生まれるまでの約7百年間のある一時期は、地上界は地獄と化していた。略 

奪、強盗、殺人が幅をきかせ、世界は暗黒と化していた。釈迦が生まれる二.、三年前から、光の天使による地上浄化の地ならしが行わ

れ、やがて釈迦が生まれた。この時も、光の天使が数多く地上に生を得ている。釈迦は、主として慈悲を説いた。

 イエスはそののち約五百年後に、イスラエルに生まれ、愛を説いてい、慈悲と愛の神の心が地上に伝えられた。

 その後、伝教は西から東に移った。中国である。天台 eq \o(\s\up 9(ちぎ),智)が法華経を世に伝え、正法を中国の地に復活させ

た。ただこの時は、仏教も難しい哲学、学問と変わっており、衆生を救うまでには至らなかった。

 天台智のあと、伝教大使が、日本に仏教を樹立させた。仏教の後は、やはり他力信仰が中心をなしていった。

一方、キリスト教は次第に折りの宗教に変わっていった。

 このようにして正法は現在に至っているが、正法は過去一万年の間、このような変遷をたどり、イエス以降は、他力信仰が人類の生活

に密着するようになってしまった。しかしイエスも釈迦も、他力信仰を一度も説いていないのである。また、地上が末法と化すと、ある

時期を定めて、神の命を受けた光の天使が地上に生を得、道を説くことになっている。

アガシャ、モー ゼ、釈迦、イエスの時代を見れば、このことは一目瞭然であろう。

 また、正法の根を絶やさないためにも、こうした人々が光をかかげ。人心を、正しい方向に持ってゆかなければならなかったといえ

る。現代は、まさにその時期に当たっているといえるだろう。

  ジャブドーバー(釈迦は日本に生まれた)

  ある方からこんな質問が来たので、今回はそれに答えることにしよう。

  質問の要旨は、ゴーダマ・ブッダは、なぜ日本を再生の地としたか。どうしてアメリカや、他国を選ばなかったか。というのであ

る。

 一口でいえば、仏教―正法が伝えられやすいからである。

 二千五百余年前に釈迦は、ジャブドーバー(東方の国)のケントマティー(都会)において、ふたたび正法布を行うと弟子たちに宣言した。

 どうしてこのような宣言になったかというと、今日の世界事情がどのように動き、人類の意識がどう変わってゆくか、ということが、

ブッダには理解されていたからである。まずこのことが第一点。

 第二点は、正法を再興する場合の地理的条件が加味されたのである。世界の交流が始まったのは、せいぜいここ百年くらいの間であ

る。それまではごく一部の要人、商人を除いては、ほとんど他国との交流を持つことがなかった。また持てなかった。正法が流布されて

ゆくには、言語や地理的条件が当然考慮されてくる。仏教がインドからチベットな、そして中国に伝わり、 

日本に渡ってきたのも、こうした環境的理由があって、必然の過程を通ってきたのである。

 第三点は、正法を理解するにはそれを受け入れる基礎的土壌が必要である。伝統や風習が異なり、ものの考え方に大きなへだたりがあ

る場合は、正法を突然持ちこんでも、それを咀嚼するのにかなりの時間が要るだろう。

  しかし、日本における仏教の歴史は古く、そして伝教大使が法華経を中国から持ち込むことによって、仏教は定着したのである。そ

の後、仏教は形を変え、他力に変わっていったいったが、形だけとはいえ仏教が日本人の生活の中にとけ込んだことは事実であり、正法

の真意を伝えるのに、理解しやすい条件を生み出しとぃる。一方、また、日本人の勤勉さ、進取の気性、他国

の文化を受け入れる柔軟な素質などは、今日の経済発展なり、科学や文化の進歩を見れば釈然としてくるであろう。

  このように、正法を流布するという前提で、日本という国が選ばれ、今日、具体的な活動となっているのであり、そうしてここへく

るまでには、現象界の状況が絶えず見守られ、実在界で計画されてきた。それゆえ、ブッダの公約は、必然の形をとって現在に至っているわけである。

 第三者から見ると、アメリカやヨーロッパでもと思われるであろうが、右の事情を参酌すればおのずと理解されるであろ。

 正法流布は、こうした計画性の下に進められてきている。

この二つの「ことば」によって明らかであるように、正法の活動は、神の心をもっとよく知られたアガシャによって始められたものであ

る。

神よりこの地球上の人類の魂の救済の使命を与えられた霊団を「アガシャ系の霊団」といい、その最高指導霊をアガシャといい、このア

ガシャは後にインドに釈尊として出生されて法を説かれた。

この釈尊を中心として、モーゼ、キリストという方がいられる。モーゼに対して

「ヤーヴェ」(エホバ)と名乗ってモーゼを天上界より指導され、「十戒」を授けられたのはエルランティ、つまりアガシャ、後の釈尊、

そしてこのたび、日本に高橋信次として出生された方であった。

キリストはイスラエルに出生される前に、エジプトに「クラリオ」そしてまた「アモン」という名で出生して法を説かれた。「アモン」

―それはキリストのことであった。その「アモン」を讚える言葉が後に「アーメン」となったのである。

アガシャが、リチャード・ゼナー師を通して語られた霊言によって始められたのが、ロサンゼルスの「アガシャ教会」である。

これまでに八回ほど訪問されているが、昭和六十二年六月と十一月の二回、園頭先生は「アガシャ教会」を訪ねられて、その時今後の世

界の宗教活動について話し合いをされている。

いよいよ正法を国際的に広めなければならないときに、園頭先生は三年の闘病の末、平成十一年ご自分の誕生日のその日に亡くなられて

しまった。

それからの数年間は柱が抜けたような心地だったが、一人でコツコツと作り上げた九百万字数の巨大な「正法のホームページ」だけは、

平成十五年一月には五十万件のアクセスを越えて一人歩きをして増えつづけている。

二度の脳出血の後遺症により左手に麻痺が残るが、健側の右手は疲れを感じても、左指一本で打ちつづける麻痺側は、麻痺のためか疲れ

をまったく感ぜず、無理がこじれて腱鞘炎になってしまった。自動車運転は送りハンドルになる始末で、数年経った現在、やっとホーム

ページの更新を始めることと成った

人類の平和は、正法による以外にない

 現在、日本には十八万五千の宗教団体があるといわれている。

それらの宗教団体は、部分的には正しい法を伝えているものもあるが、大部分は地獄霊や動物霊に憑依されて始められたものが多いと想われる。

園頭先生が指摘されているように、つぎのような教祖を持つ教団は、皆地獄霊や動物霊に憑依されて始められた教団であると考えてい

る。

地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、金によって救われると説き、金集めが上手で金に汚くなる。

地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、性欲が強くなって女をこしらえる。

地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、権力欲が強くなり、傲慢になり、服装や生活が派手になる。

地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、内心、自分の力のないことを知っているので取巻をいつも従えて歩く。

地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、いうことと、やることが違って冷酷になる。

 これらによって、どの宗教団体が正しいか判断してください。

正法は、神より始められた神理を伝え、人類が最終的な理想世界を建設すためには、人類すべて「正法」に帰ってこなければならないこ

とを説いています。

これを読まれた方は、ともにまず心の面から世界浄化運動に立ち上がっていただきたいのです。

 多くの人々が信仰による心の安らぎを求めながら、動物霊や地獄霊に憑依された教祖たちに惑わされ、なけなしの金まで巻き上げら

れ、むしろ信仰したがためにかえって心に苦しみが増してきたといっていられる現状を見ては、私はじっとしていられません。

いっときでも早く、多くの人々に「正法」を伝えて、信仰をしたがためにかえって苦しみ悩んでいるという人々を一人でも多く救ってい

ただきたい。

皆さんの力で、この運動を盛んにし、正法は厳然として永遠不滅ですから、人類に遍(あまねく広めて欲しいのです。

 

 

 

 

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