私は、新しいことには直ぐついては行けないけれど、保守的だが分別のある初老です。 高橋信次という方と、その一番弟子の園頭広周という方に正法という神理を学びました。 どちらもすでに故人となられていますが、お二人とも何十冊という本も書かれ、あなた方がとっても興味のある霊能者としても、あなた達の教祖さま
に負けない位に超一流だったと思っています。
信じてもらえるかわかりませんけれど、高橋信次という方は、かって、釈迦といわれた方です。 『人間・釈迦』四部作(三宝出版社)高橋信次著を読んでいただくとおわかりになりますが、他の釈迦伝とはまったく違う、その人でなければこうは書けまいと言われてきた奇跡の本です。
周りには参考にされる本など一切なく、眼前に広がる情景の通りに自動書記されたといいます。 その一端を上げると、「お釈迦様は紀元前五百七十五年ニ月十五日になくなりました」とか、 「西暦はイエスの生誕から始まったということに由来しますが、イエスキリストは紀元前三十二年に生まれ、五十四歳で亡くなっています」 と、私が「高橋信次の新事実」と名づけているものは、ゆうに一冊の本になる位の、歴史が塗りかえられる程の質と量と思っています。
お二方とも宇宙と一体となる「宇宙即我」という境地の体現者であり、日本が生んだ世界的な覚者と信じています。 講演ビデオテープや講演テープや著書も沢山ありますが、お二方とも誠実で、一つもあやふやなところがない人と思っています。 インターネットの画像と音声の圧縮技術がもう少し進歩して、二時間講演ビデオも流せるようになると、いずれは家庭のテレビでも見れるインターネットのボタンをクリックすると、各家庭にズカズカと正法が入り込むのです。
一方、園頭広周という方は、この方も 高橋先生に負けず劣らずという奇跡の持ち主で、お釈迦様の時代にはお釈迦様の片腕といわれた舎利佛
であり、よくご存知の般若心経に出てくる舎利子です。近年では西郷隆盛の生まれ変わりといわれ、何十冊という著書群を読まれる
と、「そうかもな」と納得できると想います。
最近 、生まれ変わりの本が多く見うけられます。生まれ変わりが名の通った人であればあるほど、現代もそれなりの業績がなければ私なら鵜呑みにしません。
疑って疑ってトコトン疑ってそれでも真実なら、そのとき信じれば良いのです。 食わず嫌いはいけませんが、そのときは自分の嘘のつけない善なる心で正しく判断すれば良いと思います。人に嘘はつけても自分の心には絶対に嘘はつけません。その嘘のつけない心を頼りに正しく判断するということです。ニセ者はそのうちにいつか馬脚を現わすものです。
本物はいつまでもいつまでも真実だ、と思われませんか。
それでは園頭先生の霊能の一端を上げましょう。
園頭先生の霊能
本も出している有名な霊能者が、大祭をするというので訪ねられます。 話も始まり、「ここだ」というときに先生が光を送られると、教祖は突然、支離滅裂なトンチンカンな話を始めました。 それから体が蛇行(ヘビのように動くこと)を始め、祭壇に祭られた一升瓶を開けて、「苦しい」と言いながらすごい形相でゴクゴク飲み始めます。
そのようなことですから、そこに集まった
信者達は「こんな事は初めてだ」と総立ちになって、大祭もメチャメチャだった、というのです。 また、或る教祖は、「あなたが来ると目がまぶしくて何もできなくなる。だからこれからもう来ないでください」と断られます。 どうしてこんなことが起きるのかと申しますと、動物霊のヘビに憑依された教祖は、先生の光によって、あらぬ痴態、恥さらしを演じたというのです。 動物霊や地獄霊の協力、仕業(しわざ)によって、病気治し、もの当てや予言ぐらいは出来るので、人を集めて教祖になることも出来ます。 また、まぶしくてというのは、 先生は菩薩界と如来界の中間に位置される段階の人間性の方ですから、あの世の暗い霊にとって、まさしく光の化身です。だから教祖がまぶしくて何もできないということになるのです。
高橋先生はビデオの中で、弟子に手をかざして「見えますか」と確かめられることがあります。 すると弟子は心の眼でそれを見て「見えます」と答えます。霊能を自由自在に駆使される高橋先生といえども、このようにいつも謙虚に自戒されるのでした。
手かざしとか手当てというのは その人の人間性、雰囲気、後光(オーラ)、 が相手に働きかけて病気が治るのです。イエスの衣のふさに触れると病がたちどころに退散せりというのは、こういう です。
次に人間性の段階を表わす如来、菩薩の心を簡単に述べますと、如来とは慈悲と愛の塊の人でありまして、あの世とこの世(全部で三百六十億)
を通してわずかに四百二十五人と高橋先生は云い残されています。この世だけでも六十億の人口ですから、いかに少なく偉大なものか
お分かりになるでしょう。
その下の菩薩界は、これもやはり慈悲と愛の人ですが、二万人です。 その下の神界は、損害を受けても避難せず、その原因を追求しても責めず反省をする心の世界です。 この神界は神様の世界ということではなく、神様が人間に望んでおられる心の世界という意味の一億数千万人の世界です。 これは博士、科学者の多い世界。その下の霊界は、ギブ・アンド・テイクで、与えたものが帰ってこないとスッキリしない心の世界で、地球人類 の三分の一です。
その下の幽界は、自分さえ良ければ人はどうでも良いというエゴの世界で、大半です。 これら如来界、菩薩界、神界、霊界、幽界の人が天上界へ行ける天国の心です。 天上界へ行ける最低の心が、自分さえ良ければよい、というエゴの世界ですから、神様は広い大きな心で許しておられるのだなーとホッと救われた気分です。
でも、神様が人間に望んでおられるのは、被害を浮け損害をこうむっても相手を責めない、避難しないという神界の心ですから、こうなると自分はどうかなと考え込んでしまいます。
皆様はいかがでしたか。これは高橋信次先生が教えられたもので、心の段階が的確に説明されていて、良い時代に生まれ合わせたものだと私は感謝しています。
心の段階の話をしましたから、それではオウムの教祖さまはどんな心の段階か述べてみましょう。 毒ガスを無差別に誰彼なく撒いた心の状態は、何人も殺すというとても異常なことと思います。 なぜなら、人間は、魂の修行のために この世の地上界に生まれてきていても、 ガスを浴(あ)びせられ亡くなったことで、魂の修行を中断させる
のですから、その責任は逃れられません。
これは法律の尺度とは少し違いますが、人間は生まれ変わり死に変わりして、人生修行という魂の勉強をするのですから、人生を中断して無駄にするのがいかに重大なことかお分かりでしょう。
これが一つ。 それから、もう一つは、正しいということの尺度、判断の目安は、「そのことによって心が安らぐか、そのことによって皆んなが調和するか」の二つを同時
に満(み)たすことです。
この尺度に当てはめたとき、毒ガスを撒いて人を殺したことが正しいかと尋ねても、誰一人 として「それは正しい」と答える人はいないでしょう。 毒ガスを撒くとは、誰が考えてもく暗い心の世界です。 明るい心の世界を天上界といい、最低レベルがエゴの心と述べました。 教祖の行為は、最低レベルのエゴどころかもっとズーッと下の、光のない暗い世界の事象です。 暗い心の世界を地獄界と呼んでいます。 言いかえれば教祖の行為は暗い地獄の行為そのもので、心が地獄の世界に同通していると言いたいのです。 それでは暗い心の世界、地獄の世界はどんなものか述べ ましょう。 地獄界修羅界(しゅらかい) → 餓鬼界(がきかい) → 煉獄(れんごく) → 無間地獄(むげんじごく) → 魔王(まおう) (ルシフエルは、天上界とも
連絡を断ち、地獄の帝王となってサタンと呼ばれている)
修羅界
人を争わせる闘争対立の心を持つ人。信仰によって争いを生み出す人。 自分の利益優先で人を陥(おとしい)れ利用する人。
餓鬼界
金銭欲が深く、いくら持っても満足しない欲の塊の人
畜生界
動物の本能のままに見境なく性欲に狂う人
煉獄
狂思想家 、エゴイスト、狂宗教家 。異常な位にひどく怒る人、異常な位にひどく怨む人、異常な位にひどく悲しむ人。
無間地獄
戦争の計画者、集団闘争の計画者、間違った教えで悪の煽動をした狂宗教家、権力で大衆を誤った方向へ導いた指導者 。この界にはスターリン、ヒットラー等がいる。
以上は高橋先生の分類です。 あなた方の教祖さまはどの界層に当たられると思いますか。 たとえば最下層の無間地獄を例に引けば、神の光を完全に閉ざした世界ですから、自分の身の置き場もわからないという光の全くない暗黒の世界
です。
地上生命のエネルギー源は太陽です。なぜなら、太陽の熱、光がなければ太陽系は一瞬にして死んでしまうように、あの世のエネルギー源は神の光であり、霊太陽ですが、彼らの世界は神の光を閉ざした世界なので、地上の悪の人間を媒体としなければ、地獄界を形成し得るエネ
ルギーを確保できないので、彼らも同類(類は友を呼ぶ、波長共鳴の法則)を探し出してコントロールします。これを憑依(ひょうい、
とりつく、背後霊としてしがみつく)といいます。
加えて言うならば、地獄界のエネルギーは人間の心から発する悪の想いですから、地上に悪がはびこれば地獄界はいよいよ賑やかに、忙しく騒がしくなり、地上はますます悪くなります。こういう意味では、死者の霊をさとすより地上の人間の悟り、或いは 教育が大事と思います。
新興宗教や拝みやさんの中には、お尋ねや病気治しで人を集めているところがあります。予言やお尋ねがよく当たると評判になり、人も自然に集ま
ります。
ナゼ当たるのかと申しますと、拝みやさんに憑(つ)いている動物霊や地獄霊が教えるのです。 この世で起こることは次元の違いから先にあの世で起こります。 時間と空間の概念がないのがあの世ですから、先に起こるということは、それは偶然ではなく必然ということで、一点なのです。 動物霊や地獄霊が、あの世で起こったことを先に知って、拝みやさんに耳に声で聞かせたり、眼に光景として見せたり、予感、直観や感じとしてわからせます。
その様態は色々です。それを中継(なかつ)ぎして、拝みやさんがお尋ねをする人に教えるわけです。
概して拝みやさんや霊能者といわれる人は、滝などの行、業によって霊能を得ている人が多く、人間性や人格的(光の量の区域)には余り高くないので、同類の法則によって、高潔ではない程度の低い動物霊や地獄霊の協力による場合が多いと考えてよいと思います。
ですから、高等な込み入ったことを尋ねてもあの世の霊は答えられません。そのために媒介の霊能者は曖昧な解答しかできないので全く当たらなかったということになります。
これが当たったり外れたりする理由です。でも、暗い出来事、例えばいつ事故を起こすかとか、いつ病気で倒れるか等の暗い予告は良く当たります。
これらを暗い地獄の霊の協力という位いですから、暗いことは最も得意とする分野です。
一方、明るい世界の霊の協力によるものはどうかと申しますと、光の量の区域が上がるにつれて予言、予告の確率は高くなります。
ちなみに、モーゼ、釈迦、イエスを分身に持たれた真のメシヤ・エルランティである高橋信次先生の予言、予告は、百パーセントの確率といわれています。
予言の当たる確立は、幽界→霊界→神界→菩薩界→如来界と高くなります 同じ予言をするにしても、明るい霊の場合はそれがたとえ悪い結果であっても、尋ねる人を勇気付け、その解決方法は愛を持って教えます。 ところが、暗い霊の場合は、これだけの献金をしないと最悪な状態になる等と、心理的に脅迫することさえあると言いたいのです。 超能力ということあなた方の教祖様も恐らく他心通といつて人の心が読める、予言はされる、水に長くもぐる、物体移動 、物品引き寄せ、幽体離脱 空中浮上など、
アッと驚くことをされたと思います。そのためにすごい超能力者だと、尊敬と恐れの、畏敬の眼差しで教祖さまに接されたと想像され
ます。
世の中には、人と変わったことをすると、マスコミも 雑誌も何でもかんでも、口を揃えたように報道をして皆を煽ります 以前にありましたユリゲラーの報道合戦、。 このときはまだ高橋先生もご健在で、彼のことにも触れられて、動物霊が彼に協力しているとの話があります。 これまでに何度も来日していますが、週刊誌にも、気分屋で気分がコロコロ変わり、対応するのに大変だったと関係者は語っていました。 相手が動物霊ですから、それはそうだと思います。 あの世には動物霊を指導する役職の諸天善神がいて、菩薩界へ昇段する為の大変難しい役目なのだそうです。 本能のままの動物ですから、一筋縄ではいかぬ役職を経て、めでたく慈悲と愛の心の菩薩界というわけです。
あなた方の教祖さまの様子は如何でしたか。 あの世の低級な霊が協力すると何が出来るか動物霊や地獄霊が協力するとアッと驚くことをします。 先に述べたもの以外にどんなものがあるか挙げますと、大黒さま等の小さな仏像を出す。水を酒に変えてブクブクと無限に出す。スプーンをギザ
ギザのフォーク状にする。眼や饅頭の中から真珠様の白い玉を出す。指先から灰を出す等、もう何でもいいのですが、とても信じられ
ないことをするのが特徴です。トリックの有る手品でないのなら、それはみな霊現象と思います。
これらのどれを見ても、物珍しく驚くことには値しても、他愛のない低級な霊現象と思いませんか。例えば、高橋先生の場合は物質化現象にしても、真実そのものでした。 ある人がジャワの鉱山を採掘するのに、採算が合うかどうかを相談に来ました。 先生はしばらく瞑目されると、頭上に高くかかげた手から三個の鉱石が転げ落ちます。 そして、高橋先生は「ショベルローダーとこれだけの器材と人夫何人 資金いくら用意すれば採算に合う」と答えられます。そこで、相談者は、鉱石
の二つを通産省に分析依頼をし、一つは参考品として残します。二つの鉱石はトン当たり金がどれだけ、銅の含有量どれだけと完全な
分析結果が出て、採算ラインに合うというものでした。高橋先生の霊的な物質化現象は公的な試験場で分析さえもできるものでした。
このように本物は真実そのものであり、ジャワ現地 のそのものの鉱石が時空を超えて物質化されたのです。これを相談者は、参考品と
して残した鉱石はお見せしますと著書に記述しています。
ところがこれには後日談がありました。 高橋先生の存命中(亡くなったのが昭和五十一年)に先生の元を離れ、その後は大川氏の幸福の科学で見かけましたが、「彼に悪用されるといけませんから私の霊力で消しました」と高橋先生は園頭先生に激白されています。このように人の行く末が予想できたのです。予想とい
うよりもその人の心の傾向性から必然的に結果が見えたのでしょう。
それでは、 高橋信次先生がはすべてをお見通しであったことを証明するニつの事例を述べます。一つは高橋先生の長女さんについてです。 先生が亡くなると、当時大学の二年生であった彼女はSF作家の平井という人と共謀して一連の「ミカエル事件」というものを引き起こします。
「父信次は自分を生むだけの存在であり、自分ミカエルが人類を救うのである」、会員は四十歳までという年令制限もあるというもの
で、都内のホテルでミカエルを売り出そうと記者会見を開くも、記者の質問に答えられず泣き出して、ポスターも一夜の内に剥いで廻
わります。
こういうことが起こる前に、高橋先生は亡くなる直前 、「新・復活」という原稿を書いているという予告が講演でもなされていました。 「娘はこの本を出せない」と見通しておられた先生は、原稿をコピーして弟子の一人に託されていたというのです それが ニ十数年経って、その人から突然、園頭先生の許に送られて来て、それを元に園頭先生は出版を準備されていました。すると彼女側の弁護士が先生を訪ね出版を差し止め、現在も幻の『新・復活』となっています。こうして出版は中止されたのです。
また、このミカエル事件等の高橋先生亡後の混乱について、弟子の一人は自著の中で、「先生は亡くなる前に今までにない大事件が二年半すると起こる」との予告を聞いた、というのがあります。まさにミカエル事件も予言通りでしたが、この様に全部お見通しであったと言い
たいのです。
もう一つは、ハッピイ科学の教祖さまのことです。 霊言シリーズを書いた父親の善川三朗氏は、高橋先生の講演を聞いたことがあるということです。その影響からか教祖さまは、何十冊も霊言、霊訓集を出されていて、とりわけ『新復活・高橋信次』等の「高橋信次もの」といわれる著書は二十冊を数えました。高橋先生が教祖
さまに降りて来られるにしては、書かれている内容の波動、文章の格調の高さが高橋先生とは全く違う異質のものと、我が師の園頭
先生は「違う、断じて違う」と、 著書『「大川隆法」はこう読め』、『続「大川隆法」はこう読め』、『大川隆法は仏陀ではない』、
『高橋信次師こそ真の仏陀であった』や会誌や他の著書群で警告を法発されました。
それが 原因なのかどうかわかりませんが、「高橋信次もの」はあれほどの数だったのに、すっかり影を潜めました。 ところが、フライデー事件があった後しばらくして、教祖さまは園頭先生を告訴して来られました。 私も、これは天上界の存在を証明するためにも、光の天使・園頭広周先生を護るだろうなと信じていた通りに矢張りというか、そのようになったようです。
このように問題は幾つかあっても、高橋信次先生の名を広めてくださった功績は特筆しても余りあると思っています。 ところで、高橋先生は講演会の中で、「関西出身の人が出る」という話しがあったようなのです、大川教祖さまは高橋先生の後を継ぐのは、それが自分であると考えられたようで仏陀だの、カンターレ(釈迦のあの世での呼称と、高橋先生は昭和四十年代に明かされました)だのと
矢継ぎ早に出版されました。
これは困ったことだと園頭先生は、一緒にそばにいて聞いていた人の名を上げ「高橋先生は否定されている」と公表され、それによると、混乱させる男性が出るという意味のことだったようです。
代表的な二つの事例を挙げましたが、このように高橋先生は亡後のことも全部お見通しなのが、高橋先生のすごいところでした。 このほかにも混乱させる困った人達のことを、高橋先生は実名で何人も言い残しておられ、自著も出して正法を隠れ蓑(みの)にして活躍されてい る人もおられるということを告げておきます。 金粉現象そして、高橋先生が亡くなる直前の最後の研修会での講演は、まさしく大熱演の獅子吼(ほえ)の講演で、降壇された先生の額(ひたい)には、
それを剥ぐと 「L」字の金が出ます。LはエルランティのLで、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、サリエル、パヌエル、ラフアエル、
ルシュフエル(後にサターンと呼ばれた魔王.そのために後ではラグエルがルシュフェルの後任として入る)などの七大天使につけた
エル(L)をいいます。この時も大量の金が出ます。
また、別の講演会では、「数十グラムの金の塊は熱くて、先生の顔も手も金でキラキラ輝き、お釈迦さまの仏像を金で荘厳(しょうごん)するというのは、こういうことなのかと理解した」、と高橋先生の弟子の一人は著書に書いておられます。
このように真実のものは純金であり、動物霊、地獄霊の出すものは銅を主体としたものであり、その姿を永久にとどめることは出来ません。このように真実のものは真実のものとして、いつまでも消えて無くならないもののようです。それが本当だと思います。
あの世の霊が憑(つ)くとどうなるか
あの世の悪い霊が憑くからには、その人も悪い霊と同じ心の在り方をした同類ということです。動物霊などの憑いた方からすれば、憑くからには憑く正当な理由があります。それは同類だからです。
悪い霊が憑くことを憑依と言うと述べました。 憑依現象には、ノイローゼ、精神病、最近話題の多重人格などがあります。多重人格の場合
一人の人が、何人もの性格、人格を持つという意味です。普通では、こんなことはとても考えられません。 一人が、何人にもなるなんてどう考えても腑(ふ)に落ちません。 それはどういうことかと言うと、一人の人が色々な正しくない心の在り方、生き方をしていると、それに見合った、似合った同類の霊が次から次へと
憑いて、様々な性格、人格を現わすということです。
A
が憑いているときはAの人格を現わし、次にAが離れて代わりにBが憑くとBの人格を現わし、次にC、Dというように次々に憑いて、そして全部離れると本来の自分に帰るのです。だから多重人格といいます。
例えば、多重放送というのが有ります。同じ番組なのに、スイッチ一つで日本語放送 、英語放送 、…と幾つもの放送を聞くことが可能です。一つの番組でありながら幾つもの、また、一人の人間でありながら何人も・・ということです。
「一念三千」と言って、人間の心の針の向け方は自由自在ですから、何人も憑くということは、それだけ治療も困難を極めます。いかに生き方、心の在り方が大事かということです。
ところで、 霊が憑いているのなら霊能者に依頼して取り払えば良いではないかという考え方があります。 どうしてそれが危険かを話します。 霊能者と言われる人達は、滝業などで霊感を得ていることが多く、霊能中心になって依頼者の心を変える力がないことが一つ。 それともう一つは、霊能者に憑いている強い悪霊が、依頼者の弱い霊を蹴散らして一時は治ったように見えても、次には強い悪霊の配下や子分が憑いて、前よりもっとひどくなったということが起こるからです。
高橋先生の講演会でも、現証の時間に悪霊を先生の力で除(よ)けるということを皆の面前で公開されました。ところが、その後の講演会には、また別の悪霊とご同伴ということが起こりました。
このように、その人の心が変わらなければ、どんなに劇的に除霊されても別の霊が憑いて、それは一時的なものに過ぎないということです。 いかがですか、あなた方の教祖さまも除霊、浄霊をなさいましたか。それでは次に、憑依されている人の見分け方をわかり易く述べてみましょう。 憑依された宗教団体の教祖さまの特徴
1、感情の起伏がはげしく考えがコロコロかわる
2、 金を集めるのが得意 3、性欲が異常に強い4 、派手なことが好きで特異な格好をする
5、純金やキンキラを好む 6、 多くの取り巻きを連れまわり威張りたがる 7、体の周辺が、いつも冷え冷え、又はいつも熱っぽい8、強情で人の言うことを聞かない
9、人や食べ物の好き嫌いがはげしい
10、顔色が土色か、またどこか黒ずんでいるか、その反対に蒼白で精彩がない
オウムの教祖さまのこと
かって教祖さまが、表紙に自分の体が空中に浮いている本を出されたとき、手に取ると私は「アッ動物霊が悪戯をしている」と、おもわず叫んでい
ました。
一、ニメートルを浮き上がるのに長い時間を掛けて、それも一瞬のパーフォマンスのために全力を上げるなんて労力と時間の無駄と思いました。そんなに宙に浮きたいのなら、天井から下げたロープに吊り下がれば良いと思います。
これはもう言うまでもなく、動物霊の協力により浮き上がったのです。 人と少し変わったことをすると皆が集まり、一つの新興宗教が出来あがりということなります。 物体移動 トランスポーテイションともいい、物体が移動したり、飛んだりすることを言います。 外国の華々しいのになると、テーブルや椅子が一メートルも二メートルも移動したり、皿が空中を飛び交う例もあるようです。この世に不思議はありません、必ず理由があります。理由がつかないのなら、あの世の霊の為せるワザです。
この世の人達がアッと驚くことも平気な霊ですから、 低級な動物霊か悪霊のシワザ です。 常識ある光の天使などの明るい霊は、そのようなことをすると思いますか、決してそのようなことは致しません。
カリスマとマインドコントロール
カリスマ
どちらも最近よく使われる言葉です。 宗教関係から来た言葉であるカリスマは今どきの美容関係にも使われ、人の気をそらさず上手で超人気の技術者ということのようです。 本来は神がかった言葉と行動で、衆目の関心と注意ををそらさぬ資質を持つ人という意味に使われます。新興宗教の教祖やヒットラーと共に余り
良い意味には使われていないというのが現状のようです。
本当のカリスマという意味は、この世のこともあの世のことも、過去 現在、未来のことも全部お見通しの覚者 悟られた人を言います。 どうしてこのように過去も未来も全部わかるかと申しますと、あの世の霊の協力によって全部わかるのです。 これまで述べましたように同類の世界ですから、光の大天使の協力を受けるには、こちらの方もそれに似合った資質の持ち主だけということになります。
高橋信次先生は、正にそうだったと言えると思います。 亡くなっている今となっては、残された著書、講演テープ、講演ビデオ、弟子の話しでしか確認できませんが、相談者は、ただ黙って座るだけで何も言わないのに、今考えていることも、それまでにやってきたことも、過去の過去世(生)のことも来世の未来のことも、高橋信次先生
は即座にわかられた、といわれています。
まさに黙って座ればピタリと当たる世界、というわけです。 一時期、先生は、関係筋の機関から迷宮入りの事件解明の依頼を受けて、解決の手助けをされていたことがあります。 すると、天上界から事件解決屋みたいになぜ片棒を担ぐのか、お前は人の道を説いていれば良い。そのようなことばかりやっていると、都合の悪いやつらから狙われるぞと注意を受けられ、それからは全部断っているというのやら、例の三億円事件もわかっていますがね、と
いうのもあります。
このように万能の方でしたから、弟子達はただ先生にぶら下がってついて行くだけで良かったので、先生が亡くなられると大混乱を引き起こすことになります。
横道にそれましたが、悪しき霊から協力を受けていたのが、ヒットラーや教祖さまであり、善いカリスマの超一等の方が高橋信次先生で、その次が園頭広周先生と私は思っています。
マインドコントロール マインドコントロールとは、信者や会員を教祖さまの教えで「教祖さま漬け」にすることです。最近は悪い方の意味に使われています。 もし、教祖さまの教えが間違っていたらそれこそ悲惨です。なぜなら信者全員が間違った教えで狂わされるからです。 体の毒は死んでしまえばこの世限りですが、心の毒は、懺悔、修正しなければいつまでも続くから一大事 というのです。 このように心の世界では、間違った狂思想家、間違った教えを説く狂宗教家は、最下位の暗黒の世界に住するというのです。そして、その教えから一人残らず解放されるまでは、光を完全に閉ざした身の置き場もわからぬ所が棲家(すみか)です。
一方、善い方のマインドコントロールは、心の「正しい教え漬け」ですから良いことばかりです。 「正しい」ということの定義は、前に述べましたように、それによって心が安らぐか、それによってみな調和するかの二つを同時に満たすものというのですから、悪いはずはありません。
私は、これを心の「正法漬け」と呼んでいて、私は完全な正法漬けです。正法によるマインドコントロールを甘んじて、否、それどころか積極的に受けています。
かって、教祖さまは自著の中で、高橋信次氏の光というものに安らぎを感じて本を読み漁(あさ)ったが、何の解答を得られぬまま他の教えへ … 云々というのがありましたが、これに対して園頭先生は、大学の講義を小学生がわからぬように、まだそこまで至っていない人の言いぐさであり、私は光を感じ、安らぎを感じ、解答も得られたとの反論の長文もあります。
独り言(ひとりごと)の秘密
オウムの教祖さまは、裁判所や牢獄でも、よく独り言をつぶやかれるそうです。 一般的な独り言は、一つの精神作用として問題ありませんが、特異なものは誰かと話している状態をいうのです。 それでは相手は誰かというと、そばに誰もいないのならそれはあの世の霊です。 あの世の霊でも光の天使なら大歓迎ですが、暗い世界の地獄の霊や動物霊なら困りものです。 春先の木の芽が萌え出す時期になると、ニヤニヤしながら独り言を云う人がいます。それを心の眼で見ると(霊視すると)、必ずあの世の霊がそば
に来ていて、話していると言うのです。
どうして春先かと申しますと、寒い冬の間は花の種も硬い殻に包まれていても、 陽炎(かげろう)が燃え出る頃になると、硬い殻から一斉に芽吹き始めるように、あの世もこの世も活動を始める時期ということです。
このように、教祖さまはあの世の同類と、やり取りを交わしていると理解されたと思います。 教祖さまの一念三千の心教祖さまは終日独房の中で、心の針の向け方は「一念三千」といって無数にあり飛ぶ鳥のように心は自由自在です。善を思えば善に、悪を思えば
悪につながって行きます。教祖さまの一念は、同類の、かってのあなた達に向けて発されていることは想像に難くなく、その悪念から
どうしたら外れられるか、その方法を述べます。
信者が教祖さまから心が離れて行くと、そうはさせまいと「引っ掛け戻し」といって、一時的にも体の調子が悪くなったり恐怖感を覚えることがあります。
やっぱり離れるのはやめとこうという心が働くと、嘘の様に平常に戻ります。でも、こうなってはいつまでも悪の循環は絶ちきれず苦しむことになりますから勇気を出して立ち上がることです。
悪の暗い想念は、じめじめと暗い、執念深い、増長慢の心、お金に汚い、情欲に燃える、、イライラする、怒りっぽい 愚痴っぽいなどの心ですから、これらと反対の明るい心で、つまり、快活、素直、誠実、思いやり、愛の心などで毎日を送っていると、悪の循環、悪のクサリが断ち切
られ、そのうちには善の循環に完全に変わり、ついには悪しきものと離れることが出来る第一歩を、踏み出すことになります。
そして、次には、自分は一旦死んで生き方をを完全に別人のように変えるのです。 死んで生き方を変えるとはどういう意味かと申しますと、死んでしまえばこの世には自分がいないのですから、別人になって、つまり別人のように完全に生き方を変えるということです。
死んだつもりでとか、死ぬ気になってとか言う程度の生易しいものではなく、完全に死んで別人の生き方をするのが、最大のコツであり早道です。立ち上がらなければ何事も好転しません。じっとしていては運命も良い方には変われないのです。
「自力の極には他力あり」といいます。懸命に自助努力をしていると、そのうちには他力の光が燦然と輝くのです。お経をあげたりお祈りばかりでは 何も解決しません。怖がらずに勇気を奮って生き方を変える日常の実践をすることです。教祖様にその責任はどう取らせたらよいか
教祖さまは、報道を賑わせたように段々とその実体、真実が明らかにされてきました。 そして、現在も身柄を拘束され独房生活を強いられています。 これからの裁判結果を見なければいけませんが、彼をどうするかということを述べます。 被害者とその関係者の恨み辛みはよくわかります。でも、心の安らぎは許すというところからしか絶対に生まれません。
こんなことを言うと非難を浴びそうですが、どんなにしても亡くなった人は帰らないのです。
どんな厳罰を与えても、事件に巻き込まれた人が戻ってくるわけでもなく、大きな心で許す以外にはないと思います。 加害者は、その為した原因による結果が出て、その報いによってバッチリ反省させられるのですから、それで良しとする心が必要でしょう。 処刑の是非をここで述べるつもりもありませんが、例えば、加害者である教祖さまが死刑を執行されたとします。 現在の反省もなされていない状態で執行されてしまうと、死刑によって肉体を脱ぎ捨てた教祖さまの意識 (心、魂 )は、肉体を拘束された場合より自由です。
完全に自由かと申しますと、そうではありません。心の暗い地獄霊は地上界に執着の心が強いため、心の明るい霊より行動は制限されます。 地獄霊は神の光を閉ざした霊であり、彼等のエネルギはこの世の悪の想念ですから、同類に憑依しまくると巷は混乱するので、それを防ぐために行動は制限されているというのです。
完全に制限されているかというと、この世を縁として人間が作り出した業(カルマ、心の傾向性)の反省のために、そうはならないのです。だから憑依も少しは起こります。
一方、光の天使は上段界に上がるにつれて、行動は解放され自由自在です。 ですから、教祖さまは今のままでは、同類に憑依(ひょうい) して同じような事件を何度も引き起こさせますから、死刑にしてはいけないというのです。 それではどうするのかと申しますと生涯拘束をして、正しい教えでマインドコントロールをし、徹底的に心の改造をして後、自然にあの世へ送ることがベストだと想います。
その正しい教えは何がいいかと申しますと、関係省庁で検討、検証されて、それでも良いというのであれば、著書もテープもビデオも山ほどある、正法漬けは如何かなと私は考えます。
それでは次に、人は死んだらどうなるか述べてみましょう。
死んだらどうなる
人は亡くなると、しばらくは無意識状態です。 坊さんが来てお経が上がり、葬儀の参列者などを見て「あれ死んだのかな」と自覚します。高橋先生の講演会の現証の時間には、いまだに死んだ
ことを自覚しない霊も登場して、「今いつですか」と尋ねると平気で江戸時代の年号を告げる霊もいます。切腹して死んだ霊ですか
らね。
このような霊は、日本には時代の流れがあったのですから、いくらでもいると理解してください。 しばらくすると普通は死を自覚します。 生前の等速度運動から、痛みのひどかった人は痛みがあり、食事がのどを通らなかった人は食事も出来ません。 しばらくは病気の影響が続きます。でも、病気の肉体は脱ぎ捨てているのですから、もう病気はありません。 高橋先生の講演では傷痍軍人の足のない霊が出てきて、足が無いからとさんざん苦労の悔やみごとを愚痴り始めますから、「ホラちゃんと足はあるよ」と教えられると 恐る恐る確認して泣き出してしまいます。そのうちには反省をはじめ、少しづつ光の量の区域が拡大して明る
い世界へ少しづつ上って行くのでした。
この例のように自覚できずに病気を引きずっていることもありますから、何度も教えることが大切です。 また、死んですぐはこの世の延長線上にありますので、食べ物を欲しがりますからお供えも意味があります。 でも、もうそれからは必要ありませんが、一人よがりは争いの元ですから知恵を働かせてください。 そうしていると係りが出てきて、「あなたは死の用意がありますか、死ぬ覚悟がありますか」と尋ねられます。 この係りは菩薩界の住人で、慈悲と愛の光の化身ですから、死者にとって光の玉に見えます。 皆さんよくご存知の{三途の川」もあってこの世の執着、心のお荷物を捨てないと渡れないというあの世の大河です。 死んで二十一日間は魂は家の周りや家の軒(のき)などにいます。この世に何十年も生きて生活していたのですから当然かもしれません。
二十一日過ぎると、どんなにこの世に執着していても「何をボヤボヤしているのか早く」と急かされて、あの世の修養所へ行かねばなりません。 この世(地上界)に執着をしてはならないと悟った人はといえば、この世に固執しませんからストレートに修養所へ行きます。 でも、凡人はどこへ行っていいのか戸惑いますから、そういうときは魂の兄弟達(魂の先祖)が連れて行きます。日本人の場合、魂の兄弟が外国人では「どうして鼻の高いのが、色の白いのが」と驚きますからこの場合は肉体先祖が来て連れて行き
ます。このように我々は色んな所に生まれて変わっているのですから、国際的で宇宙的な視野で対処、対応せねばなりません。
修養所では、生きていた当時のすべての出来事、全生涯をパノラマのスローモーションカラーピクチャー(立体天然色スローモーション映画)で、ありのままを全部通しで見せられ反省をさせられます。
「これはとてもまともには見られません」と高橋先生は教えられました。 この修養所のそばには無意味と悟った人達の捨てたものすごいゴミの山があります。 ニ、三上げると、心の中で持ってきたお金、卒塔婆(そとば)、白装束 、宗教用具などの山です。これは日本人の場合ですから、地球規模で考えるとどうなると思いますか。
あの世は実在界といって、消えて無くならない心の世界(意識界)ですから、あの世でも廃棄処置に困っているようなのです。 この修養所での反省期間が二十八日間です。 先の二十一日間とこの二十八日間の和が四十九日の由来です。 残された者がこの間に財産争いなどの気になることでもめたりしますと、せっかく修養所へ来て反省をしているのに、死者はその成り行きを見届けようと、執着のある場に引き戻され、執着霊となってこの世に問題を起こします。葬式や法事の帰りに自動車事故を起すのもこの現
われです。
こういう理由から、四十九日間は静かにする方が良いでしょう 。 四十九日を過ぎると、天国へ行くか地獄へ行くか自ら裁(さば)いて定住します。 閻魔(えんま) さまが裁くのではなく、自分の嘘のつけない善なる心が裁くのです。人に嘘はつけても自分にはつけません。裁くのはこの嘘のつけな い善なる心、神の子の心です。 あの世の実体(地獄界と天上界)あの世は同類の世界です。 同類の世界とは、心優しい人は心優しい人が集まる世界、意地汚い人は意地汚い人が集まるという世界です。 心優しい人達が集まる世界は、どこを見ても優しい人達ばかりの世界ですから、それはそれは楽しい天国です。 一方、意地汚い人が集まる世界は、自分を含め全員が意地汚いので、慈悲も愛も無用の安らぎの無い世界ですから、それこそ苦しい地獄の世界
です。
情欲の世界はどこを見ても肉欲を続けるという世界ですから、まさしく地獄絵。 色んな人達の世界を想像してみて下さい、いやになります。 この地獄界の住人は、そこに居つづけると、もうやるせない、考えただけでも狂いそうになる世界ですから、「こんなことはやめた」と反省すれば、上の段階(上の光の量の区域)へ進むことができます。
この全てを許すという神の愛、神の慈悲にひれ伏したくなります。
地獄界はいわば反省の世界といえます。
反省の習慣のない人は、今からやっておくのがいいのかもしれません。 前に述べましたように、天国の最低の基準である、「自分さえよければ」、という心の段階まで高めると、また地上界に生まれ変われるのです。 地獄界からは絶対に生まれ変われない仕組です。一旦、地獄界に落ちた人が、それからの反省によって天上界に這い上がったとします。また地上界に出られても、性懲(しょうこ)りもなく同じことの
繰り返しによって、また、地獄界に落ちて喘(あえ)いでいる人も多いらしいのです。
供養について
供養というと四十九日の法要とか、一周忌 とか十三回忌等を指します。 この日に皆が集まって、お供えやお坊さんの経も上がって和やかな雰囲気でも、日頃は仲が悪く喧嘩ばかりでは、故人もあの世から見ていて心配
でなりません。彼らもあの世ではあの世の心の修行があるのですから、これではおちおち修行もできません。皆が集まりお供えやお坊
さんのお経で、これでよしとする心を考えたことがあるでしょうか。
そもそも 供養というのは、この世の家族が仲良く、オホホアハハと笑いの絶えないい環境をつくることです。 あの世からこの世はお見通しですから、仲の良い姿は、あの世の霊の模範ともなり励みです。供養とはお供えやお経を上げることではなく、家族が 仲良くすることが供養です。宗教儀式や用語について
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という意味は、 古代インド語で、「ナーモ、アミー、ダボ」といい、ナーモは帰依する、アミーはアミーといわれる名前の人、ダボは陀仏(仏陀)で悟られた方。 意味は「アミーといわれる悟られた方に帰依します」ということです。
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」とは、 「あのハスの花をごらん、あのドブ沼から清らかな花を咲かすように、私達の肉体もドブ沼と同じように、汗、大小便、目糞、鼻糞など何一つとして 綺麗なものはない。だが、心が真に正しい片寄りのない中道の物差しを持って生活したならば、あのハスの花と同じように調和されて行くのだ」とい うお釈迦様の説法を短くしたものです。 二千五百年前のお釈迦様時代の古代インド語を、中国の漢字に翻訳したものがお経であり、それを日本読みにするのですから、さすがに頭のい
い皆様といえども、チンプンカンプンで理解できないと思われます。
書くといえば、般若心経やお経の書経があります。 例え、いくら立派なことが書かれていても意味がわからなければ劇的に人の心は変えられません。 それでは、釈迦といわれた高橋信次先生と、釈迦の高弟の舎利子(舎利佛)といわれた園頭広周先生お二人の二つの著書から『般若心経』を要約します。
スートラ」です。
「マハー」は偉大な、「パニヤー」は智慧、「パラー」は行く、到達する、「ミター」内在する、「チタースートラ」は心の教えですから完訳すれば「内在された偉大な智慧に到達する心の教え」となります。
このように当時の人でなければこのような解説は出来ないと思います。高橋信次先生はとにかくこんな風で、講演でも何が飛び出すかわからないというものでした。それでは紹介します。
「過去、現在、未来、天国も、地獄も全てを自由自在に見通すことが出来られる方(観自在菩薩)が、内在された偉大な智慧に到達するための生活
行為を深く実践した時に、このように私達の五体五官の煩悩が心に作用し、正しい基準,片よりのない中道の物差しを忘れ去ってし
まったために、一切の苦しみや災難、厄難の原因になっている。それを見とどけることができるのだよ、舎利子(皆様方)よ。
この世とあの世は表裏一体であり、連動しているのですよ。私達の心の作用によって、行動(肉体的行為)が現れ、行動があってまた心に作用するのです。皆様方よ(舎利子よ)
この諸々のあらゆる神理(タルマ)は神の心の現われです。神理は生れず、滅せず、垢つかず、浄らかならず、増えず、減らず、つまり神理は不変であるということです。
これゆえに心の世界は、万生万物を見たり、声を聞くこともなく、鼻で匂いを嗅ぐことも、舌で味を知ることも体で感触を得ることも、眼で見える境界もありません。
迷いのない明るい光明の世界は、無限の光明に満ち満ちて、所得を得るための知恵も必要がありません。そして人々の心に人生の意義と価値を教え、迷える衆生を救済して無償の道を歩んで行くことができるようになるのです。
また、心の中に潜在している過去世の体験、偉大な智慧がよみがえり、悟りの境地に到達した悟られた方(観自在菩薩)は、心には引っかかりがありません。引っ掛かりがないから、恐怖心もないのです。
一切の夢のような顛倒した考え方を遠くに離して、つまるところは最終的な悟りにはいります。 過去、現在、未来という三世における悟った方は、最高の悟りを得たから内在される仏智を知ることができるのです。 これこそは大宇宙を支配している大神霊の神理であり、これ以上の神理はありません。この神理は人生の生老病死を原因として生ずる一切の苦し みを除くのです。これは真実であって偽りではありません。それゆえに、内在された偉大な智慧に到達し、仏智に目覚め、そしてそれを実践して一切 を成就しましよう」 正法の教え正法の教えは、自然の姿を通して人間のあり方を解き明かし、八正道を心の物差しとして、調和された安らぎの道につけと教えます、 そして、転生輪廻(輪廻転生)の法を示し、万生万物は相互の関係にあって安定しているのだから、感謝の心を持ち報恩の行為を実践することが
大切であると強調し、報恩の行為は自分の環境に応じて奉仕と布施の実践活動を通して、社会人類のために果たすべき人の道を教える
ものです。
これに加うるに、人類はみな兄弟、貧乏人も金持ちも、地位の差に関係なくみな神の子であり、生まれた環境は自らが選んだものであり、環境を通して悟り、人々を救済するための目的を持って生まれてきたと、原因と結果の法則(因縁の法則)を説き、悟りの道を示します。
次に紹介する心行は、かって釈迦といわれた方(高橋信次先生)が、日本語でわかりやすく大宇宙の成り立ちと、あの世とこの世の救済の仕組み や人間の生き方を、少ない字数に要約された神理です。 『心行』 高橋信次先生が示されたもの (心行は宇宙の神理、人間の心を言霊(ことだま)によって表現したものである。それゆえ心行は拝むものでも、暗記するものでもなく、これを理解し 行ううものである。正法は実践のなかにこそ生命が宿ることを知れ。) われいま見聞(けんもん)し、正法に帰依することを得たり。 広大なる宇宙体は万生万物(ばんしょうばんぶつ)の根元にして 万生万物相互の作用により、転生輪廻の法に従う。 大宇宙大自然界に意識あり。意識は大宇宙体を支配し、万生万物をして調和の姿を示さん。万生万物(ばんしょうばんぶつ)は広大無辺な大慈悲なり。大宇宙体は意識の当体にして
意識の中心は心なり。心は慈悲と愛の塊(かたま)りにして、当体・意識は不二(ふじ)なることを悟るべし。この大意識こそ、大宇宙大神霊・仏なるべし。
神仏なるがゆえに当体は大神体なり。 この現象界における太陽系は、大宇宙の小さな諸器官のひとつにすぎず、 地球は小さな細胞体なることを知るべし。 当体の細胞なるがゆえに、細胞に意識あり。 かくのごとく万物すべて生命にして、エネルギーの塊りなることを悟るべし。 大宇宙体は大神体なるがゆえに、この現象界の地球も神体なり。 神体なるがゆえに大神殿なるべし。大神殿は万生、魂の修行所(しゅぎょうじょ)なり。 諸々の諸霊みなここに集まれり。諸霊の輪廻は三世(さんぜ)の流転。 この現象界で己の魂を磨き、神意(しんい)に添った仏国土・ユートピアを建設せんがためなり。 さらに宇宙体万生が神意にかなう調和のとれた世界を建設せんがため、 己の魂を修行せることを悟るべし。 過去世、現世(げんせ)、来世の三世は生命流転の過程にして、永久(とわ)に不変なることを知るべし。 過去世は己が修行せし前世、すなわち、過ぎ去りし実在界と現象界、この世界のことなり。 熱、光、環境、いっさいを含めてエネルギーの塊りにして、われら生命意識の修行所(しゅぎょうじょ)なり。 神仏より与えられし、慈悲と愛の環境なることを感謝すべし。 来世は次元の異なる世界にして、現象界の肉体を去りし諸霊の世界なり。意識の調和度により段階あり。この段階は、神仏の心と己の心の調和度による光の量の区域なり。
神仏と表裏一体の諸霊は光明に満ち、実在の世界にあって、諸々の諸霊を善導する光の天使なり。光の天使、すなわち諸如来、諸菩薩のことなり。 この現象界は神仏よりいっさいの権限を、光の天使に委ねしところなり。 光の天使は慈悲と愛の塊にして、あの世この世の諸霊を導かん。 さらに諸天善神あり、諸々の諸霊をいっさいの魔より守り、正しき衆生を擁護せん。肉体を有する現世の天使は諸々の衆生に正方神理を説き、調和の光明へ導かん。
この現象界におけるわれらは、過去世において己が望み、両親より与えられし肉体という舟に乗り人生行路の海原へ、己の意識・魂を磨き、神意の仏国土を造らんがため、生まれ出(い)でたることを悟るべし。
肉体の支配者は己の意識なり。己の意識の中心は心なり。心は実在の世界に通じ、己の守護・指導霊が、常に善導せることを忘れるべからず。 善導せるがために、己の心は己自身に忠実なることを知るべし。 しかるに、諸々の衆生は己の肉体に意識・心が支配され、己が前世の約束を忘れ、自己保存、自我我欲に明け暮れて、己の心の魔に支配され、神意に反し、この現象界を過ぎ行かん。
また、生老病死の苦しみを受け、己の本性も忘れ去るものなり。 その原因は煩悩なり。 煩悩は、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜつ)、身(しん)、意(い)の六根が根元なり。 六根の調和は、常に中道を根本として、己の正しい心に問うことなり。 己の正しい心に問うことは反省にして、反省の心は、己の魂が浄化されることを悟るべし。 己自身は孤独に非ず。意識のなかに己に関連せし、守護・指導霊の存在を知るべし。 守護・指導霊に感謝し、さらに反省は己の守護・指導霊の導きを受けることを知るべし。 六根あるがゆえに、己が悟れば、菩提と化すことを悟るべし。 神仏の大慈悲に感謝し、万生相互の調和の心が、神意なることを悟るべし。 肉体先祖に報恩供養の心を忘れず、両親に対しては孝養を尽くすべし。 心身を調和し、常に健全な生活をし、平和な環境を造るべし。 肉体保存のエネルギー源は、万生を含め、動物・植物・鉱物なり。 このエネルギー源に感謝の心を忘れず、日々(ひび)の生活のなかにおいて己の魂を修行すべし。 己の心・意識のエネルギー源は調和の取れた日々の生活のなかに、神仏より与えられることを悟るべし。 己の肉体が苦しめば心悩乱し、わが身楽なれば情欲に愛着す。苦楽はともに正道成就(しょうどうじょうじゅ)の根本に非(あら)ず。 苦楽の両極を捨て中道に入り、自己保存、自我我欲の煩悩を捨てるべし。 いっさいの諸現象に対し、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をなし、正しく生(い)き、正しく道に精進(しょうじん)し正しく念じ、正しく定(じょう)に入るべし。
かくのごとき正法の生活のなかにこそ、神仏の光明を得(え)、迷いの岸より悟りの彼岸に到達するものなり。 このときに、神仏の心と己の心が調和され、心に安らぎを生ぜん。 心は光明の世界に入り、三昧(さんまい)の境涯に到達せん。(この諸説は末法万年の神理なることを悟り、日々の生活の師とすべし)
祈願文
(祈りとは、神仏の心と己の心の対話である。同時に、感謝の心が祈りでもある。神理にかなう祈り心で実践に移るとき、神仏の光はわが心身に 燦然と輝き、安らぎと調和を与えずにはおかない。) 前文 私たちは神との約束により、天上界より両親を縁として、この地上界に生まれてきました。 慈悲と愛の心を持って、調和を目的とし、人びとと互いに手を取り合って、生きて行(ゆ)くことを誓い合いました。 しかるに、地上界に生まれ出た私たちは、天上界での神との約束を忘れ、周囲の環境、教育、思想、習慣、そして五官に翻弄され、慈悲と愛の心を見失い、今日まで過ごしてまいりました。いまこうして正法にふれ、過(あやま)ち多き過去をふりかえると、自己保存、足ること
を知らぬ欲望の愚かさに、胸がつまる思いです。
神との約束を思い出し、自分を正す反省を毎日行い、心行を心の糧(かて)として、己の使命を果たして行(ゆ)きます。 願わくば、私たちの心に神の光をお与えください。仏国土・ユートピアの実現にお力をおかしください。
大宇宙大神霊・仏(ほとけ)よ わが心に光をお与えください。心に安らぎをお与えください。 心行を己の糧(かて)として日々の生活をします。 日々のご指導心から感謝します。
一、天上界の諸如来、諸菩薩(光の天使) わが心に光をお与えください、心に安らぎをお与えください。 心行を己の糧として日々の生活をします。 日々のご指導心から感謝します。
天上界の諸天善神(しょてんぜんじん) わが心に光をお与えください、心に安らぎをお与えください。 わが心を正し、いっさいの魔よりお守りください。 日々のご指導心から感謝します。
わが心の中にまします守護・指導霊よ わが心を正しくお導きください、心に安らぎをお与えください。 日々のご指導心から感謝します。
万生万物 わが現象界の修行にご協力、心から感謝します。
先祖代々の諸霊 われに修行の体をお与えくださいまして心から感謝します。 諸霊の冥福を心から供養いたします。
先祖供養
先祖代々の諸霊よ 私たちに肉体をお与えくださいましてありがとうございました。 私たちは神仏の子としての使命を悟り、正法の生活を実践しております。 皆さまの冥福を心からお祈りいたします。 もし諸霊の中に、暗い世界におられる先祖がございましたら、よく私の申し上げる神理をお聴きください。 皆さまは、この世の肉体は持っておられませんが、私の話はおわかりいただけるはずです。 暗い世界は地獄でございます。なぜ地獄で生活しておられるのか、おわかりになるでしょうか。 それは、人間として生活しておられたときに、神仏の子としての使命を果たさなかったからでございます。 自分のことばかりを考えて、心から人びとに慈悲や愛を与えたでしょうか。 人を恨(うら)んだり、妬(ねた)んだり、そしったり、怒ったりしたことをよく思い出されて悪かったことを反省してください。 自分でつくった過(あやま)ちを反省し、神の許しをお願いしてください。 心は安らぎ、必ず天上界に行(ゆ)けます。 神理の経文を供養いたしますからよく心に受けとめてください。
(心行を朗読して、最後に)
大宇宙大神霊・仏よ 迷える霊に光をお与えください、諸霊の罪をお許しください。
実在界の光の天使よ 迷える霊に光をお与えください、安らぎをお与えください。
実在界の諸天善神よ 迷える霊をお救いください、いっさいの魔よりお守りください。
健康祈願 大宇宙大神霊・仏よ ○○(氏名をいう)に光をお与えください。 私たちはこの現象界で、肉体という舟に乗り、魂を磨き、神仏の体であるこの地上界に、平和と安らぎのあるユートピアを建設せんがた
め肉体を持ったのでありますが、眼(げん)・耳(にい)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根煩悩に支配
されて、多くの罪を犯してまいりました。
私たちの罪をお許しください。 私たちは正法に帰依し、自分の使命を悟りました。 私たちの心に光をお与えください。心に安らぎをお与えください。 当体に憑依(ひょうい)しているいっさいの霊よ、あなたたちは人間に憑(つい)てはいけません。あなたたちが憑依していると、精神的にも肉体的にも苦しみ、私たちは魂を磨くことができません。
この現象界は、あなたたちの住む世界ではありません。 あなたたちはいっさいの執着から離れなさい。 あなたたちも正法を悟って光の世界へ帰りなさい。 実在界の諸如来、諸菩薩(光の天使)よ、 この迷える霊をお救いください。 実在界の諸天善神よ 迷える霊をいっさいの魔よりお守りください。 迷える霊よ、人間界の人びとに憑(つ)いていては、安らぎを得ることはできないのです。 神仏に祈願して、よく自分自身を反省しなさい。神理の心行を供養しますから、心によく銘記してください。(
心行を朗読する) 病気平癒祈願 大宇宙大神霊・仏よ わが心に光をお与えください、心に安らぎをお与えください。 実在界の諸如来、諸菩薩(光の天使)よ わが心に光をお与えください、心に安らぎをお与えください。 実在界の諸天善神よ わが心をいっさいの魔よりお守りください。私たちは正法に帰依して、日々を正しい想念と行為によって、調和と安らぎのある世界を築きます。
(
まず自分自身の心に光を受けてから、両方の手のひらを体の悪いところに向け、体より一センチぐらい離して健康祈願する。そしてさら に、次のようにいう。) 当体の意識(患部)よ あなたたちは肉体舟としての使命を、この現象界に出るときに、神仏と約束したはずです。あなたたち細胞集団は、魂修行の目的を果たしてください。
大宇宙大神霊・仏よ 当体(患部)に光をお与えください、安らぎと調和をお与えください。(約三十分ぐらいで効果が出てくる。神理を悟った生活をしていれば、こうした効果はさらに大きく現れてくる。)