
「心の世界」
八起正法
私は、これといって世の中の益になることなく五十歳も過ぎて、気が付いてみれば周りの者に迷惑を掛けることの方が多かった。
因縁の法、因果応報とか原因結果の法とか云うように、それまでの生きざまの結果が大病という形となって現われて初めてこれではい
かんぞと気が付いた。
例えば、私が一生を終え、あの世で生前のすべての記録をパノラマ映画のように眼前に見せられ反省させられた時に、
「そして、お前は生きていた時に何をやってきたのか?」
と、あの世の係の人(主に菩薩界、光りの大指導霊)に問われたら返す言葉に困って、
「エー・ソノー、子供に教育もさせ残された者達が困ることのないようにしてまいりました、ハイ。」
「フムなる程、それでどうした」
「エッ?ハイ」
この係は私に何を答えさせようと云うのだろう。
生前は色々な団体の役員も引き受け、地位名誉の事もやって来たが…。
「今、お前が心の中で思ったこと以外にこれといったことはないのか?」
「エッ?ハイ。」
どうも、ここは生きていた頃と違って思ったこと考えたことが全部表面に出てしまう(表面意識90%と潜在意識10%)と見えて、何もかもお見
通しのようだ。私は考え込み暫くして、
「病気の者を治してきました。」
と、胸を張って答えた。
「医者と名のつくもの誰でも皆それ位のことはする、現にその行為で生活もし人間が創り出したお金も貯わえたのであろうが、
外には何か?」
「まだ外に、デ・スカ…」
「そうだ外にだ」
段んだん心細くなってきて、思い出そうとするが外には何にも出て来そうになかった。
「困った人に手を差しのべたとか、慈悲とか愛とか心からやってあげたことはないのか、金額の多寡ではない。」
「ありません。外には思い出せません!」
「そう捨てバチになるな、いやいや、お前の心の記録によると大学時代に身障者の施設の子供達を水族館におんぶして連れて行った記録
がある。学生服の肩の部分を子供がダ液でグシャグシャにしても満足感で一向に気にも止めなかったようだが…、フム、しかしこれとて
偽善に酔っておった。」
やれやれ、私にも一つ位はあったのか、しかしこれは手きびしいぞと思った。
「ナーお前、人間の価値というものは学歴ではない、地位、名誉でもない、財産の多寡などもっての外、中道という心の物差しを通して人にどれ
だけのことを思い遣ったかと言うことだ。」
「そうですか、真実の価値という〃ふるい〃にかければ、私は小石ほどのものが僅か一個ですか」
「そうだ」
「アーアー、あくせく働いて身を粉にして小石一個とは」
すると、
「一生懸命に働くことは正しいことだ。しかし、あくせく集めた金であっても、それを自分や一族のためだけにと欲張ってはならぬ。
たとえ、それがお前のものであっても足ることを知ったら、多くのものを困っている者や傷つき倒れた者への暖かい贈り物にすることだ。
自然を見るがよい。百獣の王といわれるあのライオンでさえも足ることを知って、腹が満たされた彼らのそばを獲物が通っても見向きもせず、
その日その時の糧に満足しておる。地上に倉をつくって、あくせく貯め込むのは人間位くらいのもので、自然界のものはみな足ることを知って
いる。神は、万物の霊長といわれる人間に、必要なものを全て与えられているのだ。神の意識が満ち満ちていたその当時は、電話などの
通信機器もいらず、肉体はそこに置いたまま意識でどんな遠い所へも行けたし、どんな遠い者とも自由にコンタクトし、瞬時に見て、聞いて、
話せた。体はそこに居ながらに、意識は自由に飛び交い、分かりやすく言えば霊的通信だ。自分の肉体を移動させる必要の時のみ、
光子移動体(反重力場の光のエネルギ−で動く今の自動車のようなもの)を利用して、無公害で事故もなく瞬時に移動すればよかった。
道路をつくったり橋をかける必要もないから自然を壊すこともなく、草木は繁茂し動物も鉱物も全て共存して平和だった。そして、宇宙空
間を狭めてゆく乗り物は、光のエネルギ−や磁気を利用したもので「反重力光子宇宙船」といい、今までにお前も名を聞いたことの
ある ”あの”UFOだ。高橋信次という方の予告によると、これから七百六十年後にはアフリカの大西洋岸に大宇宙ステ−ションがつくられ、
人類は宇宙にも自由に飛び立つのだ。神の意識が満ち満ちていたその当時に人間は、心に曇りをつくることもなく自由にその能力を発揮
していたが、今はどうだ。気の遠くなるような永い永い輪廻転生(生まれ変わり死に変わり)する間に、人間は自から神の子としての神性、
仏性を閉ざし、盲目の人生を歩かなければならないようにしてしまった。その当時は、意識でどんな遠い所へも瞬時に行って、見て、聞いて、
話すことも出来たので、日常は隣り近所の者と助け合い補いながら自由で楽しい生活を営んだものだ。その内に自らの手で神が与えたその
力も閉ざしてしまった人間は、為すすべもなく一時期を過ごすことになる。」、
「どうして、神の与えた能力をなくすことになったのですか」、
「それは人間の心の中に、怒り、愚痴、足ることを知らぬ欲望などの神の光りをさえぎる想いが生じたからだ。そこで、自由と創造の力を
与えられている人間は、仕方なく自分達の力で一つ一つ解決していかなければならなかった。どんなに遠くへも瞬時に行って…人間達は乗り
物を考え出した。人力や動物の走る力を利用した乗り物から、次には機械の力を動力として早く走ることを考えついた。しかし、これと
て陸上を走り廻るもの、道なき道は自由に早く走り廻ることは出来ないので、段々と道を拡げ伸ばすこととなった。その為には自然も壊し
草木も犠牲にしたし、動物の寝ぐらである静かな楽園もこわした。何一つ、この愚かなことによって喜んだものはなく、人間が神の意識に
満ち満ちていた頃は、その場にいて自由に遠くの者とも連絡もとれ、行って見て聞いて…今まで話した通りだが、全てに迷惑をかけることは
なかった。人間は自然の営みを乱すことなく、植物も動物も鉱物もみな人間生活に協力をして全てが自然と融合し一つとなっていた。
しかし、これとて人が走り廻るより早く移動も出来たが、道の上を走るには限界がある。そこで、鳥のように自由に空間を飛べないものか、と。
こうして人間は飛行機をつくり出した。大きな音は立てるし、長い助走路をつくって燃料だってばかにはならない。そして、空からは煤煙は
ふりまく、つまり公害ってやつだ。自動車でさえも生活環境を変えてしまったのに、地上の上だけではもの足りず今度は空から自然の調和を
乱すとい自然そのままの姿を変えれば気がすむというのかね。しかし、何んと言ったって飛行機は飛行機なんだ、ちょっとミスすりゃおっこ
ちる、危なくって危なくって。そして、自分達の狭い領土だけじゃあき足らず他人の土地も取りあげる。取りあげる為には飛行機に爆弾を
積んで、草も木も動物も鉱物も人間もすべて根こそぎ殺戮して破壊してしまう。そして、闘争が終わった後に「平和を勝ちとった」という。
闘争、争いという種を蒔いて、平和の実を刈り取れるとでも思っているのかね人間どもは、愚かなことだ、まったく。そして、何だあの自動車
というもの、あんな危ないものを、よく人間は認めているものだ。便利だと思って創ったものによって、毎日毎日、何人の同時代の同期生
が命を落としていると思うかね。自分達がつくり出した不完全なもので、自分達の首をしめているのだから自業自得と云えばその通りだが、
我われ実在界 (あの世)の者から見れば「よくもまあ、あんな不完全で危ないものに」と思う。お前も、この実在界の住人となって、しばらく
暮らしてみるとよく解るようになると思うが、今はまだ実在界にある反重力光子宇宙船、先にも述べたUFO、こんなものが現象界(地上
界・この世)で出来るようにならなきゃ嘘で、これが出来るようになって初めて乗り物も完成するのだ。確かに、この反重力光子宇宙船は
かっての遺物であり現在はまだこの実在界にあるが、これは光の天使達が現象界の視察に行ったり他の惑星との連絡や視察等に主に
使われているのだ。この地球に人間がβ(ベー ター)星より集団移住して来た時もこれが使われ、今も他の天体より転生してくる霊魂達も
このUFOで集団移住して来ておる。また、この地上がユートピアに完成された時に、次の目的の惑星への転生移住のためにも使われる
ことになっているのだが、それはそれは便利なものだ。重力の働くところでは重力を打ち消すようなものを創り出し、磁力に反発するような
ものを考え出せば、絶対に落ちることもなく、静かで振動もなく空間を安全に確実により以上のスピードで移動できよう。」、
「磁気エネルギ−、光のエネルギ−による移動体については良く分かりましたが、ベ−タ−星だの、集団移住だのって何ですか?」、
「ウム、高橋信次という方によると、現在の地球人というのは三億六千五百年前、地球から遥か彼方のベ−タ−星から約六千人の第一
艇団のベ−タ−星人が集団移住して来たことに始まり、分かりやすく言えば地球人は宇宙人ということだ。緑燃ゆる新星・地球の、
現在のアフリカ大陸の北方、スエズ運河の近くのアル・カンタラ−という場所に着地するが、当時は温暖でしのぎやすい最高の環境の場
所で、その最高責任者はエルランテイ−と言われる方だった。この六千人のベ−タ−星人は選りすぐりの超・人格者、高・人間性ばかりで、
仏教的に言えば如来界、菩薩界の人達、つまり慈悲と愛深い塊りの人と言える一団が、そこで理想郷・ユ−トピアをつくり、安らぎの郷と
いう意味で「エデン」と呼んだ。乗り物は全て磁気や光のエネルギ−で動き、現在の水準から言えば超科学の世界で、人は五百才、
千才を数えていた。ところが、人が人を産み人口が増えるにつれて、各人の心の中に怒り、愚痴、足ることを知らぬ欲望等の神の光りを
さえぎる心が芽ばえ、闘争と破壊、人殺しが横行し巷は修羅の世界。その内に自浄、自壊作用により地は暗天におおわれ、陸地は海底
に海溝は山の頂きに変わり、さしもの超文明も一瞬にして海底の藻くずへと。総てを失くした一握りの人間達は、仕方なく毛皮を腰にまと
い居穴生活を始めなければならなかった。このような天変地異は地球人類三億年余りの間に七回起ったのだが、近年では一万二千年
前のム−大陸、アトランティス大陸時代の終焉だ。そして、今も続く霊魂の移住だが、この地球はアガシャ霊団といって宇宙の中でも特に
霊的進歩は早い方なので、他の霊団からこの地球に心の修業のために移住して来ており、まづ最初はアマゾン等の密林に住む裸の土人
として生まれ電気も文明にも浴さない所から慣れて行くが、これは決して人種蔑視ではなく真実を知って彼等に理解を示すべきことだ。」、
「ハイ、永い間の疑問が氷解するようです。」、
「これから光のエネルギー、磁気エネルギー等を応用した乗り物が発明され空間を狭めていくが、このように急速に発展して行くのは
人間が心の価値を知り、心の偉大なる能力に目覚めた時だ。この反重力光子宇宙船にしても、かって作ったことのある霊魂が地上界
に生まれ予感直感として想い出し、再び作り上げるだけ、ただそれだけのことだ。ところで、この実在界(あの世)は不思議な所だ。
実在界は、この地球に今まであったもの、存在したもの、これから発明、発見されるもの等、すべてが在る、つまり実在する世界で、いつま
でも消えてなくならない世界だ。ここには、その当時の恐竜もいるし、死に絶えたすべての動・植・鉱物も実在するのだが、まだ発見され
ていない動・植・鉱物もあるのだ。比較的に近年では、あのアトランティス大陸時代の素晴らしい文明も、ムー大陸等すべてのものが存在
するのだ。これからアトランティス大陸時代の素晴らしい文明を体験した霊魂達が地上界にぞくぞくと肉体を持ち、今の文明をもっともっと
発展させることになろう。そして、たとえ子供であっても永い転生の間に目覚めて心の窓を開いてくると、学校に行かずとも天才的な人達
が一杯出て来るだろう。だが、高い文明を体験し高い文明を創り出したアトランティス時代の霊魂達も、今度は絶対に犯してはなら
ない試練が待ち受けているはずだ。その当時の彼等は、文明におぼれ、そして、おごり、神の子として許されないことをしてしまった。
その時代に肉体を持った、正しく法を伝える使命と目的の光の天使達を、偽政者達は殺してしまったのだ。大宇宙が神体であるように、
この地球も神体であり神殿であるが、この地球を汚してしまった彼等は、蒔いた種は自から刈り取るという神の摂理によって海底のもく
ずとなったが、地球人類の歴史の中でこのようなノアの箱舟現象と呼ばれるものは七度も起ったのだ。そして、これからゾクゾク生まれ
てくるアトランティス時代を体験した人達には、彼等の人生を通して二度と失敗を繰り返さないという試練が待っている。このように地上界
に生まれるということは、人間にとってまたとない修行の場なのだ。この実在界は波動が非常に精妙で、思っていること、行うことの意識
が表面に出てしまうので、自らを修正することが余りにも容易なために修行にはなりにくい。ところが、現象界(この世・地上界
)は九十%が潜在されてしまうために、盲目の人生を歩きながら自らを修正し、ユートピア実現のために修行するというまたとない
チャンスだ。一般の人は、千年から二千年に一度生まれ変わるのだが、これはそれまでの学習の結果をみるための良い試験の場となり、
またとないチャンスだ。疲れたか、まだもう少し聞く気はあるか」、「お願いします」、「フム、私とて、神でもなければ仏でもない、永い輪廻
転生の中でこの役にふさわしい者というの で、ただただ命ぜられるままにこの役を引き受けている。今のこの私は、意識のままの光子
体というか、わかりやすく云えば霊魂の自分だが、お前と同じ人間の魂だ。」偉そうなことばかり言っていたが、なんだこの私と同じ人間の
魂じゃないかと思った。するとすぐに、「ただお前と違う点といえば、永い転生の間に、自からの心の曇りを少しづつ取って努力もして
来た。だが、神の意識が満ち満ちていた頃の私に比べれば、まだまだ。その証拠には、心のアカや心の曇りが重たくて頂上までは
昇れやしない。でも、お前達が良く知っているゴータマ(釈迦)様や、イエス様、モーゼ様等は上の方までスーイ、スーイだ。いいかね、
よく考えてごらん。お前達の町を見る時、高い山の頂上から見おろすと、色々なことが一ぺんでよくわかってしまうだろう。あの川は
こんな風に流れて、この道はこのように走って、と一目瞭然だ。それと同じように、盲目の人生を歩く人間を教え導く役目を持った方達は、
一段と高い所から間違いのない狂いのない正しい判断をしなければならないから、そこには限りない大きな責任がつきまとうのだ。
そんな大役、この私なんか頼まれても願いさげだが、ゴーダマ様やイエス様、モーゼ様は勇気ある方達だ。このように、盲目の人間を教
え導く方達のことを、仏教では如来とか菩薩とか言っているし、キリスト教では上上段階光の大指導霊とか言っておるが、呼び方の違い
こそあれ同じことだ。この方達は執着から離れ、心の状態は慈愛に富み、衆生済度のためには自分の身を犠牲にしても救済するという
方達で、決して報いを求めない境地に到達している限りなく悟られた方達だ。如来とか上々段階光の大指導霊と呼ばれる方達は、現象界
と実在界を含めて四百二十五人(一九七二年現在、高橋信次)おられ、菩薩とか上段階光の大指導霊と呼ばれる方達は約二万人
の方達がおられ、それぞれ分担を決めて、実在界や現象界の迷える衆生を教え導いておられる。そのような、盲目の人間を教え導
く役目を持った方達も普通の人間と同じように生まれ、潜在された盲目の人生の中から自分で悟り、そして迷える衆生を救い導きながら
正しい神理の種をまき、そして天上界へまた還ってこられる。そして、天上界から神の子である人間達が、その神理の種をどのように
守り育てるか優しく見守られるのだ。」
「迷える人間達を教え導くために、天上界では大変苦労なさってるのですね。」、
「そうだ。如来界(金剛界)には宇宙全体の諸現象を即座に見ることのできる展望台があり、それはどんな小さな問題でも見落とすこと
のない程に精妙なものだ。そして、この宇宙には七つの霊圏がある。七つの霊圏ということは七種の人間がこの宇宙にいることになる
が、この地球を中心とした霊圏を指導しているのがアガシャ系であり、このアガシャ系が一番早い速度で霊的に進歩しつつあるのだ。」、
「私は生前、人間はこの世限りと思っていましたから、少しでも、このような話を聞いていたら、迷うこともなかったと思います。」、
「地上界はこれまで物質文明の時代であったが、これからは霊的文明の時代となろう、また、そうならなければならんのだ。現代の子供
達を見るがよい。霊とか霊魂の世界を、何%の子が絶対にそれは信じられないと言うだろうか、時代は少しづつ変わっているのだ。
お前も少しづつ、この世は地上界とは価値の尺度が違っていることに気付いて来たようだが、正しい尺度というものは地上界、天上界、
大宇宙であろうと時間、空間、次元を越えても全てに正しい尺度でなければならん。このように永遠に変わらないものを「法」と呼
んでいるが、地上界の法律とは違うのだ。法律は人間がつくり出したものだが、ここで言う「法」とは、誰にもつくり変えられない、
すべてに当てはめられる正しい物差しであり、このワクから一つとしてはみ出すものはないのだ。末法の世ともなると、人間は判断する
心の物差しを失いやすく、自から混乱して不調和な社会を造り出して行く。そうそう、人間の価値の物差しと何度も言ったが、絶対不変
の価値の物差しとは、先づ第一に地球という大地だ。そして水、太陽、空気、そして宇宙、この五つが人間の価値判断の尺度。今までに
一度でもこんな話は聞いたことがあったかね。」、
「なるほど確かにこれは絶対不変ですね。法律などというもの は、時と場所によって変わるものですからね。」、
「だんだん理解してくれるようになったようだナ、しかし、地上界も実に色々で、おかしいノー。日本あたりから来る死者は、白装束で戒名や
法名とかをつけ、位牌や卒塔婆を背負ったり、ぶらさげたり、地上界で通用するという小銭を持ってくる。お前も同じように持って来たか?」、
「ハイ、残された者達が持たせてくれました。」、
「お前はそれらの物をどうする、これからも持って廻るか」、
「・・・・・・・、・・・・」
「お前は、どうするのかと尋ねている」、
「どうも、お話を聞いたりその法に照らすと、余り必要のないもののように思いますので…」、
「それでは置いて行くか」、
「地上界で教えられた事と違いメン喰らっていた矢先のことで、どうでも良いっていう気持ちです、ハイ。」、
「そうか、あれを見るがよい、位牌や卒塔婆の山だ。何の意味もないことを悟った者達が置いて行ったものだが、私達もその処置に困って
手を焼いている。」、
「私は生前、宗教は仏教でした。周囲の様子では、どうも私は死んでしまったようなのです。自分では自覚できなかったのですが、私の
肉体はお棺に入れられ、偉そうな何人かのお坊さんに読経をしてもらっていました。お経の意味は何んだかわかりませんでしたが、お経
というものは有難度いものだと伺っておりましたから、何かこう心の中から有難度い感じがしました。でも、意味がわかりませんので、とにか
く家の廻りに居ることにしました。お坊さんの読経に乗っていったら、何処かに行くだろうと思ったものですから、お坊さんの読経に乗って
行ってみました。」、
「フム、それでどうした。」、
「ハイ、途中まで行くと、先へ行けないのです。ちょっと行ったらつき当りという具合で、そんなことをして何日か過ごしておりました。
初七日と言って、また一族が集まってお坊さんが読経をするのですが、それでもわかりません。皆んなが私を偲んで泣いておりました。
お仏壇には線香とローソクがあげられお供物をして、鐘の音が〃チーン〃と鳴ったり、木魚の音が〃ポクポク〃と調子をとっています。
鐘や木魚は、読経のための調子をとるリズム器楽のようなものだとわかりますが、お線香やローソクは、どのような意味があるのでしょうか。」、
「生前は、そのようなことにも何の疑問もわかず、唯々、そのようなものだと思っていたのだナ」、
「ハイ、昔からそのようにやっていたようですので…」、
「ローソクというものは、今から二千五百有余年前、ゴーダマ様(釈迦)が、仕事も終え自由な時間を持てる夜に集まった衆生に道をお説
きになる時に、真っ暗では困るのでナタネ油(高橋信次)を燃して灯明としたものだが、それが後の世に於てはローソクをあげることになった。
それが今ではどうだ。あの世を照らすためにローソクをあげろ、洋ローソクじゃだめだ和ローソクが良い、この宗派はこの型のローソクを
あげろ等ととんでもない話だ。自分達の都合のよい環境を整えるために、勝手な解釈をして理由づける。そして、ある宗派なんか、蛍光灯
の方があの世を照らすのには良いなどと云っているが、そんなものではないのだ。あの世の霊達が自分の廻りを暗くするのも明るく
するのも、彼等の心のあり方如何による。自分で反省して神に詫び、明るい世界に帰ること以外に光明は得られないのだ。すべて自力
であり、他力では絶対に救われないのだ。他力で救われた者は一人もいないと云うことを知ることだ。また、ある寺院等では、法灯を
絶やしてはいけないと、何百年もローソクの火や油を燃やし続けているようだが、法灯というのは心の中の神理の灯を消さず心の光明
を持ち続けるということで、火を消さないということではないのだ。人間一人一人が心の正しさの基準がわからなくなると、遂には末法と
云う光明のない混乱した社会をつくることにな る。末法の時代とは、心の正しさの尺度をなくした時代を言う。分かりやすく言えば現代の
ように、お金が価値の基準になったり、性道徳の退廃、人命尊重の欠如等の価値観の崩壊を言うのだ。そこで、天上界の上段階の霊達
はそのような世界にしてはならないと、地上界に生まれてその身を犠牲にしても神理の種をまき、また、天上界へ還ってこられる大変立派な方
々だ。」、
「よくわかりました。」、
「そして線香だが、インドの当時は今のような石鹸があるわけでもなく、あえて石鹸と云うならば日本のツバキの葉(高橋信次)のようなもの
を石で叩き身体に塗って洗ったものだが、当時の比丘、比丘尼達は精舎で共同生活をする中で大変に臭かった。それで、匂いを消すた
めに〃せんだん〃を燃やした。それが後の世になると線香をあげることになったもので、あの世の霊が喜ぶとか仏事には欠かせないも
のだと云うがそうではないのだ。ただ、死体を安置している時の死臭を消すのには効果があろうが、ローソクの意味、線香の意味はそのよ
うなことで、あの世とか霊の世界では何の意味もないのだ。そして、日本の家々には仏壇と呼ばれるものがあって、豪華な飾り物で
荘厳され、それはそれは美術工芸品と呼べるものまであるようだが、この地上が神の神殿であり神体であるのに、あのような小さいもの
に神仏が居られるはずもないし、まして、仏壇にあの世の霊魂が居るようでは残された者達が迷惑しよう。もし、そのようなものが居る
とすれば、それは自(地)縛霊か地獄霊、動物霊と呼ばれる悪い霊なのだ。動物霊に対しては失礼な事を言ってしまったが、もちろん
、動物霊がすべて悪いのではない。動物の霊の世界でも、動物を指導する諸天善神(人間の霊)がいて、その許で修業をしている立派
な動物の霊もいる。つい、その…人間を惑わす悪いのがいるものだから、惑わすと云うより人間のそのような心が彼等を引き入れるのだ
が、ついつい口に出てしまって私の光の量が少し落ちてしまったようだが、早く反省が出来て、また、元にもどったようだ。反省は早いほど良
く、反省するに憚(はばか)ることなかれだ。仏壇に向って、また、お墓に向って先祖供養をするというが、先祖供養とか先祖を大切に
するとか云うことは正しいことだ。生まれることが出来たのも肉体先祖のお蔭だし、感謝と報恩は人間として必要だ。だが、お供え物を
し、朝晩、お経を上げることが先祖供養と思っている者もいるようだが、そんなものではない。先祖を供養するとは、残された者達が
正しい生活と、いつもオホホ、アハハと笑い声の聞えるような楽しい家庭環境をつくり、先祖の人達がなんの心配もなく天上界での修業を
続けられるようにすることが先祖供養だ。お前が人の親であったならば、家族が幸せな明るい家庭をつくり笑いの絶えない生活をしてい
るなら、お前も安心してここでの生活が送れよう。ところがどうだ、残された者達がケンカの絶え間もなく暗い不調和な生活を送ってい
れば、お前も気がかりで仕方あるまい。「どうしてこうも心配をかけるのだろう、少しは俺の身にもなってみろ」と言いたくもなるであろう
が。だから、先祖供養とはお茶やお供え物やお経をあげることではないのだ。地上の者が不調和な生活を送っているようでは、こちら
側(あの世のこと)も落ち着いてはおれん。地上が調和され、地上天国(ユートピア)が完成されれば、この実在界も連動されて、
調和されることになる。」
「よくわかりました。」、
「お前も先祖供養と称して、そのような事もやったか」、
「ハー」、
「やったんだナ」、
「ハイ、仏壇にお茶もあげ手を合わせ、お墓をきれいにしました。」、
「きれいにする事は良い。だが、お墓に誰かが住んでいるのならまだしも、肉体先祖の骨を安置したお墓に手を合わせ拝むというのも何
かそらぞらしくはないか。それもこれも肉体がすべてだと思うからだ。焼いて残った骨を後生大事に保存するというのも、肉体が全てだと
いう考えも儒教から発しているのだが、肉体はただの人生を渡る仮の舟であり、肉体舟をあやつる船頭さんである魂が、それが生き通し
の自分だ。現に、魂であるお前自身はこのように生きているではないか。地上界でも最近は、霊魂はあると言う人が大勢をしめているが、
正にその通りで、この魂こそ大切なのだ。だから、例えこの身は朽ち果て倒れようとも、肉体に執着することなく霊魂の還るべ
き所(あの世・実在界)へ還らなければならんのだ。肉体は、この世の人生航路を渡る仮の舟にすぎないのだから、遺骸は土に埋められ
土に還るのも良し、海中や水中に流されるのも空中より散布されるのも良し、いかに肉体は処置されようとも、正しく生きたかどうかに
よって天上界に還ることにも地獄界に生きることにもなる。そして、残された者達が如何に立派な墓をつくろうと、どんなに立派な仏壇に
祭ろうと、どんなに立派な戒名をつけようと、心のあり方次第では地獄にも落ちるということを知るがよかろう。実在界は、天国に行くのも
地獄に行くのも、自分で裁いて行く世界なのだ。誰もその業(ごお・カルマ・心の傾向性)を、その者に代って背負うことも、身代りになる事
も絶対に出来ないのだ。自分で蒔いた種は自分で摘み取る、これが神の法則。残された者の気持ちはわかるが、立派な墓をつくり立派な
仏壇に祭るよりも、残った者達が明るく幸せに生活してくれることがどれだけ供養になることか」、「ヘェ、そんなものですか」、「そうだ、これ
からその真実が、地上界の者もだんだんわかってくるようになろう。それは、二千五百年前にインドでゴーダマ(釈迦)と呼ばれた方が、
今度は現代の日本に、高橋信次という名前で二十年程前に神理の種(正法という呼称で)を蒔かれた。それは正しい心の基準と人生
の生き方。この、正法の教えを地上界にくまなく拡げることを意図して世界は動くために、これまで否、これからもう少しの間、日本は驚
くほどの隆盛を極めるのだ。穏やかな国民性とハイテクの国というのも、高位の霊魂達が集団として日本を選んだからだが、それは
安全な国民生活からも窺い知れよう。そして、暑すぎもせず寒すぎもしない四季折々の花の咲く温暖な風土というのも意味があって、高位
の霊魂達は極端に暑い所も極端に寒い所も選ばないもの だ。そして、もう一つは地理的利便性だ。日本が素晴らしい発展を遂げた
というのも、ただ単に、この国に志を同じくする高位の霊魂群が集まっただけのことで、選ばれた民などと奢ることではない。これから
百五十年位すると、二千年前にイエスと呼ばれた方がアメリカのシカゴに肉体を持って(生まれて)、この地上界に神理の種を蒔かれるこ
とになっている。アメリカはすでに没落の兆も見えるが、一旦凋落した後その日に向けて不死鳥のように甦ろう。お釈迦様が肉体をも
たれると天上界からイエス様が指導をされ、今度はイエス様が肉体を持たれるとお釈迦様が天上界から指導されるのだ。」、
「それでは、仏教もキリスト教も教えは同じということですか」、
「そうだ。宗教は心の教えを説いたもので、正しい心の教えが二つ有るわけがなく、真理・神理は一つだ。永い時間とともに少しづつ変わっ
てしまったが、ただ一つなのだ。宗教とは宇宙に示す心の教えと書くが、人間の生き方、人生のあり方を説き教えたもので、
決して偶像を拝み経文を読むことではない。話の腰を折ってしまったが、読経があがり初七日がすんでそれでどうした。」
「ハイ、そんなことをして何日か家の周囲で過ごしておりました。誰かがわかる言葉で、「この先どうしろ、こうし
ろ」と言ってくれたら助かるのにナーと思っていると、その内に残された者達が私の残した財産のことで争いを始めるのです。「そこ
はこうで、あれはこう…」と私は説明しているのに、一向に身内の者がわかってくれないのです。仕方なく様子を見守っていると何日も過ぎ
て行くのがわかりますが、どうしていいのかわかりません。その内に、私が余り家の廻りに居続けるものですから、魂の兄弟達がビックリ
してかけつけて来てどなったんです。「何をボヤボヤしているか、地上界には最高二十一日しかおれん、それ以上そこに留まる霊を
自(地)縛霊と言って地上の者が迷惑がるのだぞ。」「そんな事を言われても医学を志した私だったが、教科書にも何も載っていなかっ
たし、この世限りと思っていたからどうにもわからん。」、「つべこべ言わず行くべき所へ早く行かないと、間に合わないかもしれんぞ」と、魂
の兄弟達がせきたてました。それから、ドームのような中を導かれて早いスピードで上昇して着いた所があなたの前と言うわけです。」、
「フム、そうか、大抵の者が同じことを言う。生前、知らなかったのは何もお前だけではないのだ。地上界に生きている者の中で、これは
と思う者に霊界通信をしたり、この天上界に招待をして地上界の人間達に知らしめるように努力はしておるのだが…。霊界通信は、
最近では『天と地を結ぶ電話』、『アガシャの霊界通信』とか『シルバーバーチ霊言』とか本も出ているであろうが…。そして、こちらの世界
に招待した人は、イエスの弟子のヨハネと言われた人が生まれ変わって、その時の名をスェーデンボルグっていう人がその例だ。
そして、ラファエロやレオナルド・ダビンチも、絵画を通して天上界のことを知らせようとしたのだ。」、
「初めて聞きました」、
「金を貯めるのに一生懸命だったか。女性も随分泣かせたことがピンクの字で記録されている。しかし、これは殆んど反省の記
録がない。」、
「お怖れいりました。」
、「よく見るがよい、あのゴミの山を。お前達が心の中に刻んで持って来た戒名や卒塔婆の山、そして小銭の
山だ。悟ってしまえば何の意味もないことを知り、あのように置いて自分達の決まった段階へと自から裁いて行くのだ。閻魔様が裁くのではなく、
自分の嘘のつけない善なる心が裁くのだ。あのように戒名が何の意味もないことがわかったであろう。生前、他人に施したり、慈悲、愛
のなかった者が如何に立派な戒名をつけてもらおうと、何の意味もなさないことを知るが良い。サテ、お前は何んとつけてもらった。」、
「ハイ、ハー。」
私は後の方に隠すようにした。すると、「戒名というのは、古代インドの時代、ウパテッサと呼ばれた人が釈迦に帰依した後で、シャーリー・プト
ラー(舎利弗)と改名する。コリ−タ−(幼名)をマハ−・モンガラナ(大目連)に、というように。釈迦に帰依した時に、これまでの生き方を
変えようと決意して名前を変えたことが、日本では死んだ時に戒名をつけるように間違ったものとなった。また、お経にしてもそうだ。
お経というものは、正しい心の基準や人間の生き方等、それはそれは素晴らしいことを言っているのだが、古代インド語で語られたものが
中国語に翻訳され日本に渡って来た。如何に有難い内容のものであっても、古代インド語が難しい漢字に当て字され、それを読み上げら
れても何を言っているかわかるまい。日本に仏教が伝えられたのが、たかだか一五〇〇年だ。ゴーダマ様が悟りを開かれたのが二五〇〇
年前で、日本に伝わってくるのに一〇〇〇年の空白があったのだから、教えが間違って伝えられても不思議はないのだ。キリスト教にし
てもそうだ。イマニエル・イエス・キリスト様が悟られてから二〇〇〇年だ。永い間に歪められ変わってしまった。今伝えられるキリスト教は、
パウロによって変えられ、パウロ教と言えるものだ。ましてや、お前達のような死者に読経をしても意味がわからないのは当然のことだ。
読経しているお坊さんも正しくは理解していないだろう。そして、お寺にしても今では葬式仏閣、観光仏閣…になってしまっているこの現実。
もともとは、生きている人間達が正しい神理・真理を勉強する勉強の場、集まりの場であったはずだが、しかし、近い将来には、
また、そのようになってゆくだろうが…。
サテ、二十一日間は死者が家の廻りや地上界に居ることも許されるが、二十一日と云うのは、釈迦はそれまでの生きざまの反省をして、
中道の正法に目覚めて二十一日目に悟り、実在界に招かれて法話をされるが、二十一日というのはあの世の定めであって、悟った霊なら
ば一時間も地上に居ることなくそのままスーッと次元の違った世界(あの世・実在界)へ行くが、死者が地上に執着を持ち、二十一日を過ぎ
ても地上にいる場合、これを自(地)縛霊と称して、その場所、物にへばり付いているのだが、このような執着霊・地獄霊は正しい霊ではな
いので行動の自由はない。つまり、行動は制限されるのだ。憑依(ひょうい)現象といわれるものは、その場所、物に近づくことによって
起こるが、自(地)縛霊はその場所、物に常時いるかというとそうでもない。「さわらぬ神にたたりなし」という諺があるように、むやみに近づ
かぬことだ。だが、そこにどんな悪霊(あくりょう)がいても、思い遣りや愛深い人には恐れることは何もない。なぜかというと、「類は類を
もって集まる・類は友を呼ぶ」という心の法則があるが、執着の心と愛深い心とは正反対だから同類とならず、憑依現象は起こらない。また、
悟った霊はどうかというと、行動の自由があり上段界に行けば行くほど行動範囲は広くなる。悪いことをした者が法律で身柄を拘束される
地上界によく似ている。」、
「そうですね」、
「お前も生前、そのような所へやっかいになったか」、
「ハァ−」、
「もう一度パノラマ映画で見てみるか」
反省しているから、そこまでは言うこともないのにと思うと、「生前、反省が出来ておれば苦しむ事もなかったろうが、ここに来て「しまった!」
と、”じだんだ”を踏む者がほとんどだ。
近年では、「やるだけのことはやりました」と、胸を張ってこの天上界に還って来た人は、三重苦を克服したヘレンケラー女史とアフ
リカで医療活動をしたシュバイツアー博士ぐらいのものだ。日本の首相と言われた人でも何人も地獄界にいるが、これでも分かる通り、
地位、名誉、財産の多少ではないのだ。学歴もない貧乏人と言われた人が天上界できれいな光を出して修行している人もいる。話は大分
それてしまったが、人間は死んでしばらくの間は意識不明のような状態が続くが、やがて死を悟り死後の世界に入っていく。死後の世界の
入口で次のように聞かれる。「あなたは死ぬ覚悟ができていますか、あなたは死に対する心の用意がありますか」と尋ねられる。そして
、生きていた時の事をパノラマ映画のように見せられ、また聞かれる。「あなたは一生のうちで、人に見せられるような何かをやってきまし
たか。あなたが生きていた時に、自分でこれはいいことをしたと満足できる何かをやってきましたか」と尋ねられる。それから収容所に入る。
そして、二十八日間の人生の反省期間を経て、生前の魂の状態と心の調和度、所謂、心と行いによって天上界へ行くかどうかが決
まる。つまり、先に述べた二十一日と、この二十八日の和である四十九日とは、こういうことなのだ。だから、四十九日間は、死者が
生前大事にしていた金銭財宝を処分したり財産争いをする等の気がかりになるような行動をとれば、一度はあの世の定住地へ行っても
すぐに地上の執着を持っていた場に引き戻され、自(地)縛霊となって生きている人々の間にいろいろな現象を引き起こすことになり、
死者が金銭や物質に執着が深かったその度合いによって事故や災難を引き起こす。葬式の帰りに交通事故を起こすのはその一例だが、
このような理由で四十九日間は静かにしていることだ。また、死んですぐには、死者の意識は地上界での生活の延長線上にあり、食
べ物を求めることもあるので、食べ物などを供え供養するすることは正しいことだが、それ以上は無意味ということを知ることだ。
これは断じて、故人に対する感謝、報恩を止めよと云う事ではない。そして、百カ日、一周忌、三周忌、七年忌、十三年忌、三十三年忌、
五十年忌の年忌供養を決めたのは江戸時代であった。それまでは寺の経済が豊かであるという理由で徳川幕府は寺領を没収するが、
寺領を召し上げられて収入の少なくなった分を取り戻す手段として、死後の年忌供養が始まったのだ。」、
「なる程、随分お詳しいですね」、
「そりゃそうだ、肉体は滅びてもこの魂は死ぬこともなく滅することもなく生き通しのものだから、ずーっとこちらから見てきたから、と言う
わけだ。ただ、習慣的に先祖供養がなされているに過ぎないというのが現状だ。 そして、天国とか地獄とかいうものは、人を思いやり慈悲
と愛の日々を送った者はそのような段階へ、欲深く(自我我欲)慈悲や愛を与えなかった者は、そのような段階へ自から裁いて行くこと
になる。つまり、心のままの世界へだ。「類は友を呼ぶ、同類」の法則通り、周りは似た者ばかりの世界だから、エゴの塊り人間や殺人者ば
かりの集団を想像してみろ、この地獄界は考えただけでも嫌になるぞ。また、その反対に、天上界でも上段階に行くほど、思いやりと
温かい人間ばかりのグル−プ、それはそれは爽やかな素晴らしい世界だ。ところで、地上界での人間の成り立ちは、「肉体」と「光子体」
と「霊子体」の三重体であり、亡くなると「肉体」はこの世に脱ぎ捨てる(焼かれて灰になる)ので、実在界(あの世)では「光子体」と「霊子体」
の二重体となる。この実在界は光子と霊子の世界であるが、お前はこれから「光子体」と「霊子体」の二重体で過ごすことになるのだ。
光子体は実在界での肉体であり、心(魂)が霊子体と思えばわかりやすいだろう。そこで、これを例えばガス体のようなものと考えると、
心を暗くし慈悲、愛のない日々を送った者はガス体も重くなって、上の方へあがれない。執着もなく、慈悲、愛の日々を送った者は、心も
明るく、ガス体も軽いので、上の方へ上の方へ行けると言うわけだ。上の方へ行ける霊こそ執着から離れ悟った方と言える。そして、
考えてみればしごく当然のことだが、この実在界では上の段階のものは下位のものを垣間見ることが出来るが、下位の段階
の者は上の段階の生活振りを、垣間見ることは許されない。重いガス体では、上に昇れない事を考えれば当然であろう。だから、霊界
探訪等の本も多数あるが、その霊界を探訪する人の霊格というか人格によって、内容が違うのは当然のことだ。「光の量の区域」、つま
り心の段階を仏教的に区分する と、低い方から 幽界、霊界、神界、菩薩界、如来界となり、わかり易く大きく区分したわけだから実際は
小さく分かれる。ガス体にもわずかの重さの違いもあろう、このように「光の量の区域」は厳然としている。こうして、その決められた段階
で安住する事になるが、その階で人を乱すような言動をすると自からつくった心の重さのために、その階にとどまることを許されず、下位界
へ下がる。その反対に、執着から離れ慈悲と愛の生活を送るならば、その心の軽さに比例した上の段階へ行くことも出来る。しかし、先に
に話したように、修行という点から見ると地上界(現象界)の十年は実在界の五十年、八十年にもなり、中には百年から二百年にも匹敵
することになるが、実在界での修行はやりにくいとも言える。それは、実在界を意識界(心の世界)と云うように意識の九十%が全部表
面に出てしまうために、反省すると直に結果が出る。ところが、地上界は反省しても直に結果が出ないので、本当に心から反省したかがわ
かる。なぜなら、反省とは二度と同じ誤りを繰り返さないということだが、長い時間を置くことにより本当に反省したかどうかがわかる。
このような理由により、地上界での心の修行は又とないチャンスになる。「光の量の区域」を心が重いとか軽いとかいう言葉で説明してい
るが、ある人が霊媒となって目的の霊を自分に入れると、地獄霊ならズシーンと重くなるし、光の天使等の上段階の霊に意識を支配さ
せると軽くて何とも言えない感じがするが、この説明によっても説明がつこう。勿論、上段階の光の天使に意識を支配させるには、霊媒
の霊格というか人格も、それに応じた者でなければならないことは当然のことだ。そして、身体の小さい人が大きく見えたり、そばに寄
ると何となく暖かく心が安らぐという人もいるが、光子体のことをオーラ(後光)とも言い、オーラの大きさは、執着とか心のヒズミを取り除き、
慈悲と愛に生き心を大きくした人々ほど大きく強い。仏像や絵画の中で光の天使達の廻りに光輪を見るであろうが、つまり、あれだ。
仏師は、如来や菩薩の廻りに出る後光を心の目で見てそれを刻み、画家は心の目で見て光の天使の姿を残した。このように、努力次第
では、そのような方達に近づくこともできるのだ。入学試験というのは定員が決まっておって、点数のいい者から合格と決まるが、ここで云う
心の大きさ、光の量の大きさというものは、定員は決まっておらず多ければ多い程良いのだ。多ければ多い程、この世もあの世も調和さ
れ、ユートピア(理想世界)の実現に近づくというわけだ。一日も早く、悪い事をする人を収容するという刑務所が空になって、人間のつ
くった法律というもののやっかいにならない世をつくらなければならんのだ。みんな明るく幸せで身も心も健康で、事故もなく人類は皆兄弟、
国境もなく地球は一つということにならなきゃならん。我われ天上界の者は、それを一日も早く実現する事を望んでいるが、お前も生きて
いた当時、何かそれらしき事の一つもやって来たと云えるかね。お前はこの天上界から地上界へ誕生する時に、魂の兄弟や仲間から祝
福されて、送別会での居並ぶ人達を前にして何と言ったと思うか?
胸をはって述べたことの一つ一つを思い出して見ることだ。お前は、「今度は実に困難な環境に出そうだゾ、でもその環境の中から困って
いる人に手を差しのべ、ユートピア実現に全力をあげるつもりです」と言った事を忘れましたとはいわさんゾ。なんなら、その場面を眼前に、
パノラマ映画のように見せようか!」、
「何かと言えばパノラマ、パノラマと、また反省させられるに決まっている。あのパノラマ、まともには見られませんしね。オギャーと生まれた
途端全部忘れてしまい、間違いの人生を送りました」、
「そうだったな」
さっきから反省しているんだから、そこまで言わなくてもいいじゃないかと思うと、彼は言った。
「反省の度合いによって、お前の定住する位置が決まってしまうのだから、大いに反省する事だ」
思った事の意識が全部出てしまうから、考えが相手にわかってしまい隠しようもなく、「トホホホ、生前だけではなくあの世でとった言動まで
反省させられるとは、しかし、何もかも心のアカを取ったから心が軽くなったぞ。」、と思った。
「少しは理解してくれるようになったから、話を先へ進めてみよう。これから地上界はどうなるかということだ。
まず海底のことだが、深海を探査する優秀な機械ができ沈んでいる前時代的な建築物や遺跡が発見されていく。例えば、失われたアト
ランティス大陸の上に建てられた鋼鉄よりもはるかに強力な半円形のド−ム型の建て物がそのままの形で発見されたり、大洋の底の
深い谷間には特殊な構造を持った家の回りに集って社会生活をしている生き物が明るみに出される。
そして、寒波が襲来して一瞬にして冷凍された人々が社会生活をしていたそのままの姿で、シベリヤの凍土の下の巨大な氷塊の中に
保存されているが、中には生き返るものもいるかも知れない。」
「エッ、生き返る人間も。冷凍寒波も、人間の想念行為が原因ですか」
「その通り!平和な世界にはこのような異常現象は絶対に起こらぬということを知ることだ。また、ピラミッドは墓ではなく、当時の人々
が来世を信じ再びこの世に生まれた時のための記録と資材置き場や倉庫等のタイム・カプセルであり、この中で行われた神秘的研究の記録
がピラミッドの中や周辺から発見されるのだ。数多くの砂に埋もれた破壊されない完全な姿の遺跡や建物の中からは、現在の世界を賄う
ほどの価値の量の黄金が見つかる。
天文学的には、ある放射線により太陽系のまだ発見されていない遊星が撮られたり、太陽に接近し
太陽とともに回転しているように見える地球より大きな星が太陽の写真の上に写し出されたり、地球には月以外の衛星があることもわ
かるが、
他の天体に人間がいると明らかにされるのは百年はかかるだろう。
原子力も安全に大々的に利用され、電気も電線時代からワイヤレスの放送電力に変わり、周波数を合わせて動力として利用される。
経済は、資本主義と銀行形態が理想化され改良されるが物々交換も見直される。
そして、言語は統一されラテン語に語源を持つエスペラント語を改良したものになるが、人類が平和であるため
には心の意志疎通が第一で、この言語はそれから数千年使われることになる。
教育に関しては、人間は宇宙的生存者であり霊的存在であることを教え、瞑想が指導される。植物細胞を応用した人間性測定器(オ−ラ
−透視機)が完成され、教育者や政治家等は淡いゴ−ルドカラ−のオ−ラ−の人物から選ばれねばならない。ある光線を利用すると一滴
の血液や唾液により、その人が何処にいるか瞬時にわかるようになるが、これは人間一人一人が持っている特有の心の波動が利用さ
れるために、血液を流す犯罪等は減少する。病気は完全に克服され、高度の診断方法と治療方法が確立される。
これからの近未来は、「心の光の時代」とも言うべき地上ユ−トピア(理想郷)に向うが、一時期は冬の時代を通り人口は減少して、所謂、菩薩界
が現出するだろう。どこを見てもさわやかですばらしい人達ばかりの世界だ。」
「人口が減少するというのは戦争、疫病、天変地異等が原因なのでしょうから心配ですが、その後の菩薩界の出現はこれは考えただけでも
ゾクゾク、ワクワクしますね」