女性と男性の正法・神理
●女性に関係ある神理 ●男性に関係ある神理 ●男女に関係ある神理
o尊敬し愛している者同志が、一緒に食事をするのは、尊敬し愛するあ
まりに、相手と一体になりたい、相手に同化したいという心の現われ
である。
o夫婦の性生活は、お互いが愛を確認しあい、愛を向上するための行事であり、
神が陰陽に分かれ、再び陰陽が結合するというこの行為は、
天地創造の原理が小宇宙である人間において実現する神聖なる行事で
ある。
o妻以外の女性との性行為に後ろめたい罪悪感が伴うのは、それは相手が、
単に性欲を満足させるためだけの相手であり、お互いに愛を確認
し合い、魂を向上し合うための相手ではなかったからである。浮気な男性も女性も、
どんな相手と接しても、心の満足の得られなかった、
霊の満足の得られなかった哀れな人達なのである。享楽の対象にする
と罪悪感が伴うのである。
「性の四要素」
一、目的
性の結合を行なう目的は何か、夫婦愛を完成し、お互いに愛情を
確かめ合うためなのか、それとも単なる性欲の満足のためか。
二、人
その人は正しい相手であるか。
三、時
為すべき時が大事である。人が働いている昼間から行なうことは
正しいかどうか。
四、場所
行為には場所が必要であるが、為すべき場所であるかどうか。
単に欲望を満足させるために、為すべきでない相手と、為すべきでない
時に、為すべきでない場所で行為するのは「悪」となる。
o男は遠心力であり、外へ外へと出て働くのが男の役割であり、女は家
庭にあって、外へ飛び出した男を内へ、家へと引き付ける求心力の役
割をするのが天分であり、男女同権、男女平等といって、女が家を飛
び出して家庭を疎かにすると、家庭に歪みが生じてくる。
o子供の結婚が失敗であったと悩んでいる女があった。その女は夫が嫌
いであった。夫に求められるとゾッとするほど嫌いであったが、別れ
て独りで子供を育てていくのに自信がなかったので、別れることはし
なかった。それで求められるといつも心の中で、「これも子供のため
だ、子供のために辛抱しなければ」と、いやいやながら応じていた。
そういう不調和な心が子供に影響していったのである。自分達は幸せ
だと思っている調和された夫婦の子供達は、みな幸せな結婚をするの
である。だから妻は、心を優しくして素直に夫にふれさせることであ
る。抵抗なくふれさせる時、夫は元気づけられるのである。
o女に母婦型と娼婦型がある
母婦型の女性は、子供が好きで、性的行為を子供を得る手段と考
え、子供が生まれてくると子供を可愛がり、よき母となる。こうい
う女性は夫に対しても母となる。娼婦型の女性は、子供が嫌いであ
る。だから性的行為は、行為それ自体を楽しむので、間違って子供
が生まれると子育てをいやがる。こういう女性は夫に対してもいい
妻にはなれない。
母らしい女は、比較的たくさんの子供を持ちたがるが、浮薄な娼婦
型の母は、子供が少ない。
母婦型の女は子育てに熱心であるから、自分の服装などにはあまり
構わないが、娼婦型の女は自分を飾ることに懸命になる、というの
である。私はワイニンゲルの書いたものの中に、独断や偏見もある
が、また、神理も含まれていることを発見した。
母婦型の女は、自分の生んだ息子に性的関心を持つことはないが、
娼婦型の女は自分の息子が男性であることを意識し、時によっては
息子と性的関係を持ちたいと思う。こういう娼婦型の女は子供を性
的に早熟させ、その結果、子供を性的ノイローゼにしてしまうこと
が多いのである。
母婦型の女は、夫に対しても母となろうとするが、娼婦型の女は母
となろうとはせずに、いつまでも女としていかにして男の心を自分
にひきつけるかということだけを考える。
母婦型の女は、隣りの部屋で子供が泣き叫ぶと、自分自身を傷つけ
られたように感じてすぐ飛んで行く。子供達が成長しても、その子
供の欲望・苦悩を自分自身の問題であるかのように考える。娼婦型
の女はすべての関心を自分自身にひきつけようとし、何事も自分を
中心に考えるから、夫のことにも、子供のことにも案外に無関心
で、自分のためになると思えば一生懸命になるが、ならないと思う
場合は夫や子供をほったらかしにしても平気である。
母婦型の女は、夫と子供の将来を考えるが、娼婦型の女は、その時
だけよければいいので将来のことは考えない。
母婦型の女は、性的関係を人生の重要な出来事の始まりと見做し、
人格を完成し、愛を表現するための手段として、それによって生活
を豊かにしようとするが、娼婦型の女は、性的交合を目的とし、そ
の目的を達成しようとして男に媚びを売る。それ自身が目的である
から、その目的を達すれば将来のことは考えない。
母婦型の女は、全世界、夫、子供のために愛を与えようとするが、
娼婦型の女は、自分のために吸収し、受けることだけを考える。
だから、母婦型の女は、自分はみすぼらしい格好をしていても少し
も気にならず、夫や子供にいいものを着せようとする。だが、娼婦
型の女は、歓楽、舞踏、劇場、音楽会、娯楽等について常に考え、
服装なども贅沢になる。
母婦型の女は、自分とともに将来を考えてくれるまじめな男性を選
ぶが、これに対して娼婦型の女は、浮気な、怠惰な、放縦な男にひ
きつけられる。娼婦型の女の情夫は、常に犯罪人であり、泥棒であ
り、詐欺漢であり、時としては殺人者でさえある。母婦型の女は犯
罪を犯すことはないが、娼婦型の女は犯罪と深い関係がある。
生活に行き詰まった時、母婦型の女は子供の将来までをも考えて、
子供を道づれにしようとするが、娼婦型の女は、子供を捨てるか、
子供を夫の下に置いて自分だけが生きることを考える。
男は、母婦型の女を美しいと思い尊敬するが、娼婦型の女を美しい
と思い尊敬することはない。母婦型の女によって男は純化される
が、娼婦型の女は男を堕落させる。終戦後、母婦型の女よりも、娼
婦型の女が増えてきた。すべてを自己中心的に考える女によって、
男の心も子供の心も荒廃させられてしまった。「愛は惜しみなく奪
う」というけれども、「愛は惜しみなく与える」ものである。よく
与えることができる者のみが、また、よく受けることが出来るので
ある。奪うことのみを考えている女は、男を享楽の対象、自分の欲
望を達成するための対象としてのみ考えるから、男の持っているも
のをすべて奪い尽くして、やがて男をダメにし、結果的には自分も
ダメにするが、与える愛の尊さを知る母婦型の女は、男に与え、子
供に与え、夫や子供が立派になることによって、また自分にも与え
られることになる。人生の終わりに近づいて、子供や孫に囲まれて
幸せな女もあれば、その反対に、誰からもかえりみられない孤独な
女もある。どの道を選ぶか、どんな女になるかは、一人一人の心次
第である。
o「一般に最大の性的索引を有する両親の産児は、最上に栄えるという
ことが言われるであろう」
即ち、お互いにしっかり愛し合った夫婦の間に生まれた子供は、健
康であり幸福になるが、その反対に、お互いに反発し合っている夫
婦の間に生まれた子供は、肉体的にも精神的にも障害を受けるとい
うのである。女の人でも、楚々とした本当に女らしいという人もあ
れば、男も顔負けに、男と同じようにトラックを運転して重量物を
運搬し、骨格も声も全く男そっくりだというような女の人もいる。
人生が一回きりだとすると、生まれながらのこうした違いは、どう
して生ずるのであろうか。そこで釈尊は、人は輪廻転生するのだと
いうことを説かれたのである。輪廻転生するのだということは、人
には前世があり、過去世があるということである。人間は死んで終
わりではないということである。肉体は死んで火葬してなくなるの
であるから、肉体が死後も存続するということは全くないが、霊魂
が存続し、輪廻転生するということである。
o『男』は現実社会を建設し、『女性』は子供をどう育てるかというこ
とを通し、未来社会を建設する。
o貴方は、今までに、明るい心と暗い心とどちらが長かったですか。
o幸せになりたいのなら、パッと明るい方へ気持ちを切り替えること。
o『親の役目』は、子供が社会人となって、人間としての道をはずさな
いように導くこと。
o働くとは、人の役に立つということ。
o病気は、その人の生きざまの結果です。
o間違いと気付いたら、今すぐ正せ。もう遅すぎるということはない。
o反省とは二度と繰り返さないということ。
o「全体の幸福を願うなら、まず自分自身の心を幸福にさせることで
す。幸福のなんたるかを知らずに、どうして人にその幸福をわかち与
えることができましょう。正法はまず己の幸福から出発します。そう
して全体の中の一人一人の幸せが目的です。」
o幸せを求めたいならば、まず悪の想念から離れることだ。
悪を想えば悪が、善を想えば善がもどってくる。
o人間がこの地上に生をうける時は、両親を指名し、自から選んで生ま
れてきます。親子を選ぶ範囲というものは、おのずと限定されてきま
す。
一、魂医師が非常にあい似通っている場合
一、過去世で親子の約束を強く望む。たとえば、ある人に非常に世
話になり、その恩返しをしたいという場合
一、過去世において親子兄弟、友人同士であった場合
一、あの世で生活を共にし、親子の約束をする場合
o神の慈悲と愛は、「太陽が善人の上にも悪人の上にも等しく照るが如
く」「雨が善人の上にも悪人の上にも等しく降るが如く」と聖書には
教えてあるのです。全智全能であり、智慧であり、慈悲、愛そのもの
である神は、初めから我々に健康と幸福とを与えられているのです。
o一夫一婦は神の計らい
o男性が外で働いて経済力を持つのは、それは神が男性に与えられた役
割と使命であり、女性は家庭を守り、子供を生み育て、子供をどのよ
うに教育するかによって未来社会に貢献するのが、神が女性に与えら
れた役割と使命なのである。
o「再婚」…キリスト
夫をなくした妻は、夫に貞節を尽くしなさい。そうすれば子供達は
順調に立派に成長するであろうとキリストは言われた。ということ
は、再婚して性の煩悩から抜け出して心を安らかにしてよいけれど
も、その代りに子供が清く育たないこともあるから注意しなさい。
o「結婚」「不倫な男女関係」…釈迦
結婚は「愛」を中心とすべきであり、階級、家柄、地位、学歴等を
中心にしてはならない、と。そして又、釈迦は夫婦以外の不倫な男
女関係について戒められた。
o愛とは、その人のためにどれだけ自分を投げ出せるかということ。
o妻に対する夫の五つのあり方…釈迦
一、妻を尊敬する
二、軽蔑しない
三、道からはずれない
四、妻に権威を与える
家庭のこと、子育てについて等、家庭内のことはすべて妻にま
かせる
五、装飾品を与える
o夫に対する妻の五つのあり方…釈迦
一、仕事をよく処理する
家庭内のことはよく自主的に責任をもって処理する
夫が家庭のことについて心配することなく充分に活動できるよ
うに
二、身内の人達をよく待遇する
三、道をふみはずしてはならぬ
夫以外の男性と交わってはならない
夫以外の男性のことを、心の中で思ってもならない
四、集めた財産をよく守る
o物は一年中で一番値下がりした時期を見て買い込む
o季節になったら、種子を買ってきて自分で植える
o食料品は自家製にする
o家の中にあるものは無駄なく利用する
o一日の収支の帳尻を合わせる
o財産の額などを他人に洩らしてはならない
五、妻として、女として、為すべき事柄について巧みで勤勉である
妻は夫から経済のすべてを委されるほど、夫から信頼されなけ
ればならない。そして、妻はその信頼に応えなければならない
o玉耶教(釈迦)が教える善い妻と悪い妻
o地獄へ堕ちる悪い妻
一、殺人者に等しい妻
こんな夫と結婚するのではなかったと、妻として為すべ
きこともせず、夫が家のことが心配で仕事に熱中できず
夫がまじめに働こうとする力を阻害している妻
二、盗賊のような妻
夫が働いてきた財を、すべて奪い取ろうとする盗賊のよ
うな妻
三、支配者に似た妻
自らは贅沢で、怠惰で、粗暴で、口やかましく、勤勉な
夫を支配し制圧する、支配者に似た妻
o死因は病気であるにしろ、事故死にしろ、夫が早死にして、早く未亡
人になったという人は、夫の心を充分に生かしてきたかどうか反省し
てみることである。
o天上界へ行ける善い妻
一、母のような妻
二、姉・妹のような妻
三、友人のような妻
四、奴婢のような妻
夫に叩かれ、脅かされても怒らず、悪心なく、夫に対して、
忍び、怒ることなく従順である。このような妻は男にとって
ぬひ(奴婢)のような妻と呼ばれる。
忍辱(にんにく)の心。
o夫からどのような仕打ちをされても、夫への愛を失わない妻は、子供
を立派に育てて、子供が自分を幸せにしてくれる。それに反して夫に
敵がい心、反抗心を持つ妻は、子供の教育に失敗して子供ゆえに泣か
されることになる。
o男と対等に仕事をし、男と同じような賃金をもらうという経済的な理
由で、女が女らしくあることをやめようとすることによって、女は女
自らの幸せを放棄してしまっている。男と能力を競い合うことによっ
て、女は本当の安らかさは得られない。女の役割を捨てて、男と同じ
ように外で働いて、収入を得なければならないという考え方では、女
は絶対に幸福にはなれないのである。女の役割を放棄して、どんなに
他の方法で幸福を追求しても、それらの方法では幸福感を感じること
は出来ない。
〈キリスト教が教える夫婦の調和のあり方〉
o妻たる者は、すべての人々がキリストの教えに素直に従うと同じよう
に、自分の夫を尊敬し、夫の言うことに従いなさい。
夫は自分の身体を大事にすると同じように、自分を捨てて妻を愛しな
さい。
o夫は妻に尽くし、妻もまたよく夫に尽くさなければならない。妻は自
分の身体を支配する権利はない。妻の身体を支配する権利を持つのは
夫である。このようにして、夫もまた自分の身体を支配する権利はな
い。夫の身体を支配する権利を持つのは妻である。男は女をよき人生
のパートナーとして尊敬し、女の性を大事にしなければならない。女
の性の前にひざまづく謙虚さを持たなければならない。
oなぜ女は昔から長い髪を持つのを誇りとしてきたか。…キリスト教
男は神様に祈る時に、頭に被り物をかぶらずに、じかに、真っすぐに祈
ってもよいが、女は神様に祈る時に、必ず被り物をかぶらなければならな
い。その被り物の象徴として長い髪を持つようになった。
(夫) 男の祈り
神 キリスト 男(短い髪を誇りとする)
(女) 妻の祈り
神 キリスト 夫 妻
妻は夫の生命を礼拝し、夫の生命を通して祈った時に妻の祈りは聞かれ
る。
妻が夫を軽蔑し、夫を尻に敷いて祈る祈りは聞かれない(女が髪を剪っ
て短くする)
〈親と子の神理〉
o子供は、神を愛し信ずると同じような心で、両親の言うことに順え。
そうすることにより、子たる者は幸福となり、寿命を全うすることが
できる。…キリスト教
o親は子供を愛し慈しみ、人として守らなければならない戒めを、親自
らが実践して子供を育てなさい。そうすれば、みな幸福になるのであ
る。…キリスト教
o年寄りを大事にし、親を大事にする国は絶対に滅びない。…釈迦
〈家庭の神理〉
o家庭とは、因縁によって親子・夫婦・兄弟姉妹となった者が、それぞ
れ神の子であることを自覚し、魂を磨いて向上していくための、神が
つくられ計画された共通の生活の場所であって、家庭に帰るというこ
とは、神のふところに帰るのと同じであり、家庭を大事にすることは
神を大事にすることであり、家庭を粗末にすることは神を粗末にする
ことである。
o子供が病気をしたり、怪我したり、死んだりした場合は、親自身が反
省してこれまでの生き方を改めなければならないのである。
o親のために苦労させられる、親が早く死んで苦労したという人達があ
る。どうしてそういう親を選んで生まれてきたのであろうか。そうい
う人達は、前世において親を泣かせ、親に苦労をかけたのである。
o子供の親不孝に泣く親は、自分が前世で、また今世で親不孝して親を
泣かせたことがあったのであることを反省しなければならない。子供
に親不孝されてみて、はじめて前世で今世で自分が親不孝した時に、
どんなに親が苦しんだか、その親と同じ苦しみを、今自分が味わう。
親不幸の子供に泣いている親は、「こんな子供を持って」と憎まない
で、「あれが前世または今生における自分の姿だったのだな」とよく
教えてくれましたと感謝し、親自身の生活態度を改めてゆくと、子供
は親不孝しなくなる。
o子供に恵まれない親は、前世でたくさんの子供を持って、その子供の
ために苦労をさせられたというので、「もう子供なんかいない方がよ
い」と心の中で思ったからである。
o今生で子供を小さいうちに失くすのは夫婦の不調和が原因である。
o子供を失い、子供がいないと、子供がいない寂しさをしみじみと体験
させられる。すると、「やはり子供はあった方がよい、子供のいない
生活はもうしたくない」と思う。そう思うことによって前世の生活を
反省させられる。
o子供に恵まれないことを約束して生まれてくる人もあるのですから、
それを人工的に妊娠することは、前世の業を反省することにならない
から、魂の勉強、魂の向上をさまたげることになり、子供に恵まれな
い人は恵まれないままでよく、反省の結果の上に立って、養子にする
か、あるいは他の人の子供のために尽くせばよい。
o親に似ぬ子は鬼子というが、そういう子供は特別の使命を持って生ま
れている場合が多い。
o「子供の性教育」
「人は教育によってのみ、人となり得る」というのは性教育におい
ても同じである。
一、宇宙創造の原理、天地陰陽の理
二、男の役割と女の役割
三、結婚の意義、夫婦生活の秩序
四、子供の誕生は神の計画と天上界の計画による
o人は教育、しつけによらなければ、良い人にはならない。生まれたま
まで放って置いたのでは一人前の人間にはならない。
o胎児の時に与えられた精神の影響は、その子供が思春期になると爆発
的に吹き出すのである。
「思春期になってノイローゼになる子供」
母親は子供を産みたくなかった。流産することを願った。喜んで産ん
だ子供ではなかったので、どことなく愛情がわかなかった。その結
果、子供はノイローゼになったり、暴力を振るうようになり、そのつ
けを親は支払わなければならない。
「破壊的な、捨てばちの母親から生まれた子供」
性的遊戯等の結果、妊娠を喜ばず、妊娠したために仕方なしに結婚
し、罪の意識に悩みながら、ひそかに心の中で胎児の死を願っている
母親。こういう母親から生まれる子供は、早産や体重の足らない発育
の悪い赤ちゃんを生み、難産したりする。
「初恋の人を心ひそかに思っている母親、二重人格的な母親から生まれた
子供」
初恋の人と結婚出来ずに別な男性と結婚した人が、ひそかに「あの初
恋の人の子供であったら、どんなに嬉しいことであろう」と思ったり
して、周囲の人は子供が生まれることを喜んでいるのに、無意識に子
供を生むことを拒否している母親。子供は二重人格的になり、胃腸の
弱い子が生まれる。
「人間的に未成熟な母親から生まれた子供」
職業を持っていて、経済的にのみ関心が強く、母親となる心構えが充
分に出来ていないのに妊娠して、いろいろな理由から子供を欲しがら
ない。生まれた子供は、感受性が鈍く無気力で、精神集中力がない。
「早産した子供は問題児となりやすい」
早産とは予定日の二カ月までを云うが、早産された子供は始終追い立
てられているような傾向が強い。落ち着きがない、情緒不安定であ
る。なぜ早産するかというと、妊娠したことを心から喜ばない感情が
あり、また出産に対する充分な心構え、知識がないために、大きな胎
児を生むことに不安と恐怖を感じ、その心の負担と恐怖から早く離れ
たいという心が母親にあるからである。
「難産した子供は問題児になりやすい」
難産した子供は、精神分裂症、精神異常、暴力的、反社会的犯罪を犯
し易い。妊娠したことに罪悪感を感じたり、生むことや、生んだ後の
ことについて疑心や不安を持ち、母親になることに十分な心構えがな
かったりすると、生もうか生むまいか、生まなければならないが生み
たくないという心が働いて、陣痛の時間が長くなり、子宮の収縮力が
弱くなって難産することになる。
「非行・暴力・反抗」
調和されている家庭からは、ノイローゼも反抗児も出ない。反抗児は
父親が極端に厳しいか、また極端に甘く、父親の権威がない家庭に出
る。父親の権威のない家庭では、結局は母親が強いわけである。夫婦
が不調和であってはいけない。特に母親が強くなってはいけない。
「ノイローゼ」
母親が性的感情を持って子供を見るということが原因。子供をそうい
う眼で見ないようにし、いかにして夫と調和するかを考え、夫を喜ば
せるようにする。
「冷たい女」
初恋の男性を思い続けている女性。
父親にひどく愛された女の子。
「股関節脱臼」
親がこの家を飛び出したい、逃げ出したい、すぐ家を出る癖がある
と、ぴたっとはまっていなければならない子供の股関節がはずれる。
「聾唖者」
ああ、もうこんな人達とは口も聞きたくない、ものも言いたくないと
強く思うと、耳の聞こえない口のきけない子供が生まれる。
「盲目者」
家庭環境のつらさ等から、見れば腹が立つ、悲しくなるからと、もう
一切見ないと心に決めて、何があっても「ああ、見たくない見たくな
い」と全く無関心な態度を取る。
「小児麻痺」…古神道
不調和の原因がどちらにあるにせよ、妊娠中にその母親が、親とか夫
とか、立てるべきものを立てない結果、子供の立つべき足が立たない
形となって生まれてくる。
「白痴・精薄児」
夫を愛する心になれず、結婚したこと、妊娠したことを怨みに思って
いる時。怨み心の強弱によって胎児への影響も違う。
「てんかん」
人工受精児や、性に原因する夫婦の強い不信感(日本では、現在人工
受精児が二十万人いるというが、その半数が問題児になっているとい
う。)
※大酒のみやお酒の常習者の女性の生んだ子に「テンカン」の多い
という統計が医学的に認められている。
※項―『アルカリ食健康法』(川島四郎)
障害児が生まれる原因の八〇パーセントは心の不調和であるが、二十パ
ーセントは次の原因による。
一、ビールス感染(風疹・インフルエンザ・流行性耳下腺炎)
二、ペットの寄生虫の感染、トキソプラズマ
三、薬剤によるもの
黄体ホルモン・副腎皮質ホルモン・麻酔剤・鎮痛剤・精神安定剤
ビタミン剤の摂り過ぎ
四、梅毒
五、酸素欠乏・心配事・悩み・怒り・悲しみ・怨み・嫉妬・恐怖等に
より、呼吸が浅くなって血液の浄化、循環がうまくゆかない。
六、栄養不足
七、レントゲン照射
八、酒・煙草の害
九、遺伝
o腹を立てて怒ったからとか、悲しんだからといって、すぐ胎児に影響
するということはない。どんなに怒ろうが悲しもうが、その後でさっ
と心を切り替えて心を安らかにすることができれば、胎児には影響し
ない。
o肉体的な障害があったからといって、霊が低級であるのではない。障
害者の霊は、不完全な肉体をどのように乗り廻して霊の勉強をする
か、健全な人の経験出来ない厳しい玲の勉強をしようとしている勇者
なのである。
o謝り(懺悔・反省・禅定)祈り 胎教の影響の修正
お母さんの心の不調和によって、本来ならば健全な五体を持って生
まれるべきあなたの肉体に、このような障害をつくってしまって申
し訳ありませんでした。お母さんは今、あなたがお腹の中に宿って
いた時のことを反省しています。あなたが障害児として生まれてこ
なければ、お母さんはこのような反省はしなかったかもしれませ
ん。あなたは障害児として生まれることによって、お母さんを導い
てくれたのです。心からそのことについて感謝をします。そういっ
て、次に既に子供が健康体になっている状態を、心の中にありあり
と描き、「神よ、この子供に光を与えて下さい。既にこの子供を健
全にして下さいましてありがとうございます」と祈るのである。
o「祈り」は、キリストが言われたように、「既に得たりと信じて祈る
ことが祈りが効かれる秘訣である。悲しそうな哀れな表情をして、乞
食が物をねだるような、そういう気持ちで神の憐れみを乞い、特別に
お恵みを与えて下さい、というような祈り方では祈りは実現しないの
である。
o精神障害、ノイローゼ、非行、暴力の子供への祈り
夫、または周囲の人々との不調和により、あるいは「性」に対する
葛藤などから、心ひそかに流産や子供の死を願ったりしたことが原
因なのであるから「縁あって、あなたが私を母として生まれてきて
霊の勉強をすることになっていたのに、私はあなたが、私のお腹に
宿ってくれたことを素直に喜べず、ひそかにあなたの死を願ってし
まいました。どうぞ、私を許して下さい」と心から反省し懺悔し、
既にその子供が健全であることを心の底深く念じることである。
oつわりは妊娠初期、大抵起こる。母親の心と胎児の心、霊との不調和
が大きければ大きいほどつわりもひどくなる。夫と妻の心が調和さ
れ、胎児の霊とも調和されると、つわりを全く感じない人もいる。
出産
自然分娩で自然の法則に順ってしゃがんでして、母乳で育てる出産育児
をする。
帝王切開の害
o陣痛が始まって子宮が収縮し始めると、胎児は自然に頭の先で産道を
押し開いて外へ出ようとする。その時に、産婦の心になんのストレス
も抵抗もないと、産道はやわらかく開くが、産婦が喜んで子供を生め
ない心理状態にあると、生むことに恐怖に似た感情を持ち、生みたく
ないと思ったりすると、出産に時間がかかったり難産する。産道を通
って出てくると自然の愛撫のマッサージが行われ、安心してこの世に
出てくるが、愛撫のマッサージが行われず、いきなり空気中に取り出
される帝王切開は、それだけに神経過敏になり、感覚は鋭敏である
が、姿勢や運動の調節だけでなく、手の動きも言葉も遅れる。帝王切
開は自然出産に比べてマイナスの要素が多い。帝王切開児ほど子供の
背中を愛撫してやる方がよい。
誘導分娩の害
o人工的に陣痛を起こすために、母子ともに心の準備ができていないの
に、胎児は胎外へ投げ出されることになり、産婦は自分の身体をコン
トロールすることが出来ず、胎児もまたリズムが合わなくなる。
o鉗子を頭に引っ掛けて引き出すという方法も、産道による自然のマッ
サージが行われないし、問題も多い。
o生まれるとすぐ、血も粘液もついたままの赤ちゃんをバスタオルをひ
ろげたお母さんに抱かせる方法があるが、生まれてから粘液などを洗
って十五分後に抱かせた子供とでは、情緒の安定度、発育に差がある
という。
o保育器の中に入れられた未熟児が情緒不安定になり、成長してもうつ
病にかかりやすいという。これは胎外へ出ても母親に抱かれて母親の
心臓の鼓動を聞くことなく、不安な心の状態のままで長く置かれるか
らである。
o母乳育児の利点
一、病気に対する免疫性を含んでいるので、赤ちゃん自身に抗体が
できる―初乳の重要性、初乳は二日間続く。
二、人工乳で育てられた子供より肉体的・知的両面にすぐれる。
三、母乳を飲ませている間は自然のバース・コントロールが行なわ
れ妊娠しない。
四、母体の肉体的・精神的健康にも重要である。
1.母乳を吸わせることによって子宮が収縮する
2.胎盤が自然に体外へ排出されやすい
3.乳房の分泌機能の増大
4.母親らしさの発現
o赤ちゃんが、この世に生まれて最初に接する人間は母親である。母親
の胸に抱かれ、母親の精一杯の愛情を受けて乳房を吸っている赤ちゃ
んの心は、安心感に満たされている。この母と子の安らかな人間関係
は、やがてその赤ちゃんが大人になった時、他の人との間に安らかな
人間関係を持つことになる。神の愛の人間的表現が母親の子供に対す
る愛である。母親は妊娠し出産し育児することによって、神の愛を経
験していくのである。授乳しない母親は、その愛を体験しないので、
そのことによる霊の成長をさせることが出来なくなる。
o女が子供を生むということは、人類が永遠に発展してゆくために、神
が女性に与えられた天命である。女性にとって妊娠こそは、女性が生
まれ変わる最高のチャンスであり、女性の身体が新しく再生されるチ
ャンスなのです。妊娠こそは神が女性に与えた慈悲である。
o赤ん坊は、お乳が欲しいとか、おむつがぬれた時とか以外は絶対に泣
かないのである。よく泣くのは母親の心が不安定で、神経質になって
いるからである。
o堕胎罪がなくなった結果、性を享楽の対象にして、その結果妊娠する
となんらの罪の意識もなく堕胎している人もあるようですが、そうい
う人は男、女側ともよく反省して詫びないと、いつかはそのことを反
省しなければならない出来事にぶつかるでしょう。それは水子の崇り
ではなくて、自分が間違ったことをしたその結果としてくるのであり
ますから、よく反省することです。妊娠させた男性の側こそ罪が大き
いのです。女性に妊娠させて、責任をとらなかった男性が死ぬと、自
分の見たこともない子供が、「お父さん」と寄って来た時、「お前み
たいな子供は知らない」と言ったら地獄行き間違いない。水子供養を
説く、宗教家達が、女性の側ばかりを問題にして男性の責任を追及し
ないのは片手落ちで、あの世のことを知らないからです。それと心覚
えのある男性も、生きている間によく反省しておくことです。
o夫婦調和への提言
一、初恋の人は忘れなさい
二、純潔を守ること
三、結婚前の秘密をしゃべってはならない
o日本はどうなる
家庭の崩壊、離婚、再婚、再々婚、同棲、未婚の母、結婚拒否、同性
愛などさまざまな社会問題を引き起こしている。離婚が確実に増え続
け、毎年一万件以上の増加をみている。最近は中高年層の離婚率が高
くなっている。一九六〇年代から始まった女性拡張、男女平等は、や
がて失敗であったことを知ることになろう。一時的な経済環境の変化
で、女性も職場に進出しなければならなかったとしても、結局はそれ
は一時的のことであって、神が定められた男と女の役割の本質まで
が、すべて変わってしまうということにはならない。子供を「鍵っ子
にして働きに出たために、子供が大きくなるにつれて、手に負えなく
て困っている人がたくさんいる。少々くらいの金と引き替えに、子供
をだめにするわけにはいかないといって、夫の収入で満足して、子供
を立派にしつけし教育している人もいる。ローンの支払いのために、
妻も働きに出ないと仕方ないという人もあるわけであるが、本書に示
した男女の役割を充分に心得ているのであれば、家庭には問題は起こ
ることはないと信じている。アメリカで失敗していることを、いまさ
ら日本が真似することもあるまい。確かに女が強くなった。夫は、父
は弱くなった。女が強くなって、男が活力を失った国は滅びるしかな
い。卑弥呼の歴史は、女性上位では国家社会は健全に発展しないこと
を教えている。人間も自然界の一員である。万物の霊長である人間だ
けが、自然の法則に反してよいわけがない。現在起こっているいろい
ろな社会問題は、人間が自然の法則に反したあり方をしていることへ
の反動であり警告である。答えは簡単である。「男は男らしく、女は
女らしく、男は男の役割を、女は女の役割を」
『正法と結婚の原理』(園頭広周著)にみる人生の原点
o「母」とは、生命を生む者のことである。我々はみな、自分の肉体を
生んでくれた肉体の母親への思慕を通して、永遠に変わらない大きな
生命の母、即ち神のふところに帰りたいという思いが、我々の信仰心
となっているのである。その我々のその思慕の感情を、我々の祖先達
は、「吾は、妣の国、根之堅州国に罷らむと欲ふが故に哭くと申給ひ
き」と表現したのである。なんと優雅な表現であろうか。男は失意の
時、死に直面した時、心の奥底で「吾は妣の国に罷らむと欲ふ」とい
って、そこに帰れば心が安らかになると思って、母を求めて、もしそ
の母がいなければ自分の妻の中に母を求めて、泣くのである。そうい
う時、妻は母となって夫を抱き、夫をして思う存分泣かしめ、慰め、
励ましてやらなければいけないのである。だが、最近はそのような聡
明な妻は少なくなったようである。
o昔から、女が強いと男の子が生まれ、男が強いと女の子が生まれると
いういい伝えがある。どういう子供を持つかは天上界で決めるのであ
るから、このいい伝えは当たらない。
o人間は小宇宙を形成している。小宇宙とは大宇宙の縮図である。大宇
宙に展開する無数の星々は、人間の肉体を形作っている光の数(細胞
数)とほぼ同数である。(六十兆個)
o私の師、高橋信次先生の教えは、すべては自然が教えている。自然の
相(すがた)を見れば人間の生き方がわかる、というものであった。
o釈尊の弟子に「ヤサ」という人があった。ヤサはベナレスの大商人の
息子であって、好きな女に逃げられて、ガンジス河に投身自殺しよう
としているところを釈迦に救けられた。美男子だったので、釈尊の弟
子になってからは、女の人に変な心を起こさせてはならないというの
で、わざと顔に泥を塗って説法した。そういうことから、美男子とい
えば「ヤサ」、「ヤサ」といえば美男子ということになって、今から
一五〇〇年前、仏教伝来によって伝えられてきたインドの仏教説話か
ら、今日でも美男子のことを「優男」というのである。
oそれと同時に伝わってきているのに、女の子に「幸」、「幸子」とい
う名前が多いことである。釈尊の女の弟子に「マイトレーヤー」とい
う人があった。この方は後に「弥勒菩薩」と言われるようになった方
であるが、この方の小さい時の名前を「サチ」といった。マイトレー
ヤーにあやかって「幸」、「幸子」と名をつけたわけである。そのよ
うに、民間の伝承となっているものには、古い古い歴史、神話などが
伝えられているものがある。
o男の元気はどこからくるか、男はなぜ女にふれたがるか
私の知っている人に、女を見るとふれたがる人があった。だから、
人はその人を「エロじいさい」と呼んでいた。その人の奥さんは花
嫁学校の校長先生だった。そのご主人は、生徒を見るとふれたがる
ので、生徒達はその人が現われると、またさわられるというので大
騒ぎしていた。その校長先生である奥さんは、まことに賢夫人で一
分の隙もない人であった。さわることの好きだったそのご主人は早
く亡くなった。その原因は、奥さんがあまりにも立派で、ご主人に
さわらせなかったからである。男の元気は女からくるのである。妻
を早く失った男が、いかに早く老け込むかを見られればわかられる
であろう。たとえ、夫婦とも健在であっても、夫にさわらせること
を嫌がる妻の夫は、どことなく精彩がない。男らしい溌刺したとこ
ろがない。どことなく寂しさが漂っている。
o女を「おかみさん」「お神さん」というのは、男にとって女は神様で
あるからである。神様の生命は、女を通して男に与えられることにな
っているから、女を「おかみさん」「お神さん」と言うのである。
o夫婦円満であるということは、神の生命が男となって還流され、また
女となって男に還流され、その男女の気が円満に交流されることをい
う。神の生命が円滑に円満に交流されるから、夫婦も子供もみな健康
で幸福であるということになるのである。夫婦円満であるということ
は、陰陽、即ち男女と分かれた神の生命が、元の一つの神の生命に帰
ることである。元気とは、神の大元の気である。だから男は、女に充
分にふれることによって元気を取り戻すのである。だから、性のこと
を「エロ」だといって、いやらしいことと思ってはならないのであ
る。エロだと思っている人は、人間を動物だと思っているからであ
る。人間は神の子であり、人生は神の子の生命を顕現することにある
と思っている人には、性は神の意識に帰一する神聖な祭典となるので
ある。このことをキリストは、「夫は自分の肉体を自分のものと思う
な。夫の肉体を支配する権利を持つのは妻である。それと同じように
また、妻は自分の肉体を自分のものと思ってはならない。妻の肉体を
支配する者は夫である」(「コリント前書」三〜四節)といって、夫
が妻の身体にふれ、妻が夫の身体にふれることにわだかまりがあって
はならない。お互いに抵抗なくふれ合わなければならないと教えてい
られるのである。第五節には「相共に拒むな」と書かれている。求め
られた時に「拒むな」というのである。