1973年(S.48)8月16日
高橋信次先生「東京本部職員を叱られる」
高橋信次先生は、本部が先生に金魚のフンのようについてくるばかりで率先して勉強しないので、「試験をします」と命ぜられますと、
試験をされることに異議をとなえる人達が出てきて、それを諌められる叱責の言葉です。テープ筆録をお聞き下さい。
試験をするということに対して、皆さん自体の問題点について、皆さんの意見というものを聞きました結果が、非常に、こういう一つの
きっかけになっちゃって私達は揉(も)み合い、その結果に於いて、非常に良かったというのは、関西の考え方です。
それですから、いま私の説いているのは、本当に権威あるものなのです。私はいい加減に説いてはおりません。
その権威あるものを、皆さんが、受けるか、受けないかは、皆さん自身です。私はいい加減なことは説いておらんのです。それは皆さん
が、死んでから後悔するようじゃ、困ると思います。
私は、あれだけの汗と、あれだけの努力と、実在界を通して説いておる言葉です。それだけに、その権威あるものだったら、試験であろ
うが、何であろうが、実践しておったならば、出来るのが当然のことです。
そういうことを棚上げして自己保存することは、すでに自分自身が正法というものに対する権威を疑っているんです。
我々は、創価学会や、或は、大学や一般の試験とは違います。それだけのことが当然だからです。私達は、試験をやるというのも、私の
判断でやったのでありません。実在界から指令を受けているのです。
我々はそのような、ちぽっけなことで、心の機能を狂わすようじゃ、正法を聞く資格はありません。それだけの権威を、皆さんは持って
いるのです。その権威を、自分自身がそれだけの結果を出すことは、当然なことです。まだ私の話しを聞かないで、地方に、或は外国に
いる人達のことを、皆さん、考えて下さい。甘ったれております!(語気を強められ)
真実なものであるならば、これは神が私に指令を与えているのです。
そのくらいのことは、皆さんが自覚をもって、自分自身のものとして解決していくのは当然であり、また支部の責任者ならば、このくら
いは当然なことです。
私はそれだけの威厳を持ち、それだけの理論を持ち、それは私自身の努力ばっかりから出てくるものではありません。実在界を通して、
私は一つ一つチェックしているのです。それだけに偽善であってはならないのです。自己保存であってはならないのです。
私は真剣勝負です。そういうことで、例え試験をすることによって、混乱の起こるようなGLAなら、やめてしまった方がいいですね。
私は、ついて来るものだけを連れていきます。そういうちっぽけなことよりかは、皆さん自身が、何故、神理に対する自信と、実践によ
る結果を、皆さん自身が選ばないのですか。私はそうだと思います。
その結果が皆さん自身に跳ね返って来る神理なのです。我々はそんな権威のないものではありません。それはやがて皆さんの前へ、その
真実が現象化されます。試験を受ける、受けない、ナンセンスです。
私達は、その試験だけを通してではなく、権威あるものを、権威あるものとして、皆さんの血や肉や骨に、そして自分自身を完成するも
のなのです。そういうことを知らないで。
皆さんの心の窓を開けば、それだけの結果が分かるのです。そういう事を一つ、知って欲しいと思いますね。
私らは、いい加減なことをやっておりません。その辺の新興宗教とは違うのです。自分達は命を投げ出してやっているんです。そのもの
を自分自身が実践したならば、当然そこから出てくる結果は、肉体まで供養しようとして、我々はやっているのです。
聞く皆さんが、それだけの根性が無くて、何が出来ますか!私は皆さんより、自分を厳しく自分を眺めております。それだけの私には、
説いている神理に権威があるからです。
皆さんは、それにも、自覚の上に立つことが大事じゃないでしょうか。いい加減なことなら、止めた方がいいですね。私らは、命懸けの
人達に、その道を説きます。そしてそれを、迷える人々に、その真実のものを、私は教えます。それが本当じゃないのですか。
それだけに本部の皆さんが、試験、うんぬんということに対して心を動かすようでは、話しになりません。
私は、釈迦如来として言うのです!(語気が強く)
皆さん自身が、自分自身を悟ることです。自分に甘すぎる。
自分に嘘を言い、自分自身を、自分自身に権威を持ちなさい。私は皆さんに、初めてこのことを言います。
ヤクアツワーリス フォアティェ レアワ カポテーワラ ティーポタラ ティーエセア(異語で叫ばれるように)。
皆さん自身です。それは皆さん自身なのです。実行した結果、出てくるのです。それは、甘いのです。自分に厳しさを持つことです。
一人でも、私は自分をしっかりと見詰めてきました。それだけの自信を持っている人は、この中に何人いますか。自分をしっかりと見詰
めてきている人が何人いますか。それをやって欲しいのです。
そうすれば、自から、皆さん自身が自覚と責任と自信を持つことが出来るのです。違いますか。
私達は生ぬるいこと、やっているのではありません。ここにいる高橋弁護士だって、忙しい中を、何んとか間に合わせて、やっているん
です。命懸けなんです。皆さんはまた人々の指導をする上において、やることが皆さん自身の課せられた使命ではないでしょうか。
私は、東京の皆さんの遅れているのを残念に思います。
余りにも膝元にいながら、甘ったれております。関西や、或は過日は山形の人達だけが、関西に求めて、支部を作ろう。行くところ行く
ところへ私達の神理を、彼らは耳そば立てて、そして実践してきております。
それが大事じゃないでしょうか。私は、真実の一人の人間がおれば、それでいいのです。
私の説いているものは、私自身じゃありません。それだけのことを皆さんは知って欲しいと思います。
私はそれだけの責任を持っております。それが道ではないでしょうか。その為に皆さんが、例えどのような状態があろうとも、自分がそ
の実践体験をおいているものであるならば、正道というものを、しっかりとフィルターにかけて、始めてそこから出てくるものは、真実
じゃないでしょうか。それをひとつ皆さんは実践して欲しいと思います。
私は自分自身というものを通して、実在界からも色々と言われております。厳しさを、それだけ自分自身を見詰める為には、皆さん以上
に厳しいです。誰が何んと言おうが、皆さんは自分自身にもっと責任を持ち、そしてそんなちっぽけな、そんな小さな東大や、或は創価
学会の試験とは違います。真実なものです。そのものを皆さんが知って欲しい、それ以外にありません。
それだけに皆さん自身が、その結果を出さなければ、自分自身がその責任を取らなきゃならんのです。
私らは試験の成績うんぬんを言っているのじゃないのです。試験なんか、分からなくたって、私の眼は節穴ではありません。一つ一つ、
その人達の心と行いを、例え書けなくとも、私には解るのです。皆さんは、それだけ位いのことを、知って欲しいんです。
相手が、例え書けなくても、努力している人間、現実に動いている人間、解るんです。それは、例え人を導かなくとも、ここにいる新井
さんだって、そうです。自分は思うように書けない。しかし一生懸命にやっているんです。皆さんは、それを知って欲しいと思います。
いかにうまいことを書いたところで、私はこの者を認めません。それだけのことは解るのです。少なからず指導者として、皆さんがやっ
ていく上に於いて、もっと自分自身を磨いて欲しいと思います。
その結果は、今の質問や考え方が愚問であるということです。それだけの権威を欲しい。いずれは、五年、十年経てば分かってくること
です。
それは勇気です。努力です。そして自分自身を完成していく道は、今、私の説いているもの以上にないということです。その権威を皆さ
んは知って、直して欲しいと思います。終わりです。
みな一斉に、「どうもありがとうございます。」、
と。