高橋信次先生講演
「心の本質、宇宙即我」
1974年(S49)1月12日 GLA関西本部
T・挨 拶 園頭広周先生
おめでとうございます。昨年は正法の神理に帰依させて戴きまして、高橋信次先生の御指導のもと、そして関西本部長さんを始めとされ
まして、関西本部の皆さんに、いろいろありがたい厚いご援助頂きまして、私の生涯、最良の最良の正月を迎えさして戴きました。心か
ら厚くお礼申し上げます。
昨年12月始めに行われました、九州に於ける第1回特別研修会の模様は、12月の講演会の時に申し上げましたが、更に多分、GLA誌
の1〜2月号になると思いますが、詳細が載せられることになっておりますので、よくご覧になって頂きたいと思いますが、その研修会
によって点ぜられた正法の灯は、今、爆原の火の如く九州に燃え上がらんとしております。
その研修会の席で、宮崎の世話をしておられます〇〇さんから、ぜひ宮崎で春の頃、研修会を開いて頂きたいというお願いを出されまし
た。更に鹿児島の世話をなさっておられます、白石というお医者さんが、先生、ぜひ鹿児島にも早くおいでくださいというお願いをされ
ました。その願いを入れて戴きまして、今月の27日、鹿児島市で、第1回の高橋先生の講演会が行われることになりました。
今、鹿児島市では、鹿児島市のPTA、そのほか西日本新聞社が、主宰しています政経懇和会、そのほか心霊同好会、人間学者、その他
のいろいろな団体が、全部、協賛で先生を盛大にお迎えしようということで、今、一生懸命運動中であります。
更に4月10〜11日には宮崎の青島で、再び九州の第2回の研修会が開かれることになっております。そういう動きに連れまして、福岡の方
でも早く支部を結成して、組織的な活動を始めなければならないということで、この20日に関西本部から、中村事務局長と増田組織部長
先生に来て頂きまして、いよいよ支部としての正式な活動を始める、その準備の協議会が行われることになっております。
福岡でも、福岡1県を1ヵ所に集めるのは、なかなか範囲が広いので、北九州と久留米の3ヵ所で毎月、集まりをすることにしました。更に
お隣の佐賀県もありますし、また熊本でも既に支部結成の動きが出ていますし、更に年末、熊本県の生長の家の有力な方が、生長の家に
矛盾を感じてきた、是非、高橋先生のお話を聞きたいということで、最も活動力を持っていられる方が1人は風邪で来られませんでしたの
で、本当は3名こられるのが2名こられまして、そして先生のことをお聞きしてお帰りになりました。
1月27日の鹿児島市の講演が終わりますと、翌日は個人指導をお願い申し上げるわけでございますが、色々と東京から来て戴いて、そして
個人指導までして戴いて、先生もお疲れでありましょうから、ぜひ一日、〇〇の方へご招待申し上げたいということで、28日の夜は指宿
の観光ホテルに鹿児島市の方が宿をとって下さっております。その指宿市の生長の家の初代会長さんから、年末、手紙がまいりまして、
私も生長の家に矛盾を感じまして、今、活動を停止しております。先生は、GLAに行ってらっしゃるということでありますが、ぜひ私
も高橋先生のご指導を仰ぎたいとそう思っております、という手紙を戴きました。
そして次から次へと点じられた灯は、恐らく今年1年の間に九州全土を覆い尽くして、そうして全日本に対して大きな正法運動の火を点ず
ることになるのではないか、またそうしなければならない。そうして1人でもそこに正法を求める人があれば、そこに行って、5人でも10
人でも集まって戴いて、そこで話をし、また隣の村に求める人があれば、またそこに行って、そして正法の話しをしそのようにして私は
今年1年、着実に努力を続けながら正法の灯を点じていきたい。それが私の年頭の決意であります。
そういう運動が出来ますことも、高橋信次先生のご指導を得て、そして関西本部長さんの、ありがたい色んなご支援を戴くことが出来て
こそ、出来ることでありまして今年1年、また皆様にも大いなるご鞭撻、ご援助を戴きますことを、お願い申し述べまして、年頭の挨拶と
さして戴きます。
ありがとうございました。(拍手)
U・宇宙即我の体験
関 芳郎氏
皆様おめでとうございます。このGLA関西本部が発足しまして、今年で3度目の春を迎えました。その3度目の春、その当時から縁に触れて正法神理を日々の実践の基準となさって生きていらっしゃる方や、また新しくその後この関西本部に縁あってお集まり下さった
方、それぞれの本当の皆様のお心の中に宿っている本当のもの、その自分をより高めていこうとするお心に忠実に生きて下さい。
先程、井上支部長さんが皆さんにおっしゃいました。皆様、本当にそのご自分の素直な心、それに忠実に生きて下さい。それが正法の本
当の出発点です。皆様のその心こそ、本当に執われない心こそ大切なものなのです。
ここにおいでになったきっかけは、いや、義理のあるあの人に頼まれたから仕方なしに、また何となく、あそこにちょっと話を聞いてみ
ようという気持ちを持たれた方、その動機は様々であると思います。
そのいずれのどんな動機にあるにせよ、ここにこうしてお集まりになって、そして互いに寄り集まり、正法神理のお話を聞く機会を得て
いるこの事実を、しっかりと皆様のお心に問うて戴きたいのであります。ご自分のお心に振りかえって見て下さい。その時、皆様の本当
のお心は、ああ、ここに来て、こうしてよかったんだ、こうして聞いている、そのことが素晴らしいことなんだ。
その聞いたことを少しでも役に立てるように生きて下さい、と心の中でそのように語っている声を皆様はお聞きになることができるので
はないでしょうか。皆様が高橋信次先生のお教えを、この宇宙の本当の法則というものを、皆様のお心の中に、そのように発見なさるこ
とが大切なのであります。高橋信次先生がお話になっているそのことは、それぞれの皆様の心の中の奥底に既にあるのです。
皆様は今、新しく初めてこの正法神理を心に植え付けられるのではありません。皆様それぞれは、もう既に皆様の心の中に記憶している
はずであります。それを思い出してください。
皆様のお心の中には、既に人間はどのようにして生きるべきなのか、人間の本当の心はどんなものなのか、その日々の生活を生きるとい
うことはどんなことなのか、それは皆様が既にご承知のはずです。それをただこの世に生まれてきて、この肉体に宿ってしまうと、肉体
に囚われた日々の生活の中で、それを忘れてしまい、もうそのような記憶が既に遠のいてしまって、思い出すことも殆どなく過ぎてしま
い、それが暗闇の中の苦しみと悩みの日々であります。
皆様の心の中に宿っている本当の善なる己というものをお見つけになり、その本当のご自分というものを、しっかりと絶えず絶えず掴
んでいられるということが、非常に大切なのです。様々な先生方がお話になられます。そのお言葉の一つ一つが皆様に、本当にご自分と
いうもの知って戴きたい、そのことなのです。皆様は誰もが食物によって自分が支えられ生きているのではなくて、本当は自分が立とう
と努力することが大切なのです。
皆様が立とうと努力された時、本当に周りの者が、皆様のどんなに素晴らしい支えになているかが解ります。自分が立とうと努力もしな
いで、ただ支えのみを求めていても、支えはありません。常に引っ繰り返り、その引っ繰り返った苦しみにまた、ブツブツ不平を言い、
文句を言い、泣き苦しんでいる、そのような状態から離れて下さい。
機関誌GLA誌の1月号に記載されて降りますが、10月3日の朝、私は3ヵ月前、本当にこの宇宙は私なんだなあということを実感致しま
した。それは私達の住んでいるこの地球が本当にこれくらいの大きさに見えるのです。パアッと見えまして、これが地球かなと思って、
スーッと目を下げましたら南極がありました。あれ北極はと思ったら、北極はありました。そしてこちらは太陽が右で、左の方から射し
ておりますので、左手の方がその影になって、かげっております。ことに中国大陸とかは、ずーっとあります。日本があります。そして
右手にアメリカ大陸が光に照らされて燦々と輝いております。
最も美しく見えましたのが太平洋でした。太平洋は右手から波が太陽の光を受けて、こちら側が光っています。そしてこちらが影になっ
ています。その一つ一つのなみがくっきりと見えます。それは丁度、自分の手のひらをこうして見ているのと同じなのです。あぁ、手の
平のここに線が走っているように、ああここが少し光って、こっちが陰って、こっちが光ってと、そのような本当に自分の手の平をまの
当たりに、こうして近々と見るように、こんなに小さく見える地球も、そんなにくっきりと最後まで見えるという不思議な体験を致しま
した。
そしてその時、地球を眺めている私は、それは小さい私ではなくて、地球も自分も一部ということでした。そうしますとその時、全ての
ものが自分の心の中にあるんだなということを知ったのです。それは頭では、自分の心は神に通じている、自分の心は実在界、天上界を
通じ、そして神に通じている、頭でわかっておりました。しかしそれを本当に自分の心の中にしっかりと発見できたのは、その3ヵ月前の
その体験でした。
そして本当に皆様の一人一人が一つの何の何がしたいという個体に宿っていて、その何の何がしか何のなんで、何の何子さん、それに囚
われている限りではその状況になれません。
しかし皆様は、その何の何子さんというその執着を離れることが出来た時は、大きな宇宙神というものを皆様の心の中に発見されること
でありましょう。そのことも、何か特別に修行とか、そうした一般的な荒行というものに行い得た現象ではありません。それは高橋信次
先生のお説きになる正法を信じ、それを自分の心の中にいれ、少しでも実践しようと努力し、一日一日を歩んできた結果だと思います。
正しく見る、正しく思う、正しく語る、正しく仕事をする、正しく生活をする、正しく念ずる、正しく定に入る、八の正しい道、この八
つの正しい道、一つ欠けても満足ではありません。
正しく見ることは、
ただ肉体のドングリまなこを開いて見るということでは決してありません。いかにしてじぶんの周りの世界が調和あるように見るかとい
う事です。見る主体は皆様一人一人なのです。調和あるように見えないから、あいつが悪いんだと思うのでは、正しく見てはいません。
正しく見る主体である皆様が正しく見る為には、見る主体である皆様が調和を持たなければいけません。調和のある目で周りを見れば、
周りが調和として見られます。どんな事件が皆様を襲いましょうとも、その事件を皆様の心の栄養となさる時は、それは悩み、苦しみの
材料ではなく、皆様の心の調和を更に強めるた為の素晴らしい素材であり、素晴らしい食事なのです。皆様の一切の周りの素晴らしい食
事としてください。そして皆様の周りが本当に、どんな事も素晴らしい食事とすることが出来たら、それは本当に正しく見ることが出来
たと言っていいのだと思います。
正しく見るとは、正しく外界を受けることです。正しく思うということは、外界の様々な現象と調和を持って心の中に貯えることではな
いかと思います。そして正しく語るということは、その外界に対して、心の中に貯えた調和の思いを発散することです。肉体を通じて発
散すること、これが正しく語るということではないかと思います。発散、正しく調和を周りに与えるように言葉を使う。調和した一つ一
つの動作をしていれば、それはまた調和を持って返ってきます。
正しく見る、正しく思う、正しく語る、その循環を毎日の仕事の中に活かし、そしてまたその生活の場を超えて、より大きな社会的な場
で、その教えを身をもって実証さすことです。
この五体に限界があって、体を持って運びえない遠い所のあの人、あの哀れなあの人、そこへも調和を与えてください。私は見舞いに
行けませんが、あの人の体に、あの人の心の安らぎがありますように、皆様は念ずる事によって調和をこの3次元の地にもたらす事が出
来るのです。
そしてその7つの事が正しく行われて、いま常に
1秒1秒、今という時を本当に調和していくのです。自分の心の調和、不動の安らぎを持っているかどうかを常にご自分の心を見つめて下さい。一切のものにふれるたびに、直ぐにその人、あの人、この事件、あいつめ、こい
つめ、と思って目を外に向けている限り、そのような調和ある輪廻を生むことは出来ません。
しかし自分の心に、常にあのことに触れ、この人に会い、この事件に遭遇して、自分の心を“今、こうかな?”と見つめて下さい。そし
て揺るぎがあるなら、その揺るぎの原因を見つめて訂正して下さい。その方法は高橋信次先生がお説きになっております。そして更に皆
様のご理解を深めるための様々なご説明を下さっております。
その一つ一つのご説明、お話を無理することなく、無駄にしないということは、それを毎日の日常の生活で活かして戴くということで
す。
では皆様、今年
1年、更に日々をこのように八正道を実践し、皆様の心を高めて、そしてこの社会の皆様が在る環境の中で、皆様が本当に 生きていて素晴らしい、周りからも思われるような人になってほしいと思います。 V・花の精の言葉 高橋一栄氏おめでとうございます。もう古い方は何遍も自分を愛するという方法は、どんな方法かと言うことを聞いているし、多分実行しておるの
ではないかと思っております。
新しい方は、一体自分を愛するということは、どんなことなのかというと、今まで皆さんが話して下さったから、自分をきっちと知る
ことである、自分を確立することなんだという事を話に伺いました。
けれども去年
1年を見ましたら、色々な皆様の諸問題を聞いてみますと、本当に自分を知っていないなということを痛感いたします。先生、体が痛くなりました、どうしたらいいでしょう。うまく仕事がいかないんです、どうしたらいいでしょう。そのような質問だけが
返ってきます。私達は、どうしたらそれを直すことが出来るのかということを教えていたはずです。けれども皆様は直ぐ頼りたがりま
す。それは本当に自分を知らないからです。
先生、胃が悪いんです。もうあなたの胃は悪いですよ。食事に気をつけなさいよとということを前々から、その方に伝えてあっても、今
日も九州から胃潰瘍らしいんですけど、どうしたらいいでしょう。入院したらいいでしょうか、悪いでしょうかという電話が入りまし
た。その方には、既に1年半前に、あなたの生活は非常に悪です。自分の体の中身も知らないで暴飲暴食していたら、本当に自分自身を失
ってしまいますよという事を、もう一年半前に伝えてあります。けれども一年半たった今、どうしたらいいでしょうかというお話を受け
ます。
私達は自分の肉体は親から貰ったもの、丈夫な人あまり丈夫でない方、それぞれの遺伝があります。けれども本当に自分自身を知ってい
たら、自分をどのようにしたら健康を維持できるであろうかという事を、しっかりと皆様は考えている訳です。けれども胃腸が悪いの
に、お酒を飲む、いや消化の悪いものを食べる、神経を返って使い過ぎる。本当に使わなければいけない所を使わないで、ぐじぐじとし
た神経を使う。そして血圧の高い人は、くだらない事にぐちぐちと、目に入るもの一つ一つをぐちぐちと言う。言うから心に障る、心に
曇りが起きるから血圧が上がる。そのように自分自身が自分を苦しめているのです。
本当は自分が自分以外に人が知るわけは無いのです。自分の神経がどれほど緊張しているのか、どれほど自分の神経が病んでいるのか、
過保護にしているのか、皆、自分が知っているはずです。けれども皆さんは、意外に自分自身というものを知らない人が多いのです。
本当に自分を愛するなら、自分が今やろうとする事を、きちっとやるべきです。今、胃の悪い人が不消化の物を食べたら悪いという事
は、頭の中だけで解っているから、行動に移すことが出来ないのです。お酒を飲んでいけない人が、まあちょっと、まあちょっとのルー
ズさが自分の体を本当に最後には崩してしまう。そのようなことを見ていると、皆様は自分を本当に愛していると思っている人々が、却
って過保護にし、自分を堕落させているということを痛感します。
こうしなければいけないという事が解っていながら、それをなさずにその時を逸してしまって、後になってどうしたらいいであろうかと
相談にきた時には、本当に遅くなっていて、ああ可哀想にと思う以外に仕方がない時があります。
そのように皆様、今という時をしっかりと考え、自分自身がこうしなければいけないと思った時には、自分自身をしっかり見つめ、その
方の行動に直ぐに移して戴くことです。私は肩が張ります。肩が張るにはその原因があるはずです。その原因が分っていながら、それ
は分かるんです、けれども…≠ニ言ってそれを直すことを知らず、そういう方が非常に多く見受けられます。
私達は親から貰ったこの五体を、生命のある限り持っていなければ、この地上界で修行することは出来ません。いくら太陽が無所得で光
をくれても、私達の肉体を維持する私本人が自分自身をしっかりと管理しなくて、誰が私自身を管理してくれるでしょうか。
自分の心を人に売ってしまってしまっているような人、人の人生を歩んでいる自分、一体これは、自分を愛していると言えましょうか。
あの人がこう言ったから私はやっちゃった。あの人がこう言わなければ、私はこちらの道を進んだのに、そういう声をよく聞きます。
あの人はGLAの人だから大丈夫だと思った。そのようなことをよく聞きます。GLAの人であっても、それぞれの諸段階を経て、自分
がよくなろうと努力している過程の人間であるという事を、まず始めに知ってほしいと思います。GLAの人は全てみんないい人なん
だ。みんな人々はそれぞれ良い点を持ち、良い特徴を一人一人見たら、とっても良い人が多いのです。全て皆さん、ここにいる人々は1対
1で話したら、いい人がとても多いのです。
けれども集団になった時に調和が出来なくなる人、集団になった時、一人で勝手にその輪から外れてしまう人、自己主張をする人、その
ような人々が出てきます。一体どこで、それは脱線しているのでしょか。
それは自分というものを、しっかりと知らないから、自分の目の前にあるものを避けて通っているからです。自分の目の前に来た夫々の
諸事項をしっかりと見つめる目、そのような目、そしてそれを思う心、そういうものをしっかりと持っておられる方は、いつ何が来よう
とも、これはこのようにすればよいのだ、じゃ今からこのようにしよう。こうすればこの事態はすぐに解決することが出来るのだ。じゃ
このようにしよう。
思いと行動が一緒になるから解決が速いのです。憂いている人に限り、あれはどうしよう、これはどうしよう、誰かしてくれないかし
ら、人待ち顔でいるから、段々と遅くなってそれを逸してしまう人が多いのです。
私達はこの太陽が と与えてくれる素晴らしい無償のもの、これを見た時に、私達が親から貰ったこの五体、全て愛なのです。この五体
は皆様が全てお持ちの肉体は、私達全て愛の形なのです。
それは私が去年の
12月の第1土曜日の時に、クリスマスって一体、何だろうな、そのように思いました。その時、イエス様がポッとおいでになりまして、クリスマスというものは形じゃないんだよ、あなた自身だよといわれました。私とクリスマスと、どういう関係があるん
だろうなと思いました。その時に色々なことを教えて戴きました。
その中で、愛とは私達肉体の全てだよと言われました。私達肉体の全ては愛の形なのです。あなたの右腕の支えが、そして自分の足で歩
む事、みんなとの調和が、自分自身の優しい言葉が、そして無償で出来る私達の肉体が、全てが愛なんだよ。そんなに形作るものではな
いんだよ。太陽が無償で私達に素晴らしい慈悲をかけていてくれるのと同じように、神は私達に五体という、愛の全てを造って下された
のです。それを使うか、使わないかは、あなた達自身にあるだよ。そう言われました。
ああクリスマス、私達自身はこんなに素晴らしい愛の形を持っているのに、何で出し惜しみをしていたのだろう。塵が落ちていたのを足
でポンと蹴って、気にしながら通り過ぎて行った自分、なんて愚かな自分であったのかな、そのように思います。
私達に生命があるのと同じように、草や木にも生命があるのです。去年1年かかりまして、ある商売の方が、花の精を、先生出して下さ
いとそう言われましたので、色々花の精とお話しました。
これがその時の花の精の話を要約したものですが、この方は自分自身の商売を、先生正法とどう結び付けたらいいか、考えました。そし
て、私は服を作る仕事をし、花の浴衣を作りたいと思います。その花にはそれぞれ精があるんだという事を先生は前に言われましたの
で、一度、花と対話して下さいと言うことで、ここにある何点かの花と対話しました。
その時に、私は素晴らしいことを感じました。私達よりも花の方が、よっぽど素晴らしい心を持っている。私達が勝手に踏んでしまって
いる草木にも、それぞれ素晴らしい心を持っているんだ。私は罪を作ったことがないと言われる方は、そのような草や木の素晴らしい心
を踏み付けた事がないのですか?私は反省することがないと言っている方に、自然に感謝したことがありますかと問いかけてみたいので
す。
ここに出ている一番向こうにあるのが菊の精です。これは菊の精を見たことがない方が書いて下さいましたので、非常に私に似て、横に
太くて、ちょっと縦に短いようでございます。本来は30cmつらいの身長です。そしてとても可愛いのです。色々お話をします。自分達
がどういう にしてほしいのか、そして自分から見た人間は一体どんな人間であるのかということを少し書いてありますので、読ませて
戴きます。
ここに書いてありますこれが菊の精です。私達は中国に生まれ育ち、強い風や砂嵐にも負けず大地にしっかり根をおろし、仲間を増やし
ました。私達は何事にも耐えることを知っています。耐えるから希望が生まれるのです。人間は偉大な創造力と実行力を持っているの
に、愚かな人々が多いですね。そのように言われました。いかがですか、皆さんは?
何事にも自己本位にしかものを考えず、感謝の心を忘れていますね。私達は自然のままに生きることで、世の中を美しく飾り、調和と安
らぎの環境を造っています。それを無情にも、むしり取って みない人がおります。人間も花のように美しい心になって下さい。そのよ
うな伝言を受けました。
そしてここに書いてあるのは梅の精です。梅の精は丁度、平安朝のような着物を着ておりました。そして薄い透けて見えるような軽い上
着をはおっておりました。とても髪が長くて可愛らしいのです。私のところに来た時には、赤い服をちゃんと着まして、梅の小枝を肩
に当てて、可愛らしく出てきました。おお可愛いなと思って見せて戴きました。
そして梅は、私は中国で生まれています。本来は、梅のいい使命があるのです。私達は花の少ない季節に花を咲かせ、皆様の心を和ませ
ております梅の実は血液の浄化に役立ちます。盆栽に育てられましたが、私達は広い場所に育つことを本命とします。季節に葉を着けて
も、せっかく着けた葉をもみ取られてしまって、季節感が錯覚されることがあります。でも私達は耐えるのが本性ですから、命ある限
り、精一杯咲かせます。花の盛りがすんだら、花を取って休ませて下さい。小さな中で育っているので、来年花を咲かせるのに、花をつ
けやすいからです。
自分が、どんな小さな環境でも、またその花を取ってほしい。また来年花をつけるための力としたいから。というように、もう私です
と、あの人が、梅の花は来年もまた、皆んなに、多くの人の為に、梅の実をつけて血液の浄化を り、人間に役立ちたいから、済んだ花
は取ってほしい。そのように申しておりました。同じように、やはり背は殆ど30cmくらいの慎重でございます。
ここに出ているのがカトレアの花です。カトレアの花の精は東洋産と西洋産のかけ合わせで、人工的に造られているのが今の品種だそう
でございます。私達の故郷は南国の島々、島の若い娘さんが恋人と愛を囁く時、彼女の髪の上に美しく咲いて、その愛を見守るのです。
しかし生命の灯は、はかなく数時間も経てば無残な姿をさらし、スコールに朽ち果ててしまうのです。それでも決して悔やみません。ま
た人々の愛の調べと共に、花咲く時が来るからです。私達の根は高血圧に良く効き、体から出るエキスは血を綺麗にします。そして私達
は人々と共に、地上の楽園を夢見ながら生き続けているのです。
というように、カトレアの精はカトレアの花を一輪、髪の上に飾りまして、その花びらと同じようなお洋服で、とても可愛らしく長いお
洋服で出て下さいました。
そしてここにあるのが水仙です。水仙は丁度ここにある絵は、ちょっと間違ってあるのですけれど、本来は洋服の姿で、私はこれほど気
品に満ちた水仙を、今までとても知らなかったのです。水仙というのは、どこにでもありますので、それほど気品に満ちた姿があると
は、水仙の精を見守るまで知りませんでした。
でも一輪の水仙を見た時に、ああとても綺麗だなあと思うのは、この水仙の精を見てからです。とても気品が高くて綺麗な姿をしており
ました。ちょっと、おすまし屋さんでございます。ギリシャ神話でよく知られるように、ナルシスは池の面に映った自分の姿に恋をし、
その恋につかれて一輪の水仙になったといわれております。
古代の人々は、それを自分の魂であり、自分の体から抜け出した死の前兆だと考えていたようです。私達の歴史はそれほど古く、故郷は
地中海沿岸、そして八重咲き、口紅、ラッパ水仙などの同族でも、姿、形が違います。 初々しい花模様は早春の足音を告げ、茎から取
った液は、腫れ物や婦人病によく効きます。一輪の花に託し、私達は恋に愛に生き、人々に希望と健康を与えたいと願っています。いつ
も調和の心で影を作らないようにしようというようなお話です。
そしてこれはシクラメンです。シクラメンの時にも、とても感じたのですが、あの小さいものですから、ピョコピョコ動き回りながら、
色んな動作をします。丁度、私達が小さい子供がいたずらをしているような姿に、とてもよく似ております。そしてその時、東京ではシ
クラメンというのが非常に珍しかったんですけれども、シクラメンのの話を聞いた時には、よその外国ではどこににでもあるんだという
事を教えて戴きました。地中海地方の野生育ちで、花も大きく繁殖力も強く、根強い花です。
一握りの土と、少量の水、太陽の光さえあれば、バラのような真赤な色、鮮やかなピンク、ソフトな白の花びらを咲かせることが出来ま
す。日本の温室に育つようになってから、私達は自然の姿を失い人工的な姿となりました。そして体質も変わったようです。心ある人は
太陽の光を当てたり、水をやったりして自然の姿を取り戻します。自然の恵みから遠ざかると、次の希望を失ってしまいます、私達を精
一杯動けるようにして下さい、そのように花は言っております。
チューリップも同じようでございます、花は今お話したように、私達人間に貢献することを非常に喜びとしております。けれども私達は
その花々に生命があり、そして命を捧げる時に、やはり悲しく思うそうです。手を触れた時には、とても怖く感じますでもそれが私達の
役目であるならば、私達はそれは いませんという事を聞きました。そして今はとても育ち難くなりました。周りがコンクリートになっ
てしまったので、地下水が非常に少ないのです。そして照り返しが強いので木を長持ちする事が出来なくなってきましたという事を、と
ても嘆いておられました。
そのように私達は、自分だけが生命があるんだ、自分だけが立派なんだと思う割には、小さなものへの愛を忘れてしまたんです。
そのようなこ事で、今日はお正月でもありますし、皆様に花にも、そして木にも、全てのものに生命があり、私達と同じように生き続
け、そしてお互いが相互の関係を持って、この地上界を素晴らしいユートピアにしたいと望んでおるということを、皆様に知ってほしか
ったんです。
そしてまた皆様は小さな頃のように、ガリバー旅行記にも小人の国と言われるようなお話があり、不思議の国のアリスというお話があ
り、親指姫というお話がありそのようなお話の中に、やはりこの小さな精達(妖精)がでてきます。
もし私達が小さな国に行ったら、どうであろうかというように、霊視が出来なくても、現実のものを、書き物を書くという一念から、そ
ういうものがあるのよという事を教えてくれた先輩方々のお話の中からとってみても、ああ本当だな、それぞれの生命は自分達だけでは
なく、多くのものにあるんだな。大人の私達は小さい子供を可愛がるのと同じように、全ての自然界を慈しみ、自分自身と同じように生
活していったなら、これは全て調和の世界へと繋がって行くのです。
ただ悲しいことに、そのお話の中で、ピンクの梅の花に、白い梅の花を接いだ木を見ました。これはとても可哀想な光景でした、右の片
腕の所から違うものが出ているのです。足の所から違う木を接ぎ木してあるのです。その姿は醜く、私の見るのに耐えられませんでし
た。接ぎ木するのは人間が勝手にしているのです。もし私達の五体の足を切って、動物の足をつけられたら、一体私達はなんと考えるで
しょうその姿を見た時に、もし盆栽、いや自分の家の花をあまり気にしなかった人々は、動けない花に優しい愛の心を持ち、もう一度、
自分の家の樹木や、そしてそれぞれの木を、もう一度見直し、ああ悪かったなあ、これから共に生活しようよという自然を取り入れる心
を、もう一度芽生えさせていただきたいと思います。接ぎ木というのは、それは哀れな恰好です。
そのように自然であるように、私達はそれぞれの大きなもの、小さなものを慈しむ心を、心の中にしっかりと受け止めていきましょう。
でも大きくなったら、先生、刈ってしまうのは可哀想ですから、うちの芝生はぼうぼうとしていますと言われる事を前に聞きましたが、
これはいかがでしょうか。皆様の爪が、髪の毛がぼうぼうとしていたのでは、皆様は気持ちが良いでしょうか。鬱陶しいでしょうか。
その辺は、よく皆様がしっかりと自分の心に思うこと、はっきりと見て確認して、それをご承知を願いたいと思って、今日のお話を終わ
りたいと思います。どうも有り難うございます。
ここでお話をされている高橋先生の奥さまの一栄氏は、お釈迦様の時代はマイトレーヤ、(ミロク)と呼ばれお釈迦様の身の回りをよく
見られたそうです。お釈迦さまを薬師如来ともいわれますように薬草園を持たれ、草花に特に造詣が深く、周辺におられた一栄氏ならで はのご講演でしょう。
おめでとうございます。ようよう私達も全国的に人々の心に、普遍的な法灯を点ずる機会がまいりました。しかしあまりにも永い歴史の
中に、しかもまた我々の生活の中に食い入っている現代宗教というものと、必ずや我々の正しい神理というものに対して賛同は得られま
せん。
勿論この中にも約70〜80人近くの人は、初めて聞く人達もおりますし、その上に否定的な人達もおります。
皆さんは信仰というものに対しては、お経を唱げる、或いは祝詞(のりと)を唱げる、賛美歌を歌う、我々の信仰対象としてあるもの
は、曼茶羅や或いは仏像、その他の偶像、特に地方地方にある神社仏閣、そういうものを一生懸命に拝むこと、これが信仰深い、このよ
うに我々は今までは思っておりました。
しかし神の実態、祀られているそのものの実態というものを殆ど確認することが出来ぬまま、神様というものは遠いところにある、我々
の望みを全てかなえてくれるんだ。
しかし、やればやる程、疑問を持ってくる。所がその疑問を自らして回答得ずして、貧乏したり病気をすると、やあこれはもっと拝まな
くてはいけないのだ。或いは人伝えに私達の信仰しているこれをやれば治るよ。このようなものを、こうして祀れば治るよ。或いは拝屋
さんの所へ行きます。先祖3代前の方が三代前と言うとバレてしまうから、大抵五〜七代前と言っておけば分りません。まあ七代くらい前
の先祖があなたの所に憑いている。その為には先祖を供養しなければ、あなたの家は救われない。まあおおかた、そんな所で騙されてし
まいます。
或いはまた病気を治す為には50万円を積みなさい、あなたの家の生活だったら50万円くらいは大丈夫だ、それを教団に喜捨する事によっ
てあなたは救われるんだ。ある者はまた、あなたの家の財産を全部あげなさい。あげたときには救われるでしょう。すぐ人間というもの
は、ドタン場にくると溺れる者は藁(わら)をも掴む。遂に段々と泥沼の中に入って目覚めた時には、もうあの世行きという事になります。
神はそのようなことを一つも約束しません。
我々は他力本願によって救われる道はないのです。何故なら、私達がこの地上界に肉体を持って出てくる。そして我々が全て生活できる
環境そのものは、神は全て用意し、我々に無償で提供してあるからです。まず我々はこの地球上という場に肉体を持ってしまうと、その
ように盲目化してしまうのです。
私達がこうして講演に、関西にも三年、東京方面にも五年近くやっております。うん、また同じ話をしだしたな。所が昔から信仰してい
る人達、例えばひとつ般若心経をとってみても、毎朝毎晩、観自在菩薩行深般若波羅蜜多、唱げております。あるものはまた、1万遍、
と唱げております。
これを日本語に翻訳したら、どういうことになる。爾時世尊 従三昧安詳而起 告舎利弗、その時、世尊釈迦牟尼仏は立ち上がって、そ
して舎利弗に告げました。同じことを、同じことを言っております。
更にまた念仏の如きは、南無阿弥陀仏、ナムアミダブ ナムアミダブ… 、やることなすこと、ものを一つ取っても ナムアミダブ ナ
ムアミダブ… 。南無阿弥陀仏ということは、一体、皆さん、どういう事ですか。これはインドの言葉です。ナーモアーミダーボと言う
ことです。ナーモといのは仏に帰依するという事です。直訳してしまったら、“神は仏様に帰依します、私は仏様に帰依します…”。あ
いつパーじゃないか。それを何となく外国の言葉と日本の言葉でミックス(mix)しちゃって南無阿弥陀仏と言ったら、あたかも立派なよ
うに思えます。
更にまた南無妙法蓮華華経、日蓮はご丁寧に南無までつけた南無阿弥陀仏と法蓮華経をくっつければ、もっとよくなる。
南無阿弥陀仏、その上をとって南無妙法蓮華経、これも1万遍あげれば人間は救われるんだというんです。その中で救われた方がおります
か。世界中でそんな人は一人もおりません、錯覚を起こしているだけです。
法蓮華に帰依する。法とは宇宙の神理。我々の肉体というものは、あの泥沼の中より汚いものである。目を見れば目糞、鼻糞、耳糞、体
から出る一切のものは泥沼よりか汚いものだ。あの泥沼の中ですら美しい蓮の華が咲くのではないか。あの泥の中に咲いてる蓮の花は美
しく調和している。穢れがない美しいものだ。我々の心もまた、例え汚い肉体舟の中にあっても、宇宙の神理を己の心の物差しとして生
活をしたならば、あの蓮の華と同じように安らぎのある調和された境地に到達するのもである。
本来はそのようなものを簡略してしまいまして、中国から日本にくる間に“妙法蓮華経”と変わってしまいました。法蓮華経、それ
をしかもご丁寧に曼茶羅までさげて拝むようになってしまいました。皆さん、曼茶羅というものはデコレーション(decoration)ならよろし
いです。飾りものならいいでしょう。しかしそういうものが拝む対象ではないのです。南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏の神理を、即、生
活の中に活かした時に、始めて仏教と言えるのです。
現代仏教は、殆どそのように他力化し、そういうものを拝むことが信心という間違った方向に進んでいる姿は、もう既に末法であり、そ
れ故に現在、社会の経済問題を一つ見てもそうです。去年の九月から十二月頃の間に於いては、日本に大騒ぎを起こして、石油、石油、
石油危機、エネルギー危機と言っているけれど、実際は7300万リットル、これだけのものが入っているのです。一昨年の12月の状態と調
査すると、約22%多く輸入されて入っております。今年の1月から2月の間に於いても、予定が5600万リットル、それが7600万リットル
入っているのです。
所が、足りない、足りないと言うと人間はみんなその気になってしまうのです。ここに我々は、人間が本当に足りることを知り、消費者
が真剣に自分の生活を擁護するならば、そのような物価値上げはしないのです。みんな我々は心を失い、目先の欲望だけに囚われて、本
当の自分を忘れているのです。トイレット・ペーパーにしてもしかり。実質的に去年よりか増えているものが、足らなくなることは、こ
れいかに。ところが大企業の方面をみて、去年の9月期を見てごらんなさい。480億近くの利益をあげているのは日本製鉄、ところが鋼材
は足りません、どういう訳です。電力会社も400億、300億と儲けていても、電力料を値上げしたいと言っております。
これは人間が本当に、我々日本人が真剣に考えるべき問題です。こうして人間自身が、ただ儲けよう儲けようとする欲望、これが結局は
自分の首を締めてしまうのです。今年の3月、4月、5月の間に、またゼネストが始まります。お互いにインフレーションに対し、給料値上
げを要求する、首をしめることは当然なことです。
現代社会を本当に救いうるものは物質ではありません。経済ではありません。その証拠には現在、田中内閣の総理大臣が南東アジアへ行
っております。日本で面倒見たはずの南東アジアから総スカンを喰っているのは、これいかに。
アメリカが日本をここまで育ててくれた。経済力によって南東アジアを育てた。所が総スカンを喰っているのは、どういう訳でしょうで
しょうか。人間の心の本質を知らないからです。日本人は経済の力を持って南方に行く。タイ国あたりに企業を作ると、自分の日本国民
という優越感にかられて、その国の人々との対話がない。独りよがり、自分さえよければいいというエコノミックアニマル(economic
animal)、当然なことです。
こうして文明の上に胡座(あぐら)をかいている所のアメリカも、日本人も、外国から批判される原因も、やはり肝心要(かんじんかな
め)な人間としての心の本質にあるのです。我々は特に戦後に於いて、人間としての正しい生き方の道を教えているところはありませ
ん。身を修める修身というものの教えもありません。
人生とは何んぞや。人間は何の為に生まれ、年を取り、病気をするのか、こういう重大問題も解らなくなっております。解らない人達が
求める宗教は、むしろ阿片です。人間性を失っていきます。そこでまず我々は、神というものはどういうものだろうか。人間はどうしな
ければいけないのか。あらゆる角度から検討してみましょう。
まず我々の住んでいる地球という場、その地球というものも71%は水圏…太洋・湖沼…水です。表面に出ている陸地というものは僅かの
29%足らずです。その中に30数億の人間がひしめいております。自然は全て調和されるように出来ております。その調和されるべき自
然を破壊しているのは、人間全ての欲望です。
正しくものを見ることが出来ない。それによって公害を撒き散らしている事実、我々はこの結果が、日本沈没だとか、最近それに予言書
が出ております。それも解釈の仕方によって180度違うような予言書がベストセラーになり、人間はそれだけ心の淋しさを、危険を察知し
ているからああいうものが売れるんです。
我々は他人事ではありません。先程、関先生が宇宙は自分だと言いました。その通りです。仏教の言葉の中に宇宙即我という言葉があり
ます。この宇宙即我というのも、皆さん自身が偏らない中道の道を実践して、自分自身の心の中にある所の偽りの偽我と、本来持ち合せ
ている所の善なる真我 、神の子として己に嘘のつけない善なる心、この二つのものが共存し、偽りの我を無くすためには八正道という
本当の仏教の根本原則を実践し、心の物差しとして生活したときに、始めて自分自身というものが、光子体ということが解ります。
皆さんの肉体と共存している光子体を図解しますと、このようになります。この光子体はこの肉体と丁度調和しているのです。これは離
して書いてありますけれど、一体になっております。これは、お父さん、お母さんから貰った、この地上界の原子細胞によって精成され
た肉体舟です。今の眼で見える所の肉体であります。この肉体舟とこの光子体は共存しているのです。
物質に対してエネルギー、この物質に対するエネルギーという問題は、私達の物理学上においても説明されており、実証されておりま
す。物質というものは、宇宙空間に体積と質量を有するものを物質と言っております。この物質は我々の見える光の速度、即ち光という
のは 299,774km/sec(約三十万キロ)
という物凄いスピードです。光の速度は地球の周りを1秒間に7回り半します。その7回り半した光の速度を2乗したものと、物質の質量と
の積は仕事をなしうる能力である、エネルギーといっております。
E=mc2 (E;エネルギー m;質量 c;光速)
このエネルギーの次元というのは、我々は現代、エネルギー危機、エネルギー危機といっているが、エネルギーを目で見た人はいないん
です。物質は目で確認できても、エネルギーは目で見る事が出来ません。
こうして次元の違った世界というものは、我々の住んでいるこの三次元の世界に対して、三次元を包んでいるところの四次元以降の世
界の存在という事なので、四次元以降の世界と三次元の世界が共存しているという事実は、皆さんが日常生活の中で、テレビジョンや映
画館のスクリーンに映し出されている映像を思い出したらよく分かります。映像は二次元の世界です。二次元の世界に映し出されている
ものは、三次元の世界から投影されているものです。その投影しているものに対して、我々はその映画のスクリーンに対して、どんなに
可哀想な映像が映っていても、私達はそれに加勢することが出来ません。同じように、我々は次元の違った世界との関連も同じようなこ
とが言えるはずです。
物質の世界エネルギーの世界が違うように、我々自身は、仏教では、“色即是空 空即是色”という言葉を知っているでしょう。天台
智(てんだいちぎ)という中国のお坊さんは、“色心不二”といっております。色心不二というのは、心の世界と皆さんの肉体は一体
であって別でない。かように二つのものが常にこうして調和して、我々の今があるのです。
我々は、こうして宇宙体というものは、我々のこの三次元の世界そのものが宇宙体であり、神の体であり、その神り体の現れでありま
す。
先程、肉体は愛の表現であり、愛そのものの姿こそ肉体だと言っておりました。その通りです。我々のこの原子細胞から成るこの肉体
も、実はもう一つのエネルギーとも言うべき、生命の本質とも言うべき光子体に包まれて、皆さんの肉体は今、同体になって存在してい
るのです。
親から貰った肉体は、いつの日かこの地球上へ、そして我々は自分の肉体から抜け出して、その肉体から出ている霊子線ともいうべき、
光のドームの中をやがて帰っていくのが、こちらの肉体なのです、光子体。ですから皆さんはいつでも、あの世に行く準備が整っている
のです。いつでも死ぬことが出来るのです。我々は死んでしまえば、肉体がなくなるから、全ては無いのだと錯覚を起こしているだけで
す。皆さんの心の窓が開いたら、この事実がはっきと解ってまいります。
我々は、心の美しい正道を心の物差しとして生活している人達は、自分の肉体から光子体が抜け出していきます。しかもまた、この光子
体は抜け出さずとも、このもう一人の自分は、でかくなっていきます。そのときに地球が手の中に入ってしまうわけです。
皆さんは孫悟空の話を聞いたことがあるでしょう。天竺(てんじく)に経典を取りに行った時に孫悟空は活躍します。彼は、世界で自分
があらゆる戦力を持っていると思いましたが、彼が増長慢になった時、世界の隅まで行ってきたと思ったら、観音様の手の中にしか居な
かったということを知っているでしょう。これも同じなんです。人間みな神の子であり、そして神と同体であり、神と同じ肉体を持って
いるのです。
しかもその中で、個々の生命としての特徴を持ち、個性を持っております。そして我々は地球というこの環境に適応した肉体を持って
今、生きているのです。
そして今、物質的に恵まれた生活をしていようと、或いは経済的に非常に厳しい環境に生活している人達も、それぞれ皆さんに今、皆さ
んの魂の、即ち原子細胞の肉体の支配者である光子体の中心にあるところの皆さんの心、皆さんの魂を豊かにする為の学習の場なので
す。その体験を通して、より豊かな自分自身を造っていくことが大事なのであり、決して私達は他力的な法蓮華経、南妙法蓮華経や、或
いはまた南無阿弥陀仏を唱げることによって、その人の心が豊かになるのではないのです。
大事なことは、皆さん自身の心の中の、思うこと、行うこと、これを自分が偏らない中道の道を根底とした生行為の中に、豊かな広い心
を作り出すことが出来るのです。
まずそこで、我々は、先ほど申し上げました物質経済、そのものに翻弄されてしまうのでしょう。まず皆さんがこの地上界に出てきた時
に、お金を持ってきた人がおるでしょうか、曼陀羅を持ってきた人があるだろうか、偶像を持ってきた人があるでしょうか。
持ってきた人は誰もありません。我々は裸だったんです。そうしてまた、色々な対象物、信仰の偶像を持った人達も死ぬ時に持って帰れ
るでしょうか。持って帰ることは出来ません。但し意識で持って帰った人達は、あの世において、自分自身かなぜ持ってきたのかとい
う、大きな執着、苦しみを持ってあの世へ行きます。
我々は皆さん、三途の川というのを聞いたことがあるでしょう。あの世にはあります。これはこの地上界で体験してきた所の、大きな執
着を捨てて流していく場所なのです。そのために執着を捨てて向こうの彼岸へと、これをお彼岸と言っているのです。
こちらの岸からあちらの岸へ、我々は自分の大きな荷物を捨てて行きます。それは皆さんの現在生活している中で、その執着というもの
が、どういうものであるか、それは皆さんは今、皆さんの、あの世から帰って来いという帰還命令、即ち、死を宣告された時、皆さんは
今、何を考えるでしょう。
皆さんが死という自分自身が大きな転換に直面している時の皆さんの心、思っていること、為している問題を真剣に考えてみて下さい。
この中で、今すぐ死ねるという覚悟のある人達がありますか。残念なことに一人もおりません。但しその状態になって、ああ私は何もい
らぬ、捨て去る人は大分おります。心の綺麗な人達からは、一人一人がちゃんと後光が出ております。しかも生と死という大きな問題に
ぶつかった時に、今、自分の心がどうであるか、皆さん一回想像してみたらいかがですか。人間の死というものは、いつ襲って来るかも
分かりません。人間は毎日毎日が、一日一生の心構えが必要なのです。そして明日があるなら、よりまた今日より豊かな自分自身を造る
ための生活行為が大事なのです。
八正道という心の物差しを持って、このような生活をしている人達こそ、本当の信心深い人達なのです。あらゆる宗教を体験し、その中
で、疑問、疑問、疑問だらけの中から、その泥沼の中から抜け出した人達は、必ず私の説いているものを真実だと認めるでしょう。
我々はこうして、人間の普遍的な偉大な神の子としての自覚を訴えているのです。それは自力なのです。当然、自力によって自分自身
の心というものが満たされ、感情も知性も理性も本能も、全てが円満調和されている状態になりますと、執着がなくなります。執着がな
くなれば、より以上に物質も経済も、あらゆる面が調和されたユートピアが完成されていくのでしょう。それが普遍的な人間の心という
本質が分からない為に、欲望だけが表面に出る。これが闘争と破壊であり、あらゆる物質不安定の根底になっているのです。
人間が普遍的な偉大なる神の子としての自覚、豊かな円い心を自分自身が造る以外に、現代社会の人間の本当の調和はありえません。そ
れは神がするのではなく、皆さん神の子である己自身が、五感を通し、煩悩即善提としての自分を完成させる以外に、地球上、仏国土は
完成されないのです。“まやかしもの”ではないのです。
今、私の説いている神理は、既にこの地上界始まった時から同じことを言っているのです。遠く1万年前、私達はアトランティスにおい
て多くの人々と共にユートピアを造ったように、更にまたエジプトに、或いはインカに、そしてまた中国に、インドに…、人間の真の心
の道というものは普遍であり、新しいとか古いとかいうものが神理ではないのです。永遠に変わらないものが人間の心の物差しでなけて
はなりません。
こうして自分の豊かな心になるに従って、私達は自ずから我々の心の中から作り出した所のスモッグが消えていきます。消えていきます
から、こちらの光の肉体は大きく膨れ上がっていくのです。この時に“宇宙即我”という境地になていきます。
皆さんが心を落ちつけるためには、まず自分の心の中に偽りがあるかないか。自分の感情に乱れがないか、乱れたとしたならば、どこに
原因があるのか。本能の面に於ける欲望が大きくデフォメーション(変形;deformation)を起こし、膨らんできた。何故だ、その原因はど
こにあるのか、その根っ子を取って、自分自身が成長していく。病気をした、病気をしたら、その原因はどこにあったか、自分の生活の
中で暴飲暴食、或いは肉体的な過労、或いは精神的な面、このような病気の原因を追求していって、始めてこういう馬鹿な事をしたから
肉体の調和が崩れたのだ。この肉体の調和を崩す原因は何処にあったのかという事を、皆さんが発見しない限り、皆さん自身の魂は進化
しないのです。人任せでは困ります。自分自身なのです。悪くなければ、悪くなった原因がある筈です。その原因の根っ子を取り除かな
い限り、皆さんは前進をしないのです。
永い歴史の中に人類は、そのように一つの物に固定化された他力本願という、冥土の沙汰も金次第式な間違った方向に、人間の肝心要な
心を教える道が狂ってしまったのです。神は我々の遠い、祀られた神社仏閣にあるのではなく、皆さん自身の心の中にあるのです。しか
し皆さんは偉大なる万物の霊長としての、豊かな自分自信を持っているのです。
正法者の心構え
こうして我々は、心というものの豊かさは、即、皆さんの後ろの後光が大きくなっていくから、始めて宇宙即我、自分自身は神の子供だ
ということを自覚するようになります。そして皆さんが、もう一人の自分が抜け出していく時には、これはこれは、大変なものを見る事
が出来ます。
我々は今こうして、心を調和して抜け出していきますと、飛行機に乗れば飛行機代がかかりますが、お金は一銭もいりません。そうして
あらゆる所を見て来ます。皆さんが、早く真剣に、自分というものの執着を勇気を持って取り除き、正しい毎日の生活を実践していった
ら、お金をかけないで自由に世界旅行が出来ます。世界旅行ばかりでなく、あの世へ行って見てくることが出来ます。
このようにして、我々はただ決して新しいものを今、説いているのではなく、皆さん一人一人の心の中に、永い転生輪廻の中で、この体
験を、この記憶を、皆さんは誰も持っているのです。
しかし我々の肉体の先祖を通して作り出してきたところの神社仏閣、こういうのもを否定してはいけません。何故ならば我々の先祖は、
そのようなものが正しいんだと思ってきた。そしてそのまま、あの世へ帰った人達は、その環境で生活しているからです。もう私は神理
を聞いたから、もうお寺も神社も行かん、もうお墓へも…、あれはただの人生航路の乗り舟が廃品になっているのだから、もうあんな所
へ行く必要がないい、それは危険なことです。
何故ならば、我々は知らないでいること、生命が永遠である為に、この地上界で体験してきた事を等速度運動をしながら、その場所にい
る人達がいるからです。。何故なら、我々がお墓に行ってみます。立派な石塔が建っております。それはそれはもう、1000万円近くかか
るようなお墓の中に住んでいる住人が、その場所が天上界だと思ったらとんでもない。冷たい石牢のような地獄界です。最近は何か新し
いのが まして、色々と子孫が繁栄する為には、立派なお墓を作れば繁栄するんだといって、だいぶ儲けて、あっちこっちビルを作って
いる石屋さんもいます。
お墓のこと、お盆のこと
まあ人間というものはそういうもので、自分ということになると、そういうものに騙されてしまって、商売に手助けをするのです。それ
が哀れな法を知らない人間の行為です。皆さんが心の眼を開いて古いお墓に行ったら、必ず手を出して、助けてくれ! ある者は、もう
どうにもならないで救ってくれと言っている連中の非常に多いのを見ます。ですからお墓などに行って、心の汚い人達が憑かれてしまっ
て、憑依されてくる人達も多いのも、その為です。
日本のようにお盆なんていうことになると、亡くなった先祖が来るんだ、わざわざ家の門の所でかがり灯をし、先祖の皆さん、どうぞい
らしゃって下さいと言って、お呼びしたのはいいけれど、帰るのはいやだよ、もう地獄は厳しくて、その家がよくて、その家の嫁さんに
くっついてしまって、お盆の時から体がガタンとまいってしまう人達が日本全土には一杯おります。先祖を祀って何で具合が悪くなるん
だ。このように、本当の心の眼が開いてない為に、そういうものに憑かれてしまうのです。
本来お盆というものは、そういうものではなく、やがて三月になれば、お彼岸というものも日本にあります。お彼岸というものも、本来
は人間自身の心というものの知った生活行為、そして執着をとり、苦しみの世界から調和された、悟りの安らぎの彼岸に行くというのが
本当の道なのにも拘わらず、我々は先祖を供養することが、そうだと思っているのです。
先祖供養の前に、まず自分自身をつくることです。自分を完成することです。そうしてそれが分かったならば、先祖の皆さん、お墓に執
着を持ってはいけません。私達は今日はお りにまいりましたが、皆さん、もしこの中で生活をしているとしたならば、皆さんの肉体
は、あくまでもただの舟、その壊れた舟に、これは俺の肉体だと思っているから執着を持つのです。一切そういう心を捨てて下さいね。
何でそういう場所で生活をしているかというと、あなたが生きている時に、この地球上に於いて、自分のねぐらはこの場所だ、ここに大
きなカルト(cult;崇拝、信仰、この場合はお墓)作ったけれども、これは違うんです。
皆さんがそうしてやって、我々がまた実行したら、今から五百年、千年経ったら、日本はお墓ばかりになってしまう。寝るところはな
くなります。まあ最近はお骨のアパートも出来まして、高いビルの中に何号何部屋、ちゃんと決まっております。まあそのようにしなけ
れば、食っていかなきゃならない御商売の方もおります。そんなものが本当の道じゃありません。
われわれの肉体というものは、本当は、この原子細胞は、この地球という場で約三十二種類からなる元素、その合成により細胞が構成さ
れ、約六十兆からなる細胞集団によって五体が形成されております。
こういう五体は、この地球という神様の体の中の一部分を分けて貰ったんだ、だから地上界を卒業したとき自然に返して行けばいいもの
を、人間はそのように、自分の子孫、自分のいわば“ねぐら”をといって、そういうものに執着を持ってしまう。ですから我々はそいう
間違いを教えてやる。
また仏壇には、先祖代々の位牌があります。ところが位牌とは不思議なもので、亡くなってから、○○院、○○大居士とかつけている。
あの世へ行って自分の戒名を言っている人は一人もいません。生きている時の名前を言います。これも奇怪な事です。またこれを書く事
によって生活が成り立つんじゃ仕方がありません。まあ協力してやる以外にありません。
戒名が、いいとか、悪いとか、それより生きている時に、それより生きている時に、いかに正しく生きたかということが大事なのです。
死ぬときの自分の心の在り方がだいじなのです。
こうして我々は、他力本願の永い歴史の中に作り上げられた所の宗教は、本当の人間の道を忘れ去って、歴史という、伝統という、不自
然なものを作り出してしまっているのです。我々は旧来の陋習を破って、本当の人間の姿を発見しなければならない時に、今、来ているの
です。
皆さん、我々がこの事実を知って、偉大なる神の子としての実践する以外は、地球はやがて、かつてのアトランティスと同じような、大
きな天変地変を起こしていくのです。
我々はこの地球上という神の体の細胞の一つを調和する、ユートピアを造るという、人々の心、神の子としての万物の霊長として、一人
一人の心の調和を計ったユートピアを造るのは大きな使命の一つです。
神様の体を調和する為には、皆さんの肉体の細胞一つが不調和を起こしても、大騒ぎになるでしょう。神の体であるこの地球という大宇
宙体の中の小さな細胞の中で、我々万物の霊長である人種は、その場を修行の場とし、神の体を大調和することが本当の人生の目的なの
です。
それを我々は、ちっぽけな地球という魂の修行場に、こつこつお墓を作っている、おかしい事なのです。そうして皆さんが、その執着を
持って帰りますね。そうすると皆さんの場合、殆ど修養所に行きます。即ち三次元の地獄界、三次元、四次元につながる地獄界から天上
界に上がる途中の所に、幽界という段階があります。その幽界という段階では、この世から帰って天上界へ入る入り口に修養所があっ
て、みんなこういう建物がありまして、その場所で、人生のこと、色々反省して、 曼陀羅を拝んでいた人達、なぜ俺達はこんな曼陀羅
を拝んだのだろう。拝んで何を得たのだろう。神の子として、これが本当なのだろうか。
或いは大きな仏像を祀って、そしてその仏像を拝んでいた人達は、この仏像が本当に自分たちのものであったのであろうか。これを反省
します。そうして彼らは、自分の家に持っていたものを、そのまま、あの世へ意識の中へ持っていて、その愚かさを知った時に、彼らは
その執着を捨てる場所があります。廃品回収所です。自動車が乗り捨てになって、よく捨ててありますね。まあ最近はビルを作る為の、
その使い物にならない廃車を全部鉄骨にして生産するそうですね。何か1,5000トン作るようです。
こういうように、あの世では、これが無いから捨て場所がある。私達がこの地上界から、ずうーっと抜け出して、あの世へ行って、修養
所から出て行った所に、物凄くそういう仏像や偶像の捨て場所があったのです。ああ、これは何だろうと思ったら、この地球上の人達が
意識の中に、死ぬ時に、仏像と一緒にいれば何かと安泰だろうと思っていたら、とんでもない。安泰でなくて、反省して、反省して、あ
あこんなものを持ってきていかん、捨て場所だったんですね。そういう所があります。
まあ皆さんが、もう少し前進して執着を離していけば、そういう場所を見てきます。皆さんの眼で、体で見えてきます。そうなってくる
と、、へぇーっ、仏像なんて物はという事になるんです。
宗教殿堂の利用方法
ところがどうです。最近はあるお坊さんなどは、薬師如来を祀る為に15億円の、昔の仏像を保管する為、15億円の銭をかけて、そして大
殿堂を作っていますね。本当に薬師如来が作ってほしいのは、そんなものではなく、多くの大衆に調和された環境、気の毒な人達に愛の
手をを差し伸べてやる事、これが薬師如来の本当の心じゃないでしょうか。それを大衆から集められた不浄な金で、彼らは浄財と言って
いますが、彼らからみれば不浄な金です。そういうもので、大殿堂を作って立派な家に入れて、何が嬉しいんですか。それならば、生き
ている人間がその中に入って、即ち、いわば家の無い人達がその中で生活した方が、よっぽどいいと思います。そのように改造する、そ
の方が功徳があるんです。
こうして我々は、今、21世紀に入ろうとしているのに、まだそういうのもに執着を持っているんだから、おかしい事です。
その信者の一党が、私の本を読んで、おまえは非国民だ、こういう本を出して公害を撒き散らしては困るという内容証明が来ました。僕
はその中で、本当はして貰いたいなあと思ったんですが、ああ、こういう人は気の毒なんだ。まあ旧来の陋習を破れず、薬師如来という
仏像がその人を幸せにしてくれるんだと思っているから、黙っています。まあ心として、芸術作品としてあるなら、当時の芸術を鑑賞す
る意味で、大いに結構です。ところが、それを拝む対象、御本尊とはナンセンスです。僕は言いたい。その薬師如来が口をきいたら信じ
なさい。恐らく彼ら、口をきかないでしょう。黙りっぱなしです。
奈良の大仏さん
そこで奈良の大仏さんなんて、なんであんな、でっかいもの作ったんだと皆さん、思うでしょう。それも実は、皆さん自身の心が、真に
仏法に帰依し、その生活を実践した時には、“宇宙即我”の大きな姿、大きな心の姿の表現を仏像として、あのような奈良の大仏を作っ
たんです。あれは拝むのではないのです。あれを見て、自分の心の広さを、皆さんは造る一つのヘッドギヤ(head−gear被りもの)となすべ
きです。
それを我々は、でっかいものを造ったなあ。これを潰したら、どれくらいだ。あすこには何百貫て書いてありますね。金(Au)がどれだけ
入っているか。途中で燃えちゃった(大火)。神様の体が燃える訳はないんです。所が人間の作ったもんだから燃えちゃう。溶けちゃう。ま
あ補修したから、後ろの方が大分、新しくなっている。そこで拝観料貰って、のうのうとね、優雅な生活をしているお坊さんもいるんで
す。まあそういう人は、あっちへ行って、ゆっくりと考えて貰います。そういうものが、本当の信仰ではないのです。
要は、皆さんはああいうものを通して、なるほど、宇宙即我の姿だ。しかし、あんな小さいもんじゃないんですよ。地球を包むんです
よ。ところが東大寺の中に入っておりますね。途中から顔を出して途中から顔を出して拝ませているんだから、これまたナンセンスで
す。しかし造った一番の、その根底にあるのは、あのように広い心を持ちなさいって造ったのが本質のようです。それを永い歴史は、い
つの間にか、小さいものを作ってやる。だから最近は、新しい何とか なんていう宗教団体にいたっては、お金持ちになる為に、大黒さ
ん、 の をを、こうやって持っている大黒さんを祀って、一生懸命に拝めば金持ちになる。またそれを信じている馬鹿がいるんだか
ら、尚困っちゃいます。
真の打ち出の小槌、大黒天、弁天さま
打出の小槌を打つには、それだけ一生懸命働くことです。正しい仕事をやることです。そうすれば銭は、ちゃんと入るんです。宝くじを
当てようとするんですね。ですから皆さんは、大黒天というのは、一体どういうものですか。皆さんの金儲けを手伝った人だと思います
か。あの世には、大黒天と呼ばれる人がいますよ。またこの地上界にも一杯出てきております。
大黒天と言われる人達は、神理、法灯を、神理を説く如来、菩薩、こういうような光の天使達に協力し、経済援助する人達です。インド
の当時のビンビサラー、そしてその親戚に当たる所のガランダ、或いはアナタピンガー、即ちスダチィー、こういうような人達は、これ
を大黒天といったんです。中国へ行ってから、最近は大黒天ばかりでなく、弁財天というのもも出ています。そうして弁天宗という組織
を持っているのもあります。弁天様が出てきて、色々と金儲けの話をしてくれる。そうすると大阪当たりでは、金儲けの方がうまいです
から、そういう金儲けだったらといって、弁天宗派というのが、大きな一つの建物を作っております。残念な事に弁天様というのは金儲
けの協力をする人ではないんです。
皆さんの心中には、仏智という偉大なる転生輪廻の過程に於いて、体験したところの偉大なる智慧、偉大なる宝庫が、皆さんは誰も持っ
ているのです。その転生輪廻の中に体験された、皆さんの心の中に記憶されている、内蔵されている偉大なる智慧、その財宝を紐解くこ
との出来る人達、そのような人達を弁財天というのです。
ところが宝物を持っているのが弁財天、あの世では絶対に、この地球上のお金は使い物にはならないのです。日本に1万円は、あの世へ持
っていっても、使い物にはならんのです。この地球上だって、そうじゃありませんか。。これまで、1ドル300円が最近275円になっ
ちゃったですね。
経済のこと
神理というものは、一つも、そんなに変わるものじゃないんです。人間の作った、欲望で作り出した経済は変わるんです。インフレなん
て言っていますね。まあそれに便乗して、うんと儲ける人もいます。ただ儲けた金を人々の為に尽してくれればいいが、自分の懐だけに
入れて、そして自分さえよければいいという人も一杯います。まあそういう人はやがて苦しみとなって自分に跳ね返って来るんです、苦
しみとなって。
ですから皆さんは、お金は足ることを知らなきゃいけない。といって無いと困るんです。人間の現代社会に於いて、本当に幸せだと言え
るのは、まず肝心要な心を知ることです。心、そして皆さんの心の舟である所の、魂の舟である肉体です。これが健康でなけりゃ、いけ
ない。
ところが永い歴史の中で人類が作り出した現在の経済機構、資本主義にしても、社会主義にしても、またその根本にあるのは物質経済で
す。この物質経済も、また無ければ今は食っていけないんです。インドの時代の、お釈迦様のように、山の中に入れば、食べ物が、マン
ゴとかリンゴとか、或いはパパイヤとかリューガンとか霊芝とか、色々食べ物がある時代は、まあ今日は働かなくてもいい、そこにある
マンゴを一つ食べようや、夕方こっちにあるリンゴを二つ食べればいいや。駄目だったら乞食(こつじき)に行けば、何とか食えるよ。
だが日本では乞食に行ったって、相手にしてくれません。恐らく、お米一粒でも食えません。こちらから行っても、このように布施する
心も無くなってしまいましたね。
所が逆に、ずうーっと南方の方に行きます。カンボジアからタイ国方面に行きますと、布施する人達が一杯います。まだインド時代の名
残が残り、漫然として伝わっています。日本では最近、そういうものも見られなくなりましたね。だからやはり経済というものを、作っ
ていかなければいけない。経済も自分さえよければいいのではなく、人々の為になる、そういう環境というものを造り出さなければなら
ないのです。
こうして現代の社会の本当に幸せになる道というのは、魂を浄化し、健康であって経済的に安定している環境、この三つの柱を造らない
限り、ユートピアは出来ません。そのユートピアの、特に物質経済に関しては、本当の心というのもを知った人達でなければ出来ないの
です。自分さえよければいいんだといいう利己主義、儲け主義的な考え方、こういうことは結局は、自分たちお互いに首を締めてしまう
のです。
トイレット・ペーパーを買いあさった、あの千里のご婦人達が、いつの間にか、ざあーっと全国に広がって、自分たちで値上げしたでは
ありませんか。アメリカ人だったら、その辺はまだ利口です。不買同盟ね、買わないんです。皆さんが買わないから吐き出すんです。
ところが日本人は、自分さえよければいいというから、最近はハワイ当たりまで旅行してトイレットペーパーを買いあさっている。そし
て飛行機に乗って取って来たというから、これもまた話しになりません。
で、そこに私は最初に言った、日本人は最初に道徳心というモラルの面がゼロだという事です。そういう道が分からない所に経済が発達
したから、そういう、ものの奴隷になってしまったのです。
皆さんは、自分自身なのです。それをよく知って生活すること、これ以外にないんです。私達は色々と、このように講演に行くようにな
ります。また現象も出すようになります。直接、我々の声を通して皆さんが聞ける内は、いいのです。もう既にあの世へ帰った連中は、
次々とあの世の状態を報告に来ているのです、GLAの会員で、皆さん自身が、そのような体験をやがてしなければならない人達も出て
きているはずです。
その時には、しかっりと生命の永遠性を、自分自身で知って生活する、これ以外にありません。それには一切の執着を捨ててしまうこと
です。これは死んだなと思ったら、自分のもう重荷を捨ててしまうことです。そうして思い残すことがあって、自分の子孫の前に出て、
何とか助けてくれと言うようになったら、これ話しになりません。
そうなれば、お坊さんも本当はいらないんです。死ぬときにお坊さんが来て、お経を唱げることが道じゃないんです。生きている内に、
お経の意味を理解して生活していれば、黙っていて、明日の朝、いってみよう(あの世へ)、みんな元気でな。スウーッと行けるようになる
んです。
ところが皆さん、笑っていますけれども、あの世から出てくる時には、いや今度は大変だぞ、本当は出たくないんだけれど、出なきゃ仕
様がないんだ。出て来て、肉体を持って生まれたその環境でぬくぬく育っている内に、いやーっ、この地球上がいいやなんて。あれが死
んだ、これが死んだ、ああ可哀想に…。
まあ人間というものは、住めば都ですから不思議なもんです。しかし我々は、どうすることも出来ないのは、あの世へ帰ることなので
す。それがその時に慌てないで、毎日の生活を、毎日が極楽のような調和されたユートピア仏国土の中から、皆さんは生活してゆけば、
亡くなった時に、ああよかったな、思う存分やってきた。
ところが皆さんは、全部出て来る時には、気の毒な人達に愛の手を差し伸べてくるよ。うまいこと言ってみんな出てきたんです。そうい
う人達がみんな忘れてしまって、トイレットペーパーまで買いあさってしまって、人生というものは、そんなものではありません。
そういう事に惑わされないで、皆さん一人一人がじっくりと、正しく見、正しく聞き、正しく語り、正しく念じ、正しく仕事をした、正
道というものを通して皆さんが生活をしておったならば、あのような問題は起こらないんです。そして東京方面は“あげよう(地名)”とい
って、丁度千里と同じような大きな団地がある。その団地で騒ぎ始めたら、東京方面までダーッと物価値上げしてしまった。買占め始め
た訳です。集団意識というものも、本当の心がないから、ああいう事になるのです。
そうして自分達が、どんどん吊り上げちゃって、跳ね返って来るのは大衆です。まあ、馬鹿みたいなもんですね。我々もその犠牲者で
す。
新機構の実験
ですからGLAの場合は、今度は関西では正月を実験台として、よそよりか、うんと安く生鮮食料品というものを、みんなが買いま
した。これはユートピアへの一歩です。お互いに儲けようじゃなくて、お互いによければいいじゃないか。GLAというのは、そのよう
に、心、魂と肉体と経済というものの、この三つの大調和を図っていく我々のグループです。やがてこれが千万人になったら、どうい
う事になるでしょう。なります。その時にはコンピューターを幾つか設置しておいて、何処どこの生産地では、どういうようになって、
消費者はどのようになって、そしてグループはこのように動く、物価なんか高くなりません。これが本当の神理なのです。我々は政府が
やらなきゃ自分達がやる以外にないんです。
皆さんがそれで衣食住という経済の面が調和されてくればいいではありませんか。そうして精神的な面も調和され、今までの仏教という
のは、拝ましておればいいんですが、我々は人の拝んでいる間に、一生懸命やるんです。皆んなが安定した生活、環境、心の豊かな生活
環境、これを築いていくのが、本当の今度の道なのです。
今から2,000年前のイエスキリスト云々。