東京グレース学習会 〈七人の体験発表〉 日時 平成四年九月二十六日
園頭広周先生ご健在なとき、国際正法協会では女性会員のための「グレースの会」が持たれていました。
グレースの会は、女性は子供を生み育て子供を通して未来社会を創っていくという役割により、女性教育こそ最も大事であると、園頭先
生は特に女性教育に力を注がれました。
園頭先生であるお釈迦様時代の舎利佛は、お釈迦様の一子ラフラの教育と釈迦教団の比丘尼の教育も任されたといわれています。
そういった過去世からのつながりからか、先生は今世もやはり女性教育に腐心されました。
そのころ園頭先生から「小冊子にしますから筆録するように」とウエブマスターに手渡されたのが、この体験発表です。
今日は平成十五年五月二十七日です。
物を探していたとき目についたのが、古いフロッピーディスクで、そのときのものでした。
懐かしい思いでホームページに上げることにします。
司会者 皆様こんにちは! 大変お待たせ致しました。お知らせの通り、本日はK村先生がお休みでございます
が、皆さんの体験の発表の場ということで、グレース学習会を始めさせていただきます。今まで、園頭先生、K村先生に私達は何回も何回も教えて頂
いています様に、太陽系が太陽を中心に惑星が整然と運行していることであるとか、それから私は何時も不思議に思うのですけれども、真黒な大地
の豊かな肥沃な土に種を蒔いた場合に、緑の美しい芽が出てまいります。緑と黒い土のコントラストを見ていますと、どうして、こういう黒い土の中か
ら、あのような美しい緑の芽が出るのかっていうことを何時も不思議に思っているんですけれども、そういった働の陰には眼に見えない力 が働いて
いるのだなあって、いつも感じさせて頂いております。
それから最近、私の父の具合が悪くて、お医者様も
「もう、先の見通しも見えたようだから覚悟されるように」
と言われました。
シャックリが止まらないという状態が半月以上続いておりまして、今の医学ではどうしても止められないのだそうです。日常に普段に行われるシャック
リやクシャミが、ちょっと出てもすぐに止まるという何事もなく行われるものが、永年つかった肉体を脱ぎ捨ててあちらに卒業して行かなければ
ならないという頃になりますと、普段、あたり前に行われていた肉体の機能というシャックリ一つが止まらないということになって行きました。普段、元
気な時は肉体の存在すら気にしておりませんで、動くのが当り前、何んでもないのが当り前と思っておりますけれども、父の姿を通して、肉体が食物
を摂り血となりエネルギーとなるこの自然の営みの一つ一つが自分の力で決してそうなっているのではない、食物を摂ってエネルギーとなり活動する
ことも、大地に種を蒔いて芽をふくことも、全て動かしめる何かの力があるということの不思議さと畏れと感謝の念というものを感じながら生活して行く
のが本当ですのに、つい目先のことに執われまして感謝の心もなく日常を過して参りましたけれども、こうして園頭先生、K村先生、そしてその前に高
橋信次先生の御本を読ませて頂きました時に、本当の姿というものを想い起させて頂いたのでございます。…
先づ最初は小林S子さん(入会二、三ケ月)です。
小林 六月から入会させていただきました豊島区の小林S子です。名前がちょっと、あちらの方が出て来てから覚え易くなって…。先日のグレース
の自主学習会の時に、A支部長さんの奥様から、私が入会して三ケ月でどうして心が安らいで来たかを話して下さいということで、もっと素晴しい体験
実践をなさっている方が外に沢山いらっしゃると思いますが、私が心から喜んで感謝している体験の話をさせていただきます。
九月十二日から十五日までの四日間、箕面(みのお)山荘の研修会に出させていただきました。その時、園頭先生、K澤先生、K村先生のお話をうか
がって、「宇宙エネルギー」のこととか、「すべてのものの陰陽」のこと、「人間は神の意思のシステムに則って行動すべきこと」、そして「その目的を自
覚すること」、私達が与えられた二十四時間をムリなく、ムダなく、ムラなく過ごすことの大切さとか、神の慈悲と愛に感謝して神の子としての自覚を持
つこと等を再確認させて頂きました。
そして、園頭先生から発せられている光をエネルギーを一杯頂き、帰ってまいりましたので今までよりずっと心が安らいでおります。その時、同室に
なったのは大阪の方面の若い方ばっかりだったのです。十九、二十四、二十八、三十…歳の方達の中に母親のような私がちょこんとはいっていたん
ですけど、夜、講義が終った後、寝る前にお部屋で禅定しましょうということで、感謝の祈り、心行を誦げさせていただき禅定しました。そうしましたら、
二、三人の大阪の人の眼から美しい真珠のような涙が頬を伝って流れていたのです。これからお母さんになっていく若い方達の感謝の涙というのは、
高橋先生や園頭先生のおっしゃっているユートピアの建設への前進の一つだと私には感じられたのです。
園頭先生の御意向が育まれている姿をその彼女達に見て、私はそこで又一つ心が洗われたという感じが致しました。
私が国際正法協会に入会させていただきました動機 は、昨年の春、高橋信次先生の『心の発見』シリーズの御本を知人から頂きまして読んでおり
ましたら、その内容に驚ろきと感動が心にズシーンと胸の奥まで入って来たのです。その頃私は手打のそば屋をやっておりました。三十五坪ほどの
店で、人を使うことの難しさにとっても悩んでいたのです。私は、そば屋として自分自身十五時間ほど働いておりましたので、お店の一人一人から
色々の不満や悩みをぶっつけられて来られても各人の心を思い遣る余裕も時間もなかったのです。そんな時、仏陀であられる高橋信次先生の神
理の教えを実行したら、 どんなに心が休まり、自分の心も調和されて相手の方達とも調和できるかも、とふっと思ったんです。私のソバ打ちの先生
が、ソバ粉を扱う時は十二の眼で見よとよく教えられました。それは二つの眼と二本の手にある指先十本のことなんです。
そこの一つ一つから感じ取ることを自分でやって行かなければいけない。そして、ソバに対して向う時には全てを清潔にして心身も統一して打ちなさ
い。これは丁度正法に言われているような同じものだったのです。私自身もソバ粉に対してはとっても恐い、これは恐い生きものだと感じていたので
す。こちらの気がゆるむとすぐ逆って来るんです。でも心を集中させて優しい気持ちで、女の優しさを出してそんな気持ちで打ってあげるととっても奇
麗に仕上ってくれるんです。気持ちが乱れていますと、切りを入れる時も、私は細切りの方を出していたんですけれども、その細さもマチマチになった
り、とっても乱れてしまうんです。
それで、うちで打つソバ粉は常に心身が一体になっていなければならないんだとその頃も感じていました。でも、誰が打っても本当はおソバというもの
は田舎のお母さん、オバアちゃんが打っても同じように出来上るんですけれども、心のはいらないおソバというのは食べた時その違いがはっきりする
ということは、自分もお客様からも言われたことがあるんですけれども、私の店でやっているおソバというのは、〃女手打ち〃がやっているというの
で、おソバ好きの恐い〃真客(しきゃく)〃と言われるような方達が来ていただいてて、そのような方達が来られた時、ゆで上っておソバを器に盛って
お出ししただけで、誰が打ってどんな状態で釜あげしたかという、そんな〃こと〃まで見抜かれてしまうそんなとっても恐い方までいらしたんです。です
から、私は日々真剣に取り組んでいたんです。
そのような状態でしたから、私は高橋信次先生の神理の教えには素直に入って行ったんだと思います。それで、後で、私は先生の十五冊の御著書を
全部買い求めまして仕事の合間に本当に貪るように読んだんです。読み返しているうちに、ソバ粉が水を含んで粉が小さなツブになって、そのツブが
塊になってそれが大きな丸い玉になる、それが伸(のさ)れて切(き)られて行くように私の心に少しづつ魂の大切さ、神の偉大 さ、生かされて行く上
での八正道の厳しさ等が私を徐々に目覚めさせてくれました。そして、その時、私は自分の心を百八十度変える決心を致しました。今迄、私は余りに
も自我我欲に生きて来た自分だったんでそのカルマ(業)を一つ一つ反省して、二度とその誤ちを繰り返さないことを自分に誓って正法に入って行き
ました。その頃は、まだ今のようなちゃんとした『心行』は持っておりませんでしたので、高橋信次先生の『心の原点』に書いてある「心行」と、『心の指
針』の中に書いてある 「祈願文」の二つを小さな和紙のノートに写しまして、 暇があると心に銘じておりました。反省と禅定も御本に書いてある通り
のやり方で、自分で毎日実行していたんです。そしたら何か不思議なように私の心の中にあっ た、人や物への執着が少しづつ無くなって来たんで
す。
それで、私がこの世の中に生かされている全ての〃もの〃への感謝の気持ちと、この大宇宙、大自然を動かしていらっしゃる神の偉大さに対す
る感謝の気持ちが涌いて来たんです。そうして、私がそのような感謝の気持ちが涌いて来ますと、店で働いて下さってた人達への労りとか、そういう余
裕も生まれて来たのです。そして、私が、神の心とか、もっともっと深く知りたい、もっと自分を磨いて行きたいと思っておりました時に、園頭先生の御
本と巡り合えたんです。それは「高橋信次師こそ真の仏陀であった」という御著書だったのです。それを読みまして、高橋信次先生の教えをこんなにも
正しく、立派に継承して下さる方がいられたんだと思ったら何んだか物すごく喜びを感じて〃この会〃に入会させていただきました。
それは六月一日のことでした。そして、その前日、私は毎月、ある神社に、商売繁盛の祈願をしておりました。その祈願に対して、他力本願ではいけ
ないということも自分ながら御本の中から勉強しましたので、入会の前日にお礼をちゃんといたしまして、お札を総て返させていただきました。そして、
その日から他力信仰を自力信仰に替えて行きました。今までのようなあちらまかせのお願いでなくて、今度は自分の勇気と努力のいることを自分にも
はっきりと自覚させました。それからは勉強会、講演会には進んで出席させて頂いております。私が正法を勉強させていただいて解った一つのこと
は、私の母は正法に書かれているような、本当に慈悲と愛とを持って人々に接していたんです。その母が膀胱性ガンという病気で、もう十五年程前に
なりますが、亡くなったんです。私は、あんなに人の為にやっていた母があんな酷い病気になるなんて、とその時は思っていたんですね。その時は神
を恨んで、神なんか無いんじゃないかと言う、そんな気持ちになっていたんです。でも、それは母がいくら人の為に尽していても母の心の中に、何 十
年もの永い間父への憎しみの心を持ち続けていたから、だからそういう風になって行ったのだということも解らせていただきました。
母は朝、四時か五時頃から起きるんですけど家事をやる前に自分の家の廻りを全部掃き清めて、集めたゴミを、今のような焼却炉なんて無いん で
すから、ドラム罐に集めまして、人の迷惑にならない場所でそれを燃したりいたしてました。家の掃除というものは朝晩やるもんですよと仕付けられて
おりましたので、私も結婚してからそういう風に実行しておりました。
母というのは仕事がなくて困っている人がいると、自分で方々歩き廻って探して来て、その方に世話してました。仕事につきたくても乳呑児がして働け
ないと言えば、今のような託児所はありませんから家へ連れて来 て、私達と一緒に遊ばされたりしていました。食べるのに困っている人がいると、家
に連れて来て食べさせたり持って行ってあげたりしていました。そのようなことをすごくしていたんです。私達には、いつも「そんなことをしたからと言っ
て人から見返りなんかを期待してはいけないよ。もし自分が人から行為を受けたら、感謝の心で顕わしなさいということを日々の生活の中から教えて
いました。ですから、私は小学生時代から尊敬する人は?と質問されると、皆さんは野口英世とか答えていましたが、私は即座に母ですと自信を持っ
て答えていました。父という人は自分の欲望を満たすことにのみ生甲斐を感じていたような人で、普通のお勤めの人が一ケ月かかって得るような金額
を一晩一日で稼ぐような仕事をしていたんです。そのかわり、その金額を一日で使ってしまう人だったんです。お酒は一滴も飲まないんですけれ ども
自分の身を飾る、その頃着物で通していたんですけど、豪華な着物を作る、女性関係とか賭事とかに使ってしまっていたんです。そんな父でしたけど
私のことは とっても愛してくれ、オモチャ屋さんが出来る位、高価なオモチャとか奇麗な着物を買ってくれました。それでも、自分勝手に生きて来た父
を母は恨んで来たんだと思うんです。
母の恨みの心を初めて知らされたのは私が小学校三年生の頃だったのです。「サッちゃん、出掛けよう」と、兄と父が出掛けた後、小さなフロシキ包
を持って母と家を出ました。それから、母が娘時代を過ごした上野の池の端辺りへ連れて行かれたんです。その辺の老舗の人達と友達だったよう
で、その方達の所へ寄ったりいたしました。おいしいものを食べさせてくれたりいたしましたので、何んとなく変だなと感じましたが、その日は夜遅く家
に戻りました。ずっと後になってから、母は私を道連れに〃あの世〃に行く積りだったと言うことを聞かされました。そんな母の悲しさをわかって上げら
れなかったその時の自分を今、とっても反省しております。そして今は両親は二人とも実在界に還っておりますけれども、感謝の初めは両親からとい
うことを教わりましたので、二十一日間誦げさせて頂きました。途中から、何んとなく安らいだ母の顔が浮かび、笑っているような顔が出て来たので、
良かったなあと思って。そして、父へ。それから、私が迷惑を掛けたりしている方達へ順々に。二十一日間づつ誦げていますので、まだ何人にもなり
ませんが、これからもずっと誦げて行こうと思っているんです。で、「心行」は毎日誦げさせていただいて反省、禅定、瞑想もしておりますけれども、そう
いうことを続けておりましたら自然と自分の心が少しづつ安らいで行く自分の心が解るようになって来ました。
そうなりましたら不思議にも、私は神経をすごく使う人間だものですから、十二指腸潰瘍という病気を持病みたいに持っていて、夜は必ず薬を飲まな
いと夜中に痛み出したりしてました。高橋先生の御本を読み出して反省なんかをしてましたら、不思議にも、それが全然起らなくなってしまったんでそ
れから時々あった頭痛とか肩こりなんかもスッカリなくなってしまったんです。心を善に向けて反省なんかしていると、肉体の病気や心の悩みまでなく
なってしまった不思議さに驚いて、それを実感として味あわせて頂いて神に感謝させていただいておりました。自分が安らぎと感謝の心を持って日々
を過ごせるようになると、自然と他の方達への優しさが以前にも増して持てるようになりました。先日もこんなことがありました。部屋で園頭先生の御
著書を、今は何にもしておりませんので日々、本を次から次へと読み返したりしているんですけど、読んでいましたら小さな女の子が悲鳴に近い声で
すけど、「待って!待って!」と、多分、母親だと思うんですけど追い掛けている。その声が窓に近づいて、そして遠のいて行ったんです。窓を開けて見
た訳じゃないんですけど、私の心の中に、目に一杯涙を溜めて悲しそうな泣き顔で必死に母親を追い掛けている姿が胸に浮んで熱くなったんです。そ
れは私の娘が三歳の頃、聞分がなくてすごく厳しく叱ったことがあるんです。その時彼女も同じような声を上げて、「御免なさい!御免なさい」とシャッ
クリあげながら言った顔がダブってしまったんです。きっと以前でしたら、外であれほどひどい声で泣かれると「人が本を読んでいるのにウルサイなあ」
と思ったと思うんです。それが今では自分の心が安らいでいるので、その子を思い遣る優しい心になれたと思ったら、何んだかとっても嬉しくなって、
早速その親子に神の光をお与え下さいますようにと祈らせていただきました。これも正法を教えて下さいました
高橋信次先生のお陰だと心から感謝いたしております。
園頭先生は教育は権力ではなく権威を持ってあたるべきだとおっしゃいました。正に、そのように説いて下さる先生の許で勉強させていただいてい
ることに今、とっても感謝しております。これからは私を、自分の自己をしっかりと確立して行くために、日々、反省と禅定をして、もっともっと心を広く
大きく持って一人でも多くの方に、この神理の偉大さと素晴しさ解っていただけるよう、日々、努力して実践させていただきたいと思います。痩せた荒
れ地で白い美しい花を咲かせているソバ、ソバって言うのは荒地で採れる、荒地でもあんなに美しい白い花を咲かせるんですけども、私もあのような
白い花のように真白い心になれたらと、心に願いました。
我目指す
正しき道の遥かなる
光もとめて心磨かん
つまらない句を詠んでみました。これで終らせていただきます。有難度うございました。
関さん こんな高い所から皆様に、今回お話しさせていただく機会をお与え下さいまして有難度うございます。
私が正法というものに出合ったのは三年前位なのです。その頃は私の家の中がひどい状態でして、兄夫婦と両親の仲が非常に悪くて、兄も結婚し
たばかりで何かウマくいかなくて、本当に家の中がひどくて、皆んなが楽しく幸せに暮せたらいいじゃないかなあと言うことで、色々、占いとか宜保愛子
さんとかの本を色々読みあさりまして、占いの所にも出掛けて行きまして、その時にたまたま高橋先生の本を紹介していただきまして、それで正法の
高橋先生ということを知ったんですけれども、それからちょっと期間があって、園頭先生の本を戴きましたが、その本は私にはちょっと難し過ぎて、そ
の時はお返ししてしまったんです。それから機会があって、やはり高橋先生の何冊かの本を読ませていただいて、そのようなことをやって行くうちに、
たまたま正法協会というのを知りまして、入会させていただく事になったんです。去年の婦人の研修会の時、それまでは埼玉県の勉強会などに行って
たのですが、禅定の仕方などまったくわからない状態で、ただ本を読みあさっているだけだったんですけど、なんとかその禅定の仕方をわかりたいと
言うことで行ったんですけれども、それで婦人の研修会の時に先生方のお話しを伺いまして、正法というのはこれをやって行けば絶対間違いないので
はないかという事が解りまして、それから「心行」を読んだり始めたんです。私は父を、今思うと憎んでいたと思うんです。それでキライでして、いつも母
の味方になり、いつも母と一緒に父を攻撃すると言うわけじゃないですけど、何かあると、母が言うと、「そうだそうだ」というような感じで、いつも言って
いたんです。
「心行」を読み始めたりしているうちに、どうしてこんなに父がキライだったのかなとか、何時からキライになっちゃったんだろうと言うことを少し考えて
見ようと思ったんです。禅定して考えているうちにそれが解ったんです。それはいつも母が言ってることと私がキライだったことと同じで、きっと母の気
持ちが私にそのようにさせたと思うんです。そのことがわかってからは父に対して一歩引いた感じというか、第三者的な目で見ることが出来るようにな
ったんですね。母の家族関係が複雑ですので、そういったとても悲しい状況とかが解るようになって来ましたし、父の立場も段々わかるようになったん
ですね。それは禅定して、少し引いた処から見るということで、それが解って来たんじゃないかなあと思います。それが解って来て、そういうふうに少し
づつ父にも思い遣りが出て来ますと、父が不思議なことに癇癪を起さなくなりましたし、母の方も、私が間に立つと言うか、そんなことをしているうち何
んだか家族が少しづつですけど前のように、そんなにひどい喧嘩もすることも無くなって来ました。
私の誕生日が九月二十二日で、このチャンスを逃がしたら両親に頭を下げる機会もなくなるだろうと思いまして、今、私は百日間の禅定をしておりま
すが、母と子の研修会に参加なさっていた方達と禅定していたのですが、本当にいつもの禅定より何倍も気持ちが良くて、その時いらしていた方と百
日間禅定をしましょうと始めたんです。そういうことがあって、両親に頭を下げようと思ったんです。まだ、両親に実像を描けてないので、それでかなと
思ったんですけど、それでも勇気を持って頭を下げたんです。何か本当にこんなに恥かしいことはないなという感じで、「今まで子供として育てて下さい
まして有難度うございました。今年二十七なんですけど、今迄は子供としていたらないところがありまして申し訳ございませんでした。これからは親孝
行できるように頑張って行きますのでどうぞ宜しくお願い致します」と頭を下げますと、母が「こちらこそ宜しくお願い致します」と、母が「こちらこそ宜しく
お願い致します」と、父が「お前はこのことを勉強していたのか、偉いなあ」と、そのように言ってもらいました。私は二十七ですので、今迄、早く結婚し
ろと両親から言われていたんですけれども、実は、こういう事を勉強していて、もうちょっと人の見方が歪んでいたし、もう少し時間を待ってくれという意
味のことを言いましたら「そうか、そういうことを勉強していたのか、それだったら待つから頑張って勉強して行きなさい」ということで、その時に父には
『正法入門』、母の方には『正法と現代宗教』を渡して、今年からは誕生日というものは、いつもは祝って貰うのが当り前と思っていたんですけれども、
今年からは両親に感謝の気持ちで、こちらから育てて下さって有難度うございましたということで、プレゼントをするようにしました。
それからはまだ三日しか過っていないんですが、今朝も禅定して来ましたが、今、母への感謝の禅定をしてるんですけれども、もうちょっと時間を持っ
てゆっくりやりたいなあということで、今日も やって来たんですけど、いつになく心安らかに心が暖かくなってもうちょっとで、母の実像が見れるのかな
あと思うんですが、まだ見られない状態です。初めの頃は「心行」を読んでおりましても、やはり耳許で 「こんなことをして何になるの」とかっていうよう
に、耳許でささやくっていうんですか、こういったことがありましたし、それからは少し過ってからは、禅定してましても体がかゆくてかゆくて、とても禅定
を続けていることが出来ない時もあったんですね。それから思いますと、今は本当に、あの頃の禅定とはまったく違った感じで、心が本当に暖かくなる
ような禅定が少しづつ出来るようになりましたので、これからも少しづつ続けて行きたいと思います。それから、両親への感謝の禅定をもう少し続け一
日も早くと言うと可笑しいんですけど、自分が納得できるまで続けて 行きたいなと思っています。皆様の参考になるかわからないんですけれども、こ
れで私の話しを終らせていただきます。
島田さん 横浜から参りました島田S子でございます。昨年の春に偶然、本屋で高橋信次先生の御著書を手に取りまして、読み進むうちに、私の気
持ちにピッタリ、何んだかとっても大変な本に出合ったんだなと思わせてくれるものがありました。夏には園頭先生の本に出合い、何か引きつけられ
るようにその時の九月に正法協会に入りまして、丁度一年になります。その頃までは、私と夫は日々険悪な仲にあり、子供を前にしまして父親につく
のか母親について行くのかを迫ったりで、離婚の話しもピークに来ておりました。しかし、背を向けて泣いている子供の気持ちを考えると何んとかしな
ければと、気持ちだけがあせっておりました。昨年の十月のその日も、夫に内緒で入った正法協会のことにからみまして、ものすごい剣幕で怒り出し
たので、正法会が原因で喧嘩になるなんて、全く本末転倒ではないか、園頭先生に訴えて見ようかしら等と気分が落ち込みながらも、正法に照らし合
せて気持ちを整理して見ようと思うのですが、マトまらず、翌日電話で藤沢のFさんに相談させていただきました。
Fさんは「夫はあなたの為に存在し、あなたが選んだのだから夫に感謝し、そして『心行』の中の健康祈願を夫の名前を上げて朗読してみなさい」と、
アドバイスして下さいました。そして、その言葉にすがる想いで、兎に角、仕事の合間をぬって心を鎮め、主人の怒った顔しか浮かびませんが、無理
無理穏やかな顔心に浮かべながら、健康祈願をさせていただきました。一日の仕事は終わりまして、帰宅途中は心も重く体も重く、主人のことばかり
考えておりました。家が近くなる頃、ふっと魂に訴え掛けてくると言うか、何かパッと閃くように主人と私との関係、その主人から何かを学ぶ為に自分
が選んで、そして私のカルマの修正の為に与えられた人なんだと、本心、心の底から見えて来たのです。「アーそうだったのか、わかったわかった、あ
りがとう」、と言いながら涙が止めどなく溢れて来るのです。その瞬間決心しました。「絶対、主人と別れない。どんな事があっても真摯に受けて立ち、
前向きに考えて前進しよう。その為には別れてはいけないのだ」と。夜、二人になりまして、我の強い私が初めて、しおらしく「すみませんでした。私が
悪かったのです」と、主人に口から謝ることが出来、主人も初めはムッとした顔で自分の言い分をとうとうと話しておりましたが、やがて穏やかな口調
になってまいりました。その変化を目の当りにし、今まで素直でなかった自分をつくづく反省させられ、この正法会の教えの正しさを心底知ることが出
来ました。正に人生感の百八十度の転換でした。
考え方が変わっただけでなく実践できた事に自分自身が驚ろき、その夜は穏やかに眠り就く事が出来ました。さっそくFさんに昨夜の劇的な私自身の
変化を報告し、心より喜んで下さいました。私も嬉しく本当に感謝させていただきました。その後も何度かトラブルもありました。そして、正法会を幸福
の科学や統一教会を〃いっしょくたん〃に考えている主人には、とても宗教の話は出来る状態ではありませんが、常に相手の毒は受けない、相手の
立場に立って自分を反省するように心掛けようと思っています。一年前の私は常に男性とは常に平等でありたいと考え、自己主張の強い全く可愛げ
のない女でしたが、常に母親のような気持ちで、愛の波動だけを出して行けるよう努力し、最近ようやく主人に対して怒らなくなり、いやと思っていた言
動も気にならなくなって来ました。
また、更にFさんのアドバイスで、主人への健康祈願を一週間続けてみました。暫らくわからなかったのですが、その効果と思える変化が表われて来
ました。体調が悪く痩せていた主人が、ズボンがきつくなり少し肥って来たようだと言うのです。嫌がる主人を無理やりお店へ連れて行きズボンを買い
替えたりしました。「うん、なかなか良い男だったんだな」と見直しております。正法は一家に一人実践して行けば、自然と廻りが変化して来るとの教え
の通り、喧嘩も無く家庭が穏やかで明るくなって来ました。私達は本来は別れたくなかったんだ…本当は仲良くやって行くんだったのだとつくづく思わ
され、正法に出合えたことの喜びを、園頭先生、Fさんをはじめ皆様から学び得たことに心から感謝しております。まだまだ正法のほんの入口に入っ
たに過ぎず、これからのことについて子供のこと、職場での人間関係、また広くは地球のユートピアの実現の為に、正法を多くの方々に知っていただ
くように努力し皆様と共に学び、役に立つ一員でありたいと思っています。世間では相も変わらず離婚が多いことと思われます。幸せの青い鳥は家庭
の中にあるのだと自覚され、その幸せを仕事を通して人々に与えられるのだという気持ちを持って初めて意義のあるものになると思われます。徒に
世間に流されずにしっかりと一歩一歩本物の女の役割を果して行きたいと思っております。どうも有難度うございました。
滝沢さん 坐らせていただきます。体が硬直して…申し訳ありません。正法は心が丸いのが大切だということなんですけど、今、完全に心が引きつっ
ちゃっています。私が滝沢です。私が、この正法協会に入会させていただきましたのは昨年の五月です。それに八月に母と子の研修会に参加させて
いただき、そこで実践とはどういうものか、また禅定とはどういうものか解らせていただきました。そして、その月の八月の内に藤沢のグレースの会に
通わせていただき始めて、そこでF谷さんやS袋さんの御指導をいただくようになりました。その翌月の九月にS袋さんという先輩の方から「滝沢さんも
そろそろ女の修行を始めなさい」と言われ、幾つかの課題を頂戴いたしました。だけど、その時の私には、その出された課題が余りにも難かしくて、最
初は「冗談じゃない。そんなことこの夫に対して出きそうにない」と、そのような強い心が起ってしまいました。でも後へ引く訳にもいかないし、やるしか
ないっていう事でしぶしぶ決心しての実践のスタートでした。その頃の私は、夫婦の仲は最悪で調和ではなくて、不調和度がもう百パーセントに達して
いました。正法は本を読ませていただいてどんなに素晴らしいか解っていたんですけれども、そんな中で実践して行って二人どうなるんだろうって言う
不安が一杯で先がどうなるか皆目見当もつかず、何かわけのわからない中での実践のスタートでした。その実践も、本当に心からということはできな
くて、最初は易しいことから形だけから始めさせていただきました。
形だけからしたんですけど、最初のうちは主人もとても喜んでくれていたんですけど、それも束の間で直ぐ心を要求してくるようになったんです。それで
実践に対して心を添えるという必死の努力をし始めました。そんな努力の中でお正月を迎えたわけですけど、本当に調和の出来たお正月だったと思
います。六年生の子供が「お母さん、調和できてるね調和できてるね」とニコニコと何度も言ってくれました。ア、家庭ってこうあるべきなんだなあって
解らせていただきました。本当に、今迄何度もお正月を迎えましたけれど、こういう笑い声がある和やかなお正月というのは恥かしいんですけど、一
度もなかったんです。喜びの中で正月は終ったんですけど、そのー調和というのは完全じゃなかった為に、すぐ大きな心の揺れが来て、ものすごく、ま
た、苦しみ始めました。その後調和しては不調和という、そのような感じを繰り返してました。修業はなかなか進まないのでS袋さんが「じゃ、お母さん
への感謝をして下さい」っておっしゃったんです。だけど生みの母は私が二歳の頃、死に別れていますので、何一つ自分の記憶の中に無いんです。そ
して、小学校一年の時にいまの母が来てくれたんですけど、子供心にも、いまの母の前で生みの母のことを口にするといまの母を苦しめると思って、
母のことは一切口に出しませんでしたし、思えば辛いだけですから心で想うことさえ遠ざけて来ていました。「お母さん」っていう言葉自体が私の中で馴
染み薄くて、「お母さん」っていう言葉を口に出すのも心で想うのも気恥かしい感じで、私の中で余所者(よそもの)的な言葉だったのです。それで、修
業を進めて行くに当って「お母さん」って言う言葉に馴染むことから始めようと思いました。それで、お皿洗いしている時とかお掃除している時とか憶い
出す度に「お母さん」って呼んでみるんです。でもなかなか母が近づいて来なくて苦労しました。その他にも、あの手この手で母を引き寄せようと思って
色々努力したんですけど、仲々それが出来なくて、漸くそれが出来たのが、この八月の親子研修会の時だったんです。夜、禅定のときに、ふっと母を
求めてみよう、今求めてみようという気持ちになって姉から聞かされていた〃たった一つの母の想い出〃を手懸りに母をたぐり寄せてみたんです。そ
の時に、生みのその母が残した私達子供三人のことをどれだけ心配してくれていたか、手に取るように母の心になってわかることが出来たんです。
物凄く嬉しかったです。初めて素直な心で何んの抵抗もなく「お母さん!ありがとう」と心から言うことが出来ました。そして十日後に、同じように父へ
の感謝も出来たんですけれども、本当に嬉しかったです。私は父に愛されていたんだ、母に愛されていたんだって、心から初めて実感することが出来
ました。この感謝が出来たことで自信を持って、日々の修行に入らせていただいたわけなんですけど、それから間もなく、小学校六年の下の子が耳
の症状を訴えだしたんです。おかしいなと思いました。大分、夫婦の調和も出来ていましたし、子供自身も「お母さん変だね。お父さんもお母さんも今、
調和しているように僕には見えるけど」と言うんです。理由がわからなくて島袋さんにお電話して伺ったら、滝沢さん、愈々あなたも夫に対して心を全
部開く時が来たのよ。それをしなさい。耳を閉じてはダメよ、心を閉じてはダメよって、そう言われました。確かに、いやなことを聞くと心を閉じてしまう
私があったんです。子供に症状も出てしまっていますし、これはやるしかないと又、決心しました。決心した途端に直ぐに現証が出て来ました。それ
は、この九月十日のことで、もうすぐ出張だから半袖ではなく長袖のワイシャツにアイロンをかけといてくれと主人は言っていたんです。だけどスッカリ
忘れていて、九月十日のこと、出張に出る間際になって、「オイお前、ワイシャツは」って言われたんです。その時、子供のお弁当の唐揚をあげてい
て、手を離せる状態ではなかったんです。その日は子供も早い登校日で、いま作らなくてはいけないという状況だったんです。それで、「エー、ちょっと
待ってて!三分待ってて」と主人に頼んだんですが、アイロンをかけていないと解った時点から主人がワーッと次から次へと怒鳴り出したんです。「お
前は俺の言うことを聞いているのか、何時もこんな調子だから」、とすごいんです。
主人の言葉を聞く度に、心が歪みそうになるんですけど、いや歪めちゃダメだと自分に対して、「くに子さん、ここで心を歪めちゃダメよ。丸く持つのよ」
って自分で自分の心の中に必死で叫びました。子供も「お母さん お弁当まだ!」と急がせるんです。唐揚げとモヤシを塩コショーで炒めただけで「オ
カズはこれだけよ」って持たせました。子供もその状態がわかっていますから「僕、いいよ」って言ってくれました。早速アイロンかけを始めました。アイ
ロンかけを始めた私を見ても主人は、まだ絶え間なく文句が続いているんです。もうその時には主人対わたしではなく、自分との心の闘いになってい
ました。自分の心を歪ましてはいけない、丸い心で主人に対して行かなくちゃ、と必死でした。丁度、アイロンかけの中ほどになった時に、主人は怒り
の限度に達したのか、「もういい、半袖の汚いワイシャツで行くからいいよ」、と言って着替え始めてしまったんです。私は必死で叫びました。「もう袖だ
から、もうすぐ、もうすぐだからもうちょっと待って」って。やっと仕上がって渡したわけですけど、主人は「じゃ、仕方ないか着替えて行くか」と着替えてく
れました。その間、私は一瞬たりとも自分の心の動きから絶対に目を離しませんでした。一秒一秒が心の修行だという先生方の教えがよくわかりまし
た。ほんの一瞬だったんですけど、夫はいま私の不動心をつくって下さってる。有難うとそう思える自分があったんです。
このように私は、反発心とか怒りではなく、私は夫の気持ちに必死に添う私でした。そして、このアイロン掛け忘れ事件のあと、昼頃、会社から主人よ
り電話があり、「これから出張に行くからね」と、優しい夫に変身して、そういう電話がありました。勿論、私も、台風が来そうな気もするから気付けて
ね、と心から夫の身を案じて言葉を出せたのです。島袋さんにそのことを話しましたら、私はその電話は気がとがめての主人からの電話だと思ったん
ですけど、S袋さんは「そうじゃないわよ。気がとがめてってあるかもしれないけど、それは愛しさからの電話だったのよ」って言われました。「主人の怒
りをその時、心を開いて吸収していなかったらまだ続いていた筈よ」って島袋さんはおっしゃいました。妻が毒を吸収してくれている、心を開いてくれて
いるって言うことに夫は満足するのだそうです。夫の怒りが、私が心を開いて受けとることによって、妻よ御免という反省の気持ちに変わり、そして愛
しさに変わって行く。それが夫の心の毒を妻が浄化したって言うことになるのだそうです。妻がどうあるべきかが、やっと今回のことで、少し解って来た
ような気が致します。「女の幸せは女の役割を果したところにある」と園頭先生はいつもおっしゃっていらっしゃいますが、少しづつ解って来ました。主
人を心からはじき出していた当時の私。心の安らぎ度がまったく違うんです。今、結婚は、この主人で良かったとつくづく思えています。たった一年の
修行ですけど、今、私は不幸から幸せに変わることが出来たと思います。正法の素晴らしさを実践して初めて解った来たように思います。正法は実践
した分だけ、解ってくるんだなって感じてます。私はもっと幸せに成りたいですし、もっと素晴らしい家庭にしたいですから、今後も一生懸命実践して行
く積りでおります。どうも有難度うございました。
橋本さん 今日は!狭山市から参りました橋本と申します。
正法協会に入りまして九ケ月になったばかりの、ほんの初歩の段階の勉強をさせていただいているんですけれども、先づ私が正法協会に入った経
緯をお話しさせていただきますと、私が一人目の子供を産んだのが昭和六十二年なんですが、産んだ直後あたりから母が急に病気になりまして、血
液の中の血漿板が減って行くんですね。出血した時に止まらなくて出血によって死んでしまうというか、死因になるという難病中の難病に患って、何ん
でそういう病気に患ったのかっていう原因が解らないままですから薬もどうしようもない状態で、どうにかお薬を頂いて、減らないようにするんですが、
増えることは出来ないみたいな状態が暫らく続いておりました。それで娘を授かって、一年間、わたしは仕事をしているものですから育児休暇っていう
ものをいただけるんですね。その間に、よしと思って、これは何か、一つでも本を読めたらいいなっていう軽い気持ちで聖書に手を出しまして、聖書を
読んでいるうちに、ルルドの泉っていうのが中に出てきて、この泉の水を飲むとどんな病気でも難病でも治りますよって書いてあって、この泉の水を飲
ませてあげれるのになあってと思ったり色んな事を考えてたんですね。そして、そうだ洗礼を受けてキリスト教の信者になって、神様にお願いして母の
病気を治してもらおうと思って、さあ、じゃあキリスト教の信者になろうかと思ったんですが、何故かどうしてキリストを信じなければ救われないのって誰
か言ってるんですね。
どうしてなのキリスト教を信じるものだけが救われるのって、もう一人の自分があって、これは違うなって…。母の病状は一進一退を繰り返してまし
て、生活には関わり無いんですけど、それに続く余病が一杯出てくるんですね。それで何かやっぱり救われない。先程どなたかおっしゃってましたが、
占いやら色々の所に興味を持って顔を出して見るんですけど、一つ納得いかない。お金を出せばこれは救われますよっていう返事で、お金はありま
せんので、そいで「お金が無い人は救われないのか。そうかお金の無い人は早く死んで病気になっちゃったらそれは損だということなんだなあみたい
な風に考えてて、これ変だなあ、これ絶対おかしいなあ。貧乏してたって皆、幸せに生きてるしいいじゃない、四畳半一間だって家族皆元気にニコニコ
して生きてるじゃない。何んでえ、これは絶対考え直さなくてはおかしいぞと思って、そのまま仕事に復帰して、仕事を何年か繰り返してまして二人目
の子供が授かりました。そして、また一年間育休を取って、そろそろ育休が切れるぞ、あと半年ぐらいだなあなんて思っている時に、主人が前から持
っていました高橋先生の本と園頭先生の本が「読みなさい読みなさい」って私に言っている感じがしまして、一冊ポッとそれを取ったんですね、そうしま
したらどなたか青年が、母のやはり病気を治したいという一心で念じたところ、園頭先生の愛の念と青年の一心の心が通じて、母の病気が治ったとい
うような話が一節ポンとこう出てきまして、「うん?念じれば治るとか本当の意味での愛念とか。これは読んで見なければおかしいぞ」ってズーッと読ん
で見たら、何んて言うんでしょうか、アッ本当にこれだ、これだったんだみたいな、そういう、これが私が探し求めて来たものなんだとものすごく素直に
入って来まして、全部の本を読ませていただいて、有無を言わせず正法協会に入会させていただきました。A路さんやK村先生の御指導のもとに母を
連れて来ましてK村先生の御指導を受けました。
母に対してはK村先生は「お母さん!お父さんに対してはもっと感謝をしなければいけないんですよ」って言われて、私に対しては私なりに仕事を持っ
て働くことに対して「働くことの重大さはどのように解決して行ったらいいのでしょうか」とすがるような思いで言いましたら、「本当はね、小学校三年生
ぐらいまでは働かないで母親に徹するのが良いのよ」って言われたのです。「そうですか…お金がね…私はそうしたいんですが…」と思ったんですが、
私にはやっぱり仕事がありますし、家庭を支えて行かなければならないってことがありますので…。私は、今、両親と同居しておりますけれども、生活
費を稼ぐためには働かなければいけないって前提にあったものですから、それでも辞めなさいって北村先生がおっしゃったら、無理 してでも辞めち
ゃおうかナって気持ちがあったんですけど、「昔のお母さんはみんな働いていたの。頑張りなさい」っておっしゃったのですね。「ア、そうか。やっぱり私
は仕事を続けなければいけない運命なんだな」って思い直して「淋しい想いをさせた子供の気持ちはどうしたらいいのですか」って聞き ましたら「それ
は職場で一人になれる時があるでしょう。その時に愛念をスーッスーッと子供に送る習慣をつけなさい」っておっしゃったのですね。私の職場って保育
園でして自分の子供はみれませんけど、他のお子さんは一杯みるんです。一時も離れることが出来なくて気を抜くことが出来ないんです。
「廻りにいつも子供が四、五人いるんですけど…」って言ったら「トイレの中に入りなさい。それは二、三回入るでしょう。トイレに入って、今はみな洋
式だから坐って心を落ち着けて子供が目の前にいると思ってギューッと抱っこしてあげて、子供の魂に向って『お母さんも頑張ってるよ、〇〇ちゃん
も頑張ってね頑張って』と言って、『守護霊さま指導霊さまどうぞ』、自分の子供の名前を言って『守って下さい宜しくお願いします』って心から念じてあ
げる習慣をつけることと、お迎えに行った時、家に帰る時に、子供をギューッと抱きしめて今まで持っていた愛念を注ぎ込むようにして『お母さん、もう
いいよ』って言うまで抱っこしてあげなさい」って言われて、ヨシそれなら出来るなって自信ができ「ア、これなら仕事をしても大丈夫だなって仕事に出掛
けました。そして、その間には主人に手をついて今迄のことについても反省させていただきましたし、実践をやっていたんですけど、三カ月位たった
ら、何んとなく毎日が子供達に愛は尽しているんだけども、何んとなく違うぞ、何んとなく物足りないぞ、子供達の表情や姿を見ても何か一つおかしい
なと思って納得できるものがないなって思い始めていたんです。
職場の若い保母さん達にも、「正法って、こんなものもあるんだけど」って話しをするとすっごく話しを聞いてくれるんです。自分達が正法を実践し始め
て、「先生、こういうことがあって、先生っていうのは保母さん同志で呼び合うんですが、こういうことがあったんです」って「ヘェーすごいね」なんて言っ
ていて、言っていた私が何を実践したんだろうなという不安がありまして、あわてて、何回も講演会を聞かせていただいたり、「グレース」に来ている割
には私は何か実践がないなって不安があって、園頭先生の七月の講演の後のK村先生が、「お腹の中にいた時に、もしもお母さん!男の子がいい女
の子がいいって間違えた考えをしていませんでしたか? その時は胎児の心にくもりをつけてますよ。だから謝って下さいね」っておっしゃったですね。
アッ、先づ出来るのはそれだなって思いまして、先づ家に帰って息子と二人っきりで部屋に入りまして、その時、息子は一歳一カ月だったんですけど、
その息子を目の前に立たせて、私は手をついて「光太郎君!お母さんねえ、お腹の中にいた時、お姉ちゃんは一人いるから光太郎君も女の子だっ
たら良いのになあって思ったことがあったの。光太郎君ごめんなさい。私ネエ、神様の子供として魂を育てて行かなきゃいけないのに、子供の心にくも
りを付けてしまって本当にご免なさいって手 をついて謝ったんです。そうしましたら息子が急に息子が私の両肩に手を掛けてきてトントンって叩くんで
すね。そして、アレーッと思って、私は頭は上られない状態でいたんです。
そうしましたら今度は後側に廻りまして背中を抱くような感じ、そして私の顔をのぞき込むんですね。それで今度はまた前に廻って、何んて言うんでしょ
うか、私を包み込むような形でもう一度トントンってやるんですね。アレーッて思って顔を見ましたら一歳の眼じゃないんですね。成人に成長した男の
人の目というか。「お母さんわかってくれましたか」って言ったような気がしたんですね、心の中で。アーッと思って園頭先生や北村先生のおっしゃって
いることは本当なんだ、失礼ですけど、思ったんですね。本当に実感しまして、全て解ってたんですね。「光太郎君ご免なさい」って体を震わせて涙が
出ました。「これから一生懸命やらせていただきますので、これからも宜しくお願い致します」ということで、その時に、色々なことがちょっと取り上げら
れたなって思ったのが、母の病気とか主人のこととか家庭内の色々なトラブルとか、そのようなことが全部人の責任かなっていう感じにしてたんです
ね自分の心の中で。後は母の病気が正法によって救われたらばって、変な話しですが、夫との調和をしようみたいな、そういううまいことを考えていた
んですね。そうしたら母の血漿板が十三万まで上ったんです。普通の人は十六万から二十五万なんですけど、十三万まで上ったんですね一カ月で。
よし、これで大丈夫だと思って、のんびりした所、ガックーンと下りまして四万台に下りました。アレーッ、正法に救われたと思ったらどうして下がっちゃ
うのかなって思ったんですね。
その時に光太郎が私にトントンとやってくれて、正法って本当の本当のものなんだって解った時にハッと気が付いたんです。何かに何かがあって何
かを信じるのじゃなくて、自分が実践していく中で何かがついてくるのじゃないのかなあって、だから他力を求めることは絶対だめで、自力のあとに他
力がついて来るという北村先生の言葉がポーンって浮んで来て、先生この事だったんですねって自分の心の中で思いました。そして、一から遣り直さ
せていただいて、夫に対して愛を尽くすということと同時に、子供に愛を出すということも同時にやらせていただいて半月もしないうちに何かが変わっ
たかといったら、やはり子供が変わりました。娘が一番変わりました。この辺がすごいアトピーで痒いし、何かいらいらしたり、母親に対してすごくつっ
けんどんな冷たいような、第三者から見て何か突き放すようなそういう態度をとっていた年長組の娘なんですけど、その娘が初めて、私が仕事から帰
って「ただいま」って言った時、「お母さん!」って突然なんですけど走って来まして、私にヒターッって引着いたんですね。その時にアレー?と思ったん
ですね。その時の温もりがものすごく懐かしくて、これは娘が一歳か二歳の時に本当に可愛くて可愛くて抱きしめた時のあの温もりがまた帰って来た
なって思ったんです。私は忘れてたこの温もりだなって、下の子ばっかり可愛がって娘はもう大きくなったし、ちょっと母親に対し反抗期になって来てい
るから、ちょっと息子に対しての愛情ばかり強くて忘れてたなあって思って、「真理ちゃん!ご免ね」ってもう一回愛情を確認させていただいて、本当に
見違えるように娘が素直になりました。
そして、毎日毎日暮していく中で一カ月後には、「母と子の研修会」がありまして、行かせていただいて、その時はまだ娘は難かしいお話しなので、光
子体は聞いていたんだと思うんですけど絵を画いて、先生のお話しは聞かないで一心不乱に絵を画いていました。そして、どの程度わかってくれたの
かなあという気持ちもあって、家に帰り何日か過ごしているうちに何か娘がちょっと反抗したんですね。言葉尻をとってちょっと親を馬鹿にするようなと
ころがあったんですね。父親に対してなんですけど、「お母さん、そういうのはちょっとおかしいと思うよ。こういうような言い方をすれば良いじゃないの」
っていう風に言いましたら、娘が「フーン」と口をふくらましてフンってやったんですね。その時に今までの私だったらちょっとキッときまして、保母ってい
うのは、よさそうで悪いもので、ものを教えなければいけないんだ、私は躾をするプロなんだみたいなそういう高慢稚気みたいな考え方がすごくありま
して、カーッときて自分の娘をこんなことではいけないわ、将来は目に見えてるわ、これじゃいけない、カーッと怒るところがグッと押えて、光に包ませ
ていただいて「真理ちゃん、あなたは神の子です。正しい姿を表わしてね」って念じさせていただいたんです。そしたら瞬時にニコッて急に笑うんです
ね。父親の方を向いて「お父さん、叱ってくれてありがとう」って頭を下げたのです。父親の方も私の方も「ヘッ!」という感じで、ヘッていう姿を見せて
はいけないと思ってニコッと笑ったんです。それで主人が何を言うかなって見てましたら、「わかってくれて有難度う」って互いにこう頭を下げているんで
すね。それで私は嬉しくて嬉しくて、初めて嬉し泣きをさせていただきました。
そのような状態が一進一退というか、色々ありますけれども続けさせていただいています。私が働いている職場が産休あけ保育園といって、まだ生ま
れて二カ月か三カ月ぐらいの赤ちゃんが来る保育園なんですね。その保育園の赤ちゃん達にこれは絶対に伝えていかないといけないことだなと思い
ますので、お母さん達が毎朝いらっしゃった時に、先づお母さん達を光の中に入れさせていただいて、「どうぞ皆さん、神の子として今日も一日お幸せ
になって下さい」って念じてから、「おはようございます」って赤ちゃんをお受けするんです。赤ちゃんは眼を見るだけで全てわかってくれるんですね。保
育の技術っていうのはベテランになればなる程、色々なことも覚えて来ますし、言葉も覚えて来ますし、言葉かけも上手だし、遊ばせ方も上手なんです
けど、私達、中堅ぐらいの保母が先輩を見ていると、何が大事かなって思うのは技術も遊ばせ方も大切なんだけど、やっぱり心なんですよね。心がは
いってないなっていうことは見ていてすごくわかって、「この先生、昨日、旦那さんとちょっと喧嘩したかな、何かあったぞ」みたいなすぐにわかっちゃう
んですね。私と一緒に正法を勉強させていただいている保母も一緒のクラスにおりますので、「何かイライラしてますよね」って耳打するんですよね。
「そうだねえ」って言うと、やっぱり、その人の担当の赤ちゃんは一日泣くんですね。寝ませんしミルクは飲みませんし、そして私達の方に手を出してく
るんですね。これ本当だなあ。保母さん達って一人一人職員、私が仕事する前に愛の光で包ませていただいて、少しでも子供達に還元出来るんだっ
たら、これは出来るなと思いまして、仕事に行く前に職員の方達を、「どうぞ皆さん、神の子として幸せになって下さい。私達の保育園の上に神の祝福
がありますように」って言う風なことを念じさせていただいて仕事に入りました。そして二カ月三カ月過ちました。或る時、ふと先輩がものすごく気が強く
て、自尊心がすごく強くて園長先生よりも自分の方が偉いんだなあみたいな、そういう風になってくるんですねベテラン保母になりますと。そういう感じ
の方がいらっしゃったのです。去年、私が育休に入っている間は何回かぶつかったそうです。それで最初の四月の頃は、「私は園長先生のやり方に
はついてゆけない。私は永い間やってきたプライドがあるから、園長先生はそのプライドを傷つけるような言い方をしたら私はやって行けない」と私に
ポロッとこぼしていたんです。「そうですか。でも園長先生は実際のところは見て下さっていると思いますよ」ってお話しをして二カ月過って、つい昨日
のことです。その先輩が、「橋本さん、私おかしく思うのよ。この二カ月間、園長に対して反発する気持ちがあったのよね」っておっしゃるんですね。
「どうしてなんでしょうね」って聞いてましたら、「園長が、そういうんならそれでいいじゃないか、園長の言うことも一理あるじゃないか、やって見て、やっ
て見ようかなっていう気持ちが生まれて来て、これ不思議なのよね」って言うから、「ア、それは園長先生がきっと先生を認めて下さって、その気持ち
が伝っているんじゃないですか」ってお話ししましたら、「そうかなあ、少し認められたのかなあ」っておっしゃるんで、「そうですよ、先生は日々すごく努
力してらっしゃるのでそれはそうですよ。一年間はきっとためしてらっしゃるんですよ」って言ったら、「そうかなあ、そうかなあ、もう一回やって見ようか
なあ」という風にお話しして下さって、もう一人の正法を勉強している保母と、「先生、正法ってすごいねえ」ってもう一度確認させていただいて、喜んい
ま、仕事に就かせていただいているという状態です。赤ちゃんがあって、自分の子供があって、本当に教えていただくものが一杯あるので、いま、皆、
神の子なんだっていう気持ちが出て来たんで、これ、また、ふくらませるように一生懸命勉強させていただかなきゃいけないって風に思っています。有
難度うございました。
〈二十分間休憩〉
相沢さん こんにちは、相沢と申します。私は娘二人と仕事を持っています兼業主婦でございます。今日は主婦を離れて、仕事を通した私の話しを
させていただきます。私のいる職場は女性ばかり八人で、しかも上は五十歳、下は十九歳という巾広い個性でできているんでね。ですから、もう大変
です。人間関係トラブルだらけで、常に見えないものの格闘で、それぞれがやってて、これはこのままではいけないと思っているんですが、今までは直
接、私のところへ来た場合は私のところで対処しているだけで、自分からは解決して行こうという姿勢はなかったんです。正法を勉強していってる内
に、自分から解決して行かなければいけないんだなあと段々わかるようになりました。先づ、一つ二つ例をあげさせていただきますと、先輩後輩とのト
ラブル。ひとりの人が、「あの先輩と仕事を組まないで欲しい。あの先輩と一緒に仕事をしたくない」「どうして?」と聞きますと、「あの先輩は私を嫌って
るから、あの人と仕事をしても楽しくない」「ア、そう、あなたの気持ちはわかった。でも、あなたが先輩から嫌われていると思って、一方的にそう思い込
んでいるんじゃないかなあ」と私は言いました。でも、シフト表を見ますと、その先輩がシフトを作っているんですね。その方が、いつもその人と組むよう
に作っているんです。「もし、先輩があなたを嫌っているんだったら、作る側なんだから一緒に組まないはずじゃないの」って言いましたら、その相談し
た人が初めて、「ア、そうかなあ」って思うようになったんですね。
「しばらくやってごらんなさい。まづ嫌っていないんだという気持ちを持ってやってごらんなさ い。あなた自身がもしかして先輩と何かがあって、それが
後を引いているようなことがあって、自分が、他に何か原因があることも考えてごらんなさい。このシフト表で見る限りは先輩があなたを嫌っていないと
思う。一カ月位して、また何かあったら相談してちょうだい」と言って二週間過った時に、その相談した人が私にお礼を言うんですね。「相沢さんありが
とう」「ウン、また何かあった?」「私が間違っていた。私が嫌ってたんだ。先輩ではなくて私が嫌ってたんだ。その時、どうしたらいいか自分で考えた時
に、自分から『先輩先輩!』って行こう。『先輩どうしたらいいんですか。先輩どうですね、ああですね、こうですね』自分からどんどんってしつこい程、自
分の方からひっついて行った。そうしたら先輩がガラッと変わって、今度は何んでもかんでも教えてくれるようになりました。私が間 違ってました」と言
って、その方は正しく一生懸命仕事をしているんです。
あともう一つは、またその先輩のことなんですが、違う人が、「あの人とは組みたくない。これ以上組むんだったら辞めます」って言うんですね。「あな
た、じゃあここを辞めたいの」って言ったら、「辞めたくないのですが、あの先輩と仕事をしたくないから仕事を辞めざるを得ない」「それどうして」って言
ったら、「なんでもかんでも私に言うんです。ああしてちょうだい、こうしてちょうだい、ああしなさいこうしなさい」って。同じ時間帯で、先輩は少し給与が
高いかもしれないけど、何んで私ばっかり仕事をしなきゃいけないの。私ばっかり七時間のあいだに五時間働いて、先輩は二時間しか働かない」って
自分で分析するんですね。「それはちょっとね。考え方を変えてごらんなさい。」「どういう風に」「まあね、そうやって先輩はあなたに教えてくれてるんだ
から、あなたは、すごいこと教わっているんだということ、月謝を払って色々なこと教わるのに、あなたはお給料貰って教わっているんだなあっていう思
い方をしたとしたら、先輩が同じことを言うことに対して、受け留め方が変わってくるのじゃないの」って言ったら、「なんだかわからないけどやって見
て」と言って漸らく今続けているんですけど、まだ辞めるという話は、まだ聞いていないんですが、この例は現在進行中で、これからどうなるかなって見
てるんです。他に色々考えているんです。自分を考えているんです。
私がやっているのは何んだろうと考えた時に、私はいつも露払いみたいなことばかりやっているんですね。ただ結果ばっかりをクリヤーしているという
か対処している。それはそれで良いのでしょうが、もっと進歩しなければいけない自分だのに、もっと前の段階で自分なりに出来たらなあと、思った時
に、先輩自身をみたんですね。元は、先輩にあるんですね。先輩を見た時に、その彼女が家庭とか子供とかに対して愛がないんですね。先づ両親と
遠くにいて両親と断絶している。御主人とは、アラ、いたのっていう夫婦なのです。子供はというと子供との接点が冷たい、子供が親を愛していない状
態なのです。その先輩と私は四年間一緒にやっていますから、段々そういうのが見えて来たんです。この人は愛がないんだと気が付いて、この人を
愛に包もう。彼女を時には仕事の中から、御主人になって見たり、その人の子供になってものを見てあげたり、母親みたいな存在になって事を解決し
たり、自分の中で彼女を愛の想念、常に愛を持って彼女を愛しく思いながら、色々なことを仕事の中で解決していったんです。そうしましたら、勿論、
後輩も色んな話を聞いて自分達が違うなって気が付いたのも〃神〃を含めてなんですが、彼女も変わって来たんですね。二人、後輩が先月から入っ
て来ているんですが、教え方が違うんです。教え方が優しくて、自分の子供に教えるみたいに懇切丁寧に教えてるんですね。ア、これは結果が出てき
ているんかなあと見てるんですが、それぞれ振り返って見てみますと、二つの例でも、私感じたんですが、常にそれぞれが自分の立場でしか見ていな
いんですね。ちょっと相手の立場でものを見た時には、全部解決できることばっかりなんですね。それを皆様にも話しをさせていただきました。
相手の立場になってものを考えてご覧なさいって。それが皆んなに最近言う言葉なんですね。それから先輩を愛に包んだその結果が、そればかりで
はありませんが、すごく彼女自身も変わって来た。やっぱり愛って大切なんだな、身内でもない全然他人の人が愛でこんだけ変わるんだなって感じま
した。「愛を受ければ為すこと多し」っていう言葉を多く聞きますが、本当にそうだな「愛」が一番大切だなって実感してます。あと、仕事を通して面白い
ことがあるんですが、私はホテルのテイクアウトショップといって、オミヤゲやホテルで作っているものを売っているところにいるんですが、外から来て
いる外販というクッキーなんかは、業者さんがラッピングしてポンと置いて行くだけで、それを売るだけなんですが、在庫がなくなると注文して、そういう
中で、ある時それが全部だめになって、私共が全部、包装から、そうなった時に、あ、大変だなっていう気持ちが正直あったんですが、でもそんなこと
言っても売上げが落ちちゃうし、売上げを上げなくてはいけませんから。
〈テープ1からテープ2へ変換の時に種テープの録音が欠落のため筆録不能〉
そうか、すべてそれに通ずるんだねっておっしゃって、東海観光といってとりあえず一部上場の会社の傘下のホテルなんですけどね、そういう話が東
海観光の会議で出たらしいんですが、もうちょっとしたら社長に正法の話をしようかなって欲を出していますけど、そこで頑張っていますけど、すべて、
どんな場合でも愛なんだなって、動物、植物、鉱物すべて、鉱物でも愛が通じるんだなっていうことを本当に感じました。本当にありがとうございまし
た。
木元さん 皆さん、今日は。木元と申します。これまでのお話しを聞いておりまして、皆さん素晴らしくて逃げだしたくなるような思いで聞いておりまし
た。今日の私のお話しは自分の体験ではないんです。私が正法をお伝えさせていただいた方で、本当に変わられた方のお話しをさせていただきたい
と思います。私自身が正法に触れたのは十何年も前なんですけど、全然、体験するようなことはしておりませんでした。本当に、不調和だらけで、ご近
所の方とお話しするのもいや、面倒くさいからという風な、何事も避けて通るような、生活で、病身でずーっと暮しておりまして、正法にご縁を得まして
やっと、少しづつ自分を見つめることが出来まして、病気はそれから一切なくなりました。病気は自分の心がつくるんだなということをその時から教え
られまして、ご近所の方と交際できるようになりましたのは、ほんのまだ数年前からです。一番近くにいる前のお家の方とも、三十年以上お付き合い
もなく、道端で会えばちょっとご挨拶ていどのお付き合いでした。それが最近、二年程前ですか「ちょっと編物を教えて下さい」と言って見えたんです
ね。それで、「いいわよ。お茶飲みながらやりましょう」って半年位させていただきました。そのなかで、この方に正法を説いてあげたいなあという気持
ちが自分に出たものですから、少しづつお話をさせていただきまして、自分の心を見つめるように色んなことを少しづつ少しつしていったんです。その
方はお嫁さんをもらって三十年近く冷戦状態の方なんですね。口を利く事もないし、大きな農家の内に住んでいながら一人で生活しているんです。お
フロへ入ることも、何をする事も全部一人で、本当に、可哀想だなあと思ったのは、その、編物をしている時の奥さんの顔が、お話をする時怒りに燃
えているような顔をしているんです。
「あ、可哀想だ、この人早く救ってあげなければ」という気持ちが自分にもありましたので、色々お話をさせていただいているうちに、だんだんだんだん
その方が安らいで行く顔が見えて来ました。そして、時々、「うちの嫁が話しを聞いてくれて、私に優しくしてくれたらいいんだけど」とか、「もっと私に尽
くして呉れるようにならないかしら」、そういう風なことを私に愚痴るようになりました。私はそれをだまって聞いておりまして、「あなたねえ、それはね
え、相手に求めることじゃなくてこちらが変わればね、お嫁さんも変わってくるのよ。それが正法って言うのよ」と、そんな話をさせていただいたんです。
それから時々、笑い笑い色んなことを話しますその中で、自然にその方が正法というものを解って下さったんです。それから半年位たった時には、そ
の方は愚痴を言わなくなりました。そして、あの方なりに努力していたようです。ですけども、相手を思うということが自分が中心になっておるものです
から、いつも空廻りして「うまくいかないんだよ。自分はやっているんだけど、わかってくれないんだよ」という言葉で出てきました。「そう、あなたねえ、
相手はどう思おうといいのよ。あなた愛を尽して、話してあげたり思ってあげれば必ずそれは向うに通じる。それが心じゃないの。あなたはねえ、生さ
ぬ仲の子だからという、そういう想いを一切捨ててご覧なさい」その奥さんは自分の生んだんじゃない子供さんが三人おりまして、それでずーっと苦労
してきました。そして、ご主人を早く亡くされて働いて子供さんを育てた方です。それなのにお嫁さんをもらったら、今度はまた、その中で冷戦ですね。
本当に、見ていて可哀想だ可哀想だと思うけど、それをどうすることも出来ないで、そこかに逃げよう逃げようと私はしていたんです。これはもう限度
だ。七十五歳になったこの方を何んとか救ってあげなければという想いが本当に強くありました。そして、段々だんだんとその方が変わって行く時に、
お嫁に行った五十一歳になる娘さんがおるんですけれど、その方が子宮癌ですか、それで二回目の手術をして、もう自分で助からないというなんかも
う、生きる望みを失くしてしまったらしいんです。
そしてその方を「助けたい、何んとか助けられる方法はないでしょうか」て、泣きながらうちへ来ました。「あ、それは大変だわね。でも人間の生き死に
ということは、神様に一切おまかせして、そしてあなた祈ってあげたらどうでしょうか」という話になりまして、『心行』を持って行っていただきました。「私
も行ってあげたいけど、親子の研修会がすぐあるので、それを済ませないと行くこと出来ないんです。だから、先に行ってね」って言って。それが丁度
去年の親子研修の前でした。親子研修が済んでから、また、その奥さんと「心行」と「両親に対する感謝」それを持って行きまして、輪廻転生とか親子
の縁、夫婦の縁、水子供養とか、それで悩んでいたのです。水子を自分でしたのがあって、それでお話をさせていただきましたら、「あ、わかった。お
ばさんうれしい」と本当に涙を零されました。そして、一週間後に、そのお母さんがまた、病院に行った時に、お母さんに手をついて、自分の不幸を詫
びられて、「育ててくれてありがとう」と本当に泣かれたそうです。それを私のところに、またそのお母さんが話してくださる時にですね、ポロポロ、ポロ
ポロ泣いて、「今までで私はこれが一番嬉しかった。なさぬ仲で本当にその娘さんが二十代でぐれて家を飛び出していた方です。その方が「自分に手
をついて詫びてくれたんだよ。今までで一番嬉しいことだった」とそういって報告してくれました。
それで、その娘さんは二月後には退院できたんです。「本当に良かったわね」と手を取り合って本当に喜び合いました。それから何事もないように来
ておりましたら、今年の八月ですね、梅雨になって一番、元気であるお嫁さんが突然入院することになりました。何んだかわからないけど猛烈にお腹
が痛み、夜中に病院に行ったわけですね。それを、同じ家に居ながら、何んにも話合いが出来ませんですから一人で心配していたらしいんです。二日
後に私の所へ来まして、「ちょっと相談に来たんだけど」「どうしたの」って言いましたら、「お見舞いに行くべきか行かぬべきか、それを悩んで相談に来
た」って言うんですね。「どうして」って言ったら、「いや、どうせ行ったって、ろくな顔もしないで、横の方をちょっと向いて、余計なことをしやがると言われ
るかもしれないんだよ」と言うから、「あら、でもあなた行って見たい、お見舞いしてあげたいという気があるんだったら、いらっしゃれば。ただ相手がど
んな態度に出ようと、本当に自分の心をね、その方にぶっつけてごらんなさいよ。心配だから来たんだよってね。それだけでいいじゃないの。相手の
ことは考えないこと。それで行ってごらんなさい」って言いましたら、さっそく出掛けて行きまして、病室のドアを開けた途端、そのお嫁さんは横を向いた
そうです。それでもその奥さんは心を平静にしまして、「見舞いに来たんだけどどうだい」って言いましたら、息子に「誰れにも知らせるなと言っておい
たのに余計なことを」と一言つぶやかれたそうです。「余計なことかも知れないけど、その話し聞いていたのよ。だけども、やっぱし家の者だから心配
で来てみちゃったの。家で心配しているよりも来た方が早いからね。ごめんね」ってお嫁さんにそう言ったそうです。
そうしましたら、お嫁さんがハッとした顔をして、「お母さんありがとう。心配して下さってありがとう」と言われた。またそれが嬉しくてね。その後、本当に
何か嫁姑が口もきかなかった方が、何か世間話をそこでして来たんだそうです。それからもう急激に氷が溶けたって感じですね。そして、二週間後に
お嫁さんが退院して来た時には、なんでもないただの食中(しょくあたり)だったらしい、それだけだったんですね。だから、あ、これは神様がちゃんと
そのように手配して下さったんじゃないかなあっていう。和解して本当に仲良く嫁姑が暮らせるようにちゃんとそのチャンスを与えて下さったんだと、そ
う私は感じ たんです。「良かったわね、良かったわね」って言っておりましたら、そのお嫁さんも私と姑さんが仲良くしているとちょっとイライラしていた
ようですね。で、一度もお話はしたことなかったんですけど、それから私の家へ三回ほど見えまして、一度もお話はしたことはなかったんですけど、そ
れから私の処へ三回ほど見えまして、「お母さんありがとうございました。本当にありがとうございました。これからも宜しくお願い致します」とおいでに
なったんです。それからその息子さん、その方の旦那さんが、「ありがとうございました」と。何んだかねえ私がしたんじゃないのにお礼を言われてね、
本当にこれでこの人達は救われるんだなあという本当に正法を実践するということの素晴らしい体験を私はひとを通して見させていただきました。私
などは十何年もそれをしないでブラブラブラブラとしておりましたのに、今日おいでの皆様は本当に良い体験をしていらっしゃるし、即、実践してらっし
ゃる。やはり実践以外に何んにも自分を変えることは出来ないんだなあとつくづく思うのです。私はN島さんを介して学ばせていただいたんです。行即
光、光即道そういうことを何んにも知らないのにこの方はやっていた。最近、ご近所の方から「あなた、何やってるの。顔が変わったね、奇麗になった
ね、優しくなったね」と色んなことを言われるそうです。老人会に行きますと、「あなたどうして優しくなっちゃったの変だよ」とお年寄りからそう言われ
て、「ありがとう私しゃ正法なんだよ」ってそういう風におっしゃっているそうです。
そして、「正法って何んだい」と言ったらね、「心変えることなんだよ。神様に拝んでもらったって、神社へ行って手を合せたってそんなもの自分を何ん
にも変えられない。自分の心を本当に正していると何んでも変わるんだよ。それなんだよ」何んだかわかったようなわからないようなんですけども、あ
の方なりにちゃんと捉えているようです。そして、この次に集まりがある時には、「友達つれて来るよ」っておっしゃってくれています。だから、あなた
が、どんどん連れて来てお年寄りはお年寄りでこれからね皆んなで手を取り合って行きましょう。若い人は若い人なりに、みんなやっているんだし、私
達は私達で若い人を見守ってこれから生きて行くんですよ。嫁姑を本当に、いつまでもね自分の子供のこどもと。子供は子供で自立するし、私達は私
達で自立していかなければ、歳とってから惨めになるでしょうって言ったら、「そうだよそうだよ」って、気性のさっぱりした方でして、以前でしたらばやく
ざの方が見えてもひるまないで、立ち向かって行って、相手が「おみそれしました」と言って逃げて行くというそれぐらいの強い方だったんです。そして、
近所のかたでも気にいらないことがあるとガッガッと言いますし、子供さん達がちょっといたずらをしたら大きな声で追い掛けて行くというそれくらい激
しい方でした。今はもう全然ないんです。ほんとに、変われば変わるもんだなあという思いですね。私は自分でやらないで他人だけあれしたもんですか
ら、申し訳ないんですけれども、これからも出来るだけ土地の中でお年寄りと対話をしながら、調和を広げて進めていきたいなあと思っております。ど
うぞ宜しくお願い致します。
司会者 どうもありがとうございました。今日の発表者の方はこれで全部終了いたしました。
完