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一九七五年二月九日、GLA関西本部二月講演会

「正しい思念と行為」 高橋信次先生によるご講演

 

 

 永遠の生命といいましても、今皆さま自身は、永遠の生命の過程、最も厳しい不安定な個体的な物質世界において、先祖代々伝わって

来たところの肉体を継承し、皆さんは永遠の生命の中の修行、或る者は厳しい生活環境の中、或る者はまた調和された生活環境の中で皆

さま自身の豊かな心を、そして新しい人生の目的である皆さんの生まれた環境や教育や習慣、この中で己というものの心を磨いていると

ころの皆さんは指導者であり、また、その学習をせねばならない皆さんの使命があるのです。

こうして我々はこのような肉体という舟を持ってしまうと、我々人間は肉体の五体煩悩の振動によって、不調和な波動によって皆さん自

身は自らして自分の心を曇らせてしまう、皆さんの心の中の偉大なる善我なる、その中心にある真我なる本性というものが、分らなくな

ってしまっただけなのです。

皆さんは永遠の生命として、誰もがその真我なる生命を誰も知っているのです。

と、同時にまた皆さんは、この心の中の真我は神の心と同根になっているのです。

我々はただ五官を通し、この眼でこの体で、肉体を通して生きているとか死んでいるとか、或いは見えなくなったから存在しないんだと

錯覚を起こしているだけなのです。

しかし、厳然として皆さんはその心底は、永遠の生命を全て知っているのです。

しかし、現代のあらゆる長い歴史を通して伝わってきたところの宗教を見ますと、殆んどが他力信仰であります。

精神的に家庭的に、経済的に病気に、そういう苦しみを通して人間は何か安らぎの道はないだろうか、幸せになりたい、我々の生活環境

の中にあらゆる宗教があります。

或る者が

「あすこの教団に行けば必ず救われるそうだ、あなたは必ずこのようにすれば必ず幸せになれると言われると、そちらへも行ってみる。

或いはまた、どこそこの生き神様に拝んでもらったら、このような、結果が出る、あなたもそこへ行って見ませんか」

マタそこへ行って信仰をはじめる。

しかし、既設の宗教の殆んどが、一心に信仰をし、そしてその中から一心にやればやるほど疑問が生じる。

ところが、疑問が生じてくれば普通では、

「これはいけないんだ」、

と思うところが、

「疑問を持つことは自分自身を不幸にさせるのだ」

と、多くの人々は自己保存に走ってしまうのです。

疑問を疑問とせず、このようなぬるま湯の中で、泥沼の中で人生を送ってしまう人達が多いのです。

そのために、現代の巷の宗教というのは、一生懸命に教祖が拝む、肉体先祖か神様と名乗る霊の言うことを信じる。

「あなたの先祖何代前が浮かばれていない、こういう供養をしなければいけない、それによって供養すれば、あなた方は救われるのだと

言われると、サア見たこともないような先祖を、今度は一生懸命に拝み出します。

一心になればなるほど、また精神的、或いはまたトラブルが起こって来ます。

そこで何故だろう、ヤ、これはいけない、私達は信心が足りないからだ、また熱心になってゆきます。

心の中の格闘です。

しかしこのような他力の信仰の中から、本当の人間自身の救われる道はないのです。

あたかも自然界を見て、スモッグに覆われ、この美しい太陽や熱光を我々はまともに受けることが出来ません。

ところが今日のような日曜日になりますと、外には自動車も少なくなり、工場も休んでいるから煤煙も出ない、美しい空気と美しい空が

あります。

この煤煙や、或いは自動車によるところの公害も、全ては人間自身が物質文明を追い求めた副産物の筈です。

その副産物が公害によって自然を包んでいるのです。

同じように皆さんの心の中で毎日想っていること、行っていること、これに対する正しい柱、ルールというものが分らないために、我々

は自分を中心にして、ものを考えるのです。

不都合なことは相手を誹謗したり、叱ったり、謗ったり、恨んだりヘッチャラでやって来た。

その結果、自分の心の中にスモッグをつくっている事を忘れているわけです。

或いは、また先祖さんが浮かばれないというから、

「あなたの家のお墓はこのようになって、このお墓をこのように建て替えなさい」と。

それは四十年、五十年たてば風化もするでしょう、石塔もまともには立っていないでしょう。

確かに長い歴史の中に、我々は亡くなれば墓に行くのだ、寺へ行くのだ、神社へ行くのだ、キリスト教会に行くのだと教えられている人

達にとっては、この世を去れば、そのような場所へ行きます。

或るものは仏壇の中にいます。

 

「先妻の霊の焼きもち」

 

ひどい話が、去年、川崎というところです。

事務局長をやっている高橋武弁護士さんの関係している知人のお主人は再婚をしました。

子供も小さいものですから、わずか一年足らずで再婚です。

夜になりますと、仏壇の中の位牌が動き出すんです。

ネズミがいるんじゃないか、それも普段はいいけれど、新しい結婚したご夫婦が寝てから始まるんです。

亡くなった奥さんの位牌が動く、位牌が動くんですから、どうしょうもならない。

焼き餅です。

死んでもヤキモチを焼くんですね。

これは皆さんは笑っているけれど)本当なんですよ。

こんなこと一杯あります。

そうして、

「どうもオチオチ、寝てられないんです、何とかなりませんか」と、来ました。

無関心であるご夫婦の中でもそういう現象が起こってきている。

 

 

「先妻が憑いて、主人の首が曲がらないケース」

 

 

また浅草で

子供も亡(無く?)して、結婚してわずか三年位で亡くなってしまって、すぐ再婚をした。

音楽機器を売っている社長の息子さん

再婚して丁度二年目のときに、亡くなった人を追憶する三年忌の式典を遣ってやったというのです。

仏壇の前へ行って坊さんを呼んで、やっている内に首が動かなくなってしまった。

そして、どこの医者へ行っても首の治療をやったというんですね、でも治らない。

勿論、首が回らない手が回らないですから、こんな状態でバックミラーをネ、車を運転している訳です。

まだ三十代なのに気の毒でしょうがない。

それで丁度十年目に、もしや先妻が迷っているんじゃないかと事務所を訪れて来まして、

「どこの医者へ行っても、この首が曲がったまま動きません」

「アラあなた失礼ですけど、傍にこういうご婦人の方がいるけど、これはどういう訳ですか」

「実は私の家内です」

「奥さん生きているのに、何でここに来ているんだろう

「死んだんです」

「そうだろうね」

首の方から肩の方へ回らないわけですね、神経痛みたいにね、自動車を運転するにも一苦労するわけですね、首の方からこう奥さんが、

かぶさってるもんですからね。

「お寺さんを呼んで供養し、面倒くさいから永代供養もやってしまった、なのに、何で出てくるんでしょう?」

「それはご主人を愛しているからです、それはご主人自身もその心の中にわだかまりがあるからです」

「あなたは、このご主人が新しい女性と、また結婚したことを恨んでそばにいるけれども、それは許されません」

「どうしてですか」と幽霊がね。

「そんなに惜しかったらナゼ死んだ」

って言ったんです。(笑い)

「行くとこ行けないで、こんなに執着を持っているから安らぎあるか」

「けれども私は行くとこないんです、お寺へ行っても恐ろしくていられない」

お寺へ行っても先祖代々色々いますから、怖くていられない訳です。

「お墓へ行ったらどうだ」

「あんな所は尚いけない」

このご主人についているのが一番安全だと、こう来たもんです。(爆笑)

ところがご主人の方は、首が曲がらないんですからね、これはどうしょうもならない訳ですよ。

ですから、

「これは、あなたはこれで良いだろうけれども、御主人の身になってみろ」

「そんなこと悪い事かしら」

幽霊が言うんですよ。

「良いことか悪いことか、あなた、これ以上やっとったら自分自身ますます苦しみになるぞ、サアどうする離れるか」、

って言ったら

「行くとこないんです」

仕方がなく、行くところへ行くように教えてやったら、離れましたら本人、十年間、解放されたもんだからビックリしちゃったわけです

ね。

お医者さんへかかっただけでも莫大な金だったんですが、私のときはタダです。(爆笑)

ところが今、そこの従業員をはじめ全部、私達のところへ来ております。

こういうもので、永遠の生命ということが分らないで、もう死んだら全て終わりなんだと思っている。

ドッコイ、今度死んで見たら、行くとこ無くなっちゃったもんですから、主人のところに、こうやって居るわけですね。

普通の人が聞くと、

「そんな馬鹿なことがあるもんか」、

と言うんでしょうが、私んところは下の方が病院ですから、そこの院長をはじめ女医さんたちは分っていますから

「ハハーこれは、私達には手におえない」、

と分っておりますから、私んとこ持ってきちゃったら、すぐ治ったもんですからネ。

 

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精神科の大学教授の息子がノイローゼ

 

 また、大学の或る先生が、これは有名な医学部の先生ですが、しかも精神医学のチャンピオンなんですが、自分の息子さんが精神病に

なっちゃって、どうにもならないわけですね。

そうですから安定剤を飲ませれば、胃腸をブッ壊すことを知っているものですから、安定剤は安心して飲ませられない、

「どうしたら良いでしょう」

 これも物だけを追っ駆けているわけです。

「人間の脳細胞の、どっかの一片が狂ったんじゃないか」

って、一生懸命に精神病を治そうとしても、これは治りはしません。

一服の精神安定剤よりか、親は子に対する愛の言葉の方が、よっぽど効きます。

それを忘れてしまって、医学的な見地から処置できなくなって連れて来るような結果になってしまうのです。

そうして、そういうお子さんですから、自分の心自身が不安定ですから、不安定になればなるだけ、永い転生輪廻の中に、本当の神の子

としての人生の目的と使命というものを忘れ去って欲望のままにこの地上界を去った暗い不調和な粗悪な霊の世界があるのです。

それを地獄界といい、こういう地獄の霊達が憑いていることを忘れているわけですが、メクラには見えません。

眼は開いとったって明きメクラです。

それですから、本人自身は色々と医学的な見地でやっていても、親子の会話もない状態ですから、子供さんが治る筈はありません。

ですから子供さんに

「君のお父さんやお母さんは君に対して一体何だ」

「ああ、産みっ放しだ」

「お父さん、生みっ放しだと言っていますよ」

「そうですか、ワシは学校が忙しくてね」、

と言うから

「学校が忙しいのと息子が可愛いのと、どっちですか」

このように成長する段階においては、「親は無くとも子は育つ」と思っているから、対話を失くして、子供さんは子供さんな

りの自分の小さい心をつくってしまって、逆に今度、親に対する恨みの心を持つようになって、その恨みの心が地獄の世界と

コンタクトされます。

その結果、永遠の生命である地獄霊達が、人間の心の隅を支配して人格が変わってしまうのです。

 

「気違い、ノイローゼは百パーセント地獄霊の憑依」

 

気違い、ノイローゼは百パーセントそうです。

或いはまた、健全なる精神であっても、心がコロッコロッと変わる人がいますね、いま言った事と、さっき言ったことをコロ

ッと変える人が、この中にもいます。

サアこの人も要注意、地獄霊ですよ。

 

  過度の呑み助も霊の憑依

 

或いは、お酒を呑んで人格がガラッと変わっちゃう人ね、酒を縁として地獄霊がその人を支配するのです。

ですから、どんなに酒を呑んで、方向感覚を失っても間違いなく家へ帰るというのも地獄霊が案内してくれるんです。

明日、呑む都合があるから。(笑い)

だから酔っ払いは自分自身の本性は失っているけれども、後ろに憑いてコントロールしている地獄霊がちゃんと家まで連れて

帰る。

ですから、そういうアルコール中毒患者になってしまうと、呑まなくちゃいられなくなってしまうのです。

自分は呑みたくないと思っていても、後ろに憑いている地獄霊が飲みたいんですから、それにコントロールされてしまう。

ですから自分自身の悪、悪い偽りの自分自身の我というものに打勝つためには、余ほどの勇気が必要になってくるのです。

勇気、ですから、自分自身の心の中の弱い面に正しく打克つためには、努力が必要になって来るのです。

 我々は自然界の全ての人間生活環境に対しては、国の法律によって社会の秩序を保つためにちゃんと出来ているけれども、

心の面におけるところのものの考え方、行い方、特に、ものの思うということに制約があります。

それだけに、仏教では「一念三千」、このように教えております。

我々の心という、思うことは自由自在に展開します。

ここに思っとって、すぐに東京へでも心は馳せ参じます。

どんなことでも想像できます

それだけに危険なのです。

思うことが即、我々自身の心の世界を混乱させたり、調和させたりするからです。

想念というものは振動なのです。

しかもその振動は、物を造り出す力を持っているのです。

想うということは、想念はものを作り出すところの力を持っています。

ですから、よく或る宗教で、自分の思うようにならない人達に対して、一念によって相手自身を不幸にしてやろうなんてい

う、地獄の考えを持ちます。

ところが、本当に神理を知って美しい光明に満たされている人たちを恨めば、その恨みの想念は反作用となって、相手自信の

心に通じ、相手を倒してしまいます。

それだけに、想うという事は、しっかり正しく中道の片寄らないものの判断で、慈愛の心を忘れてはいけないのです。相手を

本当に救ってやろう本当に無所得のまま、相手に愛を注ぎ相手を立ち上がらせてやろう、施してやろう、そして自分の子供、

他人様、こんなことは関係ないんです。

皆のために、このような心の姿は調和されて、この人々を救ってやることが出来るんです。

そこに行動があるのです。

それ故に、よく密教か何かで、相手を倒そうという人がありますね、こういうことは最も危険です。

慈愛が本当に神の心であるならば、あたかもお天道様や大自然のごとく絶対にお金などは取りません。

この無所得の中に慈愛が有るんです。

しかし多くの人々は、自分がやってやりますと求めます。

してやったから、あれだけやってやったのにあの人は裏切ったと、こう来ます。

そんなら、最初からやらなければ良い。

それは慈悲でも愛でもありませんね。

自分自身を良く思われたい、それによって自分自身もその人から重宝がられたい、そういう馬鹿げた考え方ならやめた方が良

いです。

本当に人々のことを考えたならば、太陽と同じような慈悲の心が大事なのです。

 

「人に求めない」

 

求めを自分自身から求めない、相手にやりっ放しでもいいじゃないですか。

自然界をごらんなさい、動物も植物も鉱物も全てが、そのような相互関係によって安定している。

決してお天道様が

「お前にだけは特別にやるよ、お前はお金がないからやらんよ」

こんなようなことはしないんです。

人間、全て万生万物へ、平等に与えている神の心の現われなのです。

我々はそのような姿を見て、矢張り人々に対して、万生に対して、そういう心のあり方が大事です。

(いっ)時は、急速に発展した物質文明の中で、テレビからマスコミから、あらゆるものが消費の美徳を訴えました。

しかし、地球上にある品物は有限です。

無限に有るものではありません、いつか底をつくんです。

やはり人間は倹約ということ、我々は物の奴隷にはなってはならない、経済の奴隷になってもならない、人間は生活できるに

足ることを知った、自分ということを知るのが大事なのです。

我々は、ややもするとこの地上界へ出れば、お金とか地位とか名誉とか財産とか、これが全てだと思って錯覚を起こしている

のです。

人間は物だけが幸せをつくるのでえはないのです。

物は調和された環境をつくる、我々が魂を豊かな心をつくるための、一つの我々は道具にしか過ぎないのです。

その道具の奴隷になってしまった時から、人間は偉大なる普遍的魂の調和された心の、神の心と同根である永遠の己自身の本

質を失ってしまったのです。

ですから、我々の心というものが如何に重大なものであるか、我々はこの地上界から去るとき持って帰るものは、苦しみや悲

しみや喜びや、或いはあらゆる体験したところのものしか持って帰れないのです。

お金は勿論のこと、どんなに愛している妻であろうが、子供であろうが、共に帰ることはできないのです。

我々はどんなに豊かな環境であっても、この地上界に出て来るときに、お金を持ってきた人も、財産を持ってきた人も、土地

を持って来た人もいないのです。

我々はあくまでも、こういう地球という環境に、万物の霊長である人類の、お互いに心と心の調和のとれた融和な、調和され

た環境をつくるというのが、本来は我々の目的であり、神の体を大調和させるというのが人類の大きな使命なのです。

 

「地震などは、その地域への警告」

 

そのために天変地変、地震や、或いはまた火災や、色々な我々の前に天災が訪れてくるのも、それはその環境の人々に対する

警告なのです。

我々はその警告を、ナゼ、どうして起こったかということを追求して、改めるチャンスを与えられていることを知らなくては

ならないのです。

病気も同じこと、病気をした、或いは経済的に苦境に立っている、ナゼ、どうして今そのような厳しい自分自身に、そういう

一つの修行の場を与えられているのか、皆さんは自分の心の中で思っていることを先ず反省してみて、「ア、このような考え

方をして、このような行動をしたから、このような結果が出たんだ、そしてその結果が出たならば、その根を取らない限り、

また新しい次の魂の修行の為の、環境が与えられるのです、学習が追加されて行くのです。

(被災に際してわずかばかり募金をいたしましたが、新潟地震の原因は、窮乏著しい北朝鮮の核開発資金の多くが、寄港などバ

ックアップする環境にあるのでは?

国旗の赤は赤信号の赤であり、危険と正法では教えています、高橋信次先生の「最後の講演」を参照ください)

 

 

「不幸が次々と訪れて来るときの解決の仕方

 

ですからよくありますね世の中に。

苦しくなってくると、次々と重なるように不幸が訪れてきます。

そのときこそ、ドッシリと自分自身を考えて

「ナゼ、家にばかりこのような不幸が重なってくるのだろうか、ナゼ、どうして私達の生活環境の中、思うこと行っているこ

とに、何か間違いがあるのではないだろうかと、その原因を追求し、その根を取らない限り、また同じようなことが起きて、

魂の学習のチャンスが与えられてゆくのです。

ですから、よく交通事故を起して亡くなる、また家の中から亡くなる、次々にそういう現象が起こるのも同じことです。

それにはそれなりの理由が有るからなのです。

その原因と結果を追求せずして、根本の解決にはならないということを知ることです。

これは全て苦しみに対する原因、その苦しみの原因を除かない限り、その根を取らない限り、苦しみは次々と巡ってくるとい

う事です。

苦しみも同じように輪廻してきます。

喜びもまた、喜びの種を蒔()くには、その種を蒔いて、その喜びが輪廻して来るものなのです。

自然界は我々に対する感謝せよ、生かされていることに感謝することを教えています。

お天道様はタダです。

これがなかったならば、どういうことになりますか。

このタダで、神の現われである慈悲に感謝することは、行為として、お互い人間同士が助け合い、物を大事にして調和された

環境をつくって行くことが大事ではないですか。

それが今は全く逆です。

自分さえよければ良いというものの考え方に立っている人が多ければ多いほど不調和な社会が訪れて来るのです。

思想というものは一つ間違ったら、社会を混乱に陥れ社会を不幸にいていきます。

それだけに我々は、自然のままの神理、普遍的な人間の知恵によって変えることのできない神理、これを「諸法無我」といい

ます。

宇宙の法則は人間自身によって変える事ができない、その諸法無我の普遍的な神理を我々は自分の心の物差しとすることなの

です。

神理は一つです。

 

 

「アトランティス大陸のこと」

 

 

しかし今から約一万年前に、アトランティスとい現代の大西洋からズーッと、帝国があります。

アトランティス時代は非常に栄えた文明であり、この中にもその当時、生命をもった人達がおります。

それは皆さん自身の心の中に全て記録されております。

それをまた思い出すことも出来るのです。

そのアトランティスは繁栄し、やがて物に溺れ、現代の世相と同じような人間の心になっております。

その当時、実在界よりアガシャー系グルプが、一万数千人肉体を持っております。

ところが、時の権力者たちは心を悪魔に売り、ついに光の天使たちを魔女狩りというものによって、彼等を全部、収容し殺し

始めます。」

 

ここまでで収録が切れているので、ウエブ・マスターが正法を学んだことにより記述を補足して、この項を終わります。

 

こうしてアガシャ大王(当時の高橋信次先生)は、一部の部下と共に難を逃れ、陸伝い、道伝いにアフリカ大陸へ逃れます。

このアトランティスの心根は神の逆鱗に触れ、一夜にしてアトランティス大陸は海中に没し、壊滅してしまいます。

そのために、現在はアフリカ大陸とアメリカ大陸は大西洋によって分断されていますが、アフリカ大陸に渡ったアガシャ大王

は、アフリカ大陸とアメリカ大陸の関係を残す為に、ピラミッドを建て、そこに記録を書いた書板を残しているということで

す。

いつの日かその事実も明らかにされるでしょう。

そしてアトランティスの末裔()たちが、少しは生まれて来ているということでしたが、高橋先生が亡くなられて三十年ですか

ら、全世界には沢山の有能な霊魂達が生まれ、成人して各分野の現代文明をもっともっと押し上げる筈です。

アトランティスの超文明を体験した霊魂たちは、当時の研究、当時の科学の再現を目指して、心の中から、内在するパニヤパ

ラミタ(智慧)に到達し想い出し、記憶の糸を手繰って開花させるでしょう。

 

「正法の、彼等への目的と使命」

 

いかに超文明を体験した霊魂群も、科学一辺倒の冷徹で冷酷な人間性の持ち主ではいけません。

科学文明、機械文明に溺れぬ温かみのある、温もりのある超科学でなければなりません。

アトランティスの再犯をさせないためにそのためには、ものごとの正しさの尺度、規範を、もともと有能な彼等に、手取り足

取り徹底的に、教え諭さなければならないのです。

正法は自然の摂理、法をお手本とした自然法です

大自然、大宇宙を規範としていますので、時空を超え次元を超え、大宇宙にいる七種の人間にも通ずる、「宇宙法」が正法な

のです。

正法は、高橋信次先生により説かれ、園頭広周先生により肉付けされた人間の模範法です。

 

 

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