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「事故死のこと」

 

平成十七年 春

私の知る資産家の息子が若くして事故で逝った。

スピードの出し過ぎによるものか、カーブを曲がり切れずに単独事故だったが、幼い家族を残した。

奥さんは子供達にいつも

「お父さんが働いてくれるから学校にも行けるのよ」

と口癖のように教えておられた。

お父さんが亡くなって子供が、

「学校はどうなるの」

と言ったと廻りの涙を誘ったが、お金には困らぬとしても、この幼い家族のことを想うと胸が痛みます。

この事故死の背景は、こうである。

おばあちゃんは変死(自殺?)と漏れ聞いている。

息子が事故死した前日には、おばあちゃんの姉妹の葬儀に参列。

翌日は元気に車で近県へ出張しての事故死だった。

事故死は一瞬の出来事ですから、本人の心構えはできていません。

肉体を患った闘病後の病死は、病気の期間を通して、人生とは、病気とは、生きるとは、家族とは等、反省や展望を通して考える時間が

あります。

ところが、事故死は一瞬ですから、肉体と魂の急激な別離、分離です。

心構えができていないところに突然、死を迎えるのですから、一番理想的な自然死や、病死とは解釈が異なるので、事故死者のあの世と

言うことを念頭に置いてお話します。

 

「事故死者の世界(あの世)

 

普通死とは特に異なり、死んだことを長い期間、自覚できません。

魂的には長い無意識状態です。

ですから、死者への供養というのは、

「あなたは無理な運転により、事故で死んだのです。もう、この世の人ではありません。その証拠に、この世の誰ともお話ができないで

しょう。

あの世の世界からこの世が見えても、誰ともあなたが話せないというのが、あなたが死んだ根拠です。」

言葉は方言でも、あなた独自の話し方でも、声を出しても心の中で呟いても、何でも構いませんから、相手には全部通じるので、何度も

何度も繰り返し、しつこい位に教えて、この世のことに心を残さず、執着せず、この世でのことを反省して、あの世で暮らすのです。

例えどんなに苦しくとも、この世の人に助けを求めてはなりません。

あの世から助けを求めることを、この世では憑依(ひょうい)と呼び、この世の人が精神病やノイローゼやウツ等の心の病気の原因になるこ

とを自覚してください。」

このように何度も何度も訴え続けるのです。

これが正しい引導の方法です

いくら聞き分けの無い頑固者でも、いつかは聞き届けてくれるでしょう。

それを信じて、これでもかこれでもかと続ける、これも死者への愛です。

こう言ってはお坊さんには悪いのですが、お経によって供養すると申しましても、皆さんがお経の意味が分らないように、死者にとって

も同じように分る筈はありません。

そもそもお経というものは、今から二千五百年前のお釈迦様がこうおっしゃった、ああおっしゃったという古代インド語で伝えられたも

のを、中国の漢字に翻訳して、それを日本語読みするのですから、お経は難しくなって誰も理解できる筈はありません。

永い習慣の中で連綿として悪弊が続いているというだけのことです。

今般、その悪弊を正す為に、かって、お釈迦様といわれた方が、高橋信次という名で日本人として生まれられ、四十八歳で亡くなられる

まで、人間の生き方、人生の使命と目的、あの世とこの世、過去と未来、人間に必要なことを全般に渡って、「正法」という名称で、分

り易く教えて下さいました。

皆さんより少し前に正法に縁があった僕は、広めねばならぬという想いで、インターネットが普及し始めた頃、

「これこそ神が与えた正法の広宣媒体だと飛びつき、すでに八年になります。

現在はアクセス(訪問者総数)も三百万人強になり、これから爆発的にブレイクする筈です。

 サテ先に、あの世からこの世はお見通しだが、あの世からはこの世へ意思は通じないと申しました。

これはどういうことかと申しますと、映画のスクリーンの映像がこの世のこと、観客があの世の人です。

観客は映画全部を見ることができます。

ところが映画の登場人物に話し掛けることはできません、全部一方通行です

これがあの世とこの世の仕組みです。

このように、死者の霊は、この世のことが分っているのに、意思を伝えられないので、人騒がせな酷い霊は、ミシミシ、物体移動、打

音、寒々とした冷気、病気、事故ということを通して自己顕示をします。

当然ながら、清々しく爽やかな霊は、そういう人迷惑なことは絶対にしません。

こういう困りものの霊、迷惑霊を地獄霊、悪霊、暗い霊などと言葉は様々です。

あの世は全部自力です。

この世では助けを求めると人が助けてくれますが、あの世では全部自力、自助努力の世界です。

あの世とこの世は、「あ」と「こ」の違いですが、次元が違う為に実際はこのように違います。

 

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  「カルマ・業(ごう)とは」

 

カルマというのは古代インド語でカルパともいい、日本では業(ごう)と表現されています。

カルマ・業というのは「心の傾向性」と高橋信次先生はわかり易く解説されました。

心の傾向性というのは、物理学でいう慣性の法則です。

ご存知のように慣性の法則というのは、スピードを出した車に急ブレーキをかけても、惰性で車はしばらく走るということで表現されま

す。

これと同じようにカルマというのは、心が一定の傾向性を持つと無意識にそのことをいつも行うということなのです。

別の表現をすれば、いつも明るくくよくよしない性格とか、悲観的な暗いことばかり考える性格というのは、それまでにその人が考えて

きた心の傾向性、習慣性によってつくられるということです。

(ごう)というと、「ごうが深い」というように、悪い方ばかり強調されていますが、実は善業も悪業も有るということを知らねばなりま

せん。

いつもニコニコ朗らかというのは善業ですし、いつもくよくよ悲観的というのは悪業です。

では事故死は何かというと、せっかち、イライラ、短気、怒りの心、スピード狂など悪業の最たるものです。

交通事故によるケガ、作業中の事故というのは、そういう悪業の上に、夫婦喧嘩などの不調和な要因が引き金となって、入院なんてこと

になりかねません。

守られるべき事故も、夫婦仲が悪いためにイライラ、怒りにより大事故を引き起すということにもなります。

家庭が円満というのは、神が示した人間が幸せになるための最低の条件なのです。

 

「事故死はカルマの急激な解消ということ」

 

事故死は一瞬の出来事です。

このような肉体と霊()の急速な分離は、言葉を変えれば霊子線の急激な切断は、アッという間も無い死を迎えるので、この世のしがら

み、この世での執着や想いを一瞬にして断ち切られるのですから、カルマの清算という一面もあるのです。

この世は全て「原因と結果の法則」通りです。

こういう原因があったから、こういう結果になったということです。

お釈迦様は「因縁」と申されました。

こういう元()があったから、それを縁としてこういう事が起きたということです。

二千五百年前に、お釈迦様はこのような原理原則を説いておられます。

現代のお釈迦様である高橋信次先生は、物理学でいう因果律、わかり易く申しますと「作用・反作用の法則」、「動・反動の法則」と教

えて下さいました。

更に、園頭広周先生は、これを分り易く「善因は善果」、「悪因は悪果」と教えて下さいました。

このように事故死の場合は、悪因は悪果です。

このような因縁の世でありながら、それまでの悪いカルマを一瞬にして解消することを考えれば、生き様の清算ともいえますから、神の

慈悲と考えて、故人の関係者は、悲しむばかりでなく故人の模範となるような正しい生き方を心掛けるべきです。

これが正しい故人の供養です。

更にまた、事故前日の葬儀です。

葬式や、お通夜の帰りによく事故を起すのは、この世に執着した故人の霊と参列した人との心が同通して、言葉を変えれば憑依して、問

題を起します。

習慣として清めの塩などを身体に振りかけますが、塩ですから肉体や衣服の清浄には効果があるのでしょうが、一番問題の心の清浄化に

はなりません。

この場合の心の清浄化とは、心を穏やかにして、慌てず騒がず、道を譲り合うという和の精神、道路を利用する人との調和と愛です。

交通事故は自分の家族も相手の家族をも苦しめる結果になるから悲惨です。

葬式や通夜の直後は、特に注意をしなければならないというのは、こういう理由です。

しかし、心が同類にならなければ、言葉を変えれば、「類は友を呼ぶ法則」、「波長共鳴の法則」の逆であり反対ですから、そこにどん

な霊がいても問題は絶対に起きません。

法則というからには絶対に例外は無いという

「一プラス一イクオール二」

という算数の世界ですから、見せかけではなく真に心が明るく穏やかな人には問題はありません。

そして自殺の名所や事故多発地には、むやみに近づいてはいけませんが、「触らぬ神に祟りなし」、「近寄らぬ霊に憑依なし」

と申しても、人生の正道を歩き、正しく明るく生きる人は関係のない言葉です。

 

  「なぜ霊域の悪い所に近づいては、いけないか」

 

自殺の名所や事故多発地は、心の暗い霊の集合地、居座った場所です。

こういう霊を地獄霊、悪霊と申しました。

そういう困りものの霊は、その場に固執します。

もし、そうゆう霊が自由にどこへでも行けるとなれば、巷はどこもここも悪霊の巣窟になりますから、霊界の決まり、霊界の法則とし

て、どこへでも自由に行けない決まりです。

ですから、そういう特定な場所へは、むやみに近づかないということをご理解ください。

霊や霊界のことは、気味が悪く、不気味です。

しかし遅かれ早かれ、いずれは誰も皆なあの世へ行くのですから、正しくあの世のことも知って、安心して大往生して欲しいのです。

 

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