タレントのカーセル・マキ氏のこと
平成十六年十月四日
新聞は、タレントのカルーセル麻紀氏を、男から女への戸籍の変更を東京家裁は認めたと報じました。
彼、いや彼女は僕と同年代の六十歳ほどですから、これまで噂はよくお聞きしていました。
正法では、これをどう考えるか考察したいと思います。
五年程前に
「臓器移植をどう考えるか」
という一文により大反響を得ました。
当時はアクセス(訪問人数)が三十万人程度でしたが、いまや二百七十万人の訪問者ですから、それなりに反響を受けるでしょう。
どうして、訪問者数が分るのかと申しますと、インターネットは、コンピューターの世界ですから、訪問回数を自動的に計数するわ
けです。
更には、世界の地域や国別の訪問数もわかります。
たとえば何年何月何日、アメリカで、台湾で何人か解読できます。
もちろんコンピューターですから、一人を二人、或いは五人と計数することも可能です。
中には、そういう操作・設定をしているのも在るようですが、正しい神理を説くウエブ(ホームページ・正法)ですから、訪問者数一
人は一人と正しくカウントしています。
臓器移植のときは要約すると
「悪くなった部品でも取り替えるように、医者は名声のために、移植を受ける人は、与えてくれる人に感謝の気持ちも無く、与える
側の人は俺の臓器をどうするのかと執着の心が強いと、うまくいかない、三者が愛に満たされ慈悲に包まれると、当初は光の天使た
ちが協力するが、人はいずれ死ぬ、どうしても生き長らえたいと思い煩うより、心安らかに死を全とうさせるのも一つの選択肢」
というようなことを説きました。
サテ、東京家裁は、性同一性障害を理由に戸籍の性別変更を求めた審判で、男性から女性への変更を認めたわけです。
法律や裁判というものは、人間が知恵を絞って考えたものですから絶対不変ではなく、時代、民族や人種、世界の風潮、裁判官の常
識や意識、ものの見方など多数決の原理に左右されるということは、皆さんも納得できるでしょう。
それでは絶対不変の基準は何か
大宇宙です
太陽です
地球という大地です
空気です
水です
それでは
正しいという基準は何か
そのことによって「安らぐ」か、
そのことによって「調和する」か、
という、この二つを同時に満たすものが、絶対不変の「正しさ」の基準、尺度、物差というのです。
では、形成手術により女の性器を模倣し、見かけを再構築しても、女特有の、絶対不変の「赤ちゃん」を妊娠、出産できますか?
もともと男が、女の権利を共有しようと思っても、どう願っても心の安らぎは生まれません。
世界の趨勢がどうであっても、これで世界中が調和する筈はありません。
アメリカでもロシヤでも、離婚が増えアル中が増え、ホモが堂々と市民権を得るというのも、もともと男と女しかいない地球で、一
方の女が余りにも強くなり過ぎたというのも一つの理由です。
それともう一つ、現代が古代ローマと共通する性の倒錯です。
古代ローマの盛り場の片隅で、まさぐり合う少年と少年、青年と青年、男同しの結婚式、男だけの乱交パーティ、化粧して練り歩く
男たち、からみ合う少女と少女、人妻と人妻のデート、男装した女に熱狂する女たちです。
おぞましくて、もうこれ位にします。
そして、人がこの世に生まれ人生の修行をする上で、男に生まれたからには、男の役割が、女に生まれたからには、女の役割を学習
するという人生の目的と使命があるわけです。
彼女の場合は、「私は女の方が良かったのだ」、
と男としての役割を果たさずして、もっぱら女のような人生を歩くなら、それは悲劇といわざるを得ません。
男は男としての役割を果たす時に幸福になるのであり、その役割を怠り逸脱するときに不幸になるのです。
男である者が、女の特権を欲するというのなら、この反対もまた、これまでに語られてきた末法、世も末と言えます。
人は、男に生まれ女に生まれて生命の修行をし、生命は永遠と知るならば、来世はその生き様の反省のために、男に生まれて人生の
やり直しをする事になるかもしれません。