
高橋信次師の講演はどう公開されたか
正法と講演
〈高橋信次師の講演会はこうだった〉
信次師は、昭和四十三年(一九六八年)七月の悟りを開いてから昇天する昭和五十一年六月までに、各地で数多くの講演会が持たれた。この八年間に百回以上の講演会が開催されたであろう。信次師の講演会での大きな柱は、「講演」、「霊道現証」、「質問」の時間であり、すべて公開であった。
高橋信次師の講演には全く原稿がなく、会場に集まった人達の心の状態を見て話を進めてゆくというものだった。一人一人が心に思いあたるために、今日の講演は自分一人のためのものだったのだという思いで帰ってゆくのが特色だった。大学の先生とか、有名な仏教家、仏教学者達の講演は、筋書きが決まっていて、そこからはずれることは滅多にない。だが、高橋信次師の講演は何が飛び出してくるのか全くわからなかった。「高橋信次先生は、その時の話の内容で、守護・指導霊が入れ替り立ち替り、私の意識に出入りするので、講演しながら自分でも教えられることがある」と言われていたと、園頭師は言う。さらにもう一つの特色は、高橋信次師の講演、著書には他からの引用が全くなく、すべて自身から発せられる言葉だけだった。そのままのオリジナルなものといえば経典と聖書だけで、これとて、高橋師自から勉強したものではなく、「私は経典や聖書は一度も読んだことはありません。皆んなが、こんなところにこんなものがあると教えてくれる。ありがたいものです。」と講話しているが、他の人の講演、著書にはすべて引用がある。そこに高橋信次師の言葉の権威を感ぜずにはいられない。高橋信次師の言葉には、その人の魂に感動を与え、その人をして行動にまで駆り立てて、その人の運命を変える力があるが、頭で整理をして知的に雄弁に話される話というものは、聞いている時はいい話だなと思っても、深く魂に感動を与えない。会場を出ると「いい話だった」とは思っても、なんの話だったのか内容はすっかり忘れてしまって、何を聞いたのか全くわからないという話が多いものだ。 高橋信次師は、「言葉」も光の粒子であると教えたが、師の口から発せられる「言葉」が、光の粒子となって飛び出すと、そのコトバの光の粒子が、すーっとその人の心の中に吸い込まれるように入ってゆく人もあれば、その人のまわりに「ポトポト」落ちる人もあると言っている。考えさせられる言葉である。
〈霊道現証の時間はこうだった〉
一、転生輪廻の証明
信次師は、登壇者に過去世(生)のことばを喋らせた。「ホラ、その当時はこのような言葉で喋っていたではありませんか」という実証によって、人間は永遠の生命であることを教えた。
一、信次師は、登壇者についている憑依霊(ひょういれい)の実体を自由自在に明かし、霊に離れるように懇々と言って聞かせて離した。どうしても離れない場合は強引に 除いた。
一、信次師は、心の窓を開いた人を媒体として、師の力で光の天使を降霊させ語らせた。
以上のような「霊道現証」は、毎回、数百人から数千人の来聴者の面前で、時と場所を選ばず自由に行われた。
高橋信次師は、肉体はこの世限りだが、魂は永遠であり、生まれ変わり、死に変わりして魂をみがくのだと教えた。これを「転生輪廻」とか、「輪廻転生」と言っているが、最近、この種の本が、店頭に沢山並ぶようになった。その為に「霊魂の永遠性」、「転生輪廻」、「生まれ変わり」ということを理解する人も多くなったが、これも時代の流れと言うべきか。
霊魂の永遠性、生まれ変わりの事実を証明してみせるにはどうするのか、と言うことが重要な問題になるが、皆さんならどうされるだろうか。例えば、五百年、千年前に生きていた時代の、当時の言葉を語らせることが出来るなら、「なる程、当時の言葉を喋っているから、その時代の生活体験があるのだな」とわかる。ところが、知らない言葉でいくら喋ってみせても、チンプンカンプンで何んだかサッパリわからない。わからなければ信じることは出来ない。そこには何か客観的な、第三者的な証明がなければ信じることは出来ない。
そこで信次師は、客観的な証明方法として交叉証明という方法をとった。それはこうである。例えば、ここに二千五百年前に古代インドに生活している人がいたとしょう。これをAと名付ける。また、同時代に同じ国に生活をした経験のある人、Bがいたとする。AとBは、決して面識があってはならない。もしAとBが知り合いだと、客観性がなく証明とはならない。そこで、AとBは一度も会ったことがない人が選ばれる。信次師が「光を入れる」と、二人は語り始める。当時の言葉で会話をはじめる。魂の感動と懐かしさのために、涙でグシャグシャである。
十%の表面意識で人生を送っていた現代人が、何千年か前の潜在意識の心の窓が開いて、現代では習ったこともない言葉を喋り始め、当時の思い出話に花が咲く。講演会の聴衆者は、二人の会話はチンプンカンプンでわからないので、信次師の解説がはいり、聴衆者はわかるという具合だ。手を取り合って再会を懐かしむ人、当時の踊りを見せる人、中国のお坊さんを過去世に持つ人は、当時の中国語でお経をあげてみせる人、古代ギリシャの当時を語る人など、等である。このように、生命の輪廻、つまり魂、意識が輪廻し、生まれ変わり死に変わりしているのであれば、人間はその過去世を思い出せるはずである。魂の永遠性を証明する実験として、会場の聴衆者の中から、或いは弟子達の中から信次師は登壇させる。または会場の中へ割ってはいり、その場で現証を実験する事もある。信次師は手のひらをその人の方に向けるが、登壇者の近く(一〜二メートル)でする場合もあれば、十数メートルも離れてする場合もあり様々である。そして、その人の過去世で使っていた当時の言葉で語りかける。この場合、信次師はその人の過去世がわかる力を持っており、当時の中国語で、そして古代インドのコーサラ語で、そして当時のギリシャのヘブライ語等で、その人の魂に呼びかける。
初めての人は日頃、日本語を使っている。同じ声帯を使って当時の言葉を話すのだから、とまどうようである。日本語を喋っていた人が同じ声帯を使って、ヘブライ語などを喋るのだから、とまどうのも当然だが、しばらくすると自然に喋りはじめる。当時の魂に呼びかけられた懐かしさに、皆、涙、涙である。催眠等というものではない。現代の人間がはじめて耳にするような古代の言葉で語りかけて催眠になり得ない。「心を統一して下さい」と信次師は言い、当時の古代の言葉で呼びかけるだけである。それもほんの数秒間。これでは催眠になりようがない。
そして、催眠というものは、その間、何が起こったか、何を喋ったか覚えていないものだが、この過去世の言葉を喋る霊道現証は、一から十まですべて覚えていることも催眠とは異なる理由の一つである。

「催眠術の是非」 高橋信次
催眠術とは意識を眠らせ、心を一カ所に集め喪失の状態にさせてしまうもののようです。催眠術は医学の一部で取り上げられているようですが、その歴史をたどると、遠くはヨガから来ているようです。催眠術者の過去世をみると、大抵、肉体行をやっています。霊媒の多くが、過去世で肉体的修行に明け暮れた人であるのと似ています。催眠術とは意識を眠らせること、それを暗示の力、念力でやります。今まで右側を走っていた人を念力で左側に走らせようというわけです。ものにはすべて等速度運動が働いています。かけ足で急に止まろうとすれば倒れてしまいます。催眠術は、たとえると、そうしたことをやろうというわけですから、結果はどうなるか、もうおわかりでしょう。 催眠術によって小心が大心になった、ドモリが治った、ノイローゼが解消した、ということがあるそうですが、ある人は一時治ったかにみえても、かえってノイローゼが悪化したと訴えて来ます。心のスモッグ(我欲)を払わずに、それを念の力で押しこんでしまうと、反作用が出てきます。霊的には、その人の心・意識を他界者が占領します。催眠状態がひんぱんに行われると、他界者(註・あの世の霊)が、その人の意識に、より入りやすい状態になり、二重人格を形成していきます。つまり性格が変わっていくのです。テレビなどで、催眠術の物すごい実験がときおり行われたりしますが、催眠術師の背後では、仙人界のかつての行者が演技しています。念力は人間に与えられた能力ですが、正しく使わないと大変危険なものです。正しく使うには正見、正思、正語(八正道)が実践されていなければなりません。小心を大心にするには、まず心のスモッグを払うことからして下さい。人間は誰しも丸く大きな豊かな心を持っているのですから、あせらず、なまけず、中道という正しい道を歩むことが大事です。 『心眼を開く』
さて、高橋信次師の古代の言葉に即応して登壇者は同じ言葉で語り始める。会場の人達は何を喋っているのかチンプンカンプンでわからない。フランス語を学んだこともない人が、フランス語の会話を聞いているようなものと解釈すれは良い。その内に、信次師が日本語で説明する。そして、「肉体を持っている人よ、その言葉を日本語で語りなさい」という威厳のある言葉をかけると、古代の言葉から、今度は片言の日本語にかわる。そしてその内に、流暢な言葉にかわってゆく。こうして聴衆者も会話の意味がわかるという具合である。タイム・スリップしたような感覚に陥るが、それも面前で何のトリックもなく、ごく自然に行われる。今となっては、ビデオかテープでしか知る術もない。当時の古代語を喋べることは「異言」といっているが、釈迦の時代、イエスの時代にもあった。人間は生まれ変わり、死に変わりするのだということの証明のためには、その当時、生きていた時代の言葉を、登壇者を介して、信次師は証明して見せたのである。この世限りだと思っている人が余りにも多いので、霊魂は不滅だということを証明するために、講演会の度に必ずみせたわけである。そのような信次師の広い大きな心をも考えず、師の持った霊能力にのみあこがれて集って来た人達が多くいたことは残念に思う。信次師の生前、霊道を開いた人が百人以上いたと言われているが、信次師の昇天前から、そして、昇天後いとも簡単に教えを捨てた人が多くいたことは誠に残念だが、高橋信次師は、そうなるだろうと見通していた。次の言葉を参考にしていただきたい。信次師は、「霊道を開きながら、心を動かす者があるであろう。心を動かした者は、憑依霊か悪魔であると思いなさい」という厳しい言葉がある。
次に、高橋信次師の言葉を聞いてみよう。
「 私達には、私をはじめ、百数十人の霊能者が輩出し、過去世の言葉を語ります。その言葉は、中国、インド、チベット、イスラエル、エジプト、インカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシヤ、スペインや遠い過去のアトランティス帝国や、太平洋に沈んだムー大陸時代の言葉など多種多様です。それは、生命が転生輪廻していて、私達の意識の中には、その過去のこともすべて記憶されているからである。これらの言葉を、現世では習ったこともなければ学んだこともないのです。それなのに、自在に出てきます。私自身は各国語がわかり、従って自由に話し合います。また、そうした霊能者は、当時の言葉を、自分で翻訳し、人々にもわかるように、日本語で自分の過去を語ります。それは、まことに楽しいものです。ある者は中国の天台山で経文をあげたことがあり、法華経が中国語で出て参ります。本人自身は経文を習ったことがないのに、一つの間違いもなく出てくるのです。またある者は相手の心がわかり、現在その人が何を考え、何を思っているか、病気があるとすれば、その病名まで指摘します。霊視のきく人は数十人にのぼり …中略… 私達には釈迦に関係のあった人、イエス関係の人、モーゼに縁の深い人が集ってきています。」
人間はこのように生まれかわり、死にかわりして、色々な場所に肉体を持って魂の修行、魂の勉強をしている。日本人は、今までに外国と戦争をし、血を流してきた。日清戦争では中国と、日露戦争ではソ連と、そして第一次大戦、第二次大戦では数多くの国と民族と戦った。転生輪廻を通しての肉体遺伝のつながりの中で、自分の子孫と戦ったことになるのである。なぜなら、過去世で、中国にそして、ソ連に、色々な国に生まれているのだから、戦争はこの意味に於ても、まったく愚かなことなのである。
「異言と憑依霊」
異言を語る集団について、ときどき記事になることがある。正しいものであればそれで良い。中には外国の地獄霊が憑依して、あたかも古代の言葉を喋べるかのような現象をみせた例もあるので、正見することが大事である。要は、その人達を良く観察してみることである。正しい霊能者は人格的にも立派でさわやかである。
また、過去世の言葉を喋る現象は、現世の肉体の一部である脳が、過去世の言葉を記憶しているはずもないし、この肉体は現世の両親の特徴を持った肉体遺伝に過ぎない。それでは、どうして過去世の言葉を喋れるのかという疑問が残ると思う。それは肉体以外に、過去世の当時を記憶した霊魂の存在があるからである。心の窓を開くと当時の記憶がよみがえり、過去世の言葉が口をついて出てくるのである。人間は皆、過去世を思い出す能力を持っていたのだが、「愚痴」、「怒り」、「足ることを知らない欲望」という「心の三大悪」のために、その能力を閉ざしてしまったと高橋師は教えている。その能力を閉ざしてしまった現代人に、高橋師の力によって強制的に過去世を思い出させたのである。
高橋信次著『人間釈迦』にみる、「心の窓を開く」ということ。
「ブッタは観自在(註・あの世もこの世も過去世のことも全てがわかること)となり、身体からは絶えず光を放っている。すると、ブッタと過去世に縁の深かったものは、この光によって心の窓が開かれ、現世の記憶を飛び越えて過去世の記憶が甦えるのである。過去のことが、昨日のことのように思い出されてくる。」
次に「過去世の言葉を語る霊道現証」の一例をあげる。
「ティエッセカヤッソコラ ウテエセカンパルクア ティンティウラー。ワティクラスクオラアンターアセンパラティーウラカヤスティムウーター。ニクアルクラッソー。…」
(私はあまり皆さんの前でお話しはしたことがございませんので、日本語でお話しするのはちょっと大変でございます。…)
著述家の上之郷利明氏の記述を紹介したい
「また、東京の日比谷公会堂では、こんな光景が演じられたこともあった。超満員の日比谷公会堂で講演する「先生」は、二十歳前後の女子大生風の女性を演壇に招き寄せた。彼女は「先生」の導きに従って自分の「過去」を語り始める。「パパヤ、ディダラカティ…」「私は二千五百年前、中インドのカパリという国で、マハー・ナーマーという男性として肉体を持ちました…」
古代インド語で自らの「過去」を女性が語ると、「先生」がすかさず通訳する。やがて、その女性は会場に向ってわめき始めた。すると、今度は五十年輩の男性が、シーンとした場内の雰囲気を破るようにすっくと立ち上がると、演壇のほうに駆け寄ってきた。女性と同様、古代インド語を使っているのだろう。二人は話し合い、舞台中央で固く抱き合った。女性は涙さえ流している。「先生」の説明が入る。「二人は二千五百年ぶりの再会に感激しているのです。二人は当時、従兄弟同士だった…」こうした光景がいたるところの会場で繰り広げられる」 『教祖誕生』

高橋信次「 霊道現象は、聖書の中の使徒行伝第二章と、華厳経十地品に記録されており、その記録がまったく事実であり、現実にも起っているのです。「私は、いつどこで生まれ、兄弟が何人いて、そこで正法を学んだ。その時の同志、友人が現在、ここにいる。誰と誰がその人達です」と、はっきりと実証されます。そうして、その実証を裏づけるいくつかの参考となる現実的事実も指摘されます。霊道現象は、魂の永遠性を証明する現証の一つです。八正道を学ぶことによって、般若波羅密多、つまり内在された偉大な智慧がひもとかれて行きます。 」
<聖書の中の転生輪廻・輪廻転生と 過去世のことば>
「使徒行伝第二章に弟子達が様々の各国語をペラペラと語り出すことになっているが、この異言こそ過去世の言葉を語っているのです。」 『心の対話』
高橋信次「イエスは転生輪廻そのものは語っておられませんが、これには一つは伝道期間が短かったこと、第二に輪廻の認識が当時の人々にはとぼしく、かえって誤解を招くこともあったからです。しかし、神理の中に輪廻の姿を随所に語られています。」
<異言と使徒行伝第二章>
「五旬節の日が来て、皆の者が一緒に集まっていると、突然激しい風のような音が天から起り、一同が坐っていた家いっぱいに響き渡った。また、舌のようなものが炎状に分かれて現われ、一人一人の上にとどまった。すると一同は聖霊(光の天使達)に満たされ、御霊が語らせるままにいろいろの他国の言葉で語り出した。」
<仏教にみる転生輪廻>
「転生輪廻については、仏教でも証明されている。華厳経十地品の中に、日々の生活修行の中で心を調和させることにより、神理を語り、自分の輪廻転生の過去を知ることができる、と記されている。」 『心の発見』
また、空海の「般若心経秘鍵」の中に、私はインドの当時、リョジュセンで釈迦牟尼仏の説法を聞いたことがあると書き残されている。釈迦は今から二千五百年前の人であり、空海は千百年ほど前の人であるから、空海は著しく霊能を顕した人であったので、自ら心の窓を開いて過去世を思い出したのだろう。
「霊道を正しく見よ」 高橋信次
「 まず一番大事なことは、そうした現象にとらわれず、現象を現わしているその人の私生活、性格、人柄、そうしたことを知る必要があるということです。過去世の言葉を語り、霊道現象が現われたといっても、それが本物かどうか、普通ではわかりません。守護霊や指導霊が背後にいて、そうした現象を現わしているとすれば、その人の日常生活は普通の人と変わらず、それでいて、キチンとした生活を送っているはずです。また神理も悟り、説得力も持っているでしょう。ところが自我が強く、欲望は人一倍であり、中傷や人を非難することが平気であれば、古代語は部分的には本当であっても、背後霊は、竜か他の動物霊とみて差し支えありません。こうした霊がその人を支配している時は、その考えも行動も一貫性がなく、その場その場の思いつきになるでしょう。霊道現象というものは、滝に打たれ、神社仏閣などで行を積むなどの念力によって開くのと、正しい生活行為にもとづいて開くのとがあります。また、ノイローゼや精神病も霊道現象なのです。そして、人によっては、突然霊現象が現われ神がかりになる場合もありますが、こういう場合は大抵、過去世で何らかの行を積んでいることが多く、その人の心の状態いかんで、守護霊が出る時もあれば、動物霊が語ることもあります。しかし、普通は正法を知らずに霊道を開くのですから、まずほとんどの人が動物霊の支配下におかれ、不自然な言動が多くなり、行者の末路といわれるような結末になるのです。モノが当る、病気を治す、霊力がすごい、というだけでその人を信じてはいけません。まず常識的に判断し、霊力を持っているその人の言動をよく確かめることです。もし、その人が正道に適う生活を送り、謙虚で、愛に満ち、人々を善導しているならば間違いはないでしょう。しかし、こういう人は少ないのです。どうしても肉体中心的な考え、行動になって行きます。こういうことで、これからも、そうした古代語らしきことをしゃべる人が出てくると思いますが、その霊道現象をうのみにせず、それが本物であるかどうか、正法に照らして、見る、聞く、考えることです。 『心眼を開く』
「古代語と園頭広周師」
昭和六十年、園頭師自から引率するインド仏跡巡拝の旅でのナーランダ大学跡でのこと。M氏がインドの女子大生の写真を撮った。忽ち三十名ほどが集って来た。そうして集っている女子大生に、案内のギルさんがナーランダ大学の説明をしていた。そこへ園頭師が行った。「このインドの女子大生達に古代のマガダ語で話せ」という天上界からの指示があったというので、園頭師はナーランダ大学跡の解説をし、「あの塔は舎利弗即ち私の塔だ」と園頭師は言った。女子学生達は驚ろいて、写真を撮ってくれ、サインをしてくれと大騒ぎになった。園頭師はその写真を送る時に、一緒に英訳の「心行」を送ろうと思っている、と書いている。
昭和六十一年第一回ハワイ研修でのこと。園頭師は、瞑想禅定の方法を説明し、精神統一に入った。三十分位瞑想禅定した後で、園頭師は、参加した人々に古代インド語で呼びかけた。日本から行った人も、アメリカの人達も、皆、感動に打たれて泣き出してしまった。「その感動がどんなにか激しく、素晴らしいものであるかは体験した人でないとわからないであろう。」、と。
「古代語と困った人達のはなし」
昭和四十九年、九州の佐賀での高橋信次師の講演会でのはなし。「霊道現証」の時間、信次師が「この会場にも過去世のわかる人がいます」と言った。すると突然、一人の女性が「わたくしは、菅原道真の妻でございます」と始めた。園頭師は、それは芝居でウソだと見破った。「このような人が出てくると困るので、私は霊道現象はやらないし、霊的なことは言わないようにしている」と園頭師は言う。そして、「正法は日常生活に実践すれば、必ず奇跡は起きるし、起こすことができる」と言うのである。
次に、ジャーナリスト・内藤国夫氏が、国際正法協会会長・園頭広周師を取材中のこと。昭和六十二年三月号『月刊現代』より引用する。
「 講演の途中、休憩室で私と雑談中の園頭会長に対し、中年の女性がいきなり跪いて、わけのわからない言葉で祈りを捧げるのを目撃した。園頭氏が苦笑して解説したところによれば、あれは私(園頭会長)の気を引くための演技で、インチキ古語ですとのことであった。」
高橋信次師は「人間は、この世限りではないのです。いい加減な生き方をしていると、いつの日か必ず反省しなきゃならんのです。だから、その日、その時を正しく生きなければならないのです。」ということを全人類に示したのである。そのために、皆んなの前で、過去、生活をしていた当時の言葉を語らせたのである。 高橋師は「これからも、古代語らしきことを語る人も出てくるであろう」と、予告している。あの世の動物霊や地獄の霊達は、人間が関心を持ちそうな、興味を引きそうなことを言って、その人にとり入り、次には、その人を支配してゆくのである。神の子の人間が、あの世の動物霊や地獄の霊達に、コントロールされるとは何んと愚かなことか。 高橋信次師は「行者の末路」という言葉で説明しているが、人類を正しく導く使命を持った高橋信次師は、最大級に残念がり修正を求めたのである。

〈質問の時間はこうだった〉
聴衆者からの質問は、仏教やキリスト教等の宗教から、霊現象、科学や医学などの専門分野に至るまで多岐に分かれた。質問を受けると、信次師はちょっと意識の中に解答を探すかのように考え込む。間を置かず「ハイ、わかりました。」、と自由自在だった。どのような質問にもなぜ答えることが出来るかと言えば、その専門分野の指導霊が入れ替わり立ち替わり自分に教えてくれるので、答えることが出来るのだと言っている。
「信次師は、講演中、どのような質問にも答えることができた」
「 私は、講演中あらゆる質問を受けます。質問をうけても答えることが出来ます。なぜ出来るのか。指導霊や守護霊が協力してくれるから、私は皆様に話せるのです。私達は原稿などありません。何処へ行っても、身軽に講演をしています。ところが相手は、医学者は医学の専門の分野で質問をしてきます。科学者は科学の分野で突込んでまいります。私は万能ではないから、こうした質問には答えられるはずはありません。科学者にはその専門の指導霊が私にポンと這入って来ます。これは皆様の中からも心の目を開く人達が出て参りますが、その人達は、今皆様の普通の目で見れば高橋信次というイメージしかありませんけれども、私の意識を支配する光がポンポン飛び交うのが解ってきます。更に前進すれば、その当時の姿をした、その物ズバリの人と交替しているのが解ります。だから、兎も角私達の意識はいかに重要なものであるか、肉体に抵抗があるとこれは出来ません。その故に本当に守護霊があるかないかを自分が知り始めてきた時には、本当に驚きです。今迄そのように頭では学問的に勉強して知っていたけれども、実際にそういう体験をすると身にしみて分かります。そうして、心をきれいにしなければいけないということを発見すると思います。それまでは、気がつかないから、いろいろと修行の行の字を間違えてしまって、人間はいろいろなところで、暗中模索し自分を見失ってしまうのです。それだけに又宗教は阿片だという事です。ですから私は、話せず聞えず見えないなら、拝む対象物に手を合せるなというのです。ただし、神理は普遍的であるから、その神理をどこからでも突込んで見て成程という自信を持った時に、それこそ神理は光となって我々の心の中に大調和を与えて行きます。それですから、我々のグループの中に、心をきれいにして実践をしている人達の心の窓が開かれているという事は、素晴らしいことです。これは皆様だって例え喋れなくとも、霊感という感能は持っているのです。 『高橋信次講演集』

新・事実
次に信次師が明らかにした「新・事実」を列記してみよう。
「信次師は宇宙全体を観る力を持っていた」
● この宇宙には七つの星に人間がいる
信次師は、この宇宙には七つの霊圏があり、これから百年位したら、他の天体に人間がいることが発見できる。現在の地球の科学は、他の天体に人間がいることを発見できるまでには発達していない。この地球を中心とした霊圏を指導しているのがアガシャ系であり、今、このアガシャ系が一番早い速度で霊的に進歩しつつあると信次師は言い残した。 信次師は、この宇宙に七つの霊圏があると言い残した。ということは、この大宇宙には、七つの星に人間が生活していることを意味するのだが、他の講演では、人間は、どの星の人間であろうと姿、形は我々と全く同じであることを明らかにしている。そしてこの宇宙に、七つの霊圏があることは、リチャード・ゼナーの交霊通信をマトめた『天と地を結ぶ電話・日本教文社』、『アガシャの霊界通信・正法出版社』 でも書かれている。平成四年六月に次の報道があった。
「銀河系に7つの太陽」
米航空宇宙局は、ジェット推進研究所(JPL)は平成四年六月十一日、銀河系の中に、太陽のように周囲に惑星を持つ可能性がある星を七つ確認した、と発表した。七つの星に人間が住むためには、その中心となる七つの太陽が一つの条件になる。愈々、信次師の予告が証明されて来るのだろうか。
● この太陽系に十惑星の事実
現在、太陽系には水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の九つの惑星があると、一般に知られた常識であるが、信次は「もうしばらくしたら十惑星の事実を人間は知ることになるでしょう」と言った。
● この地球に月以外の衛星が飛んでいる
「地球には月以外の衛星が飛んでいる。それもやがて発見されるでしょう」と信次師は言い残した。地球にとって、いや我々にとって一番近いはずの月以外にもう一つの衛星があるなんて、そんな馬鹿な。天文学には一つも理解のないウエブ・マスターにとっても、これは少々の驚きではなかった。毎日、光学望遠鏡で、或いは電波望遠鏡を観察するプロの天文学者にとっては、まったくの「青天の霹靂・寝耳に水」の思いであろう。次のような仮説を立ててみた。我々の視線から隠れて動く衛星。それは我々から見て、月の向う側に同調して動く何か…。地球から見て、月の向う側に隠れて動く衛星がもしもあるとすれば、それは我々にとって確認されるはずもない。太陽と地球、地球と月の自転公転から割り出した「時間」というものは、十万年に一秒ほどの狂いしかない。この地球と月とこの未知の衛星の運動は精妙に調和され、コントロールされているのに違いない。だから、この地球から見え隠れすることなく、月が我々の視線を遮断しているために、永い間確認出来なかったのであろうか。確認する方法があるとすれば、ロケットに乗って月の裏側に廻るか、或いは何か特殊な機器によって確認出来るかもしれない。だが如何せん、ついこの間、月には着地したばかりの科学だから。しかし、いつの日にか、真実が明らかにされる日が来るに違いない。大本教の出口王仁三郎は「月以外の衛星」について記述を残しているが、この人は宗教の誤りを覚醒させる使命のあった菩薩界の人、と信次師は言っている。それだけに彼の霊的な預言も無視できない。
● 宇宙には真のメシヤが何人も出ている
「 宇宙には神は一つです。エル・ランティと同じような、宇宙に真のメシヤという人達がおります。宇宙が一つに成る為に、真のメシヤは、この宇宙に数人、現在出ております。そして太陽系からも我々が、このようにして出ております。遂に、過日はM37という星があります。M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤは遂に、自分自身を悟ったというのは、太陽系の中の軌道修正コントロールセンターというのがあります。太陽系の軌道を修正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。その中心の心臓部に伝達があるわけです。宇宙的ですね。太陽系で一人悟っております。M37で悟っております。M27、M37に出ております。このMというのはメシヤという意味でつけたようですね。」 (昭和五十一年、五月と六月の高橋信次講演の要旨)
● 病気と霊視
私達霊能者が、心眼で人々の体を見ると、悪い部分が、天然色で眼の前に映し出される。そのことを伝えると、患部を持つほとんどの人々は、その映し出された部位が悪いという。それは医師の診察の結果とも全く一致しているのである。また、医師が診断して不明であった病状を知ることもある。 『心の発見』 高橋信次
● 酒飲みと憑依霊 ●
酔っぱらっている人々も、一〇〇%憑依霊が支配している場合が多い。酒は良薬、のうちは良い。だが、狂気の水に変わってしまうと憑依霊の媒体になることが多いのだ。節度が必要なのである。 また、アルコール中毒患者などには、ほとんど地獄の霊が憑依している。酒好きな人は、通勤の帰途、仕事が終った時など赤提灯を見ればつい足が向く。節度のあるうちはまだ良い。しかし次第に量が増え、遂には酒に呑まれてしまう。酔って家へ帰る頃には、その行動も解らぬようになる。無意識の状態は、他の霊に肉体を支配されていることがほとんどである。そうした憑依霊は、現象界で肉体を持っていた時、酒におぼれてこの世を去った者達で、彼らは未だにその生活に未練と執着を持ち、生きている同類の意識を支配して酒を飲ませてしまうのである。自分の地獄における生活が苦しいから、現象界の人に憑依して、その苦しみから逃れようとしているのだ。人間の心が不調和になるに従って、彼らの力は強くなり、人々の心をむしばんで行く。だから、人間は神理に適った心を強く持って、憑依霊の誘惑に打ち克たなくてはならない。己自身に厳しくなることが大切なのである。人間が正法を悟り、実生活に生かす心を持てば、憑依霊も救われることになるということを忘れてはならない。(酒を飲んでいると、突然人が変わったように目が据わり豹変する人を正見すること)
● 「神かくしは本当にあった」と信次師は言い残した
信次師は霊魂の光の量の区域として、上段階から如来界、菩薩界、神界、霊界、幽界と分類したが、霊界から神界の裏側には天狗界、仙人界があり、肉体行によって法力だけを学んでいる、本当の悟りからはほど遠い者達の世界があると言った。
仙人界、天狗界に通じている人々は、自己本位である。人里離れた山中での肉体行の中から自分自身の孤独な悟りを開くが、これには慈悲も愛もない。過去世においても同様のことをしている。転生は肉体業の業(カルマ)を持っている。その生活は独善的、自己本位で、心は狭く、その生涯の果ては哀れなものが多い。動物霊に支配されている者が少なくないからだ。彼等が、現象界の分身や本体の霊道を先に開いてしまうから、そのめに同じ生命の業(カルマ・心の傾向性)を造り出してしまうということで、神理を悟っていないため、不調和な霊を呼びこんでしまうのである。肉体的荒行をしている生命も、だから霊的現象を起こすことはできる。しかし、それは悩める衆生の心を救うことはできない。六根の清浄は言葉のみで、心の調和はできていないのだ。
彼等は、肉体行の目的が、六根清浄になる行法であると考えている点に、大きな誤りがあることを知らない。肉体行の苦しみが心を不在にし、そのすきに不調和な霊は忍びよってくるのである。肉体苦行で悟り得たとしてこの現象界を去っても、行きつくところは仙界、天狗界であり、また同様な苦行の繰り返しをするだけのことで、この人々は、決して光の天使の住んでいる世界へ行くことはできない。なぜなら、人生航路の乗り舟に翻弄され、遂に慈悲と愛の心を持つことはなく、衆生にもそれを与えることなくこの世を去ってしまうからである。
一八〇〇年頃より以前には、仙界や天狗界の住人達が、肉体修行の実力を試すためにこの現象界に姿を現わし、人間を連れ去って行くものが多くいた。そして今度は、その人間達を戻すことができず、大変な騒ぎを起こしたことがあった。このために、上段階光の指導霊や大指導霊達によって、その力を封印されるということがあったのである。しかし、その取り締りのため、最近はそんないたずらもなく、現象も起こっていないはずである。このように、肉体行の業を修正するために生まれてきた神仏の子も、この現象界で惑わされることが多く、正法を悟らず、遂に動物霊に憑かれて、自ら不幸を作り一生をすごしてしまう人が多い。 (高橋信次)『心の発見』
一八〇〇年頃より以降は所謂、「神かくし」は無くなっているはずだと信次師の記述である。一八〇〇年頃といえば、江戸時代の終りに近い頃であるが、それ以前から伝わる民話、昔物語等の地方に伝わる「昔ばなし」の中には、神かくしの話が各地に残っている。伝説上の話とばかり理解されていたが、「神かくしは事実だ」と、信次師は明らかにした。「天狗」「神かくし」等を明らかにしている事実をよくよく考えてみると、各地に伝えられる「昔ばなし」は、物語の世界だけの話ではどうもなさそうである。少し前にはテレビの「日本昔ばなし」を見たことがあるが、現代の常識からすると、どうも理解しにくいという「はなし」なら、「霊の世界の真実のはなし」と考えて間違いなさそうである。神話や民話は霊感、直観によって書かれたものが多い。だからこれらは霊感、直観によって理解しなければならないのである。
● 信次師は、ある人を媒体(霊媒)として「光の天使の言葉」を語らせた
ある人を媒体として、目的とする人の言葉を語るのはイタコや霊媒者によくあることだが、信次師は、ある人を霊媒として「光の天使」の言葉を語らせたのである。光の天使が、その人に出る(降霊する)からには、その人の霊格は同等か、それ以上でなければならないと信次師教えた。これはどういうことかと言えば、低段階である幽界の霊媒は、上段階である菩薩界の霊を入れることは出来ないと言うことである。また、菩薩界の人を降霊させるには、霊媒は菩薩界かその上の如来界の者しかできないということである。しかし、証明のために信次師の霊力で、上段界の光の天使を強制的に降霊させることがあった。ところが、過去世の言葉を喋ったり、霊道現象をできた人が、信次師の霊力によって行えたということを忘れ、それは自分の力と過信してしまったのである。その為に増長慢となり正道を誤った人がいて、信次師が亡くなると多くが霊能を閉ざしてしまったと言われる。それは至極当然なことだろう。
● 信次師は、光子体の姿で地上界の色々な所へ行った
信次師は、地球上の色々な場所へ、光子体の姿(幽体離脱、意識)で行った。我々の肉体は、原子肉体と光子体が不離一体となって重なり合っている。信次師は、禅定瞑想中に、肉体はそこにあるが、光子体が肉体から抜け出し、光子体のままで自由に地上界を往来した。それを列記してみよう。
〈幽体離脱その一〉
「ニューヨークの大谷さんが遂に悟りましたよ。わたしが意識で行ってみると、彼はニューヨークの公園の石の上で禅定してるんですよ」
〈幽体離脱その二〉
「肉体から抜け出した〃もう一人の私〃(光子体)は、現世のエジプトに行ったこともあった。空中から風景を見ながら、都会の名前が解らなかったため、駅の近くには表示があるだろうと思って駅を探した。するとその駅には、ローマ字とエジプト語でカイロと記されてあった。このように、心が調和されれば、見たいと思う場所に肉体から抜け出して行くことができるのだ、ということが解明された。インドにもたびたび行き、石窟寺院の壁画を見てきたこともあった。私の指導霊ワン・ツー・スリー(モーゼだと信次師は言った)は私達の肉体から抜け出した〃もう一人の肉体舟〃は光子体であるということを説明してくれた。」
〈幽体離脱その三〉
「私はこのようにして、よく禅定中に、上空から風景を眺めたり、しぶきがかかる海上をものすごいスピートで飛んでいったりします。肉体の自分がそのまま経験しているのと全く同じであり、したがって金のかからない旅行の楽しみを味わうことが出来ると言えるでしょう。」
〈幽体離脱その四〉
「過日は私達の仲間が中国に出ていることを通信されました。私は昨年(一九七四年)の十月を通し、中国の我々の仲間の所へ行きました。この人達は台湾の国立医科大学の先生を始め、その出身のお医者さんばかりです。彼等の所へ私は夜十時、肉体から抜け出して光子体で彼等に神理を説き、そして、ついに彼等は心の窓を開き、我々とコンタクトするようになりました。彼等の心の中に法灯が点されたために、今は主としてアメリカに行っております。アメリカは先月の二十七日から行きました。二十八日の晩に、アメリカの、私が五年前に予言していたところのニューヨーク、マンハッタンというところに住んでいる方とコンタクトがつきました。(先述の大谷氏)そして、私は、夜、心で神理を教えております。彼もその自覚にめばえております。この方は日本の新聞でも相当名前の通った方です。こうして彼等の心の窓は開き、次々と真実のものは伝わっていきます。これから私の説いた教えは、アメリカに渡っていきます。むしろ日本よりか私の説いている神理はアメリカに広く拡がっていきます。しかし、私はあくまでも私が説いているのではありません。私は代弁者なのです。私はただの電気屋です。電気のことならわかります。宗教のことはわかりません。しかし、私達のバックには、実在界の光の天使達が次々と疑問の点を明かしてくれます。それを又、証明してくれます。皆さんも、自分の欠点を自力によって心のスモッグを払った時に、あたかも太陽が誰にも美しい光と熱を与えて下さるように神の光明も又、自らの心に光を受けることが出来るのです。 (一九七五年、中京秋季講演会)
その外、講演の中で信次師は、映画視察やある人の行動をながめたこと等の話があるが、次は、帰天直前の一九七六年四月両国日大講堂に於ける「GLA七周年記念講演会」から参考にしていただきたい。
「梵我一如、宇宙即我、幽体離脱」
心の中の感情や智性や本能が調和されてくると、心の中のスモッグがなくなってくるから、神の光によって満たされて、この心の調和度の光は、どんどん大きくなって宇宙大になり、後光は宇宙大になります。そこで宇宙は自分の膝許に、更にまた、宇宙は自分の中に入り、そうすると初めて宇宙は自分だということになりますね。これを梵我一如というのです。そうすると、禅定というものをして心を統一して、心のスモッグが取り除かれていきますと、原子肉体に対して光の肉体、つまり光子体がどんどん大きくなって、この講演会場の建物より大きくなっていき、空を抜けて、この建物が自分の膝許に見えるようになり、更にまた調和されてくると、この建物よりはるか上の方に自分が大きくなって、地球は自分の下に、そして、地球よかもっと大きくなると、飛行機が飛んでいるのが下に見えるようになり、もっと大きくなりますと、地球がはるか彼方になりまして、地球は青かったということになり、お月様よりもっと高くなる。こうして自分が宇宙になってしまう。これが宇宙即我というわけですね。善我なる自分、心の中のスモッグを除いて、偽りの我を全部捨てて、苦悩を全部取り払ったからなったわけで、奈良の大仏さんは、どうしてあんなに大きく造ったのだろうと皆さん思うでしょう。それは、あの奈良の大仏さんのような広く大きな心になれっちゅうわけなんですね。ところが今、大仏さんを拝むようになったわけですね。「汝、偶像を拝むことなかれ」とヤーヴェ(エホバ)が言いましたね。偶像を拝むんじゃないんです。ところがいつのまにか拝むようになった。それともう一つは、禅定中に抜けだしちゃうんです。抜け出す方法は、こうして抜け出しちゃうんですね。霊子線という、中道を歩いていると、こうして真直ぐ抜けるんですね。丁度、夏なんかに雲があって、そこから光がパーッとさして、サーチライトのように下を照らしていることがありますね。あれを思い出して下さい。あのように天上界から光がパーッと出ております。あの世へ帰る時に、その光の中を真直ぐに、その真中を帰れる人と地獄の遠道をして帰る人と、それは皆さんが自分で決定するんです。生き具合によって、この地上界の、それは思ったこと行ったこと、その結論は皆さんが出すんです。それと同じように心がきれいだとね、この霊子線という、この天上界からの光の束は、こうして自分の意識線から抜け出して、禅定中に自分が抜け出していくことが出来ます。そして、例えば禅定しておって、自由にどこへでも行くことが出来ます。先づ便利なことは入国手続きもいりません。注射する必要もありません。飛行機のように墜落することもありません。」
