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 高橋信次師・園頭広周師に学ぶ                  

  「阪神大震災は何故起こったか」                              

                                                        

 平成7年1月、阪神大震災で約六千人が亡くなるという大惨事になった。幼い子供が、お年寄りが、働き盛りのバリバリの人が、愛の極致にあった新婚の人が亡くなった。繋がれていた犬が埋まり、木々が折れたり燃えたりした。また、鉱物の鉄柱も建物も壊れ一瞬にして瓦礫の山となった。人間も動物も植物も鉱物も壊され倒れ、何一つとして傷つかぬものはなかった。人間だけが傷つき倒れたのなら、それは許されるだろう。だが、動物、植物、鉱物に、人間は何と申し開きをするのだろうか。人間生活を共に協力する万生万物に対して、心から申し訳ないと言うのである。昆虫や、囲いに繋がれぬ動物は、地震を事前にキャツチして逃れ、傷つくことはあり得ない。

ウエブ・マスターは次のように言いたいのである。「人間に反省を求めるために天は地震を起した。否、人間に地震を引き起こす原因があったので地震という結果が起きた。だから何も「大地」のせいではないのである。人間界に問題があった為に、自ら動くことのできぬ植物や動物は成るがままに犠牲になった。だから彼らに、心から謝りたいというのである。         

植物も鉱物も動物も、すべて「神の子」である。この万生万物は、神の生命、神のエネルギ−を分け持った神の分身、神の子である。独りよがりなことをする万物の霊長・人間に対して、地上を構成する鉱物たちが力を合わせて大地を揺り動かす。最も忠実な「神の下僕」は、左右に揺すったり上下に震えて人間に反省を促す。それもほんの僅かな時間。目的を終えたら、時間をかけて小震いしながら興奮を冷ます。そして彼等はいつも次のように思う。「万物の霊長の人間様達は、どうしてお分かりにならないのだろう。人間様が独り調和を乱すやり方は困るんだよな。植物さんや動物さんには、本当に気の毒だと思うけれどそれはそれで仕方ないんだ。」、と。    

こう述べると、あちこちから「なにが神の子だと?」、「冗談じゃないよ。なにが鉱物さんだ?」、「人災だと?天災に決まってんじゃん。」、「私の知り合いなんか、幼いお子さんと一緒に犠牲になったんだ。あんないい人達が犠牲になるなんて神も仏もあるもんか。逆なでなことを言うと、水ぶっ掛けるぞ。」、と聞こえてきそうな気配である。

「家族思いのあんな立派な人がナゼ、どうして?」、という疑問に答えることができる人は、学者にも、宗教家にも誰もいないと思う。本文に入る前に、はじめに高橋信次師の「ことば」から「偶然」をお聞きいただこう。 

                        「偶然」                      高橋信次

 

「人には運、不運が常につきまとうと言われている。道を歩いていて事故にあう、元気でいたのに病気をする。あれが欲しい、これが欲しいと思ってもそうはゆかない。運だとか、偶然だとかいっても、そうだとばかり信じているわけでもない。努力すれば運命は変えられるのではないかという心も持っている。人生にはあまりにも不確定の要素が多いようである。毎回繰り返すようであるが、私達のものを認識する認識は、普通その全体の一〇%、人によっては七、八%くらいでとまっている者もある。さらに重要なことは、人それぞれに過去世という魂の遍歴がある。その遍歴によって記録され、想念と生活行為がある。そのために、そういう記録された因縁によって、その人の気質がつくられ、性格がつくられ、能力などが形づくられてくる。同じ両親の下で育った兄弟姉妹であっても、楽天家もあれば内気な者もいる。これらは父母のその時々の精神状態なり、生活環境もあるが、実はそれも先天的な魂の遍歴に影響されている。もっとも、後天的な生活環境にも大きく左右される。偶然も必然も、こうした先天的要素を外しては判断が下せない。運命の予知とか透視も、一〇%の現在意識ではわからない。運命の予知が可能だということは、偶然ではなくて、物事が必然の方向に動いているということである。ただ、普通ではそれがわからないために、偶然とか、不運で片付けてしまうのである。現代科学は壁に突き当りながらも発展する途上にあるが、物質科学では偶然、必然は測定するには無理がある。なぜならば、人間は単なる物質ではなく、意識という心があり、その心の一部に記録された過去世の遍歴と、今世の想念と行為が因果をつくり出しているからである。偶然とか、運、不運を口にする前に、まず神の子の自分に立ち帰り、今を正しく生きることに努めることである。運はそうした中からひらけてくる。」

 

サテ、本論に入る前に、もう一つ園頭師の「ことば」がある。昭和六十年八月、「日航機墜落事故」があった。これを正法に照らして、どう考えたらよいか園頭広周師の論文から聞いていただきたい。                                 

「心の法則には偶然はない。偶然があったら法則ではない。偶然とは原因がわからずに、予期しない結果だけがそこに現われた場合に使う言葉である。なぜ偶然という言葉を使うかというと、そうなった原因がわからないからである。一つの原因だけに特定できない場合に「不確定性の原理」という言葉を使う学者もいるが、要は「私にはよく原因がわかりません」ということを学問的らしく言い替えたに過ぎない。高橋先生の説かれた「原因と結果の法則」即ち釈迦の説かれた「因縁の法」は、その原因によって、必ずその通りに現われるというのであり、偶然はないということである。そうして人間は転生輪廻、生まれ変わり、死に変わりする中で、それでもこの世に現われなかった部分は、さらに次の世(来世)に、また、次の世に現われるということになる。

 サテ、「偶然はあるのか」ということについて、日本人がもっと真剣に考えなければならない大事件が起こった。世界の航空史上初めての大事故で、生還者があったということで、連日、新聞テレビで報道され、その度に私の心も悲しんだ。痛ましいと思った。墜落の原因を機体の原因だけに求めているが、それだけでは原因の追及にはならない。この事件をきっかけにして、日本人はもっと心の問題を考えるべきであるというので、この「偶然」という題の高橋信次先生の「ことば」を取り上げたのである。 凡そこの世に存在するものは「色心不二」「心身一如」として存在するというのが釈迦の正法である。だから、なにごとによらず、心と肉体との関係として捉えるべきであって、物に関する原因だけを追及するのは唯物論的考え方に片寄っているのである。だから、日航機の墜落の原因を「物」の方面から調べなければならないのは当然であるが、「心」の原因を調べないのは片手落ちということになる。

 

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   墜落                         

      <物的原因> 

         o機体の点検、整備                 

      <心の原因>                       

       o関係するすべての人々の心の原因          

        o日航の精神的環境。社長、機長、スチュアーデスの心の原因                                 

       o乗り合わせた五二四人の心の原因

  として捉えなければならない。

 

 この<心の原因>の中には次の二つがある。

  一、今世に於ける心の原因

  二、過去世からの心の原因

 

 たとえ、機体のどこかに原因があったとしても、その異常が整備の段階で発見されていれば、またいずれは壊れるにしても、乗客が乗っていない時に何かのショックで壊れていれば、今度のような惨事にはならなかった。羽田を無事飛び上がって、丁度伊豆半島の上空にさしかかって事故が起きるような状態になっていた、その飛行機に乗ってしまった、というところには「類は類を呼ぶ」「類をもって集まる」という法則が働いている。それでは、そのようにして「心の原因」をもっと追及してみると                                 

一、高木社長の心の原因と運命

 高木社長の個人的な悪さが第一原因である。八月二十五日の時事放談で細川氏が「前の松尾静磨社長の時は、一〇年間一度も事故がなく、日航は世界一安全だと言われていた。それが今度の高木社長になったとたんに事故続出である」と言っておられた。長になるものは、個人的な欲望に依らないで、常に全体の運命を考えないといけないのである。私から見ると、高木社長という人は、個人的欲望が強くて全体の運命を考えていないと言える。三年前、羽田沖の墜落事故の時やめるべき人であったのであるが、「やめるだけが責任を取る方法ではない。あとの補償を考えてやらねばならぬ」といって居座ってしまった。人間はやめ際、即ち責任の取り方がきれいでないといけない。

(平成十一年一月、日本航空相談役で日本フイルハーモニー交響楽団理事長の高木養根氏は、八十半ばで亡くなったと新聞は報じた。氏はジャンボ機墜落の責任を取って85年12月、社長を辞任して相談役となったが、事故後は97年まで毎年、慰霊登山を続けられたという。)

 

二、機長、スチュアーデス等乗務員の心の原因と運命

 この墜落事故があった後に、パイロットの組合は賃上げのストをやると社長に通告していたと週刊誌が書いていたが、多くの週刊誌が、パイロットとスチュアーデス等即ち客室乗務員組合の横暴を書いていた。争う心を持っていると事故が起こるというのが、因縁の法則なのであるから、日航の労働組合はこの点について猛反省をしなければならないのである。これは日航の労組だけでなく、賃金の分配という金だけを目的とした唯物的な日本の労働組合全部が反省しなければならない問題である。

 

三、五二四人のそれぞれの心の原因と運命

 乗客五二四人(この中四人が生還した)は、それぞれ違った運命、過去世を持って、この世では良いことをした人達であったが、123便に乗り合わせるということで、一つに集まるという運命を避けられなかったということにある。亡くなられた五百人以上の人々は、その経歴、職歴が示しているようにまじめな働き盛りの、また愛深い人々ばかりであった。新婚夫婦で愛の極致にある人もあり、まして子供達は、この世に生まれてからなんの悪いこともしていないのである。そんな良い人達がどうしてこんなことになってしまったのか、この世のことだけで考えると辻褄が合わないのである。この世の中には、「あんな奴は早く死んでしまえ」と思われるような悪党で、結構病気もせずに金にも困らずに生きている人間も現にいるし、この世のことだけで考えれば「因縁の法則」は当て嵌まらないということになる。だから「正直者が馬鹿を見る」という言葉も生まれてくるのであるが、決して正直者が馬鹿を見ることはない。亡くなられた人々が、こういう事故に遭われる原因が、この世にないとしたら、その原因は過去世につくられてあったということである。確かこの事故は、肉体を中心に考えると、こんな不幸はないというほど不幸であるが、霊的に見た場合は、それは過去世からの業の総決算が行われて、それぞれ一人一人が 持っていた霊の重荷がすべて取り除かれて、霊が浄化されたということになる。

一瞬にして霊が肉体から脱出するということは、それだけ急激に霊が脱出しなければならない必要があったのである。霊の重荷とは、過去世からの業とこの世に対する執着である。ぼつぼつ火事が燃えてくると、家財などを持ち出すことが出来るが、一瞬にして火事になると、何も持ち出す暇もない。とにかく身体一つで逃げ出さなければならない。それと同じように、急激な事故で一瞬のうちに死ぬということは、一ぺんに霊が肉体を離れるということによって霊の浄化となるのである。だから遺族の人達は、肉体的な不幸を嘆いてばかりいないで、これを契機により一層霊が向上してゆくようにと祈ってあげることが大切なのである。また遺族の人々は、身近な肉親の死ということを目前にして、「死とは…」「人生とは …」「運命とは…」ということを真剣に考えて、魂の勉強をしてゆかなければならないのである。

この世では一見不幸と見えることが、あの世から見るとその方が良かったということもあり、またこの世に生きている人に、なんらかの教訓を与えて死ぬということは、それだけその霊にとっては徳となるのであるから、こういっては多くの人の誤解を招くのではっきり言わない方がよいのかも知れないが、亡くなられた人々は、霊の重荷から解放されて、それだけ救われたということが言えるのである。また、心の中でひそかに死の欲望を持った人もあった筈である。「こんなにきびしかったら、いっそのこと死んだ方がましだ」というのは、これも自分の霊が、この肉体から解放されたいという、死への逃避の感情である。

 サテ、四人の人が助かった。これはよかった。こういう場合、守護霊、指導霊達がその人を抱きかかえて、衝撃をやわらげてくれることがある。誤って高いビルの上から落ちた子供が助かったというのもそれである。この四人の人々は「なぜ自分が助かったか」をよく考えて、これからの人生を大事に生きることである。我々は「偶然とか、運、不運を口にする前に、まず神の子の自分に立ち帰り、今を正しく生きるように努めることである。運はそうした中から開けてくる。」この言葉が「運を開く」原則である。日本人は、世界航空史上最大の今度の事故によって、このことを学ばなければならないのである。日本人がそのことを学ばないならば、また別の方法で学ばなければならない事件が起こってくる。」と、園頭広周師は月刊『正法』に記述している。

「類は類を以って集まる」というように、その縁に逢うものは、その縁から避けられないと説き、もしそのような縁に逢いたくなければ、逢わないような心を持つか、またはそういう縁に逢うことになっていたとしても、それを修正する方法を知っていればよいことになると結び、完全な罪の浄化の方法を指導、教示したのである。

「高橋信次先生は正法を公開された。私はタダで教えてもらったからタダで皆さんに伝えるのである。過去世の業を修正する方法はこの方法しかないのである。この世に生まれて良いことをしたその力よりも、過去世に作ってしまった悪い業の力が強いと、良いことをしていても悪いことが現われるということになるのであるから、我々が幸福な人生を送るためには、良いことをすることは勿論、どうしても過去世の業を修正する方法を知っておかなければならないのである。」

 

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       「過去世の業を修正する祈りと方法」                園頭広周師指導

 「大宇宙大神霊、仏よ 

   〇〇に光をお与え下さい 

   心に安らぎをお与え下さい

私達は、神の身体であるこの地球上に、心と心との融合された仏国土、ユートピアを建設せんがために、この地上に生まれてきました。 然るに、この世に生まれた環境、その後の教育、思想、習慣、それらに依りて、ある時は怒り、ある時は憎み、ある時は悲しみ、自己保存、自我我欲に執われて、知らず知らずのうちに大きな罪を犯してまいりました。神よ、これらの罪をお許し下さい。

  実在界の諸如来、諸菩薩、光の天使

     〇〇に光をお与え下さい、心に安らぎをお与え下さい

    ( 註 〇〇は名前を入れる )

  この「これらの罪をお許し下さい」という祈りの中に、過去世に、また今生で、知らず知らずの間に犯した、また、今は既に現在意識では忘れているところの一切の罪をお許し下さいという、懺悔反省の心が込められいる。二度と間違ったことはしないという誓いと同時に、これからは良いことのみする、決して間違ったことはしないという誓いの心が込められている。高橋信次先生が、「反省は神の慈悲である」と教えられているように、知らず知らずのうちに、また、過去世の罪の業が潜在意識に記録されている人にとっては、この反省によって心の曇りを払うと、その奥即ち自分自身の本当の自分である神の子の意識の光が、外に輝き出してくるということになり、類は類で集まるという法則によって、暗いものとは波長が合わなくなって、墜落することになっている飛行機には、乗れないことになってくるということになるのである。しかし、そう思っただけではいけないので、行為する、行動することによってのみ霊の光は輝き出してゆくのであるから、正しいと思ったら、次は良いことを実行してゆくという、勇気と努力が必要となってゆくのである。ここに道徳と宗教の違いがある。道徳は過去世は問題にしない。この世だけで立派なことをすればそれで良いというのである。墜落事故で亡くなられた人々の中には、道徳的には一点の非の打ちどころのない立派な人が多かった。だが、事故からは逃れられなかったのである。過去世から今生に至るすべての罪に対する懺悔、反省、それが「知らず知らずのうちに犯した罪を許し下さい」という謙虚な祈りになってこないといけないのである。

                                 

 平成二年八月にもテレビの特集を組んで放送していた。慰霊登山や墜落現場近くに建てられた慰霊碑などに、線香やお花を捧げる人で一杯であった。当時、遺体確認のために現場で従事されていたある医師は、「夢の中で霊達が助けを求めてくる」というような話をあるテレビでされていたが、それは事実だろうと思っている。死んですぐ人は無意識状態であり、その内に死を悟っていくと高橋師は言っているが、墜落によって急激に霊と肉体が分離して亡くなったのだから、ほとんどの人が死んだという認識すらしていなかったと思われる。平成十一年現在、死を悟って、大半は自ら裁いた定住地(光の量の区域)にいると思うが、先の医師の談話からしても、まだ「死」を認識せず、放浪を続けている霊もまだまだありそうである。ここで述べている阪神大震災にしてもそうである。日航機事故の十倍の約六千人が亡くなっているのである。これから述べるのは阪神大震災に無縁ではないので引き続きジックリと読んで欲しいのである。

 乗客五百二十人の中には、色々な思いを残して亡くなった人もいたであろう。「遣り残した仕事のこと」「家族のこと」等あげれば限りはないが、地上界に執着する思いが強ければ強いほど、その霊魂は天上の世界に帰ることなく、この世に自(地)縛して、この世の人々にとっては「困った霊」となるのである。また、すでに亡くなっているのに死を悟っていない霊は、自分の存在をわからせようと色々な霊的現象を現わすことになるのである。こんな例があった。高橋師の講演会の「現証」の時間に、江戸時代の武士が出て来て、切腹をして死んで三百年もなるというのに、「自分はこのように生きている」と言い張り盛んに腹を切る格好をする。すると師は、「今の時代は昭和といい、もう三百年も経っているあなたはこの世の人ではないんだ」と懇々と説教されると、「話し掛けても今まで誰とも話すことが出来なかった、話せたのはお主だけだった」と涙を流して反省をする。それから師は、不空三蔵に命じてあの世の収容所へ導かれるビデオがある。このような霊がいるということをよくよく考えて欲しいのである。話し掛けたのに通じなかった、これはどういうことかと言うと、あの世の霊からは、この世は自由自在に見通すことは出来るからコンタクトしようとするのである。

高橋師は、これを映画のスクリーンの中の人物と、観客にたとえて説明している。観客(あの世の霊)が、スクリーンの人物(この世の人)にいくら話し掛けても通じることはないように あの世の霊にとって一方通行である。その為に、自分の言い分を自己主張するために、こうしたらわかってくれるだろうか、ああしたらわかってくれるかもしれないと霊的現象を起こすことになる。この世に霊的現象を平気で起こすくらいだから、悪いとか、申し訳ないという気持ちはさらさらないのである。自分が死んでいることさえ知らない霊魂なのである。高橋師は「悟った霊なら、この地上界に一時間もいません。サーッと天上の世界へ帰って行きます」と教えたが、この地上界にいることの出来る最大限の日数は二十一日であり、それ以上、この地上界に執着している霊を自(地)縛霊、浮遊霊と言うのは先述した通りである。「神の子」である人間の霊魂は、天上の光の国、神の国に帰ってゆくのが自然で、また、それが当然なのだが、地上界に思いを残して心の放浪を続けるとは、なんと愚かしいことだろう。

 

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〈死んだことを悟らせるにはどうするか〉

 

 これまでに、「まだ死んだことすら自覚していない霊魂もいる」と述べたが、それらの霊魂に対してどう教え諭すか考えてみたい。残された身内、縁者は心静かに、どうにかして救ってあげたいという愛の心を一杯にして、生きている人に話すように語りかける。場所と時間はどんな所でも、いつでも良いのだが、静かな心で寝む前にフトンに座して語り掛けても良いだろう。「念」は、時間、空間がなく、一瞬のうちに、どこへでも誰にも通じるから、心の安らぐ時間と場所であれば申し分ありません。心落ち着く時間と場所で、静かに声を出しても、声を出さずに心の中で言って聞かせても良いだろう。

 例えば、「お父さん! お父さんは昭和六十年の夏、搭乗された飛行機事故で亡くなられました。もうこの世の人ではありません。あの時は、お父さんを亡くして力を落としましたが、もう大丈夫です。子供達と力を合わせて元気にやっています。だからお父さんも心おきなく、あの世での魂の修行をして下さい。もしお父さんが暗い世界にいらっしゃるようでしたら、心から反省をして光の国へ帰って下さい。私にはあの世のことはわかりませんから、もうお父さんが天上界だったらごめんなさい。」 このようなことを、その地方の方言でも、どのような言い廻しでも良いのだから、心から教えてあげることである。この世の人でも、一回で理解してくれる人もいれば、何回言ってもうわの空という人もあるのだから、わかるまで何回も言って聞かせる必要がある。 そして、それからは、残された者が、オホホ、アハハと明るい生活を送り、あの世で生活する人に心配をかけないような生き方をすることに尽きるのだ。それがあの世の霊を「成仏」させる原動力であり、供養の第一歩である。 前述したように、あの世からこの世はすべてお見通しだから、見せかけだけの調和はなんの意味もない。「ケンカの絶え間なく、いがみあってばかりいる人が「お父さん成仏して下さい」なんていったら、あの世の霊が「お前こそしっかりしろよ」と言うでしょう」、と教えた高橋師の声が聞こえて来そうである。

 園頭広周師は次のように言う。

「 日航機墜落事故で亡くなった遺族の人達は、死んだ人達は死ぬという意識なしに、もっと生きたい、死にたくないという意識を持って死んでおられるのであるから、補償金の交渉もであるが、霊を成仏させることをまずやらないと、補償金はもらったが、今度は別な不幸(不幸ではない、霊の知らせである)に見舞われるということにならないとも限らない。『心行』(高橋先生の心の教え)によってよく成仏させてあげることが大事である。」

       

〈残された人の再婚をどう考えるか〉

  園頭広周師の考察と指導

「昔から、「生き別れのところには行っても、死に別れのところには行くな」と言われている。どうしてそのように言われるようになったかと言えば、病気や事故で死んだ先妻が、死ぬという自覚がないまま夫や子供に執着を残して(気がかり)死んでいると、後妻が来て夫や子供の世話を始めると、自分の夫と子供をあの後妻が奪ったと思うのである。そうして嫉妬した先妻の霊が、後妻に憑依して病気にさせてしまう。家にいる時はとても元気だった娘が、後妻に行ったら病気ばかりして、また死んでしまってということは、そういうことなのであるから、後妻に行く人は、よく先妻の霊にことわりを言ってから行くようにしないといけないのである。「生き霊」というのは、生きている人の霊がくることであるが、生き別れしたその後に行く場合でも、自分の想念を浄化し、先妻の人の想念を浄化してから行く方が良い。

「どのような事情で離婚されたのかよくわかりませんが、もし、別れた今でも心を残しておられるとしたら、どうぞそれはやめて下さい。すんでしまったことに、いつまでも心を残しては、あなた自身が幸せになれないのです。私はあなたの跡をうけて、あなたがされなかった分をこれから充分にやらさしていただきます。あなたはあなたでどうぞ幸せになって下さい」という祈りをして『心行』をあげるのである。 後妻に行った人で、一生懸命に夫を愛そうとするのであるが、どうしても何か溝が出来たようでぴったりゆかないという人があった。また夜、性生活に入ろうとすると、なにかふーっと得体の知れない風が吹いてきて、夫との性生活がうまくゆかないという人があった。そういう人達は「心行」をあげて祈られたら、不思議に夫と調和出来るようになりましたと 言っておられた。 日航機の事故で、妻を失った人が後妻を迎えようとする時、また、夫をなくした人が再婚しようとされる時、私がここに書いたようなことをして再婚されると良いが、そうでないと、生身で欲望を持ったままでほとんどが死んでおられるのであるから、霊的な障害を受けやすいということになる。霊の浄化は自分でやれば良い。なにも高い金を出して祈祷師や霊能者に頼む必要はない。」

 

このように、阪神大震災を述べる前に日航機事故を前面に打ち立てたのは、別の事例により理解してもらう環境を事前に構築したかったことと、もう一つは、大震災の原因を真正面にガップリ組んで述べるより、主題が主題だけに、内容が内容だけに阪神地区やその周辺の人々にソフトに訴えたかったからである。

 

 

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                 阪神大震災が起こった理由(わけ)

 

先に述べた日航機事故に対比して考えれば阪神大震災は

              地震

                   1.地殻の変動や断層

                   2.首長の心の問題

                   3.地域住民の心の問題

として考えられる。

 

        <1.地殻の問題をどう捉えるか>

 

 それでは、昭和四十九年、中国の唐山の大地震で、三十万とも五十万ともいわれる人が亡くなったその直後に書かれた「地震」についての高橋信次師の「ことば」がある。この唐山の地震については、それが起こる前の年に、高橋先生から起こることを聞いた、と園頭師は書いている。

                                 

    「地震」                 高橋信次        

                                 

 「マグニチュード5以上の地震が、東海地方を襲うかも知れないとの噂がひろまっているようだ。地震不安が太平洋ベルト地帯一帯を蔽っている。そこで、地震は起こるのか、もしあるとすればその対策をどうしようと誰しもが思う。気象庁のある退職者は、関東以西はいつでも地震が起こり得るとして、地震の少ない東北地方に隠蔽してしまったようだ。関東ははこわくて仕方がないというのだ。地震のない土地に行けば、老後は安心して生活できるということのようだが、この人には病気の心配はないらしい。ただただ地震だけが恐いらしい。地震が来る前に心臓発作で倒れるなど夢にも考えないらしい。地震はなぜ起きるのか、それは大地も生きているからである。人間の体内には血管が縦横に走っている。そして、絶えず血液が流れている。大地の下でもまた血管が無数に走り、火山に見られる何千度いう溶岩が、地表のはるか下を流れている。火山はこの溶岩が地表に表われたものだが、なぜ火山活動が起こるかである。それは地上の圧力が地下に加わり、いわば血管を圧迫するためである。地震もまた、地上の圧力によって地下の血管が収縮するため、それをハネ返そうとして起こるものだ。では、地上の圧力とはなにか。それは人間の心のあり方にかかわっている。地表を取り巻く人間の生活意識が大地に圧力をかけている。この圧力は、人間一人一人の偽我(自己保存)によってつくられるものだ。つまり、地震や火山を生み出すエネルギ−を地下にたくわえているのである。だから、一定の時期がくると、元に戻ろうとして揺れ動く。こういっても多くの人は信じないかもしれない。現代科学はさまざまな見方で、地震や火山活動をとらえようとしているが、物理現象の背後には、常に人間の意識が強力に働いているということを理解するようになれば、万象の姿がハッキリととらえることができるだろう。ちなみに、月や火星に大地震や火山活動が起こっているだろうか。月や火星も、地球と同じように何千度に熱せられた溶岩が活動しているのだ。しかし、大地震も火山の大爆発も起こっていない。地表はいたって平静そのものであり、平和である。地球だけが常に騒がしく、さまざまな災害をくり返している。中国大陸は日本と異なり、地震はめったに起こらない。それが各地で頻発した。被害も大きく、犠牲者も相当にあった。動物の動きで地震を事前にキャッチし、避難したと言うが、そうだろうか。政情不安の火に油を注がないための工作だったようだ。アトランティス大陸は、火山の噴火と大地震で海底に沈んだ。ボンベイの町も同じである。その昔、栄えたエジプト、メソポタミヤの文明も、洪水、大地震、火山の降灰によって埋没している。当時の文明の手がかりは、地下から発掘した建物、青銅器、土器、石版癖がによって偲ぶことができよう。いづれにせよ、地震は地上の人々の想念行為によるものである。地震や火山を防ぐにはどうするか。その手がかりを掴むには、大地震が起きたその時代の人々の社会生活を知ることが、理解を早めるカギとなろう。いたずらに地震を恐れ、転居しても、地震は追いかけてくるだろう。」、と。                       

また、昭和四十八年七月、八起ビルでの講師・幹部講習会にて高橋師は次のように話している。

 

「地球表面の温度差によって電気が発生します。それが地球を回転させるエネルギーです。回転することによってNとSの磁極ができる。その磁極が、そこに住んでいる人々の心によって位置が変わっていきます。現在でも磁針は真北を指していません。偏差しています。エジプト、アトランティス、ギリシャ、インド、アンデスと、この地帯が昔は春夏秋冬が一番はっきりしていたので、人が住みやすく文化が発達したのです。食糧もよくできました。今はこの時と比べると地軸が傾斜して磁針が偏差し、その地方の気候が変化し、日本列島が位置する線が春夏秋冬がハッキリするようになって来た。極端に暑いところ、極端に寒いところは人も集まらないし、そういうところへは光の天使は出ないのです。やはり気候も中道のところでないと如来や光の天使は出て行かないのです。地軸がだんだん変わって行きます。現在は地球表面はスモッグが多い。その結果、南極、北極の氷に影響しています。それが気象異変をつくっています。ですから、この地球も生きているのです。私がなぜこのことを自信を持つていえるかというと、昭和四十三年十一月二十四日午前一時、あの世で講演しました。金剛界で一時間半講演した時に、ワン・ツー・スリー即ちモーゼが、「お前、ここをポンと押せば地震が起こるんだよ。お前が地上界へ帰った瞬間に、震度3の地震を起こすから心配するなよ」といわれたのです。そうして、私の意識が肉体に帰ったのが丁度一時間半、その時間に震度3の地震がありました。震源地は利根川の下流。まさかワン・ツー・スリー、モーゼが起こしたといったら、あいつ、気違いではないか、といわれると思うのですが、それでもよいのです。ぼくはそういうことを知っているんですから。現代の科学者達は、特に地震の問題については自信がないんです。地震計そのものも一番最初は私がつくったんです。長野県の地下を掘って、私が設計をした地震計が全部入れてあります。新幹線のモーターにも地震計が接続してあって、震度2になったらモーターが止まるように設計してあります。近似値というもの程、不確実なものはないので、地震学会の予告はあれは自信がないのです。しかし、次元の違ったあの世からの指令は正確です。<中略> ・・・ということは、地球上の凡ての家庭から光が出るようになれば、地球全体が後光に包まれることになります。今は後光でなしにスモッグが余計に出ています。日本に住んでいる人が、みな混乱を撒き散らすことになると、日本沈没です。アトランティスです。それは、神の体の一部が調和されないために、神の体全体の調和がとれなくなれば、外にどういう手段を以ってしても調和がとれないとなれば、切開して取る以外に方法がないからです。われわれの肉体が不調和になって、外の方法では仕方がないとなると、手術して切り取ることになるのと同じです。ですから万物の霊長である人間が、まず自分の住んでいるところから光明化するということが大事なんだということです。」、と。

 

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<首長の心の問題をどう捉えるか>

 

この地の首長は革新系である。ウエブ・マスターの六十年間の歴史をヒモとくと、私にとっての革新系の思い出は、故郷の炭坑争議に代表される破壊と闘争の歴史だった。街では街宣車が走りまわり、赤旗を振ってデモる人の波だった。教室では組合員の子弟であろう生徒の「がんばろオー・・」と歌う声も聞かれ、先生方は日教組のデモへ参加のために自習時間も続いた。それから、破壊と闘争の心は数百人の死者を出した炭鉱事故を引き起こすのである。役所のサイレンが鳴り響き、救急車が走り回る様子は、さながら地獄絵だった。時は移り、大学では学生会の会長もつとめたが、学生運動の華やかな頃で、セクトだ何だと言っては、団体交渉をと詰め寄る闘士もいたが、私一人で大学と話し合うと問題なく解決していった。というのも、炭坑争議の労使の対決姿勢は疑問として幼き心に焼き付いていたために、話し合いという協調姿勢に努めたからだと思う。この疑問は、正法の「破壊と闘争は神の心ではない。間違った思想家、闘争の指導者、狂宗教家は最も厳しい無間地獄に落ちる」と学んだときに氷解した。思想、イデオロギーによって人間の自由な心を縛れる筈もないのである。「マルクスもまた、光の天使であった」という高橋師の言葉があるが、あの当時の一般民衆は一部のブルジョアに根こそぎ搾取された時代だった。苦しむ民衆を助けるために天は光の天使・マルクスを出したのである。共産主義の権化のように言われているマルクスも、唯物的な経済の考察に行き詰まり、遂には、唯心的な神を崇める教会を建てているのである。このように天使が出るには出る理由があったのである。ところが、後世の人達は、労働者の団結という名目で破壊と闘争にすげ替えられ、経営者に力で対峙したのである。経営者は、労働者に働く場を与え労働者の生活をまもる。これは不退転である。労働者は与えられた場に感謝し、労働を提供して労使共に人生を謳歌する。これもまた、不退転なのである。

それに、もう一つ。

 田中角栄氏が首相の時、贈収賄問題で首相を辞任するかどうかという昭和四十九年十月のことだった。田中首相の辞任のあと、誰が首相になるか混沌として政局がわからない時に、田中首相の新潟県の後援会の代表と秘書の一人が、GLA関西本部の講演に信次師を訪ねて来て、「田中首相はどうすればいいのか」と尋ねた。信次師は、録音しておくように園頭師に命じた。園頭師はその時のテープをもとに月刊『正法』誌に発表した。

 「田中さん、あなたは裸になりなさい。持っている財産を全部投げ出しなさい。そうすれば国民はもう一度あなたを首相にというでしょう。しかし、自分が裸になっただけではいけません。「社会党の成田君、共産党の宮本君、ぼくは裸になった。だから君達も裸になれ、お互いに裸になったところでこの日本をどうするか、国家百年の大計を話合おうではないか、君達は労働者の味方などと言っているけれども結構豪華な生活をしているではないか。共産党の宮本君、君も豪邸を建てたではないか。元総評議長の太田薫君、君は労働者の味方だといっているけれど君も労働貴族である。なんなら、〇〇氏の関係のある女性が、どこそこのマンションの〇〇号室に、このような顔の人がいることも、僕が教えてあげるから、そのことも指摘して、皆んな裸になって話し合うように言いなさい。それでも違うというなら、「そのひとの名前はこうと全部教えてあげます。田中さん! 日本のために勇気を振って裸になんなさい」、と。

信次師は、その責任者に伝えた。その責任者が田中元首相に伝えたかどうか、或いは、責任者は伝えたが、田中元首相は忠告を聞く耳を持たなかったのかどうかはわからない。もし、田中元首相が信次師の忠告を聞いて裸になっていたら、自民党も浄化され、自民党の浄化は野党にも大きな影響を及ぼして、きれいな政治が行われるようになっていただろうと思うと残念でならない。この半年以上も前の昭和四十九年二月関西本部講演会でも、高橋師は次のように言っている。

「田中さん自身もね、東京都内にある財産をみんな投げ出して、自民党で今使っている資金も全部さらけ出して、この金をみな大衆のために使おじゃないか、とこうやったら、社会党や共産党なんか、どうということないですよ。それをしないで往生際が悪いからこんなことになってしまう・・・」、と。

 

大震災の最もひどかった地は革新知事と述べた。革新系の首長ということは、当然のことながら革新系の考え方に賛同する住民が多いということである。これも「類は友を呼ぶ」の法則であり、色分けをすると革新王国ということになる。また、この地と同じく革新系が強くて、同じ革新知事さんが三期も務めるという或る県では、生活保護法の適用も多く、他県のドライバーは怖くて運転できないと、運転マナーがとやかく言われるほどのオクニ柄である。平成六年からカラカラ天気で、ダムの貯水率が十五パーセントを切ったとかで時間給水が続いた。不思議と、水ガメ・ダムの周辺を雨雲が避けて通る。ところが、この革新系の知事さんが三期かぎりで辞めると宣言した直後から、雨雲が寄りついて降り始めた。高橋師は「天候異変は、その地域の主義主張にある。そこの住民の考えが余りにも極端に走り集団的になると、警告として天候異変が起こる」と教えた。

目を広く海外に向けても、例えば、紛争が絶えないアフリカを例に取れば、社会・共産主義国、或いは社会・共産主義国に近づく国々は、干ばつや天候異変に苦しみ、自由諸国、或いは自由諸国に近づく国は比較的に恵まれている、というこの事実を真摯に受受け止めて欲しいのである。日本でも、干天やその反対に雨の多かった、つまり天候異変の地域を調べてみると不思議に革新系の得票率の高いところが多いと確信できる筈である。正法は自然をお手本に、自然を模範にするという教えである。これまでに自然災害と考えられていたものは全て人災、つまり、人間の主義主張が原因だと理解して欲しいのである。少し前にオランダが、中国が、東南アジアが水浸しになって混乱した。水がドンドン蒸発すると必ず雲ができる。天の指令によって自然霊が雲を吹き散らして、反省を必要とする不調和な地域に集めて雨を降らし続ける。また反対に、雲を吹き散らして寄せ付けないと旱魃状態。。高橋師は講演が始まると「今日は雨が降って欲しくなかったものですから、昨夜は風を相当吹かしました」と話し出す例があるが、天上界は自然霊をコントロールすることによって天候なんて自由自在である。日本の平成六年はどこも干天だった。ドンドン蒸発して雲ができて、日本のどこかは豪雨でドシャブリだった筈である。ところが、どこもかしこも、ひと雨欲しいナーと考えた。それは日本以外のどこかに運ばれて降った。だからこういうものはグローバルな地球的視野で観て欲しいというのである。近視眼的な視野では見誤ることになる。それでは次に、地域住民の心の問題について述べたい。

 

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    <3.地域住民の心の問題をどう捉えるか>

 

大震災の混乱で皆がごった返えしていた頃、行政の誰かが、自分でやれることは自助努力でお願いしたいと、本音を正直に吐露したために、この時期、不謹慎な言葉だと物議をかもしていた。知恵を働かせて住民の窮状を思い遣るべきだったかもしれない。だが、何はともあれこの人の言う通りだった。福祉制度の余りにも整えられた社会の弊害のひとつは、自助努力という人間としての基本を忘れ、全て国や社会のせいにして自分で立ち上がろうとしないことである。この国は今や貿易立国として押しも押されもせぬ超大国である。ネコの額程の国土に一億二千万の人々、食糧も自給できぬのに鉱物である原料を手に入れそれを加工して付加価値をつけて稼ぎまくった。付加価値をつけ得る能力を持つだけに選ばれた魂ということである。その証拠に穏やかな国民性、世界一治安のよい社会、無学文盲もいない素晴らしい人達の国・日本。その国の人達が、全てを人の所為にして自己確立をせぬとは何と愚かなことだろうか。高橋師は、日本人として肉体を選んだ霊団の使命について次のように説いている。

「皆さんは今、ありとあらゆる光の天使達の築き上げてきた正法を、そして長い歴史の中に塵と埃にまみれたところの神理を、その塵払いに出て来ているのです。しかも皆さん自身、今、日本人として生れていることは、選ばれた魂であるということを自らして自覚しなければいけません。皆さんの内なる魂は、皆、偉大なる魂達なのです。その偉大なる魂が、物に溺れ情欲に溺れてはいけません。自ら正しなさい。自ら自覚しなさい。皆さんが目覚めた時に、偉大なる神の光明によって皆さんは自らを悟り得るのです。そうして今、何をすべきかということを、内なる魂の叫びとなって、皆さんの心の中に芽生えてくるのです。今、その時期が来たのです。皆さんは偉大なる魂の持ち主なのです。かってイエスの当時、モーゼの当時、選ばれたイスラエルの民と同じように、今、私達の中に選ばれた日本人として、世界の地球上の代表者として生れているのです。我々の霊団は、それぞれ一団となってそれぞれの国に転生を重ね、今、東の国・日本に来ているのです。そして、化石化した神理を再び光明に満たすために失われた心を我々は取り戻すために、そして、物質と経済の奴隷に成り果てて真の人間の使命を忘れたところの人間に偉大なる魂の価値観を呼び起こさせるために、価値の転換をさせるために、私達は今、肉体を持っているのです。

そして、我々の道を信じなさい。その道を実行しなさい。その時に、皆さんの心は神の光りによって、満たされていくのです。偉大なる魂の目覚めなのです。そして我々は先づ、この地球上に光明を、灯を心の中に点してやらなければいけないのです。その時に皆さんの心の中から、その事実を自覚していくのです。その為には、生れて現代までの自分自身の心のひずみを直すことです。たとえ現代厳しい環境に生れていようとも、それはまた、地上界における一つの魂の修行の場であり、その環境を通して自分自身が魂の学習をしていることを皆さんは知らなくてはいけません。優雅な環境に生れている人達は、その優雅の中から、より自分自身を見つめ、惨めな人々に愛の手を差し伸べてやるところの慈悲の心が必要なのです。その時に皆さんの心は光明によって満たされていきます。我々の心の中につくり出したところのスモッグは自らの責任において払うことです。人に対し、恨みや妬みや怒りや愚痴、このようなものも自ら発するところの不調和な想念なのです。我々は虚栄心を捨てなければいけません。こんなものは愚かしいものです。人間は全て神の名において平等なのです。太陽は貧乏人、金持ちにかかわらず、すべて平等に、熱光のエネルギーを与えております。神の心は、そのように寛大であり、全てが調和です。それだけに、私たちは自らを正さなければいけません。その時に道は開かれていくのです。我々は、本来国境などは人間のエゴがつくり出したものなのです。間違った思想は人間の心の価値観が失われた時から、いつの間にかつくり出されていったのです。今のマルクス主義にしても、資本主義にしても、このイデオロギーはすべて、人間自身が間違った、心を失った時から、そのようなものに片寄り、現代のような世相をつくり出してしまったのです。我々は物質文明の奴隷になってはいけないのです。物質文明を駆使し魂をより豊かにするための一つの道具でなくてはならないのです。我々は、その奴隷から自らを解放することです。

そして、我々は今に生きていることに感謝することです。足ることを忘れ去った時から愚痴と不満が出てくるのです。そのために我々は働く環境に感謝の心を持たなければいけません。感謝の心は我々は報恩として報いなければなりません。感謝と報恩は輪廻しているのです。自然界が輪廻するように、すべてのものが輪廻しております。原因と結果、全て輪廻しているのです。今、悪い結果が生ずれば、悪い原因があるから結果が生じているのです。その原因を追求することが、また、己自身を前進させていくことになります。こうして、私達は、今、道が開かれ、自分自身をもう一度しっかりと見詰め直してください。思想というものは一つ狂えば、人間の心まで腐らしてしまいます。イデオロギーは真の人間を幸せにする道ではないのです。皆さんの内なる善我なる心を信じた時、道は開かれていくのです。その時に真の文明が訪れてくるのです。我々は今、この地上界に最終ユートピアを築かんが為に肉体を持ち、今から五年、十年先には、多くの同志達が、あらゆる国々から集まり、真実のものを皆悟っていきます。その時に人類は皆兄弟だ、すべての富は人類の為だ、不平等であってはならないことを悟っていきます。経済問題に関しても、経済方面も、今のような間違った思想から新しい思想が生れ、人類すべて平等の上に立ったものが生まれて来ます。・・・・」、と。

これは一九七六年五月二〜五日の、富士みどりの休暇村の研修会の初日の講話で、高橋師が亡くなる二ヶ月前のものだが、弟子の一人、渡辺泰男氏は自著の中で、比較的に早食いの師が昼食に出されたカレーライスの大半が残り、かなり憔悴した様子が書かれている。だが、この日のビデオの中の師は、まさに獅子吼で、みじんもそれを見せず、人類救済に燃えた師ならではの情景だった。

 

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本論に戻る。

サテ、この地は「○○の街」という社会映画と同じような環境であると一躍注目を浴びて観た記憶がある。 このような社会環境のためか共産党系の医療協会に所属する医師等の会員が六千人以上とダントツである。また、この地区は日本最大のアウトローの拠点で、それを生む土壌があったということである。そして、日本最大のスーパー、ダイエーの本拠地である。社主の中内氏は大震災の直前に年俸制を打ち出した。その頃の講演会で園頭師は、これで早まるねと、つぶやいたのが気に掛る。かって生長の家の本部講師であった園頭師は、和田氏のお父さんに頼まれ経営分析をしたことがある関係からか、ヤオハンに心をかけ何度となく月刊・正法誌に出てくるが、その結果はご存知の通りである。予告できるということは、必然的にそうならざるを得ないということであり、そのような組織の傾向性(体質)があるからである。力でゴリ押しをすれば力で押し返される。これを「作用・反作用」の法則というが、戦後急成長した流通業界の巨艦ダイエーも、価格破壊の急先鋒として君臨したものの、最近の超・価格破壊の風は、たそがれを告げる使者とならぬよう祈るばかりである。これまでの経済界は、競争原理のギラギラの時代であった。だが、もうその時代は終わり、これからは分を知り、足ることを知った調和の時代とならねばならぬ。

企業には多くの人が働く。千人の長は千人の長として、万人の長は万人の長として社員一人一人に「縁」がある。無縁な人は誰もいない。「長」は組織の最高責任者として、縁ある社員を見殺しにできるわけはない。最近の日本は現代風の経済原理に乗って、古き良き終身雇用制を破棄する傾向にある。バリバリ社員以外は要らないというわけだ。これまでの終身雇用制の最大の欠点は、その立場にあぐらをかいて、働く環境に感謝の心もなく任期を終えればそれで良いというものだった。それではいけないと、現代の経営者達は欧米に真似て、よく働く者にはアメを、働かざる者にはムチをという方法を取りつつある。かっての日本は、仕事は神のお手伝いをするもの、人が見ていようと見ていまいと一生懸命やるのだ、また、人間というものは信頼して任せればチャンとやってくれる、という性善説の立場を取った。だが、欧米はアダムとイブの謂れに見るように、人間は見ていないと何を仕出かすかわからない、だからアメとムチで監視下に頑張らせるという性悪説の立場である。このように、働く者は分を知り足ることを知って、自己の能力と体力の範囲内で最大限に役を務めるなら、この終身雇用制は神の意に適っていると言いたいのである。

話はガラリと変わるが、三千五百年前のモーゼは、奴隷の子として王宮に拾われるも、民衆を解放して長途の旅。二千五百年前の釈迦は王子としての優雅な生活を捨て慈悲を説き、二千年前のイエスは左官の子として馬小屋に生れ愛を伝導した。現代の高橋師は同和に生れ慈愛を説いた。日本の同和問題を解放するために光の大天使・高橋信次師は夜露がそっと降りるように同和地区に肉体を持ち、一条の光を点したのである。と同時に、全国の同和の地を特に意識して講演会を開いたように思われる。この事実を皆さんは何と思われるだろうか。傷をナメ合うばかりでも、助けを求めるばかりでもいけない、過保護もほどほど、エセ同和解放者にだまされてはいけないのである。人間としての本性を自覚し、立ち上がって前進して欲しいのだ。園頭師は三百年後にインドに生れ、日本の同和と同じようなインドのカースト制度を打ち壊す覚悟である。かって、園頭師は正法の道場をつくるために、同和地区に適地を求めた。オーム教の問題もあって、地域住民の宗教進出絶対反対の表明にあって泣く泣く断念するが、周辺住民と調和を願う常識ある宗教人はゴリ押しはしないものである。その時に師は、「手を差し伸べようというのに、この周辺の人達は救われるのが先送りになった。」と、タメ息をついた。このような背景があって、阪神大震災の直後、阪神地区で園頭師の講演会だった。これは以前から予定されていたもので、この時期、講演会もなかろうと中止も検討されたが、いまだからこそ「ナゼ、阪神大震災は起こったか」ということを伝えねばならぬと予定通り開催された。

これまでの、日本の悪い因習の中に、エタ、ヒニンと呼ばれる階層を先祖達がつくり出してしまった。人間に卑賎、高貴の段階をつけようというのだ。外国に目を向ければインドのカースト制度であり、日本の士、農、工、商のようなもので、ご都合主義によって悪弊はつくられてしまった。現代人にとって最早、過去の遺物のようになって来ているのは喜ばしいことだが、依然として縁談や就職に遺影を見るようで残念に思う。だが、断じて人間に身分の差、段階がある筈はない。同和問題は神様がつくられたものではなく、この地上界を縁として愚かな人間達がつくりだしたもの。人間はみな平等である。神の前に人間はみな平等だが、男女は平等ではない。各人の人間性も同じではない。男の力強さ、女の優しさと子供を産める能力など不平等極まりない。この性差を考えても平等とは程遠いし、背丈だって違うのである。これは差別ではなく、厳然として埋めることのできぬ男女両性の特質である。また、人間性、人格の違いも厳然としてある。「あの人は犬畜生にも劣る」とか「あの人は立派な人格者だ」というように、心も肉体も平等とは程遠いのである。だが、同和地区に生れたからといって、人間として劣るということは断じてないのである。光の大天使・高橋信次という素晴らしい覚者も自ら同和地区を選び、その中に生を得たのである。かって、真のメシア・エルランティであり、釈迦と呼ばれた人を分身に持つ、この偉大なる高橋信次という方が、悩み苦しむ人々をいわれなき呪縛から解き放つために、その環境を選び道を説いたのである。この神の計画にひれ伏して感謝したい。

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    「近世日本の世相史から見た天上界の警告」

 

最初に、明治以降の近世日本における人災と思える現象を挙げる。

西暦     月               人災と思える事象
1868  明治元     特記なし
1869     2   2   横浜に腸チフス流行
1870     3 11   横浜に天然痘流行
1874     7   東京に天然痘流行  
1877 明10   コレラ東京から全国流行(死6817人)
1879     12   コレラ全国流行(死十万一千余人)
1880     13   北海道にバッタ大発生、農作物大被害
1882     15   コレラ全国流行(死十万一千余人)
      大阪大水、一万四千戸冠水、七万名の罹災者、死者多数
1886 明19   コレラ流行(東京の死者9879人)
1890     23   コレラ流行(東京の死者2800余人)
    12   インフルエンザ東京に流行
1891     24   腸チフス東京に流行
    10   濃尾地方大地震(死9700余人)
1893 明26   全国に赤痢流行
      東京に腸チフス流行(死685人)
1894    27   コレラ流行(死三万九千余人)
1895      28   コレラ流行(死2597人)
1896      29   三陸地方に大津波(死二万七千余人)
    10   赤痢流行(死一万九千余人)
    12   痘瘡東京に流行(死690人)
1897 明 30 12   赤痢流行(死二万二千三百人)
      東京に麻疹、痘瘡、ジフテリヤ、腸チフス流行。死者多数
1899      32   関西地方大暴風雨、死者多数
    10   広島にペスト発生
1902      35   鳥島大爆発(島民125人全滅)
1903      36   東京ペスト大流行、死者多数
1909      42   滋賀県大地震、死者多数
1910 明 43   千葉銚子付近で暴風漁船遭難(死1055人)
1912 大 1   全国にコレラ発生、死者多数
1914      3   桜島大爆発(死九千六百余人)
      秋田大地震(死94人)
      東京にペスト流行、死者多数
      豊後水道大暴風雨で船127隻不明、死者多数
1915 大 4   結核大流行
1917      6 10   大暴風雨(死770人、行方不明374人)
    11   スペイン風邪大流行(死十五万人)
1922     11   宮古島大暴風、死者多数
    10   東京コレラ流行
1923     12   関東大震災(死91802人、行方不明374人)
1924     13   嗜眠性脳炎流行
1925 大14   関東地方に大豪雨
    12   東京コレラ流行
1926 昭 1   北海道十勝岳噴火(死146人)
1930      5 11   伊豆地方大地震(死254人)
1931      6 10   東北地方冷害、(凶作で娘の身売り増加)
1933      8   東北三陸地方大地震で大津波(死1535人)
    10   関東地方大豪雨
1938 昭 13   東京地方に六十年来の豪雨
      阪神地方に豪雨
      関東地方台風(死99人)
1942      17   結核大流行
1944      19   昭和新山爆発
    12   東南海地方大地震(死998人)
1945 昭 20   東海地方大地震(死1961人)
      枕崎台風(死2473人)
1948      23   福井県大地震(死3769人、家屋全壊三万六千戸
      アイオン台風(関東東北、死者不明2368人)
1949      24 キテイ台風(死135人)
1950 昭 25   ジェーン台風、関西(死336人)
1951      26   三原山大爆発
1953      28   流感全国に猛威
    10   米の大凶作発表
1954      29   台風により洞爺丸転覆(死1440人)
1955 昭 30   津市の女学生、高潮で溺死(死36人)
    11   しょう紅熱に似た子供の奇病各地に発生
1957      32   全国的流感(学級閉鎖764校)
      九州西部大豪雨(死982人)
1960 昭 35 12   北陸猛吹雪、列車内越年五万人
1962      37   流感、東京(死305人)
      東京水飢饉
      コレラ騒動
1963      38   東京赤痢発生
1964 昭 39   新潟大地震(死25人、倒壊1087戸)
      習志野コレラ発生
1974 昭 49   伊豆半島南部で大地震(死30人)
1977      52   和歌山有田市で集団コレラ発生(99人保菌)
1978      53   福岡市で深刻な水不足
1982 昭 57   北海道日高地方大地震(死147人)
      長崎市大豪雨(死行方不明299人)
1983      58   日本海中部地震(死104人、M 7.7)
      山陰地方に集中豪雨(死119人)
    10   三宅島大噴火(四百戸焼失)
1984      59   長野県西部地震(死29人 M 6.8)
1986 昭  61 11   三原山、209年ぶりに大噴火
1989 平成 1     伊豆沖海底火山爆発
1990         2     雲仙・島原の約二百年ぶりの火山活動
       
       

 

        < 人災件数の図表>

  年代順の人災の件数

  西暦     天災(人災)の件数

          0   1    2   3   4(件)   

1868 

1869==@

1870==@

1874==@

1877==@

1879==@

1880==@

1882====A

1886==@

1890====A

1891====A

1893====A

1894==@

1895==@                                    日清戦争(1894〜1895年)

1896====== B

1897==== A

1899==== A

1902==@

1903==@                                   日露戦争(1904〜1905年)

1909==@

1910==@

1912==@

1914========C                   第一次世界大戦(1914〜1918年)

1915==@

1917====A

1922====A

1923==@  (関東大震災)

1924==@

1925====A

1926==@

1930==@

1931==@

1933====A

1938======B                          第二次世界大戦(1938〜1945年)

1942==@

1944====A

1945====A

1948====A

1949==@

1950==@

1951==@

1953====A

1954==@

1955====A

1957====A

1960==@

1962======B                       組合運動、学生運動激烈

1963==@

1964====A

1974==@

1977==@

1978==@

1982====A

1983======B                      物質至上主義、金権政治

1984==@

1986==@

1989==@

1990==@

 

 

天上界の警告と思える明治以降の近世日本の世相史にスポットを当ててみた。人間は大自然界の一構成員にすぎない。この大自然の経論

から外れるものは一つとしてない。地震も、火山爆発も風水害も疫病も、災害も飢饉も、人類への警告である。例えば、群雄割拠して巷

は戦乱の状態の時に、イナゴやバッタの異常発生による作物の被害は、そうなれば戦争どころではなく、仕方なく農耕に励んで食べるも

のを確保しなければならない。そうこうしている内に平和を取り戻す。このような天上界の警告によって人々は反省を促され修正させら

れる。この神の愛に感謝するとウエブ・マスターは言うのである。これまで天災と思われてきた「人災」を年代順に並べてみると、大き

な問題の前後に人災は多発していることがわかる筈だ。この分布図を見ると、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の

前後に多発し、天上界は「日本人よ目覚めよ、戦争は人類最大の悪である、愚かなことは止めよ」と叫びつづけたのである。それと

1960年前後に人災が多発しているのは、組合運動、学生運動がエスカレートした時期と一致する。こうした観点で物事をみると全て

が見えてくると言いたいのである。このことを皆さんに伝えることが出来るのもインターネットのお陰である。悪い方にも良い方にも洗

脳できるマルチメディアは、利用の仕方によっては両刃の剣になり得るので注意が肝腎だが、物質欲に翻弄され価値観の欠如した現代で

は、正法の教えは必須と考える。

 

    園頭師の記述

 

    世界は動く

    白色人種優位の世界支配は終わり

        有色人種優位の世界支配に変わる

       (昭和十八年 ロス、アガシャ教会 アガシャの予言)

 

元国際正法協会 会長 園頭広周師は、小冊子『天災地変が起こる霊的原因   天災地変も人災である。なぜ北海道、阪神に大地震が起こった

か   今、世界各国にj地震が起こっている原因   心霊学上、私はこう主張するのである。』

の中でこう記述されている。

精神

太陽には太陽精神があり、地球には地球精神がある。

人間の肉体も、細胞には細胞精神があり、心臓には心臓精神が、脾臓には脾臓精神が、胃には胃の精神が、各臓器にはそれぞれの臓器

精神があり、それらの精神を総括しコントロールしているのが、我々の精神である。

厚生省は、毎年毎年医療費の増加に悩んでいる。病院の統廃合、医師・看護婦の養成、配置、薬価基準の改正 等、躍起になっている

が、人間を唯物論的に見て精神の存在を無視していては医療費は増えるだけであり、病気の数も増えてくるだけで、 生する病気とその

治療法のいたちごっこで、絶対に病気はなくならない。                                                                                                              

  世界を平和にするためには、人類から病気が亡くならなければならないのではないのか。

  唯物論の時代は終わったのである。

  各宗教団体が「二十一世紀は精神の世紀である」といっているが、それはスローガンだけで具体性を持たない。

「生長の家教団」が「万教帰一」といっているが、それもスローガンだけで中味がない。

「立正佼成会」が「万教調和」をいっているが、それもスローガンだけで中味がない。

スローガンだけで中味のない宗教が多い。

口でいうだけじゃなく、その具体策をいうべきである。

現在の宗教は「スローガン宗教だ」といえる。

国家

終戦後の日本は、国家不在の歴史であった。愛国心、民族精神はみんなダメとされた。

日教組の教育によって、日本人は愛国心を持ち愛国という言葉を口にするだけで、犯罪人と思われるような風潮すらつくり出した。

日の丸反対、君が代反対を唱える教師は精神分裂、精神異常者であるといえる。

自分達が、精神異常者であることを日教組の教師は気づいていない。気づいていないからこそ本当の精神異常者である。

日教組が設立された当初から、私は日教組反対運動をやってきた。

ダーウインの進化論を正しいという教師には、「オイ 猿」と呼べ、決して「先生」というなと、中高校生研修会でいいつづけてきた。

日教組の前委員長小林武氏とも討論会をやってきた。小林氏は私の私の前に一言もなく引き下がった。

以来、日教組は私の討論に応じなくなった。討論に応ずれば負けるからである。

日教組は共産党であった

日教組の中味は共産党であった。共産党というのでは国民の反発を招くというので、社会党左脈を名乗った。でも中味は共産党で丹頂

鶴といわれた。「教師の論理網領」、聞こえはよいが、中味は日本の青少年を共産党の党士に育て上げるためであった。

社会党は日本国家破壊政党であった。

社会党は右派と左派に分かれている。社会党の中には、「日本型社会主義」といっている人もいるが、その下敷になっているのは「ソ

連型共産革命」であった。

日教組の教師達はみな社会党、日本国家破壊主義者であった。日教組の教師が、なぜ精神異常者なのかを説明して置こう。

教師はまず国家から教師の資格を認定されるのである。教師資格がなければ教壇に立つことはできない。教師であることが第一に既に

国の恩である。国が教師資格を認定したから、国が地方自治体が、国民から税金を集め、その税金の中から毎月俸給を出しているので

ある。官公労組員も同じである。その親分が村山首相である。

国家はいらんというのであれば、教師資格を返上し、給料を辞退してものをいうべきである。

我々は、「いうこととやることの違う宗教家(人)を信用するな」といわれた釈尊の言葉を忠実に守っている者であるから,日教組

(官公労)が”もの”をいうなら、ソ連型共産革命をやるという主張をやめてから”もの”をいえ、というのである。

自分のやっていることが理に叶っているかどうかわからない者は、精神異常者ではないのか。

社会党知事のいる所に災害が起こる

北海道、兵庫然り、である。社会党勢力の強い所に災害が起こる。これは予言であり警告である。心霊学上、そのように判断できるの

である。

創価学会、公明党勢力の強い所にも災害が起こる危険性がある。なぜなら、社会党と同じように国家破壊勢力であるからである。

その原因を説明しよう

何かいやなことがあると、あなた方は必ず「気が重い、心が重い」というであろう。

心が重くなったからといって体重が増えたわけではない。

日本の古神道は、「地球には地球精神がある」という。古神道では「天神地祇」を祀る。

天即ち太陽生命、地即ち地球生命に感謝し祀るのである。

そこに住んでいる人達の心が重くなると、その重さは地球生命を圧迫し、地球生命に歪みを与える。すると、地球生命は復元しよう

とも、地球精神、地球生命を圧迫しているものを排除しようという自助エネルギーが働く。

馬のお尻に虻が刺すと、馬は自然にその虻を払い落とそうと尻尾を振る。それと同じで、地球は地球としての生き物なのであるから、地

球生命、精神に邪魔になるものは払い落とそうとして身震いする。それが天災地変として現われるものである.

社会党、新進党勢力を排除せよ

社会党知事は、日本国家破壊を企む勢力をうまくごまかして自分に投票させ、知事になったのである。

社会党知事は、ホンネはそうでなくても、そういう勢力を利用して自分の地位欲、名誉欲それに伴う金銭欲を満足させようという汚ない

打算があると私は見る。

阪神大震災が起こった時、私は「社会党知事だから起こったのだ」と家内にいった。

家内は「だって福岡県は社会党知事なのに地震は起こらないじゃないですか」といった。

「地震は起こらなかったが、異常渇水で雨が降らん。福岡のダム上空まできた雨雲は、すーっと横へそれる。奥田知事がやめたら雨が降

る」といった。

福岡県の異常渇水は、自民党知事になることによって解消された。

天候気象を支配している霊を諸天善神という

天候は自然現象であるが、その自然現象を支配しているのは諸天善神である。

昔から風神とか雷神とかいう言葉があるであろう。

諸天善神、天候気象を支配している神は、その地域に住んでいる人々の心を反映するのである。

カリフォルニアは砂漠であった。日本人が移住して野菜を作るようになったら雨が降って、いい野菜ができるようになった。それは

日本人の心が調和されていたからである。

昭和五〇年に高橋信次先生は、「ソ連が崩壊する。これから共産圏は食糧飢饉が起こる」と予言された。

それから二〇年経ってソ連は崩壊し、今、共産圏は食糧飢饉である。中共も北朝鮮も食糧ができない。原因は雨が降らんからである。

福岡は社会党の奥田知事の間は雨が降らなかった。福岡県民の心はカサカサしていた。

自民党の麻生知事になったら雨が降って、県民の心もうるおいを持ってきた。

だから指導者を選ぶには、その人の人格が地球精神と調和しているか、諸天善神と調和しているかを考えて投票しなければならないのである。

新進党の議員に投票するな

新進党の議員を選ぶと国民は不幸になる

私は一般国民のまだ知らない心霊学の勉強をしている。私も国民の一人として言論の自由を持っている。

相手が、国民が、不幸になることがわかっていては、宗教家として黙っているわけにゆかない。

その理由は、新進党は創価学会党(国家破壊政党)であるからである。

新進党は、公明党、創価学会を排除すべきである。池田大作如きニセ宗教家に、あなた達は自分の良心を売るのか。

日本には、日本の天命があるのである。

だから私は愛国者である。

日本の国を護ることが、実はもっとも正しい宗教、正しい信仰なのである。

だから内村鑑三先生も「代表的日本人」、西郷隆盛の項の始めに「日本が『天』の命をうけ、はじめて青海原より姿を現わした

時・・・・」と書かれたのである。この本は「日本とはどんな国か」を西洋白人人種に知ってもらうため英文で書かれた本である

から、この本を読んだ西洋人は「日本は天命の国である」と知っているのである。

日本人が日本の国を護らないで誰が護るのか。

           

         

         

      

 

 

 

 

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