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     「エデンの園」の朝朗(あさぼらけ)

                        八起正法(やおき まさのり)

                       

     前書きにかえて

 

 「質問」

 心の広さが、如来界と菩薩界の中間とも言われた光の天使・園頭広周先生は、三年も口をきけず闘病生活から亡くなられたとか、光の天使がこれで

は、正法も信じる気にはなれないと思うのですが。          (中部地方二十七歳男性)

 「回答」

こういう質問には、私の心も痛みます。

 先生は日常の生活ぶりも質素で、健康にも十分気を使われたと思います。

 ただ言えることは、会員が先生から的確なアドバイスや解答を得て、その感謝の気持ちから名品や銘菓を贈ったり、手土産としていたようです。

 著者も元会員の一人として、講演旅行からお帰りになると、おすそ分けを戴いたことからも推測できます。

   園頭先生の食生活

 先生は、お子様も独立されて、奥様と二人きりの生活でした。

しかし、無碍(むげ)に断れずに布施されたものは、感謝して食べられたのでしよう。

 と申しますのも、先生の過去世の一人は、二千五百年前の釈迦常随の舎利佛であり、お経の中の舎利子その人でした。

 釈迦教団の一人として、托鉢(たくはつ)や乞食(こつじき)によつて、布施されたものは感謝して食べられるという過去世からの経緯(いきさつ)があっ

たのですから、皆さんから布施されると粗末にお出きになれなかったようです。

それに、宗教家として五人のお子様を育てられ、いくらかの布施をいただかれると、「待っている家族のために、デパ地下をのぞいた」、

と、先生が主宰された、国際正法協会の機関誌『正法』にあるように、家族を愛された良きお父様だったと思います。

 また、こんなこともありました。

 関東在住の人が 「この次は先生のお好きなものでもお持ちしましょう」、

と言うと、先生はちよっと間をおかれ、

「〇〇サブレがいい。割れたのでも、端が欠けたのでも構わないから」、

と、相手に負担を掛けまいと真顔で申されます。

  これは菓子のアウトレットでしょうが、何ごとにもこんな調子できどらず質素で、細かい心遣いをされました。

先生は堂々たる長身にもかかわらず、肥りもせず大食漢でもありませんでした。

しかも、ご一緒して何度も食事を致しましたが、何でもおいしそうでした。

ではなぜ、私が先生の食にこだわるのかと申しますと脳出血や脳梗塞の循環器障害は、高血糖値に見られる糖の採り過ぎと、怒る心が原因と、正法を

最初に説かれた高橋信次先生は、言い切られたのです。

 二度の脳出血経験の著者は、この言葉の意味がよくわかります。

 先生の食生活はこれ位で、次は先生の怒りの心について述べます。

 

    園頭先生の怒りの心

 

先生の普段は実に穏やかな好々爺でした。

でも、こと、法や神理に違がう人には実に厳しいのです。

高橋先生も談話の中で

「園頭さんは、天上界で私も怒られる位に厳しかった」、

と。ある程です。

先生は、とりわけ創価学会の池田氏と幸福の科学の大川氏に対しては、それはそれは、

「怒髪は天をつく」、

ほどの気迫でした。

先生の、お二人への批判の書は何冊かあって、特に池田氏には、教勢がすごいために、厳しいものでした。    

こんなこともありました

そのとき著者は、組織の中心から外れていたので、先生の主宰された国際正法協会の誰の建言か知りませんが、池田氏打倒の祈りをする者まで現

れ、困ったことだと考えました。

私は心ならずも

「先生の指図かな?」、

と疑いました。

しかし、そのときの組織の中心者から話しを聞いてからは、疑問は氷解し安堵しました。

 それはこうです。 

研修会のある朝のこと、部屋から出てこられた先生は、誰に言うともなく独り言のように

「人の命を限定するなんて断じていかん」

と、祈り倒すなんてもっての外と、厳しい顔でつぶやかれたのが印象的だった、というのです。 

修正を求められた人は、その人の生き方の原因と結果の法則によってバッチリ反省させられます。

 この世で修正できなければあの世で、それでもダメなら次の世で、いつかは反省させられて辻褄(つじつま)は合うのです。

宗教家の場合は、ことさらに信者への影響も大きく、マインドコントロールされ嘘を信じた全員が正されるまで、光も届かぬ地獄の世界で、徹底的に反

省させられるとは、高橋信次先生の言です。

     過去世から見た園頭先生の心の傾向性

 それでは、先生の魂の兄弟達から見た、先生のカルマ、心の傾向性を推測します。

 昭和四十八年、研修会での一コマ、高橋先生と園頭先生は中秋の名月を眺めながらの露天風呂での会話。

「ほう今度も園頭さんが九つ上ですか。不思議なこともあるものですね。」

しばらく沈黙が続き、また会話が始まります。

「托鉢から帰えるころ雨が降り出し、ポコッポコッと細かい泥埃りで足は泥だらけ、あの近くの温泉でよく足を洗ったものですね」

これは、釈迦である高橋先生と舎利佛の園頭先生が、古代インド時代の当時を想い起しての会話です。

高橋先生によると、釈迦は紀元前六百五十四年に生まれ、紀元前五百七十五年二月十五日に八十一歳で、舎利佛はその一年前に八十八歳で亡く

なります。

 舎利佛には、無二の親友の大目連がいました。

 最初は、アサンジャーというバラモン教の先生について二人は勉強をしていましたが、

教えに疑問の二人はお釈迦さまの噂を聞くと、アサンジャーの許を去って釈迦に帰依します。

これはどういう意味かと申しますと、アサンジャーは生長の家の教祖・谷口雅春氏、と高橋先生は言い残こされます。

初め、園頭先生は生長の家の幹部で、将来を嘱望されていました。

ところが、途半ばで谷口雅春師の許を去り、同じようにお釈迦様である高橋先生に帰依されたという経緯があります。

過去世からの繋がりからか、園頭先生は教祖に何か理屈では言えぬ親しみを持たれ、生長の家を良くしたいという一念から教団改革の建言をされ、そ

れが原因で袂を分けられたというのです。

国際正法協会の機関誌『正法」には、

「谷口先生が出てこられ、あなた説いて下さいと教祖に導かれ登壇する夢を見ました、そうなると現教主ほどうなるのでしょうか」、

と園頭先生は何度か書いておられます

 こうして舎利佛と大目連の二人は誘い合って釈迦に弟子入り、釈迦教団の中心として重要な働きをします。

しかし、大目連は後に、些細なことで暴漢に襲われて亡くなります。

大目連は幼名をコリータといい、釈迦教団でめきめき頭角を現わします。

そこで釈迦は、

「そなたは、正法、仏法をよく勉強できました。ここいらで改名をして、なを一層、精進するように」、

と、マハーモンガラナ(大目連)という名を与えます。

 同じく、舎利佛は幼名をウパテッサといい、改名後はシャーリープトラ(舎利佛)です。

モンガラナである大目連は、その後日本に坂本竜馬として生まれます。

 皆さんよくご存じのように竜馬は暗殺され若死にです。古代インド時代も同じでした。

 明治維新のあの時代に、靴を履いて写真に写ったモダンな竜馬は、今世はレイモンド・大谷氏として、竜馬が夢にまで見たニューヨークに永住されて

いることをお話しした上で、次の話をします。

高橋先生は講演の中で、コリータであるモンガラナと、坂本竜馬を揶揄(やゆ)して、

「なんとしろ、何度コリても仕方ないから・・爆笑」、

と。

 高橋先生はいつも、気さくに愉快で誠実な講演をされました。

こうして、著者の知る限りでは、舎利佛について特に、高橋先生は言い残されていませんので、舎利佛は特に変った死因はなかったと考えています。

園頭先生は、過去世の古い順から、超古代の天使ガブリエルから始まってカルビン、ジョージ・ワシントン、西郷隆盛と順追って述べてみます。

 

   カルビン

 

マルチン・ルターと並ぶ宗教改革者の、スイスで宗教改革を実践したカルビンについて述べます。

カルビン(一五〇九―一五六四)は、最初はカトリックを信じるも、プロテスタントがカトリックから弾圧されるのを見てカトリックに批判的となり、『キリスト教

綱要』を書いてプロテスタントを弁護します。

 厳しい戒律も説きますが、勤勉に働いて財を蓄えることは神の意にかなうと教え、宗教家でありながら当時としては珍しく、政治と社会改革の事業をや

り遂げています。

また、『正法』誌は、園頭先生が書かれたのは創刊から闘病されるまでの二百十一号迄ですが、先生は本の虫で実に博学でした。

これには、政治、経済、社会問題など多岐に渡って記述され、不思議にもカルビンと園頭先生の共通点が見られます。

そして、当誌は宗教の感性を磨けるのと、社会常識と意識の向上に寄与するところは大きく、毎月の発刊を楽しみとしたものです。

カルビンは五十五歳の生涯でした。

  

   ジョージ・ワシントン

 

次に、アメリカ独立戦争の総司令官として勝利に導いた、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンです。

 ワシントン(一七三二ー一七九九)は、一七八九年には初代大統領となり七年にわたって合衆国の基礎を築いて「建国の父」と尊敬されます。

大統領として三度選ばれますが、民主主義のために良くないと考え、三度目は辞退し、政治から身を引き、悠々自適六十七歳でした。

 

   西郷隆盛

 

 西郷隆盛(一八二七―一八七七)は、ご存じのように城山で自決して享年五十歳でした。

 園頭先生が本体で、西郷隆盛は園頭先生の分身ですが、「本体と五分身」の法則に照らし、本体は分身の心の傾向性まで修正の義務がある、と高

橋先生は説かれます。

 西郷隆盛は征韓論を唱えるも敗れ、私学校生徒に推されて西南戦争を起こし、政府軍に敗れます。

 本体の園頭先生は、西郷の心の傾向性を修正するだけでなく、先生自身の魂の修行もあったのですから、今世は大変だったに違いありません。

 舎利佛であり園頭先生の西郷隆盛と、大目連であり大谷氏の坂本竜馬と、お釈迦さまであり高橋先生の木戸孝允との生き様を比べると、明治維新の

立役者三人の中で、唯一お釈迦様の分身の、政治家・木戸孝允のみ、畳の上で往生しています。

 このように不思議にも心の傾向性が関連づけられるので、園頭先生の病気と、過去世との関係を吟味して見るのも意味ありと考えました。

イエスの場合はこうでした

 

    イエスの分身の場合

 

 イエスさまの近世の分身は、世界的に高名なフイリッピンの心霊術者、ヒーラの通称トニー、本名アントニオ・アグパオアと高橋先生は言い残されま

す。

 トニーは、心霊検査に呼ばれて来日していますが、比島へ渡った日本人患者との男女関係から短命でした。

 そのころ園頭先生は、注告のためにフイリッピンへ飛ばれますが、残念なことに徒労に終わります。

また、高橋先生は、昭和四十八年(一九七三年)に、百八十年後にはアメリカのシカゴにイエスの本体が出るとも予告されます。

イエスさまは、そこで世界政府を樹立されるようですが、女性問題も留意されねばならず大変でしょう。

このとき魔達は、この心の傾向性を突いて来るに違いないからです

正法が出ると、それを阻止しょうと魔は奮い立つそうです。

次に高橋先生の講話を紹介します。

 

    イエス様のこと

 

「イエス様が伝導を始められた頃のことです。

病気を治してあげた青年に、一人の心優しい美しい姉がいて、イエスさまは心が魅かれてなりません。

 天上界では、大きな使命と目的のあるイエスの一挙手一投足が監視されています。

 そこで、釈迦の高橋先生は天上界から

 「あれはダメ、それはイケナイ」、

と注意をされ気掛りでなりません。

  そのことを突いてイエス様が僕に言うんですね。

「あなたは、僕に注意をする割には自分には甘い、僕が好きになったとき、イエスいけないと恋もさせなかったじゃないか」、イエスさまは西洋的なところ

があって、紳士的でとっても優しいんです。」

と。

 以上が近世の園頭先生の分身から見た心の傾向性の推測です。

 

   病気の予兆

 

園頭先生は、八十一歳のお誕生日のその日に不思議にも亡くなられます。

高橋先生は予告された四十八歳で亡くなり、園頭先生は誕生日のその日ですから光の天使にはこのような不思議もあるのでしょう。

 園頭先生が亡くなられる三年前の入院直前のこと、鹿児島を旅行中の著者の息子が、友人と空港の先生を見送りに行ったそうです。

 先生は内藤國夫氏や山崎正友氏等と「池田大作氏を救うために」という全国キャンペーンの鹿児島講演を終えて帰られるところでした。

 「そのとき先生は鼻血を出してトイレに駆け込まれるところだった」、

 と息子が知らせて来たのです。

高血圧で二度も倒れた著者ですから、血圧コントロールに、鼻血や痔の出血で生体は一時しのぎをすること位いは百も承知でした。

 なのに、その時すぐ先生に、忠告できなかったことが今更ながら悔やまれます。

 以上が先生の長い闘病生活の「原因と結果」つまり、現代宗教への先生の怒り、先生の食生活と心の傾向性を整理しました。

 疑問を解く一助になりましたでしょうか。

 弟子の私が、先生を土台にして悪因悪果を書き立てるのは如何にもおこがましいのですが、厳しい先生の弟子として、先生から教えていただいた手

順と、正法の教える神理によって検証いたしました。

 次に 質問者は先生の長い寝たきりの状態と、正法の説く神理の信頼性はどうかと質問されていますので、お答えしましょう。

   今世の光の天使は循環器障害

正法の基礎編を説かれた高橋信次先生は、自ら予告の四十八歳の若さでした。

一方、正法の応用編を説かれた園頭広周先生は、三年の長い闘病から八十一歳のお誕生日のその日に亡くなられます。

 高橋先生の長女佳子氏によると、高橋先生が亡くなる直前には、一年間に二十キロもやせられ、血圧は下が百八十、上が二百六十以上もあって計

測不能。手はパンパンに腫れ上がって、いまだ出版されぬ『新復活』を、握れぬ手でペンを走らせていられたというのです。

また、園頭先生から著者にいただいた書簡には、「高橋先生の死因は過度の疲労からくる、肝臓と腎臓に病因がありました云々。」、

とあります。

付け加うるに、高橋先生の「一日一生」という記述には、その日は八十余名の個人指導と相談を受け、過労の上に寝る前に油っ濃いものを食べて休ん

でおられると、夜中に気分が悪くなりトイレで倒れられます。

その時イエス様が先生の体に入って意識を交代され、助けられるというのもあります。

その他に、弟子の著書には、

「皆より後に、箸を置かれぬ位いに早食いだった高橋先生は、そのときはまだ半分のカレーが残っていた」、

 とか、

手許の、その頃の講演ビデオをいくつか回すと、憔悴し切って激痩せの姿が認められます。

 このように整理してみると、お二人とも症状は、血圧などの循環器に問題があったと断定しても良いでしょう。

イエスの分身でフイリッピンのヒーラーのトニーも、やはり四十二歳の若さで脳出血でした。

 論を進めてみると、現代の上位の光の天使は循環器に問題があったと気がついて、あ然としました。

 霊格も人格も人間性も低い著者は、せめて二度の脳出血を返上し、これをもって最早うち止めにして、健康維持だけに努めようと決意したことでし

た。

 地上界に出た光の天使たちは、天使といえどもこの世に出てしまうと手足をもがれるが如く、現世の肉体的な三次元の法則に縛られ、あの世へ戻っ

てくる、とは高橋先生の言葉です。

このように肉体という三次元の衣をまとってしまうと、いかに光の天使といえども、大変なことなのでしょう。

 

   何十冊もの神理・正法の本

 

 とは申せ、高橋先生も園頭先生も、お二人とも何十冊という正法の本を私達人類に残して下さっているのです。

 先生方の肉体は病気で朽ち果てられたかもしれませんが、神理・正法はどんな時代が来ようと、どんな国においても、時間、空間にとらわれず絶対不

変です。

 神理は一つ。

 神の理(ことわ)りは一つです。

 神が定められた法則は一つです。

 神理と言うからには、二つの正しい答えが在る筈はありません。

 この絶対不変の人間の生き方を、「正法」という現代の名称で高橋信次先生は説かれました。

お釈迦様が説かれたものを「仏法」と言います。

 

   仏、仏陀とは

 

 「仏」とは神の心が一番わかって、あの世もこの世も未来の世も全て知って、人が何にを考えているか瞬時にわかって、人の過去世も来世も見通せ

て、あの世の人とも自由に話せて、過去世の言葉も自由に話せて、人類を正しく導く人を言います。

仏陀ともいいます。

仏つまり仏陀が説く法を仏法といい、仏法を教えるのが仏教です。

お釈迦様は仏であり仏陀で、神ではありません人間です。

かって、お釈迦様の高橋信次先生は、二千五百年の時空を超えて、東京の近郊の長野県に生まれられます。

いまや東京とは長野新幹線で隣町です.

 お釈迦様は、人間の正しい生き方を説かれた筈なのに、お経とお葬式の形式に成り果てた仏法を修正しょうと、今世は日本人の高橋信次として、仏

法ならぬ正法(しょうほう)として説かれました。

、日本は仏教の国です。

この国にキリスト教のイエス様が生まれられても、宗教のバックグランドの違いから理解されないのです。

これがお釈迦様の高橋先生が日本を選ばれた理由の一つともいわれています。

 お釈迦様の高橋信次先生が説かれた、仏法ならぬ正法を、現代の舎利佛の園頭広周先生は、高橋先生の亡き後を受け、正法を生活の中にどう活

かすか、易しく噛み砕いて教えられました。

  これを前置きとして、どうして正法が絶対不変の生き方の、基準と物差しになるか述べます。

言いかえれば どうして正法が人類にとって必要かということです。

 

    これより本文

  

    正法は、人間の生き方を示す絶対不変の物差し

 

正法は、自然界の法則を模範にした正しい人間の生き様を教えるものです。

 人間も自然界の一員ですから、自然界の法則から一つも外れることはありません。

 だとするなら人生の生き方を、自然の法則に合わせた方が無理なく一番自然で賢明です。

雨が降ったら雨に感謝し、晴れたら快晴を喜び、在るがままに生きることは一面では正しいのですが、そよ吹く風、適度な雨、数日の晴れなら問題はあ

りません。

でも、暴風、ドカ雨、干天は困ります。

「あるがままに生きる」、

というのは標語やキャッチコピーなら大歓迎ですが、暴風、ドカ雨、干天の中で、

「在るがままにオロオロ歩き」、

では万物の霊長である人間の生き方ではありません。

 自然界は、人間をはじめ生きもの全部に、適度に地上を潤おす湿り、よどんだ空気を換気させるそよ風、地上の湿りを蒸発させる太陽の熱と光を無

償で与えています。

 なのに、地上はいつも暴風、ドカ雨、干天と騒がしく心の休まる暇もありません。

 

   天候異変は人間の生き方にある

 

 一番自然なそよ風、湿り、晴れを通り過ぎて、どうして暴風雨、長雨、カラカラの天気を、自然界は地上界の生きとし生けるもの全部に、準備し用意さ

れているのでしょうか。

 正法は、それは万物の霊長である人間の生き方に在る、それが原因だと教えています。

 人間が極端な生き方をしていると、それを思い知らせるために、自然界は超自然の天候異変を引き起こして教えるのです。

 これこそ自業自得、自分の行いの結果を自分で受ける、ということです。

 この仕組みに感謝せずにはおれません。

それを人間は長雨だ、やれ雨が一滴も降らぬと、天を恨む気になって不平をいい、これを、

「天にツバする」、

といいます。

 その原則を知ると、日本のどこかに天候異変が起きても、なぜだろう?どうして?と考える思考回路が出き上がり、人生の中のすべてに応用して、これ

といった大きな間違いも起こしません。

これがだんだん拡大解釈されるようになると、グローバルな地球規模で物ごとを考える心の基盤が出来あがるのです。

二千五百年前のお釈迦様は、これはすべて「因縁の法」と説かれました。

これはどういうことかと申しますと、もと(因)となる、原因となるものが有るから、それを縁として結果が生まれると説かれたといいます。

かって、お釈迦さまである現代の高橋信次先生は、これを

「原因結果の法則」、

と説かれ、その弟子である舎利佛の現代の園頭広周先生は、それを易しく噛み砕いて、

「善因善果、悪因悪果」、

と説かれました。

 

   「原因結果の法則」

 

もしも、あなたが何かで悩んでいるとします。

その悩みは全部自分の悩みであり、まったく無縁の人がつくりだした悩みではないはずです。

それがお互いの人間関係の中でできたものなら、これを相互関係、相依性といいます。

 もし、そうでないのなら全部自分のせいに違いありません。

全部自分のせいなら自分で改めない限りその悩みは終息せずに、いつまでも続くのです。

高橋先生は、

「蒔いた種は自ら刈り取る。これは神理です」、

と訴えられました。

 悪の種なら文句なくすぐ刈り取らなければいけません。

なぜなら収穫の秋には悪の大輪が咲き誇り、悪の実が結実するからです。

良いことならますます伸ばし、悪いことなら思いきって根っこから摘みとらねばなりません。

そして二度と悪いことは繰り返さないことです。

 

    悪事は二度と繰り返さなければ許される

 

二度と絶対に繰り返さなければ、どんな悪事も赦されます。

なんとなれば悪事を働かない人はいないからです。

悪事は自分の心から絶対に消せません。

どうしてかと言いますと、人に嘘をつけても自分の心は全部覚えていて絶対に嘘をつけないのです。

自分の心に嘘のつけない良心を、

「善我なる神の子の自分」、

といいます。

この善我なる神の子の自分、つまり良心が自分を、

「良心の呵責」、

として裁くのですから、自業自得なのです。

再度繰り返して念を押せば、悪事を働くと、誰が責めなくとも良心の呵責となって自ら苦しむのですから自業自得、天にツバするというのです。

 天にツバすると、そのツバは全部自分に降りかかるように、自分で蒔いた種は全部自分の結果として自分に降りかかることからもおわかりでしよう。

 

   後悔と反省の違い

 

 一度は悪事を働いても、いけなかったもう二度と繰り返さないゾ!、と心の底から反省し決意をして、絶対に止めればそれは許されると申しました。

それはナゼかと言えば、心から反省をすればそれで打ち止めにするのですから、心は晴れ晴れわだかまりもありません。

 これは明るい心の世界だから許されるのです。

しかし、悪事を重ねる度に、いけなかったいけなかったと後悔して止まない生き方は、暗い心の世界だから赦されません。

 後悔はたびたび繰り返すこと、反省は二度と繰り返さないことをいうのです。

 このように後悔と反省は、言葉の重みが全く違うことがおわかりいただけたと思います。

 

  心の等速度運動ということ

 

 心の等速度運動とは何でしょうか

 心が一定の速度で動きつづけることに違いありませんが、これではもう一つ、しっくり来ません。

車輪のついた物体を一定の力で押すと、押し出した力に応じた速度で物体は動き始めます。そして、しばらくすると自然に停車します。

途中で止めるためには、思いきってブレーキをかけなければなりません。

 

    心の傾向性の修正は自助努力

 

 このように、心が一定の傾向性をもつと、自分で意識して、あるいは一大決意をして考え方を改めなければ、いつまでもいつまでも心は変わりませ

ん。

 物体と心の大きな違いは、物体は車輪と道路の摩擦や向かい風の抵抗などで、そのうちに必ず停止します。

でも、心の場合は心を入れかえない限り、死ぬまで永久に心は変らないという特性を持ちます。

これが一番大きな違いです

 心は一定の傾向性を持ってしまうと、悪いと分かっていてもその方が居心地は良いものですから永遠に続くのです。

今度は実例をあげます。

 

   「質問と解答 Q&A」

 

 陰気でジメジメした性格の人がいました。

「自分でもこんな性格はいやだと思いながら、思うばかりで自分ではどうにも出きません。どうしたらよいのでしようか。」二十五歳男、

というのです。

 自分の性格も機械の部品でも取りかえるように簡単に修理交換できたらこんなに都合のよいことはありません。

 あなたが、これまで生きてきた人生の中でつくり出してきたものですから、全部自分のせいだと自覚します。

 大事なことは、

「親や兄弟や社会環境や先生とか上司などの、あなたの周辺のせいにせず、全部自分がつくり出したもの」、

と自分の口をついて出るまで時間を掛けます。

 あなたが二十五歳ならその年になるまでその心の状態に安住したのですから、一と月や二ヶ月の時間なんて問題になりません。

 「急いてはことを仕損じる」、

と言いますから急いではなりません。

「石の上にも三年」、

といいます。

、三年なんて言おうものなら、誰だってやる気も失せてしまいます。

三は起始数といって基本数字です。

 

    実践の仕方 

 

 T)、そこで最短の三ヶ月を目標にして、自分のせいだと口から出るようになったら、今度は陰気なジメジメの性格と反対の快活に明るく振舞うのです。

 

 2)、この状態を一週間、二週間、一ヶ月、二ヶ月と続けていると、今までなんとなくウマが合って気が合っていた友達とも、何とはなしに気まずくなっ

て、別れ別れになるかもしれません。

 酷なようですが、こうなったらシメたものです。もう大丈夫です。

 このことを、循環の輪である悪循環のチエーンを切るといいます。

 今のあなたとウマが合うというのも、友達もあなたと同じ、似たもの同士のジメジメ人間のはずですから。同じ人生なら明るく快活な人を選んだら良いじゃありませんか。

 別の明るい人を選んだらよいと申しましても、相手が明るく快活な人なら、あなたがジメジメ人間では、相手の方が願い下げと言うかもしれません。

 そのためにも、相手があなたと友達付き合いしても良いよ、という位いにこちらも少しは努力して明るく快活でなければなりません。

このように正しく明るい方へ人間改造をすると、運命も好転して良い方へ良いほうへと向かって

「笑う門には福来たる」、

です。

 「自力の極には他力あり」、

とも言います。

懸命に自助努力をしていると、何か見えない力が働いて、思わぬ展開をするということです。

心の問題は、自分で立上がって劇的な修正をしない限り劇的な人間改造はできません。

 

     三回目の背水の陣

 

 一回でダメなら二回やってみて、それでもダメなら三回を最後に、背水の陣を引いてやり終えてください。

 何度やってもダメな人は、陰気な人生を好きこのんで、楽しんでいると考えても間違いはありません。

そのような馬鹿なことを、と思われるでしょうが、中にはそういう人もいるものなのです。

 それにもっと酷なことを言えば、今世でダメなら次の世でやってもらえばよいのですから。なにもアワてることありません。

    

    似た者同士ということ

 

 似たものどうしや、類は友を呼ぶとか、同類という言葉があります。

 人間は、ウマが合うとか気が合うという人間関係が、社会生活を通して生じます。

 「袖(ソデ)すり合うも他生の縁」、

ともいいます。

 ちょっとした出きごとでも、全て因縁があって起こるという意味です。

しかし、私が言うのは意味が少し違っていて、そこに人間関係が出きあがると、友達、先輩、後輩、先生、上司、隣人などの相互関係が出きあがるとこ

ろには、正法的に、まったく無縁な人はいないということです。

 

     周囲の人はみな縁生

 

 それはどういうことかと申しますと、かって生まれていた時代の過去世で、或はあの世で関係があつたというのです。

物質の世界では、砂の中に磁石を転がすと、鉄粉がくっ付いてきますし、金属の中でも銅などの非鉄金属はダメということを経験されていることでしょう。

このように同属とか同類というものは、お互いに引き合い、一つになろうとします。   心の世界も物質の世界も同じなのです。

 

    自分の都合による善悪の判断と、正法による判断

 

多くの人は、自分に都合がよければ善であり、自分に都合が悪ければ悪と考えます。  

また、法律に引っ掛らなければ、人にさえ迷惑を掛けなければという、自分の考え方に合うものだけが善で、合わないものはみな悪と考えます。

  

    「善と絶対善」

 

ある人に次のようなことが起こりました。

 自分の駐車場に車を止めたところ、

 後ろに車を止めた人がいて出せませんでした。

その時その人は、

「けしからん、怒鳴り込んでやる」、

 と腹を立てます。

 これをどう考えるか検証してみましょう。

駐車しているすぐ後ろに車を止めるということは、止めた人が悪いのですから、悪いと思っていいでしよう。

なので、その人は間違ったことは何もしていないのです。

だから、善となります。

 しかし、腹を立てて怒鳴り込んでしまったのでは、「絶対善」とはいえません。

 ここで、腹を立てないで、

「迷惑をしていますから、車を移動させて下さい」、

という思いやりの心は「善」となり、腹を立てて怒鳴り込んだことは「悪」ということになるのです。

 このように、法律的には間違っていなくとも、正しい心のあり方から判断するとこのように違います。

 

    地上に菩薩界の出現

 

このさき地球に住む人間も魂の段階が上がって、このような絶対善の菩薩界の人達ばかりになるようですから、それはそれは素晴らしい時代が来るよう

です。

そこまで行くにはまだ地球も、紆余曲折あるようですが、その時代はキッと来るというのです。

 

    心の正しい基準

 

正法は、基礎や原則を知ると、全てに応用がきく教えです。

 ですから、人間の生き方、人生の在り方の方程式と言えます。

 正法は、答えは二つとはない、絶対一だからこそ「神理」や「法」というのです。

 

     正しい判断の方程式

 

 心の正しい基準、心を正しく判断する方程式は、

  @「そのことによって心が安らぐか」、

 と、

  A「そのことによって調和するか」、

という、この二つを同時に満たすもの」が、絶対善の正しいことになると正法では教えています。

 前に述べました、駐車場での問題を当てはめて考えてみてください。

怒鳴り込んだ途端に、心が安らぐどころか不調和に混乱して、相手次第では喧嘩にならないとも限りません。

このように怒鳴り込んだのでは、@もAも同時に満足させませんから,呶鳴り込むことは正しいことではないと判定できます。

このように人生の全部に応用するのです。

それでは次に、絶対不変の価値の物差しについて述べます。

 

     絶対不変の価値の尺度

 

地球という大地、

水、

太陽、

空気、

宇宙、

この五つが、人間の価値を決める価値判断の絶対不変の尺度、ものさしです。

 

     人間の短所と長所

 

短所はここでは挙げません、どうしてかと申しますと各人の心に焼き付いて潜在意識に秘められると、何にも人生の益にはならないからです

長所とは、。

明るく朗らかで,

素直であり、

人と協力し、

助け合い、

補い合ってゆく、

調和の性格です。

この長所のところを、何回も何度も声を出して読んで頂きますと、潜在意識に知らず知らずの間に印象されて心の改造の手助けになるでしょう。

 

     子に対する親の役目

 

子供が成人し社会人となって、人間としての道をはずさない、立派な一員になるよう導くことであり、それ以上のものでも以下のものでもないのです。

子供に期待を寄せ、煩悩的に子供の安全のみ願うと、かえってそれが災いし子供を不孝にすることになるでしょう。よくよく気をつけねばなりません。

 

   米国中枢部ビル爆破事件

 

 二〇〇一年九月、パソコンに向かってこの項を打っていたとき、旧日本軍の飛行機による特攻隊的なテロの攻撃によって、アメリカの幾つかのビルが

メルト・ダウンしたという報道が飛び込んできました。

 アメリカに永住している著者の甥も、近くの会社で働いていましたが、本格的な操業前に間一髪で助かりました。

同じアメリカでも時間差が数時間もある実家では、息子の、

「元気だよ」、

という電話に起こされて、それから眠気も吹っ飛びテレビに見入ったようです。

日本人関係者も何十人の犠牲者が出て、それから日本政府は、

「前のイラクとの湾岸戦争と同じ轍は踏まぬ」、

と、異例とも思える速さで米国に同調しました。

 

    十年前、湾岸戦争時の園頭先生の考え

 

 十年前の湾岸問題のとき、光の天使・園頭広周先生はこれからの日本のとるべき道は、こうだと記述されています。

 この賢明な態度が、まさに前回の湾岸戦争に取った日本政府の対応でした。

 あのとき世界から、ブーイングされたと盛んに悔やみますが、あれで良かったと思います。

 戦争にはどんな事があっても荷担すべきではありません。

 先生の意見はこうでした。

 「経済的、人的援助について、私が首相ならこうする」、

という記述からの抜粋です。

 「私はどうにかしたいと個人的には思っているのだが、あなた方が作ってくれた憲法によってどうにもならぬ、法律をかえるにも時間がかかるし、実に

頭の痛い問題だ。云々」、

と首相は表明し、大いに時間をかせぐというものでした。

 

    アメリカの本音

 

 今や世界は不況で喘いでいます。大国アメリカもしかりです。

 アメリカの本音は、

 「それは勿論、あなた方の自衛隊の派遣も結構だが、それより何より前と同じように黙ってお金を出して欲しい、ゼニをくれ」

 と、聞こえてなりません。

 そして、トドのつまりはビル爆破のテロ報復にとどまらず、米政府は背後にあるパレスチナ問題に繋がるイラク攻撃も示唆したのです。

 ソーッと放つておけば、そのうちに金は底をついて戦いも終えるのに、金満国日本がポンと、気前よくお金を出すものですから、いつまでも続くので

す。

 

   ビル爆破をどう考える

 

 ここにテロの問題を挙げたのは、前に述べました駐車場での問題を参考にして、米国のテロの問題をどう考えたら良いか検証してみようというわけで

す。

 サテ、三千人ほどの犠牲者を出して、ビルに激突するシーンをテレビは何度も放映して、それはそれは目を背むけたくなる事態でした。

 日本人も二十数名が犠牲者になられて言葉もありません。

 日本人も含めて三千人の犠牲者は、間違ったことは何もしていないのですから善です。遺族の方々の無念さ、残念さはよく分かります。

 テロを仕掛けた者達は誰が考えても悪い。極悪です。

こちらは間違ったことは何もしていないのですから、やられたらやり返すという、報復攻撃を手段とするなら絶対善とはいえません。

 相手に抗議をして国際世論に訴え、話し合いの中で解決するのが絶対善であり、自分のお膝元には国連も控えています。

 だからアフガンにしてもパレスチナ問題にしても、日本は原子爆弾を初めて被弾した国として、それに二つも落とされた国として、話し合いの仲介を引

き受けるよいチャンスなのです。

 アメリカは誰が考えても、財政的にも軍事的にも世界的な超一等国です。

 その世界一のアメリカが、

 「軍事的な報復手段を潔よくやめる」、

と表明しても、アメリカはテロに屈服したとか、腰抜けだと陰口をたたく人は誰もいないでしょう。

軍事超大国のアメリカをよく知る人は誰も反論できません。

何度も申しますが、米国の実力は世界が認めています。

 

   忍耐と忍辱の違い

 

世界一のアメリカだからこそそうして欲しかった。

忍耐ではなく忍辱(にんにく)によって世界に範を示して欲しかったのです。

 忍耐と忍辱は次元が全く違います。

忍耐は、

 「今に見ていろ」、

と反撃のチャンスをうかがい、拳をかまえた暗い心の世界観です。

 我慢はいつの日にか爆発します。心の中で不完全燃焼をしているので、心の中にイライラを起こし肉体的にも不調和を来たします。

 一方、忍辱(にんにく)は、どんな辱しめを受けても、よく耐えて心に歪を造らず相手を許し、哀れな悲しい人よと相手を思い遣る高人格者のもつ心で

す。

 もう一度、言葉を変えて言うなら、外部からどんなに辛い仕打ちを受けても、その想いの毒を心の中に食べず、許すということです。

まさしく、

「汝の敵を愛せよ」、

 は至言です。

こういっては酷とお思いでしょうが、相手を気の向くままに虐殺しても、亡くなった人は戻ってくるわけでもなく、日本的な敵討ちとか仇討ちは、

「やったわね」、

とパンチを用意した恨み辛みの最たるもので、報復はまさにこれと同じです。

 

    対抗手段は愛と慈悲

 

 報復により相手を潰しても、テロを平気で実行するほどの暗くて低い段階の者達ですから、憎悪の炎を燃やし続けて、次々と行く手に立ちはだかりま

す。

 よからぬ考えにマインド・コントロールされた人間を、良い方へ改心させる一番の方法は、力でねじ伏せるのではなく、相手にとって良かれと願う思い

遣りの行為、それは愛であり慈悲なのです。

 キリストは、売春婦のマリヤを前にして、

「潔き者だけ打て」、

と言われました。

 

   安らぎは許したとき

 

 世界の長い歴史を見たとき、打てる国がどれだけ有るというのでしょうか?

いくら報復だと粋がっても、安らぎは許す以外に生まれません。

許したときに、平和で平安な心になれるのです。

 キリスト教徒の多いアメリカ。

 それも、バイブルに手を置いて宣誓する大統領の国アメリカ。

キリストがいみじくも広宣した、

「汝の敵を愛せよ」、

は、まさしく、この、「神の心」を実践するための、アメリカのチャンスでした。

 しかし、アメリカを中心とした多国籍軍による報復攻撃は始まり、出口の見えない泥沼へと踏み込んでしまうのです。

 

    「アフガニスタンの現在」

 

アフガニスタンは三年もの間雨が降っていません。

極端な旱魃、干天状態です。

三は起始数です。

三日や三ヶ月ではなく、三年もの長い間雨が降らないということは、この地域に人為的な問題があるということです。

 人為的問題とは主義主張、政治的問題、闘争、内紛、戦争です。

 十年前にソ連が侵攻して、打つ手もなく敗退すると、うなぎ上りに増えつづける難民も、世界に見捨てられるという悲しい歴史がありました。

現在、埋められている世界の地雷数は一億個以上、ここはその一割程の一千万個と言われます。

一個三百円の地雷を一個撤去するのに、一万円程度かかるようです。

  ここでは毎日争いが続いていて、驚くなかれ二十一年間も内紛、内戦が起ったというのですから、まさしく狂気の沙汰です。

 対ソ連でアメリカが支援、利用した派閥と、今回アメリカが支援、利用しようとする派閥と、また、別の集団との争いが二十一年間です。

この地域は麻薬の一大集積地と呼ばれます。

また、世界には五億五千万丁もの銃器があって、ここは銃器のブラックマーケットとも呼ばれます。

 人間を堕落させる麻薬も銃器も、巷に溢れた無法地帯と言えるでしょう。

 その極めつけは、理由をどうつけようとも、女性を蔑視、奴隷視して、顔を他の男性に見せぬように布で隠させ、教育も制限して自立を阻んでいま

す。

男優先の、男尊女卑もいいところ!

まさに前近代的な時代の逆行です。

 一日も早く、自由で明るい女性の笑顔が戻れと願わずにはいられません。 

 

    天の意思

 

 ではナゼ、指導者だけでなく、罪も無い一般大衆も全土六割を越す大旱魃で、食べものも無いのかと申しますと、内紛という、そうした風潮を許す一

般大衆の責任も問われるからです。

「愚かな争いはもうやめた」、

と、元の平和に戻すために、天は天候異変という手段で、穀物等を育たないように仕向けます。

 と、同時に、バッタや害虫の異常発生を促して植物を食い千切らせ、肥料もないから動物も育たぬよう厳然たる天の意思が働くのです。

 何と有難い自然界のルールでしょうか、平和に導くために天の意思が働くとは。心からひれ伏したくなります。

 万物の霊長たる人間が一人よがりで愚鈍でも、動物や植物は全部犠牲になっても人間の反省のためならと協力するのです。

 人間は宇宙万物の長だからこそ、とりわけ動物、植物、鉱物の代表として、人間は皆な仲良くして、平和で調和しなければいけない理由を知ることで

す。

だから、

「こんどこそ子供達に明るい未来を」、

とアフガン国民が皆で力を合わせ立上がって、平和で自由なアフガニスタンをつくる以外に道はありません。

如何なることがあっても努力を続けていると、これは本物だと認められる頃には、干天も旱魃も終息して、いつの日か平和で安寧の日々を過ごせるよう

になるのです。

  高橋信次先生はこうも言っておられます。

「今日、冷害や旱魃が各地に起こっている原因の一つは、熱消費の増大であり、煤煙、排気ガスのチリが天空にのぼり層をつくりはじめているからであ

る。

それともう一つは、地上に住む人類の想念行為によって、地軸の位置、自転のリズムを変化させていることもある。」、

 と。

 

    地雷探査のこと 

 

 平成十三年十二月中旬のこと、著者の高校の同窓で国立大の教授の話しを聞く機会がありました。

 それは何かというと五、六メートルの飛行船を秒速一メートル以下の速度で縦横直角に碁盤の目のように動かし、カーナビを応用して地雷を探査して

地雷マップを作り、除去作業を効率よく行うことのようです。

テレビで放映したこともあるのでご覧になられたかもしれませんが、その日のお話しは平成十三年末の最新情報でした。

金属地雷もプラスチック地雷も探知可能であり、地雷は数センチから十センチの大小から形は様々で、小石との判別には多数のマルチセンサーで対

応する以外に今のところは無く、高感度の臭いセンサーの開発が待たれるとのことでした。

その点、犬は爆薬のわずかな漏れ出る臭いも許さぬ最高の探査機のようです。

日本は世界機構を通して多くの地雷除去料を負担していますが、ある国などは資金提供の代わりに、訓練した犬を送り届ける政策のようです。

地雷は、小さな子供の片足が乗っても爆発するらしく、地面に直角では爆発するので、斜め三十度に棒を注意深く突き刺しながら除去作業を少しづ

つ、少しづつ根気よく続けるのだそうです。

ある国などは、

「エエイ面倒くさい一度に!」、

と、大型ローダーで、何でもかんでも踏み潰し耕して、爆発させるらしいのです。

しかし、金属もプラスチックも爆薬もゴチャ混ぜで整地すると、どうも環境に良くないのだそうです。

 人間の悪知恵で考え出された兵器に対して、良い結果が用意されているわけはありません。

 地球人は、宇宙船地球号の同一乗組員なのですから、他の乗組員の為した行為でも、皆で責任を分かって応分の資金負担は当然なのですが、地

雷禁止条約への不参加国は、残念なことにアメリカ、中国、ロシヤ、インドのようです。

 

     アフガンへの米国の過去の対応

 

アメリカは今から十七年前の一九八五年十二月、国連からアフガニスタン和平の保証国となるよう求められたとき

「ソ連軍が撤退すれば反政府ゲリラへの武器供給を停止する。」、

と約束します。

 一九八七年末には、

「ソ連が政府軍への軍事援助を中止しない限り、反政府ゲリラへの武器供給もやめない」、

へと主張が変り、

 一九八八年三月末には

「ソ連が援助を続ける限り、米国も同様の権利を持つ(シュルツ国務長官)」、と。

米国はこのようにしてソ連との了解に達したのです。

真の和平は、大国間の、和平のための和平でなく、人類のための和平でなければなりません。

大国がエゴをむき出すのをやめ、銃声の聞こえない真の和平を現出させるためには、宇宙船・地球号の乗員全員が何もせずに、手を拱(こまぬ)いて

はいけないのです。

 二〇〇二年一月中旬には、アフガンの一部に雨と雪が三年ぶりに降ったと新聞は報じました。

国全体の在り方が好転してくると,天はその様子を見届けながら対応するのです。

だから、後戻りすることなく、これからも平和で自由なアフガンを創り続けることでしょう。

 

   パレスチナ問題と予言本

 

 次にパレスチナ問題です。

アメリカ政府はアフガン報復攻撃を始めるとき、十年前のクエート侵攻問題に端を発した、湾岸戦争のぶり返しとも思えるイラク攻撃も示唆しました。

 それというのも、この出口の見えないパレスチナの紛争を予言していた本が五十年前にアメリカで出版されていたのです。

 今から五十年前、リチードゼナーという米ロスのアガシャ教会の霊媒を通して、アガシャという高級霊人が霊示を伝えます、

それを教会員で元記者のジェームス・クレンショウが

Telephone between Worldsby James Crenshawという本にします。

その訳本としては、

『天と地を結ぶ電話』と『アガシャの霊界通信(上下)』、

の二つがあります。

前者は生長の家の出版、後者は園頭先生の監修による正法出版社です。

原本は同じでも訳者によって表現が微妙に異なるので、二つを比較して読んでいただくと良いのですが、園頭先生が亡くなられてからは、正法出版社

も閉じられ、園頭先生の何十冊もの著書は、今のところ流通していません。

再び先生の本が陽の目を見ることを願っています。

 この予言本の中でアガシャは、パレスチナ問題について驚くべき予言をしています。

よからぬことは外れた方がよいのですが、アガシャは高橋信次先生や園頭広周先生のグループの霊ですから、残念なことに最高の確立で的中するだ

ろうと著者は考えています。

奇しくも、アメリカ人が五十年前にアメリカで出版していたとは、因縁めいたものを感じて不思議です。 

二つの本を合作要約してご紹介しましょう。

 

    アガシャの予言

 

 アガシャはこう言っている。

「宗教的、経済的戦争は既に行われており、それが好転する前にひどく悪くなろう。パレスチナの戦いを止める気違いじみた努力は無駄に終わろう。

戦いは拡大して、奇跡的な和解が行われない限り世界に広がって行くだろう。

また、或る国家群(有色人種)は興り、或る国家群(白色人種)は没落するだろう。

 そして、アメリカ自身は超世界的指導国となろうが、それは同時に「没落期」も迎えるだろう。つまり、国内分裂と大災害の時期を迎えるだろう。」

と言った。

 また、アガシャは次も告げた。

「多くの勇気をなくし失望した人々は、大きな努力なしで全部を自分のものにできると信じるために、共産主義は広まるだろう。

だが、共産主義の下では大したものが得られず、正しき生活に欠かせない表現の自由もなく、ただ、指導者の奴隷になるだけだと確信した時、そのとき

共産主義は自己崩壊するだろう。反乱が起こり戦争が起こるだろう。

そして、長い間、共産主義は多くの人々を支配するが、結局それは死滅するであろう。」、

と。

  イスラエル問題を論ずるとき、ユダヤ問題は避けて通るわけには参りませんので、次はこれについて述べます。

 

   イスラエルとユダヤ問題

 

ユダヤという呼称はバビロン捕囚後に呼ばれるようになります。

外国人による呼び名はヘブライ人であり、彼ら自身はイスラエル人と呼称しています。

 多くの成書に見られるように、ここでもユダヤと統一して述べることにします。          

 ナゼ、突然ユダヤ問題が出てくるのかと申しますと、パレスチナ問題を語るとき、これを抜いては論ぜられないのと同時に、この問題は、キリスト教、イ

スラム教、ユダヤ教の、いわば宗教戦争の観点抜きには語れないと思うからです。

 

紀元前千五百年、つまり今から三千五百年前のこと、ユダヤ人はもともと遊牧民でした。

一部はパレスナナに定住し、一部はエジプトに移住します。

ところが、新天地と信じてエジプトへ移住した人々も、又もや圧政に苦しみます。

世の中は混乱し、底辺の人には自由がなく虐殺、強盗は日常茶飯のことでした。

 

    モーゼのこと

 

 奴隷の子として生まれたモーゼは、天上界の計画によって天使達が見守る中を密かに葦舟で流され、無事に王宮に拾われ大事に育てられます。

 王宮に拾われたことによって、モーゼはそこで智と仁と勇を学び、長ずるにつれて支配者と被支配者の矛盾を感じて、奴隷解放に決然と立上ってゆ

くのでした。

 モーゼは奴隷では学びえなかった文字を習い品性を陶冶して、王宮の体制の側面も知り、社会全般を見通せる素養を身につけることになります。

 こうしてモーゼは六十数万もの人々を引き連れ、安住の地を目指して、四十数年の長途の旅に登ってゆきました。

 この当時は世の中もたいそう混乱して、底辺の人達に平和などありません。

 そこで天上界は、メシヤ(救世主)としてモーゼをこの世に下し、人間の正しい生き方を大衆に示したのです。

 高橋信次先生であるエルランティは、モーゼにヤーベを名乗り、「十戎」を現象として見せ、詳しく教えます。

 

    エルランティとは

 

 エルランティは三億六千五百年前、七大天使と共に反重力光子宇宙船、今でいうUFOに乗って、地球へ初めて飛来した一団の中心霊であり、最高

責任者です。

エルランティの分霊としてモーゼ、釈迦、イエスがいます。

突然,この話しが出てきて戸惑われると思いますが、これについてこれからゆっくりとお話しします。

 高橋先生が講演されるときのことです。

お釈迦様の話をされると、普段の高橋先生はそうでもないのに、耳が大きく伸びて釈迦の顔になられ、また、イエスのときの高橋先生は丸顔なのに細

面の顔が、モーゼは、またそのように次々と雰囲気が変られました。

 

   お釈迦様の場合は

 

 お釈迦様を例に引けば、どうして二千五百年前のお釈迦様の顔がわかるの?

と疑問の声が聞こえてきそうです。

 その疑問は当然でしょう、どうしてわかるのか、高橋先生の言葉を借りれば、それはこうです。

 何千年も前にお釈迦様の傍にいて、しかもお釈迦様の顔を知る人なら、お釈迦様である高橋先生の全身から放たれる光り、オーラー、後光によっ

て、その人の心にある想念帯の一部が破れて、九十パーセントの潜在意識が十パーセントの表面意識に流れ出ると、過去世のことが今日のことのよう

に思い出せるのです。

 

 

 

 

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   過去世を思い出す二つの方法

 

何千年も昔の人生をありありと思い出す方法は、二通りあります。

その一つは、人間の三悪想念である愚痴、怒り、足ることを知らない欲望を心から取り除く正しい生活行為を続けていると、その内に過去世のことを思

い出せるようになります。

 もう一つは、過去世で縁のあった光の天使の、例えばお釈迦様のような方から絶えず出ている光、オーラ、後光によって心の窓を開くと、過去世のこ

とも言葉も全てがわかるのです。

 高橋先生の光で過去世の人生や言葉を、強制的に思い出させられた人は、高橋先生が昇天されると、その能力も消えうせ、ただの人に落ち果てま

した。

 しかし、正しい生活行為によって心の窓を開いて霊能を現わした人は、いつまでも能力を発揮し続けたのです。

 超能力を得たいと考え、肉体業や苦行によって人が持たぬ特別の能力を得たいと労力を無駄にするより、正しい想念行為から発象する能力の方が

何倍も素晴らしいかお分かりでしょう。

このような理由から、お釈迦様である高橋先生と縁のある聴衆者で、自らの正しい生活行為から自分で霊道を開いた人か、或は、光の天使が放つ光

によって霊道を開いた人は、お釈迦様を見たというか、霊視したというか、

 「ア、お釈迦様だ」、

となって、

「あの方はお釈迦様の生まれ変わりだ」、

という風評が一人歩きをしたのです。

と、同時に、

高橋信次先生の『人間・釈迦』四部作や講演では、

「私はそのように説かなかったのであります」、

とか、

「それは違います真実はこうです」

と、お釈迦様でなければあーは書けまい、あーは言えまいといわれる新事実の連続でした。

これが高橋先生はお釈迦様に違いないとの風評が定着した理由です。

 

   イエス様の場合

 

また、聴衆者がキリスト教について質問すると、高橋先生はイエス様の顔になられて、釈迦の場合で説明をしました同じ手順で、

「イエスは紀元前三十二年に生まれました」、

となり本当に驚きでした

 西暦はご存じのようにイエスの生誕から始まっていますから、三十二年となればどうなるのでしょうか。

 皆さんも俄かには信じられないと思いますが、歴史が根底から崩れるのですから驚きです。

高橋先生には誠実でウソが全くなく、その方が明かされた真実ですから、私は信じます。

また高橋先生は、

「イエスは天上界ではイエスとは言いません。イマニエルやインマネールといいます。インマネール・イエス・キリストです。釈迦は天上界ではカンターレ

です。モーゼはモーゼです。」、

と講演されています。

 以上はエルランティの分霊が釈迦やイエスの場合です。

 これまでに、分身や分霊と使い分けて述べていますが、ともあれ複雑で分かり難いから、「〇〇の分身、分霊は△△です」とあったら、「〇〇は△△に

生まれ変わりました」、と理解されても良いのではないでしょうか。

 次は園頭先生の体験されたエルランティです。

   

    園頭先生とエルランティ

 

 園頭広周先生は、高橋先生に何か声を出して問うわけでもなく、心の中で質問されたそうです。

すると何も尋ねないのに高橋先生は園頭先生の心の中を読んで、

「それはキリストに答えてもらいましょう」、

となります。

 心の中で何を質問されようとしたのかと申しますと、それはこうでした。

園頭先生が生長の家教団の、幹部の頃のことです。

、例えば会員が子宮の病気を相談したとします。

 すると、相談を受けた担当者は、周りの人にも構わず大きな声で、

「その病気は夫婦の調和がないから、仲が悪すぎるから!」、

と怒鳴られて会員は、

「皆の前で恥をかかされた、もう集まりに行くもんか」、

という風潮が出てきます。

 そのような担当者達をどう指導するか、管理をされる立場の園頭先生は、その時どうすべきだったのか尋ねたかったというのです。

 イエス様はどう答えてくださるのか園頭先生が固唾を飲んで見守られると、最初は釈迦の相(すがた)でしたが、みるみるうちに高橋先生の顔はキリス

トの顔になられ、

「愛のない人に心と肉体の法則を教えてはいけません。愛を説く機根ができた後に教えなさい」、

と、教えて下さったそうです。

どうして、キリストの顔が園頭先生に解られたのかと申しますと、園頭先生の過去世の一人は、超古代では天使ガブリエルでした。

というのも、マリヤさまに「メシヤが生まれる」というイエス生誕の伝達係りでしたから、イエスと、それはもう旧知の仲でした。

そのイエスさまが、愛を説く機根が出きてから教えた方が良いとなります。

 愛があれば、偉ぶって人を裁くことはありません。

イエス様の説明が終わると、高橋先生は、

「わかりましたか園頭さん。モーゼにヤーベと名乗ったのは僕ですからね」、

となります。

 すると、キリストの上に、イエスを超越した偉大な光があったそうです。

 園頭先生は霊の重圧というか、魂の感動というか、誰かに強制されるでもなく自然に額ずいて、

 「高橋先生をこの世に賜わりましてありがとうございます」、

と心は打ち震えられるのでした。

 イエスを超越した偉大な光こそは、エルランティだったのです。

 これまでの粗筋は、モーゼが六十万人を引き連れて大移動を四十数年間行うには、エルランティがヤーベを名乗り、モーゼに十戒を伝えたというとこ

ろまで話しました。

これだけの距離に、どうして四十数年という長い時間を掛けたのかと申しますと、それは移動しながら六十万人それぞれの心の調和を計るためと同時

に、

人間の正しい生き方の十訓ともいう「十戎」を、通過先の民へ浸透させることでした。

 それから、通過して行く地域の天候異変による凶作を、豊作に変えるためには、十分な時間を掛けなくてはなりません。

 このようにヤーベはモーゼに、雨、風、晴れの天候を変える力も与えます。

ヤーベがモーゼに教えた「十戎」は、次の通りです。

 

   モーゼの十戎

 

汝をカナンの地へ導きしは、我ヤーベなり、我の外、なにものも神とすべからず。

偶像を崇拝するなかれ。

神と主の名をみだりに唱えるべからず。

安息日には休め。

汝の両親を敬え。

汝、人を殺すべからず。

汝、姦淫するなかれ。

汝、盗むなかれ。

汝、偽るなかれ。

汝、隣人を愛せ、

 です。

 このようにヤーベは、人間として守るべき十の戎め、十の必要最低の生きる道を、モーゼに伝えました。

 とりわけ、人間の正しい生き方をエルランティは、民の代表であるモーゼにに教えたのです。

 モーゼは、それを民に伝えました。宗教的に特別なことは何もありません。

だから著者は、

「宗教は人間の正しい生き方を教えた筈なのに、それにもかかわらず変えられて」、

と述べたのです。

  モーゼはエジプトを脱出して、何事もなくシナイ半島にたどり着きます。

ところが、それからは六年経っても思うように進みません。

或る夜モーゼはヤーベの声を聞きます。

それは、

「十人には十人の長を、百人には百人の長を、千人には千人の長を、それぞれの長をつくって、その長を集めて伝えよ」、

というものでした。

それまではモーゼが全員一人一人に指図していたからです。

長い月日が過ぎました。

 いつしか、モーゼは悪魔サタンが起こす奇跡的、霊的な現象に惑わされ、偶像を祭ってはならぬと自から戒めていながら、モーゼはヤーベの偉大性

を讃美し、お祭りをして山羊の生き血、羊の生き血を供えるという重大なミスを犯します。

 ナゼそうなったのかと申しますと、ヤーベがモーゼに霊的な通信を送るときは、姿が見えぬだけに誰の通信からか分かりません。

そこで、重大な間違いを無くすために、

「Iam that Iam」(我は有りて在る者なり)、

という言葉から始めるのがお互いの約束だった(高橋信次先生)、というのです。

 

   サタンとは

 

 それは三億六千五百年前のこと、真のメシヤ、エルランティと共に、他の天体のベーター星から次々と地球へ飛来した六千人の中の、七大天使の一

人ルシフェルは、天使でありながら生き方、生き様を誤り、天上界とも連絡を絶ち、暗黒の地獄の帝王となってサタンと呼ばれます。

モーゼはサタンの起こす霊的な現象に惑わされることはあっても、ヤーベはモーゼに、生贄を捧げよとも、人を殺せとも言ってはいません。

一人の命も百人の命も同じだと言ったのです。

 特に、ユダヤ教ではヤーベを怒りの神といって恐れています。

それも間違いです。

では、なぜか?

 

   ベニスの商人とユダヤ

 

 ユダヤ民族がこれまでにいろいろな苦難に出会ったのは、それが神の怒りにふれたのではなく、ユダヤ民族の行為が、今から四百年前に書かれた、

シェークスピアの短編小説『ベニスの商人』に代表されるように、中道調和の道を外れた結果にあったのです。

 早い話が、『ベニスの商人』は、ユダヤ人が金をもうけるためには相手の生命も平気で取るという風刺です。

 高利貸しのユダヤ人シャイロックは、相手に金を貸して、もしも金を返せなかったら、心臓をもらうという誓約書を書かせます。

ついに返せなくなって裁判になります。裁判官は、

「心臓をもらうと約束したからには心臓を取れ。但し、血は一滴たるとも約束してないのだから血を流さずに心臓を取れ」、

というものでした。

ユダヤ人は極端で酷いから、

「ギャフンと言わせれば、スッキリするね」、

という譬えです。

ユダヤ人には当時これほどまでの風刺があったのです。

 今やユダヤ人は、武器、石油、通信、食料、金融、宗教、世相などを金の力で制覇するというのです。

 

   ユダヤとシャローム

 

 ユダヤが全てを一手にして我が世の春と歌いたいのなら、ユダヤ民族共通の迫害という悲しい歴史を歩んだとしても、ほどほどという中道調和の道を

画策しなければ、シャローム(平安、平和)には程遠いのです。

 ヤーベでありエホバであった高橋先生は、正しく働くという正業(しょうぎょう)について、次のように語っておられます。

「一所懸命、一生懸命に働いてお金を正しくもうけることは、決して悪いはずはありません。人間にとって一番大事なことは、心と肉体と経済の調和で

す。

精神も健全で、身体も健康、お金もほどほどに持つことです。」、

と。

また、働くという経済行為の原点について、

「経済行為のの原点は、男女両性の愛の中から呱々の声をあげた。男は労働に従事し、女は子弟の教育と家を守った。自給自足の経済は永く久しい

間続いたのである」、

と。

 男は外に出て働き。女は家庭にあって憩いの場をつくり、子供を育て家庭を守るもの、と宣言されました。

 男は愛する家族の、妻や子供のために懸命に働くのが正しい道なのです。、

 自由、平等、友愛の気高い標語を掲げても、ユダヤ民族は早く世界と調和しなければ、いかに強烈な信仰をしようと、また、いかに財力にものを言わ

せようとしても、ユダヤ民族の在り方を変えなければ迫害は続くでしょう。

安息日も真実は次の通りです。

 

    安息日

 

、安息日をつくり、一週間に一度だけ反省の時間を持たせよ、身体を休めることと同時に反省の日にせよと、ヤーベはモーゼに伝えます。

ところが商売はするな、病める人を助けてはいけない、あれはダメこれはダメ、ということになります。

 

   ユダヤの選民思想はナゼ起きたか

 

では、ナゼ、ユダヤ民族だけに選民思想が起こったのかと申しますと、それは旧訳聖書「出エジプト記」に在ります。

「神、モーゼに言いたまいけるに……我を汝らに遣わしたもうと」、

にあります。

神がモーゼに、

「私はお前達だけのために現れた」、

というのです。

 これが、ユダヤだけに神のコトバを告げられた選ばれた民である、と考えるようになったのです。

 モーゼはヤーベを神と呼びました。だからユダヤ人はヤーベを「神」と信じています。

 ヤーベは神ではありません。次元の違う天上界の、最高人格、超人格である人間の霊魂です。

 皆さんご存知のように創造主である神は、一度も人間の前に姿を現されたことはありません。

 

   パレスチナ問題は出エジプト記とバビロン補囚

 

いまや、世界がパレスチナ問題でギクシャクしています。

 もともとの原因は、モーゼとともに前一五〇〇年頃の「出エジプト」記にいう、民族のシャロームを求めて歩き出した流浪の旅と、もう一つは前一

〇〇〇年頃に住民の大部分がバビロンに連れ去られた、民族の悲劇である「バビロン捕囚」にあります。

この後からは世界各地でユダヤ伝説が語られることとなり、シルクロードの行きつく先は正倉院に見られるように日本です。

こうしてユダヤ支族の一つが東端の日本にユダヤ伝説を残します。

 それが古来からの日本民族と融合して、日本とユダヤ人の祖先は同一という日ユ同祖論の展開にも繋がるのです。

 

   日ユ同祖論

 

その根拠は次の通りです。

沖縄の方言は、古代ヘブライ語に近い構造。

神主さんとユダヤ教のラビ(教師)の服装が同じ。

皇室の習慣、言葉、三種の神器の鏡裏にある文字は、前に述べた「我は有りて在る者なり」とヘブライ語で書かれている。

また、ユダヤ教と古神道や神社神道との類似点と共通点。

山岳宗教の山伏の頭につける小箱と、ユダヤのヒラクリティとの類似点など、挙げれば数多いのです。

高橋先生も「天狗」、「鬼子母神」についての記述が残されていますので、ここでは天狗について述べます。

 

   天狗とユダヤ人

 

 高橋先生はこう記述されています。

「研修会場は天狗の多い場所であり、禅定(ぜんじょう・瞑想)中に大きな体の、大きく長い鼻をした天狗がよく傍に来ていましたが、悪いことはしません

でした。彼らの顔は、天狗のお面とそっくりです。天狗を霊視した者は大勢いました。」

と、あります。

 典型的なユダヤ人の白黒の写真を見ると、長くてカギ鼻の顔を朱で染めれば、まさしく天狗と叫びたくなります。

 日本人と肉体的特徴を異にする、長身で長いカギ鼻のユダヤ人は、言葉と習慣の違いから不協和音を奏でた時代、それは迫害という、うらみ、つら

みの一つ一つが、他民族とは相容れない時代があったと考えても不思議はないでしょう。

その内に日本民族と調和して、日本の習慣や生活様式にユダヤが残って行ったのでしょうか。

 

    モーゼ以後のユダヤ

 

モーゼ以後の三千年間は、ユダヤ民族と先住民族との血を血で洗う闘争の時代でした。

 近世のユダヤ民族は、原子爆弾の基礎理論ともなったアインシュタイン博士等の卓越した頭脳集団に代表されます。

アインシュタインは、ユダヤ狩を進めるナチスを封じ込めるには、

「これもいた仕方がない」、

と、ルーズベルト大統領に原子爆弾の早期完成を建言します。

ところが、ナチスは既に敗退したのに、原子爆弾は博士の許から一人歩きをして、あろうことか博士が愛した日本に、投下されたと知るのは翌日の新聞

でした。

博士が望んだ世界政府に管理されるのは、いつのことでしょうか。今なお原子爆弾の管理は米国の軍部です。

高橋信次先生は、

「鼻の長いのが出てきて難しい理論を説く。どうして彼が僕へと思った。僕が説く一部は、アインシュタインから教えられたものです。」、

と。

また、

「今から百八十年後にシカゴにイエスが生まれ世界政府をつくる。昭和四十八年、一九七三年現在」とあります。

 理論は殺人兵器を生み出すものでも、平和で博愛主義のアインシュタイン博士に、次のことを尋ねてみたいのです。

「今から百五十年後には、原子爆弾は世界政府の許にあると、あなたはお見通しでしたか」。

また、

「あなたはユダヤのフリーメーソンの在り方をどう思いますか」、

と問いたいのです。

 原子力は、原子のエネルギーを小出しにして生活に役立てるか、それとも一瞬に放出して殺戮兵器とするか、それは人類の自由にまかされていて

も、兵器は廃棄処分が当然です。

また、アガシャはこうも言っています。

「原子力は完全に安全なものとなり、人類を滅ぼすためでなく人類を向上させるた めに用いられる」、

と。

その日の到来を楽しみにしたいものです。

 もう一度念を押します。

 何もユダヤ人が、こと更らに優秀というのではありません。

 優秀な霊魂群がグループで、ユダヤに生まれただけのことです。

 とりわけ、金の力で世界を手玉に取り続けると、いつの日か優秀霊達はユダヤを敬遠して、その果てには没落が待っているだけ、ということになるでし

ょう。

 

   アメリカのユダヤ民族とイスラエル問題

 

全米のユダヤ人は六百万人とも言われます。その内の二百万人はニューヨークに住んでいます。

 光の天使・園頭広周先生は次のように言明しておられました。

「私が生きている間に実現したいことは、アメリカ大統領の背後にあるニューヨーク東部エスタブリッシュメント達に「正法」を知らせておきたいということ

である。そうして、ユダヤ民族と日本民族が調和することである。

 ユダヤ民族が抱いてきた選民思想は、ユダヤ民族だけのものではなく、すべての人類がみな「神の子」であることを知ってもらうことである。悪をつくり

出す民族がいつまでも栄える筈がない。神の法は厳然として働くのである。

 アメリカの政策がダメになるのはユダヤのフリーメーソンに関係する部分だけであるから、フリーメーソンに関係のないユダヤ民族以外の一般的なアメ

リカ人の持っている良いものは残ってゆく。アメリカの大統領に会見する外国の元首はフリーメーソンの会員になることになっているとか、ユダヤの意向

を聞かなければアメリカの大統領にはなれないとか聞きますからね。」、

と。

ユダヤは、流浪の旅から国土を持たない民として、悲願の国をイスラエルという名で、アメリカの力を傘に強引に建国しました。

 それが周辺のパレスチナ諸国を不安と混乱に陥れ、その功罪は計り知れません。

 いつもギクシャクしています。

園頭先生は、分身がジョージ・ワシントンの過去世を持つ方ですから、アメリカの良心を信じながらも気がかりなご様子でした。

先生は宗教家としては異例とも思える方で、日本のジャーナリズムが騒ぎ立てる前から、ユダヤ問題に造詣が深く、多くのことを教えていただいたもの

です。

次は、地球と地球人誕生について述べます。

 

   地球創生と地球人類の誕生

 

地球創生のとき、地球という大地と、溶岩のマグマと、海水と、空気と、重力と、磁気と、圧力と、太陽の熱光の相互関係によって、万物である動物も植

物も鉱物も誕生します。

 鉱物の鉄を例にして述べれば、鉄も同様の仕組みで誕生します。

鉄は人間が発明したものではありません。

 もともとあった鉄を、人間が使い勝手よく旨く加工しただけのことです。

 地球人は、鉄や万物全部が準備された後に初めて誕生します。

 人間が利用する日のために、なぜか整然と用意されていたと言いたいのです。

 文明は進化して超科学が現出しても、その文明に必要なもの全部が不思議にも、存在しているのです。

 神と呼んでも良いし、大自然でも、宇宙エネルギーでも、大宇宙大神霊でも、創造主でも、呼称ですから何でもよいのですが、人間が利用するその

日のために、気長に見守っておられるのです。

この愛にひれ伏さずにはいられません。

それも、悪用するか有効利用するか、人間の判断に任せておられるのです。

勿論、悪用は、神の子である人間の行為ではありません。

 

   進化論のウソ

 

人間は猿から進化したのではありません。

猿は初めから猿であり、人間は鼻っから人間、と高橋先生は言われています。

 その証拠に、進化論をいくら引っ提げて来ても、進化の途上のものは、何一つとして見当たらない筈です。

 こと更に言えば、進化論は天上界でも厄介ものらしく、高橋先生や園頭先生の著書では、進化論はあり得ないと切り捨てられています。

とりわけ高橋先生は、

「進化論が本当なら、猿が檻から出してくれと交渉するのがいてもおかしくない」、

と一笑されている程です。

 次も、信じる信じないの判断は自由ですが、高橋先生はこう教えられました。

 

    最初の地球人は宇宙人だった

 

地球人は三億六千五百年前に、数億光年先の他の天体にあるベーター星から、反重力光子宇宙船といわれる、今でいうUFOに乗って飛来した宇宙

人と、高橋先生は教えられています。

 何億年という超過去のことが、なぜ分かるのでしょうか?

 それは、人間は次々に生まれ変わり死に変わりする生命体ですから、潜在意識は色んな時代の人生体験の宝庫です。

 ある方法を実践すると、「パニヤパラミタ」という、各人の心に内在された偉大な智慧に到達することが出きます。

では、その方法はといえば、数えきれないほどの多くの人生体験を潜在意識から思い出すには、人間がこの能力を閉ざした原因は、「愚痴」、「怒り」、

「足ることを知らぬ欲望」の心にあったのですから、これを人の心から抜けば良いのです。

 三億年前の原始人類は、愚痴も怒りもなく、足ることを知って欲望もなく、当時の人はあの世とも自由にコンタクトでき、霊人とも自由に話しが出来まし

た。

 そして、人は五百歳、千歳を数え、病気も事故もなく穏やかで高人格者の住む地上天国でした

 生まれ変わり死に変わりした過去の幾多の人生体験を思い出すには、秘法とか超能力などの特殊なものではありません、

 答えは毎日の生き方に在ります。

 何だかんだと言っても、これをやってみなければ先へは進めません。

 愚痴、怒り、足ることを知らぬ欲望を「心の三毒」といいます。

 この原則を学ぶと何が徳か、何が利益かと申しますと、潜在意識から過去世の生活や当時使っていた言葉など、全体験の記録である智慧を思い出

して、直面する問題の解答が心の中にフッと涌き出てくるのです。

 予感とか直感として、

 「ア、こうすればいい!」、

と、難問も思いがけなく解決できます。

今のあなたは実業家であっても、過去世では農家かもしれません。

このように体験された職業が違うと、現代での経験とは違った思いもよらぬ発想が出きるものなのです。

  では、一例を挙げます。

 現代の高橋先生のお父さんは、古代インドのお釈迦様の時代も、同じくお父さんとして、シュットダーナーという名の王様でした。

 次は源頼朝として鎌倉幕府を開き、現代は長野県の高原にある小村の百姓でした。

如何ですか皆さん、皆さんの心をひも解いて行くと、誰でも色んな体験をしています。

現代のあなたは男でも、女性としての体験があるかもしれません

 このように見て来ると、物事の価値観や、価値の尺度が今までとは、まるっきり違うと感じられた筈です

高橋先生の解説によると、お父さんは、

「もう武士や権力者はいやだ。今度はのんびり農業でもしよう」、

と心に描かれたのでしょうか、派手さのない質素な一生だったようです。

 人間は、生まれ変わり死に変わりしながら、魂の修行をした体験の宝庫ですから、      ロボットのような機械では、人間は作れないということを示します。

 

      ロボットと人間の大きな違い

 

たとえばロボットは、いくら高性能のコンピューターを積んでいても、計算や処理は速いでしょうが、コンピューターにデーターの無いものはお手上げです。

でも、人間は過去世での体験記録の、また、体験の智慧という宝の山、莫大な量のデータを持っています。

ここが機械と人間の距離を絶対に縮めることのできない最大のポイントです。

 究極的な言い方をすれば、SFや小説の世界ならイザ知らず、絶対に人間的なロボットは作れません。

 

    知恵と智慧の違い

 

 「知恵」は、この世だけの経験を土台にして物事を処理する心の働きです。

特に、ここで述べる智慧は、読み方は同じ「ちえ」でも、「智慧」というのは、人間は永遠の生命として、何千回何万回もの、地上での生活体験を基に物

事を処理する心の働きを智慧といいます。

 智慧と知恵は漢字の違いだけでなく、意味の中身が全く違います。

 一回こっきりの人生体験よりも、多数の人生経験を土台にした物事の処理方法は、当然ながら的確で失敗も少ないのです。

 

    地上界での人生体験数の違い

 

人によって人生体験数、つまり人生体験の度合いはどう決まるかをお話しします。

ある人は人生体験が千回、ある人は一万回の人生体験があったとします。

この数の違いはどこでどう決まるのかと申しますと、それは人間一人一人の生き方と生き様にあります。

 端的に申せば、天上界の人のみこの世に生まれ変われる、地獄界の人はこの世に生まれ変わることができないということです。

 天上界からのみ生まれ変われ、地獄界からは絶対に生まれ変われないということです。

 一方は、真面目に誠実に人生を送ったので一万回の地上界での人生経験、片や地獄界に留まることが多かったので、この世に生まれることが出来

ずに千回の人生体験があったというのです。

では天上界や地獄界とは何でしょうか。

 

    天上界と地獄界

 

天上界に行ける人の心の状態を述べます。

最低の段階が、

 「人はどうでも自分さえよければ良い」、

 というエゴの世界である、幽界(ゆうかい)です。

この段階でも天上界への切符が貰えて、この世に生まれ変われるというのですから、神様は気長い心で人間を許していられるのだとつくづく考えさせら

れます。

これより以下の心の段階が地獄界の心です。

地獄界の一つに、守銭奴で肉欲に溺れ本能のままに、ケダモノのような人達の集まる世界があります。

この人達の集まる世界を畜生界といいます。

 想像をしてみて下さい、どこを見てもどこを向いても四六時中、肉欲を続けている野獣のような者達の世界ですから、ヤルセなくていやになりますよ。

天上界を五段階分類すると、下位界の方から、

幽界、

霊界、

神界、

菩薩界、

如来界、

となります。

また、地獄界を五段階分類すると、

修羅界、

餓鬼界、

畜生界、

煉獄、

無間地獄です。

 神様が人間に求めておられるのは、損害を受けても人を非難せず、人を非難する前にその原因を反省し、二度と間違いを犯さない人達の世界であ

る神界(しんかい)です。

 このように神様は神界の心の人達ばかりの世界を希望されています。

神様が望まれる心の世界、という意味の神界です。

 

    地獄界と反省

 

 地獄界も天上界の仕組みも同じで、同類が集まる世界です。

 天上界の上段界の一つ菩薩界は、愛が深く心爽やかな人達ばかりが集まり、どこを見廻しても、穏やかで爽やかな人達ばかりの最高の環境です。

 一方、地獄界は慈悲も愛も思い遣りもない弱肉強食の世界で、どこを見回しても貪欲な人ばかりの、そこに長くとどまれる世界ではありません。

反省の習慣のある人は、

 「これではいかん俺の考えは間違っていた」、

と反省、修正を始めると、もうシメたものです。

地獄界でも、心から反省をして心の改革を計ると、次々と段階が上がります。

段々と上がって、人はどうでも自分だけはというエゴの世界まで心がたどり着けば、いよいよ天上界です。

 それから一定の期間を置いて、もう大丈夫という頃には地上界へ晴れて誕生です。

ところが、中には再びこの世に生まれても、この世を縁として生き方を誤ればまた地獄の世界に転落です。

高橋先生は、このような人達が多いと講演や著書で嘆いておられます。

地獄の世界は閻魔さまが裁くのではなく、自分の嘘のつけない善なる自分が裁くのです。

言い替えれば、己の、神の子の善我が自分を裁くのです。

 このように地獄界とは、人間が生き様を誤れば厳しい環境で反省、修正する場なのです。

 人間は悪いことをしない人はいないのですから、今の内から反省の習慣をつけ修正しておくことでしょう

  

    天上界はピラミッド型、地獄界は逆ピラミッド型

 

天上界はピラミッドの形です。上の段階の如来界や菩薩界はピラミッドの先端のように人数は少なく頂点は神です。

天上界でも下位の方は下に行くほど人数は多くなります。

これが天上界はピラミッド型という意味です。

 また、地獄界はピラミッドを逆さにしたような逆ピラミッド型です。下に降下するほど極悪人は少なくなり、その先端は魔王であるサターンです。

 以上が天上界と地獄界についての話です。

 ところで、

「我々に超過去だの、天上界や地獄界や限りなく多くの人生を思い出せるなんて、とてもとても。それは高橋信次さんだから出きるのだろう?」

と聞こえて来そうです。そうではありません、誰にも出きます。

 

    過去世の体験を思い出す方法

 

 過去世を思い出すには、どうしたら良いのでしょうか?

 人間は永遠の生命です。

 肉体と同居した永遠不滅の魂が、全体験を覚えています。

 魂は別名を意識といいます

肉体はこの世かぎりで、ついには腐って朽ち果てるのです。

 肉体と魂が離れず不離一体で同居すると、そのときは人です。

 人が亡くなり、肉体から魂が離れると物です。

適切ではないでしょうが、死体を飛行機で運ぶときは貨物室です。

それは魂の無い、ただの物だからです。

 死とは、肉体はそこに置いて、魂だけが次元の違うあの世へ戻ることをいいます。

 肉体と不離一体の魂が人生の全記録を持ってあの世へかえるのです。

 人が亡くなると、魂は肉体から離れて、次元の違うあの世へかえります。

 ニワトリと卵の問題ではありませんが、この世とあの世はどちらが先かと言えば、あの世へ帰るとか、あの世へ還えるとか、あの世へ戻ると表現するよう

に、あの世が先で、この世が後です。

意識界や実在界と呼ばれるあの世が先で、現象界とか地上界と呼ばれるこの世が後です。

 

    生命と物質の成立

 

 生命の成立は、宇宙の大意識から個としての生命が、先ずあの世に誕生して、次に、この世に姿を現わします。

また、物質の成立は宇宙の大意識から、熱、光、電気、磁気、重力のエネルギーの組み合わさりによって、物質が現象化されるのです。

人間という生命体は、あの世とこの世を循環し、、この世に生まれ出るときには、両親という媒体(縁)を経て、姿を現わします。

つまり、大意識から離れた生命はあの世、両親、この世というプロセスを踏みながら、循環の法のなかで生きるように仕組まれています。

 魂は意識とも心とも言います。

 人は意識が無くなると、人としての主体性はなく、死ではありませんが、生と死の中間状態です。ひどければ死ですし、軽ければ生です。

 

    睡眠

 

 同じく、睡眠は意識の無い状態でも魂はあの世へ一時帰休して、神のエネルギーを授かっている状態です。

 熟睡は神のエネルギーを十分に受けた状態ですから、元気一杯で希望も全身にみなぎるのです。

 悩みがあって、トロトロした眠りは、神の光を十分に受けていないエネルギーの不完全燃焼ですから、スッキリした気分になれず「ボンヤリ」とか「ボーッ」と表現する状態です。

眠りは、あの世への一時帰休ですから、揺り起こしてもすぐに気付かないのは意識が肉体を支配するのに、そこにタイムラグが生ずるからです。

 

    あの世

 

 あの世を意識界や実在界と言います。

 意識の世界を意識界と呼び、意識が一杯の世界が意識界です。

意識は魂や心です。

あの世は意識界ですから、あの世は心の世界です。

あの世は心の世界ですから、心に記憶したものは消えて無くならないのです。

消えないで本当にある世界だから、消えないで本当に実在する世界という意味の実在界です。

 ではどうすれば過去世の体験を思い出せるのかというと、大事なことですから何度も申しますが愚痴、怒り、足ることを知らぬ欲望を心から抜き去るこ

とです。

   

    現実の生活から「心の三悪」を抜く方法

 

まず初めは、

愚痴はいけない

怒ってはいけない

過度の欲望はいけない

と、口をついて自然に出る位いになるまで言葉の確認をします。

次にあなたの一日の中で今日は、

一度も愚痴を言わなかったか

一度も怒らなかったか

一度も欲望を剥き出しにしなかったか

と、振り返ります。

反省とは「少な目に反る」、と書きます。

少しづつ少しづつ一日の生活をふりかえってみるのです。

最初のうちは、たくさんのバッ点(×印)が出ても仕方ありません。

これを一週間、二週間…・と続けます。

これを毎日の習慣になるまで続けて、心の浄化を計ります。

このように心の浄化が習慣になったら、

次は守護霊との対話です。

 

    守護霊とは

 

 守護霊とは何でしょうか。

ここで申し上げておきたいのは、他の出版されている本にある守護霊と、正法のいう守護霊は意味が違いますので注意して下さい。

 守護霊は各人の過去世です。

 例えば、前世は八百年前,千二百年前、二千年前、三千五百年前…・・に生まれた人がいたとします。

前世で一番近い人が八百年前ですから、この一番近い八百年前の人が主に今世の守護霊として、あの世から、その人の一生を見守ります。

そして予感、直観として人生の疑問にヒントを与え協力します。

 あの世は時間、空間の無い世界ですから宇宙の果てであろうと地底、海底であろうと関係なく守護霊とは通じて、見守られるのです。

 

   守護霊の一例

 

一例を挙げます。

守護霊が千二百年前に料理屋さんをしていた人がいました。

 現世の人はサラリーマンなのに、どうしても料理が好きで好きで忘れられず、興味が尽きません。

 その内には、家族を説得してお店を持ってしまいます。

脱サラが出きて、今までの職業とまったく関係のない商売もどうしてこうも、うまく行くのかなと不思議でしょうがないというのです。

このケースはもう説明するまでもなく、守護霊が料理の経験者であの世からいろいろと協力を惜しまないのです。

間違ってもらうと困るのは、、あれもダメ、これもダメと定着せず職を転々とする人のことを、言っているのではありません。

 次は、相談者が高橋先生を訪ねて相談するテープの要約です。

 このように筆録する場面に出合わせると、早くインターネットでのビデオ公開を、とと気が急きます。

 

    高橋先生に相談の例

 

 五十代の女性相談者との会話です。

 主人を数年前に亡くし、残された財産でアパート経営をしたいという相談です。

 相談者は何も言わないのに、息子嫁がその希望であることを高橋先生は指摘された上で、

「もう少しあなたの意見を主張することです。気の使いすぎですよ」、

とアドバイスされます。

 それから相談者は何も言わないのに、高橋先生は、

「あのお金でアパートはだめですよ。足りません。そうですね」、

と念を押されます。

うなずいた上で相談者は、高橋先生の、

「あれでは足りません」、

という、この言葉にあ然とします。

 どうして、財産の額まで分かるのだろう、と皆さんは疑問の向きもあるかと思われるので説明しましょう。

高橋先生は、その人の守護霊に何でも全て、声を出さず心の中で尋ねられるのです。

守護霊は、心を許す人には何でも残らず話します。

なぜなら、その人の一生を残らず見て知っているから、相手次第では何でも全部残らず話します。

ゼイ竹と拡大鏡を手に持った手相占いではありませんが、

「高橋先生の前に黙って坐ればピタリと当たる」、

という夢の相談が出きたのです。

 

    仏陀の定義 

 

 ここでハッキリしておきたいのは、高橋先生のような仏陀と言われる人の定義は、

「あの世のことも、この世のことも、未来のことも全て分かり、あの世の人とも自由に話せ、過去世の言葉も話せ、相手のことが黙って坐れば全てが分か

り、人類を正しく導く人」、

といえます。

 世には自称、仏陀という人がいるらしく、このような人は特にこの視点で正しく見て欲しいのです。

その手の霊能者によっては、係りに前もってアレコレ聞かせるようです。

高橋先生の場合ははその必要が全くありませんでした。

心を許す人には守護霊が何でも話すと申しました

 ここでいう心を許す人とは高橋先生のように超霊格で超人格の人には一もにもありません無条件です。

 仮にその人より低い人格の人なら、守護霊も相手を見くびって真剣に答えません。

 この世とて同じです。

 尊敬をして心を許す人には隠し立て無く全部を話しますが、そうでない人にはそれなりの返答で軽くあしらうではありませんか。

人格的に低い霊能者によっては、尋ねる人への解答が当たりはずれが多いのはこういう理由からです。

 

    仏様と神様はどちらが偉い

 

皆様には、言うまでもなく、もうお分かりと思いますが、正法では、創造主である神様を大宇宙大神霊といいます。

日本では亡くなった人を仏、ホトケと呼ぶことがあります。

ここでいう仏様、仏陀様とは、最高霊格、超人格の人間の霊ですから、いくら高人格の人間の霊といえども、創造主である神様にはかないません。

高橋先生には次のようなこともありました。

 

    高橋先生の霊能の一端

 

格闘技のアントニオ猪木がモハメドアリと闘ったとき先生を訪ねています。

高橋先生はアリの弱点をアリの守護霊に聞いてアドバイスされたというのです。

時効になった三億円事件でも

「三億円を強奪した人よ」、

とその人の守護霊に聞けば、なんてことはありません。

殺人事件の迷宮入りした事件も、高橋先生の手にかかっては百発百中で、何例も解決に協力された事例があります。

その当事者にとっては、そうなるからにはそうなる原因があるのですから、早期解決は人間の魂の修行にとって、マイナスになることだってあるのです。

三億円事件で協力されようとしたとき、天上界から、

「事件解決屋みたいなことばかりやっていると都合の悪いやつから殺される」、

と忠告されて、それからぜんぶお断りしていますとあります。

話しは元へ戻ります。

それから高橋先生は相談者へ次のアドバイスをされます。

中華料理の店を開くこと、亡くなったご主人が出てきて、このような人ですよとご主人らしき人の様子をこまごまと高橋先生は説明されます。

すると相談者は、

「そうです主人です。」、

と。

 「ゴチャゴチャ言わず体を動かして、とに角皆で力を合わせてやれ」、

と亡くなった主人が言っていること、

 また、

 「〇〇チャンという男の霊が出てきて中華料理なら協力する」、

と言っていることも告げられます。

 そして、二年後には店が増やせることなどをアドバイスされて、三十分程度の相談は終わりました。

 この相談者の現代は女性ですが、かって中国に〇〇チャンという名の男性の料理屋さんとして、生まれたことのある過去世の持ち主のようでした。

 守護霊について詳しく書きましたから、よくお分かりになられたと思います

 愚痴、怒り、過度の欲望を心から取り去って行くと段々心が浄化されて、今度は静かな雰囲気の場所に坐ります。

 

    いよいよ守護霊との対話

 

 心が落ち着く場所ならどこでも良いのです。

 書斎、寝室、居間でもどこでも、静かに坐っても、また寝転んでも良いですから全身の力を抜いて、心を全てから解放して眼を閉じます。

眠ってしまったら何にもなりません。

そうして、

 「神に生かされて有り難うございます。ありがとうございます。」

 「われ神に生かされてありがとうございます。ありがとうございます」

 と何度も心の中で繰り返し繰り返し反復します。

 神への感謝の気持ちを一番素朴な言葉で、

 「ありがとうございます。ありがとうございます」、

と何度も何度も打ち明けて行くと、心の中から何かほのぼのとした気分に満たされ、充実した心になるまで続けます。

 神の子である人間が、親なる神に感謝することが先ず一番です.

 それから両親へと拡大されて来なければなりません。

 これを少しずつ少しずつ続けて行きます。

 最初は何日置きでもかまいませんが習慣になれば理想的です

 毎日の反省と感謝を続けていますと、予感というか直観として想いが心に浮かんできたり、或は聞き取れないくらいの細く小さな声として聞こえます。

これが進んできますと十分聞き取れる声としてわかるのです。

 

    禅定は反省的瞑想

 

正法においては、守護霊との対話は一番初期の四次元の入門編ともいうもので、これが五次元,へ進むと指導霊との瞑想です。

六次元、七と進んで八次元は太陽界の釈迦、イエス、モーゼの瞑想で、第九次元は宇宙界のエルランティの瞑想といわれています。

 正法では、心を浄化した後の反省的な瞑想を、禅定(ぜんじょう)と呼んでいます。

 

    注意のこと

 

ここで注意していただきたいことは、静かに坐っても雑念が浮かんできて心を統一出きないことがあります。

そういうときは、雑念が浮かんできたら心の底で「イカン・ダメ」と切り捨てます。

何度も浮かんできたらその都度「イカン」、「ダメ」と斬り捨てるのです

心がイライラしてどうしても落着かないときは、思い切って中止します。

 ナゼかと申しますと、そういうときに限って周辺に地獄霊や動物霊などの良からぬ霊が近づいて来ていると考えて間違いありません。

 勿論、良からぬ霊が寄ってくるということは、そのときあなたも霊と同じ考えをした同類と理解してください。

 それから反省に立った上で、中止して心を明るく転換することです。

運動は最大の効果があります。

正法の禅定は、反省の上の瞑想です。

反省をさせず、心を浄化しないで行う座禅道場や止観道場や内観道場等で自殺者が出たことがあります。

 そこで園頭先生は、警告を発されて多くの人を指導されたことがあります。

 精神的な心の問題は、心と対極にある体を動かすことです。

心身一如や色身不二というように心と体は不離一体ですから、心療内科や精神病院へ入院や通院する人に対して言えることは、運動したがらない、風

呂に入りたがらない等の特徴がありますから、この原則を理解して無理強いさせず、急がず騒がず周りの人が心安らかに対応して、時間を掛けて体を

健康にしていくと心もゆっくりとついて来るものです。

スポーツ人は概して心が明るく快活なことでもお分かりでしょう。

 その反対に、かって、小説家で自殺した人が多くいました。

 これは夜遅い執筆活動の為に、生活が不規則な上に体を動かさず、主人公になり切って、書く内容によっては暗かったり人殺しの情景があるものな

ら、自殺も当然かもしれません。

それも生活のために仕方のないことでしょうが、大事なことは、一段落したら気分をサッと切り替えて明るく振舞うのです。

 

   守護霊の能力の限界

 

 守護霊は、この世の人が悩みや難問を抱えていると、守護霊の能力の範囲で協力します。

守護霊は各人の過去世の人と述べました。

こう言っては酷ですが、守護霊はいま現在のあなたを見れば、大体、想像できます。

ナゼなら、守護霊はあなたの魂の兄弟ですから、その心の広さや人間的な程度は、大よその想像がつくということです。

 ここでいうのは、地位、財産、学歴ではなく、人間性や人格,霊格が推し量れるということです。

 今のあなたが或る問題で悩んでいるように、守護霊も悩みます。

 このように守護霊はあなたと同程度と理解して欲しいのです。

 高橋先生は、講演会の「現証の時間」に、相談者を登壇させ過去世の言葉を喋らせたり、相談に乗られたとき、

「守護霊よ、もっとしっかりしなさい!」、

と注意されることが、よく有りました。

そして、引き続き、

「いいかげんに、やってもらっては困りますからね。」、

それから、

「皆さんね、この方の守護霊が注意され、頭を掻いていますよ。」(笑い)、

と。

 最近の出版されている本によっては、どこかにすごいのが居て「守護霊を持て」などと

書かれると、ついその気になって信じてしまいます。

 真実はそうではないのです、自分と似たり寄ったりの自分の過去世が守護霊なのです。   

 では、能力以上の協力を望む時はどうするのでしょうか。

 

   指導霊とは

 

例えば、それまでは力仕事の体験しかない人が、今世は一念奮起して研究の分野に目覚め科学者としての人生を送り始めたとします。

当然ながらそれまでに経験のない分野ですから、苦労と挫折の連続と想像できます。

そういう場合は、努力の度合いによって最適な経験のある人に「指導霊」として協力してもらえるというのです。

 例えば、このようなこともあります。

研究に打ちこんで、解決できぬままにクタクタになって、研究室の傍のソファーに寝込んでしまいます。

そのとき夢の中で暗示を与えられ目が覚めると、

「そうだ、こうして見よう」、

ということがしばしば有るという人もいます

その、大阪の大手の自転車工業の社長さんが言われることには、

「考えても考えてもどうにもならないから、死んだように眠ると夢で教えられる、私には「夢」が有るから良いですワ」、

と。

このように、守護霊にしろ指導霊にしろ、そうした正しい生活行為を続けていると、予感とか直感として心に思い浮かびます。

この方は夢で見せられるというのです

これまで述べました方法は、愚痴、怒り、足ることを知らない欲望を、心の中から自分で抜き、守護霊との対話を通して魂の持っている智慧に自力で到

達する方法を述べました。

次は夢で教えられた一例です。

 

    糖尿病のインシュリンはこう発見された

 

栄養の採り過ぎとストレスが原因の、高血糖値の結果起こる糖尿病は、ひどくなれば失明したり手足の切断も仕方ないといわれます。

カナダのフレデリック・バンティングという医者は、研究でクタクタに疲れて爆睡していたところ、夢の中で「犬の膵臓の管から出る液を、採取して分析し

て見ろ」、という暗示を与えられて、あの有名なインシュリンを見つけたというのです。

 これは何を意味するかと申しますと、或る日突然、夢を見て偉大な功績を残したように理解されるでしょうが、そうではありません。

 彼は生まれ変わり死に変わりする中で、かって、インシュリンを見つけ出していた魂の持ち主であり。かてて加えれば、そういう過去世を体験した人だ

ったと著者は言いたいのです。

これは高橋先生が言い残されたことではありませんが、次の例は高橋先生の言です。

 

     朝鮮のキム少年はタールス

 

高橋先生が亡くなる三ヶ月前の講演で、高橋先生は、こう言われています。

四、五年前、朝鮮のキムという五歳の少年がテレビに出ていました。

 キム少年は日本に呼ばれ、東大の先生が出題した大学程度の不定積分を難なく解いて見せるのです。

 高橋先生は、

 「これを天才というのでしょうか、そうではありません、彼はかってギリシャ時代の天才科学者・タールスという人だったのです。次元の違う世界から協

力を受けて力を出しているという、敬虔な心を失い増長慢になると、二十歳過ぎればタダの人になります。いや、そうではない、次元の異なる世界から

助けられているのだという、謙虚な心を忘れず、感謝して真実に生きていけば、より以上の力を出すことでしょう。」、

とあります。

 

   心の窓を開く危険性

 

 智慧に到達するもう一つの方法は、光の天使が放つ光によって心の窓を開いて強制的に過去世の体験を思い出す方法です。

 ただ、この方法は手っ取り早いのですが、非常に危険が伴うのです。

 高橋先生や園頭先生のような、正しい光の天使なら申し分ありませんが、エセ天使や、自称・光の天使や、光の天使まがいの霊能者や、精神世界の

宣伝マンや、無欲やボランティヤとかいって、自分の生死体験や臨死体験を隠れ蓑に人をひきつける講演者は特に正しく見なければなりません。

良くない人からの雰囲気や光によって、体調を崩すばかりか、良からぬ霊が憑(つ)くことがあります。

憑くことを憑依(ひょうい)ともいいます。

そうなっては人格破壊です。

精神破壊とも言います。

 このような理由から、人を当てにするより、人に頼むことなく自力です。

自分の力でコツコツと地道に、怒る心と愚痴る心と欲深い心を、一つ一つ心から取り去るのです。

 何億年も前の原始人類は、その必要がありませんでした。

この三つの汚心を持っていなかったので、あの世の人達とも自由に語り合い、現代のような電話が無くとも、心と心で自由に通信ができました。

 

   何度もの人生体験を形にしたのが五重塔

 

 人間は永遠の生命として、数えきれないほどの人生体験があります。

五重塔とか三重の塔などの多重塔は、屋根が何重にも重なっているのをご存知と思います。

この何段にも重なった形状は何度もの人生体験、つまり、何度も生まれ変わり死に変わりしたという事実を人々に教える教材でした。

何にも宗教的な意味がある訳ではありません

 五重塔は奈良時代からあるようですから、仏教伝来のその時には正しく伝えられていたのでしょうが、長い歴史とともに変えられた一例でしょう。

 二〇〇一年十二月のこと、NHKテレビの日曜日の夜、子供への教育番組として宮大工の匠の話がありました。

 五重塔を造りたいという夢を描いて、宮大工を目指して多くの若者が弟子入りをするようです。

番組を横目で見ながらこの項を打ち込んでいたときでしたから興味深く見せていただきました。

二〇〇二年一月初旬には、出雲大社の造営に係わる支柱の研究プロジェクトの番組で、宮大工の方を再び見かけました。

次は、大宇宙と人間の関係について述べます。

 

   大宇宙の中の地球と人間の関係

 

人間は、六十兆個ともいえる星の中の、顕微鏡でも見えないくらいの極微な存在の、緑燃える新生された地球に、UFOに乗って飛来したというので

す。

 高橋先生の幾つかの講演テープを回しても、脱出という話振りですから、ベーター星から脱出して飛来するからには脱出飛来するだけの理由があっ

たはずです。

そこで著者は、ベーター星は星の生命が残り少なかったのかなと理解しました。

 これと同じように地球もまた、その命が尽きるとき、その直前に新しい惑星を見つけては移住するのです。

 地球はまだ何十億年もの命はあるようですからズーッと先の話ですが、人間の細胞と同じように命尽きるとき、新しい細胞とも言える新生され緑に包ま

れた、うら若い惑星へ移住するのです。

 大宇宙、六十兆個の星の幾つかは今現在も消えては生まれ、万物の霊長たる人間のために準備されています。

 

   大宇宙の七種の人間

 

他の天体に人間がいることがわかるのは百年後と高橋先生の予告です。

 この大宇宙には七グループの人間(七霊団)がいて、姿形は日本人とアメリカ人というような違いはあっても我々とまったく同じ人間です。

 映画の世界の宇宙人ではありません。 

 そして、七人類の人間のために、六十兆の星が次々に命尽きては新しく誕生して、我々大宇宙の人間のために提供されるというのです。

 この気の遠くなるような神の愛、正法でいう「大宇宙大神霊」の愛に感謝せずにはおれません。

そして移住する新しい星には、鉄などの金属や石油などの燃料も、地球に存在する全ての物質も準備されていて、また、何十億年か人類はそこで、魂

の修行を続けるのです。

 

  人間と地球

 

人間を構成する細胞は六十兆個といわれます。

大宇宙には六十兆個の星があって、同じように人間も六十兆個の細胞からできています。

また、地上の海や湖水の水圏といわれるものは七十一パーセント、陸地は二十九パーセントあります。

人間も血液やリンパ液等の水分が、七十一パーセントで、蛋白質、燐酸カルシュウム等の骨や肉の部分が二十九パーセントあって、不思議にも割合が同じです。

人間も大自然の一員であるように、大宇宙に対して人間を小宇宙というのは、こういう意味があるのです。

 

   大宇宙と小宇宙

 

人間は短時間に多くの細胞が死滅し、また、短時間に新しい細胞が生まれて百年近くの生涯を終えるように、星々も消えては生まれます。

現在の人間は百年程ですが、星々は時間の単位がまったく比較にならない位に違うので、星の命が尽きるのも人間の単位で言う何億年、何十億年と

いうことになります。

石油もそのうちに枯渇するでしょうが、枯渇する前には、代替のエネルギが必ず登場します。

何度も何度も消えては無くなり、また新物質が登場するのです。

例えば比較的に近い将来には、日本の太平洋岸には新しいエネルギーが見つかり、石油産業は衰退するだろうということも近未来の事象として高橋

先生の予告です。

もうすでに研究は始まっていて、その内に実現するでしょう。

余計なことかもしれませんが、ついでのことに、これも書き加えておきましょう。

それは、エジプトのピラミッドの周辺には現代の規模で、全世界を賄う位いの黄金が手付かずで埋もれているらしいのです。

高橋先生は正法の為に用意されているという予告でした。

これから百五十年後にはシカゴにイエスが生まれて世界政府を樹立しますし、七百八十年後には高橋先生が生まれられ、宇宙に自由に飛び立つ宇

宙ステーションができるのですから、これらの資金として利用されるのでしょうか。

ここでは鉱物エネルギーの近未来を説明していますが、何度かこういうことが起きて後に、何億年か何十億年か先に本当に全エネルギーを使い尽くし

て初めて地球を脱出して他の天体へ移住することになるでしよう。

太陽だって、あと何十億年もつかわかりません。あれだけの熱光を無償で我々に与え続けているのですから、地球が三十三万個できるほどのエネルギ

ーの塊とは言っても、いつかは燃え尽きる日も来るはずです。

 太陽が命尽きるときは太陽系も、そのときは終焉です。

太陽系には、地球をはじめ金星や水星等の九つの惑星と、三万数千個の星々と三十二の衛星が秩序よく運行しています。

もっとも、その内に十番目の惑星が発見されるという高橋先生の予告もあります。

それは地球よりもはるかに大きくて、太陽に接近していて、一見太陽と共に回転しているように見える星で、太陽の写真の上に写し出されセンセーショ

ンを引き起こすことになるようです。

 

   太陽の不思議

 

太陽は燃盛る火の玉ではありません。

 現在、太陽に一番近い惑星は水星です。

 もし、ただの燃盛る火の玉なら、水星やこれから見つかる十番目の惑星はもう熱くて暑くて地上のもの全部が焼けただれ、惑星そのものが存在できな

いでしよう。

 また、一番遠い冥王星、海王星は太陽の熱光が届かず、冷凍の氷の惑星かというと、どうもそうではないようです。

 ただの燃える太陽なら傍にある惑星は暑くて熱くて、離れた惑星は、冷えて凍えて寒いはずです。

 だが、そうではない。だからただの燃える火の玉ではないといいたいのです。

 では何かと言えば、それは台所の電子レンジです。ガスコンロではない電磁調理器です。

 電磁気が、回転する金属の容器や厚い鉄板を熱し、物が煮えて炊けるのです。

ただの陶器や木器ならそうはいきません。

太陽は原子の核融合です。

我々に無償の熱光を与える慈愛の太陽は静かな核融合です。

融合とは調和です。

原子の核拡散の最たるものは人を殺す原子爆弾であり、急激な拡散は混乱と破壊です。

 

     地球の構造

 

 それでは今度は地球の構造です。

地球の表面は、変化極まりない比重の軽い地層です。

地球の中心は比重が重く、最も硬い塩基の金属です。

地表は比重が軽くて弱いから、天変地異、天変地変のために海底が山の頂きになったり、山の頂上が海底の藻屑になる陥没や隆起が起きたのです。

 一番よい例が、世界最高のエベレストの頂上に、海底にいるはずの貝の化石が出ます。

地球規模で見ると地表は卵の「殻」の部分、中心は比重の重いマグマである「黄身」の部分といえるでしょう。

マグマは金属の宝庫です。

海底にマグマが噴出すると、金塊鉱床でそこから金が出たりします。

こうして太陽から大量の電磁波が飛んで来て、地球の中心である比重の重いマグマをドロドロに溶かして、地中から地球を暖めているのです。

その一つの現れが人々を和ませる温泉です。

 均一に暖めるには電子レンジなら容器の回転を利用するでしょうし、地球ならグルグル自転しているのですから、自然の摂理に合致しています。

 地球の自転の話になりましたから、それでは高速で自転する地球の回転音はどんな音でしょうか。検証してみましょう。

 

    地球自転の音は

 

 モーターやジエツトエンジンのブレードの回転音は、さしずめ「キーン」と表現するでしよう。

 人間の中で最高人格者の如来や、如来に近い段階の菩薩界の人は、宇宙即我(うちゅうそくわれ)という境地を体現します。

宇宙即我というのは、この身このまま宇宙と一体になる、宇宙は自分だったという自覚や悟りですから、地球は遥か眼下に見え、地球の高速回転音が

聞こえるといいます。

 その音は「オオオオーォォォー」「ウムムムー」「アオオオー」と聞こえます。

 人を騒がせたオーム教のオームは、この回転音から来たもののようです。

 米国ロスのアガシャ教会では、教会員が集まって高位の霊人を招いて霊人の言葉を聞く招霊会のときには、手のひらを少し廻しながら「AUM」と聞

こえる発音で唱えていたと、たびたび訪問された園頭先生は話しておられました。

 

    どうして地球は自転するか

 

地球の中心のマグマは、二万度の超高温でドロドロです。

地表は二十度程度で低温です。

このように、地球の内部温度と表面温度の温度差が電気変化を起し、地軸磁力のNとSを決めて地球自体が巨大モーターと化し自転するのです。、

また、公転は、天上界の中心に在るコントロールセンターで、星々が乱れたり激突しないように、百年間に一秒程度の誤差で、整然と制御されていると

いう高橋先生の講話があります。

 

    海底の高等生物

 

 何千、何万メートルという海底や海溝には、基本的には人間ですが、泳ぎやすいように手足はヒレや水掻きのようなものと、発光体のようなものをを持

つ高等生物が、地上と隔離された状態で生きていて、ドームのような特殊な構造の建物に組織的に集団で生活しているのが明らかにされるようです。

 今のところ深海探査船も、まだ行き着きませんが、深海技術が進歩すると明るみに出されることでしょう。

一万二千年前に、人間の悪想念から一夜の内に崩壊された、ムー大陸やアトランティス大陸も探査されていないのが現状ですから、もう少し時間を要

するでしょう。

アトランティス大陸も、遺跡や構造物がダイバーによって話の種になっているようですから、もう直でしょう。

 また、地形的に日本に関係のあるムー大陸も、海底の遺跡や構造物が、沖縄海域にボッボッとダイバー等に話題になっていますから時間の問題だと

思います。

 

  次々と住める星が用意される理由(わけ)  

 

 これまでの説明からお分かりのように、太陽がたとえ終焉しても、この大宇宙には太陽系のような、太陽を中心とした別の集団が何百憶、何千憶と無

数にあるのですから心配には及びません。

地球の存在がいかに小さいか述べてみましょう。

言いかえれば、新しい星を見つける可能性が高いかを証明することにもなります。

我々の地球を含めた太陽系の属する銀河系には、太陽系には属さないが太陽のように自ら発光する約一千億個の恒星、自らは発光しない地球のよう

な五億個の惑星が存在します。地球はこの五億個の一個にすぎません。

これは銀河系のことだけですが、銀河系を島宇宙として、このように星々を引き連れた島宇宙、星雲群はまた一千憶個にのぼり、総個数が六十兆個の

星々になります。

地球はこの中の一個に過ぎません。人体は六十兆個の細胞からできていると言われます。

人体の細胞一個に相当するのが地球ですから、如何に小さい存在かお分かりでしょう。

人類は、このように住み替えのきく星がいくつもあるのですから、永遠に魂の修行は可能なのです。

この細胞一個に相当するのが地球ですから、細胞一個に巣食う細菌の一つが人間とすれば、細菌にとって、臓器も人間の全体像も、とうてい思い浮か

ばないことでしょう。

このように、人間は地図上では理解していても、地球さえ全体像が把握できない様に、大宇宙ともなれば何も分かってはいないと言えるでしょう。

これが人間と地球と大宇宙の関係です。

次は恐竜の時代についてお話します。

 

   恐竜の時代

 

 現代科学では地球の誕生は五十億年前と言われています。

しかし、講演の中で高橋先生は三十三億年前とあります。

三十三億年前は地球も太陽のように火の玉でした。生物が住めるようになったのは、今から約六億年前です。

高橋先生の著書や講演では、蛇は六億年前で、地球人類より古いというのがありますから、三億六千五百年前に飛来した人類も蛇には随分悩まされ

たようです。

恐竜時代の蛇ですから、大蛇とも竜とも表現できるでしょう。

 

    出きたてホヤホヤの地球

 

 地球が出来てから何十億年間かは、火山噴火や爆発によって、地上は炭酸ガスで充満していました。

 もちろん、人間が他の天体から飛来するズーッと前のことです。

炭酸ガスや硫化ガスをこの地上から人間が住める程度に減らすには、植物である大木の助けを借りなければなりませんでした。

植物は炭酸ガスを吸収して酸素を出して地上を清浄にします。

この原理を活かすには、地球を大木の森で覆い尽くさなければなりません。

 木々も溢れるような炭酸ガスを吸って、また、木々は炭酸ガスの温室にいるようなもので、スクスク育って見上げるような超大木となりました。

 

   巨木と巨大な果物

 

 木々は胴回りは直径が五メートルもあって、背丈は百メートルを越えるものばかりです。

 果物の実は、恐竜がお腹を満たすのに格好の大きさの、一メートルも二メートルもあるのです。

このような奥深い森の中で過ごすには、何十メートルもある恐竜といえども一筋縄ではいきませんでした。

 恐竜が牙をむき出して喧嘩をするものなら、そこら一面の大木がへし折れたり、曲がったりして大変なんです。

そのような時代が数億年続いて、地上の空気も人間が住めるようになってから、大氷河期に突入して、それまで我がもの顔でわが世の春と歌っていた

恐竜たちも姿を消して行きました。

 

   人間が生かされるために

 

 これは弱肉強食というような凄惨なものではなく、人間は万物の霊長として生かされるために、恐竜も超大木も、そのときの生きとし生けるもの殆どが

犠牲になり、一握りのものしか残ることはありませんでした。

 さすがの大木達も大地に倒れ、数億年の月日が流れます。

 長い間に土に埋もれ変化して、それが現在、化石燃料と言われる石炭や石油や天然ガスです。

 不思議ですね―。蒸気船や蒸気機関車の大型箱物の時代は、荷がかさ張る石炭の全盛時代になりました。

次は少し扱いやすい、車全盛時代は液状の石油時代へ。

そして、次は気体のガス時代へ。その時代に即応して、いろいろなエネルギーが登場するのです。

 このように、万物の霊長である人間の生活の場を、そして人間が生活する環境を作るために、地上は用意周到に準備されるのです。

 前にも述べましたが、これは恐竜や超大木に見るような悲壮な弱肉強食の原理ではなく、人間は生きとし生けるものから選ばれ、責任あるものとして

神から託されたのです。

 あの世には当時の恐竜も生きています。すべて命あったもの全部、また、この世にあった物質も機械も全部があの世には実在します。

消えて無くならない世界だから、あの世のことを「実在界」といいます。本当に実在する世界です。

 それに対応して、この世のことを地上界とか「現象界」といいます。この世は変化極まりない現し世の、諸行無常の世界です。

 

    地上天国エデンの園

 

  地球の凍てついた氷河時代がしばらく続き、そのうちに陽炎は燃え始め、凍土の中から植物が芽生え、昆虫や魚や小動物が活動を始めたので

す。

 そよ吹く風、適度の湿りと大地を潤おす雨、湿り気を蒸散させる晴天、平和な気候が続くのを見届けたかのように一団の反重力光子宇宙船、今で言

うUFOの六千人が続々と中東のスエズ運河の近郊、現在のアル(エル)   ・カンタラに着地します。

 それは今から三億六千五百有余年前のことでした。

 その当時、ベーター星は最高に調和されていました。

 ところが、ベーター星も他の惑星と同じように、何十億年間の活動も終焉を迎える時期が迫っていて、最初の第一艇団はベーター星を脱出します。

かくして、緑に包まれ新生された地球の、神の光に満たされたアル・カンタラーにベーター星人は一歩を印したのです。

これが地球人類の始まりでした。

 第一艇団の真のメシアでありリーダーは、エルランテイーといいます。

 その下には七大天使が控えています。

 

    七大天使

 

  七大天使とは次の通りです。

総括者で天使長のミカエル。

伝達の係りと通信関係の責任者のガブリエル。

芸術、文学、歴史のラファエル。

科学全般のパヌエル。

律法のラグエル。

医学、薬学のサリエル。

政治、経済、自治のウリエル、

でした。  

エルランティーは、このアルカンタラーを調和された場所と言う意味から、

 「エデンの園」、

と名づけます。

この六千人の住人は、人間性と心の広さで言えば、菩薩界と如来界の人々ばかりです。

 

    エデンの園の住人の心の広さ

 

  もっと分かりやすく言えば、爽やかで明るくて思いやりがあり慈悲と愛の塊のような超高人格の人ばかりだったというのです。

 慈悲や愛というと、分かっているようで分からない言葉ですから、もう少しわかりやすく述べます。

慈悲とは、なさけ、いつくしみ、思いやり、ということです。

愛とは、他を生かす、助け合う、許す、ということです。

エデンの園の人達をもっと噛み砕いて言えば、

感謝の心が持てて、

人と仲良くできて、

敬虔で謙虚で、

勇気と自信を持って、

努力と人のお世話が出来て、

赦す心と反省ができて、

人のためになって、

報恩と相手を理解して、

広い心で素直で、

誰とでもすぐに話せて、

いつでも良く眠れて、

明るいところが好きで、

愚痴を言わず怒らず足ることを知っている、

人達ばかりというのですから、まさに超高人格の人達とおわかりでしょう。

 ベーター星人の中でも超一級の選ばれた人々。

 このような集団ですから、まさしく理想郷、ユートピヤだったのです。

その当時のスエズ運河周辺の気候は、温暖で暑すぎもせず寒すぎもせず、そよ吹く風に適度な湿りと快適な晴天。

公害も病気も無く、怪我もせず事故も無く、人といさかいも争いも無く、思うは隣人の幸せばかり。ここは理想的な「原始人間共同体」でした。

 

    知っていて見ぬこと麗わし、聞いていて見ぬこと清し

 

生きてゆく上で、知らなければ知らない方が良いことも沢山あります。

 聞かなかったふりをして、知らぬ顔をしてくれたら、どんなにかうれしいでしょう。

 言わずもがなの一言が、相手の人生に計り知れない痛手を負わせていることだってあります。

 他人が見せないようにしていることを、わざわざ引っ張り出してまで見ることはないのです。

 はた目にはだれにも知られたくない個人の事情があるものです。

 見なかったことは無かった事と同じです。

 これを究極の思い遣りというのです

 現代の、有名人を白日の許にさらす悪風は、エデンの園にはありませんでした。

この当時、人々は心と肉体を完全に分離でき、あの世とも自由にコンタクトできました。

肉体を持っていながら、天上の世界に自由に行けたのです。

現代のような通信機器はなくとも、身体はそこに居て、意識や心や魂といわれるもので、自由に相手の様子を見たり、聞いたり、話しが出来ました。

 人間は本来、その能力を自ら持っていたのですが、その能力を失ったために、仕方なく人間の知恵で、通信機器も作り出さねばなりませんでした。

そういった通信の能力を失った原因は、人々の「愚痴」、「怒り」、「足ることを知らぬ欲望」にあった、というのです。前でも述べましたがこれを心の三毒

と言います。

 

    暗黒の地獄界

 

 次に第二艇団が移住して生活を始めます。

この頃に、真のメシヤのエルランティーはこの世を去ります。

これが、地球の創世記です。

エルランティーがこの世を去り、第二艇団が生活を始める頃には、その一部の人は足ることを知らぬ欲望を生み、愚痴は愚痴を呼び、怒りは怒りを誘

って規律を乱す人もいました。

そのとき天使長であるミカエルは、立法を破る人達をエデンの園から追放し、反省を求めたのです。

これらの人々はその後、エデンの園とも連絡を絶ち、天上界ともコンタクトをやめ、高次元の人格者であったにもかかわらず、天上界に帰ることなく地獄

の暗い世界をつくってしまいます。

 

    アダムとイブ

 

この当時にはまだ地獄は存在していませんでした。

これが、

「アダムとイブ」、

の後物語となったのです。

蛇にそそのかされて、禁断のリンゴを食べることになっていますが、そうではなくその時の純粋な高位の人格者の心には、人間の最大の悪想念であ

る,愚痴,怒り、足ることを知らぬ欲望が芽生えてきたという話です

 

    地上を父とするなら海水は地球浄化の母

 

 海水は不思議の源です。

どういう意味かと申しますと、現代のように産業が発達すると、いろんな汚水、産業廃棄物が流れ込んでいるはずです。塩分を含んでいる海水だからこ

そ腐りもせず清浄です。ただの真水なら、すぐに腐ってこうはいかないと思います。

 また、月の影響による、海の干満によって高低差ができると、それは海水の攪拌作用で、よどみを無くし海水の浄化作用をも助けるのです。

 海水の自浄作用や薬理作用で世界の海の現在があると思います。

 海水の不思議を幾つか上げると、人間の血液とPh(ペーハー)が似ているものですから、医学的な補液に利用できます。

 

  人体の仕組みと自然

 

 寄せては返す波の回数は、一分間に十八回です。

 平均体温は三十六度、

 一分間に打つ心臓の鼓動は七十二回、

 最高血圧は百四十四です。

 寄せては返す波の回数の二倍、三倍、四倍と倍数になっていることがお分かりでしょう。

この数値は、心が平静で平安なときの体の正常値です。

寄せては返す波の回数が一分間に十八回というのは、これは海が穏やかで安定したときの波の回数です。

でも、難破船が出たり、海難事故が多発する荒れた天候なら、波も何倍にもなるでしょうから、自然界は大シケの大混乱で、人体ならさしずめ病気とい

えるでしょう。

また、太陽は一秒間に二百万トンもの石炭を燃やしたものを無償で地球に与えています。

人間の体温は三十六・五度で、体内温度は三十七度といわれます。

この三十七度といわれる温度は太陽が与える一平方センチメートル当たりの熱量と同じなのです。

女性の生理の周期は二十八日、月の公転も二十八日。

これらのことからも、人間なんて自然界の一員に過ぎぬということがよくお分かりになることでしょう。

 

   塩の不思議

 

 海水からできる無尽蔵ともいえる塩は、魚などの塩乾物でご存じのように、物は腐りもせず長期保存がききます。

 塩だけでなく、それからできる次亜塩素酸ナトリユーム(ソーダ)は、その有効成分はハイターやブリーチ等の漂白除菌剤で知られ、不思議にも医学

的に厄介な肝炎(HB)やHIV(エイズ)の消毒にも有効とされています。

 もっと身近なものでは歯の根管治療の消毒です。

 膿が出て臭い根管もたちまち綺麗になります。

 日常生活なら衣服の消毒や高架水槽やプールの消毒です。

介護なら小便や大便の臭い消し、

水虫やタムシにお悩みなら、希釈して直接に払拭加療。

これは飲料水の消毒でも使っていますから、安全面ではお墨付きでしよう。

 もう一つ付け加えれば、時間がたてばいずれ塩水になるのですから残留濃度など心配に及ばないのです。

 そして、無尽蔵ともいえる塩からできるのですから、安価な点が最大の取得です。

 少しクドクドと述べましたが、無尽蔵な海水こそ地球浄化の母と言いたいのです。

父は家庭の長としてニラミをきかせ、母はこまごま家庭の雑用事。

 だから、地上を父とするなら、海水は地球浄化の母なのです。

 

    どうして海水は出きた?

 

 塩の不思議はよく分かったけれども、元になる地上七割の海水はどうして出来たの?と聞こえて来そうです。

 そうです三十三億年前の、地球創造のときの地球は、燃盛る火の玉でした。

 エネルギーを出し切った地球は、中心部にドロドロに煮えたぎるマグマを残して、何十億年間をかけて徐々に徐々に、少しづつ少しづつ温度を下げ

て行きます。

 太陽の熱光り、磁気、重力の複合された条件の中で、どちらも物をボロボロに溶かす強酸のHCL(塩酸)と強塩基のNaOH(苛性ソーダ)が反応して

一番安定したNaCL(塩)とH2O(水)になります。これが地球規模になって海水ができ、それからは海水が太陽の熱光りによっ

て晴れ、蒸発、雲、雨、晴れ、蒸発、雲、雨、という天候の循環によって水も塩も純化されて行ったというのです。

 

   月の不思議

  

 地球は太陽系の惑星として、太陽を中心に一定の軌道を自転、公転して循環しています。

 一自転は約一日二十四時間で、昼夜や白夜の変化を生じます。

 月は地球の衛星として自転公転の運動を続け、海水の満潮や引潮の原因を作り、生命の生と死に深い因果関係が有ることでも知られています。

 そして、月の運動は前に述べました、満潮と干潮は海水の高低差をつくり、海水の自然の循環を生みだしてよどみを無くし、いつも清浄に保つのです。

 いつものことながら、この自然界の仕組みと働きには本当に驚かされます。

 月の公転は二十七日七時間四十三分十一秒かかります。

 太陽暦の1ヶ月、つまり三十一日や三十日というのは、地球から見て新月から新月のあいだを基準にして決められているのです。

 月の不思議はこれだけではありません。

 忘れ勝ちですが、地球に住む人間ばかりか生きとし生けるもの全部に、月光という恩恵を与えています。

 満天のきらめく星の光では、夜道も何かと頼りありません。

ここで何を申しあげたいのかというと、人間が住める惑星の条件の一つには、月のような「衛星」を携えた惑星であり、太陽のように自ら発光する「恒星」に関係ある惑星ということです。

よくよくお考えになるとおわかりでしよう。

 

   「ひふみよいむなやこと」は、天地創造から人類誕生の順番

 

 数字の日本的読み方の「ひふみよいむなやこと」は、天地創造から人類誕生に至るまでの順番を表したものです。

一、ヒは霊で、宇宙の最始源には神ありき。

二、フは風で、空気ができた。

三、ミは水ができた。

四、ヨは世で、陸地ができた。

五、イは葦で微生物、植物の発生。

六、ムは虫で、昆虫の発生。

七、ナは魚類で、魚屋を「なや」、といった。

八、ヤは矢で、矢のように飛ぶ鳥類の発生。

九、コは動物で、牛の鼻づらを取り尻を叩いて「ココ、ココ」といった。

十、トは人で、人をヒト(霊止)という。宇宙最始源の神の霊がトと止まって人類が現れ、全てのものが準備された後に、最後に人

間が現れたというのです。

それでは、大宇宙の最初の人間はどのように生まれたか見てみましょう。

 

     最始元の人間はこう生まれた

 

最初の地球人は、他の天体のベーター星より飛来した宇宙人ということは述べました。

それでは最始元の人間は、何億年前か何兆年前か分かりませんが、幾多の星を転生して現在の地球に地球人として在るのですから、最初の人間に

戻ってどう誕生したか見てみましょう。

 高橋先生は、『人間・釈迦』にこう記述されています。

 「人間は神の意識から分かれ、神の意思を受け継ぐ万物の霊長として産ぶ声をあげた。

 人間の誕生は、意識界という実在の宇宙(あの世)に、まず姿を現わした。

 そうして、神の意思である調和をめざす神の子として、物質界(この世)に誕生した。  

 この世の最初の人間は地上の眼で見るならば、大地の一隅に、忽然と物質化されたといえるだろう。

 動物も植物も鉱物もこのようにして大地に姿を現わした。

人間,動物、植物のあらゆる生命物質は、実在界・意識界(あの世)と現象界・地上界(この世)を循環するようになった。」、

と。

 また、園頭先生はこう記されています。

 園頭先生の過去世の一人は、三億六千五百年前にベーター星より飛来した七大天使の一人通信伝達係のガブリエル天使でした。

或るとき、先生は禅定・瞑想後に

「最初の人間はどのように出きたか見せてください」、

と、祈られます。

そうして発表されたのは次の通りです。

「最始元の人間は、光りの粒子の集中固体化して出きたもの」、

と。

 

    地球人類は七度のノアの方舟現象を体験

 

 それから永い月日が経ち、三億六千五百年の間に地上は七度の天変地異が起こりました。

 氷河時代は一度ならず何度も迎えています。

 この、ノアの方舟(箱舟)現象といわれるものは、地上に生活する人間の想念が、悪に流れるたびに幾度となく起こりました。

 それは、肉に溺れ欲望に溺れ、巷は戦争と闘争の破壊に明け暮れ、安寧の日々はどこにもありません。

 それが集団的に広域にまたがり長期化すると、天は怒り地は火を吹き上げ、山は海底に沈み海底は山の頂きとなって、一握りの人々を残して荒れ狂

うのです。

 地球人類三億年の間には、長い年月をかけて築き上げた超科学文明も海底の藻屑となったり土中に消えて、為すすべもなく居穴の原始生活から始

まって、徐々に徐々に超文明へたどり着くという、この繰り返しを何度も続けたのです。

 

     超文明崩壊の直後

 

 超文明崩壊の直後は次のような様子でした

さすがの超文明も一日の内に崩壊して、それからは仕方なく一握りの人々は、腰には毛皮をまとい居穴生活です。

家の庭や軒からは磁気と光のパワーで、音も振動も無く動く移動物体も今は無く、自分の力で歩いて移動しなければなりませんでした。

 それからは、生活物資を作る以外になく、三億年に七度の天変地異の中で、一番近いのは、アトランティス大陸、ムー大陸の陥没です。

 

   アトランティス大陸

 

一万二千年前、南大西洋にアトランティス帝国というのがありました.

ここは、アガシャ大王によって信仰の対象は太陽に向けられ、人間の魂は太陽の如く光り輝き、慈悲と愛こそ人間としての在るべき姿と正法が説かれ

ていました。

ところが、共産思想の悪しき集団が現れ、アガシャ大王を除く正法の指導者をことごとく殺します。

そこで仕方なく、大王は陸続きのアフリカ・ナイル帝国へ逃れ、天使を殺した天罰としてアトランティスは一瞬にして陥没させられたのです。

高橋先生は

「これから、アトランティスに関係のあるピラミッドがアフリカで発見されます。そして陸続きも証明されるでしょう。私はその当時の社会情勢も、当時の言

葉も知っております。そのピラミッドの中に我々の残したものが発見されます」、

と、あります。

 この外にも、アガシャ大王は高橋先生自身であり、この先、当時の霊魂達が地球の魂のレベルを上げると予告されています。

彼らは、アトランティス時代の超科学を思い出して、現代文明をもっと進化させるというのです。

また、現在、少しは生まれているとも。

このように、高度の文明を体験した彼等も、今度は奢ることなく謙虚に、地球文明の進化のプロジェクトに、力を貸して欲しいと願わずにはいられませ

ん。

 

    パレスチナ問題の予感

 

アトランティスから五千年経った今から七千年前、文化はエジプトへ移ります。

 この当時、ナイル渓谷とデルタ地帯とは、政治的宗教上の違いから絶えず争いが続けられ、この地域の偏狭性と敵対性は、現代に至るまで幾分残

って、それはあたかも、現在、紛争を続けているパレスチナ問題のようです。

そこでアガシャは、小さな国の神権政治の長として、この絶えざる闘争の愚かさをよく知っていたので、周辺国をまとめ一種のエジプト国際連合の音頭

をとって、遂には三十七の形式的独立国を統合して唯一の連邦政府を樹立します。

 

    神権政治とは

 

 「神権政治」というは、高位の霊的指導霊の指示を受けて政治をするということです。

 この結果、敵対と紛争を続けていた宗派の指導者達は、話し合いの末に、遂に統合をとげるという歴史がありました。

これらの霊的指導者の中にはアモンもいます。

アモンというのは、エジプトの頽廃期にこのアモンをアモン神として崇拝する信仰も起こります。

 

    世界連邦政府の雛型

 

 同じように、霊的指導者達の中にはクラリオもいました。

 クラリオという人は、今から二千年前にイエスとしてパレスチナ、エジプト地方にに生まれた、イエス・キリストです。

 このときイエスであるクラリオは、三十七の独立国を統合して連邦政府の樹立を指導した霊的指導者達の中の一人でした。

イエスは過去世での体験を思い起こして、百八十年後(一九七三年、昭和四十八年現在)にシカゴに生まれて世界連邦政府をつくる時の雛型にする

ようです。

 現在、パレスチナ問題でギクシャクした国際関係を打破するために、イエスは使命と目的をもって出生するのでしょう。

 

    南無阿弥陀仏とは

 

 今度はアモンについて高橋信次先生の言葉を聞いてみましょう。

「アフリカでアモンという偉大な光の大指導霊が神として祭られます。

続いてアモンはアーメンという言葉にエジプトで変り、

さらにアーメンがソロモンの時代にアミーと変り、

ギリシャにはいってアーミーに変り、

ギリシャからインドにはいって、インドの言葉がはいってアミダボ、アミダブツ、阿弥陀仏となったのです。」、

 と、高橋先生は言われています。

そして、中国に来てアミダボを阿弥陀仏と漢字に訳し、日本に来て南無をつけて南無阿弥陀仏となります。

南無、ナムとは、古代インド語で、帰依する、同意するという意味のナーモです。

二千五百年前の古代インドの言葉が名古屋地方に残って、「……でナーモ!」、そうですね、と同意するという意味です。

  また、「ダーボ」は中国の漢字に翻訳されて陀仏、ダブツで、意味は「悟られた方」です。

このように、

 「南無阿弥陀仏」、「ナーモ・アーミー・ダーボ」、

とは、アモンでありアーミーと呼ばれる悟られた方の教えに帰依します、という意味なのです。

本当の意味がわかると、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、「アーミーに帰依します、アーミーに帰依します」、と何回となえても、何の意味もない何のご利

益もないということがおわかりでしょう。

 

 

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    アーメンとは

 

 キリスト教でいうアーメンも、アモンがエジプトでアーメンという言葉に変るのですから、 アーメンとは、「アモン、アーミーに帰依します」、という意味が

込められており、南無阿弥陀仏と似たり寄ったりのものとお分かりでしょう。

 これまで述べましたのは今から七千年前のことです

   

 モーゼから釈迦そしてイエスへ

 

 時は移り、今から三千二百年前には、モーゼが人々を救いました。

 それからインドに釈迦が生まれる二千五百年前までは、地上は略奪、強盗、殺人が横行して、それから釈迦が出ます。

釈迦は主に慈悲を説き、その五百年後の、今から二千年前にはキリストがイスラエルに生まれ愛を説きます。

ところが、キリスト教も祈りの宗教に変わり果て、他力信仰に落ちたのです。

 高橋先生はこう講演されます。

「私がヤーベとして、モーゼを介してユダヤ民族に説いた正法は、永い歴史の中で歪められてきました。それでキリストが出て修正することになったの

です。ところが、そのキリストの教えもローマ法王によって歪められたために、天上界からルッターやカルバンを出して宗教改革をさせることになったの

です。」、

と。

 その後、正法は西から東に移り、その中心は中国です。

 中国に天台智(天台大師)が出て法華経を世に伝えます。

 中国に渡った最澄(伝教)は、法華経を学んで帰国すると、日本に仏教を樹立させ、

仏教も難しい哲学、学問に成り果て現在に至っています。

「イエスも釈迦も他力信仰は一度も説いていません」

、と高橋信次先生は力強く教えられたのです。

   

    日本の正法の変遷

 

それでは 我国における、正法の変遷を見てみましょう。

 いまから二千五百年前にインドに釈迦が生まれます。

 そのとき釈迦は口癖のように、次は日本に生まれると予言されていました。

 二千五百年経ったジャブドーバーのケントマティー、つまり東国の都である日本は、道路は舗装され、建物は宝石で荘厳された、つまりガラス窓で光

り輝いた所に、皆と共に生まれるというものでした。

 このように覚者は、次の出生の時期と目的を、予告する義務があります。

そこで高橋先生は、次は七百八十年後(昭和四十八年現在)にアフリカに生まれると予告されます。

アフリカ太西洋岸に宇宙ステーションが出きるのです。

 その頃の未来のアフリカは、現在の日本のように温暖で四季がはっきりして、他の天体とも磁気や光のエネルギーで自由に交通するようになります。

 その頃の地球はユートピヤ、理想郷です。

 また、園頭広周先生は三百年後のインドに華光如来として皆と出て、カースト制の打破に力を注ぐと予告されて亡くなりました。

このように特別の使命を持つ光の天使は、出生の時期と使命と役割を告げなくてはなりません。

 こうして、 釈迦が二千五百年後に日本に生まれるからには、それ相応の準備をしなければなりませんでした。

 

    日本の建国の準備

 

 そこで、天上界の意向に沿って、まだ国の体制も整わぬ日本に、徳があり立派な人を出すことになります。

その人はお釈迦様の古代インドの時代に阿?(あしゅく)如来と呼ばれた神武天皇でした。

 神武の「武」とは武力で人を制圧することではなく、良く話し合って、「言向(ことむ)け和(やわ)して」、徳の力で平伏させるという意味です。

 日本の国を治める上で、それから、古事記や日本書紀にあるような平定神話が生れます。

 

   大日如来と天照大神と卑弥呼の関係

 

 大日如来は,釈迦が亡くなってから二十五、六年後,インドにおいて神理を説かれた学者で、釈迦教団に竹林精舎を寄進した、ガランダ長者の娘婿

でした。

 このガランダ長者は後に日本に生まれて空海(弘法大師)となります。

 釈迦の分身は後に日本に生まれて最澄となります。

 それというのは、不思議にもこの二人は同時代に生まれ、共に渡唐して志を同じくしているのです。

 釈迦は主として慈悲を説きました。

 釈迦は、何不自由ない王子として生まれ、周辺には栄華な四季の館があります。

お妃のヤショダラ以外に春の館には春の女性が、夏の館には夏の女性が、秋、冬というように、それぞれに女性が控えています。

そういう中で、一子ラフラを残して二十九歳のとき出家です。

 そういうこともありまして、男尊女卑の当時のインド人は、愛といえば男女の愛を思い浮かべ、いやらしいと考える風潮があります。

 ですから釈迦は、そういう時代背景の中ではキリストのように愛が説けません。

 それではいけない慈悲だけでは片手落ちだというので、釈迦が亡くなって二十五、六年後に、大日如来が愛を補足して説き、あの世に帰ったときに

大日如来と名づけられたのです

 こういう経緯から大日如来の弟子の中には、主に愛を説いたイエスの時代に生まれてイエスに協力している人もいるというのです。

また、邪馬台国の卑弥呼は心の窓を開いていて、佐賀の吉野ヶ里で神の言葉を伝える、神権政治を行っていた程ですから、卑弥呼は古代インドの時

代に大日如来の娘であったことを想いだしたのです。

そのために卑弥呼は大そう懐かしがって大日如来を神として祭ります。

 

     吉野ヶ里の卑弥呼は高橋先生の長女佳子氏

 

佐賀県の吉野ヶ里が、にわかに脚光を浴びたのは今から十五年ほど前の平成元年(一九八九年)のことでした。

NHKテレビの二〇〇二年一月中旬のプロジェクトXという番組で、七田親子の吉野ヶ里に掛ける想いを放映しましたが、昭和五十年(一九七五年)三

月下旬、高橋先生のGLA宮崎研修会での一コマです。

 要約するとこうなります。

 高橋先生の解説、

「この人(高橋佳子氏)は、過去世において卑弥呼であったことを思い出しております。奄美大島から来られたこのお二人のご婦人は、卑弥呼の女官を

していたのです。

東京でデザイナーをしているG堂さん、映画俳優の〇丸忠雄氏の夫人で、薫さんは、ともに卑弥呼の大臣をしていた人達です。

過去世を思い出したこの人を中心として、この人達が卑弥呼の時代を思い出しますと、今までわからなかった日本の歴史がはっきりとします。

邪馬台国は有明海を中心にしてありました。」、

と。

そして、

昭和四十年代初期、神光会(GLAの前身)の会誌『ひかり』にも既に卑弥呼は長女佳子氏と記述されています。

また、

別の講演では、

「邪馬台国の卑弥呼は、インドの当時の大日如来を思い出してなつかしんで祭っていたのです。その大日如来がのちに天照大神として祭られることに

なったのです。」、

と。

また、別の講演の霊道現証の時間には、

卑弥呼の時代の人達がお互いに邪馬台国時代の言葉で語り合います。

すると高橋先生は、

「そうです、これが当時の言葉です。邪馬台国時代の言葉です。」、

と。

吉野ヶ里に近い著者の故郷の筑後地方には、山門(やまと)郡や大和(やまと)町近郊の言葉に、

「〜ですね」を「〜ちのも」と言います。

また、

「〜ですか?」というのを「〜かんも?」という言いまわしがあります

一例を挙げますと、

「本当ですか?」

を、

「本なこつかんも?」、と言います。

肯定する言葉は、

「そうちのも」、「そげんちのも」

と言います。

この「〜ち」「〜ち」という「ち」や「〜なこつ」「〜こつ」という「つ」、「つ」という表音を整理してみると、初めてこの録音テープを回したとき感じた印象は、

「ち」とか、「つ」と、何と忙しく喋るのだろう!と思ったものです。

江戸時代の儒学者、新井白石は九州説をとっていますが、平成五年に園頭先生は、邪馬台国は吉野ヶ里と発表されました。

また、正法のホームページで公開している、著者の論文はこうです。

 

    邪馬台国と著者の考察

 

 福岡市の近郊に、糸島半島がある。

ここは遺跡の宝庫で、吉野ヶ里からそれ程には遠くない平原遺跡から、約五十センチの日本最大の銅鏡など四十枚が郷土史家により掘り当てられて

いる。

 三角縁神獣鏡は出ていないもののすごい古墳である。

 こここそ卑弥呼のお墓、古墳ではないだろうか。

平原遺跡の近くには四百メートルの高祖山(たかすやま)があって、近くには日向(ひなた、ひむか)峠や神崎(かんざき)郡という地名はまさに「神,太

陽、或は卑弥呼、日の子に向かって」、や「神の先」であろうか。

また数十キロ半径には女山(じょやま、ぞやま)という名の山が二つある。

そして、そのハイライトは近くの、千メートルの天山(てんざん、天の山)であろうか。

推測すればこうだ。

卑弥呼は季節毎に居所(霊山)を変え、神託、神のお告げ持って政(まつりごと)の中心である吉野ヶ里へ伝えたのではないか。

 平成十一年三月、祭壇とも思える遺跡が発掘されたと報じた。

 サテ、邪馬台国は魏志倭人伝の言う通りに歩を進めると、中国のかっての大げさな表現によるものを差し引いても、どうしても畿内説の有力な根拠に

なるようだが、千八百年前にはその後の雲仙や島原の火山噴火によって、現在の地形と異なっていたと考えられないだろうか。

また,同じく魏志倭人伝によると、「男性は年齢にかかわらず、みんな顔や体に入れ墨を入れている」と言うが、平成八年二月、糸島半島の前原市か

ら、1世紀前後の人の顔の入れ墨模様を刻んだ板(人物線刻板)が、国内で初めて見つかっているのも興味深い、と。

 

  大日如来と天照大神

 

邪馬台国が栄えて、それ以後、今度は大日如来自身が日本に生まれて正法を説きます。

亡くなると天照大神として祭られ、それが後に大日如来を祭り、仏教ではない、バラモンの行法である護摩を焚く行法へと変化するのです。

 護摩を焚くというのはバラモンの教えであり、仏教ではありません。

次は般若心経の玄奘三蔵法師について述べます。   

 

     不空三蔵は玄奘三蔵法師か?

 

 高橋先生は小田原講演会で次のように講話されています。

 それでは会場の様子を再現してみましょう。

 中年の男性を登壇させられると高橋先生は、

 「この方は七世紀に生まれた方です。」、

と日本語で告げられます。

 それから高橋先生は古代語で男性に話しかけられ、しばらく二人の中国の古代語らしい会話(異語・異言・いごん)の後、男性だけの異語が続きます。

それから高橋先生は日本語で、

「皆さんに分かるように当時のことをそのまま日本語で語ってくださいとお願いしました」、

と告げられると、男性の日本語が始まります。

  「私は今から千三百年ほど前に中国に生まれました。私が、ちょうど二十歳頃、その頃の都長安に、「金剛智」という大変偉大な僧がおられました。

私はその方のお弟子になり修行をした者でございます。私がお弟子にさしていただいたときに、私より三歳年下の方で「不空」さんという方がおられました。

その方と共々に金剛智師に教えを戴きました。私がお弟子になり七年が経った頃に金剛智師は亡くなり不空さん、不空師が後を継がれることになり、

私はそれから不空様のお弟子になりました。

それから、金剛智師が亡くなられて少ししてから、インドのナーランダという所へ仏典を取りに行くことになりました。

私は不空様のお供をしてインドのナーランダまで旅をいたしました。その旅は、本当に言語に絶するような大変大変苦労した旅でございました。

 私達はインドのナーランダに着き、いろいろと修行をさせていただきました。

そして長安に帰ってから、私は不空師の命により五台山という所に金閣寺を建てるために五台山に参りました。

 そして、そこで大変大変厳しい修行をしたものでございます。その当時中国は戦乱の世の中で、私達は厳しい修行の合間を見ては山から下り、大衆

の中で人間の心というものについていろいろお話ししたことを覚えています。

 そしてまた、戦乱の世でしたから自分の持てる物を全て人々に与えて歩きました。その当時の修行というものは今日本にもある密教でございます。

私達の当時は本当に人間の心というもの、如何に大事であるかということを不空師に教わりました。

そして今この者(登壇して語っている男性)の声帯を借りて、不つつかな日本語でお話しをしておりますことは、人間の心というものの偉大さを皆様に知

って戴きたいためです。云々。」、

と。

また、話しは続きます。

 「私が七十三歳のときに不空師は七十歳でこの世を去られました。

しかし不空様は、一切の物を残してはならない、一切のものを残すことは執着になる、私の死んだ後はこの肉体もすべて灰にし、別に葬らなくてもよろし

いとおっしゃいました。

 私達は長安のお寺に不空師の遺骸は塔を建て、そしてその中に葬りました。

不空師は大変大変立派な方でございました。その不空師に、私は今現在も、いまだに私は、いろいろと教えを戴いております。どうぞ皆様この人間とい

うものは、この肉体は仮の姿であることを知ってください、肉体は心のただの乗り船であることを知ってください。」、

 と。

 それから男性の異言が続き、それに答えるように高橋先生の異言の応答でこの男性の霊道現証は終わります。

長安のお寺に葬られた玄奘三蔵の遺骨は、その後日本軍が南京で土木作業中に掘り当てるのですが、どうして南京かと読者の皆さんは不思議に思

われるでしょうからこの辺の事情を述べますと、当時は戦乱の世で国情も大変混乱していたので、転々と安置場所を変えたようです。

驚いた軍部は中国政府に返還すると、この公正な処置に感銘した中国政府はいくらかの遺骨は日本へ、と好意で贈られ、その一部は埼玉県岩槻市

にある慈恩寺に奉安されるという経緯があったのです。

 

    園頭先生と大谷氏

 

坂本竜馬であり、現代のアメリカ在住、大谷氏のコリータ(改名マーハーモンガラナ)と、西郷隆盛であり、現代の園頭先生のウパテッサ(改名シャリー

プトラ)は、インドのお釈迦様の時代に大の仲良しでした。

 お釈迦様の許へも誘い合って入門した程です。

 二人は入門する間もなく、メキメキ頭角を現わし釈迦教団の中心になると、 それが教団の古参にとって何とも面白くありません。

 教団内のギクシャクする雰囲気を感じた釈迦は、皆を前に、

「二人とも今世は最も遅れて来たかも知れぬが、過去世では共に力を合わせた最も古き友だ」、

 と諭すのでした。

  こうしてマーハーモンガラナ(大目連)は、あの世もこの世も未来の世も見通せる教団一の天眼通となります。

 一方、シャリープトラ(舎利佛)は、般若心経の中の舎利子です。

 これは皆を代表して「皆様方よ」という意味で、舎利子とあります。

このように名目ともに釈迦教団の中心でした。

そして、教団内の女性団員の指導や、お釈迦様の一子ラフラ(邪魔になる石、出家の障害という意)の教育も任されます。

 園頭先生が主宰された国際正法協会では、グレースの会をつくられ、特に女性の在り方を説かれました。

 園頭先生のその真意は、女性は母となって子供を通して未来を作ってゆくから女性の教育こそは大事だからです。

 次は、現代の園頭先生と大谷氏の関係について。述べます。

 幕末の志士でモダニズムの坂本竜馬は、新生日本を夢見て日本を夢見てみて??バラモン教の師でバーバリーと呼ばれた人です。靴を履いて写真

に写りましたが、夢にまで見た西洋一番の大都会ニューヨークにレイモンド大谷氏として住んでおられます。   

 そこで高橋先生は、

 「園頭さん、ついに大谷さんが悟りましたよ。僕がニュ―ヨークへ意識で行って見ると、公園の芝生の上で瞑想・禅定(ぜんじょう)をしていました。僕

は、夜肉体から抜け出して意識のままに、光子体で行って彼の魂を揺さぶり続けると、とうとう悟りましたよ。」、

 と言われます。

 それから高橋先生は大谷氏へ手紙を出されますが、手紙の内容全文も残されています。

 高橋先生から大谷氏のことを聞かされた園頭先生は、懐かしさの余りお互いに文通を始められます。

高橋先生も亡くなり、園頭先生は正法会(国際正法協会の前身)を立ち上げられた頃、大谷氏はニューヨークの経済団体の団長として日本訪問の途

中で、雲仙観光でした。

その日に限って都合の良いことに園頭先生の正法会・長崎講演会です。

 

    孫悟空のこと

 

 会う間もなく、大谷氏は登壇され興味深い講話をされます。

「寝ていると、体がググッと持ち上げられたたようになり、雲の彼方に連れて行かれました。

ふと見ると、そこに高橋先生が立っておられ、

「これを見なさい」、

と五本の指に私の生まれ変わりの転生輪廻(輪廻転生)を見せられました。」、

と楽しい講話をされます。

如意棒片手に活躍する孫悟空も観音様の手の中で踊らせられただけという、猪八戒と三蔵法師の物語の『西遊記』を思い出してこの話しを参考に病

床の園頭先生に、ぶっつけてみました。

 

    園頭先生との筆談

 

 著者と筆談の先生は、意識の中に解答を求められ、しばらくして

「私もお供の一人でした。」、

 と、いうことでした。

仏教を広めるために、本体であるお釈迦様の説かれた仏典を、分身@の不空三蔵の玄奘三蔵法師が、仏典を十七年間かけて中国に持帰ります。

国の禁を犯してまでインドへ行って、仏典を持帰る偉業を成し遂げた行為は、

お釈迦様の分身Aである天台智(ちぎ)の天台山へ、お釈迦様の分身Bの最澄が空海と共に日本は出たものの台風に出会い、船は別れ別れにな

って最澄は本流の天台山へ、空海は傍流の五台山へ行って所期の目的を果たすというのに似て、心の中に秘められた転生の秘密が隠されているよう

で大変興味があります。

 ここでは台風が二人を別々に分けて、目的を果たさせるという天上界の指図に外ならないと思うのです

 こうして大唐西域記ならぬ、天眼通一番の大谷氏の孫悟空と、動きは鈍いが智慧一番の、猪八戒の園頭先生の架空説話が出きあがりです。

 勿論これは高橋先生の言い残された言葉ではありません。

 

    釈迦の本体と五分身

 

 本体 紀元前五百年、インドのお釈迦さま

分身@ インド不空三蔵

分身A 中国 天台智

分身B日本 最澄(伝教大師)

分身C日本 空教

分身D日本 木戸孝允(桂小五郎)

 

    イエスの本体と五分身

 

本体 イエス イスラエル (高橋先生は、紀元一年ではなく紀元前三十二年と言われている)

分身@クラリオ BC四千頃エジプト

分身Aマグガリス AD二百年頃イスラエル

分身Bフワン・シン・フワン・シンフォー AD四百年頃 中国

分身Cバロイン AD千五百年頃 英国

分身Dマグネチオ BC二千年頃 エジプト

 高橋先生の『心の発見』科学篇にはこう書かれています。

「現在、分身Dが、フイリッピンで、肉体舟に乗って修行している。クラリオが守護霊をしており、指導霊はイエスの友人であるモーゼの分身が担当して

いる。」、

とあります。

この分身Dは、昭和四十八年?に亡くなったヒーラーで、通称トニーのアントニオアグパオアでした。

次に生まれるのは、昭和四十八年(一九七三年)現在、百八十年後のシカゴにイエスの本体です。

 

   玄奘三蔵法師のお伴は何人?

 

 また、高橋先生はこうも言っておられます。

 高橋先生の著書を出している三宝出版があります。

 営業部員であった〇木氏は、七世紀に、玄奘法師の乗られた馬の手綱を取られた人と、言い残しておられます。

そこで、この〇木氏が、先の霊道現証に出てこられた人かどうか、この時点では確信できませんので、これから先の信次師研究に先送りさせて頂きま

す。

著者の資料は、ビデオやテープは百巻程度ですが、約五百巻を所有する人がおられて、高橋先生の教えられた新事実も次々と明らかにされるでしょ

う。

サテ、病床の園頭先生にお尋ねしたことから判断すると、玄奘三蔵法師は、高橋先生の守護霊である不空三蔵であり、そのお伴は、不空のお弟子さ

んと園頭先生と坂本竜馬の大谷氏と馬の手綱を取られ人の四人だったのでしょうか?

また、高橋先生の著書や講演の中で不空は、

「インドに生まれた」、

また、

「北インドに生まれて」、

とか,或は、

「不空三蔵といってインドから中国に帰化した方があります」、

とあります。

玄奘は中国生まれと歴史は教えていますから、こじ付けがましくも、こう考えました。

禁を破って国外へ出て行ったのですから、生まれも育ちも隠し、不詳ではなかったのではとか、或は、インドから中国へ来て、再びインドに戻って,仏

教を広めるという大きな使命感の為に仏典を中国へ持って来て、中国で亡くなったと考えたり、

不空三蔵は、玄奘三蔵に生まれ変わったと考察しては、著者の中で混乱しました。

それで、結論は急いではならないと考え、疑問符のままこの項は終わります。

 

   インターネット放送局のこと

 

 高速通信ネットのブロードバンドが広範に安く自由に利用されるようになるとインターネットによる正法の講演テープや講演ビデオが、皆様の家庭に

ヅカヅカと入り込む時代がそこまで来ています。

 この異言といわれる過去世の言葉を語る場面を記述で表現するとなると、どうしても制限されて思うに任せません。

高橋信次先生と園頭広周先生の教えを紹介した「正法のホームページ」は、開設してから五年になります。

平成十五年一月末、累計で五十数万件のアクセスです。

 現在は静止画像とテキストだけですが、永続は力なりといいます。

 この種のホームページとしては、異例の件数と評判らしいのです。

 外部に知らせていませんのに閲覧してくださる方がどんどん増え続けています。

アドレスは、wwwshohocomです。

先を続けます。

 

    昭和天皇と自霊拝

 

卑弥呼以後の日本の原始信仰は、太陽や山野の自然崇拝です。

しかも、自分に嘘のつけない善なる自分の神なる心を拝むという、自霊拝を取りいれた古神道でした。

勿論、現代の山岳宗教や神社神道ではありません。

亡き昭和天皇は、自霊拝を最も厳修した方と言われています。

存命中は今上天皇といわれ、亡くなられると昭和天皇と呼んでいます。

このように、亡くなると呼び方が変る例として、大日如来や天照大神についてもお分かりでしょう。

 

    アショカ王は菩薩界の昭和天皇

 

昭和天皇の過去世は、古代インド時代のアショカ王、次にカニシカ王として生まれ変わられた菩薩界の偉大な大王、と高橋先生は言い残されます。

 もう少し詳しく述べますと。 お釈迦様が亡くなられてから二百年後、アショカ王は戦えば全戦全勝の無敵の大王でした。

 戦いに勝っても勝っても心が晴れず、その内に、身内も恐れる暴虐振りを発揮します。

この心の虚しさは何だろう。

そうだ全てを懺悔し、仏のみ教えを仰ごう、と仏法に帰依します。

 それからアショカ王は不殺生を誓い軍隊を解散して、有史以来初めての戦争放棄の宣言をします。

 ただ単に個人の救いの宗教でなく、世界全体を救うものと、シリア、エジプト、マケドニヤに特使を派遣して、仏教を世界宗教まで高めたのです。

 これまで、アショカ王は実在の人物ではなかったと言われていましたが、アショカ王の宮殿址が発掘されたのは、今から百年ほど前の事でした。

 とりわけ、アショカ王から五百年後に、アショカ王がカニシカ王として生まれ変わられると、更に仏教を広め、世界仏教を不動のものにしたのです。

昭和天皇は第二次世界大戦で、自らの意思で戦争終結の勅を下されます。

 世界で初めて原子爆弾を被弾した国として、全世界に戦争の愚かさを訴え、世界に範を示す時こそは、天皇が亡くなられたこの現代しかありません。

 過去世でアショカ王でありカニシカ王の昭和天皇が、第二次世界大戦によって戦争放棄の宣言をされたことは、過去世からの繋がりを見ると、不思

議とはいえ当然なことかもしれません。

 このように、アショカ王にならって軍備を持っている国は、軍隊を解散し戦争を放棄すれば、世界平和の一歩を印すのです。

 

    古神道と神社神道

 

 或るとき園頭先生は、高橋信次先生に、

 「正法である古神道について特に触れられていませんが…」、

 と質問されます。

 「そうです。今これを言えば、古神道ではなく神社神道と受け取られ、混乱して右翼が騒ぐ云々」、

 と。

このように、アガシャ系霊団の大指導霊として日本に生まれて正法を説いた人は、天照大神でした。

 

    正法を一つにするために

 

 ユダヤ教、仏教、キリスト教、日本の古神道、イスラム教は、もともと一つの正法でした。

 アガシャ系霊団の中心霊である真のメシヤ・エルランティは、地上のそれぞれのメシヤに対して、天上界から霊示として教えます。

 モーゼにはヤーベとして、釈迦には梵天として、キリストにはエホバとして、天照大神には天つ神(あまつかみ)として、マホメットにはアラーとして、そ

れぞれに名を変えました。

 教え主が同じエルランティですから、もともと一つの正法なのです。

 ところが、正法は長い時間と空間とともに歪められて、そこに智と意が加わり、自力から他力信仰へと突き進みます。

 

    幸福という名の欺瞞

 

 元来、人間の正しい生き方と、人間の正しい在り方を説いた筈の宗教は、いまや幸福という名の幻想へと誘ない、マンダラと偶像を祭り、呪文と経文

を唱えて、他力や祈りの宗教に堕ちています。

 そして、得られるべくもない幸福を、言葉のトリックによって、得られると説く宗教のなんと多いことでしょう。

 また、幸福という言葉と引き換えに教勢を強め、貧乏人からは少しづつ少しづつと集金マシーン化する宗教は、身ぐるみ剥がす追い剥ぎや泥棒と一

つも変りはありません。

 紛争の火種にまで成り下がった宗教を正すために、ユダヤ教、仏教、キリスト教、古神道、イスラム教の全部を一つにするのが、高橋信次先生の出

生に重要な意味を添えるのです。

 

   天照大神後の日本の正法の変遷

 

 それでは、天照大神から以後の正法の変遷を見ましょう。

 五百四、五十年頃には百済から仏教が伝わり、五百九十三年に聖徳太子が出て推古天皇の摂政となり、十七条の憲法を制定して、仏教を保護し奨

励します。

  

    聖徳太子は七大天使の一人パヌエル

 

 聖徳太子は、地球にエルランティと共に飛来した七大天使の一人、科学全般を担当したパヌエルです。

 推古天皇の摂政。役人の心がまえを示した「十七条の憲法」や、家柄よりも能力のある人を位につけるために「冠位十二階」を制定し、光の天子の小

野妹子とともに遣隋使を中国に送ります。

法隆寺や四天王寺を建て、「三経義疏」というお経の解説書も書いたと言われ、   「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」、

と隋と対等の立場で書かれているのは余りにも有名です。

確かに、日本はアジアのなかで一番先に日の出を迎えますが、勿論、国書の趣意は位置的関係ではありません。

また、聖徳太子が建てた法隆寺は現存する世界最古の木造建築といわれています。

 同じく、この頃にイスラム教(回教)で話題のマホメットと、玄奘三蔵法師は出ています。

 

   マホメットのこと

 

 マホメットは、四十歳頃にメッカ郊外のヒラーの丘にある洞穴で、ガブリエルを介してアラーの神の神示を受けて、イスラム教(回教)を伝えます。

 昨今話題のイスラム教のマホメットは、園頭広周先生である天使ガブリエルが指導し、 アラーの神はエルランティである高橋信次先生でした。

 エルランティーである高橋先生は、モーゼのときはヤーベを名乗り、釈迦には梵天を名乗り、イエスにはエホバを名乗り、天照大神には「天つ神」を

名乗り、マホメットにはアラーを名乗られ指導された、と何度も述べました。

 イスラム教もアガシャ系霊団の一員として正法が説かれていたにもかかわらず、教えは曲解され誤解は誤解を生んで、イスラム原理主義などと国際社

会で異端児扱いされて現在に至ったことは、皆さんも良くご存知のことと思います。

 イスラム教はキリスト教やユダヤ教と同じ唯一神の一神教です。

 マホメットは西暦五七〇年頃、メッカのクライシュ族に生まれ六一〇年から死ぬまでの二十二年間、ガブリエル(ジブジール)の仲介によってアラー

(アッラー)からの啓示を述べ伝え、それを規範とした共同体を指導します。

 正妻が亡くなると多妻を実行し、預言者や宗教指導者としてだけでなく、イスラム軍の総指揮者として好戦的でした。

 その軍勢はアラブ諸国を形成して、現在の宗教的教勢は七億人とも十億ともいわれます。亡くなると後継者の派閥争いが繰り返され、部内は暗殺の

歴史でした。

 

    園頭先生とオマーン国

 

園頭広周先生は、亡くなられる三年前の平成八年三月のこと、アラビヤ半島にあるオマーンへ出掛けられました。

先生のオマーン訪問の真意は私にはよくわかりません。

それはとも角として、アラビヤ半島のオマーンの対角に位置する所には、マホメットが生まれたメッカがあります。

オマーンも含めて、この周辺は純然たるイスラム教圏です。

 園頭先生は、メッカで生まれたマホメットを指導されたガブリエルでしたから、懐かしい思いでオマーンを訪ねられたことだろうと、こじつけがましくも、

そう考えました。

この項をパソコンで打っていたとき、オマーンに在住された国際正法協会元会員と北陸でお会いする機会がありました。

北陸高速道を飛ばしながら心の片隅にくすぶっていた、この問題を投げ掛けて見ました。

 その方が曰く、マホメットもメッカのことも、私はお聞きしませんでした、と言うことでした。

 「不思議な事がありましてね」、

「どう不思議なんですか」、

と尋ねますと、

「北陸の研修会で帰朝講演を先生がなさったとき、私も聞く機会がありました。

それはオマーンの石油の権利に関する日本企業のことでした。講演では私が現地で説明したのとは反対の企業名を講演されるのです。

「それは違いますよ」、

とは周囲に憚られて訂正せずにいましたら、先生が間違えられた通りに成ったのです。これには私も驚きました。さすがに先生は我々では推し量れな

い不思議な方でしたからね。」、

 と言われる。

 また、

 「園頭先生がオマーンに来られてからは、降らない雨が木々を潤おす位に降り、オマーン国内では色んな良いことが次々に起きました。

 国王様は、自分で車のハンドル握られ国民との対話の会場へ向かわれる程のお人柄で、 国民からも大変慕われ親日家でいらっしゃいます。

私は気がついたら六年もいて、家族はもうほとんどオマーン人です。」、

と、語り終えられた笑顔が爽やかでした。

 昨今話題のイスラム圏ですから、聖徳太子と同時代の、私達には馴染が薄いマホメットについて触れてみました。

 先へ進みます。

平安時代の前期は、最澄と空海です。

平安時代は三百五十年、江戸時代は二百五十年も続いたという、日本が世界に誇れる、世界でも類例がないという程の、史実の平安時代です。

 

     最澄と空海の渡唐

 

最澄と空海は仏教を学ぶために同時に中国に向けて出帆します。

ところが途中でひどい台風に出会い、船を一緒につないでいた伴綱が切れて、空海は五台山へ、最澄は天台山に着いてそれぞれ別々に学びます。

 最澄は本流の仏教を、空海は傍流の密教を学んで帰国すると、それぞれに寺院をつくって教えを広げたのです。

  

    真言宗のお坊さん登壇、恵果のこと

  

高橋先生は、講演会の現証の時間でのこと、

「ちょっとこちらへ来てください」、

と坊主姿の人を登壇させられます。

「この方は、現在も真言宗のお坊さんですが、その当時のことを思いだし、自分自身の心の窓を開いております。」

また、

「ちょうど、恵果阿闍梨(あじゃり、真言宗の高層の敬称、あちや、あちゃと聞こえ当時の中国語でアチャリと発音していたのでは?)、

という方が出られた当時の頃のお弟子さんで日本から空海という方が留学しておった当時の僧侶でございます。」、

 と高橋先生。

 それから二人の異言がしばらく続きます。

「当時の経文、真言とその印の結び方、インゾーを、その当時の当時のことをそのままにやってください、そのままを唱えて欲しいとお願いしました。」、

 それから男性はその当時の真言らしき経文を朗々と唱えます。その浪々と続く中を高橋先生の解説が続きます。

 

    留学中の空海

 

 「ベルシャーナーといわれる大日如来を本尊としてその当時一つの密教というものを勉強せられたことが思い出されたわけです

。そういうやはり縁生を通して今生においても真言宗の一つの僧侶として生活をしておられます。

「日本人の空海といわれる方が五台山といわれる所へ留学して来た時のことを私は思い出しております。」、

と、申しております。」、

と。

 

    真言の意味

 

 また、同じく高橋先生は、

 「 当時の難しい真言ですね、当時の真言です。」

 「ノーマクサマンダーバーノーマクサンマンダーバー云々。」、

 と男性は吟じ続けます。

 高橋先生は、

「この真言というのは天上界のそれぞれの天使のコードナンバーと言いましょうか略称のようなものなのです。シエイシェイ、シェイシェイどうも有難うございました。」、  と。

 

    空海と過去世

 

 空海のお釈迦様の時代は、釈迦に竹林精舎を寄進したガランダ長者です。

  次には五世紀の中国に中蒋という名前で生まれています。     

 空海は心眼を持っており、病人に憑く憑依霊が良くわかった為に加持祈祷をしました。

 また、自著『般若心経秘鍵』の中に、

 「私は、インドの当時、リヨジュセンで釈迦の説法を聞いたことがある」、

と書き残しており、これは過去世の時代を思い出していた証拠になると思います。

 空海は渡唐した当初は五台山の西の門の西明寺が寄宿所でした。後に南の方の青竜寺に移り、前に述べました恵果和尚について密教を教わります。

 恵果和尚の師は、前に述べました不空三蔵です。

不空三蔵はお釈迦様の分身で、高橋先生は憑依霊を除去されるとき、

「不空三蔵、この霊を連れて行きなさい」、

 と、よく告げておられました。

 空海即ち弘法大師が修行した中でもっとも大事なのは即身成仏です。

 即身成仏、即ちこの身このまま仏であるとの自覚は「宇宙即我(うちゅうそくわれ)」で、宇宙即我の相(すがた)を現わしたのが「曼荼羅(まんだら)」です。

現在はその真義が見失われてしまい、即身成仏といえば、土中に身を埋められ一定期間じっと耐えることのようですが、間違いです。

これは我慢強さの修練にはなりますが、悟りとは無縁の、肉体業や苦行の一種です。

 

     高橋先生の講話「空海のこと」

 

「高野山での研修会でのことを二、三お話します。

 一体ここはどこだろう?と私が思いますと、ハイハイとお坊様が出て来ます。そして、蓮生坊でございますという。さらにたずねて貴方は誰ですかと聞

きますと熊谷直実でございますという。云々。

 当時に弘法大師空海が中国に行った模様を私は聞きました。

 

    一番先頭は最澄

 

それによると四隻をともなって一番先頭には最澄が乗船し、藤原一族も中国大使として乗船します。

 そのうち筑紫から出て間もなく大風が吹き、纜(ともづな)が切れてしまい、四隻の船はバラバラになってしまった。」

 

    渡唐口址のこと

 

講演には、

「筑紫から出て」、

とありますが、二〇〇二年正月一日、福岡市のカウントダウン会場から、近くの夜の繁華街・中州の名もない神社に立ち寄りました。

玄海灘に流れ込む河口堰際の神社の隅に「渡唐口址」 と彫られた小さな石碑を見つけ、この項を打っていたときですから、特別な感動でフイルムに

納めました。

 著者には不思議なことが在るときは、それに逆らわず流れに任せるようにしています。

 再び高橋先生の講演に戻ります。

 「最澄の方は帰ってからわかったのですが、揚子江(長江)下流の上海という所に着き天台山へ。

 私達は今でいう台湾海峡からアモイの近く、福建省へ流され五台山へという。

 このように当時の模様を詳しく教えてくれます。

そうすると私は本当か嘘かいろいろと調べ始めます。

ここは高野山の弘法様の所ですから金剛峰寺へ行って伝記物の本を買ってくると大分嘘がある。第一船団に空海が乗船と書いてある。

 それならと最澄の比叡山延暦寺を調べると第一船団には最澄だと書いてある。

 その当時最澄は三十七歳だと言っております。

 このように歴史はいろいろと坊主たちの、自分の都合の良いように作成したのです。

 弘法大師が本当に神理を悟って、中国から帰って来たとしたら、恐らく先程の密教なんてものは作らなかったでしょう。

 更にまた山を捜し求めたときに、二匹の白黒の犬が出てきて先導し現在の高野山に、自分の修業所を求めたと書いてあります。

 その時に猟師と一緒に地の神を祭ったことも、これは既に弘法は悟っていない証拠です。

 しかし弘法自身、高野山にいて修行をし、心の窓は開かれていたと弘法自身は言いました。

 弘法自身、一生女性関係は無かったのですか?と聞きましたら、私も所詮は男でございます。云々。

 何時の間には年代が過ぎると雲の上の天上人に周囲が神格化してしまう。

奥の院には弘法様の骨を祭ってあるとか、その奥の院へ入って行くと、私の目の前に真黒い玉がグルグルと飛んでいるのが見えます。

その時四、五人のお坊さんがおりましたが気が付かない。

 弘法様に後で奥の院には貴方様のお骨を拝ましているようだが?一体これはどういうことですか、ときくと、自分の亡き後の骨を拝めとは一言もいって

おりません、という返事が返ってくる。

 人間はそのようなものに執着を持たしてしまっている。

末法の時代になれば、このようになるものですと、これらは歴史上の事実を追求しますから歴史と現実がどのように間違っているか分かってしまうわけです。

人間は尊敬の余り自分の宗祖をどうしても大事にしたいものです。

正しく物を見ていない証拠なのです。

しかし高野山が当時の権力と結びついて弘法様の名前が世の中に広まって行きました。」、

と。

 

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    加持祈祷の過程でライ病に

 

また、高橋先生は、

 「修行の過程で霊視が利きますから、病気が解ります。その病気を癒している間に当時ライ病が流行したそうです。

その結果が自分もライ病になり手が全部潰れたともいわれる。

だから四十代から殆ど堂に篭って外出しなかったと言っておりました。」、

 と。

 

    空海の霊査、審霊

 

 同じく高橋先生は、

 「それで本当に私に出てきたのは弘法であるか?ないか、テストしなければなりません。顔形を見て弘法さんとわかっても、人は信じません。

 たまたま高野山で寺院を持ち当時宗務総長K氏が三年前に死去しました。

  その方の奥様が私の講演を聞きにまいり面接いたしました。

  見たところご主人が横に来ております。背は一メートル七十四、五センチ位で丸々と肥った一見浅黒いお坊様、私は奥様にこのことを話しますと、

私の主人ですという。

その時、K氏は、私は精神的に非常に宗派の見苦しい環境の中で苦しみました。

私は心筋梗塞で一夜の内にあの世へ帰りました。

今、執着はありませんが、ただ自分の妻を顧みるいとまがなかった。云々。

 万が一私が死んだ後お坊様の宿泊所でも良い、よい生活環境を作ろうという約束をしたが、それを果たすことなくお前に苦労かけて申し訳ない、とい

う。

 お前には色々苦労ばかりかけて多くのお客様に接待するだけで、青春も老後の幸福も与えなかった。本当に申し訳ない。

 お前には見えないだろうが、何時でも傍にいて協力するから恨まんで欲しい。

 気の強い女であったが、もう少し体のほうにも気をつけて医者にも見てもらって欲しい。云々。

 ところが偶然にそのK氏は宗務総長時代に私の『縁生の舟』(改題『心の発見』)を読んでいたそうです。不思議なことです。先生の御本を読まして戴

きました。

 先生はそういうことから通して、ご存知でございましょう。

 高野山内部のことも云々。妻にもいろいろとご教導ください。

 夫婦二人だけの話しを喋ってしまったのです。

 サア奥様信じざるを得ません。全部ですから、これで初めてアアそうかと矢張り前へ出て来たのも、弘法大師には間違いないと私は信じました。

 また、弘法様が、貴方様の説いている心、私の寺の中に示してあります。

ぜひそれらを見て欲しいと言って、皆様と一緒にいろいろの国宝を一パイ陳列してある宝物殿へ這いって行きました。

 心を中心に書いてあります。

 だから何でこれだけのものが書いてありながら、人はこの心を調和する道に実践しなかったのだろう。

弘法死後どうなったのですか聞いたところ、私が亡くなって百二年目、すでに僧兵をつくって私の神理にないものが這いって来たのです。

そのために、最後は、あの中は阿修羅界に変ってしまいました。

 減後二百年でこのような現象が出るとは思いませんでした。

このように弘法さんは当時のことをいろいろと、すでに天上界へ上がっておりますから、解ります。

その張本人は誰ですかと聞いたところ、現代の名前で何とかいう宗祖だそうです。

この人が鎖鎌を持って権力と組んで、最後は四十三歳で殺されたようですが、一つの分派活動を起こして、混乱に導いて仏教を段々変えてしまったのです。

 だから日蓮が真言亡国といった意味がよく解ります。云々。」

 

  ・  クサリ鎌と僧侶 

 

 長くなりましたが以上は講演筆録です。

 日蓮が真言亡国、真言密教は国を滅ぼすと言ったのは、ついには宗教人が権力に組み込まれて、クサリ鎌を持つて戦うというのですから驚きです。

 密教は後では最澄の比叡山延暦寺でも弟子達が積極的に取り入れ、ついには比叡山延暦寺の北嶺の僧兵は残念なことに強大でした。

この講演を長々と引用しましたのは、霊は見えぬだけに霊の特定は大事なことなのです。

超能力を自由自在に駆使される高橋先生でさえ、これ程までに慎重だったと示したかったのです。

 

     高野山浄霊

 

また、「高野山浄霊」という講演テープには、高橋先生の浄霊の言葉に始まり、霊媒の女性が、空海のゆっくりした抑揚のある候文の言葉を伝えます。

空海は、

「本日はわざわざお出まし頂き御説教ありがとう御座居います。」、

と。

そして、中ほどでは高橋先生の朗詠される般若心経や、また、中国の天台智の、

「妙法蓮僧伽呪ミョーホーレンゲンーサンーガンジュ」、

と中国当時のお経を唱えられ、終わりの方には余興として、相馬馬子追唄と詩吟をきれいに歌われています。

 

    高橋先生かどうか霊査を試みる

 

 現代は、高橋先生の偉大さをたたえて、高橋先生が出てこられると称する、霊能家が何人もいます。

 本当に出てこられるとすれば、顔も雰囲気も声も仕草も全部高橋先生でなければなりません。

簡単に出きる方法はこのテープと聞き比べて真偽の判断をいたします。

長野なまりの東京弁の相馬馬子追い唄や詩吟をジックリ練習していただくことにしましょう。

 

   現代の上海

 

この項を記述する少し前、最澄が漂流した上海を訪ねました。

テロによるニューヨークのビル爆破直後で、エーペック開催も間じかに控え警備もピリピリしていたのか、空港につくと一行は全員、提出した書類を記

述不備という理由で突き返され驚きました。

 数年前に訪問した中国の田舎の空港では、飛行機がついて入国検査が始まる直前に電灯が燈され、電力不足はこれほどまでかと、驚きました。

 その時のローカルラインは旧式のジエット飛行機で、足元に酸素マスクが転げ落ちている有様に度肝を抜かれました。

 いまや上海は人口千三百万人の中国一の大都会です。

 ビルもテレビ塔も世界有数で、テロによるビル爆破が順位を二位に押し上げたというのです。

 そのときの上海の港は、カクテル光線やレーザー光でライトアップされ、夜風が頬を撫でるクルージングから見る長江口の夜景は、最澄の驚きもかく

ありなんと思われ、平安時代に思いを馳せたことでした。

 上海は、海外から進出する企業には、二年間は無税、後の二年間は税が半分というのです。

 平安時代のエリート達はこぞって渡唐したように、十三億人の現代の中国は魅力溢れる未来国です。

 しかし、長江の大氾濫に見られるように、このような気象異常は国内に秘められた問題があるということです。

 例え、木々の伐採をして山が裸となり森林が少なくなっても、その地区にドカ雨が降らなければ、軒下まで来る濁流に沢山の家が押し流されるというこ

とはありません。

 大地を潤おす適度な湿りなら問題は起こりません。

 それも何度も氾濫に見舞われるということはその原因の反省が十分に出来ていないからです。

 では、何を反省をすれば良いのか、長江の氾濫を鎮められるその原因は何んで、どうすれば良いのか、その方法は?

 

    中国の天候異変の原因

 

 それは言論の統制や、一人っ子政策です。

 人間は自由に子供を産んで自由に語らい、楽しい生活を謳歌すべきです。

 それが正しい人間の正しい権利の筈です。

 人口が増えて食糧問題が起きるからという理由で、それなら人口を抑制すれば良いというのでは本末転倒です。

 悪い原因という悪因を取り去れば天変地異、天候異変も起こらず、あの広大な国土に笑み溢れんばかりの豊作が約束されるのは当然なことでしょう。

 

    祖国怨念(祖国怨)

 

 この一人っ子政策にどれだけの中国国民が、自由な発言もできずに押し黙り、ニガニガしく思っていることでしょう。

 これを祖国怨念といいます。

かって中国には権力者が亡くなると生贄となって殉死させられた歴史がありました。

 現代の皆さん如何ですか、あなた自身がそうなったらどうなさいますか?

 これは国を恨む(怨む)祖国怨とか祖国怨念というのです。

 祖国愛なら大歓迎ですが、祖国怨はいただけません。

 一人っ子政策も、誰もが表立って批判できないものですから、泣く泣く権力に従うのです。

 しかし、国民殆どの人が、アー困ったことだと国政を恨む気持ちになっても不思議ではありません。

 このような暗雲が国土を覆うと、また、思いが集団的となるとその想いが、天変地異とはいかないまでも、天候異変を引き起こします。

 

   中国の近未来

 

 高橋先生が亡くなる直前の、先生最後になった岩手の東北研修会によると、

 「彼等が自覚するまで中国の食料不足は続きます」、

 と、断言されたのです。

 だから食料が足りないので人口増加を抑制するのではなく、一人っ子政策で人口増加を抑制するから、天は指導者や国家を反省させるために、農

作物を順調に育たないように、氾濫の繰り返しを強いる等の問題を起こすのです。

 等(など)としたのは、天は色んな方法で反省を促すということが言いたいのです。

 この項では、空海や最澄について述べました。では先を進めます。

 

    源頼朝について

 

 鎌倉時代は源頼朝です。鎌倉に幕府を開いて征夷大将軍でした。

 源頼朝は高橋信次先生のお父さんです。

 その前は古代インドの釈迦のお父さんでシュットダーナー王です。

 お父さんにはこんなことがありました。

「春雄(本名)、おまえは本当に俺の子だよな。」

「そうに決まってるじゃありませんか、それがどうかしましたか」

「不思議なこともあるもの、昨日の晩、頭に白いターバンを巻いた二メートルもある大男が出て来て言うことには

「あれは俺の息子だ!」と言う。

「アーそのことでしたか」

「お前は本当に俺の息子だよな」、

 と。

 お父さんは、古代インド時代は王様で、次は征夷大将軍というのですから、武士というものは肩肘張って肩苦しいもの、今度は気楽な生活を送ろうと

百姓に励まれ地味な人生だったということです

 お父さんについて触れましたから、次はお母さんです。

 

    マヤ様とマリヤさま

 

 高橋先生のお母さんは、イエス様を生み育てられたマリヤ様でした。

 マリヤ様は、イエスの後には日蓮を、そして次は高橋先生を生み育てられます。

 では、如何なる理由で高橋先生のお母さんになられたのかといえば、それはこうでした。

 

    お釈迦様は逆子

 

お釈迦様はネパールのルンビニという所で生まれ、今で言う逆子でした。

 産後の肥立ちが悪くてお母さんのマヤ様は、一週間で亡くなります。

 どうして、お釈迦様のお母さんともあろうお方が、可哀想なことに、こうなるのかと申しますと、お釈迦様をこの世に下して人間の正しい道を説かせるた

めには、天上界の用意周到な計画として、どうしてもマヤ様をあの世に引き取らなければならなかったのです。

 それから釈迦は継母のパジャパティに育てられます。

 いつしか生みの母ではないと感づき、釈迦は縦横無尽な我侭な性格から、ついには控え目な物思いに耽る日々が続きました。

 このような理由から、今度もマヤ様へお母さんになって下さい、と高橋先生は願われますが、こん度は勘弁してください他の方にでもという訳で、日蓮

のお母さんのマリヤさまに役が廻って来たというのです。

 読者の皆様も、親子の縁を結ぶとき、あの世でこのような手続きを取るのですが、自分で頼んで置きながら、勝手に生んでと愚痴を言うのです。

 人類の為とはいえ、短い人生でこの世を去り、釈迦という仏陀に人生を捧げるという気高い想いも、マヤ様にとっては厳しいものがあったのでしょう。

 

    マヤ様の現代は

 

 それではマヤ様の今世はどうだったのかと申しますと、公爵家の蜂須賀T子として、蝶よ花よの優雅な人生でした。

一九七〇年十一月、亡くなる数日前(八十余歳)に、高橋先生に送られた書簡の一部を紹介しましょう。

「思えば昨年の六月、先生のご自宅にはじめて伺ったとき「あなたのおいでになるのを二年前から知っていて、いつかいつかとお待ちして居ました。

私の本体は釈迦である為、慈母にあたるあなたは、齢をとって居るからこの世で会えないかもしれないが、会う機会がめぐまれるかもわからない」、

と申されたとか。

そして、「一、二週間前いよいよ会える時機が来たようだからと、前からお待ちして居ました。あなたは私の慈母マカハンニヤダイです」と、

とてもなつかしそうに私をじっと見つめて下さいました。そう仰っしゃったが私にはその意味がよくのみこめなかったのです、云々。」、

 と。

マカハンニヤダイとは本名です。

(マ)カハンニ(ヤ)ダイのマとヤをとって、通称マヤ様、マーヤー様です

お釈迦さまは逆子だったと述べましたので、次に、園頭先生が教えられた逆子の治し方をお話しします。

 

    逆子の治し方

 

 逆子(さかご)というのは、、正常であるべき胎児の位置が逆さになった状態です。

これは、どういうことかと申しますと、出産は、赤ちゃんが産道を押し広げて頭から時間を掛けて出て来るとき、産道の自然のマッサージを受けて産まれ

るのが、一番無理がなく自然です。

ことさらに述べましたのは、鉗子分娩や吸引分娩や帝王切開による分娩によって、赤ちゃんがこの世に急速に放り出されると、産道によるゆっくりした

マッサージがなされず、なにかと弱い赤ちゃんに育つようです。

このような赤ちゃんには、日常生活の中で体を擦ったり撫でたり、特にスキンシップを心がけて欲しいのです。

サテ、逆子は頭から出てくるのではなくその逆の状態ですから、足から出てきます。

足の方から出てくるのですから、当然ながら出てくるのに困難を極めます。

 そうなると、赤ちゃんを取り出すために器具を使ったり、帝王切開手術を併用することは容易に想像できるでしょう。

では,ナゼ、普通であるべき胎児が逆さになるのでしょう。

胎児は、子宮の羊水に浮かんでいます。

なぜ、人間の体にヒツジ(羊)かと申しますと、その理由というのは、どうも、ヒツジの赤ちゃんが、羊膜に包まれたのを最初に見つけて、語源としたようで

すが、羊水の中に、赤ちゃんはあたかも無重力の宇宙遊泳のような状態にあると想像して下さい

ですから赤ちゃんは横になろうと逆さになろうと自由です。

逆子は病気ということではありません。

本来,正常であるべき赤ちゃんが、何故に、へその緒を体や手足に巻きつけたり、逆さになるのかと申しますと、お母さんの感情により、赤ちゃんがジ

ダンダを踏んで暴れたと考えて下さい。

お母さんが、心安らかで満たされた毎日なら、赤ちゃんはお母さんの規則正しいドックドックという心臓の鼓動を聞きながら安心できて、このようなことに

はなりません。

しかし、夫と喧嘩が絶えない、姑や小姑とイサカイが続く家庭環境なら、妊婦は怒りや悲しみの心が一杯ですから心臓はドキドキ、呼吸はハーハーと尋

常ではありません。

こういう赤ちゃんの問題が出てくると、お母さんの心の状態がどうだったか、大よその察しがつくのです。

 逆子は、家族もたいそう心配しますが、一番は、それはお母さんです。

だとするなら、家族も妊婦が心安らかに過ごせる配慮と、一番心配な本人も知恵を働かせて、夫と、家族と調和して皆が仲良くすることでしょう。

他人ではなく、妊婦本人が楽になるのですから、自助努力によって明るく幸せな家庭を築いて欲しいのです。

逆子の治し方をマトメますと、こうなります。

 

    治し方のマトメ

 

主人や家族や周りのせいにせず、全部自分のためにこうなったと反省をして、赤ちゃんに謝ります。

赤ちゃんに対して、

「お母さんのせいで、あなたを苦しめてしまいました、これからもっと仲良くしますから許してネ」、

 と謝ります。

心の中でも、声を出しても、どのような言葉でも真実なものであれば良いのですから、一度はきちんと謝って下さい。

この世には間違いを犯さない人は誰もいません。

赤ちゃんの魂というか心というか、赤ちゃんは、あの世ともツーツーなのですから、お母さんの心は赤ちゃんに全部お見通しなのです。

嘘など、どうせ見破られます。

お母さんが真実に誠実に応えれば、たとえ、その原因が自分のせいでも、相手のせいでも、心から自助努力を続けていますと、赤ちゃんはお母さんの

心を聞き届けて、正常に生まれてくれるものなのです

 次も神理です。

 「調和を目的とするなら、嘘も方便」、

と申します。

 意地を張らず知恵を働かせて、オホホ、アハハと仲良く明るい環境にすることに、一円のお金もかかりません。そして、

やるだけのことは全部やったのですから、次はおまかせの祈りをします。

これは、どういうことかと申しますと、やるべきことは精一杯、努力したのですから、赤ちゃんへ次のように呼びかけます。

「あなたは、現在の状態のままが良いのであればそのままでもかまいません。でも、今のままではあなたも私もひどい生みの苦しみを受けることになるの

ですから、いよいよ生まれるときは頭を先にして産まれてください。」、

と、結果は天に任せるのです。

 園頭先生は、逆子で悩む人全員にこのように指導され、全員一人残らず正常に生まれました。

 このように、劇的な治癒例が続出しましたが、園頭先生のような偉大な光りの天使だけが出きるというのでは、正法は普遍的な宗教と認知されません。

ですから、皆さんも無知で悩むより、心から信じてこの原則を勉強、実践されて、皆幸せになってと願わずにはおれません。

 これまでに、お釈迦様のお母さんのマヤ様について述べました

先を続けます

 

   マリヤさまの証明

 

 一方、マリヤさまである高橋先生のお母さんは、貧農の妻です。

優雅な人生と貧乏な人生とは、どちらがより魂の勉強になったのかと申しますと、それぞれの人生の内容を見てみないと分かりませんが、ただ言えること

は極貧だからといって、心まで貧しくなってはいけませんし、たとえ、優雅な人生であっても、足ることを知らぬ欲望と増長慢になってはどちらも人生失

格といえるでしょう

 高橋先生のお母さんは、さすがにマリヤさまでした。

 結婚されて間もなくのこと、夜道を歩いていると、不思議にも足下が懐中電灯で明るく照らされるようになって不思議な声が聞こえてきたとか、物貰い

に対しても親切にされて生き神様と呼ばれたり、無学なりにも諺を交え、信次先生に正しい人生の在り方を教えられたようです。

 それでは次に、女性にしかできぬ妊娠と出産について述べます。

 

    あの世と妊娠出産と縁生との関係

 

お父さんになる方とお母さんになる方に、あの世で

「子供として生まれさせていただきますので、よろしく頼みます」、

とお願いします。

 約束を受けたお父さんとお母さんになる方は、あの世を後にしてこの世に、それぞれの縁生によって別々に生まれて行かれます。

 お父さんになる方とお母さんになる方は、適齢期になると赤い糸に結ばれてというように、縁によって結婚されます。

 あの世で待機している子供の霊は、

「いよいよ近いな、そろそろ出番かな」、

と心弾みます。

あの世からこの世は全部お見通しです。

「いやいや今度は、お金持ちの家庭だから優雅な人生が送れても、プライドばかり高くて増長慢になる危険性が大いに有るな、よくよく気をつけねば」とか、

 或いは、「肉体的に不調和な体で人生を送るのか厳しいな」、

と不安もあります。

五体満足でないことも承知の上で、この世に生まれて来るのですから、このような人は、魂の偉大な勇者なのです。

中には、次のような使命と目的を持った人もいます。

見えない、聞こえない、話せないという三重苦のヘレンケラーは、障害者へ勇気と力を与えるという使命と目的の菩薩界の天使でした。

ヘレンケラー女史は、

 「三重苦のために、いけないことを見たり、聞いたり、話したりしなかったために、心を汚すことなく幸せでした」、

とあの世で高橋先生に告白されたようです。

   

    悪阻(つわり) 

 

 お母さんになる方は、精子と卵子が調和されて妊娠受胎です。

あの世ではその日に向かって、友人達とも送別会が催され、

「僕が人生を間違ったときは、こういう合図をして、このような事故で、このように病気で教えて下さい」、

 とお願いをします。

妊娠三ヶ月を過ぎると、いよいよ降霊です。

天孫降臨ともいいます。

 胎児に魂、霊が宿るのです。

 あの世から見ると死です。

 ツワリは、人によっては全く有りませんでした、という人もいますが、多くの人は経験されたかもしれません。

 ツワリは、胎児の魂とお母さんの魂、意識、心の相克です。

 相克というのは、こういう意味です。

 赤ちゃんには赤ちゃんの魂の遍歴と、天上界から降霊したばかりの天上界の正しさの尺度があります。

 また、この世のお母さんにはお母さんの、人生の中で体験された魂の価値観があります。

  「この価値観の相違が大きいと悪阻はひどく、調和されると和らいで来る」、

 とは高橋先生の言葉です。

 また、妊娠された途端に食性が変わり、

 「今までは見向きもしなかった食べ物が欲しくて欲しくて」、

という場合はお母さんではなく、赤ちゃんの前世での食べ物の嗜好が出ることがあります。

 

    人間は男に生まれたり女に生まれたりする

 

 人間には「本体と五分身」という法則があります。

 本体を中心として、五人の分身が移り変り移り変わり、この世に出て永遠に人生の魂の修行をします。

男に生まれたり女に生まれて、男として修行の割合が多いか、女としての修行の割合が多いかという理由から、

 男らしい男、

 女らしい男、

 女らしい女、

 男らしい女、

 がいるということです。

 女に生まれて損をした、男に生まれて残念だとお考えの人は如何ですか?

人間はどこを取っても男女は平等です、

でも、平均的な腕力の強さと、子供を生めるかどうかが最大の相違です。

ここだけが不平等です。

女性の美は男性にとって安らぎであり、男の力強さは女性にとって安らぎです。

 男は男らしく女は女らしくが一番自然なのです。

 

     あの世と堕胎

 

現代は堕胎、ソーハ、水子供養、水子地蔵という言葉が氾濫しています。

どこかの国と違って日本は堕胎天国と言われることに起因するからでしょうか。

 いつの世も女性だけが犠牲を強いられるというのは間違いです。

 妊娠した女性がいるということは、間違いなく妊娠させた男性がいるということです。

 人知れず苦しんだり、或は今も苦しんでいる女性にのみ知らせたいのです。

 何の罪の意識もなく欲望のままに堕胎を続けるステバチな女性には教えたくありません。

 それはこういう理由からです。

 水子と堕胎は違います。

 水子は、胎児の細胞分裂が不完全なために、肉の塊で赤ちゃんにならなかったのですから、当然なことながら降霊しません。

 魂は宿りませんから、全てにおいて何もありません。

 ただ,手術により肉体を傷つけることにはなります。

 次は堕胎についてお話しします。

 堕胎というのは、胎児は順調に育っているのに、個人の色々な理由から下ろすことをいいます。

 三ヶ月を過ぎると当然ながら降霊、魂は宿ります。

 これからが大事なことです。

堕胎をされた胎児の魂は、この世に生まれ出ていないのですから人生体験はありません。

ですから魂についていうと垢つかず汚れず、またあの世へストレートにトンボ返りするのですから、そのまま天使の心です。

天上界から降霊して、そのまま天上界へ帰還するのですから天使のままの心です。

トンボ返りした魂は、赤ちゃんの体の大きさに小さくなっていますから、あの世の魂の兄弟達によって魂が大人になるまで育てることになります。

この世では大人になるまで何十年もかかりますが、あの世とこの世の時間の単位が大きく違いますから、この世の単位では数年の時間差で機会があれ

ばまた、生まれるチャンスが有ります。

 

 一回は心から謝罪すること

 

 これまでの説明で、よく理解戴けたと思います。

それ故に,無知で悩むより、本当の神理を学ぶことです。

己の為してきた行為は、よく反省することが大事です。

堕胎は、魂の修行を予定している人を待たせたり、場合によっては両親になる人の加齢によって、出生のシャンスを失わせることにも成りかねません。

宗教家や宗教団体によっては、無知か無恥か、或いは金儲のためか、水子が泣いている、恨んでいる、水子のたたり等と、人の弱みにつけ込んで、

水子地蔵を祭れ、水子供養をと、手を変え品を変えて悩める人々を組織に組み込んで、集金マシーン化と造幣マシーン化して、私服を肥やし続けて

います。

それは、いつまでも許されることではありません。

宗教関係者は、このような悪事をいつまでも働いていると、いつの日かその結果を受け断罪されるのです

 

    罪の意識に固執しない

 

 堕胎による罪の意識を持つと、そのことが頭から離れずに固執してしまいます。

女性は特に、妊娠、降霊を通して霊との交流が密なために、罪の意識にとらわれて心を暗くしていると、本当に悪いことが起こります。

難しく言えば、心を暗くしていると、暗い心に感応して、それが悪く現象化されるのです

 ですから、胎児の霊に、

 「ごめんなさい、私の心得違いで、あなたにご迷惑をかけました。これから二度と間違いはしませんから許してください」、

と、あの世からは全てお見通しですから、見せ掛けではなく自分の素直な気持ちが出ていれば、方言でもどんな言葉でも良いのですから、心の底の底

から謝って二度と繰り返さないように知恵を働かせるのです。

 人間は間違いを犯さない人はいないのですから、心の真底から謝ったら、次は明るく振舞い、快活な人生を送るのです。

 いつまでも申し訳ないという態度を装うことはありません。

 なぜなら、潜在意識の中に、

 「私は罪を犯した」、

という罪悪感を、いつまでも引きずることになりますから、

 「もう、あんなにケロリとして!」、

 という位に心を転換するのが、最大最良の秘訣です。

 そして、例え、暗い困った問題が起きていても、明るく生き続けていると、明るさは暗いものとは波長が合いませんから、悪循環の輪が断ち切られて、

必ず運命は好転します

堕胎は、女性の肉体の一部を切開ソーハするのですから、自分の肉体を傷めたことも、自分の肉体に一度は心から謝ってください。

次は著者自身の体験です。

 

    著者の懺悔

 

 著者が二十代から三十代のことです。

私は、何はともあれ女性の敵と言えました。

というのも十指に余る堕胎の原因を作りました。

その当時は、百七十センチの身長に体重が九十キロ余りの小型お相撲さんでした。

医業の傍ら二足のワラジを履いて、スナック等の夜の商売が九軒、外に分院と事業を致しました。

その生き様が悪因は悪果となって、二度の高血圧性の脳出血により現在は自転車には辛うじて乗れますが、杖はいらないもののヨイヨイ寸前の状態で

す。

おまけに、女性をダマし続けた口八丁の喋りには事欠く有様で、スタッフの協力を得てどうにか医業を続け、時間を見つけては原稿を打っています

こうして、救急車で運び込まれ、生死をさ迷っていた救命センターのベッドでのこと、夢とも現ともつかぬ不思議なことがありました。

病室の天井の、蛍光灯の管球に、赤ちゃんが何十人となく、否、「ビッシリ」と表現した方が適切かもしれませんが、二月の厳寒のこの時期、裸の赤ちゃ

んが管球にビッシリと、ぶら下がってというか引っ付いて、ベッドの私を「グチュグチュ」、と理解できない言葉で喋りながら、心配そうに皆で見つめていま

した。

このとき私は鬼の目にも涙というか、

「ホラ、皆な早く」

と、不自由な体でフトンを押し広げ、

「寒いから早く」、

と裸の赤ちゃん全員にフトンに入るように促しているというものでした。

 このときの赤ちゃんは全員、明るくて光り輝いてというか、情景は非現実的な構図ではあっても、全く暗さのない、恨み辛みなど全く感じられない平和

な状況であり、それどころか私の病気を心配しているのですから本当に驚きでした。

 このような情景でしたから、私が原因で堕胎された赤ちゃんの心には、恨み辛みなど微塵もない偽りのないものと理解していただけると思います。

  私のそれまでの知識や耳学問では、

 「堕ろされた赤ちゃんは一つ目だったり、また、恨みで眼はつり上がり、怒りで目は燃盛り」、

 というものばかりでした。

 なのに、私の場合は一人ならずも十人以上というのですから、それが真実なら地獄絵そのものだったと思います。

 しかし私のそのときは、裸の赤ちゃんが一杯という奇妙な光景でしたが,不思議にも明るい感じだったのです。

 それからの著者は、園頭先生に正法を学び、テープやビデオや著書を通して高橋先生に触れ、

「堕胎された赤ちゃんの魂は、とんぼ返りするのだから汚れず垢つかずの天使の心そのもの、そのまま」、

と学んでからは、私の奇妙な体験を通して、

「そうだこれが本当だ、これが真実に違いない」、

と確信しました。

悩める人達に嘘で塗り固め、嘘の情報を流し続け、嘘を通し続ける輩の何と多いことでしょうか。

私の拙文により、この悩みで苦しむ人はもとより、そうでない人も一人でも多く、心の重荷を解きほぐし軽減できるなら、私の恥など問題にはなりません。

 そして、私が毒牙にかけた人達へも最大最高の謝罪になると信じています。

 真面目に悩み、人生を暗くして迷える人へこそ、この一文を捧げたいのです。

  次は鎌倉時代に法華宗(日蓮宗)を開いた日蓮です。

 

    日蓮について

 

日蓮の魂の系譜はこうです。

釈迦の時代のガランダ長者(BC五〇〇)は、五世紀の中国に中蒋という名で生まれます。

中蒋は、先に述べました空海として生まれています。

中蒋には、子供の林蒋という姉と吾蒋という弟がいました。

この吾蒋が十三世紀の中頃の鎌倉時代に日蓮として生まれたのです。

 また、日蓮は二千五百年前の古代インド時代は大日如来の弟子で上行菩薩と呼ばれます。

 このように大日如来の弟子ということと、空海の系譜のブランチ、つまり空海の魂の枝分かれというのがお分かりでしょう。

 ですから、空海が開いた真言密教の在り方を、魂に縁のある日蓮が心の窓を開いて、真言亡国と批判して修正を求めたというのも、あながち偶然で

はなかったのです。

 

    法蓮華僧伽呪

 

法華経の中国時代は「法蓮華僧伽呪(ほうれんげんさんがんじゅ)」と唱えていました。

これに「ナーモ」という「帰依する」という言葉を日本語に表音翻訳をして「南無」という日本語にしたために、南無妙法蓮華教は、いよいよ意味が分から

なくなってしまいます。

また、最澄は中国の天台智(ちぎ)が説いた天台山で法華経を学んで帰国すると比叡山で法華経を説きます。

その時の御題目は「法蓮華僧伽呪」でした。

 比叡山で法華経を学んだ日蓮は南無をつけて南無妙法蓮華経としたのです。

 高野山で真言宗も学んだ日蓮は寺内の頽廃を見るにつけ真言亡国と苦言を吐いたのでしょう。

 お釈迦様の分身である天台智の真意は少しづつ歪められたのです。

 鎌倉で盛んに辻説法を実践し、他の宗派を激しく非難したり、『立正安国論』を書いて幕府を非難した等で,伊豆や佐渡に流されます。

 元の大軍が二度も攻め入った時の日蓮の祈る姿は、人々の心に衝撃を与えますが、その気性の激しさと他宗批判の心が日蓮をして地獄の世界に

身を沈めるという予期せぬ事態を引き起こしました。

 高橋先生は日蓮について次のような講演があります。

 

    日蓮と高橋先生の講演

 

 「日蓮はボサター(菩薩界の人)である。

下界に住み慣れるとしばしばその現実に幻惑されて、役目を果たさず還ってゆく。

あの世に戻ってから「シマッタ」と後悔するのである。如来と称する人のなかでも、そうしたことが間々ある。

それほど色界(しきかい・現実社会)は難しいところである。

また、衆生済度の心に燃えながらも誤った方向に人を引き連れてゆく場合もしばしば起こる。

近くでは日蓮がそうである。

 日蓮はボサターである。

 ボサターの心は本来、広いものである。広くならなければボサターの世界に住むことができない。

 その日蓮が法華宗を広めることに急なため、他の宗派を排撃した。

 念仏無間地獄、いくら南無阿弥陀仏の念仏を唱えていても、地獄に落ちる者は落ちるとか、禅天魔、座禅を組んでいると魔に犯される、といって既成

宗団を激しく非難した云々。

 このように、いくつかの間違いを犯した。

 日蓮は、あの世に帰ってから、約六百余年間、現象界、色界・この世でつくり出した陰影のアカを落とすことになったのである。」、

 と。

 また、別の講演では

 「日本では、特に日蓮の出た当時などは、厳しい封建社会の環境でありました。そういった時代に正しい法が説けるでしょうか。いわんや私たちがか

っての封建時代に、いまのようなことを言ったらどんな事態になるでしょうか。」、

と高橋先生は、日蓮に対して思い遣りというか情愛を示されたのです。

 光の天使で菩薩界の高人格の人でも、法を説く機根というものが厳然として在り、善と悪の入り混じったこの世は、これ程までに厳しいものかとしみじ

みと考えずにはいられません。

  次に、室町時代は北畠親房です。

 

    北畠親房は勤皇思想を起こさせた天使 

 

 後醍醐天皇に信任されますが出家します。

 足利尊氏と戦い、天皇を吉野に迎え南朝の中心人物として尽くしました。

 この時代の学者でもあり、「神皇正統記」を書いて南朝が正統であることを説きます。

 

    ナゼ勤皇思想は起こったか

 

 お釈迦様は、二千五百年後にジャブドーバーのケントマティ、東の国日本の都会に再び生まれて正法を説くと予言されていました。

 その日本は天上界の計画実行の為に元の襲来にも守られ、江戸時代に鎖国や無血開城によって外国の黒船にも守られます。

 いよいよ釈迦は出生のときが近づくと、日本のどこに生まれて行くか天上界で会議が持たれたのが寛永二年(一六二五年)でした。

 徳川家康が亡くなって十年後です。 

 日本で正法が説かれるようになるためには、封建体制下の徳川幕府のままでは一般民衆に自由がありません。

 武家の束縛から開放して、完全な自由な心を持たせるためには徳川幕府を倒して天皇制に返す以外にはないと、明治維新が計画されます。

 天上界では日本に勤皇思想を起こすことを目的として、室町時代に北畠親房を生まれさせ、天皇制こそ日本の柱という「神皇正統記」を書かせ、各

地に勤皇愛国運動を起こさせたというのです。

 この何百年という時空を隔てた天上界の計画には驚かされない人はいないでしょう。

 

    三代将軍、徳川家光は七大天使の一人ラグエル

 

 三億六千五百年前に、真のメシヤのエルランティと共に、地球に飛来した七大天使のことは何度も述べました。

 七大天使の一人であるラグエルは、律法を担当した光の天使の徳川家光です。

日本に生まれたもう一人は、パヌエルである聖徳太子でした。

 高橋先生は講演の中で次のように話しておられます。

 「家光は徳川家康の間違った政策を根本的に改良するために出ました。大天使たちは故意的に日本にも生まれております。ですから日本語も結構

うまいです。候文ですけれど。爆笑」、と。

 

   大久保彦左衛門は菩薩界の人

 

 魚屋で、天秤棒の一心太助の話として有名な大久保彦左衛門は、家康から家光までの三人の将軍を見届け、徳川幕府のお目付け役として知られます

 高橋先生は、次のような講話をされています。

「それは自分がその環境を望んで約束をして出てくるんですから、いくら金をもっているかとか、地位は関係ないんです。

地位が上の人ほど地獄にいますね。欲望で一生を過ごすから。

あんな水呑百姓が、という人が天上界へ行っているんですから。

大久保彦左衛門ね、びっくりしました。菩薩界できれいな光を出している。僕のところへ来ましてね、

「大久保彦左衛門めにござります」、

という。

きれいな光を出している。驚きました。菩薩界ですからね。

日本の有名な坊さんで、菩薩界へ行っている人は少ないですね。日蓮さんもね。永いこと自分から地獄界におった人ですよ。菩薩界に入らなかった。

自分の蒔いた種が、その後、多くの大衆を狂わしてしまったという責任を負ってね。あの人は、あの世では知らない人はいませんね。あまりにも有名

で、謙虚なんです。

今の創価学会のやっているようなものではないですよ。心のきれいな人達は、例え貧乏でも立派な人がたくさんいる。だから、金額の多寡や地位が人

間の値打ちを決めるんじゃないんです。」、

 と、高橋先生は話されました。

 

    光が一番出ている日本

 

 一九七六年(昭和五十一年)五月の講演から要約してご紹介しましょう。

 

「現在地球上を見ると、日本から一番光が多く出ております。その次はアメリカです。それから西ドイツが多く出ております。イタリヤも一部出ておりま

す。ギリシャも出ております。

アルバニヤ、中華人民共和国、ソビエト、北朝鮮、これは殆ど出ておりません。

その為に彼等の国の食料は不足して、どんどん不足してゆきます。お金はありませんから自由諸国のお金を引っ掛けようとしております。

 過日、ミカエル(地球創世のときエルランティと共に飛来した天使長)の報告によればソビエトに強力な原子爆弾、水素爆弾の設備があるようです。一

発で地球が吹っ飛ぶような云々。」

 

    全ての爆弾が無効になる

 

「 しかし、心配には及びません。引き金を引けないように、天上界でみんなやってしまいます。地球がなくなれば人類は魂の勉強する場がなくなるから

です。宇宙に七種いる人類とのバランスがとれなくなるので、地球がなくなることは絶対にありません。

 引き金を引けないように天上界の神界で研究していて発明されます。」、

 と。

前でも述べましたが、「神界」というのは神の世界という意味ではなく、人間の人格とか人間性の段階は上位から如来界、菩薩界、神界、霊界、幽界と

なります。

神界は博士や専門家の多い世界で、損害を受けても相手を非難せず、その原因は何だろうと反省する心の持ち主達の世界です。

 

     神が求める人間性は

 

 神が人間に求めておられるのは損害を受けても非難せず,その原因を振り返り反省する心の段階の神界です。

昭和四十七年現在、神界はあの世とこの世を合わせて一億数千万人です。

あの世とこの世を合わせて如来界が四百二十五人、菩薩界が二万人の世界です。

これはあの世とこの世を合わせた九十億人の中の人数です。

 

    地球移住とUFO

 

また、この地球は魂の進化が著しく、他の天体からもこの地球へ、魂の勉強の為にゾクゾク飛来移住しているというのです。

、そうなると先づ、アフリカやアマゾン等の電気もない密林の、文明に程遠いところから土人として魂の修行を始めるようです。

 間違えてもらうと困りますが、何も蔑視ということではありません。

よくUFOが話題に登るのも、高橋先生は一杯飛んで来ていると講演されていますので、話題に上るのは当然かもしれません。

 

    アメリカの心と日本の命運

 

 また、高橋先生は

「アメリカは心がありますが、物に溺れている人達が非常に多い国です。それを反省して、我々の神理(正法)が大きく広がると彼等はもっと本当の文明

が発達して行きます。

 日本も同じです。

 日本はあと二百年間、文明は栄えます。

 二十年位の間に神理を知る人達が多く日本に集まってきます。」、

 と。

  これからの日本の命運が確約されました。

だとするならこの間に、日本は世界に対して徳を多く積むことです。

未来の子供達に胸を張ってこの日本を誇れる国にしたいものです。

それが現代の私達の使命と役割と思うのです。

 

     パレスチナ問題の終焉

 

 同じく高橋先生は、

「そして、やがて人類は、闘争と破壊の愚かさを知っていきます。

もっともっと先になりますが、私達は中近東へ行き大きな奇跡を出して彼等自身は真の神の実態を悟ることでしょう。

 ナゼなら、イスラム教徒(回教徒)にはアラーが出てきて、アラーを眼の前で見てしまうからです。

 そのために問答無用です。その時すべて彼らは調和されて行きます。

 そして、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も根本はヤーベの教えであったということに気が付くのです。

 そして、宗教戦争はなくなっていきます。

 そして、今からアメリカ、イギリスに天使達が出てきます。また既に出ています。気が付けば名乗りをあげるでしょう。

 アメリカのフロリダにキリストの十二使徒の一人が出ております。

 イギリスにはマタイが出ております。まだ歳は若いです。云々。

 ですから地球上一人一人のものの考えていること、一人一人の考えや心の状態は天上界に全部通じております。

 霊子線として光になって通じておりますから、ごまかしようがありません。」、

 と。

 次は明治維新をなしとげた人達です。

 

     倒幕の三役者

 

 倒幕を推し進めた三役者とは、西郷隆盛、坂本竜馬、木戸孝允です。

木戸孝允は桂小五郎といいます。

明治維新の活劇で鞍馬天狗と共に、当時の少年達は心踊ろかせたもので、妻・芸妓松子との純愛は今もって語り草です。

 政治家・木戸孝允は政治的な多くの実績を残しますが、三人の中で、木戸孝允のみ畳の上で亡くなっています。

 と、申しますのも木戸孝允は、お釈迦様の分身です。

 さすがに、武力と闘争を徹底的に否定された高橋先生ですから、お釈迦様である木戸孝允は、征韓論にも反対しています。

ある作家は、「木戸は三人のうちで一番意識が高い。だが、木戸が一番人気がないのは、二人は劇的な最期を迎え、激烈な最期を遂げているからだ」

と。

 木戸について高橋先生はこう言っておられます。

 「お前の講演は腹に力が入っていないから永く続けられない、それでは声を潰してしまう。下腹にもっと力を入れろと政治家木戸に教えられました云々。

 私はまったく酒が飲めないのに、木戸を入れて、私の意識を酒豪の木戸に支配させると、酒が水のように感じてしまう。」、

と。

 

    酒飲みと憑依霊

 

高橋先生を或る人がクラブへ誘っても、

「酒は殆ど飲まず、ホステスさんの話をニコヤカに相槌を打って聞いているだけだった」、

と書いておられます。

 このように、高橋先生は酒を殆ど飲まれなかったようですが、酒豪で政治家の木戸孝允の意識を入れられると、飲めぬ先生が酒が水のようだったと

いうのです。

 次は酒飲みの一例です。

 普段は物静かで大人しいのに、こと、お酒がはいると、眼がすわり狂乱して人に迷惑を掛けて、酔いが覚めるとまた、普通に戻る人がいます。

 極端な場合は酒飲みの地獄霊の憑依です。

現世の人と同類の、酒を飲んで身を持ち崩した霊が、一緒になって呑ませて最期には本性を現わします。

 それだけでなく、帰宅時間になると赤提灯にフラフラと寄らずにはいられないというのも、余りにも極端な場合は、地獄霊が引き連れて行く場合もあり

ます

いずれの場合も自分の意志が弱いからですが、同類にならぬためには酒に近づかぬことです。その一杯がいけないのです。

 著者はもう何年も酒もタバコもやっていません。

 タバコは「煙突」といわれた位のヘビースモーカーだったのに今は皆無、酒は雰囲気が好きでよくお店に飲みに行きましたが、私は止めると決意す

れば意志は強いようです。

やめられない人は、表面意識では止めようという心があっても、潜在意識では止めたくない心、止めようとは思わぬ心があるからです。

 やめようと思うなら、心のドン底から「やめる絶対に!」と決意して、本当に止めれば良いのです。

 先へ進みます

 西郷隆盛と坂本竜馬は前でも述べていますので省かせていただきたいのですが、さわりの部分だけ述べます。

  園頭広周先生の分身は西郷隆盛です。

 西郷軍の参謀の桐野利秋は、出光興産の初代社長の出光佐三に生まれ変わります。

 園頭先生は、どういうのか出光の経営理念が好きで、子供に出光へ、出光へ就職しろと言い続けられたというのです。

 高橋先生へ子供の入社を報告されると、

 「それはそうでしょう、出光佐三は園頭さんのかっての部下ですからね。当然ですよ」、

と。

 出光佐三は、出光美術館も併設した程の高名な風流人でした。

俳優・長谷川一夫に肩入れしたことでも知られます。

長谷川一夫は徳川家康の生まれ変わりです。

 武骨者の家康が、現代は剣を舞扇に持ち替えて、敗戦後の日本に一条の光を投げ掛けたというのです。

 

    宮沢賢治は菩薩界の光の天使

 

 詩人、童話作家、農民芸術運動につくします。

「雨ニモ負ケズ」の詩を指差して高橋先生は、

「この方は菩薩界の人ですからね」、

 といわれています。

 宮沢賢治は余りにも有名で良く知られていますから、余り知られない話をします。三十八歳という短命でした。

亡くなるときの遺言が、赤い表紙の「法華経の本」を皆さんに千冊贈って欲しいというほど熱烈な仏教徒だったようです。

 高橋先生には、「心行」という人間の生き方の教本があります。これと同じように、一時期は赤い表紙の「心行」がありました。

 熱烈な仏教徒の宮沢賢治は、高橋先生が誕生されてしばらくして他界されていますから、短命でなかったなら、高橋先生の正法の運動に力を尽くさ

れたことでしょう。

作風は幻想的で魅力溢れるものですが、菩薩界の光の天使ですから、あの世や未来の世に出入りされて、既存の考えに留め置くことのできないものと

理解すれば分かりやすいと思います。

或る休日、百五十万冊をかかえる超大型ブックストアーに出かけました。

すると、二〇〇二年一月現在、流通している賢治の文芸論や批評の本が三十八冊書架に並んでいて、窓に面した読書スタンドに腰を下ろして片っ端

から目を通しましても、高人格,高霊格ゆえに色々な次元の世界に出入りされて、あのような作風になったという批評や文芸論の本は皆無でした。

 

    賢治の死の直前の幽体離脱

 

賢治は、亡くなる日の朝四、五時頃、直木賞作家の森氏の書斎へ、懐かしい思いで幽体離脱をして訪ねたというのです。

ここで、高橋先生が教えられた、死とあの世について、簡単に触れます。

    

    死とあの世

 

人は亡くなるとしばらくは何もわからない状態が続いて、お葬式や読経に気が付いてそのうちに

「アレもう私は死んだのかな」、

と死んだことを自覚します。

すると、光り輝く菩薩界の係りの霊が出てきて

「あなたは死の覚悟が出きていますか、」、

と確認されます。

そして、自分の全生涯の、立体カラー映画をフルスピードで、全部を見せられ反省するのです。

涙と懺悔の、ひと時です

良いことも悪いことも全部包み隠さず見せられるのですから、これはマトもには見られません。

それから二十一日間は自分の気になる所や懐かしい所へ自由に行くことは許されます。

最大の自由期間が二十一日です。

何十年間の、この世での生活体験があるのですから、執着ではないが懐かしい筈です。

一方、悟られた人はどうかと申しますと、執着がありませんから一時間もしないうちに、ストレートにあの世の修養所へ還って行きます。

 でも、普通、グズグズして修養所へ急き立てられるようです。

 では、そこで何をするのかと申しますと、人生の中で間違ったものや修正すべきものは全部、徹底的に正さなければなりません。

 特に、間違った思想や宗教を信じた人は、全部心の改造をさせられるのですから、キツクてツライのです。

 生前、反省の習慣のない人にとっては、自分の考えを根底から完全に修正させられるのですから,今のうちから反省の習慣をつけておきたいものです。

それ以上に、間違った思想や宗教を説いた人は、嘘を信じた人が一人残らず全部修正が終わるまで地獄の一番暗くて深い無間地獄に沈むというの

ですから、もう厳しくて、それはそれは大変でしょう。

その一例が、

「ヒットラーやスターリンは無間地獄」、

とは高橋先生の言葉です。

 この反省期間が二十八日間です。

 よくいう四十九日というのは、二十一日と二十八日の和ですが、この期間は静かにそっとしている方が良いのです。

ナゼかと申しますと、修養所で反省と訂正をして、自分の行くべき地獄界や天上界の段階が、自分で裁いて決まりかかっているときに、財産争や故人

が気になることを始めますと、心静かに反省している故人を現場へ引き戻すことになり、ことの成り行きを見届けるためにそこに執着させてしまうので

す。

そうなると、修養所へ行って勉強をしない執着霊、浮遊霊という地獄霊をつくり出し困ったことになります。

 それから、四十九日を過ぎると、自分の嘘のつけない善なる神の子の自分が、自分を裁いて、天上界や地獄界へと定着するのです。

  閻魔さまが裁くのではなく、嘘のつけない自分の良心がさばきます。

 これでお分かりのように、宮沢賢治は息を引き取る前に、魂が抜け出し幽体離脱して、懐かしい想いで森氏の書斎を訪ねたというのは、あながち嘘と

は言えません。

 賢治は菩薩界の偉大な魂の持ち主ですから当然だったかもしれません。

次は、菩薩界と如来界の中間の、園頭先生のときの著者の夢による体験です。

 

    園頭広周先生の場合は

 

著者の所属する会の機関誌とホームページ(wwwshohocom)に、既に公開していますが,その環境にない方のために簡単に述べれば、こうでした。

亡くなる二日前のこと、不思議な夢を見ました。

後に総理になられた森氏が、そのときの幹事長の立場で、テレビの全国放送を通じて、

「園頭先生を総理に出きなかったのは私の不徳の致すところ」、

と全国民に対して深々と頭を下げられたのです。

 前に述べましたが、園頭先生は、過去世がジョージワシントンでしたから大統領経験者です。

 それで、当時、ジョージ・ワシントンの部下の森氏の弁になったと私は理解しました。

 「総理に出きなかった」、

 という過去形と、もうすぐ先生のお誕生日というのが心に妙に引っ掛って云々、というものでした。

高橋先生の死も予言された通りでしたから、園頭先生も或いは?と感じたのです。

また、不思議な鳩の話しも出てきます。

高人格の方には不思議なことが起きても,何ら不思議はないようです。

 次はこの世的なことです。

 園頭先生は、或るとき、主宰される国際正法協会の、会員に近い人が宮沢家におられて、こう質問されたそうです。

「宮沢賢治の著作権の管理は大変でしょう。」、

と。

「ハイ、問題が起きないようにこういう風にやってーー。」、

と話されたようです。

 宮沢賢治は今や隠れたベストセラーで、フアン層も厚く数多くの著書が流通して、記念館にも多くの人が訪れているようです。

 

   学者・福田正冶氏はインドで「竜樹」と言われた人

 

 近年では学者の中の福田正治氏は、インドで竜樹(ナラジュルナー)といわれた過去世の人、と高橋先生は言い残されます。

 高橋先生は、

「ナラジュルナー、竜樹(AD二世紀)は、バラモン種に生まれたのち、いいつたえられていた仏教をマトメ、五つに分類したが、やはり自分で悟り得な

かったためにブッタの時代に現れた霊的現象を除いてしまっています。

つまり、学問的に体系づけることで、かえって仏教を人々の心から離れたものにしてしまったということで、学問仏教によって、行いがともなわなくなり、

智だけが発達して心を失った仏教になってしまったということです。

その行いを、ただ荒行という肉体行の方向に持って行ってしまい、本来日常活動の中にあるべき心と行いの八正道を忘れ去ってしまったのです。

そして、中国の仏教や日本の仏教には、バラモンのヴェダー、ヨギースートラなど仏教ではない密教までがその中に混合されてきてしまったのです。

 もともと仏教には、秘法などというものはないはずです。

 自力によって、自らの心を八正道の実践生活によって心の曇りを晴らせば、太陽の光が地上へ平等な熱光のエネルギーを与えているように、神の慈

愛の光も、万生万物に平等に与えられているのです。

自力があってこそ、偉大な神の光によって満たされ、光の天使達の協力が得られるのだということを忘れているのです。」、

と。

 

   空とは

 

同じく、高橋先生は

 「空」の世界こそ実在の世界であり、すべてのものを作り出す根本だといえましょう。 むなしい世界から生まれるものは、むなしいものでしかないでしょ

う。因果の法則によって現象化されるのです。人生とは、むなしいものではないのです。」、

と述べられました。

 世の宗教書といわれるものの中には「空」をむなしいとか、あるようでないようでと説く解説も多く、後段ではそれについてのやんわりとした批判です。

著者は、かって幾つかの図書館を訪ねて、これまでに出された約百冊の本を調べてみると六割程が、本のどこかに「むなしい」とありました。

空とは、

「実在の世界、つまり、あの世」、

のことで、

色とは、

「現象界、地上界つまり、この世」、

のこと、

と高橋先生は明解されたのです。

  また、園頭先生は、竜樹についてこう言われています

「竜樹菩薩は釈迦の再来といわれ、八宗の祖といわれているが、高橋先生は、竜樹が空を説いたので仏教がわからなくなった、と言われた。そういう人

が梵天であったり、菩薩であったりする訳がない。」、

 と。

 

    ペテロは元東大総長・矢内原忠雄氏

 

 イエスの時代、十二使徒のペテロは、矢内原忠雄氏として生まれ変わったと、高橋先生は言い残されました。

 ペテロは漁師として無学であったので大変苦労され、そこで今世の矢内原氏は勉学に励もうと研究に打ち込まれたというのです。

 矢内原氏については、ご存知でない向きもあろうかと思われますので、少し触れます。

氏の『聖書講義』は、その人でなければああは書けまいとという記述が至るところにあります。

氏のイエス伝講義にはマルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の講義三つがあります。

氏は、

「私は断るまでもなく、牧師でも神学者でも、聖書学者でもない」、

と自ら公言されます。

 神学を学んだ人々は矢内原には神学がないと批判し、聖書学を学んだ人々は、また、批判します。

光の天使であるだけに心から平和を願い、反戦的筆禍事件で辞表を出すことになりますが、氏は「一平信徒」を自覚し講演旅行を続け、素人にもわかりやすく説くことにつとめられます。

聖書講義は『矢内原忠雄全集』岩波書店二十九巻中八巻を占めます。

 これも氏の過去世からの、内なる心から発した使命感だったのでしょう。

 

    松下幸之助氏はイエスの弟子「ルカ」

 

 高橋先生は松下幸之助氏の過去世はイエスの弟子のルカと言い残されました。

 聖書の中のイエス伝には、マタイ、マルコ、ヨハネ、ルカの福音書があります。

 いろんな弟子達がいろいろな立場といろいろな側面から書いたのですから、それぞれに正しいのでしょうが、その一例をあげると、十字架のイエスは

息絶えるとき、こう大声で言ったと記されています。

 マタイ伝では、「わが神よ、わが神よ、なんぞ我を見捨てたまいし」、と。

 また、ルカ伝では「父よ、わが霊を御手にゆだぬ」と、あります。

 どちらがどうか議論になるところですが、高橋先生が天上界のイエス様に真意を正されると、それは、こうでした。

 

      高橋先生はイエスに尋ねられた

 

「神よ、人々を見捨てたもうな、その為すところを知らざればなり」、

というのです。

 次に、ルカ伝には胎教というべき個所があります。

 胎教は宗教教育の大事な一環として説かれていますので、参考にしていただきましょう。

「その頃、マリヤは立って、大急ぎで山里へ向かいユダの町に行き、ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつ

を聞いたとき、その子が胎内でおどった。

「ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。」、

 と。

このルカ伝を残した人が松下幸之助氏です。

皆さん良くご存知ですから、氏の自著から簡単に要約しましょう。

 松下幸之助しは五十歳まで持つまいと言われるほどの病弱で、旧家の資産家でしたが没落します。

 六人兄弟のうち三人続けて病没、九歳のとき奉公に出て教育もロクに受けられませんでした。

 十八歳で夜学入学、二十で結婚、二十二歳でソケツト製造に着手、扇風機の受注に行きずまるも打開、アタッチメントプラグから差し込みプラグへと

増産を続ける。

 二十七歳頃に百坪の土地に会社を月賦払いで建設、自転車ランプの製造販売のとき関東大震災、区会議員に当選、ナショナルマークの決定、、ア

イロンやコタツなどの電熱器製造販売、従業員二百人の頃に昭和二年の金融恐慌にも、二ヶ月前に住友銀行と取引を開始して道は開けたというので

す。

 金融恐慌は打開しますが、最優良児で表彰された長男が病没、ラジオセットや乾電池、ナショナルランプの盛況という側面には、未曾有の大不況で

売上は半減しても生産は半日勤務、一人も解雇せず、減給せず全額支給する。

その代りに全力をあげてストック品の販売努力を命じます。「その方針は当を得て大活況を呈します。」云々。

氏の紹介はこれ位にしますが、後段に書きました、この「当を得た方針」について述べます。

 

   神が求める職場環境とは

 

 現代の大不況には、倒産、解雇、リストラ、再就職できない等、気も滅入る言葉が巷に溢れています。

 現代のビジネスは、アメとムチの使い分けです。

 西洋の考え方は、性悪説に代表されるように、人間は本来悪いことをするものだから、アメとムチで上手に働かせなければならない、という考え方で

す。

 だから、成績の良い者には多くを与え、それなりの者には、次から良い成績を上げるように、それなりの報酬を、というのです。

 これに対峙して、日本のそれは性善説で、人間は本来善だ、だから見ていようと見ていまいと自分の職能を見極め、自分なりに働くから、自主性に任

せれば良いではないか、という考えです。

 たとえ成績は上げられなくとも、あの人がそこに居るだけで職場は明るくなり、皆んなのやる気を起こさせるという人もいるものです。

 病弱の人も、強健な人もいるから、この世は持ちつ持たれつなのです。

 神が経営者に求める職場環境は、これまでの日本的な終身雇用です。

 最期まで面倒を見るという、正に生涯雇用です。これが一番理想だということは皆が解っている筈です。

外国の某経営法や流行の経営法を踏襲するまでもありません。

現代の日本は多くの優秀な霊魂が寄り集う国です。

かってイギリスやスペインが一等国と言われた時代もあります。

ナゼそこが栄えるかというと、そこに優秀な霊魂達がグループで生まれて来るからです。

そして皆で力を合わせて国を隆盛させるのです。

現代の日本もまさにそういうことです。

 どの国もその内に衰退したということは、隆盛に溺れ、足ることを忘れた欲望に溺れると、この国も取るに足りないと、優秀霊団に他の国を選ばれても

それはそれで仕方のないことです。

 悪い原因(悪因)を作った為にその内には見捨てられるのです。

 それでは永く隆盛を極めるにはどうしたら良いのでしょうか?

簡単なことです。

神の心、天使の心で政治も経済も全部をその心で取り仕切るのです。

それ以外に道はありません。

かって園頭先生は、国際正法協会の道場から見える、ドーム球場を対岸に見ながら、 ダイエーが年俸制に切り替えたと報じたとき、

「アーこれで早まったナ」、

とタメ息をつかれたのが印象的でした。

この言葉がどういう意味か皆さんにはもうお分かりでしょう。

 年俸制や出来高払いは、野球や勝負の世界の取引です。

 人間世界に過度の弱肉強食はご法度です。

 神が求めておられるのは日本の古き良き時代の終身雇用です。

 日本の優秀な霊魂群がこれまでに築き上げた終身雇用を破壊することやこれを捨て去ることを愚行といいます。

 セミナー屋さんや、エセ・ビジネスジャーナリストの言うことに賛同してはなりません。

 

    人間一人一人の使命と役割

 

 人間には色々な人がいます。

 今世は、たくさん勉強をして研究の面で役立とう。

 いや、過去世で勉強は卒業したから今世は体力で役に立とう。

 また、過去世で人間関係にたいそう苦しんだから、今世は人を和やかにさせることに撤しよう。

 過去世では社員としてリストラにあって家族にも大そう苦労かけたから、今世は社長として社員皆んなの生活を守るために厳しい環境に身を置いてみ

よう等と様々です。

 社主たる者は、集まってきた社員は皆な縁ある人達なのです。

 苦言を呈する人も、言いなりになる人も全員が何かに縁ある人です。

 だから社主たる者は、松下幸之助氏についての記述のように、一人も解雇しない、減給しない、という天使の心で経営された松下氏の偉大さがクロー

ズアップされてきます。

 さすがにイエスの弟子の天使ルカだったのです。

 

    高橋先生と大黒天の松下幸之助氏

 

 正法を説く人の周辺に生まれて、正法流布のために資金援助をする人を大黒天といいます。

 大黒天は金儲けの神様のように言われていますが、そうではありません。

 生前、高橋先生は、松下氏と人を介して会われる機会は何度かありましたが、一度も会われることはありませんでした。

 園頭先生はこう言われています。

 「高橋先生は言われていました。松下さんは解っていません。自分の力だけでお金が出きたと思っていますが、我々の正法の運動に協力するために

財が集まったのです。いいのです私は私でお金を集めますから。あの世に帰ってから反省させられますよ。」、

 と。

 

    労使協調

 

 松下幸之助氏は、松下にも労働組合が出きるというので発会式に出席されます。社会党の加藤K氏が、ナゼ?社長で発会式に出て来たのはあなた

だけと不思議そうにされたというのです

労働組合は、労働者と使用者が対立するためのものではなく、労使一体となり調和し協力するためのものです。

労働者の繁栄は結局使用者の繁栄に繋がるからです

このようなことがあって、松下氏は九十二歳の誕生日に労働組合より銅像を贈られます。

このようなケースはそれほど多くないはずです。

 

    日本の週休二日制を考える

 

 日本の公休は世界でも一番多いといいます。

二〇〇二年や最近数年の暦を繰って見ると、お正月、お盆、ゴールデンウイーク、日曜、祭日と土曜日をトータルすると、一年の三分の一、百二十余

日となりました。

三日に一日は休日となるわけで、これに有給休暇を加えたらもっと増えます

 働く人は給料が同じなら、休みが多過ぎる!、と誰も文句は言いません。

 では、余暇が増えた分をどう有効に使うのでしょうか。

 趣味に凝ってみたところで、人間は満足できるものではありません。

 長く休み過ぎると体がなまって、職場事故が増えるというデーターもあります。

有り余る余暇を有効に過ごさせるものは、

 足ることを教えて、 人間の心を満足させる真の人間性教育、 それに真の宗教を学ばせる以外にはないと思います。

 

    正しい仕事とは

 

 人類を幸福に導き、調和の環境を築けるものが正しい仕事です。

 正しい仕事場はそのまま魂の修行場です。

 

    正しく仕事をするとは

 

 仕事を通して自分の魂を磨き、心を豊かに人々と調和して、ユートピヤ・理想郷を創り出すことです。

 

    正しい企業と正しい経営者とは

 

 労使が調和し、お互いの幸福のために団結が計られ、自己保存、自我我欲を捨てた企業が正しい企業です。

立派な技術を生み出させ、或は技術はなくとも営業活動が勤勉で調和の取れた得意先を持ち、人々の心に調和と安らぎを与える経営者が正しい経営者です。

 

    正しい労働者とは

 

利益は労働者の働きによって得られると同時に、自らの生活も安定するのですから、その利益を生み出す職場への報恩の心は、労働を通して感謝の

心を示すことです。

労働者は仕事に専念し、足ることを知って自らの生活の基盤を築かなければなりません。

 

    金持ちになることは悪いことか

 

 自分の欲望や享楽のみに浪費せず、貧しき人に手を差し伸べ、愛の心で人に役立つために使うならば、正しく働いて得た財はいくら持っても良いの

です。

    日本の現状

 

 国土は猫の額です。山に平地が張り付いていてすぐに海です。

 資源もありません。食糧も自給できません。

 しかし、気候は温暖で四季がはっきりして凌ぎ易いのです。

 治安は世界のお墨付きです。

松下幸之助氏は、

 「水を加工した水道水は付加価値がついて価値がある」、

 を実践されました。

 現代の日本は産業技術立国です。

 同じ鉄でも加工して車と為し、船を作り列車を走らせ、別の鉱物を加工してトランジスターをつくり、それがIT産業を興し、世界第二位の経済大国で

す。

 でも、その内に日本は技術立国だけでは立ち行かなくなり、アジアの周辺国がそこまで押し寄せて 、安くて素晴らしい製品を提供できるのです。

東洋のちっぽけな日本が、大きな顔が出きるのはここに優秀霊が集ってただ力を合わせただけなのです。

だとするなら、次も優秀霊にこの国を選んでもらえるように、色んな場面に徳を積むのです。

 

    その他の天使達

 

 高橋先生は、この外にイエス様関係では、ヨハネ、ヤコブ、シモン、ピリポも現在日本人として生まれていることも通信されている、とあります。

 年代こそ違え、このように次々と光の天使達が霊団としてこの日本を選ばれた不思議さを考えずにはいられません。

 

   この国の「かたち」

 

この狭い日本、食料も自給できないのに経済大国日本、

一億二千万人もの人口大国日本、

あと二百年間は文化文明が栄える国日本、

あと三百年もすると東北地方以北は人も住めない極寒地でも、日本列島の周囲には有り余るほどの未開発燃料がで出て、石油は衰退しても既に研究

が進められているというこの国のかたち、そして、世界の中で有史いらい五千日しか銃声の聞こえなかった日はないというのに、平安時代は三百五十

年も続き、江戸時代は二百五十年も続いたという、この国の「かたち」を祝福せずにはいられません。

バブルがはじけて、草ぼうぼうの遊休地が増えたというのも、それは食料を作る良き田畑と草木が生み出す空気浄化を確保できたということです。

悲しむには価しません。

 

 結びに代えて

    「霊的国防」

 

 いまや世界は、テロや戦争、紛争でキナ臭い硝煙の臭いが鼻を突きます。

眼には眼をでは、混乱は収まらず段々と拡大するだけです。

 「神の国」に闇は存在しないのに、「神の子の人間界には、いつもゴタゴタが絶えません。

 人間は切羽詰ると、「神様お助け下さい」と神にすがる気持ちになります。

 でも結果は成るがままで、運を天に任すといいます。

 「敵国降伏」という言葉もあります。

 勝負の世界ならイザ知らず、人間界では相手を多く殺して戦勝とは人間の道ではありません

 では、霊的国防とはどうするのかお話します。

それはその国の人達一人一人が心から敵対観念をなくして、

「人間は皆な神の子です」、

と、まず自分の心が「神の光」に満たされ、国全体が「神の光」に包まれている状態を想念し、心に念ずるのです。

 初めての人に、こう言ってもピンと来られないと思いますので、神の光というところを太陽の光や金属の金のゴールドカラーを思い浮かべます。

「自分の心が神の光に満たされて」、

ということは,憎しみも争う気持ちもなく平和で心が安らかですと、心はデコボコではなく満月のように丸いのです。

そこでまず、まん丸い光り輝く太陽を思い浮かべます。

月の光は太陽光の反射ですから、弱すぎて月を思い浮かべてはなりません。

そして、感動したり泣いたりするときには、頭からではなく胸からこみ上げて来るように、心は胸の辺りにあるのですから、胸のあたりに丸い光り輝く太陽

を思い浮かべ、体全体が輝く状態を想念します。

これが出きるまで何度も試みます。

それから、次は国全体が光を発して太陽のように光り輝く状態を想像、想念するのです。

最近はレーザー光線によるレーザーショーのように、地図帳の日本国から光を発する状態を思い浮かべても良いと思います。

物の世界も霊の世界も規則正しい光の波動によって成り立っています。

その光の調和ある波動が神の波動ですから、人間が神の光を破壊することは絶対に出きません。

ですから国全体が光に包まれた状態を想念するのです。

 これを実行するためには、一人一人が心を調和させ自分自身が神の光に包まれていることを想念した上で、国全体が光に包まれた状態を心の中に

思い描くのです。

 また、国全体が神の光りに包まれていることを常に心の中で祈ることです

 それと同時に、後進国や世界の発展のために出来うる限りの援助をして、国全体で徳を積むのです。

 神は一つであり、神理は一つです。個人が救われる原理も国家が救われる原理も一つでなければなりません。

 この祈りの方法を整理すると次のようになります。

心の波動を神に合わせます。敵、味方の考えを心の中から一掃して、相手も神の子であり、相手と共に救われてゆくことを祈ります。

自分の心がまん丸く光り輝いている状態を念じます。胸の辺りに、風船玉のような光りの玉、太陽を描きます。

自分の身体全部が神の光りに包まれ光り輝く状態を心に描きます。

祈っている間に雑念、または恐怖心が少しでもかすめたらその都度その瞬間に、心の中でそれを切って捨て否定して、

   「われは神に守られている。神と一体である」、

と念じます。そのときは、下腹に息をとめて、うんと下腹に力を入れて下腹のところで斬り捨てて否定して、瞬間に神の生命であ

り、神と一体であることを肯定するのです。

 一回否定し肯定しても次々と雑念,不安、恐怖心が起きたら、その都度否定し肯定することを繰り返します。

 神は絶対であり、神の力を破壊するものはこの世にはないのですから、神の心に波長を合わせることが最高最大の大きな力となるのです。

 国全体が神に心の波動を合わせ、神の光に包まれている状態を心に描いて、国全体に光りのバリヤーを描いたとき、他国からの侵略による全ての兵

器は不発に終わるのです。

 兵器は、暗黒で闇の産物です。

 神の世界は光の世界です。

 光りあるところに闇は存在できません。

園頭広周先生は、第二次世界大戦中の中国で、砲弾が飛び交う中、軍刀を立掛け心穏やかにここに戦いがあるという敵対観念を無くして坐られると、

周辺に飛んでくる砲弾という砲弾は不発に終わって転げ落ちてきたという体験から、「霊的国防」は、教えていただいたものです。

高橋信次先生と園頭広周先生に心から感謝申し上げます。

教えていただいたものは、正法を知らない方へ伝える報恩の行為として、輪廻しなければなりません。

両先生の教えを参考にさせて頂き、有り難うございました、

                                   合掌。

                                     平成十五年一月

 

 

 

 

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