一九七五年三月九日 GLA関西本部
「念の仕組みー死霊と生霊」
高橋信次先生講演
エー死霊という地獄の霊、或いは天上界の霊、こういう死霊、悪霊というものは、我々の実は生活環境の中に、いつでもいるんです。
よく、あの世といいますと、十万億土の遠い所にあるんだと私達は思うけれども、私達とは全く背中あわせです。
マー私が、よくイエス様に
「あの世ってどういう処ですか」
ったら
「あの、あの世、この、この世の、あと、この違いだよ」
って言うんです。
読みは一つも変わっていないんだ、だから簡単の世界なんだけど、インドのお釈迦様は十万億土といった。
こういうことで、実はその、あの世というのは、こうやって見ましても、皆さんの心の状態によっては、もう地獄でも極楽にも通じてい
る世界なんです。
これが次元の違った世界ですね。
ですから死ぬということは肉体が滅びて、新しい肉体を持っておりますから、実は現存しているわけなんです。
心の眼が開いてしまいますと、そういうことが良く分ります。
マ、普通の眼では、なかなか分りませんね。
ですから皆さんが、心が本当に調和されて参りますと、この眼を開いておって、そういう次元の違った世界まで視えるようになってくる
ものです。
特に今日は、生霊というもの、
「人を祈らば穴二つ」
という諺がありますね、これは本当なんですよ。
皆さん自身の心の状態で、例えば人を恨みますね、自分というものを正しく考えないで、相手の言われたことや、或いは見たことを通し
て、私達は相手を恨みます、謗ります、怒ります。
こういうことは、自分の心の中で想っても言っても、同じ結果になります。
特に言葉の場合は、言霊(ことだま)という一つの振動を通して、相手の心の中に入ります。
心の中で想っても相手の心には通じます。
それだけに私達は、この自分の想うこと行うこととの正しい基準を知って生活しなければならないんです。
恨むという心の作用は、相手に対して反作用となって自分にまた返ってくると同時に相手にも毒を食べさせます。
こちらの心が常に丸く豊かで光明に満たされている人をやったら、相手は何十倍にも反作用が起こって来ます。
これは、東京の或る教団の教祖が、たまたま私の処を祈ったんです。
「やってるな」 、
って分るんです。
それは自分のお弟子さん達が、GLAに殆んど帰依してしまいましたものですから、マ、ご商売の方が上がったリに成りまし
た。
それは当然ですね、と言って、その教祖にしてみれば面白くない訳です。
高橋信次なんていう電気屋のオヤジが、最近おかしいことをやりだした。
俺はトモアレ、二十年も三十年もこの面においてのベテランなんだ、祭壇の前で「エイヤー」ってやり始めたわけですね。
ところが私は別に、それで食べているわけではなし、一生懸命にGLAの活動を出来るような環境を提供したり、経済的な面
の協力をしたり、私は自分でやっておりますから僕は別に構わないわけです。
ところが相手さんにとってみれば、二十年間も旨い汁を吸ってきたわけですから、それは困りますね。
ところが法力とやらいうのを使って一生懸命拝んだところが、本人に帰ってしまったわけですね。
そして、その本人に帰って来たために、自分が倒れて息絶え絶えになります。
「これは偉い奴がついてるぞ、あの高橋信次っていうやつには、位の高いのがついとる(爆笑)
ワシの到底、はいれるところじゃない、やる毎に体がおかしくなってしまって、最後はパカーンと、後ろにひっくり返されち
ゃったわけですね。
「助けてくれ」
って、それで逆に今度、私のところに頼みに来て、今ある病院に入院しているんです、気の毒な人ですね本当に。
ですから皆さん他人事じゃないんです。
いわんや私達は正しい真実のことをやっているんです。
マ、私達は別に仕事をやったり、家におれば優雅な生活できるんです。
三月は、二月は家で寝たのは、マ、二日か三日です。
十二月も、十一月も家で寝るなんてことは殆んどないんです。
殆んど外へ出ておリます。
もう人のことなんか世話しないで、自分の事だけやっていれば、私ほど苦労というものは別に一つもないんですから一番楽な
んです。
ところがハタで見ると、そういうわけにはいかないですね。
マ、だいたいプロになってしまうと、なかなかそういうような自分のエゴが働きますから、本当のことを言われると都合の悪
い人達も出てくるわけです。
マ、私もこうやって六年間全国に講演をし、また色々の宗教の人たち、或いは霊的にズーッと、そういう宗教団体を見て歩き
ます、肉体は持って行きません。
確かにあれは元手いらずで、一番金儲かる方法です。
(笑い)私等のような電気事業というのは、先ず仕入れとかね、製造間接費、或いはまた営業間接費、そういうものがかさみまして、
利益をあげるのは大変です。
彼等は、口一つでどうにもなるんですからね。
病気で来たならば、
「あなたの家の先祖が浮かばれていないんだよ、この先祖を拝みなさい」
本人はよく分っていねえんだけどね、だけどもやっぱ、安べえが悪いんだから、何とかしなければ、ならんちゅうことで、一
生懸命拝むもんです。
そして、
「そうですか、そいじゃ、その次は、このくらいの階級のやつを持って行って拝んでください、ハイそ
の次・・・」
段階があるんですね。
或る所では、もっとひどい所があるんですね。
「あなたはそのような状態であったならば何月何日に死にます」
本当に死ぬんですね不思議なものです、悪霊が憑きますから。
そうしますと、自分自身がそういう一つの死という恐怖心に捉えられて、自分自身の心を束縛してしまうんです。
そうすとそういう人は、もう裸になって金積むんですね。
ですから百万、二百万、一千万、二千万すぐです。
だから宗教三日やったら止められないちゃ、その位、僕は乞食より良いと思いますね。
ところがGLAは残念なことに、そんなことないんですね。
また、どういう訳かお金を持ってくる人も少ないんです。(爆笑)
タダだちゅうことですから。
会社集めたって皆さんこういうところのネ、いわばこういうところのネ、修繕費も、金なんか入る場所がないんですから。
マ、本当ならね奇特な人がおって
「死んでも持ってけねーんだから使ってくれ」
って、持って来れば良いと思うんだけども、なかなかね、バチが当たると言わねえもんだから。(大爆笑)
そういうことで、マ、色々の宗教見てみますと、そういうような一つの脅迫というものがありますね。
ところが脅迫をした人は、受けるんですよ自分で、それで精神的におかしくなっているんです。
それも教団が発足して一年、二年、三年位の内は、皆なメクラですからね、分らない、その内に中から死んでいくのがありますね。
死んでいくのが多くなればなる程に、おかしくなって行くんです。
「話は違うじゃねえか、ヨッシャ、そいじゃ一つ、責任者に憑いてやれ」
っちゅうことでね、ほいで自分が段々おかしくなって行っちまって、或いは指導者たちが全部おかしくなって行くんですね、間違ったこ
とを教えているから。
ところが生きているうちに教わったことは、正しいと思って死んだんだけど、行った処が真暗な場所、行くとこないから、「ヨシ、そい
じゃ一つ、教団の本部へ行ってやれ」
なんてね。お寺へ行ってもダメよと教えられているから、或いはまた地獄に落ちてね、あの蛸壺のような地獄のお墓ん中で、
「ナンミョウホーレンゲキョウ」、「ナンミョウホーレンゲキョウ」
って、一生懸命やっているのがいます。
どうして救われないのかって
「日蓮さんも出て来ない」
なんちゅうことでね。
ですからその我々は特に心、宗教的な指導者というものの責任は、これは大変なんです。
何でもそうですが、事業でもネ社長、或いは会長、重役人、上になる指導者は大変です。
特に精神問題とか思想、色々思想がありますね、マルクス主義、資本主義、それぞれ色々の思想が在ります。
こういう思想というものを教える人たちは大変なんです。
ですから神様を扱っている拝み屋さんが一杯ありますけれども、拝み屋さんが
畳の上でまともに死ねない、というのは皆さんも知っているでしょう。
そうすると彼等は
「ア、みんなの業を自分が受けたからそうなったんだ」
偽善者でありながらして、自分が偽善者でないような事をやる。
ある宗教団体、この宗教団体は千葉県にありますが、この教祖というのはいつも、もう肺病病みで、体の調子がおかしい。
そうして、皆の因縁を私が取ってやるから、あなた方は良くなるんだといって、顔色を見ると信者の顔色は、皆生き血を吸われたような
顔をしています。
まともな顔をしている人はいないんですね、地獄霊にみな取り憑れて、それでも分らないですね、人間は幸せになりたいと思うから一生
懸命に行ってます。
ところが信者は本来、そういうところから疑問を持たない、そういうものだ、それが少し位いの、ご利益が出なければ良いんだけれど
も、最初は皆さん真面目ですから
「ヨッシャって、心の面でも一生懸命やるから結果が出るんです。
ところが本当の柱が分っていない為に、今度は段々、増長慢、心の中で自分の地位、名誉、欲望というものが膨らんでくるから、上にな
ればなるほど、苦しみを持って来るわけですネ。
それで上になればなるほど増長慢になって
「俺は偉いんだ」
こういうような増長慢の心というものは、結局は大きな幸せに対するブレーキなんですね。
それだけ宗教指導者、思想の指導者というのは責任が重大なんです。
自分自身の思念、行為というものを正すことなく、いわば自分の我を押し付ける中で、ところがGLAというのは、正しい基準というも
のをちゃんと、しかもまた、今まで誰もわからなかった心、しかも心には形があるんだ、心は永遠のものなんだ、我々のこういう五官で
捉える物質、お金、地位、名誉、こういうものは無情なものなんだ、ただ人生を渡っていく為の生活の手段、知性を磨く方法に過ぎない
んだということがはっきり分って参りますから、物差しを誰も持つようになります。
正しい法則を持っておりますから、ですから自分というものの考え方をパッと直すことが出来ます。
ところが普通の他力本願は神様にお願いするわけですから、つい拝んでいる心の世界へフアーッと通じてしまうわけですね、怖いことで
す。
で、こういうようにして、生霊というものは、特に教祖の生霊というのは一番怖いんですね。
それは教祖の生霊というのは必ず正しい道を生活の中に調和されているならば問題はないんですが、この死霊の中に、地獄の霊と、地獄
に落ちたのと、天使たちの天上界の霊と、我々の生霊はどっちにも通じるんですね。(黒板で説明)
我々の心が調和されておれば、天上界の方に皆さんの心は行っています。
天上界の心でまた、生きている人達ですね、この生きている人たちの心です。
この心にはこういう指導者の生霊、この生きている、いわば心のエネルギーとも言いましょうか振動でしょうね、心の振動というもの、
この振動が精妙化されている振動は天上界に通じ、そしてその天上界の天使を通して人々の心の中に調和と安らぎを与えていきます。
それは我々自身が本来は、調和されている振動を自分自身の心としておった場合は、その振動に比例した光の世界、即ち天使の世界、光
の世界の協力を得られるわけです。
「自力と他力」
先程の方が荷物が動かない(先の講演に登壇させられた人の例です)
何とか動かしてくれ、これは皆さんと同じですよ、ただし自分がすることをしないで努力もしないで、
「ヨシ一つ今度は」
なんていってね、何でも地上界、天上界の協力を得ようたって、そういう訳にはいきません。
努力してこそ、その時に作用するのです。
それは努力するこの振動ですね、正しい方向に努力している心の動き、こういう振動が作用して、天上界の協力を得るのです。
で、こういうものはすべては自力本願ですよ、すべて天上界は自力本願、自力が根本になっております。
それゆえに、この地上界の人々の、この自力の力は、自力の力は必ず光の世界に与えられて、天上界から逆に他力の力として我々に作用
するんです。
これは正しい方向に作用した場合ですね。
先程の生き神様とか称するのが一生懸命に私を祈りまして、引っくり返っちゃったちゅうのは、恨みですね。
自分自身のこの生霊が地獄の世界に通じて、この地獄の魔王ですね、悪魔、マーラーという奴ですね、こういうものを経由して、こちら
へ来るわけですね、そして第三者の、私の心の方へ連絡されると、私の心の中には光が出ています、光明が出ていますから、鏡と同じで
すね。
心の中には光が出ております。
ですから、こういう方向から逆に祈ってきた場合には、反作用となってこちらへ(図で示され教祖の方へ)帰っちゃう訳です。
ですから地獄霊も逆に苦しくなっちゃいますね。
自分が引っくり返っちまうわけですから、これはカガミと同じです。
鏡と同じです。
「霊波の光のこと」
ですから皆さんの心が常に綺麗だったならば、生霊から作用されないんです。
受けるに価する思念と行為が間違った場合は、皆さんは受けます。
ラジオと全く同じですね。
テレビジョンとダイアルが合ったと同じです。
ですから我々はこの生霊というものも相当、この念ですね念力といいましょうか、エネルギー、こういう念力というもの、即ち振動は次
元を超えた世界へ、必ずワン・クッション置いて帰って来ます。
ですからよく、或る千葉県にある「霊波の光」というのが、これは恐ろしい宗教ですね。
信者はもう本当に信じられないような現象が起こります、地獄霊にやられます。
マ、ああいうものが皆な盲目だから、信じているわけですけれども、そういう現象を起されると、本人が本当に病気になったり死んだり
するんですね。
それはこちらの心が、ちゃんとして美しくあれば勿論、こういう他力的な間違った方向のものを信じないだろうけれども、容易に神様は
協力してくれるようになっているんだけれども、人間がそういう調和された環境をつくってくれないわけです。
ですから皆さんの傍には、天上界の天使もおるんですよ
心のきれいな人は傍にいるけれども、心が不調和な人は遠くで見ております。
手を出すことは出来ないんです。
こうして我々は、地獄界という世界を通して来る生霊の作用は人間の肉体的精神的分野まで破壊をして行くものなのです。
ですから我々は、よく密教で、お祈りというのをやったり護摩を焚いて、相手を祈りますね、その場合、相手を倒そうとする一つの間違
った念力があります。
丑(うし)三つ時に人形をつくって祈る、そうすと、その人は本当に病気で倒れる、これは念力の作用、悪の作用ですね。
ところが拝んだ人は、それ以上の作用を受けるということを知らないんです、共倒れです、共倒れ以上ですね。
相手の心が綺麗ならば命まで持って行かれちゃいます。
自分自身で祈って自分がやられます。
ですから相手を良かれとして祈る行為は、何倍にも返って来るんですよ。
かわいそうな人だ救ってあげよう。
あの病気を治してあげよう、心から気の毒だという愛の心は光を通して天上界を通して、また、その守護霊の協力を得ます。
そういうことは例え、自分が肉体を持っていかなくとも皆さんの生きた心の作用、生霊の心は異次元の天上界を通して、その人に作用す
るんです。
ですから私の場合は、最近あらゆる国から呼ばれるんですね。
あれこれ困る、その時は守護霊にもう頼んでおくわけです。
「今晩、皆さんからお呼びがかかるから、私はゆっくり寝かしてください、そして、私の守護霊や指導霊の皆さん一つ行ってやってく
れ」
こうやるわけです。
マ、色々それまでは自分が一生懸命に来るんだから、こっちの方が今度寝られないんです。
フアーッと来ますから、生きている人達が呼ぶわけですね。
そういうのも困るわけです。
「天使への救済依頼の心得」
ですから本来ならば、守護霊を通して頼むようにしなければいけません。
丁度、東京の大田区の方で、一生懸命に私を呼んでおります。
ところが、たまたまその時に、そのご婦人に光の天使が入りまして、大分怒られたようです。
「私達がおるんですから、直接、お願いしますなんてことは、とんでもないことだ」
で、皆さんはよく神様へお参りに行く時に、皆さんは自分で拝んで直接行くと思ったらとんでもないんですよ。
向こうには厳しい段階がありまして、そして皆さんの魂の兄弟や或いは、守護霊、指導霊達が間に立って連絡するんですよ。
「こうです、ああです」
という報告は全部、そうなっています。
ですから皆さんの心の状態において、例えば夜寝るときに反省をすれば、皆さんの心が調和されていれば良いんですが、不調和なままで
寝たならば、結果は良いことはありません。
「生きざまの報告」
そして皆さんの守護霊がちゃんと天上界の、そういう報告する場所があるんです、そこへ全部報告されております。
思ったことから行ったことね、その報告されたものは現象化するんですよ現象化するということは、こうやって立体的に、皆さんは視る
ことが出来るんですよ。
我々は見るといったらスクリーンですね、お芝居ぐらいですか、立体的というのは。
ところが、あの世では全くこのままの立体的な状態で、自分が人生の芝居しているのをみな見せられます。
そこであの世へ帰って、自分自身の心の記録と向こうにあるのとバチッと一致させられるんです。
「天上界への基準」
皆さんは知らないだけで皆さんの心の指導霊達、守護霊達は、皆な、光の天使たちは報告しています。
だから悪いことをすれば自分に跳ね返ってきます。
人のために一生懸命にやった人は、またそのように、ちゃんと記録されます。
で、それが良いことだから、私は天上界へ行きたいからやるんだって、それはまたダメなんです。
そういう人は忠告を入れられています。
「「この人は天上界へ行きたい為にやっている」(爆笑)。
これもダメなんです。
そんなことはもう関係がないんです。
もうそういうことに関係なく、人間として神の子として、そうせねばならない道なんです、正しい道というものは。
ですから本当に信心深い人々というのは、自分の心をちゃんと常に調和させられて、思うこと行うことを八つの正しい基準をわきまえ
て、生活している人達が、これが本当の信心深い人たちです。
それだけに我々のこの心というものの、在り方はいつでも生霊を呼び込む力もあれば、死霊を呼び込む力もあります。
恐ろしいものですね。
「婦人に憑いて夫婦気取りをする男の霊の場合」
この間、私のところで、あるご婦人が一人で後ろの方で喋っているんですね。
おかしな話ですね、例の調子でね一人で二人三脚みたいにしてやっている訳です。
誰も傍にいないんです。
一人でニヤニヤッと笑っている。
ハハッ、珍しい人がまた来たなあと、丁度これは良いなということでね、前の方へ出しまして話を聞きます。
そうしていたところが、
「アッ、あなたは傍で、お話している声でも、その方誰れ?」
って聞きました。
「あら、誰もいません、誰もいません」
「あなたの傍にいるよ、そこに」
「いえ、誰もいません、誰もいません」
「だってさっき、あなた、僕ちゃん私と一緒についてきてもらっては困るわよって言っていたのは、この僕ちゃんは一体誰なの?」
「いや、それはあの、別に何もないんです」
「イヤ、見た。私をズーッとこうやって、足を見てジーッとしている男がいるけど、一体誰なんですか」
「小さいときから私と同居している男性です心の中で」
皆さんもこの中にこういう人いるんですよ。
自分がただ表面に出て、言えないだけに恐ろしいですね、地獄霊です。
地獄霊がその人ともう同居しているわけですね。
そうして道を歩きますと、この方はもう三十四、五ですから、勿論一人もんですねそうなりますと、結婚なんかできません相手がいるん
ですから。(笑い)
そうして、スタイルの良い男性などが来ると、そしてその女性の心が動きますね、そうすと直ぐ同居している男性が、
「お前そんなとこ見るなよ、僕がついているじゃないか、そんなの困るよ」
ってね、デ、相手は強い訳ですよね、心握っているんですから。
あんまり女性が行動に移すと、心臓を少しこうやってガチッとやれば、
「ウーッ」となりますから、本人は
「分ったよ、分ったわよ」
と、こうなりますから、ご婦人の地獄霊は一生懸命に夫婦気取りでいるんですね。
例えばこの間は、渋谷のあの四つ角のところ十字路で赤いランプが点いとった、サア、この僕ちゃんと称する地獄霊曰く
「お前、いま赤信号だから危ないよ、
「お前まだ、死にたくねんだろう、僕が傍についててやるから、止めた方が良いよ」
ったら、足がガクガクと止まっちゃって、このままになっちゃってね、ですから夫婦協力もしてくれるんです。(爆笑)
それで彼女にとってみれば
「先生、夏はクーラーいらないんです」
クーラー代が要らないで助かるわけです、地獄霊が傍にいていつも冷やしてくれてます。
これに比べて冬は寒くてしょうがないちゅうんですね。
では冬は一つ暖かいところの地獄霊でも入れたらどうですかったら、
「そんなにうまくいかないんです」
そして、そっちの方のお客さんちっとも帰ってくれないんです。
したら今日は何で来たんですかって聞いたら、
「今日は先生の言葉によって一つ、結婚をしても良いかということを聞きに来た」
と、言うんですね。
おっそろしい人がいたもんです。
ですから地獄霊の命令によって、この人と結婚しても良いか、
「恐ろしいですねえ」
ところが僕はこう言ったんです。
「そこにおる同居している地獄霊、お前結婚したいなら、この地球上に肉体をもってこい、お前の顔はすごい顔だ、このご婦人には見え
ないからいいけれども、そういうような事をして、生きている人間の盲目な人生を送っている人を迷わせてどうするんだ」
「僕はこの子が四歳のときから今まで教育してきた、僕は可愛がって育ててきたんだ、だから僕は離れることできねんだよ、そんな無情
なことをあなたは言うんですか」
って言うんですね。(笑い)
ホいで、その地獄霊は
「死んで結婚してくれ、自殺してくれ、そうすれば一緒になれるから」
ところがその方は神理を良く知ってしまったから
「私は、あなたとは結婚できないんですよ、ナゼならば死んだって私は天上界へ行きます、あなたは地獄でしょう、あなたは天上界で結
婚するならいいけれども、あなたはちゃんと自分を知って、反省を良くしてナゼ地獄に落ちたかを知って、天上界へ行って待ってくれる
のなら良いけれども」、
マ、天上界からはそういう馬鹿なことはしませんからね、地獄界ですからねそういう執着をもって死んでますから、そこで地獄霊に、
「お前は二十一歳で自殺したんだ!」
「そうです、あなたはどうしてそんなこと分るんですか」
「お前は慈悲魔といって、とも角、何でも可愛そうだ可愛そうだ、そして悪いこと良いことケジメもつけずにただ
「かわいそうだ、可愛そうだと言って、そういうのを慈悲魔というんだ」
そうしたら地獄霊が、
「そうです、私は慈悲魔です。私はどうしたら良いでしょうか」
と言うから
「そこから出るんだ」
「私は四歳の時から憑いていますから、そんな殺生なこといわないで下さい」
こう言っているんですね。
出ないんです。
ということは、このご婦人自身も矢張り、心の中に、長いお付き合いなもんですから簡単に、こう縁を切る訳にはいかないわけですね。
「分ったわよ僕ちゃん、私さえ我慢すれば良いんでしょう」
「そうだそうだ、もう少し我慢すれば良いんだ」
一人二役ですからねえ、そいで結局、今も同居しておられます。(笑い)
気の毒なもんですねえ、ですからそういうのは死霊と生霊がミックスしている場合ですね。
ということは、恐らくそういう方とお付き合いして、それを地獄霊が邪魔をしてしまう、相手(女性)もそういう色々なことがあるからつい
て行く、その者同士の関連、その女性自身の心というものの本当の正しい道が分らないから地獄霊が憑くというわけです。
ですから地獄霊というのは皆さんね、気違いにするばっかりじゃないんですよ。
いろいろ、エロエロ(霊との肉の交歓)、なことまで協力するんですから、ですから怖いです。
自分の心というものが分らないで、正しい基準を忘れてしまったら、自分もドドーにもならなくなって、そういう地獄霊が協力してくれ
るということは、その人にそういう心の方向があるからです。
ですからそのご婦人の場合は、非常に何というか慈悲深いといいますか、自分の兄弟姉妹やなんかでも、
「あら、可愛そうだ」、
こうだ、ああだと言って、本当によく面倒を見てくれる、悪いことをすると
「アー、あなたが悪いんじゃない、私が悪い」、
こうなんです
そですから自分が慈悲魔になって、この慈悲魔という魔も地獄にはいるんですからね。
だから地獄霊が憑いとって親切にしてくれたからといって安心しては困りますね。
こういうものはまた、アッという拍子にガラッと性格が変わってしまいます。
ですから一番大事なのは、皆さん自身の十パーセントの、皆さんが肉体を持っている皆さんが、よく正しく判断のできる思う行うこと
が、正しい基準というものをキッパリ把握してやらなかったら危険なのです。
或いはまた人から恨まれる、恨まれると相手が恨まれる要素があれば、ストレートで恨んだ念は、その人に入ります。
ですから自分が反省というものは、そういうところにあるわけですね。
自分の心の状態というものが間違っているかいないか、こういう反省というもの、これは正しい魂の基準、正しい基準によって自分自身
というものをしっかり見まして、そして今、自分はどうだろうか、正しく語ったろうか、あの人からこういう事を言われた、正しく語っ
とっても相手のご都合によっては都合が悪くなる場合があるわけですからねえ、ですから相手は恨んで来るのは当然ですね。
ですから気の毒だなあと、こっちは思うわけです。
ですから今から教祖さんというのは、GLAの神理が広まるにしたがってバタバタ、バタッと逝くと思うんです。
もう既に、何人も逝ってるんですけどネエあの世へ。
ですからそれは当然なんですよ、正法というものが拡がる時は。
その代わり正法が広まってくると人間の心に巣食っている、そういう地獄霊は退去しなきゃならん訳ですね。
ですから今度、ひと悶着起すわけです。
正法というものが広まっている時には、悪魔は競い立って来ます。
そうして、世の中は混乱するんです。
一時は混乱します。
それは基準が分らないから、生きている人間が。
それで今までのものが正しいんだと、化石化されたものにしがみついてるんですね。
と、いって、他力本願では絶対に保証はないんですよ。
神様は人間にすべてのものを平等に与えてあるんです。
あの人は金がないから特別に粗末にしょう、あいつはどうも良くないからお天道様の光を少なくしょう。
そんなことはない、全てに平等です。
善人についても悪人についても、神は全てに平等に与えております。
しかし苦悩をつくり出すものはその人自身の正しい基準を、失った結果によって自分がつくり出していくということを皆知らないので
す。
そしてその人たちの心に応じた世界に、我々は通じているんです。
だから勇気をもって正しいという行為を自分が実践をしたならば、その実践に比例しただけの光明が我々の心の中を満たして行くわけです。
それが安らぎです。
そのために我々は、常に自分というものを光明に満たして、いわば生霊の思念を受けても、どのようなことを頼まれても、平然として心
は鏡のごとく調和させてゆくことが大事です。
心を鏡のごとくして行けば、善として来たものは善として、善の行為として相手の心の中に安らぎを与えて行くものです。
それですから我々は、生霊というものも死霊よりか怖いことがあるのです。
生霊は一つ間違えば命までとられます。
肉体まで滅ぼされますね。
ですから念というものは怖いんですね。
正しければ、正しく作用すれば己をも光明に満たし、他人をも光明に満たすけれども、その念が一つ間違って作用すれば、己をも破壊し
相手をも破壊してしまいます。
それだけに我々は、恨みというものや、妬みというものや、そしてまた怒りというものは怖いんですね。
デ、こういうものはまた医学的にも出て来るんですね。
例えば高血圧の人ね、こういう人に怒らして見てください。
そうするとパカッと血圧が上がります。
そうするとカクンと転びますね。
そういう家庭環境に高血圧の人がおったら、なるべく皆さんは暖かい目で見てやって怒らせないように、怒らせない、怒るというものは
毒だということを教えてやるということが大事です。
それを思ってもダメですね、心ん中で。
「私や怒っちゃいけねんだから我慢する」
なんてね、心ん中でグーッとやって、その場合でも血圧は上がります。
そうして我々はこの怒りというものは本当に、我々の肉体の毒にもなるということ、妬みも同じですよ。
そこで我々は自分の生活行為を通して、常に心を内に向けて、ものの判断をすることです。
例えば物がほしい、自分の経済状態、或いは周辺は一体どうだろう、あるものが欲しいんだけど、やっぱりやめよう。
今、これでも我慢できるんじゃないかといって、そこに制動、ブレーキがかかれば、心は内に向くわけですね。
そうして自分の心がいつも平和で、悲しみや苦しみ、こういうものが全くなくなってくると
「アそうだ、じゃ、このようにしてやろう、こういう風にして人のためにしてやろう、ああゆう風にして人のためにしてやろうという行
為が、自然の中に出てきたときに皆さんの心は安らぎ、円満であり守護霊の協力を得ることができるのです。
「他力本願の真意」
「神様何とかしてください」
なんて、幾ら頼んだって、神は全てのものを与えてあるのです。
だから欲しければ、その目的を一生懸命に善悪をわきまえて、その目的のために努力することです。
その努力というものが、皆さんのいわば環境を調和させて行くわけですね。
他力本願はそういう意味で、逆に自分の力によってこそ
「他力の力を得る」
こういうことがいえるわけです。
「恨まれたら」
或いは人から恨まれる、恨まれる要素をこっちがキレイに知って、
「相手が恨むのは自由ですからね」
だから自分が恨まれない、それに恨まれる要素があったら、素直にそれを認めることです。
そして、
「こんなまずい事をした」
と、直接、本人なら本人にゴメンなさいと、
「私は確かにあなたを恨みました、あなた自身、私を恨んだでしょう、私はこういうところで、こうゆうことをして迷惑をかけました、
許してくださいね。
こうやれば、そうして心から、心の底から謝った行為を相手が知らずに、逆に
「何さ」
って、やってきたら、今度は相手が毒を食べる番ですね。
「意味分りますか?」
ですからこれは夫婦だって同じですよ、毎日同じ飯を食ってんだから、マ、たまには喧嘩しても良いんじゃねえかって、ネー余り親しい
から、ついこうやりますね。
マ、男の人の場合でも女の人も、喧嘩はもうダメなんです。
心に、じゃ、心がピシャッと丸く豊かでありゃ喧嘩するのならまだ良いけれどもね。
その場合は喧嘩できないんです。
どっかの感情が都合が悪くなるから、膨らむんですから。
デ、私の知ってる方で東京の方ですが、非常に夫婦仲が悪くてね、仲が悪いにかかわらず、三人も、四人も、五人も子供を生んでね、
「うちの父ちゃんなんか、自動車に轢(ひ)かれて死んでくれればいい、保険かかっているから、かえってその方が楽なの」、
何て言ってんですよ。
この「くそババアめが」、と思うけどね。
そうしておって、仲が悪いくせに子供が次々に生まれて来てね。
不思議なものですね、これだけは。(笑い)
ですから、そういうような状態で、不満ばっかり愚痴ばっかり、愚痴と不満の塊ですから家庭の中もうまくいかない、経済的にも。
「マ、せめて生命保険くらいは」、
恐ろしいですね。
ですからその奥さんたら、いつも具合が悪い、
「あっちが痛いこっちが痛い」
そいで「ナンミョウホウレンゲキョウ、ナンミョウホウレンゲキョウ」
って、やってるんです。
そういうようなことをやりながら、
「私たちの宗教は良いわよ、永遠の生命に立ってるのよ」
なんちゅうから、
「冗談言うんじゃないよ」
と思いましてね。
「あなた、法華経が何だかいいわよ」
なんて言うんです。
相手は法華経なんか何にもわかっていない。
だから、その拝んでいる時だけが、何となく安らいでいる気持ちになるんですね。
それから終わると、また幻滅の悲哀が生ずるわけですね。
逃避ですね
宗教を逃避に使っている女ですね、『宗教を逃避につかう女』、また本の題名にになるじゃないですかね。『笑い』
ですから、こんなものが信仰じゃないんです。
ですから、そうゆうような家庭ですから、子供は今度、ノイローゼになっちゃうしね、どうしょうもならない。
親はその道が和解できないから、もっと信心が大事だ、今度は指導者から
「あなたの家からそういうのが出るのは、ヤハリあなた達の信仰が足りないからだ」
ますます狂信的になっていくんですね。
そういう人ですから、私が幾ら話しても、もう見ている以外にないんです。
家中がトコトンまで、オッこっちゃえば来るだろうと、
「マアその時だな」
マ、こうして、
「縁なき衆生」
というのも、いるわけです。
ですから一番大事なことは、自分というものが常にそういう生霊の害を受けず、死霊の害を受けず、常に円満かつ、調和されている生
活。
ですから皆さん自身がいつも自分の心を見て、
「ハ、私の心の感情、感情はどうかな、知性の領域はどうかな、色一炉な勉強をし、そして自分自身は、社会生活を通して自分はどう
か、自分の理性はちゃんとブレーキはかかるかな」、
ハア、そりゃ理性のブレーキなんて簡単に我々はテストできるんですよ。
ところが起きている時は大抵、ブレーキがかかるのは当然ですね。
眠っている時の皆さんの心は本当ですからね、本性ですから。
だからブレーキがかかるか、かからないか、チョッとテストすれば、直ぐ分っちゃう。
うまいこといっても、テストすればノンブレーキになります。
これはダメね。
ですから、そのブレーキは最も厳しい環境、人間の価値というものは、自分がドン底に落ちているときね病気でも同じですよ、経済的で
もいわば家庭の不調和でも同じ。
例えば夫婦でも、別れるかどうしょうかという瀬戸際ですね、こういうトコトンまで落ちたときに人間の本当の価値が分るんです。
正常でいる人たちは分らんですよ、好調で夢の時と同じですね。
「執着の夢テスト」
私達の仲間の中で、
「「先生、もう私はお金の方も執着がなくなりました、これからもう何も執着しません。」
「ホウ、それは良かったですね」
次の晩、検査(テスト)したんです。
何にの方も失敗するし、お金の方も、丁度、彼の家の入口の所に、「ポーン」とお金を置いといたら、こうやって見て通るんですね。
「もう、こりゃダメだ」(爆笑)
だからそういうのは、頭だけで分ってる訳です。
いくら頭で分かっておっても、行動にならなきゃダメなんです。
だから何にも欲しくないのが、何で手を出すか。
ですから次の日に電話を致しまして、
「あなたどうでした?」
「イヤー、どうもひどい失敗をしました」、
「どうしました」
って、いったら
「げた箱の上にあるお金を、こりゃシメたと、丁度金がないから、この際、頂いとこうと、ポケットに入れた途端に目が覚めました」(笑
い)
もうこれはダメです。
これは頭だけで分ってんですね。
デ、頭で分ったものを、今度、知識で分ったものを、行い、生活の中で常にそういう行為として自分が実践しとけば、心にバチッと記録
されているんです。
ですから本来ならば、そういう生活行為という実践がなかったならば、これはダメなんです、幾ら分っていても。
ですから皆さんが、生活行為を通して、そういうように、先ず足ることを知る、足りなかったならばどうすれば良いか、その最もベター
な方向を研究し、そして、その足りない分野を補足する方法を考えれば良いんです。
ところが人間は外にまた心が向いて、いや今度は五百万円残ったから千八百万やろうよ、いや土地が安いから、あそこを買おうよといっ
て、段々段々、広がってきて、自分をダメにするんです。
「生前遺言の勧め」
そうして最後は、残された子孫が、子供達が財産争いをね、それこそ日本人の日常茶飯事に、「あのオヤジが、ああいう事をしたからな
んてね、財産残したためにかえって親は恨まれちゃって、マ、そういうこともあります。
ですから、もう本当ならば、お歳を召した方達は、もういつ死んでも良いように、もう全部、遺言を書いとく方が一番良いですよ。
いつでも死んでも良いように。
死んだ時に大抵、皆さんの場合はドームの方へバタッと入りますから、肉体が傍にあるけど、どうにもならないし、また生きている人た
ちね、生存している人たちも大騒ぎを始めます、その辺からアワ喰うだけですね。
デ、心の中で
「あ、あの財産は誰の名義にしときゃよかった」、
とかね。
そしてアワ喰いましてね。
執着を持ちまして、ストレートに地獄へ行く人も多いんです。
ですから生きている内に、なるべくならもう、キチンとしといて、争いのないようにしといた方が楽ですよ。
その重荷だけでも楽ですね。
そうして先ず、自分自身の心を、
「アッ、もう逝かれるな」
と思ったらジタバタしても無駄ですから、ここでドッシリ落ち着いて
「ワシが生まれてきたときから今まで、どうかな」
皆さんね、八正道というフイルターにかけて見てね、そのときはもう素直に
「間違ってましたー」、
ってね、全て裸になっちゃうことですね。
或るお坊さんのように、地獄にまで行ってお金数えるようではダメですよ。
もう、そんなことは止めた方が良いです。
あの世は、この世の一万円、二万円札、日本円持って行っても通じないんです。
ドルでも、ドー(ドル)にもなりません。(笑い)
これも使いもんなりません。
ただ皆さんの持って行けるのは、人生で体験したものですね、これはみな持っていけますよ。
そうして黙っていても、あの世にはちゃんと欲しいものは有るんです。
ですから家財道具だっていらないんですよ。
ちゃんといいものがあります。
「地獄の世界」
ただし地獄行ったら別です何にもないです。
裸一貫ですよ。
そうしてカビ臭くてね、動物は傍に居るしね。
或るお寺の方でしたが、ねえ!「ウダツ」なんていわれるようなお坊さん、
「お前達、本当にあの世はあるよ、ワシは真暗な所で厳しい修行をしているよ、、キツネやタヌキやヘビや、或いは地獄の鬼達がワシの
傍へ来て、まあまあ大変だよ、ワシはその厳しい修行をしなければ、天上界へ行けないんだよ、やがてお前達も来るんだけど、それを覚
悟して来いよ」
と言ったお坊さんがいます、あの世からですよ。
そんなのザラですよ。
マ、古い寺行ったら、大抵もう、代々の皆さんが鎮座ましましております。
それをまた、分らないから皆なお参りに来るのね、
「あの仏像は何千年前だ、ありゃ国宝ですと、訳も分るんですから、馬鹿みたいな話です。
地獄霊それを見て、
「あの馬鹿め!」
と見ているんですね、本当です。
あわよくば、相手に憑いちまおう何てね。
そうすと帰って来た頃から、どうも足の関節がおかしくなったなんて、心がおかしくなって来るんですよ。
だから、「触らぬ神にタタリなし」
という諺(ことわざ)はそういうことです。
「大仏さんの心」
だから皆さんが、仏像を見たら
「あ、立派だな、あのような大きい大仏さんのような心に成りたい、そうなるにはどうすれば良いか、自分の思ってることや行っている
ことを
よし、正道に合わせて生活してやろう」
といえば、皆さんの心は調和されると、あの大仏よかもっとデッカい、あんな銅みたいな合金ではなくてね、本物のゴールドです、柔ら
かな光によって包まれて自分を見るようになります。
それを一歩進めれば、あの世までちゃんと行ってみて来れます。
「あ、私の生まれる前はこんな立派な家で、今生は2DKの小さなマンションで、本当ですよ。
もう皆さんが出てくるときは誰も家があったんですね。
そのうちに皆な忘れちゃってね、地上界はどうも窮屈ですから、住宅難ですからね、ところがあの世はもっと広いです。
そしてスモッグはありませんしね。
非常に自然の環境は綺麗で調和されていましてね。
この地上界にあるものはすべて在ります、この地上界にないものまで在ります。
ですから自分が先ず行って見ることですよ。
「行く為には、自分が心をきれいにしなきゃだめです。」
マ、せめて死ぬ前に我が家を見とく必要があるんじゃないですか。
タダですよこれ、運賃タダデスヨ。
早く起きて並ぶ必要がないんです。(笑い)
縁台に座る為に、その必要がないんです、飛行機代もいらないしね。
例え、ボロを着ておってもいいんです、心に錦を着ていれば。
その代わり、心が調子が悪ければ途中から「ピーッ」と墜落して、
「アラ、ここが私の住家かしら」
って、見てくることがあります。
それですから我々の心というものがすべてをつくり出し、皆さんの意識の世界というのは、丁度、もう裏表のようなものです。
むしろ、この地上界の方が、天上界から見たら裏の世界ですね。
なぜならば非常に、物質の世界という、こういう三次元の我々の肉体を持って生活をする環境というものは、非常に粗悪なんです、波が
粗悪なんです。
振動数が非常にアンバランスです。
それは皆さん自身一人一人から発信しているところの心に振動、この振動もアンバランス。
「霊の特性」
ですから地獄霊というのは、大抵、昼間出てこないですね。
昼間に幽霊を見たという人はいますか、少ないでしょう。
昼間に出たとすれば、薄暗いような所にパーッと出るくらいですね。
ですから、大抵まあ夜出てくる。
それも「丑(うし)三つ時」って、丁度寝静まってね
「金儲けしょう、たらなんだかんだ」、
って、人間の欲望が、寝ちゃって静かになった頃、おもむろに出てくるわけです。
だから、ノイローゼの人たちが夜になって元気になってくるのは、そういう仲間が来てくれて、やるわけですね。
ですから、ノイローゼがおられる家庭の方は、それがよく分ると思いますね。
夜になると元気になります。
昼間は沈んだような顔をしている。
それも地上界の人々の不調和な想念の振動が地獄界をピシャッとおさえているからですね。
彼等も実は肉体(あの世の)を持っているんですから、うかつに出てきて(霊視)見られたら大騒ぎになる訳ですねえ、地獄霊も困るわけです。
そして丁度、光と溶け合えるから分らないわけですねえ、旨くできているんです。
夜になると浮かび出してくるんです、そういう具合に。
「霊の執念・二題」
こないだ丁度私、二月の十七、八日頃に、久し振りに外を歩いて参りまして、その時に泊まった民宿に、夜寝ましたところが、霊が、地
獄霊がちゃーんと三角の頭巾をかぶった、ご婦人の方です。
真っ白な着物です。
「アラ、あなた達は一体、どうしてこんな処に出てきたんですか」
ったら、ニヤーッと笑うんですね。
あのときの顔はもう本当にいやな、顔の形が変形しちまうんです。
マ、ああいうものに憑かれちゃ困りますよ。
そうして、私も丁度、余りにも姿そのまま出すものですから、
「夕んべ、寝てねんだから帰ってくれ、あなたには気の毒だけども、ともかくこんな遅くなってから出てこられたら、私も困るから帰っ
てくれ」、
それでもまだ居るから、
「消え失せろ」
と言いました。
そこで、そこの女中さんに聞きましたところが、
「お客さん見ましたか、三角の頭巾をかぶっていましたか」
「その通りだ」
「うちはよく出るんですよ、断っておきますけど、うちに住んでいる地獄霊、浮遊霊ではないんですよ、この近くに幽霊屋敷がありまし
て、そこから度々
出張してくるんです」(爆笑)
ですから
「じゃ一体、商売はなん何だ」
ったら、アンマさんをやっていたらしいですね。
そうして病気で死んでしまった。
ですから、いまや死んでもアンマさんやりに来るんですね。
恐ろしいもんですね、執念ですね。
ですから、そういうことは私んところの会社でもありまして、従業員ではなくて私の会社に協力してもらっているところの会社の方が、
たまたま去年の、イヤ一昨年(おととし)の十月十日ですか、運動会がありまして、その九日の晩に結婚式があるんで、
「行ってくる、だがお前、遅くなるから会社の社宅で待っても良いよ」、
布団まで引いて待ってた。
ところが奴さん酒を飲んだ勢いで、パーッと家へ帰ります。
その帰る途中に電信柱と衝突して死んでしまった。
そして、その丁度九年前の十月十日にお父さんも自動車事故で死んだってんですね。
その幽霊さんが仕事をやりに来ておりまして、夜の夜中に深残業しておりますもんですから従業員がやっている間に、誰も居ないのにス
パナとか電気をカチカチといじる音がして、見ると居ないわけです。
そうして私のところへすぐ電話が来て、
「先生おかしな現象が起こっているんですよ、電話に入るから聞けますか」
そうしたら、その男はなかなか勤勉な男で、残してある仕事を協力するんです。
ですから、
「あなたはもう死んだんだよ、もう仕事をしなくて良いんだこの地球上の、あっちへ行ってから、一つゆっくりやってくれ」
言ってからもうその後出てこなくなりましたが、一週間ぐらいお手伝いに来てくれた、ただし無賃でね、お金も貰わないで。
ところが、現実の仕事はチットも捗(はかど)っていないんですよ。(笑い)
地獄霊がやるんですから。
だからまあ、事故死した人ですから。
会社でも、そんな話をしている協力工場の人ですから、何とかうちの会社へ来れば、救ってもらえるんじゃないかなと、それで仕事をし
ていたわけです、私は見ておりませんけれども。
マ、そういうことが現実にあるんです、これは死霊の場合ですけれども。
彼の場合はマアそういう、事故を起すから危険だということを言っても、不思議なものですね。
亡くなったお父さんの霊が、そのご後本人に憑依して同じような事故を起させたわけです。
恐ろしいことです。
ですから、一軒の家で一人交通事故が起こると、次々と起こるというのは、そういう亡くなった地獄霊が、同じような心のところに憑く
から、災難に見舞われるわけですね。
ですから、そういう不調和な原因があったら、
「どうしてそうなったか、私たちの考え方に何か間違いがなかったか、これを反省しない限り、次々とビールス菌みたいに次々と協力し
てしまいます。
これはノイローゼが出れば同じですね、一軒の家によく気違いの巣だ、血筋だなんていいますね。
そうじゃないんです。
そういうものが出てきたら、ともかく自分たちの心の在り方というものを直さない限り、禍根を断つことはできません。
こういうものは、そこに住んでいる人たちの、思っている事や行っている事が正しい基準を逸脱して、中道のどっかにアンバランスを来たしている。
こういうアンバランスの分を直さない限りダメですね。
ですから気違いとかそういうものは、決して脳細胞だけの影響じゃなくて、心の次元です。
見ているうちに、そういうものを習い性となってしまうのです。それだけに恐ろしいものです。
ですから今度出ました、『悪霊』という本が、七日の日から本屋さんの方に出始めましたけれども、これはもうノイローゼ、そういうよ
うな不調和な家庭、こういう事がどうして起こるか実例を一杯上げております。
次の『悪霊第二巻』というのは、色々のこの私の所に個人指導に来た人たちの生霊、死霊というものがどのようにして作用して不調和な
環境をつくり出したか、そのものを分析しながら書いたものです。
ですからそういう意味では、自分たちの生活を通し、そういうものを見てみることも良いことだと思いますね。
ですから我々自身はこうして生活しているけれども、生霊と死霊の渦の中にいるのです。
その代わり生霊の方が怖いんですよ。
この間、私は丁度そういう地獄の霊を見たときに、たまたま十日ばかり自分の心の間違いがあったら大変なことになります、多くの人々
をこれは狂わせちゃいます。
心臓を悪くするなんて、そういう小っちゃい事では我々は許されないんです。
それだけに正しくものの判断をしなきゃなりません。
そして自分を見つめ、そして下田の方のズーッと海岸の沖の方で、禅定しております。
「イルカとの愛の交流」
ズーッと先の方で大きな魚が飛んでいるんですね、ポーンポーンと、
「デッカイ魚がいるんだな」
と思って、
「あんなのが傍に来れば面白いなあ」
と思っていると、本当に傍に来ましてねえ。
最初はフカかなと見たらイルカですね、こんなデッカイ。
そしてイルカの中の歯も全部見ましてね、傍に来るんですから。
イルカちゃんは傍に参りまして、こんなデッカイ眼で、先ずあの顔を見たときにはゾクッとするんですけど、あの時はゾーッとしないん
です。
そしてイルカはズーッと頭を上げまして、私の所に寄って来るんです。
「こうやって来るから食われるのかなー、食うなら食ってみろ」
と思っとったんです。
そうしたら、横に来まして私にこうやるんですね。
写真機を持っているんですけど、傍にいるもんですから撮れない。
イルカも話をするんですね。
「キキキキキキッ」という振動で。
そうして、
「これはおかしいなあ、こんな事一体あってたまるもんか」
と思いましてね、そうして、イルカの心の中で
「お前、ネコ回し、してみないか」
丁度、十頭位いました。
そうしたところが、またピューッと廻りまして傍に来てフアッ。
私のところへ来まして、可愛い目ですね、見ております。
こっちが悪戯(いたずら)しないということが、分っておるもんですから、魚も何にも持っておらないけれどもね、傍へ来て、私が頭をこう
やって触るとスルッとするもんですからね、これは人間の頭とは全く違います。
豚の、牛の舌はこうやって自由に撫でますけれども、イルカの舌というものは手によっって動かない、あれは不思議なもんですね。
そして顔をぺロッとやられました。
ですからハー、やっぱし彼等にも愛だということね、心の愛というものは、ああいう海の動物でも、交信ができるんだということが分り
ました。
デ、事務局にいるところの萩原という青年がおります。
彼も一週間ほど下北半島というところで自分の心を見詰めて帰って参りました。
きれいに後光が出ております。
デ、私は最前列のところで、彼に言葉を与えないで語ったんです。
そうしたところが、彼は即座に
「先生、今このように私に呼びましたけれども」
「そうだよ、ア、君は受けられるようになったか」
こうゆうようになって行かなければならないですね。
皆さんの心の中には全てそういう受信機があるんですよ。
動物だってあるんですよ。
こちらの心が本当に真実ならば、ですから口の先でいくらうまいことを言ってもダメです。
心の中から、底から真実のものを通じるんですよ。
これもですから逆の場合も同じですね、悪霊も同じですね。
生霊、生きている人の心の不調和な振動も同じです。
皆さんは、ちゃんとしているようだけど、ただ自分が分らないだけです。
ですから皆さんの心が本来、お父さん、お母さん、子供、これがバラバラになってちゃダメなんですよ。
そういう面でも心が調和されていれば、みんな同じ一つの意見、調和された光明のうちになるんです。
そういうような生活をしています。
先ず、肉体を持っている人から後光が出て参ります。
そして子供さん達からも出てまいりますから、家からも後光が出てまいります。
私が色々と予言をし、現象を出すことができるのも、自分で意識を統一して日本列島をサーッと見ますと、明るい所だけは光がパーッと
天上界へ通じているんです。
その光に応じて見ると、ア、ここに誰がいるというのがわかります。
ですから、あの世から見ると、全部、地球は真暗でネ、スモッグに覆われているけれども、天上界ではちゃんと心のきれいな人々の心は
天上の世界に、そして、心のきれいな人たちが住んでいる家庭には、光が出ていますから行けば分りますね。
ですから丁度、今から六年位前に、関西にまた一つ同じ仲間が出ている、この人達と私達はまた、同じ兄弟として道を説いて行くであろ
う。
これもこうやって、太平洋沿岸ですでに、GLAは多くの人々を帰依させて行くであろうと予言できるんです。
太平洋沿岸が明るいから分るわけです。
きれいな心の人には光がみなこうやって出ているわけですねえ。
裏日本の方は光がポーッ、ポーッとしか出てないから、ありゃ少し遅くなるぞっていうことになるわけです。
ですから、それを一つ一つ見ていくと、どこどこに誰がおって、こういう人達が仲間がいる。
そしてアメリカ、地球を見ればいいんです。
地球を見れば、ア、どっから誰が出ているということが分るんです。
だから普通の人から見ると、
「不思議なことをいってるなー」
というけれども、当然ですね。
「宇宙即我、八正道、菩薩行、一日一生」
心が宇宙大になるんですから、それをちゃんと見るんですから大したものです。
こうして我々は、心の面が調和されていると、光の天使を通して、いわば我々の心にそういう通信が来るわけです。
それは皆さんが生活をしておって、ただ、ものを考え、日々の生活の中から
「そんな馬鹿なことがあるのかなー」
と錯覚を起しているわけです。
皆さんもみな神の子です。
皆んな、そういう偉大なる光の天使、天使達なんです。
ですからそういう、自分自身の生活をしとけば、これ人間として当然な道ですね。
八正道というものも、皆さんはやってみると、
「正しく聞け、見ろ、思え、念じよ、語れ、仕事をセよ」
なんていうと堅苦しく思うだろうけれども、これだって人間として最低の条件なんですよ。
それをやって、皆さん自身がこの地上界を去るとき、GLAの神理を学んだ人達は地獄へは行かないでしょう、行く人もいますけれども
ね。
そのときに、先ず最初に質問されるのは
「あなたは人間として何をなして来ましたか」
って、今皆さんが死の断崖に立って言われて、振り返ってみたら、何をして来ましたか。
「イヤ、私は十人の子供を育ててきました」
そんなこと当然だってば。
何をして来たかって言われたときに、この中で
「ハイ私は人のために尽くして来ました、と言える人が何人いますか」、
自分の事をするのは当然なんですから、自分の家族のことをやることは当然なことなんです。
だから真から、心から人々のために
「ヨッシャ、良かれとして行動したそのもの自身が、多ければ多いほどこれが宝物です。
そういうことをまた「菩薩行」ともいいますね
そういう自分自身の行為を、いつ死んでも自分が
「もう執着はない、やれるだけやった」
これが「一日一生」の神理ですね。
そして自分自身が、例え相手は恨んできても、それを寛容な心で正しく判断し相手の言われたこと、行動、このものに毒を食べないよう
に、常に自分を円満調和された心の状態が裁くことが大事です。
こうして生活をして行くことが本当の信心深い人達です。
そして、生きているからといって人の悪口へ、人の悪口が相手に、心の念を通しても通じるし、或いは第三者を通しても通じるから、ま
たそこで格闘が起こり毒を食べさせる。
だから、そういうことが無いように、生霊という、生きている人の心も相手に通じるということです。
そういうことを知って欲しい。
今日の講演は、この位で失礼致します。(拍手)