渡る世間の「百の人間模様」 B
八起正法
その二百一、
正法はどういう位置づけか疑問の人
エルランティ、 アガシャー、モーゼ、釈迦、イエスの正法と考えられています
その二百二、
地位、名誉、金に執われる人
この世もあの世も、地位、名誉、金といったものではなく、心を中心として回転しています
ものに執われると、苦悩が始り、心を汚してしまいます
その二百三、
心行(しんぎょう)の要が疑問の人
心行には三つの柱があります
大自然という神の心
永遠の生命体を維持する循環の法
慈悲と愛
この三つです
その二百四、
正しい奇跡を現わしたい人
誰でも愛の心を強く持てばよいのです
そうすれば誰でも力がでるのです
その二〇五、
宗教の真髄が疑問の人
「汝信仰あり、我行為あり」、とイエスは申されました
「神よ神よ!」という人が救われるのではありません
「自力」、「自助努力」、「自力の極に他力あり」は神理です
その二百六、
「質問」
あなたは一日二十四時間、明るい心と暗い心は、どちらが長かったでしょうか
その二百七、
結果が疑問の人
動機は正しくとも方法が誤っていたら、結果は悪となります
動機は間違っていても方法が正しかったら、一時的に結果は正となりますが、いずれ結果は悪となります
動機も正しく、方法も正しくなければ、結果は永く正を保てません
その二百八、
どうして日本が世界の一等国か疑問の人
我国は小さな島国であり、資源も食糧も十分ないのに、繁栄しているのか疑問のようです
確かにその面ではそうです
でも我国は技術大国であり経済大国、その上に治安大国です
さらに暑過ぎもせず寒過ぎもせず、温暖で住みやすい気候大国です
どうして我国がこういう結果になるのかと申しますと、優秀な霊魂群、霊団が日本を出生国として選んだからです
日本には世界に誇れる優秀な才能を持った人が多いので、多岐の分野で能力を発揮し力を合わせたのです
かってポルトガルが、オランダが、英国が一等国と賞賛された時期もありました、でも、現在は昔日の面影はありません
それは悪因という悪い原因をつくったので、その結果、悪果という悪い結果をつくりだしたので衰退という憂き目を見ることになったのです
日本も二百年間は大丈夫のようですが、国家として良いことをこれからも一杯天の蔵に積む事です、徳を積む事です
そうすることによって、次も優秀な霊魂群、霊団にこの国を選んでもらうのです
その二百九、
高橋先生はどのようにして過去世の言葉を語らせられたのか疑問の人
高橋先生は観自在(仏)となられ、身体からは絶えず光を放たれています
すると先生と過去世で縁が深かった者は、この光によって心の窓が開かれ、現世の記憶を飛び越えて過去世の記憶がよみがえります
すると過去のことが昨日のことのように思い出されてきます
先生は「現証」として、過去世の言葉で語り合うという現象を多くの皆さんの目の前で公開され、「ホラみなさんも、かって生きていた時代に、このよう
に喋っていたのですよ」と、人間は永遠の生命ということを証明する手段として自由自在にこの方法を駆使されたのです
人間は永遠に生き通しのもの、ということを人類に教えるには、これ以上のものはない最高の方法だと思います
先生は手をかざして光を入れられると、習ったこともない過去世の言葉(異言)で登壇者は語り出すのです
その二百十、
正法でいう「光を入れる」と「手かざし」はどう違うか疑問の人
方法はどちらも同じようなものです
ただ違うのは、光を入れたり手をかざす人によりけりです
爽やかで高人格者、高人間性の場合はよいのですが、動物霊にコントロールされていたり、地獄霊に憑依されている人から、手かざしや光を入れら
れると体調をこわしたり、一時はよくなったように見えても、地獄霊や魔王がその人の口をついて出たり、動物霊の子分や配下が憑いて非常に危険
です
高橋先生の宗教団体GLAにおいても、会員の中には「光を入れる」と称して陰でこそこそ実行した人がいたようで、会誌『GLA』の中で「先生以外に
やってはいけません」と厳しく注意されました。
守護霊か地獄霊かの判断ができないからという理由と、地獄霊や魔王の場合の対応が普通はできないからです
浄霊とか申しまして街中で手かざしをやっている光景に出くわしますが、絶対に手かざしをやってはいけません
手かざしを受けてもいけません
動物霊や地獄霊に憑かれても、それらを除霊できたり、それらを退散できる人のみやって下さい
悪霊は一旦、憑いてしまうと彼等も必死に、くっ付いて離れようとしません
手かざしによって、心まで持ち去られた気の毒な人も多いのです
そういう意味で国際正法協会を主宰された園頭広周先生は、会員の我々には絶対禁忌でした
その二百十一、
誘惑されやすい人は、それを求める人
悪魔は人を誘惑することはありません
誘惑は自分自身の心のうちにあるのです
その二百十二、
正法の生活者
正法の生活とは、原因は結果を生ずる、という因縁の世界に住みながら、
因縁を超える道を生きることです
その二百十三、
神経痛、リュウマチの人
ひどい神経痛、リュウマチは、ほとんど患部にあの世の蛇が巻きついています
自分を心から反省する必要があります
あの世の蛇や動物霊なら、霊能者に頼めばいいではないかと考える人もおられましょうが、霊能者といわれる人は概ね、霊能一辺倒になって相談者
の心を変えることが出来ないために、一時は良くなったように見えても一時凌ぎか、徒労に終わる可能性があります
生活を変え生き方を変えれば必ず好転します
自力です、心を変えるのです
二百十四、
医者と患者と臓器の提供者
医者はエリート意識を捨てて、病人を心から救ってやろうという慈悲、愛の心
患者の本当にありがとうございますという感謝と報恩の心
移植やアイバンクの場合は、提供者も、困っている人に「どうぞ健康になってください」という慈悲と愛
こうしたものがあれば、手術場は光に包まれ旨くゆくのです
医者は名を売ものにせず自身過剰にならず、執刀する日のために心と体を調和させて、その場に臨めば悪い結果が出るはずはありません
その二百十五、
イラク戦争を嘆く人
平和が目的なら、その手段も平和でなければなりません
平和を目的としながら手段が争いなら、勝ち取った目的も、争いに揺れ動くことを覚悟しなければなりません
それによって一時凌ぎの平和らしきものが訪れても、国民の安らぎには程遠いのです
奪取したものが国力、軍事力を誇示し、権力欲を満足させたに過ぎません
何が正しく何が正しくないかの区別、区分がつかないというのが現代の諸相のようです
その二百十六、
現代の宗教団体は、道徳修養団体に過ぎぬと考える人
現在の宗教団体は、道徳修養団体です
多くの宗教団体が目指すのは先祖供養、夫婦の調和、親に対する感謝などですが、これは宗教に根ざした道徳であり、真の宗教ではありません
真の宗教は、正法神理を説いて、それによって悟り、霊の向上、人格の完成、人間性の発揚を目指させるものでなければなりません
このように宗教と道徳の違いがはっきりしていないところに、現代日本の宗教界の混乱があるのです
再度申し上げますが、先祖供養をするのは道徳行為をするのですから、朝から晩まで、年がら年中、仏壇の前に坐ってお経をあげたり、念仏や題目
を唱えるのは宗教ではないのです
その二百十七、
いつも怒る人
怒りを発すると血液は酸性になり、胃や腸には、この怒りの精神作用が敏感に響いてきます
心臓などの循環器障害も誘発します
そうなりますと、体に抵抗力がなくなり病気になりやすくなります
その二百十八、
「オーラ」という言葉の氾濫に驚く人
「ヤッは、やばいオーラを発して」などと聞くにつけ、以前とは隔世の感じがします
オーラは仏教においては、後光ともいい仏像の後綸、光背です
キリスト教では、光の翼です
仏像でも光の天使像においても、如来や菩薩、光の大天使や大大天使である高位の観自在者のオーラは、光り輝く黄金の後光や黄金の翼です、同
じくゴールドカラーです
低い底辺の段階のオーラは灰色から暗黒、漆黒です
オーラは心の広さであり、心のまろやかな、豊かな調和された姿そのものがオーラとなって現れてくるのです
その二百十九、
霊能に心が惹かれる人
霊能は神の子として自分が目覚めたときに、二次的副作用として起るものです
霊道の原則はこの一点にあります
霊能者といわれる人の多くは、滝にかかる等の肉体業、荒行により霊感を得るのです
なぜ霊能を得ることが出きるのかと申しますと、あの世の動物霊や地獄の霊から協力を得て霊能を現わします
いうなれば多くの霊能者は、動物霊や地獄霊などの悪霊の配下であり手下です
そういう霊能者は、「畳の上では死ねない」と申しますように、あの世でも彼等の手下となって苦しむのです
このように辻褄は合うようになっています
荒行、肉体業によって霊能を望んではいけないのです
正しい毎日の生活の中から二次的副作用として霊能は起きるということをよくよく考えてください
その二百二十、
どうして日本が繁栄したか疑問の人
近代日本は次のように計画されました
それは、ユダヤ教のモーゼから、古代インドのお釈迦さまの仏教を通って、イエスのキリスト教以来の、正しい心の教えを説くには、この国を選び、こ
の国を繁栄した世界の盟主にするための、綿密な計画がなされました
そのために天上界の計画によって、優秀な霊魂群が、霊団が日本に集うようになっていたのです
この国日本は、山には農地が張り付いている程度の狭い国土に、温暖で人口大国です
いまでは電子立国、経済大国であり治安大国です
この国のカタチを心から祝福せずにはおれません
モーゼ以来の正しい心の教えである神理を、今度はどういう名称で説くかというので決められたのが「正法」でした
正法を説く人は、三億六千五百有余年前に、七大天使と共に今でいうUFO(反重力光子宇宙船)で、緑萌えるうら若き地球に飛来した責任者の名
を、真のメシア・エルランティと呼びました
そして、現代から近い時代では一万二千年前のアトランティス帝国のアガシャ大王です
さらに、二千五百年前のインドのお釈迦さまであり、現代は高橋信次その人だったのです
この国で正法を説くためには、もう一度、天皇制に返さなければならないというので、鎌倉時代には源頼朝に幕府をつくらせ国をまとめ、室町時代に
は北畠親房を出し、そして江戸中期から勤皇思想を起こさせ、江戸幕府は倒れ明治維新へと突き進みました
正法を説く人を、いつ、どこに、どういう環境に生まれさせるかと天上界で会議が持たれたのが江戸時代の寛永ニ年です、
北海道、山形、長野と出生地は変更され、最終的には、長野に昭和二年となりました
環境については、同和問題解決のためにそれを選び、いよいよ高橋信次先生の出生となったのです
しかし、明治政府ができても完全に民主化されません
その心が第二次世界大戦を引き起こし、戦いに破れて初めて民主化された新生日本の門出でした
戦後復興を目指して、優秀な霊団は心を一つにして盛りたて、今では世界の一等国です
ただがむしゃらな頑張りだけでは、これほどの結果はでる筈はありません
日本人の多くが選ばれた優秀な霊魂だからこそ現在の我国があるのです
かってのユダヤのような、選民思想に毒されてはなりませんが、日本人は狭小な島国根性を捨て胸を張り、世界によいことを通して徳をつくり、世界
の誰もが認める盟主を目指すべきです
その二百二十一、
記憶喪失が疑問の人
記憶が喪失して何年も心の放浪を続ける人がいます
そして、本人がある日「私は誰ですか」となります
記憶喪失とは、記憶が失われることをいいます
それでは記憶とは何んでしょうか
人間の体のどこに記憶するのでしょうか
頭ですか、脳ですか?
現代医学の解釈によると、記憶は脳で行われるということになっていますが、
本当にそうでしょうか
全身麻酔による手術後に、不思議な夢を見たと多くの人がその体験を語ります
全身麻酔により脳も完全に麻痺して、その機能も停止している筈なのに、夢が脳に記憶されるのは何か釈然としません
そうです、脳は記憶の通路です、ただの記憶の伝達器官に過ぎないということです
脳がこわれると、見ざる、聞かざる、言わざるの植物人間です
脳は記憶の通路、と理解してください
では、記憶はどこにされるのでしょうか?
皆さんが悲しいとき、どうしようもなく悲しみが込み上げて来るのはどこですか頭ですか?
頭からではなく胸から込み上げてくるはずです
胸の心臓の辺りにあるのが、心であり意識であり魂なのです
心は意識とも魂ともいわれます
念を入れて申し上げますが、記憶は胸にある心であり、意識であり魂に記憶されるのです
記憶喪失は、脳は正常でも記憶する場所、つまり心に記憶されていないということです
五官である手や足や眼や口や体は、その感覚を正しく伝えているのに、また、脳も通路として正しく機能しているのに、肝心の心(意識、魂)に記憶さ
れていないというわけです
心(意識、魂)は我々の五官で捉えられないように、つまり眼でも、口でも、耳でも確認しようがないように、心(意識、魂)は次元の違うものなのです
現世は縦、横、広さの三次元です
異次元とは四次元以降の四、五、六、七…・・次元をいいます
この中でも一番低いのは四次元です
次元の違う心(意識、魂)に、四次元の低い段階の霊(暗い霊、地獄霊、悪霊)が憑くと心(意識、魂)に記憶されないばかりか、憑いた霊のコントロー
ルを受けることになります
端的に申しますとこうなります
次元の違う心に、地獄霊が憑依すると心に記憶が残らないということです
地獄霊が離れると、その間は記憶が残りますから、断片的な症状になります
それがズーッと憑き続けると何年も心の放浪を続けるということになるのです
前にも申しましたように、記憶喪失は脳の病気ではありません
脳がこわれると植物人間です
これを放っておけば死です
でも、記憶喪失により心の放浪を続けても、ちゃんと生きています
先に話を進めます
五次元、六次元の高級霊が憑くとどうなるのかと申しますと、実に爽やかで、同じ人間でありながら慈悲と愛の塊の人間性になります
それはそれは素晴らしいのですが、同類の法則、類は類をもって集まるという法則によって、低い人間性の人に高級霊は憑けません
どうしても、低い人間性の人には低い段階の霊がつくのです
高級霊に憑いてもらって、いや、高級霊の協力を得るからには、自分で自助努力して、自力で人間を磨く以外にありません
ちなみに、高橋先生は九次元の宇宙界、園頭先生は八次元の如来界と菩薩界の中間といわれています
その二百二十二、
宗教に騙されて来た人
(園頭先生の東京中野の講演会から)
四十歳の独身の女性が来られました
若いときから胃腸が弱くて、陽が明るいうちに家を出たのが十年ぶりといわれるのです
胃腸が弱いので医者から薬をもらっても治りませんから断食道場へ行きました
治るまで百万円かかるといわれるので、お金ができませんから、天理教へ行って、生長の家へ行き、金光教へ行きました
変りばえがしないので、催眠術、姓名判断と色んなところを廻ってきましたと、一時間ぐらい話を聞きました
そう言われるので「あなた、失恋しましたね、肉体関係もありましたね」と尋ねますと、ビックリされた様子でしたが、か細い声で「そうです、捨てられました」、と。
それから、誰でも癒してくれる人ならと何人かと関係ができましたといわれる
それからご飯が美味しくなくなったそうです
何もなくてご飯が突然、美味しくなくなることは考えられません
精神的なその罪悪感から起った病気というものは、いくら宗教を廻っても精神的な問題を解決できることはないのです
このように迷える無智な子羊を、宗教を始めとして皆が寄って集って、食い物にします
そこで待っているのがパックリ屋ですね、何もってこい、かに持って来いと、神様仏さまを金集めのダシに使って私腹を肥やします、それはいつまでも
許されることではありません、と。
その二百二十三、
天変地変、天変地異の原因が疑問の人
(高橋先生の講演から)
私は一万二千年前、アトランティス帝国に生まれました
その当時の社会情勢というものをすべて知っております
当時の言葉も知っております
そして、その後私はアフリカのナイル帝国に逃れてまいりました
(註・高橋先生のアガシャ大王としての当時)
アトランティスが陥没したときです
ナイル帝国の一端のピラミッドが、やがて発見されます
その中には、我々の残したものが発見されます
(次は高橋先生の別の講演です)
今から約一万二千年前に、アトランティス帝国というのがありました
その当時、この会場の何人かの人達は、光の天使として出ていました
しかし当時の人民は、その殆どが悪魔に支配されており、このためにこれらの天使の殆どを殺してしまいました
当時は悪魔の姿をこの眼でみることができたのです
アトランティス帝国は一夜にして海底に陥没してしまいました
また、あのローマにおける火山の噴火、それもやはり、当時のイエス・キリストの弟子達、光の天使を殺したために、そのような現象をみせられローマ
は壊滅したものです
これからアトランティス大陸の素晴らしい文化を築いた霊達が生まれてきます
アトランティス大陸の文明は、今の地球の文明よりももっと素晴らしかったのです
その二百二十四、
嘘がつけない人
絶対に、自分には嘘をつけません
人には嘘をつけます都合が悪ければ
嘘がつけないということは神の子の証なのです
嘘のつけない心は、神=宇宙の意識そのものです
その二百二十五、
怒るときと、叱るときの心の違いが疑問の人
自分に都合が悪いと、つい強い言葉がでてしまいます
そうして、自分の心の中を炎で燃やし、他人の心に毒をつくらせてしまいます
でも、他人の幸せを考えて怒る場合は、あるいは叱る場合は、決して心から怒りません
そこには慈愛の心が根底にあるからです
こういう場合は、心臓も脈拍も平常です
怒りに燃えて、自分の都合だけで怒り出すと、心臓は早鐘のように鼓動し、心臓はドキドキ、息はハーハーとなり、こうしたときに正しい判断ができな
いばかりか、心の平安を乱してしまいます
みなさんは、そのとき正しい判断ができるでしょうか?
その二百二十六、
生まれ変わりを心情とする人
先祖代々からの肉体的なつながりの中で、同じ霊がそこに二度と生まれ変って出て来るということはありません、とは高橋先生の弁です
その二百二十七、
クリスチャンの人へ
(高橋先生の言葉)
キリストが肉体を持って出るときは僕が天上界からキリストを指導することになっているのです
僕が肉体を持つときは、キリストが僕を指導してくれるのです
キリストが出たあの時代は、平気で殺人が行われるという非常に乱れた時代でした
そのために愛の大事さを説かなければならないというのでキリストが出て「愛」を説くことになりました
ところが、出ればユダヤの教師やローマの権力に妨害されて十字架にかけられることはわかっていた、だから僕は何度も言ったのです
「今度はきびしいよ大丈夫か」とそう言いましたら
「大丈夫です十字架にかかって復活するという奇蹟を見せないと大衆は信じない、教えを説く期間は短いけれど必ずやってきます」と言ってキリストは肉体を持ったのです
十字架に掛けられたとき、キリストの意識は既に天上界にかえっていたので苦痛でもなんでもなかったのです、と。
その二百二十八、
平成十五年七月十九日のことです
お父さんの住む、九州の都会駅前のこと、集中豪雨が襲います
朝六時にトーフ屋さんの車は雨の中を配達のために店を出て、十五分後にお店へ帰りついたときはすっかり前の道路は冠水してすごい状態だった
そうです
その頃、お父さんは奥さんに起されます
エレベーターの辺りから水の音がするというのです
それはエレベーター機械室へ浸水を始めている音でした
慌てて地下サロンを見ると地下室の半分は水に浸かっていたそうです、音を立てて階段から流れ落ちています、そして天井まで浸水するのには、そう
時間は掛からなかったようです
それから家族全員を起きるように声を掛けられます
どこから手をつけてよいのやら茫然自失の状態です、地下サロンにはプレゼンテーションの機器の宝庫だそうです
お父さんは市内の幾つかの公共の施設を利用して、巡回の正法のビデオ上映会に使用した、思いでのプレゼンテーション機器の宝庫でした
OHP機器二台、スライド・プロジェクター、デジタル・ビデオ投射機二台、ビデオプロジェクター四台、テレビ四十二型、二十ニ型、十四型テレビ三台、
防犯カメラ二台、オーディオアンプ二台、ミキサー二台、BOSEスピーカー六台、国産スピーカーニ台、ハンド拡声器一台、車載拡声器二台、車載ア
ンプ一台、残響装置、冷蔵庫、除湿機、ミニコンポ一台、CDプレヤー一台、LDプレーヤー二台、VHSビデオプレーヤー、ベーター・ビデオプレーヤー
DVDプレーヤー一台、Uマチック・ビデオプレーヤー一台、ディスク・パソコン・ノート・パソコン類多数、リズムボックス一台、通信カラオケ一台、通信
携帯カラオケ一台、八ミリ映写機一台、十六ミリ映写機一台、ビデオカメラ二台等、プリンター二台、コピー機一台、オシボリ温熱器、プレゼンテーショ
ン機器のキャスター付き荷台、
定価ベースで一千万円上、減価償却を考えて実損六百万円上と息子さんは評価されたそうです
これに内装は壊して裸のコンクリートむき出しですから、かなりの損失のようです
この部屋で正法の集まりをされたこともあるそうですから、正法の情報がビッシリの空間でした
大変な損失を被ったのは、高橋先生、園頭先生の多数の講演テープ、ビデオ、正法の写真、カラースライド・フイルム、OHPシート、ポスター等のソフ
ト部門の水没です
お父さんの周辺では立体駐車場の水没、床上浸水など多数の被害が出ましたが、大きなビルを除いて個人的な被害では、お父さんの家が大きなも
のに部類されるそうです
この地域の四年前の洪水では、地下への浸水の直前で水は止まり、そのときはフロアーの絨毯と、壁紙の張替え程度で、大した被害ではなかったそ
うですが、今度は思いもかけず大きな被害に、お父さんもたいそう動転されます
九州の最大都市の、最大駅の駅前洪水ですから、著者もにわかには信じられません
駅前幹線道路で今回も鯉がわし掴みされています
駅のコンコースや地下鉄の水没なので著者も耳を疑いました
お父さんはここに住んで三十年余りだそうですが、パンツ一貫で駅のコンコースを歩いたのは始めての経験と、悲しみの中で、唯一、愉快な行為と話
されています
「そのような格好で、どちらへ!」と奥さんから小言をいわれたのは言うまでもないようです
それから、息子さんが手配した汚水ポンプ四台を使って、まる一日半を要して排水は終わります
大きなビルでは、大型トラックの専用車を利用して排水していたようです
いわれなき原因があるからそこに何度も洪水は起こるのです
その地区に局地的なドカ雨が降ると河川だけでは排水しきれずに、陸地に向かって大水は襲いかかるのです
新聞では四年前を教訓に護岸工事を進めていたようですが、都心に近いということもあって、地域住民のエゴがまかり通ってか土地買収が進まず
未工事が沢山あるというのです
この事態を受けて市長は、遊休池をつくり溢れる水は、そこで調節するようですが、地域エゴが解消せぬ場合は、天はそれを上回るドカ雨を降らすの
かな、という考えが著者の心を過りました
この地方大都市には、八時間に総雨量がわずか五十ミリ程度、近郊では三百六十ミリも降っているのにです
ということは、この地区だけにバケツを引っ繰り返したような集中豪雨が一瞬だけ襲い、河川から溢れ出た水が一気に駅前に押し寄せたということの
ようです
問題は総雨量ではなく瞬間雨量で、ダラダラの雨はゆっくりと排水して問題は起きません
その時お父さんは豪雨にも気付かず、白河夜船でした
近隣の人達の話しを総合すると、土砂降りは二時間余りというのですから、如何なものかおわかりでしょう
警戒水位から危険水位をアッというまに突破して市民への通報が後手に廻ったようです
洪水から1週間、市民は、役所に対して怒りと不満のルツボだったそうです
お父さんの所は大惨事でしたが、役所も撤去した被災物も速やかに処理、消毒も手際良く済まして下さったので、奥さんが担当の人を名指しで呼び
出し「ありがとうございました、お陰で助かりました」とお礼を述べると、「お礼の言葉と取っていいのでしょうか」と意外な言葉を聞くことになります
「お叱りの電話ばかりで、またかと思いました」、と途端に明るくなられたそうです
お父さんは、「よく、そこまでやれたね立派だよ、担当の方も勇気付けられたろう」と奥さんを褒められたそうです
次はお父さんが過去に見られた夢のことです
三十年ほど前のお父さんの夢では、家の窓からゴムボートに乗り、漕ぎ出すというもので、その当時は駅前のこの地に、万に一つも有得ないと考えて
おられたそうです
ところが、あれから二度も洪水に見舞われているのですから、この先どうなることでしょう
また、奥さんはこの一,二カ月前に、これらしい夢を見られ、息子さんへ話されていたそうです
元へ戻ります
四日目には内装を壊してコンクリートだけになります
保険金の査定はかなり厳しいそうです
最初は評価が、百万円というのですからお父さんは耳を疑われました
それから再度の査定見直しにより査定は上がり、仕方ないでしょうということになります
保険屋さんの補償額提示のコツは、最初は相手に驚くような低額な提示をして、徐々に上げて、ついには、増えて儲かったと思わせるようにする、と
いうのが保険屋さんの手かなと、お父さんは理解されたそうです
夏のこの時期、高温と湿気で衛生は最悪であり、「もう、その金額でかまいません」と諦める、ということになります
人間、「もうこれでいい」という諦めも必要です
査定が始ってその翌日には終了したそうです
保険屋さんも沢山の補償を出したいと思っても、被災規模が大きすぎると収支のアンバランスに頭を痛められるのです
査定する人も、手が足りずに東京からの応援らしく、それはそれは大変のようでした
「こちらは静岡より酷いようです」、と、全国を飛び回っておられるようですから、詳しいのです
交渉に当たった息子さんは「いい査定員さんだった」と言います
それから水没した器械や家具は道路に積み上げられ、長さは十五メートルにもなり、ようこれだけのものが、あの部屋に詰め込まれていたと驚かれ
たようです
そして、工事の人夫さんが運び上げている姿が、監視カメラから見え、こうして、被災したゴミの山は、お父さんの三十年の思い出と共に、ガレキとな
って去って行ったときは、しんみりされます
この頃にはエレベーター、電話の復旧も終わり、やれやれ一段落というところだったそうです
お父さんが園頭先生の形見分けのように戴かれた木の根っ子の調度品は、息子さんが丁寧に泥を落としてくれ、唯一、記念に残ったそうです
機器も内装も全部なくなった地下室で呆然と立ち尽くされたお父さんは、これからどうするか思案されます
僅かばかりの補償金ではどうにもできません
お父さんは特別な技能はありませんが、器械いじりや電気いじりは大好きで、お手のものです
工具もプロ顔負けのものが、長い期間をかけて揃えてあるそうです
そこで、お父さんは自分でできるところまでやる、と決心され準備に取りかかろうとされると、家族全員から「それだけはやめて下さい」と阻止され、交
代で監視されます
「お前達は、俺を拉致するのか」と、お父さんです
子供たち全員が「貯金も全部出すので使っていいから」、と説得したそうです
というのが十数年前、お父さんは大型台風によるグラグラの看板を切り倒して、病床についているので、その二の舞を心配してのことでした
そこでお父さんは、早めに床につかれると、皆が寝静まった頃を見計らって起きだし、地下室へ下りて行かれると「お父さん!、何を始める積りです
か、あなたに振りまわされ心も休まりません」と奥さんの声でした
これでは何も出来ぬと諦められ、お父さんは工事屋さんに任せることになります
でもヘドロだけはどうにもなりません
あのニオイは、すぐに取れないので、お父さん自慢の次亜塩素酸ソーダー、つまりハイター等に入っている殺菌、漂白作用のある薬剤の五パーセント
ものを電動噴霧器で撒くと、一瞬のうちにニオイはかき消えたものの、薬剤のニオイと薬理作用により、目はシパシパと潤んで家族全員からブーイン
グだったそうです
最大の利点は、それを撒いても、いずれは塩と水になるのですから、水は蒸発し塩だけが残ります
撒いたところは、塩魚などの塩乾物のように腐敗しにくくなるので永続性があります
環境に無害で優しいのですが、塩ですから鉄がサビたりします
この次亜塩素酸ソーダは、エイズ、肝炎の消毒にもなり、原料は塩ですから安価で無尽蔵なのが取得です
そして、あの洪水から1週間の間に三度、一瞬の豪雨が降ります
また浸水かとお父さんは不安もよぎられますが、道路からヘドロを完全に消し去ることはできなくとも、天はありがたいなあと思れたそうです
住民に反省のために洪水という鉄鎚を加え、その後は何度か雨を降らせて ホコリや汚れを優しく洗い流すのです
街ではヘドロ落しと、店舗や家庭から出る浸水家財道具などの搬出が終夜まで続きました
次は上水のことです
お父さんの家では地下に貯水槽があり、塔屋にFRPの貯水タンクがあります
この二つの貯水によって、当地の大渇水で市民が大難儀をしたときも、周りの人達に気を遣う位いに、水は潤沢でした
ところが今度ばかりは様子が違ったそうです
地下に水が怒涛のように流れ込んできたとき、お父さんは洪水を初めて知るのですが、そこでお父さんが第一番に取られた行動は、地下の貯水槽
から塔屋の貯水タンクへ水を上げる揚水モーターの電源を切られたそうです
これはどういうことかと申しますと、地下に洪水が流れ込んで、きれいな筈の貯水槽が汚染されているので、貯水槽は使えません
都合のいいことに、貯水タンクはそのとき満水に近い状態でしたから、揚水モーターは昨夜から洪水まで一度も作動しておらず、地下の汚染水は貯
水タンクに一度も混じっていません、きれいなままです
そこで揚水モーターの動力二百ボルトの電源を切っておけば、モーターは作動せず貯水タンクは守られると判断して、お父さんが第一番に取られた
行動の理由というのです
仕事の関係から上水は極めて大事な要素ですから、そこにすぐ目をつけられたのは「さすが」と自分でも褒めておられます
それから上水を確保するために、一階車庫についている水道管直結の蛇口から加圧モータをつけて地上二十メートルの貯水タンクへ水を上げようと
考えられ、それからモーターを購入するためにお父さんは器械屋へ走られます
器械屋は車で往復二十分のところです
往きは訳もなく着きますが、帰りは隣県の大水の余波により高速道が閉鎖されて、高速道の全車両が一般道に流入したため大渋滞を引き起こし、
昼過ぎに家を出て帰りついたのは夜の八時で、延々六時間の行程だったそうです
二十分が六時間ですから、いかに渋滞したかお分かりでしょう
車は動きませんから、車のクーラーが廻りっぱなしではバッテリーが上る可能性を心配して、蒸し暑いのにクーラーを止めてウインドは開けっぱなし、
車内には周りの車の排気ガスと、ヘドロの汚臭により最悪の状態だったそうです
お父さんは口もきけないほどにゲンナリして家に着き、それから一休みして工事に取り掛かられ、加圧モーターにより上水が確保されたのは深夜で、
これは、洪水から十六時間後のことでした
それから、余裕を持って数日後に、貯水槽や地下室の高圧洗浄、消毒が業者によって完璧に行われたということです
その貯水槽洗浄についてです
上水が確保されてから十日後のこと、ヘドロが流れ込んで貯水槽は汚染されていて、復旧まで時間がかかるのでそれから毎日、消毒薬を撒き、お父
さんはそれ以上汚染しないように、汚染防止に力を注がれたそうです
高圧洗浄機が設備された業者のトラックも来て汚水の排水と洗浄も終わります
完全にきれいにされた槽に上水も満々と貯えられ、揚水ポンプも唸りを上げて廻い始めます
ところが何度やってもダメだったらしく、水は上がらないままに、「後はポンプ屋に任せる」と言って業者は帰ってしまったそうです
それを聞いたお父さんは、独り言のように「空気は抜いたのかな」とポツリと囁かれます
水を上げるのに空気抜きをしなければ水が上がらないのは基本です
三十年も住んでいられるお父さんは、家の器械一つ一つに詳しいと自負されるだけに自信があるようです
水中ポンプなら電気を入れると、すぐに水を吐き出します
ポンプの位置が水より上にある場合は空気を抜かない限り屋上の貯水タンクへは上がりません
ポンプ屋さんが来て直に水は上がりますが、お父さんが「洗浄屋さんはポンプの空気抜きはされていましたか」、と尋ねますと、ポンプ屋さんも答え難
そうでしたから、それ以上はお父さんも問い詰めなかったそうです
貯水槽に自動的に水を出したり止めて、貯水をコントロールする浮が壊れているのでボルトアップの修理をしてもらい、水はこれで全部終わります
次は仕事場の絨毯貼りです
職人さんは朝早くから来ているのに、責任者がまだ来ません
そのうちに責任者は来ますが、絨毯がまだ届きません
古い絨毯は剥ぎ終わりますが、これから貼る絨毯が来ないので職人さんも責任者も手持ち無沙汰です
それまでには、お父さんのスタッフも絨毯剥ぎを手伝って汗を流しています
仕事も休んでこの日に備えたのに、お昼になってやっと絨毯貼りが始ったそうです
今度は裾に貼る巾木の寸法が足りません
「二度も寸法を測っていたのに」と度重なる問題に、発注した息子さんも困惑気味の様子です
その内には、有合わせの材料でその場しのぎをして、夜になってやっと全部終了します
大水から二週間後の事です
水工事も絨毯貼りも終わり、地下の排水から二週間も経つというのに、それでもジュクジュクとコンクリートにしみ込んだ水が漏れ出るので、拭いても
拭いても漏れ出るのにはお父さんも閉口されたそうです
換気は別の電気の回線を利用して、二十四時間ぶっ通しで連続運転をしています
消毒も噴霧器でコマメにやっているので、臭気は問題ありませんが、水ばかりはバケツ数杯がお父さんの悩みの種です
倉庫には過去に使った工業用の大型扇風機が二台あるのを思い出して地下に設置してまわし始めます
そうしたある日、園頭先生の奥様からお見舞いの電話だったそうです
「本など無くされたことでしょう、主人の本を利用して下さい」
というお言葉に、お父さんは感涙されたそうです
お父さんは最後に次のように言葉を閉じてくれました
「私の正法へのイバラの道は、これから新たに続くのでしょうが、「古き皮袋に新しい美酒は盛るな」の譬えのように、前進に向け、すべての執着を捨
て、高橋先生が亡くなられたとき園頭先生がなされたように、私も新しい靴を履いて一歩を踏み出すのです」、と。
その二百二十九、
人格者
究極の人格者は、怨みをもって怨みに報せずの心境の人です
その心境の人は、調和を生み出すばかりでなく、菩薩の心です
作用、反作用の法則によって、それが自分に帰って来ることを知ったならば、自分自身の思うことと行うことを反省することが最も大事です
どんな小さな問題でも、原因と結果というものを知り、判断を誤ってはなりません
その二百三十、
真の学者
学問は、より豊かな知性を磨き、品性と教養を高め、自然界の諸現象を通して片よりのない判断をして、人間の大調和を目的としたものでなければ
なりません
それを目的としたとき、文明は人間の幸福を、一番重要なものとして考えられるようになります
そのことを、知った人が究極の学者です
その二百三十一、
近親相姦の人
母と息子、父と娘など色々なケースがあるようです、
このような関係をルナ、ムーンやお月さん等と呼ぶようです
ご存知のように、月は太陽光が反映され、反射したものですから、表舞台の陽ではない日陰のものという意味でしょう
これを、「おぞましい」という言葉で表現できます
心がねじけていて、考えただけでもゾッとするという意味でしょうか
母と子の場合を例にしますと、母と息子が性的な関係があることを言います
親子がそういう関係になるのですから、普通では考えられません
普通では考えられないことをするのですから、そこには秘められた問題が潜んでいると考えられます
犬、猫など畜生と呼ばれる動物は、本能のままに生かされており、種族保存のために、発情期ともなると、親、兄弟、姉妹など見境いなく交尾します
発情期を過ぎると嘘のように静かです
でも、万物の霊長である人間の場合は、知性も理性も兼ね備わっているので、性行為は自由に任されています、それはあなた方の自己責任に委ね
ましょうと言うことです
ですから人間に発情期はありません
その知性も理性も在る人間が、どうして、おぞましいことを行うのかと申しますと、それは当事者に動物霊が憑依した、つまり畜生の霊が憑(つ)いたと
いうことです
憑くと申しましても、向うから勝手に憑くことはできません、心が平常心の人には、憑くことはできません
それでも、憑くということは、そこに動物と同類の心、動物と同じようなねじれた心があるから、普通では考えもつかぬことが起きるのです
人間である筈の人が、なぜ動物のような心を持つのかと申しますと、それは親の育て方、教育、社会環境など、本人を取り巻く全部が、その因子とし
て複雑に絡み合って働いています
この心のねじれを治す処方箋は、まわり道のようでも心のあり方を、一から修正させる以外に道はありません
事件を起こせば拘束という方法もありますが、一念三千といわれる心を正しく拘束するには、正しい人間の道を教えるしかありません
それは同じ時代と同じ国に生きる者の責任なのです
その二百三十二、
戦勝祈願をする人
戦争は人間が考え出す不調和な想念行為です
戦勝祈願というものは、、勝負を争う場合、スポーツを除いて人間の行為ではありません
神仏は常に中立ですから、どちらへも加担しないのです
親が子供の喧嘩を平等に判断するように、偏った、えこひいきをしないのが、両親の愛ではないでしょうか
その前に、親は子の争いを望みません
まして、神は戦争など好む筈もないのです
その二百三十三、
戦争を煽る人
戦争は、国どうしの自己保存、自我我欲の人間が考え出す想念行為です
人間の肉体を破壊するばかりではなく、他人にも同じみじめな思いをさせ、罪なき人々の心に不安を与えます
何一つ人間にとって善いことのない行為です
戦争は人間がしてはいけない、人類最大の犯罪です
その二百三十四、
地獄が気に掛かる人
(高橋信次先生の記述から)
私は、禅定のまま意識が抜け出して地獄界に行くことがたびたびある
そこは、地上界では想像もつかないないような陰惨な場所で、暗いため緑の色も黒ずみ、日の当たらない、いつもジメジメしたところである
私がそこへ行って、その住人と話をしたときのことである
住んでいる者達も、とてもまともに見ることはできない、鬼のような顔をし、口は裂けたといった残酷な形相をしている連中である
この世界には慈悲も愛もなく、魔王の絶対的支配下におかれている
私に対しては、ある者は、「お前の腕をよこせ」といい、またある者は、「尻の肉をよこせ」などとひどいことをいい、ものすごい形相で脅迫した
私は、さからわずに、「どうぞ、欲しいものを上げよう」と身を与えようとする
すると、彼らの顔は普通の人のそれに変ってしまう
その二百三十五、
三位一体を掲げる人
三位一体は、キリスト教で使われる言葉です
神とイエス・キリストと教会の三つは一心同体、一つのもの、というようです
高橋信次先生は、「神の名のもとに、モーゼ、釈迦、イエスは三位一体」これが真実と訂正されたのです
その二百三十六、
心の状態にも色があるのを不思議でならない人
心の状態によって後光(オーラ)の色が違ってきます
怒りの心は炎に包まれ、赤い光が体から発散しています
愚痴の心は灰色がかった暗い色が出ています恋愛に心を乱し、理性が働かないときはピンク色が発散しています
人を呪い、野心や欲望に燃えているときは、黒色かねずみ色に変っています
これらは心をスモッグでおおい、神の光をさえぎるため、心に毒をつくり、肉体的にも病気の原因をつくります
人間にとって一番よい心の状態は、淡いゴールドカラー(黄金色)です
その二百三十七、
こうすれば「成功する」という人と、こうすれば「失敗しない」という人
失敗を頭において、こうすれば失敗しないと常に考えている人の心の仲には、
常に失敗を心に画かれているので、必ず失敗するのです
「そうなりませんように」と心を小さくすることはありません
心を大きく大きく、明るく明るく、大自然と大調和するには、どうすればよいかを考えて懸命に実行していけばよいのです
こうすれば成功するという人と、こうすれば失敗しないという人は、前者の、こうすれば成功するという人の方が成功率は断然高いのです
その二百三十八、
憑依を標榜する人
霊はそれほど憑くのでしょうか?
憑く理由がない人には、そう簡単に霊が憑依するものではありません
憑くには憑くだけの理由があります
そこには「類は類を呼ぶ」、「類は友を呼ぶ」、「同類の法則」が働いています
驚くことに高橋先生は「病気の七十五パーセントまでが憑依霊による」と言われています
高橋先生は、あやふやなところが一つもない、誠実な方でしたから、実際はそれよりも多い八十パーセントに近いと著者は考えています
と申しますのも、高橋先生は、そういうことに詳しい天上界の天使達に、詳しく尋ねられて弾き出された数字ですから、少し控え目な数字と著者は考え
ています
それにしても七十五パーセントとは、すごいと思われませんか
その二百三十九、
恐怖感の強い人
恐怖感は、きわめて心理的な面が強いのです
いうなれば暗示にかかりやすい人は恐怖感も強いようです
男性と女性とどちらが恐怖感は強いかといえば、女性です
ことに、思春期はもともと不安定な時期で、この傾向が強く現れます
物事に対する女性の彼暗示性はきわめて高く、したがって恐怖感も強いのです
こうした意味で恐怖感は、自分の生活を守り、ハメを外さないブレーキの役を果たします
しかし、その根底にあるものは、生に対する執着です、生きたいという本能です何が何でも生き長らえたいという心です
このように本能的な執着が恐怖感となって現れるようです
私達はこの本能的執着がまとわりつくかぎり恐怖感は容易に消えません
恐怖感は自己保存の現れであり色々な形で現れます
人前に出られない、イヤな人に会うと心が揺れる、学校に行けない等、いずれも恐怖感の現れです
それは自己保存というエゴの意識がそうさせます
自分をよく見せようとする心の動きも、実は同じなのです
そこで、本能的執着から離れて恐怖感から解放されるには、高橋先生は、
「反省と実践によって、正法を体験的に深めていく以外にありません」と教えられたのです
その二百四十、
物の概念が気に掛かる人
手に触れるものはすべて、光、熱、電気、磁気、重力の相互作用によって、集中、分散をくりかえし、エネルギーの集中固体化したものです、物質ともいいます
「もの」は目に見え、手で触れることができる存在です
般若心経でいう「色・しき」です
現象界、この世、現世、物質界、地上界にある、眼で見え、手で触れるものすべてを「もの」というのです
一方、金力、権力、暴力、体力、気力というように、それ自体はそれほど大きな力を発揮しませんが、それが意志の働きで行使されると大きな力を発
揮します
例えば、お金を使うと金力です
体力を破壊的に使うと暴力です
筋力を永続的に使うと体力です
権威、地位を行使すると権力です
意志の永続的な行使は気力です
こうした、意思、意識の作用があってはじめて力を発揮する世界を意識界、実在界、あの世、四次元の世界といい、般若心経でいう「空・くう」といいま
す
その二百四十一、
法力と霊力、魔力の違いが疑問の人
法力も霊力、魔力も、何かの意思、意識の作用によってエネルギーの力を発揮しますが、法力は、他を生かす、慈悲と愛の発意によってのみ行使さ
れるものです
心の歪を持ったままで「霊力」を行使すると、やがてその反動は、その人をうちのめすでしょう
法力、霊力、魔力というものは、外見が非常に似ていますが、法は調和です
法力と魔力の違いは、欲望という執着があるかないかです
心に欲望を満たして行使するのが「魔力」です
力を望まず力が生み出されるもの、それが「法力」です
その二百四十二、
植物人間
生命は生きているもの、広い意味では「ものの用に役立っているもの」を指します
生命には動的生命と静的生命の二つがあります
動的生命とは、個性を持った、行動の自由性を持ったもの、つまり人間、動物がそれです
静的生命には植物、鉱物があります
一方、人間の場合は、魂活動を支えている念体エネルギー(光子体という)が動的生命であり、その念体を包んでいる肉体が静的生命といえます
こうして、植物人間というのは、魂活動を支えている念体エネルギーである光子体、つまり動的生命は正常であるのに、その念体を包んでいる肉体、
つまり静的生命がこわれたものを植物人間というのです
その二百四十三、
永眠を信じている人
死を称して永眠といわれますが、残念なことに、永眠などということは絶対にないのです
この世とは違い、苦しければ薬の助けで、その苦しみからいっとき解放されます
ところが、あの世はそうもいかず、その苦しみからのがれるためには、自分の苦しみを自分でとり除くしかありません
今日は平成十五年七月十八日です
関東では女の子四人を部屋に閉じ込め、男が一人自殺していました
心を楽にしょうと考え自殺したからといって、心は楽にはならないのです
あの世で自殺を再演して、つまり七輪を用意し、その行為を続けるのです
この世では死ねますが、あの世では死んでも間もなく再生して、本人が悟るまで、自覚するまで真っ暗な光の届かぬ世界で苦しむのです
この1週間前には長崎で幼子が中学生に、裸で突き落とされました
ある政治家は、「引き廻わしの上…」と、両親の育て方の責任を追及していました
あの時間に、あの場所に二人が行かなければ事件は起きませんでした
酷なようですが、二人が出会うという縁から逃れられなかったということです
出会うという縁は、この世に原因がなければ、過去生で、あの世で必ず原因はあります
先ず、この世の原因です
中学生です
十五歳以下の場合は、全部親の育て方に原因があります
両親や家族の問題です、仲の悪さです、家庭内はゴタゴタが絶えなかった筈です
新聞や週刊誌は、中学生の行為を「おぞましい」と表現していました
おぞましい行為は一回ではありません
初めてなら、問題は表に出ません、それが神の慈悲なのです
何回もおこなっているから、大きく表面に出ます
中学生は、これからの人生の中で、大変な罪の償いをするのですから、それは当然です
家族も親族も、これから反省の人生になるのですから、それも仕方ありません
幼児です
幼子を亡くすということは、十五歳以下の場合は、両親、おじいちゃんおばあちゃんを含めた家族の不調和です、仲の悪さです
見せ掛けではない真の仲です
いくら仲が悪いといっても、短時間ではありません、これだけの衝撃的な問題が起きるからにはかなりの間です
お父さんはテレビで無念さを語っていました
我が幼子が無惨にも殺されたのですから、心中の悔しさは察して余りあります
でも、どんなに相手を極刑にしても、どんなに切り刻んでも、可愛な我が子は元気に戻ってくるわけではありません
だとするなら、「哀れなヤツよ」と相手を許す以外に心が安らぐことはありません、「辱しめによく耐え忍ぶ」という忍辱(にんにく)の心です
忍辱の心は、高人格、超人間性の人の持つ心です
すぐにはその心にならなくとも、心を安らがせ、一日も早く幸福になってもらうためにも、そう願います
その二百四十四、
双生児
双生児は魂の似た人がなります
一つの魂が二つに分裂して双生児となることはありません
双生児は体も考え方も、仕草も似ています
そして、カルマも非常に似ているので生ばかりでなく死まで似てしまう場合も起るわけです
話しはかわりますが、いくつか本も出して、特許をいくつも持ち、水をブクブクと酒に変える等の霊能を現わす、有名な科学者がいます
特許の部分は、特許を取れるくらいですから、さすがと思いますが、どう考えても、この方は動物霊にコントロールされていると思われる記述が、いく
つも見られます
その一つに彼は「自分は高橋信次氏と魂が二つに分かれた者」という畏れ多い書きぶりなのです
この方は問題点をあげると長い論文になる程ですからこれくらいに止めます
これは双生児ということではなく、高橋先生と彼は魂の兄弟とでも言いたいのでしょう
この類の人は、この世に一杯いて、本が1冊書けるくらいです
これは高橋先生の偉大性に便乗した宣伝行為です
足ることを知らぬ欲望と名誉欲一杯の行為です
その二百四十五、
隠遁生活者
中国の古典思想には、ものの用に立たないことが生命エネルギーを保ち生き長らえるとして、隠遁生活を最良の道と心得違いをしている人もいるよう
ですが、よくよく考えないと、執着と愛の行為を混同したり、ものの曲直が不明になり道を誤ってしまいます(高橋先生)
その二百四十六、
神の能力が疑問の人
神の能力は自由、創造、慈悲、愛です
神の子である人間も神と同じように、自由、創造、慈悲、愛を顕現するようにつくられています
その二百四十七、
心が疑問の人
心は、本能、感情、知性、理性の四つから構成されています
本能は食本能、性本能等というように、これが過度になると動物的になります
感情が過度になると怒りに燃え破壊につながります
知性が過度になると温かみのない冷酷な人間になります
理性が過度になると小さな人間をつくりあげます
人間は、この四つの領域がそれぞれに中道調和でなければいけません
その二百四十八、
敗者
優劣をつければ、強い者も弱い者もいて当然です
一番がいればビリもいます
人間は持ちつ持たれつだから、よいのです
弱い者が過度に勝とうとすると、そこに執着が生じ、心の安らぎには程遠いのです
敗者は負けても、その懸命に励んだ努力に対して、自分で自らに祝福を与え称えればよいのです
高知競馬場では、九十一連敗が続くハルウララという馬に魅せられ、人気沸騰中だそうです
人間は負け組みであっても、その人がそこにいるだけで人を和ませ、勇気付ける人もいるように、勝負の世界ならイザ知らず、人間界に過度の競争
原理はご法度です
その二百四十九、
反省、反省と口癖のようにいって心を暗くしている人
反省は自己をみつめる内向的な作業です
この内向的な作業を急に徹底させようとしますと神経が緊張し心が暗くなる傾向があります
こういうときは楽な気持ちで三日に一度、あるいは、週に一回まとめて反省しまてもいいし、また、一つのテーマにしぼってもよいと思います
余りにも暗くなり、行動が消極的になる場合は、どこかに、あせりや欲望、ものに執着する何かがあるからです
反省の目的はものの真実を知ることです
ものの真実がわからないから迷いや苦しみがついてまわります
行動が消極的になる、心が暗くなるということは反省の目的が違っており欲望にとらわれているということです
その二百五十、
キリスト教と生まれ変わりが疑問の人
聖書にも転生輪廻(輪廻転生)、つまり、生まれ変わりが述べられています
弟子達が習ったこともない言葉でペラペラと喋るというのは、異言つまり、過去世の言葉を喋っているのです
イエスは生まれ変わり、そのものについて語っておられないのは伝道期間が短かったことと、転生輪廻の認識が、当時の人にとぼしく、それを説くと
誤解を招くということもあったからです
しかしイエスの神理の中に輪廻、循環は随所にみられます
「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶるなり」
「汝ら人を審くな、審かれざらんためなり」
「汝ら人の過失を免(ゆる)さば、汝らの天の父も汝らを免(ゆる)し給わん」
などです
その二百五十一、
バプテスマ(洗礼)と反省が疑問の人
バプテスマ(洗礼)を受けなければ救われないというのはザンゲをいっており、洗礼とはザンゲを意味しています
ザンゲとは反省であり、過失をあらためることです
ザンゲ・反省の証しが洗礼・バプテスマというかたちをとったわけです
その二百五十二、
「魔がさす」ということが疑問の人
身近な問題で、よく魔がさすといわれます
これは、どういうことでしょうか
不孝なできごとは地獄霊、つまり魔が寄ってきて、想像もつかない大事故を引き起こします
魔がさすにはさすだけの理由があって、日頃、人を憎み、怒りに心が揺れていますと、なにかのはずみでそれが爆発して大事件に発展するわけです
原因は、もともと自分にあるわけですが、その原因をよりどころに悪魔が忍び寄り、自分でも想像もつかない大事故となるわけですから、地獄霊を正
しい方向へ向かわせるためにも、悪の原因をつくらないようにしなければなりません
魔がさす、つまり魔が寄ってこないようにするためには自分を正し、正しい生活をする以外にありません
その二百五十三、
深海と地獄界の比較が疑問の人
海の三千メートルまでは、太陽光が辛うじて届きます
それ以上は暗黒の世界になります
深海一万メートルでもクマヒトデ、イタチウオという魚が生息しています
では、どうしてこれらが生存を可能にしているかと申しますと深海魚やプランクトンの中には、昼と夜とで垂直移動を行い、夜になると海面近くに浮上
し、昼は海底深くもぐって生活するものもいます
すなわち、太陽の当たる海面上に浮上し、生物をあさって再び海底に潜るのです
また浮上しない生物にあっては、浮上した生物を餌にして生きており、間接的に太陽の恩恵の下に生きています
この意味で、一万メートルの深海魚といえども、太陽光からまったく隔絶した暗黒の中で生息することは不可能です
一方、
地獄界はあの世の太陽の光はまったく当たりません
光が当たらなければ生きることができません
そこであの世の地獄界の住人は、この世の悪の人間からエネルギーを吸収して、暗黒世界で生きています
こういう意味で、この世に悪の人間がいなくなると、あの世の地獄界も存在できませんから、あの世もこの世も「悪」はなくなるということになります
地獄救済は、この世が調和して、互いに助け合い補い合う世界をつくるのです
その二百五十四、
PTSDに悩む人
PTSDとは、死傷者が出るような事件、事故に遭ったり、目撃したりした場合、その後に睡眠障害、拒食,過食や体験がよみがえるフラッシュバックな
どの症状が起きることと説明され、阪神大震災に出動した消防隊員に出たことでも知られています
死人が出ると、死者は死ぬ覚悟が出来ていないのに、突然の死を迎えるので、自分が死んだことも自覚していない、この世に執着している人ばかり
です
そうなると、死者は苦しんだあげく誰かに助けを求めます
例えば救助をする人や、これはという人にワラをもつかむ思いで助けを願います
あの世の霊に助けを求められると、現場の悲惨な状況がいつも、いつまでも思い出されて、多くの場合は寝つきが悪い、熟睡が出来ないという睡眠
障害としての症状が出たり、心の鬱積が拒食、過食として出る場合があります
この症状が酷い場合は憑依です
軽い場合がPTSDなのです
阪神大震災の場合は五千人からの人が亡くなっており、あの世でもパニックだったと思われます
ガレキの下や中から、炎の中から、いたる所で、それはそれは酷い状態が展開されたと推測できます
助けを求める霊が多くいる中て、そこへ仕事とはいえ、多くの人が総出で救助された上にPTSDになられたのですから気の毒といわなければなりませ
んが、そこに従事した人全員がPTSDではないということも真剣に考えなければいけません
これはどういうことかと申しますと、強い恐怖感を持っ人に特に多く出るということと、死人と同じような心の状態の人に同じような霊が頼るというのが、
霊界の法則ですから、このような現場に従事される場合は、仕事を終えたら気分をすっかり変えて、明るく快活に生活して欲しいのです
それと同時に、現場を指揮される責任者は、従事する人のローテーションをこまめに代えて、できるだけ短期間にするとその影響も少ないと思います
その二百五十五、
コックリさん遊びに興味を持つ人
コックリさんは、あの世の霊です
多くの場合が、動物霊か人間の地獄霊です
興味半分に「コックリさん」と呼べば、本当に来ます
いろいろな当てごとに、協力もしますが、普通はその対応が我々にはできませんので、「さわらぬ神にタタリなし」というように、安易に興味を持ってはいけません
酷い場合は、呼んだ霊が帰らずそこに留まって、コックリさん遊びをした人の意識が何日も戻らず大騒ぎをした例もありますので、よくよく気をつけてく
ださい
その二百五十六、
正法に生きる人
正法は、@神は存在する、神はおわす、A原因と結果の法則、B循環の法則、C魂の永遠性(転生輪廻)、D慣性の法則(心の傾向性、カルマの法
則)の五つです
この五つの法則を基準として、物にとらわれがなく、自分を生かし他を生かす、中道の生き方をする人です
その二百五十七、
自己本位に生きる人
人はどうでも自分さえよければよいという人は、エゴ、執着、足ることを知らぬ欲望、この三つを特に強く持つ人です
その二百五十八、
中国の三峡ダムが気掛りの人
万里の長城以来の国家プロジェクトといわれる三峡ダムは、度重なる長江の氾濫を鎮めると共に電力を供給する中国、希望の光です
中国に、もしもイワレなき問題があるとするなら、近隣諸国から雨雲を集めて、その流域にこれまで以上の超ドカ雨を降らせることなんてワケはありません
壊滅する前にその国に潜む悪因を取り去れば、適度な雨と、豊富な電力は約束されるのです
その二百五十九、
涅槃寂静の人
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の人とは、一切の執着が去った姿をいいます
これは絶対安心の釈迦の境涯をいったものです
我々もいつかは、この境涯に到達しなければなりません
その二百六十、
解脱の人
解脱とは、人間の宿命的な業(カルマ、心の傾向性)から離れたことをいいます
解脱の人とは、相対的な業想念にふりまわされず、中道の道を歩み安らぎのある生活をして行く人です
その二百六十一、
五官の人
五官というのは@眼、A耳、B鼻、C舌、D身(体)という肉体の一部です
五官は純然たる肉体をさします
五官の人とは、この五官によって感じたままに行動する鬼畜のような人をいいます
いやしくも人間といわれるからには、この五官に、知性と理性を兼ね備えているので、人間をして万物の霊長といわれるのです、
その二百六十二、
心の迷い六根の人
五官を通じて生ずる心の迷いを五根といいます
つまり、眼を通しての煩悩、耳を通しての煩悩、鼻による煩悩、舌、口による煩悩、身体による煩悩である五根があります
これに偽我の自分の煩悩を合わせて六根といいます
煩悩とはものに執着した迷いのことです
迷いに陥った自分を偽我といいます
偽我の自分とは、表面意識の小さな自分です
私たちは、この偽我に自分を託しすぎるから、争いがつきないのです
この六根をきれいにしないと、いつになっても平和な心を得ることができませんし、大きな自分になるには、五官にふりまわされない自分、つまり、大
きな心をつくることを心がけなければならないわけです
その二百六十三、
あの世の段階が気になる人
各人、あの世の段階は違います
幽界
自分さえよければ人はどうでもという、エゴの世界です
霊界
人に与えられたものは与えられる、与えたものが返ってこないとスッキリしない段階
神界
人から損害を与えられても人を非難しない段階
神様が人間に望んでおられる段階、八正道が目指す尺度です
こういう人ばかりになったら戦争は起きません
菩薩界
慈悲と愛の人の段階
如来界
神と表裏一体の人で、衆生済度のみの段階
その二百六十四、
人格者
自分の立場を離れて、常に第三者の立場に立ってものを見る、聞く、語るという人であり、全体の調和をいつも頭に置いている人です
その二百六十五、
家庭平和主義者
食べ物を摂って肉体のエネルギー源にしますが、心のエネルギー源は家庭の平和です
夫婦も家族も皆な仲良く調和すると、神仏のエネルギーは余すことなく供給されるのです
世界の平和は家庭の平和から始ります
その二百六十六、
正法の実践者
正しい毎日の生活をすることによって、神仏による調和のエネルギーは絶え間なく供給されます
調和のエネルギーが供給されると全てがうまくゆくようになります
たとえば「今日はとても疲れた」といって夜やすむと、前日の疲れが肉体に残ることがあります
ところが、やすむ前に、一日の反省をし禅定(ぜんじょう)をすると殆どの疲れならば、翌日は爽快になり、肉体も軽くなってしまいます
正法は実践です
正法を理解するいちばんの早道は体験であり、体験を積むことなのです
その二百六十七、
自我が疑問の人
通常、自我といわれるものは、他の人と区別される自己のことです
自我には、偽我、善我、真我の三つがあります
偽我は、エゴの小さな自分です
善我は、人間であるからには善いことをしなければならないと認識する自分です
真我は慈悲と愛一筋に生きるという大きな自分、大我です
宇宙即我は真我の現れです
その二百六十八、
水子により悩む人
母親の胎教その他で水子になりますが、水子の魂はそのまま天上界へ行きますから、水子のたたりはあろうはずもありません
普通、赤ちゃんの魂は三ヶ月頃に降霊しますから、それ以後の堕胎は殺人に等しいのですが、このような場合は、人々に愛を施し再び間違いを犯さ
ないようにしてください
堕胎によりあの世にトンボ返りした赤ちゃんの魂は、あの世の魂の兄弟たちが育て、あの世で成人させます
いったん肉体に入った魂というものは、この世が子供から大人へ成長するように、あの世でも同じです
トンボ返りした魂はみな幼児であり、成人するまで育てるのです
いずれにしても、魂は地上での波風を受けていないので、汚れつかず垢つかずですから天上界へ返ります
水子や堕胎の障りはありません
その二百六十九、
水子と堕胎の区別がわからない人
水子は赤ちゃんの体が不完全なために、赤ちゃんに魂は宿りませんから大人としてあの世へ返ります
ですから、この場合は次の妊娠により生まれてきます
水子と違って、赤ちゃんは順調に育っているのに、こちらの都合で堕胎する場合は魂も小さくなり赤ちゃんとしてあの世へ返ることになりますから、普
通は、次に生まれるのは千年から二千年ですが、早い人で五、六年で出てくる人もあります
その二百七十、
子に対する親の役目が気掛りな人
子供に対する親の役目は、子供が成人し社会人となって、人間としての道をはずさない立派な一員になるよう導くこと、ただ、この一点です
子供に過度の期待と、安全のみを願うと、かえってそれが災いし、子供を不孝にします
その二百七十一、
徳の人
徳とは心が正しく、人に善をつくしてゆくもののようです
この世にはこれ見よがしの徳もあり、他人に気づかれずに、ただ黙々と続ける陰徳もあります
こういう人を徳行の人といいます
徳は調和の現れです
これは誉め称えられることを期待しておこなわれるものでもなく、そのことが、 間接的に人々の心を明るくしていきます
その二百七十二、
身体障害者
先天性の場合は母親の胎内にあるときに、母親の心が家族内の葛藤のために、心が不安定なことより起こります
肉体と心は別のものであり、肉体の欠陥は心の欠陥ではありません
身体障害者の魂は、障害の体が事前にわかっており、それでも障害の体で人生を送ろうとする魂の勇者なのです
また、後天的な場合は、子供に原因があるというより、むしろ家庭内の不調和に原因を見る場合が多いのです
体が不自由ですと、人をうらみ、ねたむ心が出てきますが、不自由な体を乗り越える広く大きな心を育てるように、周囲が絶えず心がけることが必要です
三重苦のヘレンケラーは、障害者に勇気と希望を与える使命と今生の目的ある菩薩界の人で、「私は眼が見えない、耳が聞こえない、喋れないため
に、絶えず神と話をすることができて幸せでした」と、あの世で会われた高橋信次先生に告白されたというのです
その二百七十三、
この世(現象界)はナゼできたか疑問の人
現象界はなぜできたか、それは神の意を具体化するためです
人間がこの地上に生を受け、生活を営むようになったのも、神の意を具体化し、調和ある王道楽土をつくるためです
その二百七十四、
苦しみ悲しみはどうしてできたか疑問の人
人類の苦しみ、悲しみは、どうして生じたかと申しますと、それは、人間には動物や植物とはちがった創造行為が与えられ、その能力を有するため
に、苦しみや悲しみが一方において生じてくるのです
ともかく人間は、神と同じようにものをつくりだす創造能力が与えられ、その能力ゆえに苦しみ、悲しみをつくり出していくわけです
その二百七十五、
苦の原因が疑問の人
苦の原因は六根という煩悩、つまり、見たり、聞いたり、話したりするうちに心のなかに我執が生じ、自己中心となって自分さえよければよいとする考
え、思い、わだかまりが苦しみをつくっているのです
その二百七十六、
あの世をどうしても見たい人
あの世の実相を知りたければ、まず現実の生活を正し、生活を自分のものとした時に、あなたの心の状態に応じてあの世が映ってきます
心の動き、自分の行為を静かにながめるようになりますと、それだけでもあの世の実相が自然と理解されるようになります
この世である三次元と、あの世である四次元世界は連続体であり、この両者は決して別々に成立していないことを考えますと、あの世を見なくても理
解されてくるものです
その二百七十七、
正法者は自分一人、他とどう調和するか疑問の人
この世はさまざまな魂の人の集合体です
一人では生きて行けません
諸行無常の実相が理解されると、自分の都合だけで思ったり考えたりすることの愚かさを知ることができるでしょう
そうなると正法から外れると思っても妥協しなければならないこともたくさんあります
まずそこで、自分の心を正法に調和させ、周囲の環境に振りまわされない自分を維持しなければなりません
心を調和させるには物事の是非を正しく知るようにつとめることです
次は正しい妥協です
妥協は一時の平和を約束します
妥協によって心まで毒されてはいけませんが、正しい生活と反省・禅定が進んできますと妥協しても毒されない自分に気がつく筈です
そして心の実相がわかってきますと差別意識が次第に薄れ、人間平等の考えが強くなり愛の心が芽生えて人々の不調和な言動に腹を立てたり、怒
りや憎しみしっとや愚痴に左右されない自分を自分で称えるのです
こうすると周囲も明るくなり、あなたの意見に耳を傾けてくれるようになり、一歩一歩前進されてゆくものなのです
自分の都合や欲で思う通りにさせようとしないで、ものごとによっては妥協、実践、妥協、実践…を通して真の正法者へと着実に歩を進めて行くように
して欲しいと思います
その二百七十八、
仏壇と正法者
仏壇に先祖の霊がいるようでは困ります
そこにいるようでは、周囲に霊現象を引き起こし家庭はいつも混乱して迷惑至極です
浮かばれておれば、そこにはいません
いないとすれば、朝晩手は合わせ経を上げるのも何かそらぞらしく思えます
先祖供養のあり方は、仏壇に手を合わせ線香、ローソクをともすことではなく、家庭はオホホ、アハハと明るく仲良く健康であるのを先祖は一番望ん
でいるはずです
そうであれば、仏壇は必要ないということになっても、皆が合意のもとであればそれでいいのですが、反対するのに自分だけの一存でことを進めると、
あなたを苦しめ廻りを不調和にします
要は、こうした習慣に染まることなく、習慣にしたがいながら智慧を働かせて、時間をかけ周囲の状況を見ながら対処していくのが、正法者のあり方で
す
その二百七十九
「お盆」について知りたい人
今から二千五百年前のお釈迦さまの時代に、コリーター(後のマハーモンガラナ)という釈迦教団において天眼道第一といわれた人がいました
天眼というのは、あの世も、この世も、未来も見通すことができる能力です
ある日のこと、大目連(マハーモンガラナ)は、お母さんのあの世を見ていますと、お母さんは薄暗い所で水を欲しがっていました
大目連は水を差し上げようとしますが、水が火炎に包まれてどうしても飲ませることができません
そこで、お釈迦さまに相談すると、「そなたのお母さんは生前、人に施すこともなく人を見下げて優雅に暮らした、それで、いまは火炎地獄というところ
で苦しむことになったのだ、大目連よ、そなたがお母さんを助ける只一の方法は、日を決めて、そなたが人に施す姿をお母さんに見せ、模範を示す外
に道はない」、とお釈迦さまはこんこんと諭すのでした
そこで大目連は、日を決めて人に施したというのです
このようにお盆の由来は、故人の霊を提灯や花、ダンゴで祭るのではなく、困った気の毒な人へ手を差し伸べ思い遣りの愛の行為を施す日というの
が真の意味なのです
この天眼道第一の大目連は、幕末の、あの坂本竜馬に生まれ変わり、現代はニューヨークにY・大谷氏として転生していると高橋信次先生の言葉が
あります
その二百八十、
合掌、線香、数珠、塩、水、ローソクの意味が知りたい人
合掌は、右と左の両極端の手を、真中に合わせ、人の道は中道という姿を現わしたもので、あの世や霊に関係ありません
線香は、釈迦教団において共同生活する上で臭がひどかったようですから、栴檀の香を燃やして匂い消しにしたもので、あの世や霊に関係ありません
また、古代インド時代に石鹸は、椿の実や葉を叩いた油からつくったものです、
数珠は、江戸幕府のとき宗門改め等の政策に「数珠などを持ち寺に参り」としたもので、あの世とか霊に関係はなく、ものを数えるソロバンのようなもの
塩や水は、強酸である塩酸HCLと、強アルカリの苛性ソーダーNaOH
この両極端の物質を合わせると、最も安定した塩と水になります
このように塩、水は中道調和を現わした姿であり、あの世や霊に関係ありません
ローソクは、お釈迦さまが説教をされるときは、皆が仕事も終えた夜が多かったので、明りとして菜種油を燃やしたものだそうです
これもあの世を照らすとか、霊に関係はありません
このように仏教という名のもとに、後世の人が理由をつけてつくりだしたものと理解できるでしょう
その二百八十一、
夢が疑問の人
夢には、自分の思いがつり出したものと、自縛霊、動物霊などの影響によるものがあります
主観的な思いによる夢は、美しい情景や楽しい夢、有名人と会うなどがあります
一方、霊が見せる夢は、金縛りにあう、とても怖い、呪われているなど地獄の暗い夢です
この場合は天上界の夢ならともかく、自分の想念のどこかに問題がありますから、生き方を反省する必要があります
朝方みる夢の場合は休息もとれており、守護霊の働きで見せられる夢です
また夢は自分の思いと行為をごまかしなく再現するので反省のまたとないチャンスです
霊的な第三者の介入による夢の場合は、寝つかれない、ウトウトする、怖くて目を覚ますなど真夜中に見ることが多いのです
こういう霊的な夢が続く場合は、光の天使、諸天善神の加護を求めることです
正法では次のようにします
「大宇宙大神霊・仏、諸如来、諸菩薩、光の天使、我が守護指導霊よ、我が心に光をお与え下さい、安らぎをお与え下さい、一切の魔よりお守り下さ
い」と声を出しても、心の中でもかまいませんから、何度も唱えて、次は現在のあなたの生き様を静かに反省をするのです
暗い怖い夢は、あなたの暗い心が呼び込んだのですから、明るく正しい生活を心がけてください
その二百八十二、
病気、災難、事業不振、家庭不和が疑問の人
これらは、すべてにわたって原因があるから結果となって現れてきます
つまり、原因と結果の法則であり、因果の法であり、善因善果、悪因悪果そのものなのです
病気は、体の酷使などによって体がこわれるのです
災難は、生き方に問題があると、それから逃れられません
事業不振は、事業のあり方に問題があると、その結果は倒産など悲惨です
家庭不和は、子供の育て方、夫婦の仲の悪さなどの原因があって、その結果は家庭不和となって混乱したり、家庭崩壊を起こします
すべて他人ではなく自分に原因があるのですから、自助努力によって自力で解決しなければなりません
遠回りのようでも、未来を見詰めてコツコツ毎日の生活を正して、持続的な努力は将来を約束するのです
その二百八十三、
公害が心配な人
公害は利益優先の企業のエゴによりものです
企業の体質と取り組みの原因と結果であり、悪因悪果です
公害は、同じ毒をとっても、軽く済む人、重い人、死に至る人などその症状は人により様々です
そのときの健康状態、食べ合わせ、心の状態によりけりです
しかし、それ以前の問題として、常日頃の想念と行為が、そのときの健康状態、食べ合わせの原因をつくっているという見方もできます
広い意味では親から受け継いだ肉体遺伝、体質により公害病も、それぞれの想念、心に直接、間接的に関係あるということを知って欲しいのです
さらに、不平不満、愚痴ばかり、社会が悪い企業が悪い、なにが悪いかにが悪いという怨みの心でいると、治るものまで治らないということも神理です
その二百八十四、
平和と幸福をモットーにする人
目的が平和なら、手段も平和なはずです
平和のためにデモる、闘争するというのでは困ります
目的が平和で、手段が闘争になりますと、目的は平和のように見えますが、
実は目的も闘争になります
戦国時代の武将たちは、彼等は平和を望みながら争い、ついには戦いから解放されず盛衰を続けました
イスラム教のマホメットは平和を唱え、一方では戦闘を行使しますから、これは矛盾もはなはだしいと言わねばなりません
モーゼ、釈迦、イエスの生き方を見ても武力、闘争というものが何を意味するのかわかります
目的が平和ならば手段もまた平和でなければならないのです
その二百八十五、
地球の戦争と平和の期間が、気に掛かる人
地球は戦争と平和の繰り返しでした
戦争と平和の期間を分けると、戦争の期間は七、平和な期間は三、つまり七対三になり、地球人類が始ってから七割以上は戦いの歴史だったというのです
戦争の歴史は、私たちを幸せにしていないことを否定できませんし、いまもってしあわせではありません
理想社会は調和の社会であり、心のなかに争いの想いを持たない社会です
争いの想いは、自己保存と足ることを知らぬ欲望から生じます
まずそれには、人間各自の心のなかに平和をつくり、人間としての目的と使命をしっかりと自覚することが先決です
その二百八十六、
文明について気掛りな人パート@
日本の歴史二千年を見ますと、古墳時代の居穴時代に始って、テクテク歩いた徒歩や早走りから牛、馬車の時代を通って、これが千九百年間も続き
ます
そして、石炭が掘り出されるようになるとワットの石炭を燃やす蒸気機関車に始って、燃料がかさ張らない、液体の石油爆発内燃機関へと移行します
電力が自由に供給されるようになると電気機関車、そして新幹線、リニヤ・モーターカーです
海には帆掛舟から蒸気船、ジーゼル船、ジエット推力船、原子力船、磁気推力船です
空には、ライト兄弟の飛行機、飛行船、グライダー、ジエット機、ロケットです
これらは全部、驚くなかれ、この百年間に発明されたものばかりです
人間の移動機関だけを述べてもこれですから、地球文明の進歩というのは本当に目を見張ります
日本だけの歴史を見ても、現代までの千九百年間は、現代の文明からすると沈黙の陰の時代といえます
文明の永い冬の時代から、どうして一気に文明の春夏の時代へと突き進んだのか疑問の人もおられるでしょうから、次はそれについてお話します
その二百八十七、
文明についてパートA
どうして、永い冬の原始時代から、突然の文明の開花をみたかといいますと、
特殊な乗り物(UFO、今でいう反重力光子宇宙船)によってスエズ運河の近郊エルカンタラへ降り立った六千人の当時の原始人類は、あの世とも自
由に交信でき、文明も現代よりもっと高度で、理想的な原始共同体でした
ところが、人類は愚痴、怒り、足ることを知らない欲望を生み、エゴを育てていくと、人口が増えるにしたがって巷は騒乱と殺戮は続きます
平和の使徒である光の天使を殺すほどに荒んだ人類は、一握りの人達を残して土中に海中に沈められたのです
ノアの方舟現象により、陥没、隆起、崩落などの天変地異は起り、火山は火を噴き、洪水は怒涛のように押し寄せました
このようなノアの方舟現象は、地球人類三億六千五百有余年の間に七回起ったというのです
現代に一番近いのが一万二千年前のアトランティス大陸やムー大陸の陥没です
日本はムー大陸のいわば残骸です
山々の高い頂が海上に突き出しているのが日本国です
一万二千年前の一握りの原始日本人は、全てを無くし、呆然と立ち尽くすだけでした
それからは、毛皮をまとい、洞窟生活が始まります
動物を狩り、野草や自生した果物を食べて飢えをしのぎ、あの便利な、光と磁気と重力をコントロールして動く移動物体も失くし、今は徒歩で歩けるだ
けのキョリです
すべて自分たちで一から始めねばなりません
突然この地上から姿を消したもの全部が、再製しなければならないものでした
技能や技師等の技術も人も物も全部です
一つビルを例に取りますと、ビルの材料、電気、動力、図面、設計師、技師、作業員、作業機械などが、足並みをそろえて発明と発見という、永い時
間の進歩がなければ現代の百階建てのビルは建設できないのです
一度全てを無くすと、相当な時間を要するとご理解いただけるでしょう
人類の歴史は、文明が進むと次には人類の愚かゆえにまた崩壊し、進んだ時点で再び天災に見まわれて、文明の行きつ戻りつの、文明の彷徨が繰
り返されたのです
地上文明は常にこのような繰り返しを重ねてきました
こういうことにより、一億年前の文明が現代より劣っていると誰が言えましょう
その二百八十八、
文明についてパートB
一万二千年前のアトランティス大陸、ムー大陸時代は現代よりもっと高文明でした
その一例は、これから発見されるアトランティスのドーム型建物の超硬質金属などは、現代人が見も知らぬ組成に驚かされます、
この超文明を築いたアトランティスやムー大陸の人々は、自らの想念と行為ゆえに一瞬にして陥没されています
一万二千年経った現在、その当時の高文明を体験した霊魂が、これから生まれて来る、否、すでに地上界に少しは生まれているというのです
彼等は魂に潜在された当時の記憶を思い起こして、力を合わせて現代文明を引き立て、さらに押し上げるのです
文明の進歩とは次のようなことです
例えば、石油が採掘されます
石油を爆発させて動力にする理論が確立されます
エンジンが作られます
エンジンの理論を応用した各分野の機械が考案されます
車に、船に、飛行機に、というように一つの理論は各分野に連携して広がりを創って行くのです
一人の才能のある科学者が理論を構築し、その理論に基づいて作業工が機械を作り改良して、商人がそれを売り人間の生活を潤わせる
このように一歩一歩、文明は進歩してきたのです
何億年という地球人類の歩みの中で、人類の悪想念と悪行為ゆえに陥没、再生、崩落、再興、壊滅、再構築を地球人類は次々と繰り返したのです
神の子人間は右肩上がりに進歩を続けるべきですが、、悪い想念と行為ゆえに後退、停滞を繰り返すとは何と愚かしいことでしょう
アトランティス、ムー両大陸以後の、今度こそは、彼等も超文明と超科学に奢ることなく謙虚に、心安らかに皆と調和して、人類の為の文明を享受しな
ければならないのです
これから時間をかけて、ムー大陸の残骸は沖縄の海域に、アトランティス大陸はニューヨークやバミューダ諸島の海域に姿を見せてくるでしょう
このようにして、現代の百年間に特に急速に文明が発展して来た理由は、今までの説明でお分かりいただけたと思います
天が与えた才能という意味の「天才」というのは、一回生まれ変わっただけでは実現できません
永遠である魂の遍歴の中で、人間は何度も生まれ変わって少しづつ才能を培って来たことを知って欲しいのです
我々の地球が属するアガシャ霊団は、大宇宙の七霊団の中で最も速いスピードで進化しているとは、高橋信次先生の言葉です
さらに、人間としての義務、献身、博愛、協調、連帯感といったものがあれば、文明は、もっとその勢いを伸ばすこともできるのです
その二百八十九、
催眠術者
催眠術は暗示を利用して、心を1ヶ所に集め、意識を眠らせ、めざめている意識活動を喪失させてしまうもののようです
その歴史は古く、ヨガからきています
催眠術者は、たいてい過去世で肉体行をやっていて、霊媒の多くが肉体的修行に明け暮れた人であるのと似通っています
催眠術は一例を上げますと、いままで右側を走っている人を、念力によって左側を走らせる、というわけです
等速度運動をやっている人を強制的に止めたり逆に走らせようというのですから、その結果は反作用が来ます
催眠術によって、ドモリ、ノイローゼが治った、小心がなくなった等という割には、前よりひどくなったというのも多いのです
これは、念の力で押し込んでかえって病気を悪化させるのです
霊的には、催眠術をひんぱんに行われると、悪霊や動物霊、地獄霊にとり憑かれる(憑依される)ことになります
むやみやたらと行ってはいけません
かって著者も医学の研究という目的で、三十年前に、当時流行りの催眠術を盛んにおこないました
高橋先生の教えを学んでからは反省の上に立ってプツリと止めましたが、確かに霊に感応させやすかったと確信しています
テレビなどで、時折スゴイのが行われますが、高橋先生は催眠術師の背後で仙人界の行者が演技しているのが見えるという言葉があります
念力は人間に与えられた能力ですが、正しく利用されないと、非常に危険です
その二百九十、
病気の種類が気掛りな人
病気は三種類に分けられます
肉体的な消耗
精神が先走りして肉体がついていけない場合です
憑依現象
地獄霊、動物霊の憑依によるものです
この場合は自己保存が、その主な理由なので、心から反省して心を修正して想念行為が改まらなければ治りません
守護霊による作用
守護霊による魂磨きですから、本人がどうしてそうなるかを自覚する以外にはありません
魂磨きとは、本人の生き様、心のあり方に問題があると守護霊が心配をして反省の序章とも言うべき肩叩きをするのです
例えば、眠ったのに体がフワフワする
風邪も引いていないのに、熱っぽい等の守護霊による精神心理作用です
その二百九十一、
病気の状態が気になる人
病気の原因は怒ったり、そしったり、争いの想い、対立感情などにあります
これを釈迦はエゴから生ずるといい、イエスは愛の不足によるといっています
こうしたエゴが表面意識を通して想念帯に病巣をつくり、やがて肉体的には病気になり、社会的には災害となって現れてくるというのです
病気は気の病です
肉体が病むというより肉体細胞の意識が病むのです
胃腸には胃腸の意識が、心臓には心臓の意識があります
人間の意識を大きく分けますとこの体の各部分を動かしている細胞意識(肉体)と魂意識(心)があります
病気はその両方が病むものですが、その原因は、想念帯を含めた表面意識にあります
怖いと体がすくみ、怒ると心臓がドキドキ、笑うとお腹がすく等のように表面意識(心)と細胞意識(肉体)は密接な関連を持ち表面意識に細胞意識が
常に左右されています
病気の大部分は表面意識が原因であり、細胞意識の病む場所は先天性の肉体遺伝の場合が多いのです
人間の心・魂意識は神の子ですから、病気になるということはありません
すなわち意識の中心である心は、本当は病むことはないのです
ただ魂意識層にある守護霊が、人によっては表面意識と足なみを揃えて病むことはありますが意識の中心まで病むことはありません
心だけを見れば病気は本来ないことになりますが、現実にはあります
仮に、死ぬまで正法通りに生きても、その人は病気をしないかというと、この世では立派でも、先天的な過去世での因縁、つまり原因と結果の法則が
表出し、現れてくることがあるからです
この世に生まれてきた理由の一つには過去世のカルマ(心の傾向性)を修正するためもあるのですから、この世のことだけでは片付かないこともある
わけです
ただし,この場合、十の過去世での因縁があっても、この世での善なる行為によって十が五になったり、三になり一になる場合もありますから、つまり
悪と善の相殺作用が働くので現世も正しく生きなければなりません
この意味で、人は現世で正しく生きたとしても病気から解放されることは、まずないという理由です
その二百九十二、
本能のままに生きる人
本能には食べる食本能と種族保存の性本能があります
もしも、この二つがなければ人間は絶滅しているでしょう
それゆれぬ、本能は人間の生存に必要な最低の条件なのです
人間と他の生物の違うところは、他は強い制約を受けているのに対して、万物の霊長である人間は、自らの智慧と理性によって、コントロールしてゆく
ようになっています
本能のままに生きるという人は人間である知性、理性をかなぐり捨てて動物のように生きる人です
その二百九十三、
欲望のままに生きる人
欲望は本能の影響が強く現れたものです
本能は生存に欠かせない生理的、一次的なものであり、欲望は二次的作用として生まれた精神作用です
欲望の中には、知性からくる知識欲、好き嫌いをあらわす感情から、そねみ、ねたみ、中傷といったものや、本能とのかね合いから権勢欲、名誉欲、
地位名声欲が生じます
こうしますと、欲望が発生する背景は広く、本能は、その一部といえるのです
本能は生理的なものですが、欲望は自我であり執着です
それは自分と他人との相対観であり、それが必ずしも一致しないために、きわめて個人的、孤立的、排他的のなかから生まれてきます
こうして、欲望だらけの社会の中で福祉を広く与えすぎると、人間は勤労や発明発見の意欲を失い、自殺者や性の乱脈が福祉社会に見られるという
のも、人間としての自覚、意識の目覚めがないためにおこります
欲望と発展は密接な関係にあるといえますが、そこで大事なことは、足ることを知った生活、報恩感謝の生活、助け合って生きることであり、節度は
調和を生み、調和はより大きな発展をもたらすのです
その二百九十四、
易、占いに興味がある人
人には運、不運があり、易や占いによって開運の人生を歩きたいと願うのは、人情です
易、占いは過去の統計や平均値を基礎にしたもので、確率七分といわれる理由です
しかし、当たりはずれがあること自体が、その限界といえます
人間には現世もあれば過去世もあるので、現世の運、不運だけを見立てようとするところに問題があります
人の一生が易、占い、姓名判断などにより決められているとしたなら、人間の生まれてきた目的と使命は何か、判断に迷います
易、占いに迷わず、易、占いを越えてゆくもの、それが人間なのです
易、占いにこり過ぎると、自己保存をつくりあげ、開運の名の下に、執着心を育てあげて行きます
開運に執着しますと、ああしてはいけない、こうしてはいけないとなり、開運のためのものが、逆に不運を招くことにもなりましょう
人生が魂の修行にあるとすれば、占いが悪いと出ても、あえて決行しなければならない場合もあります
幸運時より不運の時こそ開運のチャンスであり、それを恐れては何もできないのです
反省と正道の生活を送るならば、神は見捨てることなく不運を楽々と乗り越えられるのです
その二百九十五、
自己保存の人
自己保存とは、自分が、自分がと自分を握って離さない、自分が中心にならないと気がすまない人です
自分が人の中心になれないと、相手を猛然と攻撃して傘下におさめないと気がすまない人のことをいい、自分本位に生き、自意識が強く過剰な人を
いいます
自分の都合だけの人です
これはものごとに対する執着の心から発する精神作用であり、調和から遠く外れた想いです
その二百九十六、
自殺者
人間の目的は地上ユートピアの建設です
あの世からこの世に生まれるときは、こんどこそ自分のカルマ(心の傾向性)を修正し、この世を調和させると決意して生まれています
ところが、この世に生まれてしまうと、それも忘れてしまうのです
自殺は調和という神の目的から大きくはずれた行為であり神に対する冒涜、反逆であり人間否定を意味し、自分の生命を自分で断つことをいい、現
実からの逃避ですから悪のうちでも、自殺は最悪の部類にはいります
自殺は、さまざまな内容を伴い、各種にわかれています
戦争などの異常事態における自殺(特攻隊)や家族の迷惑を考えて命を絶つ療養生活の長い老人などの客観的に説明できない自殺もあります
形はどうあれ、本人のその時の想念のあり方が問題ですが、客観的に、私だったらこうするという余地の残された自殺は、もっとも悪い結果になりま
しょう
悪いことに、現代は社会現象のように自殺が話題に上っていますので、理論よりも自殺者の死後の世界を教えて、止めさせることを第一義にしなけ
ればなりません
「自殺者の死後の世界」
自殺者の死後の世界は、暗黒地獄です
一寸先も分からぬ真っ暗な穴倉のようなところに閉じ込められての苦しみの連続です
突然、鼓膜が破れそうな轟音が鳴り響いたり、得たいの知れぬ生物が意識の中に入り込んでかきむしるのです
意識だけはハッキリしておりそれでいて真っ暗ですから自分の体がどこにあるのか、まったくわかりません
自殺は光を否定した想念ですから、暗黒界に自ら引き込み客観的に説明できない自殺は、その苦しみが長期にわたります
「霊に憑かれた自殺」
最近、自殺者は年間四万人にものぼります
自殺者の死後は暗黒の世界ですから、それに耐えられる人はいません
そこで同類の自殺願望者に頼ります
自殺の名所や自殺が多発する場所を、自殺願望の人が通りかかったりすると、話しを聞いてくれそうだと思って憑くのです
首吊り自殺者ですと、なんだか首を吊りたくなったり、首が締められる感じがしますし、列車の投身自殺ですと、列車が来ると飛び込みたくなります
あの世の自殺した霊人は、同類の人間に「死は怖くないよ、あの世は楽しい所だよこの世がそれほど苦しいのなら、サァ早く飛び込めよ」などと手を
変えて誘うのです
地獄霊のエネルギーは、この世の暗い人間の悪の想いです
自殺予備軍の暗い想いです
ゆめゆめ、こうした想念に支配されないようにしたいものです
これからも自殺した地獄霊はどんどん増えてゆくでしょうが、どんな地獄霊がいても、明るく正道を歩く人は同類にならない、つまり波長が合いません
から絶対に心配いりません
手首を切ったり、睡眠薬自殺の願望者が回りにいる場合は、とにかく、生き方を変えさせ、昼夜が逆転しているときは、それを修正させ普通の正しい
生活をさせてください
周りの人の温かい愛ある行為には一円の金もかかりません
医者に相談しながら、このウエブの「心行」や「感謝の祈り」を読んで聞かせるのも一つの方法です
「心行」はお守りではありませんから、最終的には自力、自助努力です
その二百九十七、
ウソと方便と、お世辞の違いが疑問の人
ウソは自分の都合から出てくるものです
方便は一時の手段ですが、方便を使うときは相手の心を察して、相手を生かすときにつかうものです
自分の欲得でつかうものではありませんし、相手を生かすときに大きな働きをします
ですからウソと方便では本質的に違いますし、自己保存か相手を生かすかが、その分かれ目です
お世辞というのはウソに近いものです
お世辞は相手をだまし、相手を必要以上に持ち上げることになりますが、対人関係をスムースにするために、限度を守り節度を保つならば少しはあ
ってもいいでしょう
正しい法は中道であり、自分を失わないことです
その二百九十八、
女性と男性の違いが疑問の人
男女は平等です
それぞれ長所を持ち短所を有しています
理性の働き、意志の強さを見ると、女子は男性より劣ります
それは女性が家庭を守り子を育てるという環境から、理性や知性を養う機会が少なかったからです
さらに男性との大きな違いは、子を産むということから、妊娠すると四次元のあの世との交流が始り、女性はどうしても精神的動揺が男より激しく心が
定まりがたいのです
女性の感情はネコの目のように変り、あの世の地獄霊が寄りつきやすいのです
これは、霊媒、巫女や拝み屋は女性に多いというのが、その理由です
ですから、子供を生むという条件からあの世ともツウツウですから、あの世の影響を受け感情の起伏が激しくなるわけです
このように子を産めるか、ということが最大の違いです
その二百九十九、
人肉を食べた人
今から三十年前のこと、数十人のスポーツ学生の乗った飛行機がアンデス山脈に遭難して、数十日ぶりに生還しますが、多くは餓死、十数人は人肉
を食べて助かったというのです
死んで魂が離れた体は単なる物体です
ここでは食べられた人の魂が、また食べた人がどう考えていたかという、観念が問題になります
肉体に執着が強く、無惨にも食い千切られた自分の肉体に、無念と復讐の念に燃えるか、或は、人が生き延びるのなら結構ではないかと考えるかと
いう、死んで行く人の魂のあり方と、これを食べる人の心の持ち方によるのです
人肉事件の餓死者は自殺にはなりません
人の心は他を生かすことであり、心の底に神の愛が常にあるので、同胞の肉を食べることは良心が許しませんが、あの世の餓鬼界では生きるため
には人肉でもいといません
でも人間である以上は、人肉を食べたからには、その人はいつまでもそのことに対して、心の重荷を感じるでしょうし、彼等は避けられぬ運命にあっ
たわけです
人肉を食べて生きる世界は地獄しかありません
自殺の観念に左右され、人を生かす正道を見失ってはなりません
アンデスは、死者を弔うのに鳥葬というハゲ鷹に人肉を食わせる習慣があり、そういう地域の風習や民族の観念も考慮するとわかりやすいでしょう
その三百、
人間の真の価値が疑問の人
人にはそれぞれ能力の差、得手、不得手がありますが、人間は必ずしも自分の能力に合った仕事に就くとは限りません
自分の心をより豊かにするために、一番不得手な職業に就く場合もあるのです
また、地上の褒め称えられる喝采と、神が求める喝采は必ずしも一致しません
神の意思は虚飾抜きですから、その人が純粋に、人びとに神の意思にかなう愛を与えたか、慈悲の心で人びとに接してきたかにあります
それも量ではなく質なのです
価値あるものは、まじりけのない正しい心であり、神の手中にあるということです
人は、欲深ではない豊かな心で調和することが大事です
(この項まで平成十五年八月十五日)